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2018/11/14

前宮司の「思い」

月刊の「文芸春秋」を読んでいる。分厚くて、内容も盛りだくさんで、ときどき買ってもすべて読み切ったことは無い・・・ごめんなさい、作っておられる方々。

この十二月号の表紙には「前宮司独占手記」 「靖国神社の危機」の文字が。赤い色で。

こういうものは出ると確信していた、どこがどう取り上げるか、とも。

いま、合間合間に読んでおります。かいつまんで書いたりできない重い内容が、ずっしり。一度ですら~っとは読めないです。

いちばん最後のところだけ、引用させていただきます。その他は、また、いずれ。

 「靖国神社に関して根本的な問題は、結局のところ悲しい生涯を送った御祭神を国や天皇陛下がどう扱うかということなのです。陛下には一度でいいから、せめてお近くにお越しいただき、二百四十六万余柱の方たちにおことばをかけてくださったらと切に切に思うのです。」
                          文芸春秋12月号   小堀邦夫前宮司 独占手記より


・・・・・早速お読み下さり、拍手を下さった皆様にお詫びします。

この記事の位置を変えました。

厚かましいですが、ご理解をいただき、もう一度「拍手」下さい、と、お願い申し上げます。‥冷や汗・・・。

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2018/11/14

霜月の「みんなのうた」レッツ・うた詠み

十一月、霜月の「みんなのうた」お寄せ下さい。

基本は五七五七七の定型短歌。いささかの字足らず字余りは、それはそれ。

お一人何度でも幾首でも、コメント欄にお寄せください。ことばの泉は汲まねば枯れる、です。もったいないです。まるで形になっていなくても、思い溢れて書かれたものなら、よろこんでお受けいたします。

19日、月曜日の夜まで。今月は長期戦です(笑)。
2018/11/13

野望もまだある

凄まじかった台風の日に風の圧力で左手首を傷めた。

夏の終わりにバゲットを齧っていて突然、歯が折れた。ドンクのビゴさんの訃報を聞いて数日後、たまたま通りかかったのでバゲットを買い、家でハムとレタスをがっさりはさんで、美味しいなあと喜んで食べていた矢先だった。

は?。 何が起きた? 右の上の糸切り歯・・犬歯が、グギっと上向いてしまったような衝撃。

無理やり予約を入れてもらって、通りすがりに見ていた歯医者へ飛んで行ったら、

「折れてますね、虫歯になっていたところから、ボキっと」

治療の後、折れた歯を持って帰るかと聞かれたが、イイエ、と答えた。

現在の住まいには、長年食を共にして来た犬歯を、葬ってやるべき一すくいの土も無い。

以後、他の手入れもこの際、と考えて歯科医通いを続けている。

11月初めに、今度は下の左の犬歯の隣の歯が折れた(折れたと思った)。骨付きの肉をかぶっていた時だった。

かぶせていた歯が、割れて、欠けた。欠けたから舌に引っかかって痛い。名古屋行きを控えていたし、名古屋のエビフリャアや味噌カツを食べられないのは辛い。歯科の先生に泣きついて、痛くないようにとりあえず、してもらった。

骨が折れたり歯が折れたり、気持ちは若いがカラダはそれなりにダメージを受けやすくなっているのだな。

今日も歯医者へ行って来た。左下の欠けた歯を、どうしたいですかと医師が聞く。白いのがいいです、笑うと見えるところだもん。言うと、セラミックだと10万円、と仰る。実は、あまりリアルにここに書きたくない歯科事情がありまして・・入れ歯の話なんか細かく書きたくないものね・・あれこれ工事が必要、その一本に、10万円は、支払い難い。

で、白くてそんなに高くない歯を、保険でしてもらうことになった。やれやれ。

奈良で長くかかっていたジイちゃん先生は、生涯一歯科医という感じの立派な先生だった。仕出しの昼食を注文しておられたが、何人かの衛生士さん他の方々より、200円足すから内容を豊かにして欲しいと頼んで。一番大きく品数豊富な弁当を食べておられた。八十歳は超えておられたと思う。ある日、電話がかかって、次の予約は無しにして下さい、と。先生が倒れられて入院、ご家族はこれを機に、医院を閉じようと決められたそうで、と、長年お世話になった受付の女性からの電話だった。

お見舞いも叶わなかった、それからほどなく私にも、家移りを決断することが起きて、それきりになって。少し落ち着いてから見に行った医院は、取り壊されて更地になっていた、それだけしかわからない。あえて判ろうとしないことにした。感謝だけしていよう、と。

・・・左手首は、使えるように使い続けて、パソコンも打ち続けて来たが、なんとか元通りの感じになってくれた。ダンっと手を突いたり力を入れたり重いものを持つのは避けながら、暮らしている。慣れた。

歯は、あれこれしてもらって、何とかなるだろう。骨付きの肉をギャートルズみたいにかじるなどは、控えた方がいいのかもしれないな、とは考える。甘い柔らかいパンより、塩分の絶妙なハードなタイプのパンが好きだが、バゲットは,こころして食べるべきなのか。

若い頃から歯は丈夫で、雑に使って来た気がする。

骨は年齢並みになっているということか。いや。あの台風の風は異常だった。

歯は・・今は、すごい技術でもって、なんとかしてくれる・・今年中に全部、きれいになるみたい・・。

多少は気を遣って大切に思いながら、できたらいつか、今度は、X ジャパンのステージを観に行きたいなあ、と、野望を抱いている。


まさこだのコムロだのの件については。まっとうな、アレらにふさわしい終焉の訪れるように、との、野望でなく、熱望を抱いている。





2018/11/11

花火

ハーバーの沖で、花火がたくさん、打ち上げられました。

夏。台風21号の影響で、延期になった花火大会。

もう真っ暗になった沖に、はじめの一つが昇って行って、弾けて、どどーんと鳴った。次々に花火は上がり、私は、人びとが群れているところから少し離れて、眺めていました。

これも真っ暗な空に、くっきりとした三日月。受け月といっていいのか。カナリア色の、シャープな月です。いきなりの花火に、驚いた風でもなく、澄まして空にひっかかっている。

このごろ味を覚えて飲むようになった、アルコール・フリーの缶ビール。一缶だけ持ち出して、花火を見ながら、ゆっくり飲みました。

アルコールゼロの筈なのに、ふわっと、酔いに似た感覚が来る。

しゅううっと昇って行っては、開いて、にじんで、散る花火、飽きず見上げて、一缶あけて、ゆっくり戻って来ました。

家へ帰って、処分できないで残してある本を、手に取って。

1988年の12月に第一刷の本、ページは茶色く焼けてしまっています。

「ニューヨーク恋物語」著者は鎌田敏夫。シナリオ形式の本です。

テレビのドラマになっていました、大好きなドラマでした、何度も観なおしました。

田村正和や真田広之、岸本佳代子や桜田淳子が出ていました。

しゃれたドラマでした。無駄な説明の無いセリフが、すてきでした。男や女の素直になれない気持ちや、揺らぎや、切なさや強がりや悲しさが、溢れかえっているドラマでした。

独立記念日の、花火大会の場面がありました。マンハッタンの空に砕ける花火。空も海も川も、花火に埋まって。そんなシーン。

男は気まぐれのようにキスをして、女は、雷に打たれたように・・人生の変わるキスだったのです。

ラストシーンの忘れがたいドラマなのです、「アマポーラ」の甘い曲が、たっぷりと流れていた。田村正和のキザが、ぴかぴかに光り輝いて場面にはまっていた、嘘でもホントでも・・何がウソなのかホントなのかなんてどうでもいい、とにかく体当たりでぶつかって転んで起き上がって、元の、周囲の目が気になる女に戻っていた岸本佳代子のリアルさが、笑えるくらいいじらしかった、そんなラストシーンが、未だに忘れられず。

季節はずれの晩秋の花火大会に、感傷的になりたがっていた気持ちが、ざわざわとざわめいたひと時でした。

もう、打ち上げは終わった頃でしょうか。


・・…コメントへのお返事は、明日、ゆっくりとさせていただきたいです。



2018/11/09

ポールの夜

ポール・マッカートニー・76歳、37曲、唄いきりました。

まだアタマの中というか、気持ちの中を、整理していなくて、ただ、よかったなあ、凄かったなあ、ポール。そのままの感じです。

基本、どこへ行くにも何をするにも、カメラも持たず事前の調べなどもほとんどせず、エラそーに言えば、そこへ行って、見て聴いて、何か感じるままにする。今回もそうでした。

離れてはいるが正面から見える席。でもポールは、遠くて、とても小さかった。でも、現れた、とわかったら、胸がドキドキして、涙が出ました。

ずううっと追っていたのではない。初めて聴いて、脳内に雷を受け止めて、ラジオだけを頼りに一途にビートルズの歌を聴きたかった中学生だった自分はホントだった、毎晩、ビートルズを聴いた。歌詞を何度も書き写して英語を覚えて行った、「スクリーン」という映画雑誌を買うようになって、あの髪型や裾丈の短い栗色のスーツや、さまざまな話題に触れた、ポールは、まつ毛のくるりとカールした可愛い顔立ちで。

映画ができれば映画館へ行った。ナイショでヒミツで、罪を犯しているように、行った。

高校で寮生活になって、ひたすら「ジョン」の子がいて、ジョージにあらずんばヒトにあらず、の子がいて、私は自分を「星倫子」と名乗ることにし、つまり、リンゴのファンであることを公言した。実はポールの声が好きで、ほぼすべての曲を彼が書いているって、とんでもない才能だと畏怖し、しかしそれより、眉毛がいいなあと・・。みな、ビートルズが好きでした。そして私は、ジュリーの方を見るようになりました。朝はGSが一組だけ出る番組を見て学寮を走り出、夜の自由時間はラジオでビートルズを聴いた。私は小説家になって、自分で自分を養ってやることを決めていました。

一人暮らしの時期は、ビートルズも聴いたが、J・ジョプリンやクリームやグランドファンクや岡林信康も聴いた。浅川マキのコンサートによく出かけて行った。

ジュリーの世界へ戻った。

幼い子らを育てていたある日、ジョン・レノンの死が訪れた。



隣の席のオニイサンが(見知らぬお人が)、めがねをずらして懸命に舞台の上のポールを見ようとしている私に、オペラグラスを貸してくれようとした。ありがとうと私は借りた。関りができて、話をしなきゃならなくなるとイヤだな、と、勝手な思いを浮かべながら、借りて、見た。ポールは、髪の色も長さも服装も、何もかもが自然で普通で、ギターを抱いてまっすぐに、立っていた。

グラスを返して私は、もう一度ありがとうを言い、オニイサンは、いいえと笑って、以後ずっと、舞台の上を見つめていた。

ハード・デイズ・ナイトから始まり、次々に休みなく舞台は進行して行った、ポールは、エレキギターをガンガン鳴らし、ピアノをバンバン弾いた。左利きの彼はアコースティックギターを抒情的に操り、ジョージが好きだったのだと言って、ウクレレを弾いた。ウクレレで「サムシング」を鳴らし始め、途中でギターに変わっていた。あれ、と思ったが、もうわたし、前だけを見ていた。

ホーン・セッションというらしい、トランペットが何台も並んで、ぶわんぶゎん吹いた。ポールは、歌い、楽器をとっかえひっかえで鳴らし、日本語を操りだして、パワフルだった。とてもパワフル。

ありがとう、最高だ、愛してる、大好き、いっしょけんめい日本語の言葉を出していた。新曲の紹介をするとて、

「ツギハ シンキョクダガヤ」名古屋弁をあやつって見せた、皆は笑ったが、私はまた涙が出た。演出だろうが何だろうが。

始めのうちはよく出ていた声が、時のたつにつれ、変化して行っていた。声のかすれるポールも、今のポールだと思った。

聴衆のなかには、若い人も沢山だっただろうが、私の周囲のほとんどは、十代の頃にビートルズを知って、以後ずっと、の方も、長く遠ざかっていて、この機会に、かつて見ることもできなかった夢、のような感じで、チケットを手にしました、みたいな方が多かった。中年というより、もっと先。少しきょろきょろしてみたら、そういった方々、かつての少女、少年たちが、アタマ振ったり手を叩いたり、もうまっすぐに正面見つめて口を動かしていたり・・で、「ヘイ・ジュード」、ダーダーダーダダダッダー、ダダダッダー。ヘイジュー、と、声を出して、歌ったのだ。私と隣のオニイサンも、歌った。オニイサンは初めは躊躇していたようだが、どんどん声が大きくなっていった。

聴衆は多くても、大人しくて。おとなしくても、万感の思いで黙って座っていた人が多かろう。

私のことを言えば、お古のトランジスタ・ラジオで、それを耳にくっつけるように聴いていた十代の日、まさか、ビートルズのコンサートに行く日が来る、とは、考えようも無かった。

ビートルズなんか聴くのは不良。奈良の小さな町で、養父の、だだっ広くて、広いのに自分の居場所は無い気のしきりにしていた家で、暮らしていて、「ビートルズなんか好きなのは不良」、そんな決めつけを、内心めらめらと、表向きは知らん顔して受け入れて。

自由って何だろう、何の事なんだろう。そんな風に思いを馳せるように、なり始めた自分、は、まさか、五十数年の歳月の後に、そのメンバーの一人のコンサートに、行くことになるなんて。

夢にもみられないでいたのだったし。

脈絡なく書いてしまいました。

ポールは、誠実なひとだと思いました。見当違いな感想かも知れませんが・・76歳のポールは、凄くて、さすがで、あれだけのバックを率いてバックはポールの身に添った演奏をしていて・・ドラムスの、おハゲでおデブで豪快で繊細なおヒトがすてきだった・・聴衆のこころをぐわっと・・いや、言葉が上滑りします、やめます。

ポール・マッカートニーはとても誠実な人で、とても誠実なミュージシャンでした。

何度も「アリガトウ」と言っていました。

ありがとう、と、私も何度も言いました、遠くの、二時間半、休まず舞台に立ち続けた(と見えた)小さな人に向かって。

なんとか生き延びて来て私は、こんなコンサートに来られて、幸せです、ありがとう。日本に来てくれて、精いっぱいの舞台を見せてくれて、ありがとう。長女の夫さんが、チケットプレゼントしてくれたのです。そのことも、最後に書かせておいていただきます。