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新たなる御代のはじまりの5月1日。

あることが慎ましく取り上げられていました。この日は、公害病の原点とされる熊本・水俣病が、公式認定されてより63年目にあたると。

この日に毎年開催されている犠牲者慰霊式は、新天皇即位を考慮して10月の19日に延期された、ともありました。

この件については、新たなる皇后陛下となられたという雅子さんが「お祖父ちゃまが悪く言われた」と、たいへん不本意なご様子だった、というのが、定説になっています。ご本人に、祖父のなされたことは関係ない。といえば、その通りでしょうか。いや、そうは言いきれないのでは、と思う方々も、たくさんと思われる。三軒隣のお宅のお子さんの話、というレベルのものではないので。

この機会にいま一度、かつての記事を掘り返してみようと思いました。

「水俣病」は、まだ、終わっていないのです。



     悪く言われたお祖父ちゃまのこと。

 1962年 江頭豊は日本興業銀行からチッソ専務取締役になった。

              ( 63年 に初孫・小和田雅子が虎の門病院で生まれている)。

64年に副社長、同年暮れに社長に昇格。

公害発生時にはいなかったという意味では、宮内庁の説明通り。

宮内庁は(まさこ入内の話になった時)、江頭は公害発生以後に社長になった点で、法的責任は無いと説明していた。

江頭は、水俣病問題の処理のためにメインバンクから送り込まれた形になっていた。


その「処理」である。

「解決努力」というシロモノでは無かった。

江頭が経営権を握った後も、しばらくの間、チッソは自社の工場排水が水俣病の原因だと、一切、認めなかった。

患者と交渉を持とうとしなかった。

そのまま 66年 まで江頭は、水俣湾に水銀を垂れ流し続けた。

ようやく責任を認めたのは、水俣病発生が発覚してから 10年以上も経過した68年 のこと。

自発的に責任を認めたのではない。

この年に政府がついに水俣病の原因をチッソ廃液とする正式見解を発表したから。

チッソとしても対応せざるを得なくなったということ。

この正式見解の発表前には、地元選出の自民党議員と結託、発表を止めるべくの画策もしていた。

が。

明確な事実と悲惨な現実を前に、自民党政府は、水俣病を公害病として認定せざるを得なかった。


謝罪後もチッソの対応は無責任のままだった。

「補償は誠意をもって話し合う」

としたのだったが、江頭は、患者に対する補償交渉などしなかったに等しい。

交渉から逃げ回り「金額決定」の引き延ばしを図り続けた。

患者側が疲れ、分裂し、諦めるのを待つ。

そのセオリーに従っていた。(後に、後出の写真家・ユージン・スミスの妻・アイリーンは、福島原発事故の際にも、このセオリーを懸命にアピールしていた)。

 70年11月 、チッソ株主総会、大阪厚生年金会館には、巡礼装束の一株株主たちが集まった。

発言を禁じられた。

何のために患者が来たかについて、江頭は真摯な検討をしていなかった。

患者たちは次々に壇上に上がり、江頭社長を取り囲んだ。

ほかの役員は逃げた。

江頭は逃げなかった。座りこんでいた。上から見下ろす姿勢で=当時の弁護士・後藤氏による。


翌年。

71年5月26日熊日新聞。

「またもあっけない幕切れ むなしく消えたご詠歌

殴る蹴るの乱闘 ‘ひどすぎる‘絶句する患者」

(大阪・概要)チッソ株主総会はわずか13分で終わり昨年11月の総会同様あっけない幕切れとなった。

巡礼装束で臨んだ「一株株主」たちの「怨念も何も無かった。ご詠歌は通用しなかった。

チッソ総会に存在したものは、

物々しいガードマン、総会屋の厚い壁。

会社の冷ややかな手続き。

13分の株主総会が終わった時、悲痛な叫びが周囲の壁にコダマし暴力を誘発した。

人間らしい対話を求めたチッソ被害者たちの期待は、怒声に出くわしただけ。

立ちはだかって人垣を作ったガードマンらの‘体格の良さ‘が目立った総会。

客席の前後に総会屋、ガードマンらが後ろの告発する会会員たちをにらみつける。

会員が「チッソの責任を・・」と発言しようとすると、

「整理」の腕章を巻いた体格のよい男たちが飛びかかる。

社員整理員は会場両側のかべぎわに立ちつくし、あちこちで乱闘が始まった。

総会が終わり患者が退場したあと、また青い制服のガードマン約30人が場内に飛び込んできた。

罵声を上げ告発する会会員たちを手当たり次第につかまえ、殴る蹴る。

悲鳴とともに逃げ回る若い女性、「あまりじゃないか」と絶句する会員。


つぎつぎに可決される議案に、何人もの一株株主が後部座席から片手を高く上げて

壇上に進もうとする。その声は消えた。のまれた、が、近い。

「まだ、会場に株主は入っていない」「議長はやめろ」「人殺し」

こんな声もーー

「これだけ、ガードマンを入れた株主総会は前例がないだろう

血迷ったチッソという感じだ」

「だいたい予想した通りです。

田中実子さんを江頭に背負わせたかった。

それが出来なかった。残念です。会社側も右翼や暴力団を入れなければ総会をやれないという醜態を世間にさらした。

5月27日

「これほど悲惨とは。

米FDAの一行、水俣病患者ら視察。

[記者会見も高姿勢、過剰警護と思わぬ。

「総会は成立」とニヤリ。

葬られた怨念、チッソまるで暴力総会、患者ら無念の涙、動員された総会屋、

強行採決じゃない、江頭社長強気の会見「かかれ」会員を袋だたき

「断じて許せない」

5月28日

「ガードマンの行為は行き過ぎ 」

後藤田長官、チッソ総会の混乱で語る。

「すべて正しかった」

江頭チッソ社長、総会終わり高姿勢の会見。

6月2日

警備会社を捜査、一株株主への暴行‘過剰警備‘のメス チッソ幹部も取り調べ、

大阪府警「総会の無効認めよ」回答期限付き、社側に要望書、

7月24日

江頭チッソ社長辞任、水俣病、経営不振で引責?

「水俣と関係ない」江頭社長、強気の記者会見

7月25日

‘水俣‘に責任感じぬ? 辞任表明の江頭社長

チッソ社長、突然の辞任劇  公害関係ないと強気だが 「怨」 のノロシが決定打。

シブシブ火中のクリ拾う後任社長


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今日もつい、夢中になって、まさこさまのお祖父さまを悪く書いてしまいました。

もしや、お気を悪くなさいましたかしら。

本当のことを、ほんの表面、触れただけなのですが。

江頭氏は、立場を変えてみれば、優秀な社長、立派な人物だった、という評価になるのでしょうか。

社長は(仕方なく)止めましたが、会長になっています。

孫娘を、なんと皇室の、それも皇嗣のキサキにのぼらせ、晩年は、バリアフリー、エレベーター設置、などを施工させた御所の庭を悠々と散策、98歳の長寿を全うした。

週刊新潮誌は2006年10月の誌面に、以下のように記しています。

「江頭豊氏の通夜。

受付などの手伝いはチッソ社員、旧興銀関係者、外務省OB、東宮職員らが行った。

式は江頭家の宗派に従い、簡素な神式で行われた。

「東宮妃のお祖父ちゃま」は、東宮関係者の手伝いまでを受け入れ、宮内庁は、このお祖父ちゃまのために「記帳所」までを設けた。


以下は私の私感です。

まさこさんは、生まれた時から、祖父がその立場のニンゲンであって、どれだけ凄まじい怨の念を、受け続けたか、その傍らで、育っていたわけです。

身内の社会的な立場での怨念を、孫娘が受け止める理屈は、いささか感情的に過ぎると、私も思う。


でも。

普通の、並の恨み、怨みではない。

あの一家に、いささかなりの「痛み」も感じられないのが、ある意味、すごいと思うものです。ここが思いの一番の核と感じます。

こういうことは、本当は、あまり言いたくないし、今まではここを、避けて来たのでしたが(この記事以外にも関連したことを書いていたのでした)、成人の患者ももちろん、胎児性の患者の方々。母親の胎盤を通じた有機水銀の毒に蝕まれて、生まれた日がつまり、発症日。

曲がりくねった指、手、脚、ものを言えず立てず、歪んだ生きた人形と称されて、いた、あの子どもさんたち。

の姿を思えば。

その怨の念が、現世に顕れても不思議でない、と。肯ってしまう。

曾祖父の、それも業務上での冷血が、祟るなどとは理不尽な、と思えない自分がいます。

胎児性水俣病で、身動きならず、親が仕事に出ている間は、アイスキャンディーも舐められず。朝あてられたオムツのまま、汗まみれの背中のまま。粗いムシロの上に転がされて、ただ息をしていた子どもさんたち。

あのお子たちに、咎と呼ぶものは無かった。

無かった。

水俣病は、四大公害病の一つです。

水俣病。

新潟水俣病。

神通川に垂れ流されたカドミウムが引き起こしたイタイイタイ病、そして四日市喘息。

・・・後藤田官房長官は、ナルヒト氏の妃候補に小和田雅子の名が挙がっていた頃、彼女はダメだ、

「皇居前にムシロ旗が立つ」

と反対を口にされた。江頭が社長だった当時のチッソの暴行を、その目で見て、ご存じだったのでした。

ムシロ旗、の語には、また別の意味も含まれていたのでしょうが、反対された。

昭和天皇も、もちろん、ご存じだった。反対された。当人には気の毒でも民意の総意が得られないであろう、と。

・・・徳仁親王のご両親ご夫妻は、ご存じでなかった?。

ご存じで無かったのだろうか。まさか、ね。



今日、書かせてもらったのは、株主総会の時に就いてですが。

江頭はこれ以外にも、地元に於いて、暴力団を雇って被害者の支援をする人々を痛めつけ、著名な写真家ユージン・スミス氏の背骨を負傷させ、片目を失うような大けがを負わせています。夫人をレイ〇させています。

聞いたところでは、ジョニー・デップ主演で、この題材の映画が出来るのだとか。どんな風な解釈になるのでしょう。

俣病はまだ、終わっていません。東宮夫婦が例のオランダへ発って行ったその日にも、新聞紙上では、裁判に関する記事が掲載されていました。

オランダから帰った東宮夫婦を、愛子内親王が一人、玄関先で出迎えておられました。お辞儀をして迎える練習を、何度も重ねておられたのか。けれどあの日、タイミングは合わなかった。けれど愛子さまの懸命さは、伝わって、不遜ながら胸が痛みました。

車の中から愛子さまを見つけた母親が、たたっと駆け寄って、見下ろしました。まだ愛子さまは見下ろされる大きさだった。雅子さんは愛子さまに並び(後から降りた皇太子を手で払うような仕草)愛子さまの背中に右手が回っていました。

もしかして、つねったのか。見えはしなかった。愛子さまの左手の指の何本かが、内側に折れ曲がっているのがはっきり見えました。愛子さまの左手は、幼いころから、拘縮しておられたのです。そのはずでした。お母さまの勢いに押されて、緊張して、いつもより拘縮がきつかったのか。あの日。

ピンクの、チェックの、有名なブランドのワンピース姿でいらした。愛子さま。

カメラの方に懸命に笑顔を作っていた雅子さん。愛子さまの髪は、なんとかまとめられてはいたけれど、何に依ってか、ザギンザギンに切りまくられ、不揃いになっていた。もしやご自分で、と見えました。その少女の、傍らに立つお母さまをうかがいみる視線が、何とも言えないものでした。覚えています。久しぶりの母親を見る視線でなくて。

あの愛子さまは、東宮家の内親王さまであったと、確信しています。あとはどうか、わかりません。私は、これを言って、アタマのおかしい人だよね?だよね?のごとき視線を、何度も浴びて。平気ですが。

おそらく雅子さん(たち)の望んだように生まれて来られなかったのかも知れない、愛子さま。

愛子さんにも、生まれて来た咎は無い。のだけれど。


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2019.05.02 Comment:5
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