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返事の中までKUONです。
 さようなら、今年。
引き続いて今日もマイペースな時間を楽しんでおりました。

さきほどまで、ここ数年の大晦日のマイ・楽しみ、ボクシングを視聴していました。昨日もボクシング観戦だったのですけどね(笑)。

井岡一翔。突如引退、結婚、離婚を経て、一年ぶりの今夜、リングに返って来て戦ったけど、負けてしまいました。

その世界では、いわばサラブレッド。周囲の意向に沿っていれば、結果を出していればよかった彼、実際、世界チャンピオンになっていました。才能も環境も本人の努力も揃っていて、知っている限り最後には勝っているボクサーで、試合が終わっても、殴り合った形跡をまったく残していない、なめらかなきれいな顔のままでした。

チャンプにまで押し上げてくれた叔父や父親の手を離れて。ボクシング以外の世界に離れて行って。過酷な毎日のトレーニングや減量や、精神的なプレッシャーに無縁の生活を、したのですね、豊かな胸の彼女を、妻にして。

   「三千世界の鴉(からす)を殺し主と朝寝がしてみたい」

これ、そのままの思いがあったと思う。楽しかったと思う、欲しかったのはこんな暮らしだ、と、実感したと思う。

でも、やっぱり、リングに戻って来た井岡一翔。先日、美容院で、いつもアタマをしてくれる井岡と同じ年頃の美容師サンと、大晦日の井岡のタイトル・マッチの話が出て。せっかく結婚もしたのに、別れてまたボクシングするって。「何を考えているんでしょうね」と、マジメな仕事ぶりの副店長である美容師サンは、言った。そうねえ、と私は、なんとない返事をしました。

保育士の彼女と、なかなか休日が合わなくて、デートもままならないと嘆く美容師サンには、同年配の井岡は、「何を考えているんでしょうね」と、控えめでも批判めいた感想を口に出さないでいられないのでしょう。それは、よく判る気がします。

同時に私には、どう言われても笑われても、やっぱりリングに戻りたかった、戻って来た若者の、経験してきてわかった自分の「本当に欲しいもの」への渇望も、解る気がする・・・。

お前にはこれしか無いんだよ、と言われて、そうだ、と思っているのと。

自分にはこれしか無いんだ、と、痛烈に思い知ることと。

違っていたんだよな、きっと、と、思うのでした。

敷かれたレールの上を、きっちりと辿ってボクシングしていた井岡と。

いったん離れて戻って来て、今夜、戦って負けた井岡と。

細かいことはわからないままに、今夜の井岡一翔は、いい顔していたな、と、負けちゃったけどまた、勝つよね、絶対勝つわ。と。自分自身、負けた時の気持ちをどうしたらいいか持ちかねているような表情を、眺めていたのでした。

今年の記事は、これで終わりです。

途中でアクシデントがあってブログ名が変わったり、それでご迷惑をかけたり、私の住まい自体も変わったりした一年でした。

やんごとない方々のことは・・・どうなるのでしょうね。自分なりに冷静に書いているつもりであるのですが、どうも、あちらの方々について書く時、自分は、自分の好きな自分でない自分になっている気が、してしまいまして。

いかがわしいものを書くと、どうしてもいかがわしくなる。とことん汚い事実、現実を書いて、きれいにはならないのよね、と、思うのです。

ともあれ。

来年も、書くことを許されている幸せを感じながら、、とろとろと、こころにうつるよしなしごと、目に見え耳に届くいろいろなことについて、書いて行きます。

どうぞよろしくお付き合いいただけますよう、お願い申し上げます。

お健やかで。お幸せでいらして下さい、私も、そのようにいられるよう、こころして日々を送ってまいるつもりです。

ありがとうございました。

さようなら、ありがとう、今年。あと一時間。


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 *  分類 : まじめなお話。
自動通知機能 : -  *  伝言 : 0  *  記事編集  *  2018年12月31日(Mon) 22時55分
 ウソみたい、夢みたい、な歳末。
同居のげっ歯類は生き返って元気にしております。ベランダに集うスズメ達も元気です。

スズメ達が落として行く生命活動の最終段階のブツの跡を、夫が時々、きれいに掃除してくれます。アリガトネー、ゴメンネーと私は、清掃には加わらないで、おせち作りに勤しんで、とは参らないのです今年は。おせちも蟹も、通販で取り寄せることにしました。結婚して四十三年、初めて、おせち作らない歳末です。

昨日28日は銀行で、各社さまに振り込み、皆さんの給与も振り込み。途中でいったん抜けて、並びなおして。ネットでぱんぱ~んと振り込めるのは知っています、が、まだ、並んで一件ずつ、振り込んでいます。間違えないように、集中して。すべて済むと、デスクを借りてチェックして、おーけー大丈夫、あ~、今月も無事、支払いできた~、と、開放感とヨロコビとを味わう。私が出した請求書に、どの会社も、きちんと洩れなく入金して下さっています、これにも感謝。当たり前なのかも知れませんが、私にはたいへん、ありがたいことなんです。

・・とか。すっごく清くタダシい私になっています、ははは。本当なんですもの。

今年の最後の銀行回りを無事おわって、それから一人で、雑貨買いをしたり本を買ったり、ゆっくりできる店で美味しいものいただいたり。毎月していることを、これもいつものようにすることができて。は~、ほんまに今年も、もう終わりなんだわ、と深い感慨が湧きました。

姑にも孫たちにも、すでにお年玉は渡してある。姑さんは目上の方なので「お年玉」ではないのですが、そう言ってお渡しすると、赤ちゃんみたいに笑って喜んで下さる。この笑顔ってずるいな、と私は、少し、黒いこころになって思うのです。この笑顔に対して、意地悪な気持ち、抱いていても、ぶつけられないものな。いま一緒にいるひとたちと、家も建て直して一緒に暮らしたい、暮らすと決めたのは姑自身なので、愚痴や泣き言(やヨメへの罵倒)くらいは黙って聞くけれど、今の私と夫には、どうしてあげることもできない。

別れる時は、手の甲を撫でながら、「おかあさん、またね」と別れて来る。葬式の心配もお墓の心配も要りませんよ、と、聞こえない耳に向かって怒鳴るように言います、それは本当にそう思っていて何度も言うのだけれど。おかあさんの思うようなお葬式ではないだろうとは思う、お墓は、おかあさんと夫が入って以後、私ができるだけのこと限定ですよ、としか、言いようが無い。

「女の子しかよう産まんみたいやけど、私は何とも思てへんで、女の子、可愛いやないの」。と仰られたそのまま、娘だけ授かったのは、ホントなので。

私がお墓のことをできなくなって、〇年が経ったら、自動的に整理してくれるようにしてあります。私は、海へサンコツしてもらえるように、遺言をしておく。それができるようなのですよ。ルン。

娘たちは人生まだ、りんりんの時期です。孫たちも、ばあちゃんの背丈を超えて、なんとか前向いて生きて行ってくれるでしょう。

おかしなことに、気にかかっているのは、夫の母の事なのです。不思議な話です。ときどき、思い出しては、ウッキー!、と、腹を立て直しているのに。(笑)。

まあ、穏やかなお正月を迎えて下さるでしょう。お正月にお会いしないのも、何十年来はじめてのこと。

夫の実家に年末は泊まり込んで、多い時には三、四軒分の三段のおせちを作るのに奮闘した若かった日。細かい細工も教えてもらいました。砂糖と醤油とをどっさり使うので、その匂いで頭がくらくらした。商売をしている叔母さんのところや甥御さんの家の分も、作って、渡して、それでも毎年おせちは大量に残りました。大量に作るのだから。

日本が戦争をしていた頃、姑は若い娘でした。大きな農家であったので、実際にひもじいことは無かったらしいです。ただ、きれいな食べ物、珍しい食べ物は無かった、沢山は食べられなかった。それは、何度も聞いて、後になって実感がわいてきたことでした。

どれだけでも食材を買うことができるようになって姑は、なんでも大量に料理する人になっていました。おせちも、お重に詰めるほかに、大皿にいっぱい、昆布巻きも煮しめもサバの生寿司もゆで卵の紅梅白梅、その大皿も、何皿も。補充用とて。

親戚の方々は、お年始に来られても、そんな沢山召し上がりません。若いひと用に、ケンタのチキンもどっさり、買いおいて出しましたが、冷めたチキンに手を出す若い方はおられませんでした。遠慮しいしい進言してみても姑は聞かず、やはり、義弟は頼まれて山盛り、買ってくるのでした。自分もそして、食べない。

何日もそれらを、食べる。当時、こんなうたを詠みました。

   正月も三日となればはぐはぐと厚きトースト無性に食べたし

実感でした。何の変哲もないトーストと、コーヒーが、恋しかった。私は長男のヨメなので、余った料理は、最後まで、大切にいただくのでありました。食べ物があるだけありがたい。それはそうなのでした。

・・・今年も終わりに近づき、もしかしてこれ、いま書いているのは、デトックス?。毒出し?。

紅白歌合戦見たいのに、レコード大賞も見たいのに、何を呑気なこと言うてんねん、と見せてもらえなかった。あの時の怨念が、噴き出ているのか?

ジュリーを好きだといったら、「あんな隠花植物好きやなんか、人前で言わんときや、かっこ悪い」と言われちゃった。くそう。

アホなこと書いています。このあたりで止めようかな。汚いココロの私になっていましたね。ふう。


ベランダは夫がきれいにしてくれました。私はそして、さきほどまで、今年の高校野球、夏の大会の特集番組を、ゆっくり眺めました。皆いい子やなあ。ほんと、すばらしい。根尾くんも吉田くんも、頑張って下さい。藤浪くんも、今年はがんばれ~。

しなくてはいけないこと、無いのです。したいことだけしていていい、年末。するべきことは、昨日までにしてしまったし。

明日はおせちと蟹が届きます。他のいろんな食材を、夕方、夫が買ってきてくれました。重いのに、いろいろなものを。明日、おせちが届いたら、内容を見て確かめて、もう少し買い物に行こうと言っています。

元旦に長女夫婦が来る。それを、夫は、楽しみにしているようです。私も昨日、銀行の帰りに生ハムやチーズや何やかや、買って帰りました、実は。

したいことだけしている歳末。ウソみたい、夢みたい、年末やお正月が楽しいって、すてきなことだわ。


 *  分類 : 日常
自動通知機能 : -  *  伝言 : 14  *  記事編集  *  2018年12月29日(Sat) 22時43分
 モカちゃん生還。
寒い寒い年末年始になるとか。

あまりピンと来ていませんでした。

昨日の朝、ホッとした時間。ハムスターのケージの中を見ると、モカ子が、おかしな感じに歩き回っています。ん?? モカ子どうした? 
目を近づけてぐっと見ると。いつもなら出入り口の柵にジャンプして捕まって、出して出してとせがむモカ子が、フラフラ歩き続けていたのが一瞬、コテ。転んでしまいました。

えらいことだわ。慌てて開けて、本来このような小動物は、上からガッとつかんではいけない、掬いあげるようにしてあげるのが・・とか言うのですが。焦って慌てていて、上からガバッとつかんだ、そしたら。

冷えてる~~~。そのちっさなカラダは、冷え冷えとなっていて、つまり、体温が無くなっていて、固まったようになっていて。

これはあかんわ大変だわ。左手をくぼめて、モカ子をすっぽり入れ込み、息をはぁ、はぁ、吹きかけながらティシュを掛け布団にして、食卓の上のミカンを取り、右手で裂いて一房を出し、先っぽ噛んで果実を出して、目を閉じてしまって生き物の柔らかさでないモカ子の口元に、押し付けたのでした。

哺乳類ですし。何かの時には糖類を含んだ水分を・・点滴みたいにミカンを含ませてみた、はあはぁ息を吹きかけ続けながら。

したらば。モカ子、少し、ミカンの汁を含んだ。よしやったぜ。もう両手で包むみたいに、少し風邪気味で平常よりは0,1度か0,2度くらいは高いかもしれない身のぬくみ、小さいネズミに伝わってくれ~~、と。ソファに座ってゆっくり時間をかけて、冷えたモカ子をもどしていったのでした。

カラダの造りシンプルなハムスター。やがて眼を開け、黒いその目でじっと私を見つめ(るような気がする、ホントはほとんど視えていないと言うのですが)、もにょもにょと動き始めた。

生還、いっちょあがり。ケージに戻して、先日買っておいた、ハムスター用のホットカーペットを入れてやりました。早くセットしておいてやればよかった。少し反省。ごめんねモカちゃん。

ハガキより小さなホットカーペットは快適なようで。昼頃には、大の字になって眠っておりました。いわゆる「へそ天」。ネズミ類は苦手な方は多いでしょう。わたしも、猫と暮らしていた間は、まさか自分がハムちゃん飼うなど思ってもみませんでした。

安心してくれているのか、大の字になって眠っているハムスター、いいものです。




 *  分類 : 日常
自動通知機能 : -  *  伝言 : 4  *  記事編集  *  2018年12月27日(Thu) 21時18分
 下品のおはなし...
先日、以下のごときコメントをいただきました。

その夫婦をお見かけしました、と、お知らせくださったのです。コメントの、まんなか部分を、ご紹介します。ここで書かせていただくことは快諾していただきましたが、ご迷惑が及んでも、と勝手に忖度いたしまして。夫婦の名前は〇〇田、と表記させていただきます。娘さんの名前はM子、と。KUONがあえて間違えている文字以外はすべて、原文のままです。

「うちの夫がいよいよオットットになりまして。バリアフリーデートはもっぱら便利な百貨店。
土曜の昼もオットットが洋食を食べたいと言うのでmitu越へ。
失礼ですけど、まわりもヨタヨタ。ゆっくり歩いてもせかされない。落ち着きます。
なのに今回は席が悪かった。外商さん?を呼びつけて大声でアレコレ言ってるジジイがそばに。「うるさいなー。やだやだ。げっひーん!」とふとその反対に目をやると。どこかで見た顔。一拍おいて思い出しました。画像掲示板等で見た〇〇田夫妻。ビックリしました。
でも夫人の行動にさらにびっくり!お席でコンパクト広げてお化粧直し。口紅も堂々とヌリヌリ。
私達の感覚が古いのかしら。うちのオットットも呆れてたけど。
だけどおかげでやっと信じてもらえました。今まで何度もM子さんの行い等を話していたけど。「そもそもそれは真実なの?ネットの話を鵜呑みにするなんて愚かだよ」とシレモノ扱いされてましたけど。あの母親なら人前で指輪の値踏みをしたのも本当かもねって信じてもらえた。一時は=ナンキン、なんて話もでていた〇〇田夫妻が元気そうでガッカリだけど(ひどいかしら~)、オットットにわかってもらえて嬉しい。
 
コメントするのは不馴れで、よくわからなくなってきました(-_-;)すみません。
来年位する彼女の母親は、人前でお化粧直し。父親もなんだかなぁ~。「おいおまえ、トイレ行ってやれよ。娘の立場考えろよ」って言わない?つゆほども思わないのね〇〇田さんちって。そういう家で育った女が後退子妃。来年、日本の咬合。はぁぁ。。」

以上です。どうもありがとうございました。

あの方々の話題に飢えておりましたので、飛びつきました。読ませていただいて、まさに。ただしく、あの夫婦のことだと確信しました。こんな下品なひとたち、めったにおられない気がします。いそうにない場面で、ということ。

外商を使う時、百貨店にはそういう部屋があるでしょ。静かに依頼もできるでしょ。家に呼んだら来るでしょ。皆が食事をするところへ、何で呼びつけてたんだ、しかも大声で、このじいさん。(ジジイ、に笑った)。

迷惑わきまえないか、何やらいっぱい買い物するのをみせつけたいか(そういうヒトだわね、あちら)いやいや、チラリと聞いた話、あのコンクリ御殿とやらを、売り払ったとか?、なので、今、仮住まい? どこへ? 結婚継続中の娘さんは、マンション暮らしなので、転がり込むのは難しかろう、独り身になった娘さんとこは・・そこも難しそう、となると、ありますやんか、大きな、でっかい、好き放題に手足伸ばせるような、長女の嫁ぎ先が。

噂は聞いた。でも噂だから、口には出せなんだ。あの夫婦にしても、さすが長女の住む家、には、mitukosiさんの外商、呼べないのかな。今のところはまだ、それは、しないでおいてやってる、のかな。「皇室へ入ったらどうとでもなる」と、買い物するのに言い放った母ちゃん。デザイナー氏が仕事した対価を求めたら、ウチに請求するなんてどういうつもりなの、とやった、かーちゃん。高名なデザイナー氏が、ご自身の口から出した逸話。逸話ぢゃないか。

などなどなど。ここへは車を停めないでと言われているのに、東宮御所の車寄せ正面に乗りつけて、御所の中の立派なモノたちを、ジロジロみていた、皇太子家への到来物を積んで帰ったというこの、かーちゃんの周囲に、ヤフオク事件が起こったのは当然らしい話。時効で逃げ切った話。

とーちゃん下品、慇懃無礼、冷血動物の目をした、恥知らずの官僚あがり(そうでない方ごめんなさい)。かーちゃんも下品。娘がもらったばかりの左手の指輪を、屋根の無い場所で(道端で)、ジロジロと「値踏みした」写真、出回っていますよ。自分で書いたロシアでのあれこれも、なかなか下品に満ちていました、呼ばれてもいないのに、よそ様の夕食時に、娘三人連れて行っちゃってた、とか。枚挙にいとまの無い、堂々たるお下品一家です。

娘さんの歯並び、何やらの経費で落としたかったのにダメだった、とか。婚約が決まって溢れんばかりに届いたお祝いの花を、花屋に交渉して、つまり「買ってもらおうとした」とか。

食卓で口紅塗りなおす母親、咎めもしない父親。品の格の、ぐぐぐぐぐーっと下の方で揃っているのか合っているのか、ずっと夫婦でいる。

公私の別のおわかりでない親子さん。かつては東宮御所にエレベーターを設置し、バリアフリーに改修・・・それは、小和田夫人の父親,チッソの終生名誉会長だった方の為だった。孫娘を入内させたあの男は、車椅子で御所の庭を散策するのを、老後の何よりの楽しみだと・・・そこにいていい人ではなかったのに。

そんな前例のある、皇太子ナルヒト氏の、岳父夫婦。ひとこと付け加えますと、あの方は、天皇主催の園遊会に、呼ばれているのはまだしも。主催者側の挨拶であろう

「ようこそいらっしゃいました」

と、お客様に対して、おぬかし遊ばしていた。なにも何もわかっちゃいない、と、思われても仕方が無いこと、あちこちでやらかして。

・・・コメント下さったプティ・プラム(仮名)さん。夫さんに解っていただけてよろしかったですね。なかなか男性がたには理解してもらいにくい、同じです。ほんとによかったと、私も溜飲が下がりました。

このような出来事で、というのが、いささか、複雑なところではありますけれど。こんなこと言われないあちらさん方でいらして欲しかった。

「グローバル」が口癖の、小和田恆氏。恥ずかしいお方。夫唱婦随でどれだけ日本人というものを誤解させるはたらきをなさって来られたやら。

「まいどーたーいずくらうんぷりんせす」。そんな言葉で、どこでどれだけ、だまくらかして来られたやら。

山奥に生まれて山奥に死んだ母方の祖母は、「神さんも仏さんも、み~んなお見通し」と。いつも言うてであった。なんだかわからないけど、そういうことなんだ、と、おそれて、大きくなった気がします、わたし。

        この文責はKUONにあります。よろしくお察しくださいませ。


   コメントのお返事は、今夜、ゆっくりと。


 *  分類 : 日常
自動通知機能 : -  *  伝言 : 4  *  記事編集  *  2018年12月26日(Wed) 16時21分
 70年前のお誕生日に。
平成30年12月23日。天皇陛下。お誕生日おめでとうございました。

イヤなことをするものよ、と自らをかなしみながら、再び以下のごとき過去の記事を貼り付けてしまう私です。

ご家族に囲まれてのあたたかいご祝宴、さぞ、お楽しいことであらせられたでしょう。

戦はすでに過去。そう、そうなのでしょうのに。

1948年(昭和23年)12月23日。敗戦の3年後、当時の皇太子・明仁の、15歳の誕生日のできごとでした。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

  東條英機・広田弘毅ら7人、絞首刑執行

>彼らの何が罪なのか、彼らだけの罪なのか。 歴史こそが最後の審判を下すはず。 <

           
1945/07/26   連合国、ポツダム宣言発表
1945/08/14   御前会議、ポツダム宣言受諾を決定
1945/08/15   玉音放送 (終戦の詔勅)
1945/09/02   降伏文書調印 (全権:重光葵、梅津美治郎/第二次世界大戦終結)
1945/09/11   GHQ、戦争犯罪人逮捕を指令① (東條・東郷ら39人)
1945/09/11   東條英機自殺未遂
1945/09/12   杉山元、ピストル自殺
1945/11/19   GHQ、戦争犯罪人逮捕を指令② (小磯・松岡ら11人)
1945/12/02   GHQ、戦争犯罪人逮捕を指令③ (平沼・広田ら59人)
1945/12/06   GHQ、戦争犯罪人逮捕を指令④ (近衛・木戸ら9人)
1945/12/16   近衛文麿、服毒自殺
1946/04/29   A級戦犯容疑者28人の起訴状発表
1946/05/03   東京裁判(極東国際軍事裁判)開廷
1948/11/12   東京裁判、A級戦犯25被告に有罪判決
1948/12/23   東條英機・広田弘毅ら7人、絞首刑執行
    東條英機、広田弘毅、板垣征四郎、土肥原賢二、松井石根、木村兵太郎、武藤章
1948/12/24   GHQ、岸信介らA級戦犯容疑者19人を釈放と発表

引用

花山は、東條につづいて板垣、木村、土肥原と面会を終えた。 そのあと彼は、モーニングの上に法衣をまとい、第一棟の一階一号室に駈けつけた。そこが仮りの仏間だった。

花山が水を入れたコップ七つとブドウ酒のコップ七つを準備してまもなく、 土肥原、松井、武藤、東條が二階から降りてきた。 午後十一時四十分だった。四人の姿を見た花山は絶句した。 彼らの姿はあまりにも異様だったからだ。 両手に手錠がかけられ、その手錠は両股と結ばれ固定してあった。 正装して死にたいという彼らの望みはかなえられず、アメリカ軍の作業衣のままで、 背中と肩のところにはプリズンの「P」の字が刷りこんである。 それが彼らの最後の衣裳だった。 靴はアメリカ陸軍の兵隊たちが履いている編みあげ靴、両足には鎖がついていた。 彼らの誇りは一顧だにされていない。

両側に立つ将校は、いつもとちがって身体の大きな者にかわっていた。 連合軍の警戒が厳重なのは、ニュールンベルクの教訓のためである。 処刑場にカメラマンをいれて処刑の様子を撮影させたため、被告は興奮状態になり、 あばれる姿がそのまま世界に報じられた。 これは死者への冒涜であるとして花山は総司令部に訴えていたが、巣鴨ではカメラマンは入れないことになった。 しかし七人が錯乱状態になって暴れることを想定し、がんじがらめにすることだけは忘れていなかった。 四人には暴れる徴候はなかった。

仮りの仏間での最後の儀式が行なわれた。 花山が線香に火をつけ四人に渡し、四人はそれを香炉にいれた。 辞世の句を書いてもらおうと用意していた筆と硯をさしだし、せめて名前だけでもと花山が言うと、 四人は動かぬ右手に筆を握り、土肥原、松井、東條、武藤の順で署名した。

つぎに花山はブドウ酒のコップを手にして、四人の口にあてた。 アメリカ人将校の差し入れのブドウ酒だった。 彼らはぐいぐい飲んだ。「うまいなあ」東條だけが声を発した。花山が『三誓偈』の一部を読経した。

護衛の将校が処刑場にむかうよう促した。 そのとき誰いうともなく、「萬歳を・・・・・・」ということになり、武藤が「東條さんに」と名ざしした。 すると東條は「松井さんに」と答えた。松井は彼の先輩にあたる。 松井が音頭をとり「天皇陛下萬歳」を三唱した。 ついで「大日本帝国萬歳」を三唱した。両手を下げたままの萬歳だった。

このころ「萬歳」は、アメリカ人が嫌うというので、あまり聞かれることばではない。 しかし四人の将軍は、アメリカ人のまえで三唱できたことに充足を覚えたようであった。 大日本帝国の「大」も「帝国」も消滅したのに、彼らは死の瞬間まで大日本帝国でしかものを考えられないことに、 花山はいささかの異和感をもった。

萬歳三唱のあと四人は、両隣りの兵士に「ご苦労さん、ありがとう」と言った。 それから花山の手を握り、期せずして同じことばを吐いた。

「先生、いろいろお世話になりました。 どうか国民の皆さんによろしく。家族もよろしく導いてください。先生もお身体をお大事に・・・・・・」

入口の扉が開いた。将校が先導し、そのあとを花山とアメリカ人教戒師が並び、 土肥原、松井、東條、武藤とつづいた。 そしてその後ろにさらに数人の将校がつづいた。 「南無阿弥陀仏」と花山が唱えると、四人は唱和した。花山は空を見た。 星が無数に散っている夜で、それはいかにも彼らの葬送にふさわしく思えた。

処刑場の窓からは電灯の光が洩れていた。 が、厚手のカーテンがかかっていて内部は窺えなかった。 ドアが開いたが、花山と教戒師の入場は許されない。 だが室内には明るいライトがあり、四つの階段が中央にできあがっているのが垣間みえた。 四人はもういちど花山の手を握った。 東條は数珠をはずし、花山に渡した。 そして身をかがめるようにして処刑場にはいっていった。

そのあと花山と教戒師は、いま来た道を戻った。 つぎの組の準備をしなければならなかったからだ。 三、四メートルほど歩きかけて星空をみた。 そのとき処刑場からガタンという音がきこえた。反射的に時計を見た。午前零時一分だった。

板垣、広田、木村も同じような儀式を終え、たんたんと刑場に消えていった。

総司令部の発表では、四人の死亡時間は午前零時七分から十三分までと分かれているが、 それは六分間から十分間、彼らが仮死状態にあったことを意味している。

そのあと花山は、処刑場内部へ招じられた。 七人は七つの寝棺に横たわっていた。 彼はひとりずつに念仏をとなえ、回向をつづけたが、どの顔にも苦痛はなかった。 平常心そのままに死に就いた七人に、花山自身は感銘にも似た気持を味わった。

保阪正康 「東條英機と天皇の時代(下)」


引用

新聞もラジオも七人の処刑を伝えたが、 そのことによって軍国主義が一掃されたかのようなとりあげ方であった。 憎悪と侮蔑で七人を謗れば自己証明ができるかのような無節操な論もあった。 彼ら七人を謗ることが一切を免罪するかのような意図的論調は、無反省で無自覚な国民心理を培養するだけであった。 やがて七人のなかの東條だけが〈普通名詞〉に転化していったのは、その培養の結果といえた。

東條英機の名誉も基本的人権も踏みつけであった。

ひとつの例をあげれば、ある有力な新聞が二十四日の朝刊に、 「幼児の心持つ東條――満足し死の旅に、夜通し祈った勝子夫人」と題して センセーショナルに報じた記事が指摘できる。 それは「この日勝子夫人は一切の面会をさけ独り静かに冥福を祈っていたが、 特に本社記者に次のような談話を発表した」と前書きして、東條はすでに幼児の心境になっていたとか、 これからの時代に東條の遺族として負けずに生きていこうとか書かれていたが、 この記事を書いた婦人記者松田某は、その日の夕方、この新聞をもって謝罪にかけつけたという。 また彼女は、判決宣告の翌日にも東條夫人の手記として、 「主人の精神的な命は敗戦と同時に終りました。 今は肉体的生命の有無は問題ではありません。 主人として死は願うところでしょうし、私共家族といたしましても主人の願うところはつまり家族の願うところであり・・・・・・」 といったような記事を捏造していた。 その日も訂正を求める家族に、「男性と伍していくには、こういうことでスクープする以外にないんです」と 得手勝手をいいつつ、問題を大きくしないように懇願して帰っていったという。

この種の記事がいたるところで見られた。 東條と舞踊家某との情事、連日の豪遊といった根拠もない話が氾濫し、 外地のある捕虜収容所では、思想改造の手っとりばやい方法として、 東條が酒色と金銭を目的に日本人民を欺いていたと、彼を卑劣な無頼漢にしたてあげた。

保阪正康 「東條英機と天皇の時代(下)」  


引用

かくしてもう十一時半にもなったので、私は大急ぎで一階にかけ降りて、 再び仏間の用意をし、コップにブドー酒をつぎ、水を入れたりして七人の到来を待った。 まもなく三階から処刑第一組として土肥原、松井、東条、武藤の四人の順で、列をつくって降りて来られた。 それぞれ二人の看視につきそわれていた。 両手には手錠がかけられ、さらにその手錠は、褌バンドで股に引っかけられていた。 極めて不自由な姿である。 着物はいつも着ていられた米軍の作業衣であった。しかしシャツは見えた。 クツは編み上げの日本クツであった。 係官から時間が七分しかないということをいわれたので、取敢えず仏間のローソクの火を線香につけて、 一本ずつ手渡し、私が香炉を下げて手もとに近づけて立てていただき、それから仏前に重ねておいた奉書に署名をしてもらった。 不自由な手ながらインクを含ませた筆をとって、土肥原さんから順に筆を揮った。 それからコップに一ぱいのブドー酒を口につけてあげて飲んでもらう。 さらに水のコップを私が少しずつ飲んでは、みなさんに飲んでいただいた。 東条さんの「一ぱいやりたい」も、どうやらこれで果され、大変な御機嫌であった。

その後、まだ二分あるというので、『三誓偈』の初めの三頌を声高らかに私は読んだ。 四人は頭を下げて、静かに瞑目して聞いておられ、終った時、

「非常に有難うございました」

とお礼をいわれた。それから誰いうとなく「万歳」という声が出て、たぶん東条さんと思うが、

「松井さんに」

というので、松井さんが音頭をとって「天皇陛下万歳」を三唱、 さらに「大日本帝国万歳」三唱を共に叫ばれた。

ブドー酒のあとで「お菓子はどうですか」といったが、みな入れ歯を取っていられたので、 歯がないからと遠慮されたが、松井さんに、やわらかいビスケットを一つ口の中に入れてあげたら、 もぐもぐたべられた。

以上の行事は、仏間ではせまくて、すべて廊下に立ったまま行われた。 この時、東条さんから、約束通り念珠を受取った。 松井さんも、手にかけておられたので、

「これを、奥さんに差上げましょうか」

といったら、

「そうして下さい」

といわれ、受取った。他の二人は、部屋(独房)の袋に残して来られたという。 やがてチャプレン・ウォルシュ師及び二、三人の将校にあいさつをして、それぞれしっかりと握手を交わされた。 私も、いちいちみなの手を握って、最後のあいさつをかわした。 いずれの方も非常に喜んで、長い間の労苦を感謝され、また、

「あとの家族のことをよろしく」

と頼まれた。時間は、刻々と迫ってきた。

出口の鉄の扉が開いた。当番将校先導で、その後にチャプレンと私がつづき、そのうしろに 土肥原、松井、東条、武藤の順で並び、両脇には看視、あとに将校が二、三名つづいて、 静かに中庭を歩んでゆく。その間、約二分ぐらいかかったが、念仏の声が絶えなかった。 とくに東条さんの声が・・・・・・。

刑場の入口(コンクリート塀)で、私は隊列を離れ、さらに四人と、 また一人一人手を握って最後の「御機嫌よろしゅう」をいったところ、

「いろいろ御世話になって、有難う。どうか、また家族をよろしく願います」と、 みなにこにこ微笑みながら、刑場に消えられた。 あとで聞いたところ、台上では四人とも、最後の南無阿弥陀仏を称えていられたということだ。 急いで仏間に帰る途中、ガタンという音をうしろに聞いた。時計をみると、午前零時一分だった。

仏間に戻って、再び用意して待っているところへ、第二組の三人、 板垣、広田、木村さんが降りて来られた。 顔を合せると、すぐ広田さんが真面目な顔で、

「今、マンザイをやってたんでしょう」といわれた。

「マンザイ? いやそんなものはやりませんよ。どこか、隣りの棟からでも、聞えたのではありませんか」

私も真面目に、こうこたえた。

「いや、そんなことはないが・・・・・・」

とにかく、今度は三人とも仏間の中に入ってもらって、お線香を一人ずつに、 前のように渡して立ててもらい、署名をされたあとで、今度は時間があったので『三誓偈』を全部読んだ。 木村さんだけは、眼鏡をかけて降りて来られ『意訳聖典』も持って来られたため、 私の読経中それを開けて読み、私の読経に合せておられた。お経の終ったあとで、広田さんが、

「このお経のあとで、マンザイをやったんじゃないか」といわれた。 私も、やっと気がついて、

「ああバンザイですか、バンザイはやりましたよ」といった。 それでやっと、マンザイがバンザイだとわかって、

「それでは、ここでどうぞ」

というと、広田さんが板垣さんに、

「あなた、おやりなさい」

とすすめられ、板垣さんの音頭で、大きな、 まるで割れるような声で一同は「天皇陛下万歳」を三唱された。もちろん、手はあげられない。 それから、仏間の入口に並んで、みなにブドー酒を飲んでもらった。 このときは、米兵の助けをかりず、私がコップを持って、一人一人全部に飲ませてあげた。 広田さんも、おいしそうに最後の一滴まで飲まれたし、 板垣さんの如きは、グッと元気よく一気に飲みほされた。 よほど好きらしかった。 木村さんだけは、半分以上残された。 余り、酒の好きな人でないと見えた。 次に、水を飲みかわして、しっかりと握手をした。 みな、にこにことあいさつをされて、

「いろいろお世話になりました。どうぞお大事に、また家族たちをよろしく」

たいへんに、感謝された。

それから、前のような列になって刑場の入口へすすみ、私はここで、前と同じように、別れた。 最後に、木村さんは頭を幾度も下げ、にこにこ笑って、私に、

「どうか、家内たちをよろしくお願いいたします。お世話になりました」

と、長いあいさつをして刑場に入られた。 中庭はそうでもなかったが、刑場の中はあかあかと照明に照らされていた。 この時も、また途中でガタンを聞いた。零時二十分だった。

花山信勝 「巣鴨の生と死」

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この、最後に7名にお会いになられた教誨師の花山信勝さんのお孫さんが、金沢市の宗林寺というお寺を継いでおられ、2年前の夏に、以下のようなことがあったと。当時の読売新聞が伝えていたそうです。

A級戦犯7人、最期の肉筆…遺書など一般公開<

 東条英機ら「A級戦犯」7人の処刑に、日本人でただ一人立ち会った教誨(きょうかい)師花山信勝(しんしょう)(1898~1995)の生家で、7人が最期に残した署名などを保管している金沢市の宗林寺が、戦後70年を機に遺品を一般公開している。

 信勝の孫で住職の勝澄(まさずみ)さん(59)は「戦後の始まりを振り返り、平和を考えるきっかけにしてほしい」と話している。

 公開されているのは、A級戦犯として絞首刑となった7人の署名や遺書の写しのほか、処刑直前に飲んだワインの瓶や、戦犯が拝んだ仏像など。これまで檀家(だんか)や研究者、報道機関など以外に公開されていなかった。

 東条の遺書は、処刑の約1か月前に信勝に託したもので「刑罰は私に関する限りは当然である」「ただ戦禍を受けた同胞のことを思う時、私の死刑によっても責任は果(た)されない。全く相済まぬと思っている」などと記されている。

 金沢市武蔵町の浄土真宗本願寺派・宗林寺で生まれた信勝は東京帝大教授を務めた仏教学者。1946年2月、巣鴨拘置所(巣鴨プリズン)の教誨師に任命されて戦犯らと交流し、極東軍事裁判(東京裁判)で死刑判決を受けた戦犯の処刑に立ち会った。

 巣鴨拘置所で東条英機(元首相)、広田弘毅(同)、板垣征四郎(元陸相)、木村兵太郎(元ビルマ方面軍司令官)、土肥原賢二(元奉天特務機関長)、松井石根(元中支那方面軍司令官)、武藤章(元陸軍省軍務局長)の7人の処刑が執行されたのは、48年12月23日未明。信勝の著書「平和の発見」によると最期の酒としてワインが出され「悲しみも動揺もなく、平常心そのまま、『念仏』とともに死についた」とある。信勝は執行の間際に署名を求め、7人は手錠をかけられたまま揮毫(きごう)した。その絶筆は、同寺の石碑に刻まれている。

 勝澄さんは「歴史として冷静に振り返ってもらうには長い時間が必要で、一般公開は戦後70年を節目と考えた」と話す。

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「教誨師花山信勝氏のご子息花山初音陸将補は学習院で天皇陛下と交流があり、後に陸上自衛隊に一般大学卒(学習院)の幹部候補生として入隊されました。 第1空挺団勤務や富士教導団長等を歴任され退官後の講演を2度程拝聴させていただきました。 花山初音氏も鬼籍に入り数星霜… 教誨師の子が国防に生涯を捧げたエピソードも知っていただきたく、書き込みました。」

コメント欄にいただいた「鉄」さんの書き込みです。教えて下さいました。

ありがとうございました。

以上、引用ばかりではありますが。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

戦勝国アメリカは、日本の皇太子の胸に恐怖のクサビを撃ち込んだ。あっさりと殺しはしなかった。

小麦粉の会社の娘、クリスチャンの美智子さんを、皇嗣の妻にと送り込んだ。この夫人を、おそらくは(送り込んだ先の者たちでさえ)予想した以上に、誰より大切な存在として生きた陛下は、お幸せでいらしたのですね。泣くほど大事。誰より大事。羨ましいような件です。羨みはしませんが。その夫人が、重いものを一身に背負って絞首刑で逝かれた、そして今は靖国に眠る英霊がたを「A級戦犯」とお呼びになったのでした。

天皇陛下ばんざい、と、A級戦犯と呼ばれた方々は、散って行かれたのでした。死を賜る直前にも。

平成最後の天皇誕生日に、集った善男善女も、日の丸の小旗を打ち振って、唱えられたのでしたね。

天皇陛下万歳、と。

 *  分類 : 皇室のことなど
自動通知機能 : -  *  伝言 : 5  *  記事編集  *  2018年12月24日(Mon) 22時55分
 すっごい着物、総絞り。
今上陛下のお誕生日だそうで。

昨日は奈良へ「平成最後の」墓参り。済ませて大阪へ回り、保護犬、もうはやりじゃないからと実質捨てられた老ハスキー犬の、飼い主になった長年の友人宅を平成最後に訪ねたら、わんこ、でっかい体で、友人のだんなさん=わんこリッキーの、お父さん=に、なついて甘えて、父子共に幸せそうで、見ていてこちらも涙が出ました。

わたし間違えていますね。今年最後の、なのですね、↑ の「平成」っての。耳にへばりついてしまっていて・・というのは、言い訳で、間違いです。お詫びとかはさせてもらいません・・てへへ、のぺろっぺろ。

今日は朝から年賀状書き。他あれこれすることがあって、パソ君の前へ、やっと座れた次第で。

へーかのお言葉を、まだ、きちんとは読みも聞きもできていません。さっきチラリと見得た画像では、天皇陛下にやたら近々とくっついている美智子さんの、お着物が、

どっひゃあああああ、あああとなってしまったくらいの、すっごいお着物で。

総絞り。柄の入った総絞り。あれは初めて見た総絞り。そばに寄って行って(捕まるやろか)、じいいっと眺めて(穴があくやろか)、ちょ、と触って(ぶっ飛ばされるのかなあ)、「これ、いかほど?」とかお尋ねしたら。

どんなお答えを頂けるのかしら。

災害の多かった平成にっぽん。さまざまなものを失くした人々がたくさん。そんなことにも、お言葉で触れられたようですが。

なんぼヒエラルキートップのお方の奥さんだって。ああまで豪華な(=お値段たっかそうな)着物・・お嫁さんにもお孫さんにも譲られそうにもない・・天皇位をムスコに譲るようにはホイっとはあげられそうでない・・・着物、着てるツマ、あれ、どうよ。

とか、思ってしまいました。ゲスかなあワタシ。ゲスでもいいぞ。どんだけ、いつまでも、贅沢してはるんでしょ、あの。

お召し物のことを書くと、ふつうの方とは違うのだから、と、ほぼ確実に、言われます。ほぼ確実に私が思い描く言葉は、

「よその国の王室の方では無いのだから。天皇は神道の長、祭祀王(のはず)。敗戦で皇室の私有財産は取り上げられ(たはず)、好きな言い方ではないが事実、税金でお暮らしの御身。最高位神官の夫人が、なんであそこまで着道楽。」

と、こう意識はめぐるのです。

天皇さんが、民を思って声涙くだる、とかのオコトバをお出しになられても。作者は奥さんだとか言われてるのは、今の時点でハアクしております、ちょっと聞けば即、わかる。慈愛の美智子さまのお作であると。

とにかく。国を愛するミジンコの一人を自認する者ではありますれど。

着物の豪奢だけが、いま、気持ちに残っておる次第です。恥ずかしいですが、そうなのです。


 *  分類 : 皇室のことなど
自動通知機能 : -  *  伝言 : 3  *  記事編集  *  2018年12月23日(Sun) 22時41分
 師走の、みんなのうたです。
     KUON の詠める

・革命は書物の中に銀色のフォーク、ケーキの薔薇に突き立つ

・五十路なる東宮の夫婦キツキツに座して笑顔のごとき交はせる

・美智子サンの話題に遂に混ぢらざりし師を想ふその孤独をおもふ

・平成の終わるとけたたましき世から「すめらぎ」なる語おそらくは消ゆ


・太陽が冬の朝(あした)の海に光る憂き文を読む吾を許すがに

・憎みたる日々は茫々老い夫(つま)に例のパッドの在り処を示す

・給料遅配とわれには言ひて母親の旅費遊興費夫の運びゐし

・旅するは魂を高むるためと言ふ義母と義弟が常に真顔に

・ワタシニハ魂ナンゾワカラヌガ家ノローン食費学費ガ要ルノ

・金ナドニ囚ハルルナト義弟イヒ義母イヒ夫ハ巻カレテイマシタ

・留守宅の雨戸開けたり閉めたりに子連れて通ひぬ素直とは ばか

・妻われは黙す母親は言ひつのる単純に逃げてゐたかったのね

・友と笑ふ実家の有らば子の無くば100回くらいは離婚してしと

・一度くらい愚痴めんめんと書きたかりき 書きて理解すあれよりなかりし

・三日ごとに墓を如何にと葉書くる返事よこさぬと姑(はは)は怒れど

・娘二人とつぎて家を継ぐ者無し庶民らしゅうて佳いではないの

・祖父祖母の叔父の潰せしその家を吾が子に守(も)れとぞ宣(のたま)ひますな

・南向く窓辺に赤きシクラメン夫は優しき男となれり


     白萩 の詠める

・打掛の肩にずしりと掛かりたる生を共にする重み知るなり

・参拝の人々自ずと道あけて花嫁行列静かに進む

・名も知らぬ方々より寿ぎ受けて玉砂利しかと踏みしめ歩む

・結い上げた髪 角隠し この頃は目新しく映るものらしき

・亡き義母(はは)の写真携う義祖母(そぼ)の「頼むね」の言葉は二人分なり


     まめはな の詠める

・りんご食めばサクリサクリと香は立ちて新雪の上(え)を歩むがごとし

・仏壇に威風を正すバナナありて南国の王のごとく聳ゆる

・吾を盾にサンドバックにせし母の幼(おさな)に還りて逝き給ひけり

・そは家を滅ぼすために生まれしと叫びし母も死に給ひけり


     かりそめ の詠める

*クリスマス避けて予約のレストランマニキュア美(は)しき友の指先

*しとやかにラストオーダー告げらるる珈琲冷えて話はつきず

*喧嘩して何度絶交したことか半世紀経てマリチャンのまま

*喧嘩して別れし畦を蛇よぎり友に抱きつきもう仲直り

*臆したる転校生の我をかばふあの頃友は学級委員

*歳上の友とあなたは重なれり同じ歳でも長女は長女

    踊の輪ひとり抜けてもすぐ埋まる と詠みて

*秀句とて我が作の載る商業誌こんなに見たら擦りきれないか

*過褒なる批評に感謝その人は無関心から好きな作家へ

*初めての句稿料とて二千円ちさき神棚買ふ足しにせむ


     アルジェリマン の詠める

ようやくに冬の陽満ちた庭で犬 片耳立てて身じろぎもせず

どこどこと轟き闇が押し寄せる 星か花火か一筋流る

ヌエさえも鳴かぬよな夜に遠くより とよみ寄せ来る光るハイウェイ

上弦の月は西空低くあり パチンコのネオン消えている夜に

偶数の月の半ばのパチンコ屋 音と年寄り飲み込み吐き出す

冬は夜 我が憧れは遠い月 冷たく白く硬く輝く


     おてもやん の詠める

○遠距離で息子の恋が終わったと人づてに聞く年の瀬寒し


     ひらりんこ の詠める

皇室がどうあれ民の世は回る
なれど心は塞ぎ苛立つ


     黒猫アビ の詠める

 ・何気ない暮らしの中に和みあり
  窓辺越しにて季節楽しむ

 ・老いたいま自由な時間楽しんで
  持病はあるがのんびり生きる

 ・化粧して出かける元気なくしても
  今に治るサ カラ元気だす

 ・孫娘とうに背丈は我を超え
  幼き頃の想い出よぎる


     ゴネコ の詠める

重たげに脚を引きずり歩く背に黒き子猫のまとわりつきて


     パール の詠める

⭐夢のなかに入りて亡友(とも)と語り合う
 変わらぬ笑顔と長く語らう

⭐「良性」と夜半のLINE友よりの
 新年会は笑って会おう

⭐「プレゼント。日本好きだ。」とレマン湖で
 奏でてくれた スキヤキソング
       <ヨーロッパの思い出>

⭐極月は心身ともにフル回転
 山茶花の香に癒やされようか

⭐迷っても時間(とき)は平等身はひとつ
 別路も可なり今宵新月
     

★我を通し祈りを忘れ好き勝手
 ただのセレブは日本に不要

★パーフェクト出来ない事は何も無い
 スーパープリンセスと呼ばれるらしい

★運動会結果出なくて9連休!
 小学生でも休みませんわ
     <どちらも愛子さん>


     たまき の詠める

さみしさの 正体は何 つきとめよ
そのミッションの 道の険しさ

我らみな 光を探しに 舞い降りた
この星の上 巡る旅びと

難しい ことなど何も ないんです
そんな気になる 林檎食べると

誰も来ず 誰をも訪ねず 過ごす日々
刻は止まれり 深海の底


     温泉郷 の詠める

シャンゼリゼ石畳剥ぎ放火するシャッターおろし息をひそめる

  マクロンの報道に接して

級友の母にキスして略奪婚変態男大統領になる

日産の技術を奪いルノーからシナへと流す企みあらわ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今年一年、共に過ごすことができ、ありがたくうれしいことでした。

くる年もまた、と、願っております。

抒情の泉は汲まねば涸れる。もったいないですよね、自分の気持ちが。小さいてのひらであっても、そおっと、掬ってあげましょう。とか今夜は真面目なKUONでした。

明日はコメントにお返事したい!。





 *  分類 : みんなのうた
自動通知機能 : -  *  伝言 : 2  *  記事編集  *  2018年12月22日(Sat) 22時18分
 師走もおべんきょ 3
大変おそくなりました。続けさせていただきます。

この色が詠草。この色は詠み人さんのメッセージとか、詞書です。この色は詠み人さんのお名前です。この色はKUONが書いているところです。.

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

     おてもやん

○遠距離で息子の恋が終わったと人づてに聞く年の瀬寒し

人づてに、の一語がなんとも。で、年の瀬の寒さもひとしお。お母さん、静かにファイトだ! とか思わず道化てしまったワタシを許して下さい。いい子な我が子は、いい子過ぎて辛いこともあるのですね・・・。

     ひらりんこ

皇室がどうあれ民の世は回る
なれど心は塞ぎ苛立つ

一首、きちんと成立しておられます。

皇室がどうあろうとも民の世は回る。その通り。あのごとき一族に穢されないで、民は民の生を、一日いちにちを、きっぱり生きて見せましょうよ。ここしばらく、もっと、輪をかけて目を覆いたくなる惨状が続くと思われますが。でも。


     黒猫アビ

 ・何気ない暮らしの中に和みあり
  窓辺越しにて季節楽しむ

悠然たる一首。こういう自分であり続けたいですね。

 ・老いたいま自由な時間楽しんで
  持病あるけどのんびり生きる

このままで充分ですが、あえて手を入れるとすれば。口語体の味をそのままに、「持病はあるが」とか。「持病あれども」などとしてしまうと、「老いし」にすることになってしまう。アビさんの味を生かして、このまま、もしくは「持病はあるが」がいいと思います。かけて「持病に付き合い」は?(笑)。

 ・化粧して出かける元気なくしても
  今に治るサ カラ元気だす

そうですね。すっごく今日は気分いい、ってな日は、口紅ぬりぬり、どこか綺麗なお庭でも眺めに・・いかがですか(笑)。

 ・孫娘とうに背丈は我を超え
  幼き頃の想い出よぎる

孫さんに追い抜かされるのは、幸せなこと。大きくなったのね、と、きれいな線の頬を見上げれば、ふっと、この頬がばあちゃんの頬にぺったり張り付いてくれた幼い日の思い出も、胸をよぎる。実は私も、抜かれました。

     ゴネコ

  慌ただしい朝にえいやっ!
  おはずかちいのですが、えいやっとばかりに、二つばかり投稿させていただきます。


「お客様」言われてもなお座り居て破れた手袋しもやけの脛

はずかちいのに、エイヤっと。とても嬉しいです。嬉しいので、冷徹にバキバキ言わせてもらってしまいます。

短歌のリズムも形も、うたにする目もできておられます。ただ残念なのは、一読して、意味が、すぐに通らないのよ。お客様、と言われているのは自分なのか、呼ばれた、ということなのか、様付けで呼ばれているのに、破れた手袋って、それが恥ずかしいと思っているのか、「なお座っている「」のは、しもやけの脛が気になるからなのか。いっぱい書いてしまいました、ごめんにゃさい。
短歌はまだ慣れておられない、でも、言葉に関する素養はおありと拝察。うたにす自虐は創作への第一歩でもある。わかってくればどんどん伸びられると確信します。
できたら、これ、宿題にさせていただきたい。自分は、これで、何を、どう詠みたいのか。自分自身に向ける目は厳しくお持ちなので、それを出して行くことを覚えられれば、と、思います。ぜひぜひもう一度、お寄せください。


重たげに脚を引きずり歩く背に黒き子猫のまとわりつきて

このうたも、必要なことは見て、書いておられます。見て辛い光景を、辛いと書かずにこうして描写されながら、たくさん作って下されば、と願います。子猫の色が「黒」なのも、事実であるにしても「三毛」よりは、うたの淋しさが際立っています。黒、でよかったのです。

     パール

⭐夢に入(い)り心穏やか亡友(とも)に会う
 変わらぬ笑顔長く語らう

うたいたい思いを勝手に忖度させていただき、ゆったりとした形にしてみましたが・・

「夢のなかに入りて亡友(とも)と語り合う変わらぬ笑顔と長く語らう」


⭐「良性」と夜半のLINE友よりの
 新年会は笑って会おう

夜半のLINE、ドキ、とされたかな、しかし検査結果は「良性」だった。バンザイ。新年会は盛り上がろうね、と。

⭐「プレゼント。日本好きだ。」とレマン湖で
 奏でてくれた スキヤキソング
       <ヨーロッパの思い出>

素敵な思い出ですね。精一杯「スキヤキ」を奏でてくれたこの方が、今も日本を好きでいて下さるといいなあ。

⭐極月は心身ともにフル回転
 山茶花の香に癒やされようか

⭐迷っても時間(とき)は平等身はひとつ
 別路も可なり今宵新月

新月。お月さまはえらいですね。ちっとも本当には汚れられない。
     

★我を通し祈りを忘れ好き勝手
 ただのセレブは日本に不要

そうそう。そして、まことのセレブですらない、セレブもどき。

★パーフェクト出来ない事は何も無い
 スーパープリンセスと呼ばれるらしい
★運動会結果出なくて9連休!
 小学生でも休みませんわ
     <どちらも愛子さん>

あのお嬢さんを、あるがままに認められない両親も父方祖母も母方祖父母も。ひとの心を持たないモドキかと思う。本当に慈しんでいれば、この扱いは無いと思うのです。

     かりそめ

*初めての句稿料とて二千円ちさき神棚買ふ足しにせむ

貴重な、重みのある二千円です。ちさき神棚買ふ足しにせむ、が、いいなあと思います。

*踊の輪ひとり抜けてもすぐ埋まる

私の厚かましい求めに応じて、教えて下さった一句。

たった十七文字、その中に、言い知れぬ無情,無常の思いが籠っている、と読ませていただきました。



     たまき

さみしさの 正体は何 つきとめよ
そのミッションの 道の険しさ

我らみな 光を探しに 舞い降りた
この星のもと 巡る旅びと

いつもながらイメージは的確。で、この「星のもと」で、ううむ、となったのでありました。んん?。

難しい ことなど何も ないんです
そんな気になる 林檎食べると

さふいへば、さうだ。

誰も来ず 誰をも訪ねず 過ごす日々
刻は止まれり 深海の底

     温泉郷

今月はフランスのうたです。

シャンゼリゼ石畳剥ぎ放火するシャッターおろし息をひそめる

よく判る光景、と思います、が、シャッターおろし息をひそめる、のは誰か(店の人に決まっていますが)、、このままでいいのかなあ、と、少しだけ考えました。臨場感ありますよね。フランス革命を描いた、すごい場面の映画、動画で見直したりしてしまいました。

  マクロンの報道に接して

級友の母にキスして略奪婚変態男大統領に

マダムとは歳の差婚と知っていましたが、そういうなれそめでしたか。ええ? 大統領閣下は、ヘンタイ男なんですか? 

日産の技術を奪いルノーからシナへと流す企みあらわ

ゴーン、今日保釈かと言われていたのに、再逮捕と。あの顔は初めから、ワタシ的にはペケでした。期限内であれば、何度でも変更など、仰って下さいね。大丈夫ですよ。にっこり。


ありがとうございました。

追記。

白萩さん。

ずっと考えておりましたが、今月のおうたは、すべて、ご本人の元のまま、が、よろしいのではないかと。大切な事の記録でもあります、書かれたまま、されたらいかがかと考えました、いかがでしょうか?



 *  分類 : みんなのうた
自動通知機能 : -  *  伝言 : 8  *  記事編集  *  2018年12月21日(Fri) 19時20分
 師走のおべんきょ 2
おべんきょ続けます。

この色が詠草。詠み人さんのメッセージとか、詞書です。この色は詠み人さんのお名前です。KUONが書いているところです。.

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

     かりそめ

*クリスマス避けて予約のレストランマニキュア美(は)しき友の指先

*しとやかにラストオーダー告げらるる珈琲冷えて話はつきず

クリスマスを避けて、と。これは事実であってさりげない言いようのようですが、たくさんのイメージを喚起させるのですね。喧噪とか。その季節の空気の冷たさも色彩の華やぎも。目の前に見えているのはそして、「マニキュア美(は)しき」友の指先。

ラストオーダーを告げに来る方も、淑やかに、と。時期を選んだのみでない、お店自体の魅力も伝わります。お話尽きないですよね、居心地のいいお店で。


*喧嘩して何度絶交したことか半世紀経てマリチャンのまま

*喧嘩して別れし畦を蛇よぎり友に抱きつきもう仲直り

*臆したる転校生の我をかばふあの頃友は学級委員

*歳上の友とあなたは重なれり同じ歳でも長女は長女

女同士の間に友情は無い、など、ある時期まではよく聞きましたが、嘘ですね、それ。嘘です。

*秀句とて我が作の載る商業誌こんなに見たら擦りきれないか

*過褒なる批評に感謝その人は無関心から好きな作家へ

もしかして何より嬉しい、作品を評価されるということ。

おめでとうございます、と申し上げます。どんな句なのかなあ、と、少し、いやハゲしく知りたいと思う也。「無関心から好きな作家へ」と、ド正直なのが、とても素敵です(笑)。どんなお作だったのですか? よろしければ教えてください!。


     アルジェリマン

ようやくに冬の陽満ちた庭で犬 片耳立てて身じろぎもせず

片耳だけを立てている。何を感じているのか、この犬にはきっと、片耳だけで聞きたい何かがあるのか。「庭で犬」のところ、新鮮な書き方だと思いました。

どこどこと轟き闇が押し寄せる 星か花火か一筋流る

星か花火か、一筋流れるこの夜の闇は、とっても濃い闇で。

ヌエさえも鳴かぬよな夜に遠くより とよみ寄せ来る光るハイウェイ

う~む。正直、いささか迷いました。ヌエさえも(ちなみにヌエは「鵺」、むかし、吉田日出子が、鵺の無く夜はおそろしい」と、独特の低音で・・あらごめんなさい、脱線)。そう、この「鳴かぬよな夜に」の、「よな」で、立ち止まってしまった。他の言い方にすると平凡になるか・・このまま、行きましょうか。

上弦の月は西空低くあり パチンコのネオン消えている夜に

パチンコ屋のネオンの消えている、深い夜の色の空。

偶数の月の半ばのパチンコ屋 音と年寄り飲み込み吐き出す

今夜あたりもまだ、そうなのでしょうか。年金持ってパチンコへ。若い人たちは個人個人のゲームをするし、パチ屋さんも遊ぶ人激減のようで。あまり潰れてもいないようですが。近くを通りかかってドアが開くと、うわあぁ!と音が溢れ出すんですよね。

冬は夜 我が憧れは遠い月 冷たく白く硬く輝く

この夜、この時、作者は清少納言。「く」の連続が、ここ、うまく決まっています。

  ・・・気付けば一首をのぞいてすべて夜。
  夜の散歩の時に、空を見上げて言葉を捜しています。


今日は朝から奈良へ帰って。お姑さんと、今年最後の病院へ行きました。薬をもらって、買い物に一緒に行って、私もそうするからと、一人でカートを押して店内を回ってもらいました。ものすごい量の食料品を盛りあげておられるので、ムム、と思ったけど、買いたかったんだなあ、なかなか一人で買い物ってできておられないんだなあ、と、その奔流のような買いまくりぶりに、少ししみじみしました。ものを買うのが大好きな方だったんです、ずっと。塩分のきつ過ぎるようなモノは悟られないように外してレジを済ませて。九十一歳の姑、嬉しそうに両手に袋を提げて、お店を出られましたよ(笑)。

今夜は、ごめんなさい、ここまでです。



 *  分類 : みんなのうた
自動通知機能 : -  *  伝言 : 2  *  記事編集  *  2018年12月20日(Thu) 20時47分
 師走のうたのおべんきょしましょ。
温かくした部屋の中で、寄せられたおうたを、みっしりと味わっております。

この色は詠草。この色は詠み人さんからのメッセージや詞書、です。この色は詠み人さんのお名前。KUONが書かせてもらっている部分です。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


     白萩

   春待月のうた

・打掛の肩にずしりと掛かりたる生を共にす重み知るなり

まずは、挙式披露宴を了えられましたこと、お祝いを申し上げます。以前のおうたに、お母さまとお選びの衣裳のことなど、お詠みになっておられました。おめでとうございます。末永く、幾久しく、お幸せであられますように。。

で。おうたです。うたの形は整っておられますし、「生を共にす」の「す」が、気になる他は、このままでいいかとも思われますが。一生に一度の機会のおうたです。こんな風にされたら、との感想を書かせてもらいます。

「ずっしりと打掛け肩に掛かりたり生ともにする重み知るなり」


・参拝の人々自ずと道あけて花嫁行列静かに進む

この一首も、このままでも、と思います、が、わたし欲張り。せっかくの素敵な場面を、もっと生かしたいのです。

今では珍しい角隠しの花嫁姿。花嫁行列のしずしずと進むに、居合わせた方々が「自ずと道あけて」下さった。素敵な場面。しかし、一首、このままでは第三者の視界。はたから見ている光景になる危険性があります。そうでなく、詠み手は言うまでも無くこの花嫁ごりょう。花嫁さんは、おのずと道をあけてくれる人々に、感謝の念を抱いていたであろうから、それは、うたの中に詠みこまれている必要があるのでは。

「参拝客ら自ずと道をあけたまひ花嫁行列静かに進む」

あくまで私の感じようですけれど。


・名も知らぬ方々より寿ぎ受けて玉砂利しかと踏みしめ歩む

この時おそらく、胸は熱くいっぱいになっておられたかと。

「い合わせし人らの寿ぎ身に受けて玉砂利しかと踏みしめ歩む」


・結い上げた髪 角隠し この頃は目新しく映るものらしき

・亡き義母(はは)の写真携ゆ義祖母(そぼ)の「頼むね」の言葉は二人分なり

夫君となられた方のお母さまは、今は亡い方。その(娘さんの)写真を携える=携う、のは、お祖母さま。そぼ、とルビを打つなら、ここは「祖母君(そぼぎみ)」とお呼びしましょうか・・古い?。「頼むね」の一言は、万感胸に迫るものでいらしたでしょう。受け止められる詠み人さんの心も。

  挙式披露宴を終えてホッとしたところです。
  暖冬と言われておりますが冬は冬。インフルエンザも流行期に入ったとか。
  何かと忙しくなる季節です。kuonさまはじめ皆様、どうぞご自愛下さい。



     まめはな

・りんご食めばサクサクサクサク香は立ちて新雪の上(え)を歩むがごとし

清冽な一首。北原白秋を想いましたよ。

サクサクサクサク。う~む。わかる。判るけど、サク、多すぎると思う・・・わかるんですけどね。

サクリサクリですと、スピードが変わりますね、明らかに。」サクサクサクサクですと、語感は気持ちいいのですよね。香りよりりんごの食べっぷりの方に感覚がゆく・・サクリサクリと、たとえばしてみると、香りがはぁ~っと来ませんか? お好みです。


・仏壇に威風を正すバナナありて南国の王のごとく聳えり

はっきりと「絵」が見えます。仏壇のバナナの黄色が快いかな。「聳えり」は、厳密に文法的に言うと、いささか怪しいかな・・「聳えをり」が正しいかな、「聳ゆる」だと問題なしだと思います。


・吾を盾にサンドバックにせし母の幼(おさな)に還りて逝き給ひけり

経験した者でないと詠めない、こういううたを読むって苦しい、です。

・そは家を滅ぼすために生まれしと叫びし母も死に給ひけり

  見苦しい歌で申し訳ないです…
  添削よろしくお願い致します。

・そは家を滅ぼすために生まれしと叫びし母も死に給ひけり

うたのなか、そんなことを叫んだのは、誰ならぬ母。そんな母も「死に給ひけり」と、穏やかな言葉で詠んでおられる。

長い歳月と長い煩悶が、その時間の流れの中にあったのでしょう。

見苦しくはないです。見苦しくても重くても暗くてもいいです。詠むことで作者は、母を、許し,いつくしんでおられる。昇華されたのだと感じます。もっとうんと、思い切り詠んで下さい。


今宵はここまでとさせていただきます。

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