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引っ込まないよ、あの圭くん。

朝からテレビを見た。53歳になられた秋篠宮さまが、言葉を選びながら話をしておられた。話されたすべてを、月末の用を済ませて帰った後で、読みました。

記憶に残っている部分に触れます。

 「多くの人が納得し喜んでくれる状況にならなければ、婚約にあたる納采の儀というのを行うことはできません」

 「結婚したいという気持ちがあるのであれば、それ相応の対応をするべきだと思います」

 「小室さんからの連絡は、2~3ヵ月に一度くらいでしょうかね。時々もらうことがあります。(小室さんが)何か(具体的な)行動を起こすということは窺い知ることはできていません」


殿下ははっきりとこのように仰った。

会見の最後にベテラン記者が、「『相応の対応』とは、(小室さんと眞子さま)二人の気持ちを支えていくと受け止めてよいでしょうか」と結婚の見通しについて質問したところ、秋篠宮さまは、

 「それとは少し違い……相応の対応というのは、こちらの対応でなく相手側(小室さん)の対応ですね」

とも。あからさまに誰かを批判、非難することのできないお立場の、苦しさ真摯さが、言葉の端々から伝わりました。

眞子さんのご両親は、小室圭さんとその母親に対して、2点。週刊誌で取りざたされた借金400余万円について、また、結婚するというなら、しかるべき定職を持つ、について「具体的な」対応を示されたいと要望されたと伝わっています。

その2点への、明確な返答と行為がなされないまま、圭クンはアメリカへ行ってしまった。殿下の示した「相応の対応」がなされないまま、今は、宙ぶらりんで、眞子さんとはあまり話をしていない、と殿下は、聞いている方が辛く感じることを、率直に語られました。眞子さんは、圭と、連絡を取り続けている由。

同席された紀子さまは、

「昨年の暮れから長女(眞子さま)の体調が優れないことが多くなり、長女は大丈夫か、どのような思いで過ごしているかなと、心配でした」と仰いました。珍しい肉声と感じました。

知らなかった…知らされなかったコムロ圭のあれやこれや、知ることになり、眞子さんは辛かったであろうとは推察できます。信じたくなかっただろう、とも。思い切って聞けば圭クンは「あんなのどれも事実と違うよ、僕を信じて」と言ったか。あるいは「ええ?ボクを、信じないの?」と言ったか。恐ろしかったでしょうね、眞子さんは、信じないのか、と、声にひんやりしたものを含ませてくる圭が。

恋をしている女の子は、そうなれば「あなたを信じる」のほかの選択肢を持たない。信じたいものだけを信じるために、そのほかの「信じるべきもの」には、目を背けてしまうのです。失いたくないから。嫌われたくないから。コムロ圭は、そういうことに先天的に長けた男だったのだろう。眞子さんは、純だった。純であり過ぎた。で、愚かな女の子になってしまった・・・のか。

ご夫妻とも、眞子さんは「与えられた仕事には真摯に向き合っている」ようなことを、仰っていました。親としては辛いなか、そう、仰りたい気持ちが、強くおありなのでしょう。

なんだか、コムロ圭が、一人、100%悪い、になっているような気もしますが。眞子さんはあれを信じて、婚約内定の会見までしています。本当に無残な話です。

とても不思議なのが、あのお嬢さんはいったい、どこのどなたか、ということです。今上の孫娘さん。未来の天皇の姉君。ご親戚も縁者もいっぱい。たっくさんおられる。

縁談がもめたりこじれたりして、解決までが長引くと、実際には何もなかったにしても、その渦中にある、今でも主に女性は、何かホコリかぶったようなイメージを持たれてしまうことが多い気がします。私自身、意地悪にも、触れられて指の痕の黝ずんだ水蜜桃などと書きました。何があっても、どんなひどい失恋や失敗のようなことがあっても、自分でわかっていて、よっしゃ、なんでもない、ない、あんな男だったけど、好きだったことに悔いは無いわ、とばかりに、雄々しく立ち直って行けるなら、失恋も失敗も婚約破棄も離婚だって、へいちゃらと思う。

いいとこのお嬢さんで、ハマり方は覚えても抜け方は知らず、みたいなやらかし方をして、無理な時は、親戚縁者の、モノの分かったオバサマなどが、足音も立てずサササと近づいて来て、本人のみならず共に解決の途知らず困り果てている親御さんの耳元に、囁く。

「あのな、このままいてたら〇子ちゃんのためにならへん、おかしな傷つくばっかしや、黙って任してくれんねやったら、うまいこと話、つけたげますやん」

とか。それで、スススと動いて、あっちにも、こっちにも、なんとないように、なんとかしてしまう。・・ようなことが、あるような気がしますが、半端じゃない、お嬢さん中のお嬢さんであろうお方が、なんで、風に当て放題なこと、されているのやろう。

私にはそこ、大変、不思議です。そんなことが成るには、日ごろの、面倒くさくてホントはイヤ、な、オツキアイってものが、欠かせないのも、事実とは思う。キラワレている本家の子、とか、難しいかもしれません。その本家そのものが・・とか、妄想が湧き上がります。孤立無援、の言葉も浮かびます。

秋篠宮両殿下、嘘の無い方々が、慣れないことで、慣れないような相手で、大変なことと思いますが。私は、あの人たち(母子)は、ではではと、ウツクしく身を引いたりするものか、と、思っています。

ここまで来る前に、手を打たなかった、公人である内親王の相手について、知らなかったとかなんとか。通る話でないわ、と、始めから感じていました、私が感じてもどうもなりませんが。本当にそこが、ミジンコながら無念です。

内親王の降嫁金、一億五千万、手にし損なったとなれば、その倍くらいは考えるだろう、あちらは。いったんは天皇が認めた、とまでなった話、簡単に引くような者でないと思う。とてもひどいことを書きますが、相手の女性に対して優しい気持ちがあれば、泥棒にもナントカの理、考えようもあるでしょうが。お気の毒ながら、申し訳ないこと書きますが、愛なんか無い、小室には。眞子さまは傷つかれるだけです。

縁談がややこしくなって、なにやかやなったら、いったん納めた結納の、倍返しという暗黙のルールもある。実際には結納などなされていないが、パンパかパ~んと、二人並んで、みつめあっちゃったりして、発表した。

何が、レッイッビーだ、ッ私が殴ってやりたい、あのチャラ男。

・・自分はその気だったのに、うまく進むことを望んだのに、今更ダメになると言うのなら。気持ちを表すのはオカネ、倍、おくんなまし、ボクの純愛、返しておくんなまし。

三億円、よこすなら、のんであげますよ、このダメ話。とか。ならなければいいですけど。

相手にわかってもらおう、の話は、この件では、難しいと思ってしまうのです。


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さようなら勝谷さん

勝谷誠彦さんの訃報は、ちょっとショックでした。

いつも、何もかも、同じ考えというのではなかったけど。昔、,西原理恵子とアマゾンへ行った時のサイバラの本の中での「かっちゃん=勝谷さん」の描かれ方がすてきで。追いかけてあれこれ読んだり知ったりした、ものすごく過激な人でもあった、でも人柄のキレのいい、品のいい方だったと思います。まだ50代。

灘中から灘高、そっから東大ほかへ進まなかった人に、勝谷さんの他に中島らもさんもいて。らもさんも、はちゃめちゃなところもあったが、とても繊細な人だったと思う。酔っぱらって階段から転げ落ちたまま、亡くなってしまった。ほとんど読んでいます。らもさんが男の子のイラストを描いた、かねてっちゃんの練り物も、未だに売っていますし、買います。

今日は何をしなくてもいい日だったのです。朝から「モルダウ」を聴きました。私の好きなあたりだけ、ゆうっくりと聴きました。

「アランフェス」も好きです。続けて聴くことが多い、でも今日は、モルダウを聴いているうちに、そうだ出かけて来よう、という気持ちになって。

先日、一目ぼれしてネットで買った「酒倉」とロゴのある斜め掛けバッグを掛けて、もう10年も使っているストール巻いて、たたっと出ました。バスに乗って電車に乗って、尼崎まで行きました。タクシーで、葬場まで行けばいいと思っていたのでしたが、乗れなくて。

ゆうべのお通夜にも沢山、人が集まっておられたらしいし。

駅まで来たからもういいや。さようなら、勝谷さん。そう思って、自分の街まで引き返しました。

最近、その暗さが好きになった薄暗い、サイフォンでいっぱいずつ珈琲立てて出す喫茶店の、奥の席に座って。サイフォンでたてて、をウリにしている割には、行くたびに味が違うのです。淹れるヒトも違うし。でもまあ、いい。ゆっくり座っていさせてくれればいい、一人にしておいてくれればいい。

勝谷さんのお葬式の喪主は、弟さんだったようです。新聞に出ていました。昨日から、亡くなったとは知っていた、が、朝刊のその欄に、勝谷さんの写真が載っていたのは、ショックでした。

57歳といえば、私の長女の夫さんと、そんなに違いません。先日、そのMさん、神戸マラソンをフルで走って完走。6時間ともう少しで完走、途中で走るのイヤになって、苦しくて、ツマに電話をかけた、ツマ(わたしのムスメですね)は、辛かったら止めたら、よく頑張ったよね、とは、言わなかったと。後悔するからもう少し頑張れ、あともう少し頑張って、と、言ったそうなのです。

で、あと半分、走った、頑張って走った、走ったり歩いたり、とにかく前へ、前へと。

ゴール寸前の写真を、先日見せてくれました。両腕を上げて、大きな口を開けて、歓喜の表情でゴール、マリオの帽子をかぶって。ツマは、ピーチ姫のコスプレで待っていて、迎えてくれたそうです、深くハグしている写真も、見せてくれました。わが家の五十代の話です。


肝臓が、ひどく傷んでいたって、しんどかったやろな。

なんだか近いところの気がして、発作的に、お葬式に行こう、などと飛び出してしまいました。行けませんでした。

そして、帰りには、今日は「29日、にくの日」だとか、お肉を買って帰って、鉄板出して、肉や野菜やきのこなど焼いて、大根おろしをたっぷり作って、夫と二人、晩ごはんをいただきました。

勝谷さん、さようなら。


美智子さんのしたこと。

これまた「平成最後の」とうたわれて、新嘗祭が執り行われたようです。

新嘗祭と聞けば、反射的に胸をよぎる思いがあります。

何年か前に書いた記事。偶然なのか何なのか、かつての自らの記事に再会し、となれば読み直して、あああ、と。

これを書いた時と同じ思いの自分でおりました。変わりないんです。けっこう「不敬」みたいなことを書いているのです。今も「不敬」とは感じず、やっぱりこれ、このままで通って行くのね、など、そんな虚ろな思いがいたすばかりです。以下、ほぼ、そのまま。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

昭和45年。結婚後11年が経過した頃です。

皇太子(現・今上)は、新嘗祭の連作、7首を詠んでおられます。

   松明(たいまつ)の火に照らされてすのこの上
   歩を進め行く古(いにしへ)思ひて

   新嘗(にひなめ)の祭始まりぬ神嘉殿(しんかでん)
   ひちりきの音静かに流る

   ひちりきの音と合はせて歌ふ声
   しじまの中に低くたゆたふ

   歌声の調べ高らかになりにけり
   我は見つむる小さきともしび

   歌ふ声静まりて聞ゆこの時に
   告文(つげぶみ)読ますおほどかなる御声(みこえ)

   拝(はい)を終へ戻りて侍るしばらくを
   参列の人の靴音繁し

   夕べの儀ここに終りぬ歌声の
   かすかに響く戻りゆく道

・・・・・・・・・・・

以上が、今上陛下の皇太子時代の「新嘗祭連作七首です。

連作とは、ある題材について何首かを詠むことで、ひとつの世界を大きく表現するもの・・・と言って、大きな間違いは無いと思います。
それでいて、一首一首は、独立して、何を詠んでいるのか、わからなければならない。

構成力も言葉の流れ、調べの緩急も、細かいワザが必要です・・・と、私は考えています。

ごじゃごじゃ言うより。

いま、このブログを、いま、書き続けていて、今上の連作を、間違えないで書き写そうとしていて。
感じます。

歌の言葉の選び方。うたのリズム、持って行きかた。

今上のものではない、あの陛下のものではない。

これは・・・・・・。

無礼を承知で言えば、今上には、このように連作をまとめることは、お出来になれない。

今上のものではない。

私の心臓の音が、そう、しきりに、訴えかけて来ます。(やや美文調が過ぎますね)。

(わたくしが、うたを、もっとうまく、直しを入れてまとめてあげましょう、もっと感動的に、目立つように)

>告文(つげぶみ)読ますおほどかなる御声(みこえ)

・・・美智子さんの作る世界そのままです。

「読ます」=読みたまう、お読みになる、の尊敬語も。

「おほどかなる」=おおらかな、おうような、大きな様子でいらっしゃる、も。

「御声」=み声、「声」を、うやうやしく表現する、も。

美智子さんのやり方、癖、それ以外の何でもない、断言したいのです。

  歌声の調べ高らかになりにけり
     我は見つむる小さきともしび

これ、陛下の口調ではないです。美智子さんは「ともしび」なる歌集を出していて、それは、陛下との合同の歌集になっている。もちろん美智子さんが「目立つ」ようになっている。過去、そんなことをした皇后さんはおられませんでした。

何を言いたいか、わかって下さいますでしょうか。

こういうことの、できる方。

何だってなさる方。

皇太子になり代わって、新嘗祭なる神事を、自分流に。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

以上が、かつての私の思ったことでした。今も同じように感じます、この通りに今も思います。

証拠は…ないです(笑)。 惧れを知らない方だから。天皇の、単なる妻であるお方が、代わりにつくりあげて神事を詠んだ。


末尾にて失礼ながら。今上陛下には、以下のような御製もあります。

神あそびの歌流るなか告文の
御声聞こえ来新嘗の夜
                (昭和五十年、皇太子時代の今上陛下の歌)


父君のにひなめまつりしのびつつ
我がおほにへのまつり行なふ
                (今上陛下御製)

天皇の御製はやはり、天皇の御製として、伝わって来るものと感じます。



     


「神さまに申し訳ない」と宮司さまは

今年6月20日に、靖国神社の社務所会議室で開かれた「教学研究委員会」での、宮司・小堀邦夫氏の発言、その音声が外部に流出し、宮司は辞任に追い込まれた。当日は職員10名が参加していた。

そこから始まった、ということですか。「週刊ポスト」(10月12・19日号)に、記事は掲載されました。報道の三日後に小堀氏は、皇室の祭祀をつかさどる掌典職に直接謝罪、退任の意向を伝えた、と。

十月の末の辞任です。常識的な「一か月前に辞任の届を」、ではない、即刻の辞任でした。ルビをふるなら「クビ」でしょうか。

小堀前宮司さまの「手記」には、昭和天皇の、昭和五十年以降のご親拝の無くなったことについて、また、今上天皇もそれに続いておられることへの思いが記されています。広い範囲での考察がなされている感じを受けます。

それは、先に置いておいて。ここでは、勝手ながら、前宮司さまが発言されるに至った空気について、読ませていただきます。

長いので、要点を箇条書きにさせてもらいます。

・(今年)三月の着任後、靖国神社で目のあたりにした、惨憺たる状況に対する危機感。

・職員さんたち、あまりにものんびりで、問題意識を持っていないことに愕然。

・一刻も早く職員の意識を変えなくてはと焦った。

・着任したばかりの頃、今上陛下が即位以来お越しでないことをどう考えているかと、神社のナンバー2である権宮司に意見を求めると

・「春と秋の例大祭に勅使が派遣されているから、別によいではないですか」と、評論家のような答えがかえった。

・お仕えする職員の意識がこれでは「神さまに申し訳ないと思いました」

・さらに驚いたこと。幹部会で、ある部長が茨城県の五穀豊穣のお祭りに出張してきたと報告してきたので、ふと気になり「五穀とは何と何かな」と尋ねた。彼は

・「米・・」と答え、しばし考えて「野菜」と続けた。横にいた別の部長にも聞いた、「家に帰って調べます」と慌てていた。「古事記」も「日本書紀」もきちんとよんでいないのではないかと不安になった。

・そう思って立ち上げたのが、6月20日の第一回会合だった。そこで

・「靖国神社祭神祭日暦略(さいじんさいにちれきりゃく・昭和七年刊)を更新することを提案。この「暦略」は、靖国神社でお祀りしている祭神の名前を日付ごとに記した書籍。

・毎朝のお祈りである朝御饌(あさみけ)の祝詞は、この「暦略」を元にその日に亡くなった祭神を読み上げます。ところがこの「略暦」は昭和七年に発刊されて以降更新されていないのです。

・つまり「暦略」に掲載されていない支那事変(約十九万柱)と大東亜戦争(約二百十三万柱)の御祭神は「もろもろのみこと」で済まされ、永遠に名前が読み上げられることがないということ。


・これを看過するかどうかは神主としての誠実さが問われる問題。

・現在、靖国神社でお祀りしている神霊の94%は先の戦争で命を落とされた方。幸い、昭和7年以降に祀られたご祭神もデジタルデータとして保管され,更新に手間はかからない。新しい「暦略」ができれば、支那事変、大東亜戦争の御祭神も読み上げられる。と話した。

。そのとき職員のほとんどは無反応。着任して三か月程度の宮司に何がわかるのだ、という気持ちもあったのでしょう。

・思わず「94%の祭神を『もろもろ』で済まして君らは何とも思わないのか。俺は俺のおじさんがそんな扱いになっていることも含めて許せん」と怒った。


・提案には二人が反対し「実は名前の表記ミスなどで重複して登録されている人がいる。二百四十六万人分チェックするのは不可能です」と発言。たしかに大変でしょう。しかし先の二つの戦争でお亡くなりになった方々を毎日読み上げる習慣を作ることが大事だと、すんなりわかってもらえない。

その直後、ある職員が富田メモについて「もしそれが本当の昭和天皇の発言だったらどうするんだ、ということで私は真剣に考えましてですね」と意見を述べ始めた。富田メモとは、昭和天皇がA級戦犯者合祀に不快感を示した根拠とされるもの、天皇の肉声を当時の富田朝彦宮内庁長官が記したメモ。・・それで私(小堀宮司)は(ポストで)報じられたとおり次のように言ったのです。

・お前の説教、聞きたくないよ。しょうもない。お前のどこに戦略があんねん。『これ知ってます、私はこれ知ってます』って話ばっかりやないか。どうやって戦うか考えるんがこの仕事やないか。(中略)戦略を考えるのは俺が考える。君らが考えんでいい。


・私の言葉は激しすぎたかもしれませんが、職員の意識を鼓舞し、「このままではダメだぞ、みんな将来のことを真剣に考えて欲しい」と伝えたかったのです。

・単立宗教法人である靖国神社は、神社本庁には人事権、指導権がない。職員は、学校を出てから定年までつとめる人がほとんど。神社本庁が定める神職の身分制度も適用されず、不動産や駐車場の賃貸収入をはじめ資産運用などもあり、財政的には恵まれている。

・そういったことも影響して靖国神社が「ガラパゴス化」しているように思えた。恵まれているけど緊張感が失われている。祝詞も戦前のものをそのまま使っている。それが、現在神社本庁が半世紀以上にわたり積み上げてきた研究成果を勉強した上での選択ならばいいのですが、特に考えもないまま使っている。

・天皇のご親拝やA級戦犯の合祀などについて自分たちで考える意識が低下しているのも、こういったガラパゴス的な環境が影響しているように思われます。こういった微妙な問題を検討するのに、外部の有識者にほとんど頼りきってきたこともいいことではありませんでした。


・私は、こうした危機を何とかしたいと思い、いくつかかつてない試みをしてみることにしました。


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以上、まだ続きますが、今日はここまでとさせていただきます。

ここまで読む限り、果てしなく続くぬるま湯の中に、激しい風雨はつまりよそ事、平和に暮らして来た靖国の職員さんがたにとり、小堀宮司さんは、めんどくさく鬱陶しい新参のお方、だったのか、と思われます。あの神社さんばっかりじゃないよね、こういうの、とも。

「神さまに申し訳ない」このお言葉に、どう感じるか。波風たてて欲しくないどこぞやの方は、など、つい、思ってしまいはました。

次回でこの項は終わります。

静かなラップ

奈良の家へ帰って、残していた写真アルバムを大量に持ち帰りました。ムスメに渡したいのが第一目的。これも断捨離。

自分の写真も懐かしい。若い。年と共に笑顔が自然になっていっているみたいな、過去のワタシ。

孫息子が、YOUTUBEに歌、アップした、と言うので、聞いてみました。

柔らかい声。何というかフシギな、静かな、なめらかなラップです。可愛い孫であっても、人さまに聞いてもらうわけには行かない、と感じたら黙っていようと思ったのですが、私はこの声、好きだなと感じたので。

「youtube goodbye today」と検索したら出て来ます。ザキオ、と名乗っているそうです。よろしければ一度、聞いてやってください。

明日はゆっくり、宮司さまの記事に向き合いたいと願っています。



霜月の「みんなのうた」

雲間より洩れこぼれる太陽の光が、なにゆえか自信なさげな弱弱しい風情。

風は、張りの無い空を、ぴゅうぴゅうとただ渡っております。

海は凪いでいます。凪いで、しらじらしい海です。

でも太陽は。だけど太陽は、今日は弱弱しくとも。明日もいささか厭世的な太陽であっても。

この星が生まれてからずっと。いつも頭上には、太陽があった。消えたことは無かった。

幾日ぶりに、そんな思いで、太陽のある方を、眺めました。

十一月も、おうたの呼びかけに応えて下さり、ありがとうございました。


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     ゴネコ の詠める

あれはなにこれはどうしてさす指の先にはついぞ気づかぬ日常


     白萩 の詠める

・電線に燕ずらりと並び居て南へ帰る時は来たれり

・冷えた手を擦る朝路地 木犀の香は薄く濃く流れ来たれり

・電灯の無き駐輪場暗けれどぽっかり浮かぶ月に助けらる

・肩並べ月を眺むる夜は良し 酒と肴のあるは尚良し

・ビールからハイボール経て焼酎へ その辺でもう今日はやめたら?

・車窓から見ゆる山々色付きて温き緑茶の沁む季節かな


     KUON の詠める

・白粥のその真ん中にひとつぶの梅干を置く朝さびしさに

・かえらないあの日もあのコもクリームソーダ溶けてメロンの色もぼやけて

・いい人になってるポール ポールだからいいと騒いでいるのか さみしい


・けふ母の誕生日なり気のつきて海老煎餅とコーヒー供ふ

・百四歳 今し在らばと想ふには歳あまりにも隔てられしも

・末子われをのみ庇ひしと母を云ふ姉らは逝きて十余年の今も

・父の有る暮らしを知らぬ末子ゆゑ気持ち傾くと一度洩らしぬ

・母の疎む養母と知れど毎日を養母を恃みてわれは暮らして

・十二歳の吾を手放しし母に向くる思ひは一筋ならず されども

・会社倒産子の離婚孫を奪はるる日々に母にはおろそかなりき

・見舞ひなば幼なの顔して病友にムスメですよとその度に母

・逝かしめて足りずありしの悔いのみの残れる母は許したまへど

・魂の抜けし刹那か眠りゐし我に瞬時に来たまひし母

・母はわれを許したまへり魂となりて飛び来て判らせたまひぬ

   (追想)

・わが母の育ちし村の夕映えの山に向かひてブランコをこぐ

・小さかる母の肩の辺かばひゆく比叡をろしの吹き来る町を

・女学校は琵琶湖畔より通ひしと言ふとき母は女学生たり

・ある年は旅もしたりき吾が母と天城隧道に写真も撮りき

・あんなにも働きし右手小さく固く縮かむ撫でつつ堪えてゐたり

・自が手にて縫ひし用意の装束のぶかぶかなりしがまとひて逝きぬ

・新婚の父母の写し絵この夫婦五十年経て再会をせし


     まめはな の詠める

・電話鳴れば取ろうと階段駆け上がる我が脚強し頼もしきかな

・歩いても歩いても大樹遠くにありて梢の空のはや暮れ始む

・色既に濃きが愛(かな)しき落ちなすびへたよりわずかに実ののり出せり


     かりそめ の詠める

   <師逝く>

*息せねば柩の小窓のくもらざる厳しきことももう言はぬ口

*かの師ならなんと言ふかとふと思ふすでに亡きこと瞬時忘れて

*男(おのこ)なれど木五倍子(きぶし)の花を愛したる師は逝きたまふとある秋の日


*海望む珈琲店のテーブルにまつ紅な帯のまつ白な本

*響くのはインドの子らの遊ぶ声日本の子らはいづこにをるや

*団栗を踏めば汽笛の鳴りはじむ東京湾は見えねど近し

*明き灯の浮き灯台の上下せり昼は鴎のよき休憩所

     <怒りやらなさけなさやら>

*専用機飛ばして慰問今上の金一封は一体いくら


     ハシビロコウ・うな の詠める

・老い母に何や旨きもの食わせたし十五の春にも願いたること

・風寒し母を想いて切なきは十五のままの力無きわれ


     おてもやん の詠める

〇一つ身に龍の刺繍の陣羽織ひいばあばぁの着付けよろしく

〇玉砂利を草履で歩く後ろから撮影用の陣笠持ち行く

〇陣笠と九州男児の太い眉口元凛々しく三歳参り

〇千歳飴もらってすぐに中身開けカラの袋でポーズとる也


     黒猫アビ の詠める

 ・靖国の眠る御霊に頭(こうべ)さげ
  国の未来を互みに祈る

 ・夫が行く被災地の旅 東北へ
  土産話を楽しみに待つ


     アルジェリマン の詠める

イヌタデのマゼンタ色の褪める日は刈田の匂い乾き薄れる

白蛇か一反木綿か 異世界の怪しに見ゆるタバコの煙

黒犬は大きななりで強面でタバコの煙が何より怖い

怖がりの黒犬と行く夜散歩 刈田の匂い甘くかんばし

犬連れの足音楽し夜の道 月の光は届かぬけれど


     ひらりんこ の詠める

にこやかに おもねる言葉吐きながら
死を願っても 罪とは思わぬ


     パール の詠める

⭐廃校をボクの家(うち)さと言いたげな
 金木犀の香りするネコ

⭐義父(ちち)の家テレビの音が外に漏る
 「人生楽ありゃ苦もあるさ♪」と

⭐痛み増し「生きるのは苦ね」と肩落とす
 背中擦りて母よ笑って

⭐カラフルな衣装まとって賑やかに
 歌い踊るよナポリの葬列
       <ヨーロッパの思い出>

⭐黄昏は想いに蓋をしなければ
 心が戻る過去へ過去へと


★平成が最後最後と喧しい
 何処かの店の閉店セールか

★400メートル歩いただけで褒めまくり
 こーごーだもの当たり前だわ <次代のM>


     こぶ の詠める

ザギトワにため息をつく娘見て
明日のおべんとどうするのと言う


     温泉郷 の詠める

「いただいてください」なんてへりくだり食べよと言うか「めしあがれ」でしょ

消費税日本人には一割で外人客が免税だとは

みかん狩り田舎の山で楽しむもこんなとこまで中国人が


     たまき の詠める

海深く
潜水艦は
沈みゆく
ため息のような
あぶくを残し

言い足りぬ
言葉があった
気がしたの
あの角曲がる
あの肩ごしに


     わすれんぼ の詠める

白き花の紅染まりゆくうつろいを飽かず眺むる長月の午後

愛犬は我が家に愛を振りまきて 笑顔もたらす天使のごとく  

よく知らぬペットショップに足運び君を見つけたあの午後のこと

母犬に甘えし日々を突然に奪われそして我が家に来たり

寒き夜に夜具かけ直せばよろこびてはしゃいでしばし眠らぬ君は


一日中肺炎ワクチンせよというCM流るうざくも怪し

ワクチンは利権の山と聞き及ぶ日本はそれの従順な鴨

完璧な結婚の次第示したり高円母子お見事なこと

食品のサイズ小さくなりてなお 値上げ続きて暮らし苦しく


明日の事分からぬは常というけれど何やら信じこれまで来しを

何かしら落ち着かぬ日々膨らめる漠たる不安こころ覆いて


来月もまた、ここで、お会いしましょう、ね。

ヂゴクはこれから。かも。

おはようございます。

昨日は、とても悲しいというか、いいかげんにして下さい、な出来事がありましたので、美味しい揚げパン記事、あげてしまいました。ちょっと楽しかった、ので、その出来事はもう、忘れられそうなので、忘れる、捨てることにします。ぽい。はい完了。

簡単でないのは、ロールスロイスという車を、2回ほど乗って・・・今上夫婦と、息子夫婦・・・しまっておいて、来年ナルの大事な行事に使えなくなっているとて、国産の新車買うとか、の、愚行。思えば愚行ばかりの皇室の平成、平成がおわるやら騒いでいる現在、愚行の二乗三乗になる、なっております。

細かいことはもう書きたくも無いが、ロールスロイス社、怒りますね、もう使えないなんて。美しくて頑丈そうな車です。見たことと、指先でチョ、と触ったことは、あります。使い捨てできるような、していいような車でない、くらいは、わかりそうなもんじゃろが...

失礼だと怒るよね、無礼者、手打ちじゃ、と、怒りますよね。すでにムズムズ、始まっているとか。当たり前です、私は日本人ですが、ロールスロイスの会社さん、どうぞお怒りになって下さい、存分に、めっちゃ怒って下さいな。

新しいクルマ欲しいの、ナルちゃんか、おたあさまか。皇太子のヒになるのに、妻は新車ではなかった(まああ、お下品なKUON、一度ずけっと言って見たかったのですわ,おほほ、セクハラかしら)ナルちゃん、新てんのーになるんだから、車買って、いいの買って、とか。何回乗るつもりかしら。

天皇夫婦は、時々陛下が運転もされる、ずっと使っている車を大切に乗って、とか。ずいぶん昔は喧伝されておりました。最近はずっと、芝居見に行くにも前後に十台も余も黒ピカの車くっついて。日帰りに北海道へ行ってあげるには、それだけで一千万円も二千万円も費用の掛かる、専用機という名の巨大な飛行機飛ばして。

パレード仕様の国産車、一回買って、次、いつ乗るの、誰が乗るの。またしまいこんでおいて、使えなくなりました~ってかしら?。ヒトのお金だもの、じゃぶじゃぶ使いに遠慮はなさらないのね。当たり前よね、平成最後だもの、残ってるお金(かどうか)使ってしまわないとね、かしら。

細かくは書きません,これだけ。パレードなんかせんでいい、と思います。その前の行事も、後の行事も、みーんなしなくていい。お金使うな。分をわきまえなさい、どれだけ値打ちがあるのよ、あの、アタマのなか乾いたヘチマの夫、脳みそ乾いてるからって、お下の方、潤ってくるって、それ、違いますから。&、それ以上の急性突発性爆発的爆笑癖まで顕れた女房。いずれにしても親子二代夫婦そろって、神道にはもう何の関係もないでしょ、神さまのこともしないんでしょ、そんなウスラに何のあるやら、レーゾン・デートル。

雅子の父親が、何やらうごめいていると言うが…腐れ爺。はっきり書かせて、皇室の乗っ取り間近と、ゾンビが靴履いて講演しゆうか。

ナルの母親、こちらは「腐れ」ではない、内も外側も乾燥しすぎて腐敗できなさそう、強いて言えば、邪眼の自愛ババ。徘徊過多症、自愛抑制不能症、お転びになればよろしいのに。脚一本でよろしいのに。晩年、イジワルの限りを尽くされた、ご夫君のお母さまが、教えて下さいますかもよ、豪壮な御所内の夢に、お現われにおなりあそばして。

「あなたにもお判りあそばしたかしら」

上こーごーなんぞと違い、多くは仰いませんでしょう、されどされど。上こーごーはお悟りになられますやら如何やら。

ご自分のなさって来たことごとが、御身に帰ると。ヂゴクは、自由の奪われてからのものであると。



ギョニソのお話。

今でも好きだわ、ギョニー。

魚肉ソーセージです。お魚の肉(実?)が、実(じつ)はどんだけ入ってるか、そういうことはまあ。たんぱく質含有量、とか。今は気にしないで先へ行きます。昔からあるメーカーのやつが美味しいです。何かで読んだのですが、今もほとんど手作業に近く作られている「ギョニー」があるとか。

そのままでも食べられる、でも、ギョニー(昨日ほうもんしたブログの主さまが、こうネーミングされていて、笑った、笑った))の美味しさは、油とマッチングされたときに発揮されるのです。

愛してやまない漫画家・西原理恵子。時に激しく下品ではあるが、ほぼすべて、全部、読んでおります。天才やわ。その西原が、愛おしそうに描いていた、子どもの頃のギョニーの思ひ出。

安いピンク色のその魚肉ソーセージを、薄くうすーく切ります。お母さんが、前に使って缶の中にしまっておいた食用油を、多めにフライパンに注ぎ入れ、熱し、小学生のサイバラは、頃やよし、とばかりソーセージを降らして行く。菜箸で(かどうかは知りませんが)、カリッツカリになるまで炒める。

どんなに美味しかったか。一度ならず、ギョニソへの愛を、語っていました、サイバラ。

東海林さだお大先生も書いておられます。小学生の頃に疎開を経験しておられる、この方も天才。大天才。

東京の大学生になって(早稲田の露文(笑))、下宿生活を続けて。キャベツをいためたり玉ねぎを炒めたりサバ缶(当時は非常に安価な食べ物であった)をおかずにしたり。時々、何かの拍子に少しだけフトコロに余裕があると、近所の定食屋で「レバニラ炒め定食」にありついた。ありつけた。大切に食べた。「頼むぞ」と言い聞かせながら食べた、食後、当分ダイジョブ、な気分になったと。

レバニラにまで到達できない日には「ソーセージ定食」を。魚肉ソーセージを、斜めに切っただけのもの、千切りキャベツと共に。どう見ても、ひとり分、一本には満たなかったと。マヨネーズかけて。これも美味であったと。

そして最近、コンビニで売っている食べ物漫画の本で、「しーちゃんのごちそう」なる漫画にハマる仕儀となりました。たかなししずえさんという漫画家の描く「しーちゃん」と、そのご両親や、昭和の時代の房総半島の人々の暮らしや食べ物が、とてもたまらない。

しーちゃんが可愛い、しーちゃんのお父さん、お母さんが、すんばらしい。私は「サザ〇さん」などのホーム漫画を、さして好まない非国民人間なのでありますが、しーちゃんは可愛い、大好き。そのしーちゃんの漫画の中にも、魚肉ソーセージは出現しておりました。

ソーセージといえば魚のすり身のそれ、ピンク色で、赤茶色のビニールに包まれていて、てっぺんは何か金具で絞められていて、そういうソーセージ。の、学校給食に出されていたという、細いタイプ。

しーちゃんのクラスの男の子、いま名前が出て来ません、仮に食べ夫クン、としておきます。

食べ夫は、給食平らげるのがものすごく早い。ががっと食べ終えて、クラスの皆の、食べきれずに残すパン、同じく千切りキャベツ、小さいチーズや、ソーセージ。何でもかでも「これくれ」「これ欲しい」と集めまくる。しーちゃんたち女の子が。食べ夫の正体を知りたくて下校時について行く。家には、幼い弟と妹がいて、兄ちゃんお帰り、と、食べ夫を待ち構えている。そんな弟妹に、食べ夫は、戦利品のソーセージを渡す。貸してみろ、と、てっぺんの金具部分を齧り取って、むきやすくして渡してやる。弟妹はおお喜びで、わーい、と食べる。パンは犬にやり、キャベツは鶏のエサになる。

また持って帰ってやるからな、と、田んぼに仕事に出かけている両親を待つ間、食べ夫は、弟妹の優しい兄ちゃんをしている。

しーちゃんたちは「給食時間、落ち着けないけど食べ夫、いいとこあるじゃん」と納得して、というエピソードでした。

その「ギョニー」が、丸ごと入った揚げパン、の写真を、そのブログで見せていただいて。あああああ、これ食べたあい、と、狂おしくなったわたくし。

油好き人間として生きて来た幾星霜、今も好き、天ぷらもフライも。でも、好きだから、に負けて貪りますと、あと、ミズカラが苦しむ年頃になってしまいました。家では揚げ物しない。残り物多くなるから。換気扇も汚れるから(おいおい)。外で、油の新しいであろうお店で、時々(がっつり)、いただくような暮らしが、沁みついてしまいました。

中にチーズや竹輪やソーセージの仕込まれた揚げパン。なかなか遠い食べものになって・・。イライラさせるのが狙いですかぁ、のフレンチや、目には綺麗だけどチマチマの会席やら茶事の折に出るママゴトみたいな・・あああバレてると思いますが私、めんどくさい食事、楽しめないかわいそーな人なんです。目の前で焼いてくれるステーキとか、イヤ。カウンターで食べるお寿司も楽しめない。ウンチク垂れられるのがイヤ。私を、お願いだから放っておいて、と望むのですわ。まあ、めったにそのごときお食事に接することは無いのですが。

ピロシキが好きで、食べたくて、なかなかコレ、というそれに巡り合えなかった時は悲しかったなあ・・・。

・・・とか、書き始めたら眠れなくなりそうです、とにかく、ギョニソの入った揚げパン、食べたくて食べたくて、だった昨夜。

今日、ありつけました。うふふ。美味しかった。ギョニーの揚げパン、美味しかった。噛めばパリッと羊腸の破れる音のする、そんなソーセージは、この際、邪道なのですわ。ギョニソの揚げパン、美味しかった・・・

夢中で書いてしまいました、今夜。「ジョニーへの伝言」も唄いました。。


前・宮司の重い言葉

前・靖国神社宮司でいらした小堀邦夫氏の「独占手記」から、続けさせていただきます。この色の部分は、誌上に書かれているままの引用です。


情報流出から小堀氏の辞任届提出、実際の辞任まで、信じられないスピードの「事件」のようにも思えました、その関連の手記として、読ませてもらっています。

前回は、靖国神社が、昭和21年に宗教法人となったということ。単立宗教法人であること。つまり、

「もともとは国のため、天皇陛下のために命を落とした人を国がお祀りするための神社です」

という、その神社の、宮司職にあられた方のお言葉です。


「私が「慰霊の旅をすればするほど靖国神社は遠ざかっていく」と発言したのは事実です。

そう、小堀氏は書かれ、陛下の「慰霊の旅の意義を否定するつもりはない、と書かれる。国内のみならずサイパンやペリリュー島、フィリピンまで足を運ばれて頭を下げられる、それは尊い行為である、とも。小堀氏のおじ上のお一人も、ペリリューのあるカロリン諸島から帰国途中に亡くなって水葬されたとも書いておられる。ありがたいという思いはあった、と。

しかし陛下の旅でなさっていることは、あくまでもその悲惨な場所の近くで亡くなった方を偲ぶという行為であり、亡き方々の神霊を祀ることではないと、明記しておられます。

「靖国神社の崇敬者の中にも誤解している方がいて、陛下が行かれて頭を下げられた時には、すべての亡くなった人の神霊はその場所に来ているのではないか、靖国神社のあんな狭いところに神霊がいつまでも閉じ込められているはずがない、という人もいます」

・・・ここを読んでわたしKUONは、驚いたというか、まさか、と。いったいそれは、どういうことなの。みたまさまが、陛下にくっついて行く、とか。靖国で会おう、と征かれて、いのち散らされて靖国へ還られて眠っておられる方々が、陛下と夫人の旅に、ひょろひょろと、ついて行って??  は?

何のために???

「靖国神社のあんな狭いところに神霊がいつまでも閉じ込められているはずがない、という人もいます」

あんな狭いところ、って。閉じ込められているはずがない、って。ない、って。何を基準に考えれば、そういう荒唐無稽な話になるのか。


以下、小堀氏の、ここが大事なところ、と思われる記述が続きます。あまり派手にしたくはないが、文字の色を目立ちやすいものにすることをお許しいただいて、引用させていただきます。

文芸春秋誌2月号、97ページの引用です。

「しかし神道では、そういう考え方はしません。かつての戦地には、遺骨はあっても靖国神社の神霊はそこにもうおられないと考えます。靖国神社を永遠の静宮(しずみや)の常宮(とこみや)としてお鎮まりくださいと毎日祝詞(のりと)で申し上げているのですから、神霊が陛下といっしょに移動することはありえないと思われます。

今上陛下が靖国神社にお参りされないのは、昭和天皇のご意向に倣ってのことと一般的に言われます。皇太子殿下は陛下がなさったことを尊重して、と度々(たびたび)おっしゃっているから来年の即位後もお参りになることはないでしょう。この先、天皇陛下と靖国神社の距離は開く一方です。

そんなにお越しいただきたいのなら、靖国神社はA級戦犯の方々を分祀すればいいではないかという意見もあります」


・・・そして小堀氏は、続けられます。

「しかし靖国神社では、一度集合体として合祀された神霊から、何体かを再度分けるという物理的な変更を加えることはできないと考えられています。合祀祭を経て、靖国神社の御神体である御鏡に神霊が遷る(うつる)と、すべての御祭神と一体となると考えられているからです。

・・神官、神さまを祀ることに正面から携わる人としての、ゆるぎないお言葉と思います。理路整然と、私感は交えておられません。

神を畏れない、どんなこともあくまで人間的な勝手な小手先の力で、どんなことも歪められると強権を発揮してきた、どこやらの妖怪には絶対に理解できない「神道の在り方」ではないか。

重い言葉を読ませてもらっています。

今夜は、短いですが、ここまでとさせていただきます。


元宮司さまの「思い」に。


 ただいま発売中の雑誌です。申し訳ないながら、大して何も分かっていないながら、あれこれ調べたりもしたアタマで感じたことなどを、少し、記して行きたいと思います。

靖国神社の元:宮司、小堀邦夫氏の「独占手記」より。KUONの勝手書き。この文字は宮司さまの書かれている通りの引用です。

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10月28日、秋晴れの青山葬儀所に於ける北白川道久さまの葬儀で手を合わされた。靖国神社の宮司に推薦してくださったのに、自らの発言の責任を取って辞任の決まった身であった、と。申し訳ない気持ちで胸がいっぱいでした、と。

北白川氏は明治天皇のひ孫。以前は伊勢神宮の大宮司を務め、小堀氏は禰宜としてその補佐をしていた。北白川氏の推挙により、今年(2018年)3月に、小堀氏は靖国神社の宮司宮司に就任。が、わずか八か月で辞任することに。

マスコミに漏れた発言は、職員を叱咤するつもりだった。あくまでも神社内の研究会限りのこととして話したものだったが、

「報道された言葉を取り上げたら100%私が悪い」と書いておられる。天皇陛下に対して不敬な言葉遣いだったことは「心から反省しています」と。

今年6月20日に靖国神社の社務所会議室で開かれた教学研究委員会、での発言。当日は職員10名が参加していた。その時の音声が流出して、小堀氏は辞任に追い込まれた流れ。小堀氏は、その10人の誰が、なぜ、とは触れておられない。

報道の三日後、皇居に赴き、皇室の祭祀をつかさどる掌典職に直接謝罪、退任の意向を伝えた、と。


「就任したときから、今上陛下には、ご在位中にご親拝いただきたいと願っていました。ご親拝の実現こそ、靖国神社にとって最も重要な課題だと考えていたのです。

ご承知の通り今上陛下は即位されてから一度もお越しいただいていません。しかし靖国神社は天皇陛下のお社(やしろ)と言っていい存在です。世間ではあまり知られていませんが、今も皇室とのご縁は深いのです。

その証拠に大きなお祭りには、天皇陛下の勅使(勅使)がお供え物を持って来られますし、新たにお祀りする祭神(さいじん)は今も天皇陛下がお認めになっています」


こう、小堀氏は書いておられる。続けます。

「戦後しばらくは厚生省(当時)から送られてくる「霊璽簿(れいじぼ)を作成しましたが、どの方を霊璽簿に入れるか判断する権利はありません。霊璽簿の元になる上奏簿(じょうそうぼ)を掌典職にお渡しし陛下にお認めいただくという手続きが今も昔も変わらず続いています」。

引用していて、難しそうな言葉があったり、すべて全部、引用しないとはじまらないなあと感慨が湧いたりします、後から徐々にわかり易くなる部分もあります、ここから「A級戦犯」と呼ばれるみたまさまについて、移ります。

「靖国神社が独自に祀った祭神は一柱もありません。何かと取りざたされるA級戦犯の方々の合祀も、国から名簿が送られてきたからお祀りしたもので、」

と記されています。ここの後は、当時の宮司が政治問題化することを案じて合祀を先延ばししていたのを、後任の宮司が「ルール通りにやらなければ、逆に靖国神社が批判されると懸念して行った、とも。個々の宮司さんのお名前は明記されていますが、私の浅慮かも、ですが、飛ばしました。

その時の宮司の考えで沈んだり進んだりすることが、やはりあるんだなあ、と感じました。

明治大正昭和の三代において、天皇には37回ご親拝をいただいている、と。昭和天皇も昭和50年まではご親拝された、当時皇太子だった今上も、夫人連れで参った、と書かれています(この通りの言葉づかいではありません)。

創建50年の節目には大正天皇が。100年目には昭和天皇がお参りされている、

「来年はちょうど創建150年にあたるとともに平成は4月末で終わります」。

このあたりも、小堀氏の胸をざわつかせていたのでは・・無礼不遜を承知の感想です。

そもそも靖国神社は、明治2年に明治天皇の思し召しにより「東京招魂社(とうきょうしょうこんしゃ)として創建された神社。戦前は天皇が大元帥でいらした陸・海軍の共同管理課にあり、天皇=国家の時代のお社だった。

宗教法人になったのは昭和21年。敗戦の翌年のこと。

国が造ったお社であるため戦後しばらくは国家護持に戻ることが期待され、神社本庁には入らず単立宗教法人として存続して来た。
神社本庁には入らず、だったのですね。

「この成り立ちからわかるように、もともとは国のため、天皇陛下のために命を落とした人を国がお祀りするための神社です。

祭神となられた方は、誰も天寿を全うしていません。どの方も死に際には、叫び、わめき、嘆き、あるいは一瞬で亡くなっている。どれだけ恨みを呑んで亡くなられたかわからない。だから祟ることがないように、どうか永遠のお宮として靖国神社に安らかにお鎮まりくださいとお祭りを続けてきました。二百四十六万六千七百七十柱(平成29年度)の神霊は、勅使の派遣に感謝こそすれ、やはり陛下のお参りをお迎えしたいはずです。

それなのに天皇陛下はさまざまな事情からお越しになれない。その事情は私もよく承知しているつもりですが、この不自然な状況を続けるのはよくないと考えていました。陛下には在位中に少なくとも一回は来てくださらないとおかしいではないかという思いがずっと胸を去りませんでした。


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今日はここまでとさせていただきます。
,
今日の記事の終盤辺り、書かれていることをそのまま引かせてもらったのですが、この方の、祀られておられる「祭神」さま・・天皇の国家によって召集され、尊いいのちを捧げられた無辜の人々への思いが、とても生々しいのに驚く気持ちがありました。

喜んで死んでいったのではないよね、の思いの深さが、意外でした・・おかしな言い方ですが。元宮司さまの「思い」に、感動しました。あの神社には、このようなお方ばかりではないようで。

すぐに書けるかどうか、次に、小見出しとして「戦地には神霊はおられない」のところから、触れさせていただきます。本当に本当にその通りと思う、宮司さまは、今上が、公務の「積み上げ」をして来られたとは、記しておられるながら・・

皆さまからいただいた「拍手」。そこに込められた思いを、届けられるところに、届けさせてもらいます。

ありがとうございました。

数字の用い方がバラバラですね、後で治します、ご容赦をお願い申し上げます。






昨日へのお礼と。

昨日は「拍手をください」などと、厚かましいお願いをしてしまいまして。

いささかの事情のあったとはいえ、このごときおねだりしたのは初めてのこと、そのKUONにお応えいただき、たくさんの「拍手」下さって、びっくりして感激しております。嬉しかったなあ、みなさまお優しいなあ・・図々しいお願いですのに。恥ずかしいことですよね、こういうの。

せっかくこのようなことになったのですから、正直にこのまま、出版社の方へお知らせしたくなりました。こんなに大勢の方々が、元宮司さまのことに関心を持っておられるということですよね、わたしも微力ではありますが、御記事を参考に、お伝えできることはお伝えしたい所存です、一度きりの事ならず、この先もこのことを追い続けていただきたいです、と。

言葉を添えて、送らせていただこうと考えております。

ありがとうございました。続きも、丁寧に書かせてもらいます。

そして。

宣伝する気はぜんぜんありませんが、この号には

門外不出の「内廷費」資料を発見

昭和天皇の極秘「家計簿」


なる記事もあります。とっても面白いです。これは、見出しによれば「聖域が記された文書」で「妻や娘へのお小遣い」などという内容もある。まだ詳しく読んでいないながら、ワタシの中には、昭和天皇とイマの皇室の違いが、あれこれ感じられるのではないかしら、の思いが、フツフツと。

昭和の天皇さまは、ご自身は底のすり減ったスリッパをお履きになり、コートなどは上質なものを十年単位で長くお使いだったとか。

贈答の習慣のあれこれにも触れられていて、「これらは古い京都の生活によく似ていて、やはり天皇は京都から出てきたのだとあらためて彷彿させる」など書かれている。時代が変わっても天皇家の日常生活の根本は変わらないのだろう、と結ばれています。

結びには私は、いいや、違う、と感じました。美智子さんの入った時から、あのお家は変化した。昭和天皇さまの時代とは、すべて変わった、自分たちファーストになり下がった、と、感じているので、です。絶対やで、これは。

この記事については、触れるには時間が足りない気もしておりますが・・・。


・・・詠草はただいま受付中です、他に頂いているコメントへのお返事は、明日、ゆっくりと書かせていただきたいです。


前宮司の「思い」

月刊の「文芸春秋」を読んでいる。分厚くて、内容も盛りだくさんで、ときどき買ってもすべて読み切ったことは無い・・・ごめんなさい、作っておられる方々。

この十二月号の表紙には「前宮司独占手記」 「靖国神社の危機」の文字が。赤い色で。

こういうものは出ると確信していた、どこがどう取り上げるか、とも。

いま、合間合間に読んでおります。かいつまんで書いたりできない重い内容が、ずっしり。一度ですら~っとは読めないです。

いちばん最後のところだけ、引用させていただきます。その他は、また、いずれ。

 「靖国神社に関して根本的な問題は、結局のところ悲しい生涯を送った御祭神を国や天皇陛下がどう扱うかということなのです。陛下には一度でいいから、せめてお近くにお越しいただき、二百四十六万余柱の方たちにおことばをかけてくださったらと切に切に思うのです。」
                          文芸春秋12月号   小堀邦夫前宮司 独占手記より


・・・・・早速お読み下さり、拍手を下さった皆様にお詫びします。

この記事の位置を変えました。

厚かましいですが、ご理解をいただき、もう一度「拍手」下さい、と、お願い申し上げます。‥冷や汗・・・。

霜月の「みんなのうた」レッツ・うた詠み

十一月、霜月の「みんなのうた」お寄せ下さい。

基本は五七五七七の定型短歌。いささかの字足らず字余りは、それはそれ。

お一人何度でも幾首でも、コメント欄にお寄せください。ことばの泉は汲まねば枯れる、です。もったいないです。まるで形になっていなくても、思い溢れて書かれたものなら、よろこんでお受けいたします。

19日、月曜日の夜まで。今月は長期戦です(笑)。

野望もまだある

凄まじかった台風の日に風の圧力で左手首を傷めた。

夏の終わりにバゲットを齧っていて突然、歯が折れた。ドンクのビゴさんの訃報を聞いて数日後、たまたま通りかかったのでバゲットを買い、家でハムとレタスをがっさりはさんで、美味しいなあと喜んで食べていた矢先だった。

は?。 何が起きた? 右の上の糸切り歯・・犬歯が、グギっと上向いてしまったような衝撃。

無理やり予約を入れてもらって、通りすがりに見ていた歯医者へ飛んで行ったら、

「折れてますね、虫歯になっていたところから、ボキっと」

治療の後、折れた歯を持って帰るかと聞かれたが、イイエ、と答えた。

現在の住まいには、長年食を共にして来た犬歯を、葬ってやるべき一すくいの土も無い。

以後、他の手入れもこの際、と考えて歯科医通いを続けている。

11月初めに、今度は下の左の犬歯の隣の歯が折れた(折れたと思った)。骨付きの肉をかぶっていた時だった。

かぶせていた歯が、割れて、欠けた。欠けたから舌に引っかかって痛い。名古屋行きを控えていたし、名古屋のエビフリャアや味噌カツを食べられないのは辛い。歯科の先生に泣きついて、痛くないようにとりあえず、してもらった。

骨が折れたり歯が折れたり、気持ちは若いがカラダはそれなりにダメージを受けやすくなっているのだな。

今日も歯医者へ行って来た。左下の欠けた歯を、どうしたいですかと医師が聞く。白いのがいいです、笑うと見えるところだもん。言うと、セラミックだと10万円、と仰る。実は、あまりリアルにここに書きたくない歯科事情がありまして・・入れ歯の話なんか細かく書きたくないものね・・あれこれ工事が必要、その一本に、10万円は、支払い難い。

で、白くてそんなに高くない歯を、保険でしてもらうことになった。やれやれ。

奈良で長くかかっていたジイちゃん先生は、生涯一歯科医という感じの立派な先生だった。仕出しの昼食を注文しておられたが、何人かの衛生士さん他の方々より、200円足すから内容を豊かにして欲しいと頼んで。一番大きく品数豊富な弁当を食べておられた。八十歳は超えておられたと思う。ある日、電話がかかって、次の予約は無しにして下さい、と。先生が倒れられて入院、ご家族はこれを機に、医院を閉じようと決められたそうで、と、長年お世話になった受付の女性からの電話だった。

お見舞いも叶わなかった、それからほどなく私にも、家移りを決断することが起きて、それきりになって。少し落ち着いてから見に行った医院は、取り壊されて更地になっていた、それだけしかわからない。あえて判ろうとしないことにした。感謝だけしていよう、と。

・・・左手首は、使えるように使い続けて、パソコンも打ち続けて来たが、なんとか元通りの感じになってくれた。ダンっと手を突いたり力を入れたり重いものを持つのは避けながら、暮らしている。慣れた。

歯は、あれこれしてもらって、何とかなるだろう。骨付きの肉をギャートルズみたいにかじるなどは、控えた方がいいのかもしれないな、とは考える。甘い柔らかいパンより、塩分の絶妙なハードなタイプのパンが好きだが、バゲットは,こころして食べるべきなのか。

若い頃から歯は丈夫で、雑に使って来た気がする。

骨は年齢並みになっているということか。いや。あの台風の風は異常だった。

歯は・・今は、すごい技術でもって、なんとかしてくれる・・今年中に全部、きれいになるみたい・・。

多少は気を遣って大切に思いながら、できたらいつか、今度は、X ジャパンのステージを観に行きたいなあ、と、野望を抱いている。


まさこだのコムロだのの件については。まっとうな、アレらにふさわしい終焉の訪れるように、との、野望でなく、熱望を抱いている。





花火

ハーバーの沖で、花火がたくさん、打ち上げられました。

夏。台風21号の影響で、延期になった花火大会。

もう真っ暗になった沖に、はじめの一つが昇って行って、弾けて、どどーんと鳴った。次々に花火は上がり、私は、人びとが群れているところから少し離れて、眺めていました。

これも真っ暗な空に、くっきりとした三日月。受け月といっていいのか。カナリア色の、シャープな月です。いきなりの花火に、驚いた風でもなく、澄まして空にひっかかっている。

このごろ味を覚えて飲むようになった、アルコール・フリーの缶ビール。一缶だけ持ち出して、花火を見ながら、ゆっくり飲みました。

アルコールゼロの筈なのに、ふわっと、酔いに似た感覚が来る。

しゅううっと昇って行っては、開いて、にじんで、散る花火、飽きず見上げて、一缶あけて、ゆっくり戻って来ました。

家へ帰って、処分できないで残してある本を、手に取って。

1988年の12月に第一刷の本、ページは茶色く焼けてしまっています。

「ニューヨーク恋物語」著者は鎌田敏夫。シナリオ形式の本です。

テレビのドラマになっていました、大好きなドラマでした、何度も観なおしました。

田村正和や真田広之、岸本佳代子や桜田淳子が出ていました。

しゃれたドラマでした。無駄な説明の無いセリフが、すてきでした。男や女の素直になれない気持ちや、揺らぎや、切なさや強がりや悲しさが、溢れかえっているドラマでした。

独立記念日の、花火大会の場面がありました。マンハッタンの空に砕ける花火。空も海も川も、花火に埋まって。そんなシーン。

男は気まぐれのようにキスをして、女は、雷に打たれたように・・人生の変わるキスだったのです。

ラストシーンの忘れがたいドラマなのです、「アマポーラ」の甘い曲が、たっぷりと流れていた。田村正和のキザが、ぴかぴかに光り輝いて場面にはまっていた、嘘でもホントでも・・何がウソなのかホントなのかなんてどうでもいい、とにかく体当たりでぶつかって転んで起き上がって、元の、周囲の目が気になる女に戻っていた岸本佳代子のリアルさが、笑えるくらいいじらしかった、そんなラストシーンが、未だに忘れられず。

季節はずれの晩秋の花火大会に、感傷的になりたがっていた気持ちが、ざわざわとざわめいたひと時でした。

もう、打ち上げは終わった頃でしょうか。


・・…コメントへのお返事は、明日、ゆっくりとさせていただきたいです。



ポールの夜

ポール・マッカートニー・76歳、37曲、唄いきりました。

まだアタマの中というか、気持ちの中を、整理していなくて、ただ、よかったなあ、凄かったなあ、ポール。そのままの感じです。

基本、どこへ行くにも何をするにも、カメラも持たず事前の調べなどもほとんどせず、エラそーに言えば、そこへ行って、見て聴いて、何か感じるままにする。今回もそうでした。

離れてはいるが正面から見える席。でもポールは、遠くて、とても小さかった。でも、現れた、とわかったら、胸がドキドキして、涙が出ました。

ずううっと追っていたのではない。初めて聴いて、脳内に雷を受け止めて、ラジオだけを頼りに一途にビートルズの歌を聴きたかった中学生だった自分はホントだった、毎晩、ビートルズを聴いた。歌詞を何度も書き写して英語を覚えて行った、「スクリーン」という映画雑誌を買うようになって、あの髪型や裾丈の短い栗色のスーツや、さまざまな話題に触れた、ポールは、まつ毛のくるりとカールした可愛い顔立ちで。

映画ができれば映画館へ行った。ナイショでヒミツで、罪を犯しているように、行った。

高校で寮生活になって、ひたすら「ジョン」の子がいて、ジョージにあらずんばヒトにあらず、の子がいて、私は自分を「星倫子」と名乗ることにし、つまり、リンゴのファンであることを公言した。実はポールの声が好きで、ほぼすべての曲を彼が書いているって、とんでもない才能だと畏怖し、しかしそれより、眉毛がいいなあと・・。みな、ビートルズが好きでした。そして私は、ジュリーの方を見るようになりました。朝はGSが一組だけ出る番組を見て学寮を走り出、夜の自由時間はラジオでビートルズを聴いた。私は小説家になって、自分で自分を養ってやることを決めていました。

一人暮らしの時期は、ビートルズも聴いたが、J・ジョプリンやクリームやグランドファンクや岡林信康も聴いた。浅川マキのコンサートによく出かけて行った。

ジュリーの世界へ戻った。

幼い子らを育てていたある日、ジョン・レノンの死が訪れた。



隣の席のオニイサンが(見知らぬお人が)、めがねをずらして懸命に舞台の上のポールを見ようとしている私に、オペラグラスを貸してくれようとした。ありがとうと私は借りた。関りができて、話をしなきゃならなくなるとイヤだな、と、勝手な思いを浮かべながら、借りて、見た。ポールは、髪の色も長さも服装も、何もかもが自然で普通で、ギターを抱いてまっすぐに、立っていた。

グラスを返して私は、もう一度ありがとうを言い、オニイサンは、いいえと笑って、以後ずっと、舞台の上を見つめていた。

ハード・デイズ・ナイトから始まり、次々に休みなく舞台は進行して行った、ポールは、エレキギターをガンガン鳴らし、ピアノをバンバン弾いた。左利きの彼はアコースティックギターを抒情的に操り、ジョージが好きだったのだと言って、ウクレレを弾いた。ウクレレで「サムシング」を鳴らし始め、途中でギターに変わっていた。あれ、と思ったが、もうわたし、前だけを見ていた。

ホーン・セッションというらしい、トランペットが何台も並んで、ぶわんぶゎん吹いた。ポールは、歌い、楽器をとっかえひっかえで鳴らし、日本語を操りだして、パワフルだった。とてもパワフル。

ありがとう、最高だ、愛してる、大好き、いっしょけんめい日本語の言葉を出していた。新曲の紹介をするとて、

「ツギハ シンキョクダガヤ」名古屋弁をあやつって見せた、皆は笑ったが、私はまた涙が出た。演出だろうが何だろうが。

始めのうちはよく出ていた声が、時のたつにつれ、変化して行っていた。声のかすれるポールも、今のポールだと思った。

聴衆のなかには、若い人も沢山だっただろうが、私の周囲のほとんどは、十代の頃にビートルズを知って、以後ずっと、の方も、長く遠ざかっていて、この機会に、かつて見ることもできなかった夢、のような感じで、チケットを手にしました、みたいな方が多かった。中年というより、もっと先。少しきょろきょろしてみたら、そういった方々、かつての少女、少年たちが、アタマ振ったり手を叩いたり、もうまっすぐに正面見つめて口を動かしていたり・・で、「ヘイ・ジュード」、ダーダーダーダダダッダー、ダダダッダー。ヘイジュー、と、声を出して、歌ったのだ。私と隣のオニイサンも、歌った。オニイサンは初めは躊躇していたようだが、どんどん声が大きくなっていった。

聴衆は多くても、大人しくて。おとなしくても、万感の思いで黙って座っていた人が多かろう。

私のことを言えば、お古のトランジスタ・ラジオで、それを耳にくっつけるように聴いていた十代の日、まさか、ビートルズのコンサートに行く日が来る、とは、考えようも無かった。

ビートルズなんか聴くのは不良。奈良の小さな町で、養父の、だだっ広くて、広いのに自分の居場所は無い気のしきりにしていた家で、暮らしていて、「ビートルズなんか好きなのは不良」、そんな決めつけを、内心めらめらと、表向きは知らん顔して受け入れて。

自由って何だろう、何の事なんだろう。そんな風に思いを馳せるように、なり始めた自分、は、まさか、五十数年の歳月の後に、そのメンバーの一人のコンサートに、行くことになるなんて。

夢にもみられないでいたのだったし。

脈絡なく書いてしまいました。

ポールは、誠実なひとだと思いました。見当違いな感想かも知れませんが・・76歳のポールは、凄くて、さすがで、あれだけのバックを率いてバックはポールの身に添った演奏をしていて・・ドラムスの、おハゲでおデブで豪快で繊細なおヒトがすてきだった・・聴衆のこころをぐわっと・・いや、言葉が上滑りします、やめます。

ポール・マッカートニーはとても誠実な人で、とても誠実なミュージシャンでした。

何度も「アリガトウ」と言っていました。

ありがとう、と、私も何度も言いました、遠くの、二時間半、休まず舞台に立ち続けた(と見えた)小さな人に向かって。

なんとか生き延びて来て私は、こんなコンサートに来られて、幸せです、ありがとう。日本に来てくれて、精いっぱいの舞台を見せてくれて、ありがとう。長女の夫さんが、チケットプレゼントしてくれたのです。そのことも、最後に書かせておいていただきます。




ビートルズは入り口だった。

明日は朝から仕事を一つ済ませて、名古屋へ行きます。

あさっては、ナゴヤドームへ、元ビートルズのポール・マッカートニーのコンサートに、行きます。

中学生の時、雑音だらけのお古のラディオから聴こえて来た「マイボニー」。おおおおお、これがその、ザ・ビートルズか。名前だけを知っていたのでした。

いろいろな世界への、ビートルズは、入り口だった。


グウルモン

     枯葉
             レミ・ド・グールモン

      Les feuilles mortes :「シモーヌ」 Simone から(壺齋散人訳)


  シモーヌ 森へ行こう 枯葉が落ちて
  コケや石畳や小道を覆っているよ

  シモーヌ 枯葉を踏む音が好きかい?

  枯葉の色はやさしく 音は厳かだ
  地面を覆う はかない漂流者

  シモーヌ 枯葉を踏む音が好きかい?

  枯葉は黄昏の中に物悲しく
  風に吹かれてかすかな叫び声をたてる

  シモーヌ 枯葉を踏む音が好きかい?

  足で踏み砕くと 生き物のように泣く
  それは翼の音か 女の衣擦れの音のようだ

  シモーヌ 枯葉を踏む音が好きかい?

  さあ 僕らもいつかは枯葉のようになる
  さあ もう夜だ 風が枯葉を吹き散らす

  シモーヌ 枯葉を踏む音が好きかい?



         「暴風雨の薔薇」 ルミ・ド・グウルモン

     白き薔薇(さうび)は傷つきぬ、
     荒(すさ)ぶ暴風雨(あらし)の手あらさに、
     されども花の香はましぬ、
     多くも享(う)けし苦の為に。 

 

迷いましたが。



正確でないことは宮内庁が注意して消させるのだから、と、しつこく書いてくるお人がおられる。あんたも黙れ、ということなのか。めんどくさいけど、過去にもあげた記事を、再び引用。残っていました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ある噂について
噂の真相 二〇〇四年 三月号
                      ●レポーター 上原善広

そして、最後に触れておきたいのは、ある部落出身者が皇族に嫁いでいるという 事実だ。皇族と部落が重なっている、まさに日本最大のタブーなので、報道されたことは一度もない。ある関係者からその確証を得て今回、わたしは実地にその部落 を見に行ってきた。 何県かということもここでは控えたい。そこは、今は廃れてしまったが、元は有名な城下町。その人の住んでいた場所の裏にひっそりと、忘れ去られたように白山神社が建っている。その周囲はボロボロのバラック様の建物ばかりで、N ・Aの出身地よ りも田舎だけに、そのみすぼらしさはよく目立つ。もちろん未指定地区になっている。ここの出身者が皇族に嫁いだということで、地区指定を見送られたのだ。そのため、行政による環境改善はほとんど入っていない。かつてMと呼ばれたこの地区は、その昔は湿地帯で住みにくいところだったと、明治以前の記録に残されている。この地域の城跡はここから数キロは離れたところにあるのだが、実際に城があった頃は、この部落の近くまで勢力があった。城の追手門跡は、実にこの部落の至近に設置されている。長吏や牢番を代々担当してきたのは部落民だったため、昔の城の近くには被差別部落が置かれることが多かったのだ。つまり、問題は、皇族ですら、部落民を身内として受け入れているという事実があるということだ。だからこの点に関しては、意外に皇族の方が進歩的といえるのかもしれない。この結婚に関しては、当の皇族本人が強く希望したため、宮内庁をはじめとする周囲も押し切られたとされている。まさに快挙といえる話ではないか。


実話ナックルズ 2004年7月号
J D T      群馬県T部落   文・上原善広

同 和 地 区 指 定 さ れ て い な い 理 由 あ り の T 部 落

群馬県T駅に降り立ったのは午後3時くらいだろうか。私は駅を出ると横を通り 駅舎の裏側に出た。 部落は必ずしも一律全てが悪条件な場所にあるのではない、ということを以前 に書いたが、ここはそれとは正反対。いわゆる今までの偏見どおりの、条件が悪 悪い部落に入るか。 以前の地名は「××町」といい、道端の案内板によると、 昔は湿地帯の中を曲がりくねった道が続いていたので、それで××とつけられたと、道端の案内板は解説している。 ここは非常に説明しにくい部落だが、非常に貴重な部落でもある。なぜなら、ここから女性が一人、皇族に嫁いでいるからである。そもそもこの土地につ いては、ある研究者の方に紹介していただいて知ったのだが、最初は私も半信 半疑であった。しかし今回実地に歩いててみて、それを確信するに至った。

まず、日本有数の企業N社がここから誕生しているのだが、女性はその社長 の娘だった。地元では「粉屋の娘」と呼ばれていたという。何代にもわたって 記録的な成長を続けてきたこのN社だが、それはやはり「差別からの脱却」が まず根本に、怨念のようにあったからであろうと思う。江戸期から商いに奮闘 してきたその歴史は、彼の地にあるN記念館でも辿ることができる。老舗の醤油 屋も現在彼の地にあるが、その醤油屋から分家してできたのがN社である。「こ な屋」と「醤油屋」はいずれも女性の一族の経営で、 故に彼の地ではうどんが 名物となっているが、これは不味いのであまり有名でない。醤油もそう良質な 醤油でなかったと聞いている。

駅の裏にはそれらの工場群が散在する。日本を代表する大企業であるから、本社はずいぶん前に東京に移してあるが、工場は小規模ながらまだこの発祥の残っている。いずれも古い施設だ。その工場の一つをぐるりと回ると、その裏にひっそりと、これもまた古ぼけた白山神社が祭られている。白山神社の周囲には廃屋と呼んでもよさそうな、朽ちかけた家々が並ぶ。ここは女性が皇族へ嫁いだため、行政から同和地区指定されなかった。指定を受けると部落とわかってしまうからである。家々の横を泥川が流れる。

「貴 あ れ ば 賎 あ り」か ら 真 に 貴 も 賎 も な い 時 代へ・・・

私はこのような事実をことさらスキャンダラスに書いて、読者や部落民の劣 情に訴えたいのではない。休刊した「噂の真相」三月号でも書いたが、この事 実を考えると、私たち「平民」よりも皇族の方が先進的ではないかと思うのだ。 なぜなら皇族は過去の身分上、最高位にいる。その彼らが過去の身分上最底辺 の部落民と結婚するなどということは、身分社会の崩壊を意味しているからだ。 ただ「平民」と「部落民」の結婚差別どころの騒ぎじゃない。無論、皇族や宮 内庁内には数々の激しい抵抗があったと予想できるが、私たちにそのことをうかがい知ることはできない。 私はこの事実を知ったとき「さすがは象徴天皇である」と、心の中で喝采し た。私たちも税金を払っている身である。しかし、この事実は、公表されて初 めて意味を成すことである。公表すればそのまま、差別に対して皇族の先進性 がアピールできるではないか。これをもって「部落解放」を宣言しても良いく らいの、画期的な「事件」なのだから。

しかし、それはされなかった。そうした事実がまことしやかに広まることもほとんどなかった。一部の研究者や関係者だけの心に留め置かれたのである、 なぜか。 女性が結婚したその当時は、残念ながら差別はまだまだ悲惨なものだったからである。 しかし、これは快挙事であることは間違いない。現天皇が自らの祖先につい て朝鮮半島を持ち出して一騒動になったことはまだ記憶に新しいが、今思えば 彼らしい自由な発言であるといえる。そして今回の皇太子による「雅子のキャ リアや人格を否定する動きがあった」という発言は、この父にしてこの子あり 、真に勇気ある堂々とした発言だ。周囲の関係者や宮内庁職員の方が、天皇家よりも閉鎖的で前近代的なのだろう。正に皇室の新時代の幕開けと見て良い。

私は今まで松本冶一郎の「貴あれば賎あり」を信じてきたが、これからはそんな古臭い言葉なんか放棄したい。真に、貴も賎もないのだとしたい。 こうした事実を、この稿で堂々と具体的に公表できたらいいのに。そして地 名も堂々と公表することができたとき、部落解放は成されたと見ても良いと私 は思う。 彼の地を歩いたその夜、たいしてうまくない田舎町の飯と酒と女だったが、 それはたいそう私のはらわたに沁みた。彼らの「歴史的な結婚」の四十年に乾杯 しようではないか。

                                              ここまでです

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

少し他のことも。

先日、守谷慧氏と高円宮家の絢子さんの結婚披露の晩さん会の動画に、新婦のお母さまの高円宮妃・久子さんの留袖姿をお見かけしました。傍らに、後姿の、おそらく久子さんのお母さま、次に長女の承子さんが、やはり和服で。その隣におられたのは、これも和服姿の、出雲へ降嫁された典子さん。末っ子さんの晴れの日を、お祝いされていたのですね。

その、久子さんの向こう側の隣の、腕がぜんぶ見えるデザインのドレスの女性・・髪は肩につく長さのままのスタイルで。その方と、夫君らしい隣の方に、見覚えがあるなあ、と、思っていて。思い出しました。

出雲の、千家家の、ご当主とその夫人。典子さんのダンナさんの麿さんの、ご両親が、お揃いで卓についておられたのでした。

麿さんはおられず、そのあたりだけ、当日はぎゅうぎゅう詰めだったテーブルの間が、開いていた、気がします。今年旅した出雲で、タクシーの運転手さんが、大社の長男さん(まろさん)は、ウツ病だと言うておられた。そうだったのか・・。義妹の結婚披露宴にも、だから、出られないのか・・・気まずかったでしょうね、あの卓の皆さん。

親戚付き合いって、ホント、大変。


その、長女さんの過去のブログの内容の一部も、ここに、引かせておいてもらいます。

このお嬢さん、日本ユニセフ協会にお勤めで(どんなつとめ方かは存じません、本物のユニセフとは全く無関係の団体です、A・チャンとか、小和田優美子とかがカンケーする)、かつ、皇族の一人、未婚の皇族女性として、またげすなこと書きます、年間、ろっぴゃくまんえん、かちょっと違うか・・・とにかくそれくらいのお金を、税金から支給されておいでです。

ロンドンに留学しておられた若き日々の、はっちゃけた日々の、ブログの一部です。出て来たので貼ります。


>ミクシィ日記にこんな内容で書かれていました。

「昨日はねー、アジアン(ってか日本人と中国人)でめっちゃ騒いだ。王様ゲームやったけどエロ系一切なし(カップルがいた為。)でつまんなかった」(05年10月24日の日記)

「彼氏→三角関係(むしろ四角関係)のすえ泥沼化して終わった。ビバ波乱万丈(嘘)」(ケータイ版プロフィール)

「【好きな男性のタイプ】こっち来てから外人の魅力にハマりました笑。だって全てが超自然なんだもん。」

「【ここだけの話】 年下(男ね。)に飽きてきました・・・」(PC版)

「【最近ひそかに興味があること】国籍によってキスやHの仕方が違うのかどうか・・・検証中です笑。いや、ってかマジで違うから。」

「バカみたい。ちょー後悔。病気うつされてたらどぉしよう・・・。マジで神様に祈るしかないです。日本が恋しい。日本に帰りたい。。。」

「髪に赤メッシュ入れたんだぁ。さりげないからけっこうお気に入り。だめだ、(略)」

                                               ここまでです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ま、正直な、素直なお方なんでしょうね。

宮内庁も認めざるを得なかった(らしい)コレが残っていて、だからというか皇族の相手にふさわしいタイプの方には目が行かないタイプなのか、お姉ちゃんだけど実家暮らしのままでおられる。こう言うと、婚ハラになったりする?。

戦争に負けて、天皇は「人間宣言」をされて。

現・皇室メンバーは、つまり、こういうことか? ↓ 。

「にんげんだもの」by:相田みつを。・・私この、カレンダー量産の方、苦手なんだけど・・・。つい。


アラ70語る。追記しました。


佳子さんは、おそらく、もっともっと自由がほしいお方なのでしょう。

少女の頃に打ち込んでおられたフィギュア・スケート。聞くところによれば、本人の意志以外の理由で、続けられなかった。

ホントにやる気があるのか無いのか、それ以前に出来たのか?の愛子さんは、スケートリンクを借り切って、有名なコーチをつけて、みたいなことをしていた。こちらが続かなかったのは、年上の従妹さんの理由とは異なるものだったと考える。

口に出してはいけません、と制されたかどうかはしりませんが、内心、忸怩たるものがおありだったかとは、思えます。

高校生になって、佳子さんのダンスは、やはり、停められたもよう。大学のサークルも。胸の中に、いろんな思いは、溢れかえっていたと想われます。怒りや悔しさや理不尽や、もちろん、悲しい気持ちも。


とはいえど・・・いいこと、何もなかったですか?そのお立場に生まれて、お育ちになって。

我慢ばっかりさせられておいでになった?


自由が欲しければ、やり方が無いではない。寛仁さまも秋篠宮さまも、いっときは皇籍を離脱して・・一般人になって・・自由に生きたい、と望まれたが、叶わなかった。皇位継承順位に関わる男性だから。皇位に無縁の女性皇族には、男性には不可能な道があります。

ここから先は、黒い心で書きます、真面目な方は真面目に怒らないで下さい、怒ってもいいけど、ワタシに言ってこないでね。

第一のコース。黒心で書くのよ、おけー?

反対されそうでない相手を見つけて、結婚まで持って行く。結婚すれば皇籍から離れられます。絢子さんより数千万円多い一時金が出ます。結婚して数日後には支払いを受けられます。その相手とうまくやって行けるならベターですが、もう一人の身近なお方みたいに、ダメそうな相手だったら・・・一緒にいなくたって実質夫婦でなくなったって、お金返せとは言われない。言われないみたい。前述の前例がありますもんね。丸ごと全部、降嫁した女性皇族に、出されるお金です。税金とられないの。

皇族でなくなりたい、が第一希望なら、そーゆー方法もある。そんなのダマしだって? ほほほ。ダマししていない皇族が、どこにいたはりますのよ。皇籍を離脱したいためだけの結婚なんてフケツ、だって? ほほほ、世の中には、そうして始まって、以降、どんな中でもやって行ってる女(あえて女に限定)、なんぼでもいてますう。私個人は、せっかく市井の一ミジンコ、捨てて惜しいものなど無い、ならば、結婚くらいはただただ好きな相手として欲しいなあ、と、願っておりましたが。

離婚経験している元・皇族関係のお嬢ちゃんだっていてはりますよ。今上のお姉さんの、若く亡くなられた東久邇茂子さまの、娘さん。結婚して数年で破局しておられました。どこもあまり書かなかった、当時のマスコミは今とちょっと、違っていたのかも。

いったん宮家を出たら、もう戻れない。そうなったらそこで、踏ん張って、ご自分の道を目指す、とか。頑張りどころですよやっとこさ。そこからが勝負です、ちゃいますか? 舞台でもなんでも。前衛だっておけーよね、市井の一女性なら。

ちょっと何かして、褒めてもらえるってことは、無くなりましょうけどね。

・・・降嫁の際の一時金って、例の圭はそれが狙いだったとかかまびすしかったけど。順調にまっすぐ歩く道なら、値打ちのあるお金になる、きっと。清子さまはマンション買われたようですが、都内ならそれで無くなるくらいの金額ではない? 黒田さんを貶めるつもりは無いけど、清子さんがユ〇クロで、など書かれたことがあって、私は、はああ? と脱力しました。元・皇族のナントカ? 品位?? を保つためのお金、と云われて、支払われたはずのお金。ユ〇クロが悪いとは言わない、が、それはないでしょう、と。

美智子さんは「皇室は質素に」言うてると、まだ、喧伝されていた頃でした。ウソばっかりでした。

・・・荒れた結婚生活で、夫婦以外の身内が介入して来て(また例のKを無意味に想定したりしてしまいますが)ややこしくなったら、保つ金額ではない。たかられ、しぼられ、したら、どっかへ消えてしまうお金でしょう。貯められないけど、使えばあっけないお金。あてにはできない。相手次第。

皇籍を離れたいがための結婚、なら、そういったリスクもあると考えられる。自分で本気で頑張らなきゃ、になるかもしれません。

そういう道だってありますよね、清潔な、不自由の無い籠の中でぶーたれてるよりは、自分らしい道が。

何がどうなっても誰のせいにもできない道、自分でぜんぶ、責任取って行く道。

自由ってそういうものだと、アラ70のミジンコは、考えますのことよ。


第二のコース。

放っておいてくれるなら何も要りません、身の回りのモノ持って、お小遣い貯めた通帳だけ持って(ミテコさんだって、お手元金、とか言って、自分で貯めた=税金から拠出されたお金からヘソクった=お金を、いっぱい、持ってはる。清子さんのティアラは、お手元金で作ったから、とのことで、皇室に置かずに持って行かれたとも言う。公務員さんの奥さまに、なんでティアラ? どこかにしまってある?)とまあ、ばばさまのお手元ヘソクリに比すべくも無いが、そんな通帳くらいいいでしょ。〇〇内親王、とかの名義の通帳になるのか?)出て行きま~す、なら、かっこええ。

出してあげて下さい、そうなったら。それくらいでないと、望むタイプの自由の端っこにもたどり着けないですよ、きっと。

皇族が足りないなんて、言わないで下さいね、そういう場合に。どうでもいい「公務」減らせばいいだけです。

追記します。

三笠宮家の長男、故・寛仁親王が、溺愛する二人の娘さんに「いい女になれ、自由に生きろ」と言い聞かしておられたのは有名な話。私はアホか、と、冷たい思いで読んでいました。いい女云々はともかく、自由に生きろ、だと。よくもそんな無責任なことを、と。書き出すと長く成りそうなのでストップしますが、タワゴトにしか感じられなかった。

人は、自由に生きたい。自由でありたいのです。それが実は、簡単でないと私は知っています。

二十歳を過ぎて、自分で自分の道を切り拓いて行きたかった娘に、私は、自由って不自由なものだよ、いくらかの不自由を納得して、職に就いて、一日の大半を生活するための仕事の時間に捧げて、自分で自分の暮らしを支えて、そうしてやっと、自分の時間に好きなことをする、できる。そういう人が、圧倒的に多いのだ。と。話して聞かせた。我が家は周りの大人たちが自由奔放、好きなようにやって潰れてしまった家であって、娘に好きなことだけさせてやることは不可能だったし。たとえ可能でも私は、自由は自分でつかみ取るものだと言ったと思う。ホイヨ、ともらったものは、手のひらから零れてしまうんだよ、と。

皇室に生まれたお方の「自由」あるいは自由欠乏症への思いなど、私には判らない。想像することはほんの僅か、できる。

結婚に対する「自分たちの意志」には・・・それは無いだろう、と思う。思いました。各件によるのは、どんなことに対してもそうですけどね。

ごちゃごちゃ書いてしまいました。あえてどなたを貶めるつもりはありません。人は生まれる場所も親となる人をも選べない。「自由」の意味も、選べないものなのね、と、ぼやかして、終わることにします。気持ちは終わってないけど。






 

私たち加害者ですか。

昨日からモヤモヤしています。

買い物に行き、週刊誌など置いてあるブックスタンドに目をやったら、有名な女性誌の表紙が目につきました。

時にパラパラすることはあっても、基本的に立ち読みはしないことにしています。記事に何か言いたいときは、買ってから、にしています。いいこちゃんぶってるつもりは、無いです。

その週刊誌を、買い取る気にはなれないので、表紙だけ眺めました。でもよくわからないので、勿体ないけど買いました。その記事だけ、いま、読んだところです。

若い女性皇族が、お母さまが海外へ公務でお出かけになられている間に、ちょっとしたお出かけをされた、という、そんなことのようです。

そんなことを、上は何を着て、靴はヒョウ柄で、とか書いてある。側衛つきなのは、ご本人の責任でなく仕方ないことなのですが、この側衛さんが、若くてすらっとした、という、、そういう方で、とか書いてある。だからどうなんですかぁ、が感想。

皇族の方々の身辺を護衛する「側衛官」は憧れの部署です。皇宮警察のサイトには、「側衛官は武道や体力に優れているほか、知識や経験の豊かな皇宮護衛官の中から選抜され、護衛のプロとしての自覚のもと、常に自らの技能の維持、向上、心身の鍛錬に努めています」と、高尚なことが書かれていました。側衛官は、ただでさえ高倍率の皇宮警官(平成24年度の記録によると、高卒で114・4倍、大卒で66・1倍)の難関を突破して、さらにその中でも選りすぐられた人しかなれないのです。

高円さんチの長女さんは、カレシと一緒に呑んだりするのに邪魔だと、側衛さんをマいたりする、うふふ、など、かつて、仰っておられました。すまじきものは宮仕え、お気の毒に、と、マかれてしまう側衛さんに同情してしまったり。

圭なんぞというた男には、側衛でなくSPなんぞが付けられていて、圭が仕事帰り、エステとやらに行って、紙パンツ姿で気持ちよくしてもらっている間、建物内でじっと待っているのだ、なる記事もありました。

すまじきものは宮仕え。あ、でも、圭は、宮でもなんでもない、ただの〇〇でしかなかったのにね。

無駄遣いさせてくれたものです。


本題に戻ります。

そのお若い皇族女性は、一般的には院を出たくらいのお年になっておられます。大学に二回入りなおして、留学などもされて、お帰りになって再びの学生生活。

何やかやお考えになられることあって、この先は本当の大学院への進学も視野に、なんちゃら。ホントのことなどわかりません。ただ、皇族の女性が舞台芸術だなんだお学びになって、どないしはんねやろ、と。不器用にくそまじめに生きてしまって、娘の学資に詰まって、二人が二人とも中退の憂き目を見させた過去を持つ愚かな母親(どはは、KUONのこと、ちょっとカッコよく・・悪く?ん? 表現してみました)は、天上のお方について、考えてしまうのでございました。

記事中に、太い文字での表記がありました。

「プライベートでは縛られたくない」

ですと。躾その他、厳しいお家の娘さんでいらっしゃる。本人の自由意思は尊重なさるお家でもあるらしい。。

「プライベートでは縛られたくない」

なるほど。流行りの柄の靴くらい、履きたい、文句言わないで、ということか。

まさか、ご本人がそんなこと、仰ったわけでは無かろう。どこか何かのしかけた「罠」なのか、それも私は知らないけど。

出て来たら撮られる、目立ったら書かれる。多分そういうこと、ご不自由でしょうね。

「公務」と称せられる場では、お行儀のいい、皇族らしい服装、身のこなし、話し方やら何やらかにやら。

それらしくいてみせますわ。それ以外の時間、プライベートな時間のことまであれこれ言わないで、ということでしょうか。

・・・・・・。

誰が、あの方を「縛る」のか。何を恐れてあの方は「縛られる」のか。国民の目、を、今は、恐れられての事か。

若い皇族の女性を「縛る」のは、もしかして、国民? 

漲って来た思い…

国民が、縛っている? 自由になさりたい方を?

わたし(たち)、加害者ですか。加害者なんですか。腑に落ちません。

週刊誌の記事の話でした。





プロフィール

今も夢見る

Author:今も夢見る
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

願ってはいましたが叶うとは思っていなかった、海を眺めながらの暮らし。

朝はじめてのコーヒーは、バルコニーで。

ルージュは、シャネルの赤。ずうっとそう。きっとこれからも。

・・・ちょっと、かっこよすぎる。

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