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返事の中までKUONです。
 聞きたかった言葉・長い追記あります。


いま、ものすごい風が吹いています。台風24号の風。朝からずっと、大きな台風です、いのちを守る行動を、お年寄りは避難準備を、などなど、下の方からの声を耳にしながら、10階の自宅に籠っています。

これからもっと、雨や風は強くなるのだとか。

特別機に乗って行って自衛隊機に乗り換え、そこからは陸路で、平成最後の国体に出かけて行った天皇ご夫妻は、開会式には出られたものの、台風による影響を考慮して、一日早く帰京したのだとか。

日本国の特別機は、ひごろ、北海道の旭川空港に駐機しているのです。大きな飛行機です。それが、二人を迎えに行って、乗せて運んで、また迎えに行って降ろして、駐機場所まで空で飛ぶ。

二人がちょっと動くと、数千万円の経費がぽろんと落ちる。来られた都道府県は、警備費用その他、すべて持たなければならない。災害続きのこんにちのこの国、そんなお金、痛いと思うのは私がケチなのか。

必要なお金は仕方が無い。使うしかないお金は、使っていただくしかない・・demo//あの落ち着きのない老夫婦が、あっち行くこっち行くと動き回る、大きな大きな飛行機、飛ばしてしまう。奥方の服装皿帽子、もうもう、看過しがたいまでにおかしいです。

普通の判断の難しいお方が、特権だけはしっかり握りしめたままでいるという、この。

・・気圧のせいか夏の疲れなどというこじゃれたモノなのか、手首の傷んだのをかばい続けて来た左腕が、「疲れたよ~しんどいよ~」と、一本まるごとグズって、だるいのなんの。

アタマがすっきりしなくて、何も書けずにいたのですが・・今日は予定通りだったなら、上の娘の主催する、いろんな立場の女性がたのお集りの場へ、不肖ワタクシKUONも混ぜていただいて、KUONさんのブログ好き、など仰って下さるという・・・奇特なお方やなあ・・・に、御目文字叶うはずでしたのに。
凛として美しい、世が世であれば「おひいさま」であられるという、お茶の先生でいらっしゃるというそのお方に、お会いして、がははと笑って、あらジツブツはこんななのね、と。諸行無常の思いなどにも浸っていただいて、と。で、当方は、清涼の気を浴びさせていただきたかったのに・・あ、愚痴言うても詮無きことですわね、また機会はあるでしょう、楽しみにいたしましょう。

あ、要らんこと言いの血が騒ぐ、おほほ。先日まで続いていたらしいドラマ、華道の家元のムスメさんとかの?。ワタシ思うに、あんなきつきつの着物の着方、してはらへんと。いつもあんな着付け、しんどくて意味ない、と、ほのかに思いましたのどすわ。

などなど。

風の音を聞きながら、ネットさーふぃんしていたところ、以下の記述にぶち当たりまして、とろんとなっていた目が、開きました。

半分くらい・・半分ですが、ちょいと気合入り、このようなお方がいて下さるんだ、世の中捨てたものではない、と。ワタシも、ずっとずっと、こんな風に感じていたんだ、と。

本気で、感謝いたしました。

トドコさんの最新のブログ記事です。勝手に一部を拝借してまいりました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「陛下は靖国を潰そうとしてる」靖国神社トップが「皇室批判」
天皇が「深い悲しみを新たにいたします」と述べた平成最後の終戦記念日、靖国神社(東京・九段北)には安倍晋三首相はじめ現役閣僚の姿はなく、中国や韓国も一頃ほど神経をとがらせなくなった。しかし、その落ち着きの裏で、靖国神社は“爆弾”を抱えていた。来年、天皇の「代替わり」と創立150年が重なる大きな節目を目前に、前代未聞の問題発言が神社トップである宮司から飛び出したのだ。
◆「そう思わん?」「わかるか?」
靖国神社では今、来年の創立150年に向け、境内のいたるところで改修工事が行なわれている。だが、その内部では、修復不可能なほどの“綻び”が生じていた。
6月20日、靖国神社の社務所会議室で行なわれた「第1回教学研究委員会定例会議」で、その重大事は起きた。今年3月に第十二代靖国神社宮司に就任した小堀邦夫氏(68)が、創立150年に向けて新たに組織したのが「教学研究委員会」だった。これからの靖国神社がどうあるべきかを考えるとして、第1回の会議には、小堀宮司以下、ナンバー2である権宮司など職員10人が出席したことが当日の議事録に残されている。
その会議の場で、靖国神社のトップである小堀宮司から、驚くべき発言が飛び出した。
「陛下が一生懸命、慰霊の旅をすればするほど靖国神社は遠ざかっていくんだよ。そう思わん? どこを慰霊の旅で訪れようが、そこには御霊はないだろう? 遺骨はあっても。違う? そういうことを真剣に議論し、結論をもち、発表をすることが重要やと言ってるの。はっきり言えば、今上陛下は靖国神社を潰そうとしてるんだよ。わかるか?」
さらに発言は、代替わりで次の天皇となる皇太子夫妻にも向けられた。
「あと半年すればわかるよ。もし、御在位中に一度も親拝(天皇が参拝すること)なさらなかったら、今の皇太子さんが新帝に就かれて参拝されるか? 新しく皇后になる彼女は神社神道大嫌いだよ。来るか?」
静まり返る会議室で小堀宮司の高圧的な口調の“独演”と、速記のキーボードを打つ音だけが響く──。
この会議は、小堀宮司の意向もあって複数の出席者が記録のために録音していた。宮司の「総括」から始まる110分に及ぶ音声データを本誌は入手した。
小堀宮司が語気を強めたのは、今上天皇が即位以来、一度も靖国を参拝したことがない一方、かつての戦地を訪れ、戦没者の霊を慰める旅を続けてきたことを指しているとみられる。皇室ジャーナリストの久能靖氏はこう言う。
「今上天皇が靖国を参拝されない理由はわかりません。が、あえて推察すれば、昭和天皇が1978年のA級戦犯合祀以来、靖国においでにならなくなった、その思いを咀嚼されたのではないかと考えられます。今上陛下は戦争体験をお持ちで、戦中の国民の苦しみは直接ご存じでした。だからこそ、国内外にわたるすべての戦地で慰霊を行ないたいというお気持ちになられていたと思います。天皇陛下の慰霊の旅は、強い信念に基づいて行なわれているものでしょう」
その慰霊の旅が、小堀宮司の目には靖国神社を否定する行為に映っていると、靖国神社関係者が言う。
「小堀宮司からすれば、英霊の御霊は靖国にこそあり、戦地にはない。にもかかわらず、今上天皇は靖国よりも慰霊の旅を選んでいるとなると、靖国の存在意義を否定することになってしまうという思いがあったのではないか」
しかし、この発言は靖国神社内でも問題視された。
「勅祭社(天皇が例祭などに勅使を派遣し、奉幣を行なう神社)としての靖国神社の性格を考えると、天皇陛下を批判するような発言は、宮司として問題ではないかという声が上がっています」(同前)
◆「お前の説教、聞きたくないよ」
 靖国神社は来年までに天皇の参拝を実現させようとしていた。靖国神社職員はこう語る。
「平成の御代のうちに天皇陛下にご参拝をいただくことは、私たち靖国神社からすると悲願なのです。小堀宮司は、“平成の御代に一度も御親拝がなかったらこの神社はどうするんだ”と口にしていました。そうして宮内庁に対し、宮司自らが伺って御親拝の御請願を行なうための交渉を内々にしているのですが、まだ実現の目処は立っていない」
小堀宮司は専門紙「神社新報」で、〈(創立)五十年目に大正天皇が行幸され、百年目には昭和天皇が皇后とお揃ひで行幸されてゐます。そして来年、百五十年といふ大きな節目の年がやってくることの重大さは、御代替りと相俟って深刻に考へてゐます〉(7月30日付)と語っていた。

                      引用ここまでです。ありがとうございました。


「陛下が一生懸命、慰霊の旅をすればするほど靖国神社は遠ざかっていくんだよ。そう思わん? どこを慰霊の旅で訪れようが、そこには御霊はないだろう? 遺骨はあっても。違う? そういうことを真剣に議論し、結論をもち、発表をすることが重要やと言ってるの。はっきり言えば、今上陛下は靖国神社を潰そうとしてるんだよ。わかるか?」
さらに発言は、代替わりで次の天皇となる皇太子夫妻にも向けられた。
「あと半年すればわかるよ。もし、御在位中に一度も親拝(天皇が参拝すること)なさらなかったら、今の皇太子さんが新帝に就かれて参拝されるか? 新しく皇后になる彼女は神社神道大嫌いだよ。来るか?」


ありがとうございました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

↓追記。 ここから、記事の全部です。全文あります。読みにくいかもしれませんが、これが出て来たのは驚異的なこと。

掲載紙、朝から買いに走って買ってきました。
 

天皇が「深い悲しみを新たにいたします」と述べた平成最後の終戦記念日、靖国神社(東京・九段北)には安倍晋三首相はじめ現役閣僚の姿はなく、中国や韓国も一頃ほど神経をとがらせなくなった。しかし、その落ち着きの裏で、靖国神社は“爆弾”を抱えていた。来年、天皇の「代替わり」と創立150年が重なる大きな節目を目前に、前代未聞の問題発言が神社トップである宮司から飛び出したのだ。
◆「そう思わん?」「わかるか?」
 靖国神社では今、来年の創立150年に向け、境内のいたるところで改修工事が行なわれている。だが、その内部では、修復不可能なほどの“綻び”が生じていた。
 6月20日、靖国神社の社務所会議室で行なわれた「第1回教学研究委員会定例会議」で、その重大事は起きた。今年3月に第十二代靖国神社宮司に就任した小堀邦夫氏(68)が、創立150年に向けて新たに組織したのが「教学研究委員会」だった。これからの靖国神社がどうあるべきかを考えるとして、第1回の会議には、小堀宮司以下、ナンバー2である権宮司など職員10人が出席したことが当日の議事録に残されている。
 その会議の場で、靖国神社のトップである小堀宮司から、驚くべき発言が飛び出した。
「陛下が一生懸命、慰霊の旅をすればするほど靖国神社は遠ざかっていくんだよ。そう思わん? どこを慰霊の旅で訪れようが、そこには御霊はないだろう? 遺骨はあっても。違う? そういうことを真剣に議論し、結論をもち、発表をすることが重要やと言ってるの。はっきり言えば、今上陛下は靖国神社を潰そうとしてるんだよ。わかるか?」

 さらに発言は、代替わりで次の天皇となる皇太子夫妻にも向けられた。
「あと半年すればわかるよ。もし、御在位中に一度も親拝(天皇が参拝すること)なさらなかったら、今の皇太子さんが新帝に就かれて参拝されるか? 新しく皇后になる彼女は神社神道大嫌いだよ。来るか?」
 静まり返る会議室で小堀宮司の高圧的な口調の“独演”と、速記のキーボードを打つ音だけが響く──。
 この会議は、小堀宮司の意向もあって複数の出席者が記録のために録音していた。宮司の「総括」から始まる110分に及ぶ音声データを本誌は入手した。
 小堀宮司が語気を強めたのは、今上天皇が即位以来、一度も靖国を参拝したことがない一方、かつての戦地を訪れ、戦没者の霊を慰める旅を続けてきたことを指しているとみられる。皇室ジャーナリストの久能靖氏はこう言う。
「今上天皇が靖国を参拝されない理由はわかりません。が、あえて推察すれば、昭和天皇が1978年のA級戦犯合祀以来、靖国においでにならなくなった、その思いを咀嚼されたのではないかと考えられます。今上陛下は戦争体験をお持ちで、戦中の国民の苦しみは直接ご存じでした。だからこそ、国内外にわたるすべての戦地で慰霊を行ないたいというお気持ちになられていたと思います。天皇陛下の慰霊の旅は、強い信念に基づいて行なわれているものでしょう」
 その慰霊の旅が、小堀宮司の目には靖国神社を否定する行為に映っていると、靖国神社関係者が言う。

「小堀宮司からすれば、英霊の御霊は靖国にこそあり、戦地にはない。にもかかわらず、今上天皇は靖国よりも慰霊の旅を選んでいるとなると、靖国の存在意義を否定することになってしまうという思いがあったのではないか」
 しかし、この発言は靖国神社内でも問題視された。
「勅祭社(天皇が例祭などに勅使を派遣し、奉幣を行なう神社)としての靖国神社の性格を考えると、天皇陛下を批判するような発言は、宮司として問題ではないかという声が上がっています」(同前)
◆「お前の説教、聞きたくないよ」
 靖国神社は来年までに天皇の参拝を実現させようとしていた。靖国神社職員はこう語る。
「平成の御代のうちに天皇陛下にご参拝をいただくことは、私たち靖国神社からすると悲願なのです。小堀宮司は、“平成の御代に一度も御親拝がなかったらこの神社はどうするんだ”と口にしていました。そうして宮内庁に対し、宮司自らが伺って御親拝の御請願を行なうための交渉を内々にしているのですが、まだ実現の目処は立っていない」
 小堀宮司は専門紙「神社新報」で、〈(創立)五十年目に大正天皇が行幸され、百年目には昭和天皇が皇后とお揃ひで行幸されてゐます。そして来年、百五十年といふ大きな節目の年がやってくることの重大さは、御代替りと相俟って深刻に考へてゐます〉(7月30日付)と語っていた。

 天皇の参拝を求める焦りが発言の背景にあったのだろうか。問題発言に至るやり取りを見ると、小堀宮司の真意が分かる。
 この日の会議は、靖国の創立百五十年史略年表の作成・出版などについて話した後に「戦犯に対する誤解や東京裁判の不当さについて調査考証する」という議題に入った。そこで出席者の職員が「富田メモ」について言及したことが、小堀発言に繋がった。
 富田メモとは、富田朝彦元宮内庁長官(在任は1978~1988年)が昭和天皇の非公開発言を記したメモで、靖国にA級戦犯が合祀されたことに関し、「だから、私はあれ以来参拝していない。それが私の心だ」との記述があった。2006年に日経新聞がメモの存在をスクープすると、「昭和天皇の真意が分かる超一級史料」と評価される一方、「陛下の真意とは限らない」と否定的意見も上がり、真贋をめぐる大論争となった。それに伴い、A級戦犯の靖国神社への合祀の是非や、小泉純一郎首相(当時)の靖国参拝議論も過熱した。
 靖国神社はこの富田メモについて、現在に至るまで一切コメントしていない。だが、実際は“深い棘”として刺さっていたようだ。
 この富田メモについて、職員が、「もしそれが本当の昭和天皇の発言だったらどうするんだ、ということで私は真剣に考えましてですね」と言い出し、合祀の経緯を振り返った上で、こう熱弁を振るった。
「このまま時代を50年、100年経過していったときにどういうふうな説明をして、国民が理解していけるのか、というところの先読みしたような考え方を持っていく必要があるんじゃないか」
 ところがこの職員の発言を、小堀宮司はいきなり遮り、切って捨てた。

「お前の説教、聞きたくないよ。しょうもない。お前のどこに戦略があんねん。『これ知ってます、私はこれ知ってます』っていう話ばっかりやないか。どうやって戦うかを考えるんがこの仕事やないか。何も恐れる必要はない。間違ってたら間違ってたと言えばいい。
(中略)戦略を考えるのは俺が考える。君らが考えんでいい。一番大きな問題はあの慰霊の旅です。気がつかないのか君たちは」
 そうして、冒頭の発言が飛び出した。つまり、小堀発言は富田メモから連なる、天皇と靖国の“複雑な関係”が伏線にあったのだ。
「富田メモについては靖国神社の中でも“タブー扱い”されてきた。昭和天皇、今上天皇の御親拝が途絶えている真意についても触れないできたわけです。
 小堀宮司は、そうした空気の中で、トップとしての風格を見せる狙いもあってああした物言いをしたのではないか。『戦う』『戦略』といった言葉からは、どんな事情が背景にあるにせよ、とにかく天皇の御親拝を実現させたいという強い意思を感じます。しかし、それが実現しないことの不満となれば、天皇陛下への批判となってしまう。靖国神社が抱えるジレンマが、ついに噴出してしまったということでしょう」(前出・靖国神社関係者)
◆「皇太子さまは輪をかけてくる」
 発言の主である小堀宮司とは、どんな人物なのか。

 小堀宮司は、3つの大学、大学院を出たあと伊勢神宮に奉職。以来、伊勢神宮一筋で、宮司を補佐する禰宜(ねぎ)という要職に登り詰めた。
 靖国の前宮司・徳川康久氏が、戊辰戦争の“賊軍”である幕府軍や会津軍の戦死者も合祀に前向きな姿勢を示したことなどが問題視され、「一身上の都合」で辞任したのを受けて、靖国の宮司に就任した。
 伊勢神宮時代には、メディアにも何度か登場している。2016年に天皇が生前退位の「お気持ち」を表明された際には、中日新聞(2016年8月9日付)の取材に、〈苦心されてお言葉を選ばれたのだろう。天皇陛下が『伝統の継承者』であり続けるため、現行制度の問題を問い掛けているのでは〉と賛同する姿勢で答えていた。
 ところが、教学研究委員会では、まったく別の意見を述べている。
「あのビデオメッセージで譲位を決めたとき、反対する人おったよね(中略)正論なんよ。だけど正論を潰せるだけの準備を陛下はずっとなさってる。それに誰も気がつかなかった。公務というのはそれなんです。実績を陛下は積み上げた。誰も文句を言えない。そしてこの次は、皇太子さまはそれに輪をかけてきますよ。どういうふうになるのか僕も予測できない。少なくとも温かくなることはない。靖国さんに対して」
 生前退位に反対だったという本音をにじませ、皇太子に代替わりしても靖国との距離は広がるばかりだと危惧しているように聞こえる。

◆「僕、出てませんよ」
 一連の小堀宮司の発言について、宗教学者の島田裕巳氏はこう読み解く。
「伊勢神宮は神社の世界では別格扱いで、そこにいたという自負が小堀宮司にあるはず。その感覚には少し浮き世離れした部分があり、発言がどのような問題を引き起こすかを認識しないまま思った通りに本音を話してしまったのではないか。
 ただし、現在の天皇が靖国神社を参拝されないのは、好き嫌いの問題ではなく、政教分離の問題が大きいはず。なにより宮内庁が止めるはずです。昭和天皇の参拝が途絶えた経緯においても、A級戦犯の合祀より、当時の中曽根康弘首相が国際社会の反発を予想せずに公式参拝したことの影響が大きい。それは安倍首相が強行した参拝も同様で、首相参拝へのハレーションが、ますます靖国神社と天皇の距離を遠くしているという状況がある。果たして小堀宮司はそうした複雑さを理解した上で発言しているのでしょうか」
 本誌は一連の発言の真意を確認するため、9月26日早朝、小堀宮司の自宅前で本人を直撃した。
──6月20日の教学研究委員会で話されたことについてお聞きしたい。
「何も知らないですよ」
──いや、小堀さんが話されたことですよ。
「教学研究委員会、僕、出てませんよ」
──教学研究委員会ですよ。
「ええ、出てませんよ」
 そう質問を遮って、迎えの車に乗り込んだ。
 靖国神社に会議での発言について見解を求めた。
「教学研究委員会は、社外公開を前提としたものではございませんので、各委員の発言を含め会議内容などの回答は控えさせていただきます。また当委員会では、世代交代が進む御遺族・崇敬者のみならず、多くの人々に当神社をご理解いただくべく、神社運営や教学について研究・協議を始めたばかりです。その過程において、協議内容の一部分を抽出し、神社の見解とすることはございません」(広報課)
 前述の富田メモは、靖国問題についての昭和天皇の「本音」が記されていたとして議論を巻き起こした。
 それに対する靖国トップの「本音」と言うべき小堀発言は、どのような波紋を呼ぶのだろうか。
*音声データは「News MagVi」(https://twitter.com/News_MagVi)にて公開中。
※週刊ポスト10月12・19日号


                   
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 *  分類 : 皇室のことなど
自動通知機能 : -  *  伝言 : 4  *  記事編集  *  2018年09月30日(Sun) 20時06分
 「私なら塵がいいな」

「世界は美しいと」

     長田 弘
うつくしいものの話をしよう
いつからだろう。
ふと気がつくと、
うつくしいということを、ためらわず
口にすることを誰もしなくなった。
うつくしいものをうつくしいと言おう

そうしてわたしたちの会話は貧しくなった。
うつくしいものをうつくしいと言おう

風の匂いはうつくしいと。
渓谷の石を伝わってゆく流れはうつくしいと。
午後の草に落ちている雲の影はうつくしいと。
遠くの低い山並みの静けさはうつくしいと。
きらめく川辺の光りはうつくしいと。
おおきな樹のある街の通りはうつくしいと。
行き交いの、なにげない挨拶はうつくしいと。
花々があって、奥行きのある路地はうつくしいと。
雨の日の、家々の屋根の色はうつくしいと。

太い枝を空いっぱいにひろげる
晩秋の古寺の、大銀杏はうつくしいと。
冬がくるまえの、曇り日の、
南天の、小さな朱い実はうつくしいと。
コムラサキの、実のむらさきはうつくしいと。
過ぎてゆく季節はうつくしいと。
きれいに老いてゆく人の姿はうつくしいと。

一体、ニュースとよばれる日々の破片が
わたしたちの歴史と言うようなものだろうか

あざやかな毎日こそ、わたしたちの価値だ。
うつくしいものをうつくしいと言おう

幼い猫とあそぶ一刻はうつくしいと
シュロの枝を燃やして、灰にして、撒く。
何ひとつ永遠なんてなく、いつか
すべて塵にかえるのだから、世界はうつくしいと。

・・・夕刊の隅っこに、載っていた。

小国綾子さんが、二年前に、女優の樹木希林さんにインタビューを申し込まれた時。そういったすべての申し込みへの対応をご自身でなさる方、樹木さんへのアプローチとして、小国さんの大好きな詩人、長田弘さんの詩への思いをきっかけにされた、ということで。樹林さんは取材に応じて下さって、彼は(長田さんは)、20代の頃からの劇団仲間なのよ、と、優しい声で語られたという。

取材のきっかけは、当時話題になっていたある新聞の全面広告「死ぬときぐらい好きにさせてよ」がキャッチコピーだった、そのことでだったとか。衝撃的な広告でした。覚えています。

樹木希林さんが、川面に浮かぶオフィーリアに扮していた。オフィーリアは、恋人と信じていた(実は相手である王子も同じであった)そのハムレットに、父を殺された。「尼寺へ行け」と人差し指を突きつけられた・・シェークスピアの「四大悲劇」の一つの話ですから・・などなど、柔らかい心はそれらのことを処理しきれなくて、乱れてしまった。そしてある日、彼女は、野の花に魅かれるままに、川面に浮かぶ身となっていたのでした。胸に花を散らして。仰向いて流されてゆくオフィーリアの視界いっぱいに、青い空。衣装が、長い髪が、だんだん水を吸い込んで、そして、という、場面。

・・ここからは、毎日新聞9月25日の夕刊の記事を、そのままに引用させていただきます。、そのことでだったとか。そのオフィーリアの場面に、

略)こんな文章が添えられていた。

<死を疎むことなく、死を焦ることもなく(略)身じまいをしていきたいと思うのです。人は死ねば宇宙の塵芥(ちりあくた)。せめて美しく輝く塵になりたい>。原案の<輝く星になりたい>が<塵>へと変わったのは彼女のこんな一言がきっかけだった。「私なら塵でいいな」


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

樹木希林さんが亡くなって。何か書きたいと思いましたが、うまく書けません。いなくなられたことは、悲しくはありません。毎日隣にいた人ではないし。作品は、この時代、どんな形でも見られます。なんとかロス、だとか、バカみたいなことを口走るくらいなら、むっつりと黙っているのがマシだと私は思う。



 *  分類 : 胸の痛いこと
自動通知機能 : -  *  伝言 : 0  *  記事編集  *  2018年09月26日(Wed) 03時04分
 依るもののなくて花野に独り立つ

夏の盛りに、その小さな本の誕生を知った。

取り寄せた。

句集「羽音」。 著者:麻香田みあ。 発行所::ふらんす堂。


「序」として置かれているのは、著者の所属する俳句の会を主催される方の、言葉。

   八月や胸をつらぬく放射線

去年の「円座」誌に、著者が提出した十句の、巻頭の一句であると。

「なんと衝撃的な句だろう」。「つらぬく」という言葉が、文字通り読み手の胸をえぐる」。とも。

主催者・武藤紀子氏は、そして、かつてのことであるが、として、ご自身が癌の手術の際、手術前の検査の折にも、繰り返し(レントゲン検査で)放射線を浴びた、こんなに浴びて大丈夫だろうか、と心配したものだ、と、記されている。

一句の季語は「八月」。八月と聞けば原爆をイメージする。してしまう。私には、そうだ。多くの方々にもそうだろう。

原爆でなくても、いまこの時代、多くの女性がこの「胸をつらぬく放射線」のイメージを、心中に秘めておられるだろう。


武藤氏が言い切っておられないように、一人の読み手である私にも、みあさん(こう呼ばせていただく)の一句の「胸をつらぬく放射線」が、実は何をさしているかは分からない。ぜんぶ含んで、のことかも知れない。

分からなくてもいいのだ、それは。ただ、十七音に出会い、胸に、ずどんと大きなものを撃ち込まれた、それでいいのだ、と思う。私は、だらだらと短歌を続けて来て、止められなくて、いまもうたを詠む。うたにしか託せない思いが、自分の中に湧くのだと思う。で、俳句に関してはもの知らずと思う。解っている。

もの知らずでも、読んで、あ、と、胸を押さえてしばし、ということがある。悲しみや切なさや、どうしようもなさや、何にとも無い怒りや。それでいいではないか、と、思う。それでいい。感じればいい。

麻香田みあ さんの、八年間の句作の中から選ばれたという作品群には、自選の十句が示されている。それをまずご紹介するのがスジかな、と、けっこう真剣に考えた。で。そうでなく(私のへそ曲がりの故でなく、そうしたくて)。

数をいわず、自分が「いいな」と感じ、再び戻ってまた「いいなあ」と感じた作品を、列挙させていただくことにした。


  大樹から一直線に夏つばめ

  楡の木に風の生まるる五月かな

  春の雪生木を裂いてしまひけり

  基督に釘の大きな踏絵かな

  水重く押しあふ港春浅し

  誘惑はぶらさがるもの黒葡萄

  大鷲の胸ひろやかに風を切る

  飛込に水面すばやくとぢにけり

  一人呑みまた一人呑み踊の輪

  ひとすくひ土産にしたき虫の闇

  依るもののなくて花野に独り立つ

  八月や胸をつらぬく放射線

  焚火果て見知らぬ人にもどりけり

  灯を消して招き入れたる春の闇

  内裏雛互ひの貌を知らぬまま


・・何度か句集を読み返して引かせてもらった、もっと沢山ある。一番初めに「あ」と立ち止まった一句は

  直立が葦の本領枯れてなほ


これだった。今も、いいなあ、と。葦って、「風にそよぐ」と詠まれること多い植物。考える葦、とか、それは置いておいて。

その葦は、直立が「本領」である、と。俳句独特の言い切り方。続けて「枯れてなほ」と。

強い方なんだなあ、と感じる。同時に、当たり前に強くいられる時でなく、精いっぱいに、本当はよろけたいときに、よろけても許されそうな時に、現実には、よろけてしまっている時に。この一句は、詠まれたのだと、感じて、同年代の(そうなのです)胸が軋んだ、痛んだのでありました。

  輪に入りて踊ればいつかかの世にて

淋し過ぎるよ。

  月皓と帰るべきとき近づきぬ

この一句が、句集の最後の一句。ご本人も、自選のなかに入れておられる。

くだくだしくは申しますまい。心中の決意、覚悟を詠まれたのか。


・・・実を言えば、私は、自分の「みんなのうた」なる「うた詠みましょう会」を続けるに於いて、自分なりのやり方のようなものを、ヘタレな胸の内に抱いている。

幾つかある、その一つは、私から呼びかけることはするまい、であって。理解していただけるかどうか、責任を持てないといけないから。申し訳ないし、うまく行かない時に、自分「が」痛いから。

どのどなたも、おいで下されば嬉しい、一緒にうたを楽しみましょう。が基本で、途中から「よろしければ、少し触れさせていただき申す」となって来て、今に至る。今まで、あれやこれやとして来た結果が、そういうこと。

なのだけれど、この方に、呼びかけてしまった。端的に言えば「いてはりますかぁ、いてはるんやったら、お返事くれはったら安心ですねんけど~~~」という感じで。

他のお方にも、実は、お呼びかけしたい。そういうお方は、何人もおられる。でも・・・で、ごめんなさいね、と、ここで、言いたがっている訳なのです。

・・麻香田みあさんは、こちらお休み中、句集を編むのに集中しておられたようで、そう伺って、ああ、よかった、と、深く安心した次第なのでした。

ここまで読んで下さって、ありがとうございました。で。うふふ、と、何か、お感じになられませんでしたか。

決然と。凛然と、自らの「si」に立ち向かって

  直立が葦の本領枯れてなほ

と詠まれる、この女性が、いたずらっ子みたいな仕掛けをされていること。

麻香田みあ。まかだみあ。マカダミア。わはは、と笑って、し慣れない「書評」の最後とさせていただきます。

書きたいように書かせていただきました。麻香田みあさん。KUONの部屋では「かりそめ」さん。失礼がございましたら、お許し下さい。もう、書いちゃったからね。

持病と寿命は、まったくの別物。

次の句集の感想も、書かせて下さい。何年か先でいいです。お待ちしています。


 *  分類 : ことばのたのしみ
自動通知機能 : -  *  伝言 : 12  *  記事編集  *  2018年09月23日(Sun) 12時49分
 九月 月見月の みんなのうた
この月も「みんなのうた」まとめさせて頂ける。とても嬉しいです。

月見月。空はだんだん高くなっておりますね。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


     KUON の詠める

・渚ホテル残照のなかに佇(た)ちゐたり終らむとする夏の碑のごと

・すさまじき雨に打たれて向日葵(ひまはり)の首ぐらぐらと されど立ちをり

・灯を落とし薄闇に聴くビートルズ思へば長く生きて来たりし

・ビートルズ聴くは不良との決めつけを肯ひそれより終生、不良

・幾たびも聴きかへす「アンド・アイ・ラブ・ハー」あのひとよりも好きなりし歌

・ビートルズ・ナイトの〆を「ビコーズ」と定めそこまでを酔ひに任する

・十一月にポール来るとやその夜をわれも名古屋にドームに馳せむ


・ネクタイも上着も召さず貧相なる連れ合いに肘つかまれて 天皇

・被災地を訪ひます時は膝の出て旧きズボンを選りての皇后

・特別機自衛隊機に訪ひたまふ慈善つくりの今日の皇后


・古書店に踏み入るときのときめきを失くしてしまへり嗅覚と共に

・処理したるバックナンバー大量の「太陽」誌いまに悔やまるるかな

・冬瓜のスープ、サラダにヴィヤベース娘の夫の手料理んまし

・樹木希林しづかに逝きぬかの夫が間に合はざりしを「やはり」と思ふ

・どんな男のどこにどれだけ惚れるかを人それぞれと思ふもわれは

・海の上(へ)の空いっぱいの鰯雲 小さき旅をしたかりわれも


     かりそめ の詠める

*子規庵の庭の真中の薔薇の木に日本原種と立て札のあり

*文机に膝を出す穴くろぐろと一人の時の子規を思へり

*妹と母の居場所はどこなるや子規庵なべて子規の病室

*あさつては子規の命日脇路地に鳴る下駄音は空耳なれど

*子規庵の棚に糸瓜は飄々と友の一人は倫敦にをり

*病床の子規の耳打つ水の音かつての家事はまづは水汲み

*すめらぎも孤独をかこつ平成を明治男はいかに見るらむ



*飛ぶならば北風強き空がよい風に逆らひさらに北へと

*あざやかに綿菓子を繰るその手つき神業と見し幼き我は

     白萩 の詠める

毎晩のごと賑やかに聞こえ来る 今日の花火大会はいずこ

容赦なく照りつける陽よ 青もみじよ 霧島の地の朱き社殿よ

赤とんぼ川面に群れる 上流へ上流へのぼる 鮎のごとくに

晩酌は紅葉の柄の缶ビール 残暑もろともゴクリ 呑み込む

弁当を調える我に聞こえ来る城跡の鐘 朝六時なり

空はいま碧から藍のグラデーション 涼風も立つ 夕暮れはよし

     黒猫アビ の詠める

 ・平成の最後の年に災害の
  各地に残る爪痕酷し

 ・災害を目にしていても徘徊が
  止まぬ天皇祭祀はせぬか
 
 ・被災地の訪問なんてポーズだけ
  ご慈愛仮面とうにはがれて

 ・来年は尚恐ろしい次代なり
  国が傾く気がして怖い

     まめはな の詠める

・散りし花踏まれて濡れて鮮やかに路面に咲きぬ雨降りし午后

・秋空の高き底より吹きし風白銀葦を揺らして去れり

・にび色の空より細き雨落ちて実なきトマトの葉群(はむら)ざわめく


     おてもやん の詠める

〇わが心 ポリープの分軽くなり 旅の計画 たててみるかな

     こぶ の詠める

被災者の持ちたる遺影
見逃さず
猫なで声で近づく皇后

ならび立つ被災者たちに
声かけて
慈愛劇場直視し難し

   娘

挨拶は大きな声での小言には
「行ってきまちゅ」と
反抗的に

     パール の詠める

⭐始業式校舎に喧騒戻るなか
 物憂げに立つ窓際の君 (想い出)

⭐僅かでも秋の気配がきています
 牛歩のごとくと風が耳打ち

⭐青蒼碧(あおあおあお)と自然の色は美しき
 空には空の海には海の

⭐色さえも異国の香り漂える
 海より見えて麗しの神戸

⭐初孫の内祝いの品おくられて
 夫(つま)の目語るうちはまだかと (未婚です)

⭐何一つ欠ける事無く一世(ひとよ)過ぐ
 人もいるかと満月(つき)見て思う


★北が揺れ商都が水に沈みしも
 己の不徳と思いもせずや

★上質の服を下品が着て歩く
 手を振りゃいいってものではないわ

     ラピスラズリ の詠める

風立ちぬ 秋の気配を 探せども ただ荒涼の 響きをぞ聴く

     アルジェリマン の詠める

木がしなり窓おびやかす暴風は音さえ潰す ただ恐ろしや

暴風に耳ふさぐれば無音なり 目閉じ膝抱き閉じこもる午後

肩痛く心細き夜 泣きながら犬引き歩く雨にも濡れる

犬と行く初めての道細い道 こぎれいな家磨いた車

     わすれんぼ の詠める

カラカラに乾ける大地薄茶色木々の葉しおれ生気失う

セミたちのいで来し穴と抜け殻と鳴き声響く我が庭の夏

雲は来ず雲は立ち消え雨はなし雨雲レーダー空しくにらむ

熱き夏四十度超える温度計氷包みて首もとに巻く

身を包む熱き空気の息苦し生きてるだけで精いっぱいなり


やわらかきホスタの鉢の丸ベッドまどろむガマは木漏れ日のなか

足元に黒き芋虫踏みかけて一足飛んでほっと息つく

芋虫のビロードの黒白き星 美しき蝶になる日思わす

生まれたてカマキリの子は小さくもすべての形備わっており


皇后の喪の黒き帯雄弁に語るその腹真っ黒なりと

わずかなる式次も飛んで真っ白に恍惚の域出入りしたまふ 

闘わぬことの意味すら問わずして奪われ続ける国に暮らしつ

見せかけの長き平和と独立と全てがウソと見え透ける今

命惜し見返りうまし世の常か 他人(ひと)非難して済むことでなし

平和にも見ゆる祖国も裏側は黒々とした闇の広がる

おすたかに逝きし者への供養かなわず 闇に埋もれし恐ろしきこと


顔見れば声聞けばすぐテレビ消す嫌悪はもはや耐えられぬほど

恥知らず恥知らぬことの恐ろしさただペラペラと虚言並べて

もう三年この〇〇がかじ取りをするその恐怖耐えがたきこと


引退の歌姫の歌詞横文字にあふれて強きむなしさおぼゆる

     温泉郷 の詠める

苔玉に胡蝶蘭咲くチョロチョロと水を注いでひと月経てり

親王も内親王も小室さえ特権かざし俗にまみれる

被災地の知事を喚んだり出かけたり税金使い邪魔するだけね


 *  分類 : みんなのうた
自動通知機能 : -  *  伝言 : 7  *  記事編集  *  2018年09月22日(Sat) 13時00分
 何か、ちょっと。
美容院へ行って、ヘッド・スパしてもらって来ました。若いのにとっても心得たお兄さん。体中の血が、グルんぐるん巡って、帰り路、眠くて眠くて。

左手首は、かなり良いのではないか。鍼を打って痛みが取れて。

姪っ子が広島から遊びに来ました。自分チと大家さんのところは、一センチの差で床上浸水を免れたと。ひどい状態よ、まだ、と、スマホで、惨状を伝えてくれました。

41歳・享年・・・山本キッド徳郁の試合は、放映されたものはほぼ、観ていた気がします。最近は、体中に模様が入っていて「スミ」に個人的に抵抗のあるワタシは、うむむむ、な感じでした。とてもやんちゃな、優しい綺麗な目をした、やんちゃ坊主でした。
41歳は若すぎます。

私の目の(こころの?)老化のせいか。美醜でなく、きしょくの悪い顔が、いっぱい。

・かつての横綱とアナウンサーの間に生まれたという21歳の若者。結婚しているらしいが、それが、不倫を母に叱られたと、21歳。かわいい、という表現もあるとも聞きます、私はダメ、あの顔、ほんまに、きもちわるい。

・ダンナの方は、好き。そのダンナの「嫁」が肩書、炭をどうちゃらで体重がああちゃら、と、飛ぶ鳥落とす勢いの、彼女。性格はきっと、いいかと思われる。でも、いかにも、な、あの、直された鼻、見るにしのびない。人のことや放っておけとは思う、嫉妬かも知れぬ、が、ダメなものはダメだ。あの鼻、自分では気にならないのかなあ。




 *  分類 : 日常
自動通知機能 : -  *  伝言 : 0  *  記事編集  *  2018年09月21日(Fri) 20時37分
 九月のみんなのうた おべんきゃう、ラスト。
温泉郷さん、遅くなりました。

     温泉郷


苔玉に胡蝶蘭咲くチョロチョロと水を注いでひと月経てり

難しい対象を、大切にお世話された。事実をそのまま書いて「ひと月経てり」と、なかなか、生半可なことでないのが分かります。苔玉って、管理が大変なんですよね。

親王も内親王も小室さえ特権かざし俗にまみれる

被災地の知事を喚んだり出かけたり税金使い邪魔するだけね

被災地へ行ってあげたくも(皇后目線)天候に邪魔されて、延び延びに。どれだけ迷惑になっているか、わからんちんの〇け夫婦であられます。


数日中に、きちんとまとめさせていただきますね!。



 *  分類 : みんなのうた
自動通知機能 : -  *  伝言 : 0  *  記事編集  *  2018年09月21日(Fri) 19時56分
 9月みんなのうた おべんきゃう 4
続けさせていただきます。

この色は詠草。詠み人さんのメッセージやら詞書やら。詠み人さんのお名前です。この色はKUONの書いているところです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

     わすれんぼ

  なんか、急に、疲れがひどくなり、何もやる気の出ない日々がやってきて、
  ぼーっとしていたら数カ月が過ぎました。

(笑)。ミー・ツゥー。

カラカラに乾きし大地薄茶色木々の葉しおれ生気失う

ここの「乾きし」は、間違いではありません。この頃では、大層な歌人さんでもこういった使い方をなさるお方も。
間違いではなくても、一度、見比べていただきたいかな・・ここを「乾ける」としたら、と。


セミたちのいで来し穴と抜け殻と鳴き声響く我が庭の夏

雲は来ず雲は立ち消え雨はなし雨雲レーダー空しくにらむ

熱き夏四十度超える温度計氷包みて首もとに巻く

身を包む熱き空気の息苦し生きてるだけで精いっぱいなり


やわらかきホスタの鉢の丸ベッドまどろむガマは木漏れ日のなか

愛おしいガマさんだ・・。

足元に黒き芋虫踏みかけて一足飛んでほっと息つく

芋虫のビロードの黒白き星 美しき蝶になる日思わす

生まれたてカマキリの子は小さくもすべての形備わっており

芋虫くんの一首も。生まれたてのカマキリちゃんのうたも。なんか、しみじみ~としますよね。


皇后の喪の黒き帯雄弁に語るその腹真っ黒なりと のです
わずかなる式次も飛んで真っ白に恍惚の域出入りしたまふ

お腹真っ黒の奥方に、肘つかまれて歩み給う今上陛下。
とにもかくにも「出入りしたまふ」と、敬語で詠んでしまうのです。
 

闘わぬことの意味すら問わずして奪われ続ける国に暮らしつ

見せかけの長き平和と独立と全てがウソと見え透ける今

命惜し見返りうまし世の常か 他人(ひと)非難して済むことでなし

平和にも見ゆる祖国も裏側は黒々とした闇の広がる

私にはうまく評せませんが、視線が水平でいらっしゃることを、何よりと思います。こういううたは、こういう風に、読ませていただきたいのです。

おすたかに逝きし者への供養かなわず 闇に埋もれし恐ろしきこと

御巣鷹。血縁ではないですが、けっこう身近だった若い父親が、あの事故でいのち落としました。一歳にも満たないその女の子を、若い妻は、実家へ帰らないで育て上げました。。何やらの謀略のことなど聞きます。おそろしい秘密が、あった? あったのか?。


顔見れば声聞けばすぐテレビ消す嫌悪はもはや耐えられぬほど

恥知らず恥知らぬことの恐ろしさただペラペラと虚言並べて

もう三年この〇〇がかじ取りをするその恐怖耐えがたきこと

今日、結果の出た(らしい)、あの方のことかな?


引退の歌姫の歌詞横文字にあふれて強きむなしさおぼゆる

平成の歌姫、ですか。しっかり者の歌姫さんだ。


 *  分類 : みんなのうた
自動通知機能 : -  *  伝言 : 1  *  記事編集  *  2018年09月21日(Fri) 14時55分
 みんなのうた 九月のおべんきゃう、3

遅くなってしまっています。続けます。

この色が詠草。詞書やら詠み人さんのメッセージやら。歌詠みびとさんの、お名前。KUONが書いている部分です。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

     パール

  台風の余波(通勤のバタバタ、断水・・)で、家族次々体調を崩し
  私がトリを務めております(声が出ません)
  もっと大変な方が大勢おられますのに情けないです。
  早く良くなり、何か私でも出来ますことをやりたいです。

この「トリ」はトホホ、ですね。
思いまするに「もっと大変な方」は、もちろんおられますながら。自分の周囲の、比べれば「小さい」かも知れない「大変」にしろ、自分的には「すごい大変」で、思い方、よかろうばい。
私も、自分にできる小さなこと、探して実行、と、考えております。


⭐始業式校舎に喧騒戻るなか
 物憂げに立つ窓際の君 (想い出)

やはり(何が「やはり」だ?)「明朗」より「物憂げ」に惹かれられたのでしたか。

⭐僅かでも秋の気配がきています
 牛歩のごとくと風が耳打ち

⭐青蒼碧(あおあおあお)と自然の色は美しき
 空には空の海には海の

⭐色さえも異国の香り漂いし
 海より見ゆる麗しの神戸

神戸の街の特徴を、よく捉えておられますが。「海より見ゆる」と現在形なので「香り漂いし」の」「し」=過去形が惜しまれます。でも「香り漂える」ですと、「見ゆる」とぶつかりっこになる。もう一度、お考えになって欲しいな~。エキゾチックな素敵な一首になります。
俳人であられる夏井先生式の「一音で変わる」みたいにやると、「海より見えて」、とか。「て」にする方法もあります。
「色さえも異国の香り漂える 海より見えて麗しの神戸」。


⭐初孫の内祝いの品おくられて
 夫(つま)の目語るうちはまだかと (未婚です)

⭐何一つ欠ける事無く一世(ひとよ)過ぐ
 人もいるかと満月(つき)見て思う
ううむ。きっと、そーゆー人は、ご自身を、満月とは自覚しておられないのでは・・。KUONのひがみかも知れませぬ。


★北が揺れ商都が水に沈みしも
 己の不徳と思いもせずや

それは、絶対、思っておられないと思う。

★上質の服を下品が着て歩く
 手を振りゃいいってものではないわ

どなたの擁護、云々、するつもりは無いですが。先日、海外へ行っておられた三笠宮家の彬子さんのお洋服が、どの場面でも素晴らしかったです。シルクの光沢美しく。体に合わせてしつらえられたフィット感すばらしく。皇族のお召し物は、ああいった感じであってもらいたいもんだ、と、つくづく感じました。え公の場の、ということです。
どなたとは申しませんが、見苦しくダサくみっともなくセンス最悪、チンケ。襟元アカだらけって冗談ではない、皿帽もへんてこなマントも、もうもう、見るもイヤですわ。

脱線して好きなこと書かせていただきました。


     ラピスラズリ

  風立ちぬ いざ生きめやも

  この一節が大好きです。
  そこで冒頭この一節を頂いて


風立ちぬ 秋の気配を 探せども ただ荒涼の 響きをぞ聴く

私も、この一節は好きです。魅かれます。

おうたについての話になります。
「風立ちぬ」と、知られた言葉をそのままに詠む。この「ぬ」は、こういう場合、なさっているように、間に一音を空けないと難しい。
正確にいうと「風立ちて」なら、自然に収まる、という話になる訳です。でもこのまま
「風立ちぬ 秋の気配を探せども」と行って。
「ただ荒涼の」ここは、雰囲気的にこう詠みたかった、それはわかる、が、最後、ね。
「響きをぞ聴く」は、厳密にいうと、無理があります。荒涼の音とはなんぞや。
平凡になるかも知れませんが、こういう場合は、「ただ荒涼の」を生かしたければ、
「風吹くばかり」とか、距離をあけて「見る」方がいいかと。
「風の行くのみ」とか。お好みですが、私としては、こういう。せっかくの一首、素敵に仕上がって欲しいという欲です。(笑)。



     アルジェリマン

木がしなり窓おびやかす暴風は音さえ潰す ただ恐ろしや

暴風に耳ふさぐれば無音なり 目閉じ膝抱き閉じこもる午後

こわかったです、台風21号。
わたし、不急の用で、かなりな好奇心で(おバカ)、風が押し、押し、しているドアを開けようとして。あまりの風圧に驚嘆、胴体はさまれたら悲惨、と、左手で右手を援護しようとして、手首、傷めました。誰にも言えない、おバカ話。あ、書いてしまいました。


肩痛く心細き夜 泣きながら犬引き歩く雨にも濡れる

なんだか詠み人さんの肩を、ぎゅううっとしてさしあげてしまいたくなりました。
犬さん、気持ちを察して、一緒に濡れながら歩いてくれたのかな・・


犬と行く初めての道細い道 こぎれいな家磨いた車

こころ寒い夜。他人の幸せを、ふと、見てしまった…。




 *  分類 : みんなのうた
自動通知機能 : -  *  伝言 : 2  *  記事編集  *  2018年09月21日(Fri) 11時18分
 九月のみんなのうた  おべんきゃう 2
秋らしい夜です。続けさせてもらいますね。

この色が詠草。

この色が詠み人さんのメッセージ、詞書。
詠み人さんのお名前の色です、この色の部分はKUONが書いております。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

     黒猫アビ


 ・平成の最後の年に災害の
  各地に残る爪痕酷し

 ・災害を目にしていても徘徊が
  止まぬ天皇祭祀はせぬか
 
 ・被災地の訪問なんてポーズだけ
  ご慈愛仮面とうにはがれて

 ・来年は尚恐ろしい次代なり
  国が傾く気がして怖い

被災地訪問は「画」になって、行った行ったと言えますものね。、一枚1500円だかのDVDになって売れますものね。お皿さんらしいアピール。
公平に、もしもそんなお気持ちがおありなのなら、天皇のおわしますその場で、神様に向き合って下さるのが、一人残らずの「国民のため」「国の民を思うこと」になる、と、こんなこと、書いている自分が青臭くてアホくさい。次代は、静養と、次代アピールで無理くり行ったおフランス疲れか。/span>

  ようやく秋風を感じるようになりました。
  激暑にて崩した体調をあせらず治していかなければと・・・


「こうされたらいかがですか」と掛けられた言葉を、大切に受け取られて。声に出して読んでみられたら、と言われたら、そう、実行されているのが、よくわかります。歌が整ってきてなめらかになっておられます。

もう、〇〇なんか放り投げちゃえ~。とは、思っていても書きづらいことではあります(笑)。


     まめはな

・散りし花踏まれて濡れて鮮やかに路面に咲きぬ雨降りし午后

・秋空の高き底より吹きし風白銀葦を揺らして去れり

「秋空の高き底」という表現に、魅かれました。その風が揺らして去ったのは「白銀葦」であると。

・にび色の空より細き雨落ちて実なきトマトの葉群らざわめく

にび色の空、というのも私の好物(笑)。雨が「細い」のも、季節らしい。
質問です。私の読み力の不足かも、ですが、「葉群ら」が気になります。「ら」は、いるのかな、寂しがり屋さんで、たまたま、くっついてしまったのか、な?。とても素敵な一首なので、あのね、と教えて下さったら、嬉しいです。
「はむら」なのでしょうか?。


     おてもやん

〇わが心 ポリープの分軽くなり 旅の計画 たててみるかな

・・・そうなんだ。(心に、ずっしりと)重いポリープだったんだ、それで、その、ポリープの分だけ軽くなった心で。
いいですね、旅の計画「たててみるかな」この、軽やかな感じがいいですね。
「たててみようか」でも「たててみるなり」でもなく。みるかな、と、ひそかな♪を感じます。


     かりそめ

*飛ぶならば北風強き空がよい風に逆らひさらに北へと

北へ。北へ。北には、何かがあるのです。厳しいけれどこころ奮い立たせてくれる何かが。
激しいうたです、でも、その激しさがいい、と、思います。


*あざやかに綿菓子を繰るその手つき神業と見し幼き我は

で、その、ふわふわの綿菓子を、ぎゅううっと押して潰して、ピンクの色の妙に濃くなったべっちゃりした小さな塊になったそれを、少しずつ、ちびちびと、かじって頬に含んでうっとりしていた変わった子は、幼なかった日のKUONでした(笑)。

     こぶ

  来るな来るなと思っていましたが、
  無理くり来てしまいました。
  今まで皇室の話などしたこともない同僚が
  慰問のニュースを見て
  「こんな高齢者が日帰りで来ました!
  って張り切って来られても
  迎える方は余計な心配ばかりかかるよね」
  と…。
  国民は気づいております。


被災者の持ちたる遺影
見逃さず
猫なで声で近づく皇后

ならび立つ被災者たちに
声かけて
慈愛劇場直視出来ずに

一首目、見逃さずに近づき、猫なで声、と。リアルに、そのまま見えるようです。
2首目。集められて立たされておられる被災された方々に、声をかけゆく古ズボンの皇后。この後ですね。
「慈愛劇場直視出来ずに」、いるのは、誰なのか。ここが少しわかりにくいようです。
詠んでいる「自分」なのか、それを見ていた誰かなのか、できれば、そこ、もう一度考えてみられると、歌意がもっとつたわると思います。

傲慢な方です、自覚無きお方。


  ※今月の娘
  いつのまにか娘の話題が気軽に出来るようになりました。


挨拶は大きな声での小言には
「行ってきまちゅ」と
反抗的に

(笑)。夏の制服を、もしかして着ないかも・・の思いで買われた・・用意された一首がありました。
でも、それを着ていまは学校へ。わざと反抗的にもなられたり。

もっともっと、お嬢ちゃんのうたも、詠んで下さいね。



また、明日、おいで下さりたく。



 *  分類 : みんなのうた
自動通知機能 : -  *  伝言 : 1  *  記事編集  *  2018年09月20日(Thu) 20時43分
 九月の「みんなのうた」おべんきゃう  1
九月も「みんなのうた」お寄せ下さった詠草を、ご一緒に味わわせていただきましょう。

この月は少し寡黙な(笑)わたくしであること、笑って許して、と。お願いを申し上げます。

この色が詠草、この色は詞書や、詠み人さんのメッセージなど、詠み人さんのお名前はこの色、この色はKUONが書いている部分です。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


     かりそめ

  やっと涼しくなり、今朝などは寒いくらいでした。手首のお加減はいかがでしょうか?
  久しぶりに作って楽しかったです。


*子規庵の庭の真中の薔薇の木に日本原種と立て札のあり

*文机に膝を出す穴くろぐろと一人の時の子規を思へり

*妹と母の居場所はどこなるや子規庵なべて子規の病室

*あさつては子規の命日脇路地に鳴る下駄音は空耳なれど

*子規庵の棚に糸瓜は飄々と友の一人は倫敦にをり

その子規の命日の日に、私もいささか、その人のことを想っていました。今日。

若い死でした。その命を守って、母も、妹なるひとも、自分の生、なんてものを考えることもおありにならなかったのではないか。

一将功成り万骨枯る。少し違う気はしますが。歴史の薄闇のなかに、そんな女人たちの生があった。少し涼しくもなって、いささかの感傷を、自らに許してやれる気もします。

五首目の「友の一人は倫敦にをり」こういった、、ぽーんとした飛躍が、日本語の言の遊びと思い、たのしい。


*病床の子規の耳打つ水の音かつての家事はまづは水汲み

*すめらぎも孤独をかこつ平成を明治男はいかに見るらむ

すめらぎの「孤独」を、いま、こういう風に詠まれるお優しさ。


     白萩

   月見月のうた


毎晩のごと賑やかに聞こえ来る 今日の花火大会はいずこ

容赦なく照りつける陽よ 青もみじよ 霧島の地の朱き社殿よ

赤とんぼ川面に群れる 上流へ上流へのぼる 鮎のごとくに

なるほど~、と。新鮮に感じました。

晩酌は紅葉の柄の缶ビール 残暑もろともゴクリ 呑み込む

弁当を調える我に聞こえ来る城跡の鐘 朝六時なり

具体的な言葉が、説明にならずに「詩」になっていて。紅葉の柄の缶ビール、下戸の私は、実物を見て(見に行って(笑))、これも、なるほど~と。

空はいま碧から藍のグラデーション 涼風も立つ 夕暮れはよし

夕暮れはいいです。夕暮れ、よし、です。




 *  分類 : みんなのうた
自動通知機能 : -  *  伝言 : 1  *  記事編集  *  2018年09月19日(Wed) 19時30分