FC2ブログ
 イメージ短歌

   「母国語がたどたどしいのダブルM妃 書けば喋ればボロ出まくりよ」

   二代続いてのチェリーボーイ-イーター ほんまにひでぇんか、をヤユして 何茶手くおんの詠める

お目覚めになられてピッツァをデリバリーされて辛い辛いソーセージと共に召し上がり、コーラを一リットルほど。愛用のたばこをたくさんお吸いになり、パソコンに向かって歯をむき出してお怒りになっておられたかと思うと、手のひらいっぱいに錠剤やらカプセルやらを盛り上げられて、すべてご服用になって、ひぃでんかは。

思い出したように、ご衣裳のカタログを眺めておいででいらっしゃいました。バイコ様がお小さい頃には、時にデパートを貸し切りにして、買い物をなさっておられました。ご家族三人さまでお出ましになり、二時間ほどの時間を、余人不要、誰も入れないようにして、存分に手に取り、御身にお当てになり、お気に召さずあれば放り投げて、買い物をなさったのでございました。

この頃は・・・さあ、あまりなことは申し上げるにはばかられます。

ただ今は、雑子ひぃでんかはお休みになっておられます。ベッドの、掛布団の上に仰向きにお倒れになられ、そういえばご酒も少々、きこしめておられて・・かんばせの辺りから、何やら大きな音をお立てになりながら、眠っておられます。

わたくしは、はい、この御所に、何年か前からあがっておる者にございます。名乗るまでの者にはございません。ただ。

私の母も、もうずいぶん昔、こちらあたりに通わせて頂いていた者でございました。

母は、雑子さまでなく、このひぃでんかの夫君・・近々にはヘーカとおなりあそばす、丸臣殿下の、そのお母君の、周りに、侍らせて頂いていたのでございました。

見梃子さま。みてこさまの、お傍に。

これも、あまりなことは申し上げるにはばかるものにて・・あ。

何かの参考文献、とか言われるものになり得ましょうや、のっぽん国の、影の国。あちらではこの、のっぽん国を、影などと称しているようでございますが・・とにかくその、国の、橋本某なるお方の、著わしておられたる書籍の内なる、一部分。


「見梃子さまの恋文」橋本某著。のっぽん語訳・より。

西暦1960年年1月。ご成婚の翌年、第一子(盆宮)をご懐妊中の見梃子さんの書かれたこと。一部。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「本当に私はさしあたって赤ちゃんのことが心がかりでなりません。手元で育てさせていただくとすれば、それはもう皇后さまのお時代と違う形をとることになってしまいますし、それから乳母(めのと)の問題もーー。

東宮さまは二人で皆に話せば大丈夫と固く仰せくださいましたが、その実現もまだ心がかりでございます。
そしてそれと同じくらい、それによって起こる波紋を私はとても心配しております。
 別に誰にも言わずに、黙って私がお乳をあげて育ててしまうなどということは出来ないのでしょうか。そういたしましたら誰もそれをとりたてて言う人もおりませんし、黙って目立たずにすれば、ずいぶん波立ちが違いましょう。それからこれは大切な、東宮さまからも時々ご注意いただきたいことでございますが、私はいつも心の中で、皇后さまがお許されにならなかったことをさせていただくことへの感謝を忘れないようにいたします。
 本当にどんなに静かにしたところで、お傷つきになられますでしょう。それが申し訳ないことと身に染みて思います。両陛下さえ誰が育てたなどとお考えにならないうちに、赤ちゃんが五つくらいに育っていたら・・・・・そして、それが夢のようなことならば、せめて新聞の方たちだけにでも伏せておけないことでございましょうか。
 それでも頓宮さま、私たちはどうしても‘家庭‘を持たなくてはいけないと思います。そしてその家庭は、家族が愛しあうということにおいてだけは、きっとどんなに幸福であってもいけなくはないのです。」


mmm。いま、ふと、雑子ひぃでんかのお部屋を片付けながらのもの思い、失礼をいたしましたでしょうか。」
暗記するくらい、覚えておるのでございます。

この手紙を書いた女人は、当時二十代半ば。丸臣殿下のお父上であらせられる、当時の頓宮さまの妃殿下となられ、寵愛を一身に集め始めておられたお方。二十数回の見合いを経ての御入内にてあらせられました。

過去は問わない。これが、戦後の、こちらあたりの入内事情でもあらせられた。過去も家系図も何もかも。都合のおよろしからずんば、どうにでもなる、と。

事実、そうであったのでございました。

それからこれは大切な、頓宮さまからも時々ご注意いただきたいことでございますが、私はいつも心の中で、皇后さまがお許されにならなかったことをさせていただくことへの感謝を忘れないようにいたします。
 本当にどんなに静かにしたところで、お傷つきになられますでしょう。


わが母は常に、この部分を口にのぼらせるたび、カメムシを噛みつぶしたような異様に苦々しい顔となるのでございました。

お許されにならなかったこと、だとさ。どの国でお育ちあそばされたやら。

わずかながら記させていただきましょうか、母は、時野女官さまと、いささかながら懇意にしていただいておりました。

女官様が、

「見梃子さんには躾が入らない。下を向いて強情に押し黙っている。そのわけがわかったわ、見梃子さんの母親は、大陸夫人なのよ」

と、仰っておられたと。・・・押し黙って、躾の入らない頓宮妃は、場所を変えれば逐一、寵愛を向けて来られる殿下に、あれやこれやと。しなしなと、報告を重ねておられた。

ピロー・トークと言うのですってよ、そういうことを。

珍しく母は、そのような言葉を用いて・・用いたことも、あったのでございました。

気取りまくっておかしな言葉遣い。若きみそらで、夫となる男を掌中に入れなんとする根性の、見え透いた文章、と。母は見梃子さんを、どんなに蔑んで見、まともに冷徹に評しましたことか。

・・・わたくしが今、おそばにお仕えします雑子さま。

この方の日常を、ごく普通に、ありのままに描き出してみせましたなら、母は、どのような感情を、顔の表にのぼらせたことか、と。

灰皿に盛り上がったタバコの吸い殻を、こぼさないように扱いながら、なんだか冷え冷えとした実感が、湧いて、噴きあがって来るのを、感じるのでございます。



スポンサーサイト



2019.04.16 Comment:3
Secret