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ノー・タイトル。

今日。コンビニエンスストアで眺めた週刊誌(文春でした)の表紙。

内容は存じません。雑誌、開いていません。その表紙のその、上の方にあったコトバ。

<小室圭さん
  「マスコミは文書を誤読している」>

ですと。これ何のこと。このヒト、何。

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    『わが庭の 宮居に祭る 神々に 世の平らぎを いのる朝々』

                                  昭和天皇御製


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     昭和は遠くなりにけり



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体調無視のスケジュール(泣)の雅子さま?

(私にしては大変な額の)、会社の国税、県税、市税を、納めて来た。はぁやれやれ。銀行の近くのコメダ珈琲店へ、よろよろと入って行って、コーヒーとハムトーストを頼んだ。ここは卵をたっぷり使ったサンドゥイッチも美味なのであるが、今日の気分はハムトースト。

店内は空いていた、一度に何冊も借りてもよかろうと、週刊誌4冊、席へ持ち込む。最近は買わない。

煽情的な文字の踊る派手な表紙、その記事。日本の皇族の話題、メッタメタ。コムロなんとかの例の文書について、ドーダコーダとけたたましい。一応すべて、目を通してみた。中の、どの一冊だったか、雅子さんとやらのことを出していた。少し古い雑誌なのかもしれない。とはいえ、今年になってのもの。

正しくは覚えていないが、人格否定再来か、みたいに表紙にコトバがあって。ふ~ん、これはあの、皇太子とやらの「キャリアに基づく雅子の人格を否定する動きが」あった、という、公人が発するにしてはばか過ぎて恥ずかしいのに、恥をしらないから堂々と世の中に広まってしまった、あのことだな、きっと。

それを、なんで、今頃? 人格って何のこと? まさこの人格? は? 嫌みだな、KUON

正しくは覚えていないが、どうも「体調無視の」スケジュール、とか。

今年あの夫婦は、代替わりによって天皇とか皇后とかになる。らしいのだが。それに関する行事が、半年ほどは続く。それが、十何年も闘病中であらせられるまたこたまには、しんどい、苦しい、厳しい、無理、なんだとか(記事に無い言葉が、どさくさにまぎれて入っているかも知れませんが、言いたいのはこういうことと拝察された)。

詳しくは忘れたが、だから雅子さんとやらは、いま、お辛いのだとかなんとか。

その雅子さまを、救ってさしあげられるのは、皇太子さまだけ、なのだとか、なんとか。

笑う。

バレさせないように取り繕ってきているが、まさこさん、十何年、まともな「公務」していないです。サボリ一覧表あります、いっぱいある。

精神病であることは、隠せないからおそらく方便として、言われるようになって来ている。その病気の方を貶めるつもりは全く無いが、皇后さんになって、つとめて行けるとは、考え難い。

今になって「体調無視の即位後スケジュール」(ってヒドい)と、泣きを入れるなよ。今になって。誰のせいなんだよ、と、週刊誌を閉じながら、お腹の中だけで呟いていた、私であった。誰も頼んでいないんだよ、と、お腹の中では非常にガラ悪いわたし。甘えるな、泣くな,アホか。引っ込め、消えろ、国民に精神的負担かけるな、アホ。

廃妃希望、と、多くの日本人が、何年、どんな思いで、願って来たことか。。

おまけ、ではないですが、以下、一月中頃発売の「週刊新潮」誌の記事の一部です。

 1月7日、雅子妃が3年ぶりに宮中祭祀への出席を果たされた。このお出ましは、世間の目にはご体調が上向きにあるように映った。その一方で、宮内庁のさる幹部には、宮中祭祀が“新皇后”の前に立ちはだかる高い壁だと再認識されるきっかけとなったという。

 昭和天皇が崩御し、天皇陛下の即位から30年を迎えた1月7日。八王子の武蔵野陵と皇居の宮中三殿で、「昭和天皇三十年式年祭の儀」が営まれたのだが、
「天皇皇后両陛下は武蔵野陵に参拝され、皇霊殿の儀には、両陛下のご名代で皇太子ご夫妻が臨まれました。雅子さまの宮中祭祀は、実に3年ぶりです」
 と、振り返るのは宮内庁担当記者。

「雅子さまが帯状疱疹で“長期療養生活”に入られたのは2003年12月。その年9月の『秋季皇霊祭・秋季神殿祭』を最後に、09年1月に営まれた『昭和天皇二十年式年祭』まで宮中祭祀に出られませんでした。以降は、16年4月の『神武天皇二千六百年式年祭』まで7年の間が空き、今回のお出ましへと続きます」

 療養後3年ぶり3回目の宮中祭祀を受け、宮内庁のさる幹部が打ち明ける。
「最近の雅子妃殿下は地方行啓や園遊会もこなされ、元日は、陛下に三権の長などがお祝いを述べる『新年祝賀の儀』にも出られました。この“復調”の裏であらためて懸念されているのが、宮中祭祀に対する妃殿下の胸の裡なのです」
菊の壁
 それはいったい、どんな思いなのか。

「宮中祭祀には、豊穣を祈る祈年祭や新穀を供えて口にする新嘗(にいなめ)祭をはじめ、今回のように先祖の霊に祈る祭典があります。妃殿下は、古式にのっとり大垂髪(おおすべらかし)を結い重い装束を身にまとって臨まれるので、肉体的な消耗がとても大きいのです」

 だがそれ以前に、
「妃殿下は合理性を重んじる海外での生活が長く、キャリアウーマンとして活躍してこられた方です。必ずしも理屈では説明がつかない祭祀という分野について、いまだに割り切れない思いをお持ちなのでは、と拝察されます」

 ならば、なにが割り切れないのか。
「たとえば、宮中祭祀にともなう“潔斎(けっさい)”という所作。儀式の前、全身を清めるために湯を浴びるのですが、着替えから女官の手によって行われます。妃殿下はご自身の裸を他人に晒さねばなりません。こうした“不合理さ”も、宮中祭祀を遠ざけてきた理由の一つと言われているのです」

 これら、日本の皇室ならではの特殊な儀式は“菊の壁”とも言われるという。皇室ジャーナリストの神田秀一氏が語る。

「少なくとも推古天皇の時代から脈々と続いてきた祈りの儀式が宮中祭祀。皇室の慣習であり伝統であり、アイデンティティーそのものです。外交官を務められていた雅子さまが馴染むにはハードルが高いかもしれません。主要な宮中祭祀は、年に30ほどあります。皇后になられた雅子さまがこれらをどこまでこなせるのでしょうか。ご病気が治ったわけでもないですし……」

 行幸啓などのご公務や国事行為のみならず、宮中での祈りもまた、両陛下の大切なおつとめであることは言うまでもない。美智子さまと比べ、“雅子妃不在”が際立つ面もある。しかし、なによりも、胸の裡が問題なのだという。
「週刊新潮」2019年1月24日号 掲載


「妃殿下は合理性を重んじる海外での生活が長く、キャリアウーマンとして活躍してこられた方です。必ずしも理屈では説明がつかない祭祀という分野について、いまだに割り切れない思いをお持ちなのでは、と拝察されます」

でも、その祭祀を行う家に嫁いで、いい思いは享受してきたのであって。

いいとこ取りはダメなんですよ。学歴詐称、職歴詐称、男性遍歴もみ消し、皇室のお宝売り飛ばし疑惑は時効に持ち込み、。一人娘さんを何人も取り揃えて使い回ししたり、しても、何とか出来てきたようですけど。いつまでも通らない日、は、来る。

合理性が大事なら、皇室を出て行けばよかったのに。鳥籠の扉は開いているのに、と揶揄してくれたのは、海外のメディア。

皇太子妃のうちは離婚だって可能。さぼりも可能だった。

今になって「コワイ」と仰せられるか、皇太子妃殿下。


落語を聞いた

頂いているコメントへのお返事は、今夜ゆっくり書かせてもらいたいです。

土曜日は婚家のお墓参り。
高速道路を抜けてしばらくすると、お山に雪がうっすらとかぶっているのが見えました。供華を買いに寄った店のレジのあたりで、その朝まで雪が降っていたのだとわかりました。聞き耳KUON(笑)。

墓碑は冷たかった、冷え切っていました。拭いて、まわりを掃いて・・草も生えていません・・お花供えてお線香を手向けて、ひとつき見守って下さったことに感謝して‥中に、わたしが知っている方は舅ひとりではありますが・・おー、寒、寒、終わったぁって感じで、さっき登ったゆるい坂道を降りる。

ほあ、ほあ、と。てのひらを差し出したらそのまま溶けてしまうような淡い雪が、舞ってきました。初雪。

ほかに、人も車もイノシシもいない、しーんとした墓地で迎えた、わたしにはことし初めての雪。

その夜は、若草山の山焼きの日で。雪で湿気ていたでしょうけど、無事に花火は上がり、お山は炎に包まれたようでした。

・・友人宅に引き取られたハスキー犬のラッキー、幸せそうにしていました。顔つきまで変わって「おとうさん」にくっついて、二人、至福の表情で。
     (すみません、ラッキーぢゃなくリッキーでして。ラッキーなリッキー・・・すみません)。

・・帰り道、広い広い河川敷のある川のほとりを走っていた時。私は助手席にいるのであれこれ、見えるのです。冷たい風の吹く中で、枯れた葦がぱっさぱっさとなびいている中で。あら、と、目が留まった。

短髪の若い男の子が、トランペットの練習をしていたのです。邪魔になるからなのでしょう、マフラーもしていないで、すこし身をそらす形で、一人、トランペットを。一瞬にその姿は視界から消え去ってしまいました、川沿いのその道は狭くて、ひごろ運転をしなくなっている夫は、とても慎重にハンドルを握っているのだから、前へ、ひたすら前へ、なのであって。

頑張れ、トランペットBOY。こころの中でつぶやいていました。

昨日、日曜日は、落語を楽しみに、神戸国際会館へ。桂文珍さんの独演会「一期一笑(いちごいちえ)」に、長女の夫さんが招いてくれたのです。文珍師匠はおともだちなのだそうです。

前座のお弟子さん、一生懸命。客席から笑いが起きると、なぜかこちらがホッとしたりして。がんばれ、これからの落語家さん。

文珍さんは、やはり全く違う。出てこられただけで、何か、んふふ、みたいな感覚に襲われる。やわらか~く始まって、始めは時事の噺から。同い年だというジュリーの話題が出、ゴーン氏がいじられ、話題は豊富。楽しい。面白い。笑っている内に終わって、今では日本に一人しかいないのだという「女道楽」なる芸を、内海英華さんという芸人さんが。

芸人の名にふさわしい(と感じました)、テレビが見せる芸能でない、熟した時間を。私は全く詳しくないながら、聴き惚れ、見とれていました。都都逸の艶やかさ、色っぽさ。日本語の豊饒を感じた。とか、書いたって、すみませんね(笑)。三味線の速弾き、というか。ロックだぜ。

再び文珍さんが。申し訳ないですがタイトルわからない、他の落語家さんで聞いたことがあったような、ヨメ取りと五円とが・・ご縁、なんですねつまり・・落ちはとっても温かくて気持ちのいい噺を、うっとり聞かせてもらいました。

休みをはさんで、最後の「二番煎じ」。古典落語なのだそうで。私はこれが、いちばん良かった。ゆったり座って、時々ハラハラしながら、大笑いしながら、ずっくりと、落語の世界に引き込まれておりました。

時々、裏で、太鼓が鳴る。時々の太鼓、そして、舞台の真ん中で、話している文珍さんと。たったそれだけなのに、噺の中のいろんな人々の、表情や、切羽詰まった感じや、夜回りの夜気の冷たさや提灯の頼りない灯りの揺らぎが。見えるようで。

本音や建て前やお酒の匂いやヒミツの鍋のぐつぐつ煮え具合や、役人の尊大さや慌てる町人たちの息遣いや。ぜ~んぶ、感じられるのでした。

娘と、すごいな、すごいね、と、語彙貧弱な感想を交わし合って。楽しいひとときは終わりました。

今も、気持ちの中に、余韻が残っています。落語、面白かった。楽しかった。日本語、すごい、噺家さん、すごい。





泥試合

先日は、コムロ某の不可思議な文書をご紹介しました。今日は、その後の話、みたいな感じで、次の文書を紹介してしまいます。(怒りながら書いていたら、最後の方になりました)

コムロ某もその母親も母親の元・婚約者だという男性も、私にはまったく関係の無い方々。勝手になさればよろしいのよ、てなことではありますが、このコムロ、秋篠宮家の内親王の眞子さんと、未だに何やら、つながりがあるらしい。

正直申し上げて、皇族がたの私生活に対して多大な思い入れもありませんのですが、あまりにも下卑た話になって来ている様相。どこの世界のどんな話よ、と。目を覆わしむる「皇室方面に関わる話」に、なっている。いいかげんにして欲しい。

私の考えを少し、書かせてもらいます。順不同。世の中で言われているあれこれに対して。ひんしゅく買うかも知れませんけど。

・公務員である宮内庁の役人に、何を訴えてもどうにもならない。個人的な感情は別であっても、表向きなことには繋がって行かない。

・皇族にDNA検査を、などは、不可能な話。されるわけが無い。理由。皇族はそんなことしない。それを危うんでかどうか、お泊りの部屋は髪のひとすじ、くず箱の中のゴミ一つ、残さず、です。

・天皇陛下は、すでに、いかなる判断能力も残しておられない。天皇の「お気持ち」とは、周囲に在る者の「気持ち」のこと。

・その天皇が下した(といわれたりもしていた)「裁可」は、基本的に、現在の皇室典範に存在しない。下していない裁可を「撤回する」のは、無理。ではないですか。


私は(もちろん。言うまでもなく)眞子さまの問題の当事者ではない。複雑な気持ちのなかで、眺めているだけの者。内心では、迷惑だなあ、とも感じています、実際。、です。お金のことだけでは決して無いのですが、

コムロ某。あのゲス男のために、虚しく消えて行っているさまざまな税金。警備費だけで、あれどもが云われている「借金」の、十倍を超すお金が、遣われている。千万単位です。年間に、ではないです。毎月。

小林よしのりが、今日読みましたが、車買い替えようと思っていたが、その分の金、コムロとやらに(母子に)くれてやる、と。

眞子さまのためなら、と言っていますが、なんで眞子さまのため。眞子さんは、そんなお金に縛られるようなことは。しかも結婚できるように、みたいな。何を言うか。

小林よしのりは、一時期私も、面白いこと書いているなあ、と、何冊か、本も読みました。でも、違う。なぜなのか知らないけど、自称よしりんは、愛子さまが大好き。愛子さま絶賛人間。断っておきます、愛子さんが、実際、自称よしりんが言うような愛子さんなら、それもいいかも。でも違う、実態と大きく離れておられる・・残念なことに・・その、愛子さんを、何やらの方向に、押したい小林よしのりなどに、まあ、どうなるかは分からない世の中ですが、恩を着せられたりしたら、大変なことになる・・かどうかは知りませんが、イヤなこった。でしょう?。コムロなら、くれるんなら、もらってあげます、と、喜ぶかも、と、思うだに、まあ、なんということ。

文書が出たり反論が出たりで、コムロ母子の「贈与された」とか言うてる「借りたお金」は、400万円くらい、の数字であるとなっているようです。あの婚約者さんがずっと言っておられるのは、そのお金のことだけではない。

・生活費十万、助けて下さい。母親が送ったメール。一度ではない。

・入籍はできない、事実婚でいいではないか、と言っていた母親。息子の自殺した父親の、年金が、受け取れなくなるといけないから。

・結婚するまでは「そういうこと」はしないでおこう、と、婚約者氏は、一度手を握っただけの付き合いの中で、援助を求め続けられた。どちらが「汚いのか」は、私には判断できかねますが。

・何かのお祝いに上等のホテルでカノジョの息子の祝いをしてあげた。ケーキに書かれた文字が気に入らないと文句を言われた・・そういったことも、一度ならず。ジャガーに乗っておられて、親子を乗せてあげて、届けて、自分は放っておかれた、なども。アッシーって言葉、ですか。大学の卒業祝いも、ホテルで・・求めに応じて。

ほか、いろいろ、母親の送ったメールや「今年は艶やかにまいりましょう」、の、春画みたいな絵柄の年賀状や。すべて画像に残っている、それを、元・婚約者氏は、さらしておられた。

・ほか、圭のわいせつなポーズの写真も、短い間に、出るわ出るわで出てきておりました。

・婚約者さんは、交際中のあれこれはともかく(それを言ったらみっともない)、留学費用や学費、そのお金を貸して、助けて、用立てて、と言われた分を、返して欲しいと言っておられるのですね。

・外国のメディアが報じた、母親の親の代が「日本人ではない」ということも、驚くには十分。少なくとも皇族の相手の話としては。

・まだ学生だった圭は、ある日、眞子さまに「結婚しましょう」と言った。「してくれますか」「して下さい」でなく「しましょう」と。お姫さんは「初めて付き合った人と結婚するのだと思っていたから」はい、と応じられたのだそう。

・太陽の笑顔の圭くんは、眞子さんと付き合う前のカノジョに、「カード貸して」とか言って・・いっぱい使おうとしたんですね、裕福なカノジョだったから? 


とにかく。お金を返せばそれで済む、といったことではないでしょう。

もう一度言いたい、お金を返せばいいという話ではない。

心根の、根っこの卑しさ、まともでなさが、問題なんです。多分、みなさま、そう。

圭の文書も、眞子さんだけが知っていた、殿下はご存じなかった、とか。今度、弁護士とやらが何やら言ってくる、についても、娘さんだけが知っていてどうとか、本当なのかどうか、一部では(と控えめに書きます)言われています。

天皇陛下の裁可も何もない、娘さんが、親御さんの立場も気持ちも自分は何者であるかも見えなくなっていて・・お気の毒ですが・・・一人で突っ張っている、というのなら。

何とかなさいませんか、と、思う。一家庭の問題ではない。皇后になど全くなる資格の無い女が、ぐうたらぬったらしているのに、煙幕はられたみたいな現状。何より、若い世間知らずな(当たり前でしたが)娘さんが、ここまでむっちゃくちゃに汚いものに塗れているのに、どうしてどうかなさらないのか。なんとか打つ手を考えて、と、まあ、猛ってもどうしようもないのですが。こんなことを言っても考えても詮無いこと、だ、けど。

遅くなりました、以下が、母親の婚約者だった男性のもとへ届いた、弁護士からのお手紙だそうです。

「ご連絡
小職は小室佳代氏から依頼を受けた弁護士です。
小職依頼人を代理として、貴殿に対して次のとおりご連絡させていただきます。
お手紙での突然のご連絡となりましたことをご了承ください。
平成29年12月以降、週刊誌その他の各種のメディア媒体を通じて、
貴殿が発進した意見等が多数報じられています。
貴殿と小職依頼人としては
それらが全て貴殿のご意向に沿うものなのかどうかを、
疑わしく感じているところですが、いずれにしろ、もしも
過去の経緯等について、貴殿との間に行き違いがあるのならば、
これを解消したいと考えています。
そこで小職が貴殿と直接お目にかかる機会をいただいて、
貴殿のご意見等についてご説明を承ればと考えておりますが、ご意向はいかがでしょうか。
日時や場所等をはじめとして、貴殿のご都合をお知らせいただければ、
小職においてできる限り調整をさせてたいただきます。
ご検討承りますよう、お願い申し上げます。
なお本件につきましては、全て小職が窓口として対応させていただきますので、
小職依頼人その他の関係者との直接の
やりとり等は避けていただけますよう合わせてお願い申し上げます。
                                       草々


なんやねんこの、上から目線のねっちゃこい文章。何が「小職が窓口になる」やねん。被害者に向かってエラソーに。あ、弁護士さんだから、自分の依頼人が「エラい」のね。コムロ家は、弁護士費用、また借金で作るのかしら。お金の入る方法、無いように見えるお家なので、つい、失礼なことを。

コムロ某が出して来た先日の文書に対して、母親の元・婚約者氏は、以下のように語っておられる。

「佳代さんから、『清算させていただきたい』との申し入れを受けたことは一切ありません。もしそんなことを言われれば、私も『返してください』と即答したはずですから。実際、婚約解消後に、むしろ私から佳代さんに『返してください』と電話してるんですよ。すると、佳代さんは『考えさせてください』と言って、電話を切ったんです。佳代さんから清算を申し入れたなど、デッチ上げです」

元・婚約者さんを、よく書かないメディアがけっこうあります。どちらがどう、という話であれば・・いろんなことを自分は匿名状態であれこれ話したこの方には、いろんな見方があっても、と思います、が、私は、コムロ某の母親は、確かに、口先でか何でなのか、この男性をうまいこと利用した。それは確かなことで。利用して逃げた、のでしたが、息子が有名人になって、かつて利用した男に,しゃべられてしまったことは、事実で。このたびコムロ圭は、自分で文書を出して、去年から元・婚約者さんが出していたことが「本当だったと、証明する結果になって。

泥試合になるのでしょうか。すでに泥の中です。何にせよ、内親王が結婚する相手でない。なさすぎます。

・・・こんなことになって、眞子さん、ほんと、えらいことですよ。誰も眞子さんを守れなかったのか、それができないくらい、頑固、意地っ張りでいらしたのか。誰か頬っぺた、張り倒して下さる方はおられないのか。あ、こんなこと書いたら、おこらえてしまうのかなあ。・・こんなことになる前に、何か、手は無かったのか。本当に、使えない大人ばっかりなのか。どう決着をつけるのでしょう。


オチの無い話。

私のブログをよく読んで下さっている方の、ブログの中に

>うちの〇◇(犬さんの名)は△月2日に保護されて、
>4匹中最後まで残っていて、
>△月23日にうちにやってきました。

>ひとり残った時は、どんな思いでいたのでしょうかね。

このような一節がありました。本当のことを、ふつうに書かれたのだと思います。

読んで、涙が噴き上げて、当分とまらなくて(止める気も無くて)泣きたいだけ泣いていました。なぜ、とかそういうのは、わからない。

ただ。保護されたということは、安住の地の無いワンコだったのだろう。一緒に保護されたきょうだいたちは、次々に、どこかへ、行ってしまって。消えて行って。この仔ワンコは、ひとりになった。

一人でずっと、じっと、一人の時間を耐えていた。その愛犬に思いを馳せて

>ひとり残った時は、どんな思いでいたのでしょうかね。

こんな風に淡々と書かれていた、その無言の胸のうちが、つ~んと、私の中に来て。泣けてしまいました。

涙腺は確かに、ゆるくなっています。ヒマな時は、わんにゃんさんたちの動画を見ていることも多いです。そして、涙を流したり、よかったねとパソコン画面に笑いかけたり、そんな感じで。辛い目に遭わされている生き物の姿は、たまらないです。でも自分には、何もできないんです。いっぴきの命を引き受けることもできない現状です。ごくわずかの寄付をさせていただいて自己満足している、みたいな。

・・この話に、いわゆるオチはありません。勝手に話題にしてしまった方には、ここで、お詫びを申し上げます。

犬にも猫にも、笑っていて欲しい。ホントにそう、願っています。


一月 みんなのうた 

一月も「みんなのうた」ご参集くださいましてありがとうございました。

京都では十四日、恒例の冷泉(れいぜい)家でのお正月歌会。七十名ほどの門徒さんお集りで、いとも雅びな空気が流れていたそうです。はじまりからの、平安王朝そのままのお衣装で、おぐしも衣装に合わせられて。検索するとすぐに出て来ます、絢爛として華麗なるお写真も見られます。冷泉家の当主ご夫妻には、お子さまはおられません。いつまでこれも、と、年初から、柄にもない無常の思い、さびさびと。

わたしたちは今年も、レッツ歌詠み。楽しんでまいりましょうね!。


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     温泉郷 の詠める

水仙と松に南天梅の枝活けて新たな年を迎える

静かなる部屋に水仙香り立つ年の初めを寿ぎており

元旦や十一人の集まりて神社へ歩む語らいながら

今日のパリ日の出日の入り風の向き我は知るなり遥か日本で

                (子、フランスに発ち行きて)

     おてもやん の詠める

       息子が社会人になって初めてのお正月です。

〇ばあちゃんに初めて渡すお年玉猪の絵の袋に入れる

〇新年の同窓会に行く夫 地震速報自宅待機に

〇七草の粥の前後にカツカレー我の胃袋休まりもせず

     まめはな の詠める

・弱りたるとき確実に留め刺しし人なれど母恋して止まず

・そとわれは敵(かたき)なりしと言いし母びっくりしたよ好きだったから

・我が病無邪気に笑いし人ありき貴女はさぞや健康でしょう
 
     黒猫アビ の詠める

 ・新年を迎える準備 夫婦して
  子の笑み浮かべおせちの用意す

 ・家族みなそろいて時を待ちおれば
  除夜の鐘鳴る新年明けぬ

 ・お正月箱根駅伝楽しみに
  山駆け抜ける選手の雄姿

 ・この年の初めての涙こぼれ落つ
  亡友(とも)の夫の年賀の文に

 ・亡き友の夫から届く年賀状
  早や二十年の歳月流れる

 ・今年からもう元号は使わぬと
  出した賀状も西暦使い

     かりそめ の詠める

*泡のごと廃業したるマリーナは杭のみ残り鴎集へり

*乾杯のあとの時間の長かりし呑めぬ身とては食べるほかなし

*越後より米取り寄せて搗きし餅五切れ貰へり旨かりしかな

*お飾りに笑門の文字大きくてまづは笑ふがよかりけるらし

*札(さつ)なれば賽銭箱は音立てず覚束なさに硬貨も入るる

*木の椀の七草粥を啜りつつ行事ゆかしき国を愛せり

*年経たる管理事務所の北側に水仙二輪傾ぎて咲きぬ

*犬猫の飼へぬマンション階段を犬ふところに登りてきたる

*会ひてすぐ「今日の私は違ふでしょ?」ウィッグ指差す友の笑顔よ

*帰りきし夫(つま)の手渡す外套に疲労と寒気ずしりと重し

*枝々のあちらこちらに冬芽出づ杏林は空引き寄せて

*飾るとてうたに人柄滲みいづ香淳さまの雅歌のすがしさ

*家々の門に日の丸はためきて青空深き昭和はとほし

     KUON の詠める

   回想の ねこ

・母親を離されてきし小さき猫ぷるぷる震へ未だ鳴きも得ず

・母親と初めて離れし猫と寝る温し柔らかし涙ぐましも

・おしっこを終へてさりさりと砂を掻く習性とはいへ愛しもよ仔猫

・人間にまじりて小さき猫いっぴき疲れしらむかしんしん眠る

・両手ふと吾が胸に突き頬なめてくれたり猫が小さき舌に

・目つむりて受け止むる小さき猫の舌 頬なめくるるその感触を

・先代の猫の墓へと連れてゆきこのちび猫を頼むと拝す

・口の中鼻先足の裏までも淡きもも色わが猫マミオの

・好物のカニ味の餌おごりやれば食べてうっとり眠ってしまひぬ

・腹這ひて視線を合はせみゃうみゃうと仔猫と話す今日は休日

・陽にあてし客用布団の真ん中に大の字になりて家の猫さま

   昭和の終わった日  回想

・水仙の新芽を庭に数へゐて呼ばれて知りぬ天皇の訃を

・朝まだき昭和の御代の終わりたり六十四年一月七日

・暁方に息絶えられぬ天皇は 容態を聞くにわれら狎れしころ

・子や孫に見守(まも)られいたく安らかに昭和の天皇一生(ひとよ)を終へしと

・天皇の臨終までを報じつつ侍医長の舌ときにもつるる

・病ます身の下血の有無をも報じられ生き給ひたり「天皇」なれば

・手鏡に映して月見をされしとぞ抒情的なる記事もありたり

・事あればただ一色になだれゆく国民性か昭和が終る

・天皇の崩御知りては正月の祝花除きて白菊を活く

・日の丸の赤くきやかに目にしむを崩御悼みて半旗は垂るる

・泣くごとき母の手紙は新たにも移りし元号の初日の消印

・先帝の大喪の日は兄在りて陪臣せしをと母の追憶

・これよりは如何なる日々の始まるや平成の最初の夜をうた詠む

   津軽には  回想

・上げし目の淋しきゆゑに魅かるるが寂しかりしよわれは稚(をさな)く

・易々と傷つくを恐れ臆病を装ひてひとを傷つけにけり

・ひと想ふそれのみに時を費やして逢へば戯れ言のみに過ぎたり

・何時にても洗ひざらしのシャツまとひ不思議に清らの男なりけり

・火の裡に成りしギヤマンの壺のごといと涼しげなる男なりけり

・赤き酒を一気に呷る横顔の子どものやうなる男なりけり

・そのをとこをまことに一途に追ひしかど逃げ足疾き夢なりしかな

・切なきはわれの専売特許とぞ笑ひとばして目をそむけたり

・地球上に最も近き距離なれどもっとも遠し背を向け合へば

・アドバルーンをこの手に手繰りよせ得なばひととき持たせてやりたかりしも

・隠れんぼ小さき鬼の背を見せてたそがれの街にまぎれゆきたり

・そのひともわれも甚だ不器用にて果実ひとつを分け得ざりけり

・津軽にはりんごの花の充ちゐむか真白きものを抱きて眠る

     白萩 の詠める

定まらぬ元号の年明けにけり 明星の光は変わらねど

                 [元旦の夜明け前に]

コーヒーを携え拝む初日の出君を我を茜色に染(そ)む

友達と 家族と もしくは恋人と 海岸に並び観る初日の出

ニューイヤー 箱根 と続く駅伝の面白さ分かる歳になりにけり

霜柱踏むことなきアスファルト道少し寂しき冬の足元

山茶花の咲く庭今はなく人の庭の山茶花愛で祖母思う

                       [亡き祖母の命日に]

     かげろう の詠める

・寒風のもとに咲きたる薔薇一つうつむきたれども落ちずゆれをり

・さえわたる天に星々またたきて大三角はまさに君臨す

・かなうまい昭和平成生き抜いて勁くまた彊し祖母母伯母も

・初詣社の背戸をみあぐれば五年前の傷跡哀し

                  (土砂災害のあとの残る神社にて)
                     
     ひらりんこ の詠める

新学期 再び異国へ旅立つ子
昔のように「行ってきます」と

     こぶ の詠める

・母の本 黙って見つめ持ち去るは
岡崎京子「ヘルタースケルター」

     たまき の詠める

悲しみが 怒りにかわる
そのときが その時こそが
恋の終わり

このネコが 死んだらわしは
どないしよ 考えるだに
恐ろしきかな

新しい 時計を買おう
新しい トキを刻める
針を買おうよ

あてどなき こころ抱えて
今日もまた 人生という
バスに揺られる

     パール の詠める

⭐穏やかに起きて感謝で眠ること
 若水供え我れが念(ねが)うは

⭐母が言う 何もせずとも生(せい)あれば
 一夜過ぎれば新年はくる

⭐歳重ね顔だけでなく母に似る
 香(こう)の好みもアカギレの手も

⭐それぞれに求められし役こなす日々
 演じきります私は女優

⭐グーパンチ!「無理しないで」という人が
 無理をさせてる自覚の無さよ

⭐寒空に窓全て開け深呼吸
 幾日ぶりや独り嬉しき

     アルジェリマン の詠める

ヒメシャラかドウダンツツジの紅葉のその赤ならば還暦もよし

夜明け前広がる色の禍々し 捻じれのたうつ朝焼けの赤

濃き闇の眼下はるかにともしびは淡い赤色 今日もこの夢

坂道をドロリ流るる赤黒き重い何かの夢をまた見る

宝石の緞帳下りた暗闇にホタル一匹 朝方の夢

     ゴネコ の詠める

参道に奉祝御在位三十年めでたくもありめでたくもなし

寿ぎの気持ちが萎える報道に哀しみ覚え鏡に見入る

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


抒情の泉は汲まねば涸れる。

今年も毎月、お待ちしておりますよ。





読み直した部分

「徳川おてんば姫」という本を読んでいました。昨年6月に出された本。帯に

<徳川慶喜の孫娘(96歳)による波乱万丈‘おてんば‘自叙伝>とあります。

・・・3400坪の小日向・徳川慶喜邸に生まれ 姉は高松宮喜久子殿下 福井松平家に嫁ぐ 疎開・空襲・夫の戦死  サイパン玉砕から生還した軍医と再婚・・

とも書かれています。この方が、時代の波に翻弄、などと書くと平凡になりますが、さまざま、世の荒波を乗り越えられたさまを記しておられるのです。まず、イヤな言葉を使っておられない。苦しかった時期のことをサラリと、お姫さまとして生まれ、お育ちになった方が、婚家の血統を絶やさないために、一人息子でいられた夫君が戦死された後の家に、幼い娘さんを置いて出て来なければならなかったこと。背中に痣ができるほど沢山のサツマイモをかついで運んだり、再婚相手の元・軍医さんのひらいた医院で走り回って手伝われたり、ある時は、義兄である高松宮殿下とのないしょの話・・「お金が欲しいよ」と仰ったことなど、あちらこちらの世界を描かれていて、その率直なこと、ユーモアに溢れておられること、抑制の効いておられること。

写真もたくさんで、魅力のある一冊です。

57ページ、
「実は当の私たち姉妹は本当は車で通うのがとても嫌で嫌で仕方ありませんでした。学校が近くなると先生方が歩いているのが見え、それを車で追い越して行くのが恥ずかしかったのです。何だか自分たちのほうが威張っているようで、とても嫌な気分になったものです。     
                               引用終わり

こういった感性の方だったようです。

本当に波乱万丈でいらしたこの方が、本の最後の方に、以下のように記しておられます。

何の気なしにそこにシオリをはさんでいたのでしたが、今日、帰宅してからふと思い出して、もう一度、読んでみました。

(181ページ)
< ニュースなどを見ていると、妃殿下が(註:お姉さまの高松宮妃殿下)ご健在の頃と近頃とでは、時代が変わったのだと感じることが多々あります。宮家らしさというものは後で身につけることはできず、生まれた瞬間から備わるもの。すなわちご結婚にあたり家柄が重視されるのは当然のことだと思わざるを得ません。何かうまくいかないことが起こるのであれば、そこに理由があるのだと、‘家‘に翻弄されてきた立場だからこそ強く感じます。人をどこまでも思いやることができる心、位高ければ徳高きを要す、それが培われる環境は一夜にして成らず、そう思います。>

。                              
                               引用終わり

読み直してみて、なるほどな、と、しみじみと。

<人をどこまでも思いやることができる心、位高ければ徳高きを要す、それが培われる環境は一夜にして成らず、そう思います。>

ここを読んで、決しておてんばなだけのお姫さまではなかったこの方が、何に、どこに、この感慨を抱かれたかと。どんなニュースが、どんな人のどんなことが、この部分を書くきっかけになられたのかなあ、と。

そんなことを、考えていたのでした。



ミジンコの走り書き 追記 げす男のたわごと全文

共同通信社 2019/01/22 02:04

© KYODONEWS

 秋篠宮家の長女眞子さま(27)との婚約が延期になっている小室圭さん(27)が、週刊誌で報じられた母佳代さん(52)と元婚約者の男性との金銭トラブルについて「解決済み」と主張する文書を近く公表することが21日、関係者への取材で分かった。文書では「金銭的な問題はすべて解決済みであることを確認した」と記している。
 小室さん側が金銭トラブルについて説明するのは初めて。秋篠宮さまが昨年11月の誕生日会見で、トラブルを念頭に「2人が結婚したいという気持ちがあるのであれば、相応の対応をするべきだ」と、小室さんに要求されていた。


朝、習慣でパソコンを開きます。

↑ の文字と、あの男の写真と、 おかしなお口元の  内親王さんの写真が、並べられていました。

今日はもうすぐ出かける用があります、いま書けないけど、なんとまあ、と。

こんなことが出ること自体が、もう、ということ。共同通信社ですし。静養中のあのお方の手回しと、言わずとも知れてしまってなんとまあ。

どなたに向かって、どこへ向けて、どんな言い訳か釈明か潔白証明か何かわかりませんが、あのあたりも、墜ちるところまで堕ちられました。

憲法を順守する、と即位されたお方の、憲法違反なれど突破して決行、のご退位の前に、切るべき尻尾は斬っておく? 

簡単に許したけれど都合が悪くなって来て、ならば、すべての責任は、「ナイーブ」な親子のせいにしておく、だってアタクシはいつだって、な~んにも、悪くなんかないんですもの、おほほのほ。か。ここまでされても反抗できないって、・・あ。

それとも。ここに至ってまだ、ケッコンへの幻覚にとらわれたままでおられるとか? 引くに引けないとか? 付き合わされるミジンコたち(勝手に付き合ってるとは言わせない)の、身になって下さいよと言っても、それは、たまゆらのミジンコの吐息ですね。

まともな大人はいないのか。まともな大人なんか、あのあたり及び周辺に、いないのです。走り書きです。


上の記事中、婚約延期、は、正しくない表記。婚約内定前の発表は、きらきら月星太陽マークで極めてアホらしくなされたといえ、「婚約はされていない」。ということに、現在は、なっているはずですが。共同通信社ですから、まあ、ね、とか、思ってしまいますね。

小室圭のたわごと。全文。

「いつも温かいご厚情を賜り、御礼を申し上げます。

 私小室圭の母とその元婚約者の方との過去の関係について、一昨年からご心配をおかけしており、たいへん申し訳ありません。これまでに多くの報道があったことについては承知しておりますし、私がこの問題について明確なご説明を差し上げてこなかったことで多くの方々にご迷惑をおかけする結果になってしまったことをたいへん心苦しく感じています。元婚約者の方との関係について母に代わってご説明したいと考え、このような方法をとらせていただきました。

 私の母と元婚約者の方は、平成22年9月に婚約し、結婚生活を始める準備をしていました。母の再婚については私も嬉(うれ)しく思いましたし、私自身も元婚約者の方とはとても親しくさせていただきました。婚約期間中、元婚約者の方から金銭的な支援を受けたこともあります。当時、母も私も元婚約者の方とは既に家族のようにお付き合いしており、ご厚意にたいへん感謝しておりました。
 平成24年9月、元婚約者の方から母に対して婚約を解消したいというお申し入れがありました。母は、突然の一方的な申し入れであり、また婚約を解消したい理由について明確なご説明をしていただけなかったことから憔悴(しょうすい)した様子を見せていましたが、最終的には元婚約者の方のお気持ちは変わらないと理解し、お申し入れを受け入れました。その際に母が婚約期間中に受けた支援については清算させていただきたいとお伝えしたところ、元婚約者の方から「返してもらうつもりはなかった」という明確なご説明がありました。支援や慰謝料の点を含めて金銭的な問題はすべて解決済みであることを二人は確認したのです。実際に婚約解消後しばらくの間は、私や母が元婚約者の方から金銭の返還を求められることはありませんでした。
 ところが、婚約を解消して1年ほど経(た)った平成25年8月ころ、母は元婚約者の方から交際していた期間に負担した費用の返済を求めるお手紙を受け取りました。婚約解消時の確認事項に反する突然の要求に驚いた母は、専門家に相談してアドバイスを受けるとともに、元婚約者の方と直接お目にかかって、ご要望には応じかねることとその理由をお伝えしました。母の話を聞いた元婚約者の方からは、私も専門家に相談して何かあればこちらから連絡しますという反応がありましたが、連絡が入ることはありませんでした。その後はご近所にお住まいだった元婚約者の方と自宅周辺で偶然お会いすることもありましたが、金銭の話題が出たことはありませんでした。
 私の母と元婚約者の方との過去の関係は以上のとおりです。

 多くの報道において借金トラブルが残っているとされていますが、このような経緯ですから母も私も元婚約者の方からの支援については解決済みの事柄であると理解してまいりました。そのため、平成29年12月から元婚約者の方のコメントだとされるものが連日報道される事態となり、私も母もたいへん困惑いたしました。元婚約者の方のご意向を測りかねたからです。
 報道されている問題に関する母と私の認識は以上のとおりですが、私も母も元婚約者の方からご支援を受けたことには今も感謝しておりますので、今後は元婚約者の方からご理解を得ることができるよう努めたいと考えております。

 私は、現在、米国において勉学に勤(いそ)しむ機会をいただいております。多くの方々に日々感謝いたしております。ご心配をいただいている方々のご納得をいただけるよう努力を重ねる覚悟でおりますので、どうか温かく見守っていただけますと幸いでございます。

平成31年1月22日
小室  圭」

これくらいのことは言うであろう男であろうが。

宮内庁関係者とはどなたのことやら、その関係者が、お二人の結婚の決意は固いというているそうな。

この文書を出すについて、眞子さんはご存じなそうな。今朝も普通に仕事場へ出向かれたとか。

その車おりて、明日にでも、圭クンのとこへ行かれたらいかがか。お行きなさいよ。鍋釜さげて、純愛の極致と、シビれて憧れてくれるお人も、おられるや知れぬ。



睦月のおべんきょう、終了!

遅くなりました。ラストまで、まいります。うたに触れていられるのは、楽しいことです~。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

     アルジェリマン

   先月記載漏れした赤い色を詠んだ一首。
   今月は赤が気になったのは還暦を迎えたから、でしょうか。


ヒメシャラかドウダンツツジの紅葉のその赤ならば還暦もよし

おお。そうであらしゃりましたか。祝・還暦。これからはもう(もっと、か?(笑))人さまのおもわく気になさらず、マイペースに生をお楽しみ下さい、と、申し上げたいです。愛しいワンコさんと共に。

一首は、こういう還暦のうた、いいよなあ、と、読ませていただきました。夜を題材のおうたも多いですし、なんとなく、ルージュ・エ・ノワール。赤と黒。勝手な感想を独断で書かせてもらってしまいます、わたしの愛するジェラール・フィリップの「赤と黒」ああいった、いかしたモノを連想させてくれるよね、と。失礼しました。


夜明け前広がる色の禍々し 捻じれのたうつ朝焼けの赤

この赤はシュール。

濃き闇の眼下はるかにともしびは淡い赤色 今日もこの夢

この「赤色」は、「せきしょく」と読ませていただきました。

坂道をドロリ流るる赤黒き重い何かの夢をまた見る

宝石の緞帳下りた暗闇にホタル一匹 朝方の夢

世界が極まって来られました、と、わが感想。

     ゴネコ

   宿題はまだできていません。すみません。

   移動中の電車内から、エイヤっ!


参道に奉祝御在位三十年めでたくもありめでたくもなし

ううん。素直に「めでたい」と感じて、言えてなら、ジンセイもシンプルでらくちんなのかも知れませんね。すべてが真っ白に見える👓が張り付いてしまったかのごとき、わたしではあります。
うたでは、めでたくないよ、と、言ってしまっても、現代日本ではタイホされたりはいたしません。


寿ぎの気持ちが萎える報道に哀しみ覚え鏡に見入る

始めてられてから日は浅いけど、形はやはり、ぴたっと決まっておられます。

宿題なんぞにお心、わずらわせてしまいまして、お詫び。ごめんなさい。そんなものも、電車の窓からぶん投げてやって下さいまし。

     たまき

あてどなき こころ抱えて
今日もまた 人生という
バスに揺られる

   バスの行き先がわかりません!

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

睦月はここまでです。

来月はもっと寒い頃かな、でも、春はすぐそこ、に、なって来ていますよね。

また、ここで、お会いしたいです、よろしく。




睦月「みんなのうた」まだまだ勉強中

今朝は、海も空もどんよりしています。

昨日のニュース・・北海道で、ホワイトアウトの状態で車が雪に突っ込んで、とありました。・・ご自宅まで数十センチのあたりまで、必死で歩かれたのでしょう、玄関の前で倒れて、凍えていけなくなっておられたという男性。一人暮らし、六十六歳。玄関先に鍵が落ちていたと。

まったく見ず知らずの方ですが、なんだか何度も思い出され、お気の毒でなりません。

睦月のみんなのうた、続き、まいります。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

     こぶ

   新春らしい歌を考えようとしましたが
   浮かばず、また娘の様子をそのまま詠みます。


・母の本 黙って見つめ持ち去るは
岡崎京子「ヘルタースケルター」

   また、お手直しよろしくお願いいたします。

お母さんである作者さんは、先にこの本を読んでおられるのですね。私はかなり以前に読みました。いろいろな意味で強烈な一冊でした。評価も色々ありました。思春期の娘さんが、「母の本 黙って見つめ」て持ち去ったのは、どこか、お母さんもこれ読んでいたんだ、の安心につながると思いました。
むかし、尊敬していた(数少ないそういう)方に、何かの折に「子どもさんの破壊衝動を、むやみに止めないで」と言われたのを、長く胸に刻んでいました。
あまり心配かけないで、なんとかスイスイと行く子もあれば、そうでない子もいる。ウチはそうでない子だった(笑)、けど、いい子でした。リスカしても、いい子でした。
ハードな漫画や他の媒体で「済ませて」行けることもあるように思います。なんか熱弁ふるって申し訳ない。
お嬢さんと「あれ、エグいよね」「うん、そうそう、それでさ」みたいに、会話されるのかな、と、ほわほわしました。

大事なことを最後に。おうたの手直しは、不要です。新春らしいうた他は、この先、作れるときにつくって下さい。いま詠めるうた、いま詠みたいうた、それがいいのでは、と思います。


     黒猫アビ

   一首追加お願いいたします。

 ・今年からもう元号は使わぬと
  出した賀状も西暦使う

今年こういうの多かったのではないですか。今年こうなら、おそらくこれがスタンダードになって行くのでは。あちら様の勝手になさることに、何もかも合わせられないってありますよね。私的な感情で申しました。

「西暦使う」は、いつも最後の「い」のことで言わせてもらってるのですが、ここは「い」でもいいかなと・・。


     かりそめ

   二度目ですが、よろしくお願いいたします。

*帰りきし夫(つま)の手渡す外套に疲労と寒気ずしりと重し

「外套」が「ずしりと重し」実感こもっておられます。

*枝々のあちらこちらに冬芽出づ杏林は空引き寄せて

冬芽のうたに魅かれます。「空引き寄せて」いいなあ、と。

*飾るとてうたに人柄滲みいづ香淳さまの雅歌のすがしさ

こう思われるお方は多いと思います。香淳さまには、おうたは少ないと言われておりますが。新年から心の潤う思いをさせていただいたのでした。

*家々の門に日の丸はためきて青空深き昭和はとほし

涙ぐんでしまった一首です。
「東宮」の立場も文字も無くすと。信じられないことを、平然と報じています。
まこと、昭和は遠くなってしまったか・・。


     たまき

悲しみが 怒りにかわる
そのときが その時こそが
恋の終わり

怒ったら。怒ってしまったら、この恋は、終わる。それを知っているから、十分知っていたから。
この野郎、ナメんなよ、と。猛らないで来たのだけど。


このネコが 死んだらわしは
どないしよ 考えるだに
恐ろしきかな

いや。まことに。鼻先、肉球、ほんに、まことに。

新しい 時計を買おう
新しい トキを刻める
針を買おうよ

わたしもそんな針が欲しい。

     パール

⭐穏やかに起きて感謝で眠ること
 若水供え我れが念(ねが)うは

この「希い」は、日々、日常のものであるのですが。
「若水供え」。あらたまの年のはじめであれば、なお一層の「希い」になるのですね。


⭐母が言う 何もせずとも生(せい)あれば
 一夜過ぎれば新年はくる

まこと、この通り。と、作者さんは、この時は素直にうべなわれたことでしょう。だけどさ。ひとって、ぐじゅぐじゅのトコも、あるんだものね・・。

⭐歳重ね顔だけでなく母に似る
 香(こう)の好みもアカギレの手も

雅なる好みも、現実の身の痛みも。

⭐それぞれに求められし役こなす日々
 演じきります私は女優
      <上M子さん程巧くはありません>

演じきります、と仰る作者さんに拍手を。拍手。上M子さんは、でも、実はボロバレなんですけどね。観客は、じいいっと見ていなくて、衣装や宣伝チラシや御用批評しか見ていないからよくは判っていない。わたしは、つかんで来た肘を失われた時以後が、あのお方の「この先」が始まると見ています。おそらく、それなりの、じごく。
演じ切って下さい、拍手。拍手。


⭐グーパンチ!「無理しないで」という人が
 無理をさせてる自覚の無さよ

よっく解ります。エア・グー・パンチ、何個でもどうぞ。

⭐寒空に窓全て開け深呼吸
 幾日ぶりや独り嬉しき

「独り嬉しき」ここですね。実際に毎日のことを続けておられる方に、ちょい身軽になっている私が解ると申すのは不遜と知りつつ。深呼吸、たまらんかったでしょう、と、申し上げます。

   新年早々、愚痴おうたばかりでお目汚しでございます。
   『ただなか』の身、お許し下さいませ。

   香淳皇后さまの御歌、ご紹介下さりありがとうございました。
   温かみのある笑顔が、お懐かしゅうございます。

   初みくじは中吉でした。
   ひきしおの引くはみちくるあしたあり
   心しずかにときをまつべし
      との事。
   心に留めて過ごして参ります。

睦月 おべんきょう中

遅くなっています、続けてまいりますよ!。

     ひらりんこ

新学期 再び異国へ旅立つ子
昔のように「行ってきます」と

   文字数に収めるのが難しかったです。
   家を離れて暮らして長くなるのに、帰省から戻る時には今でも「帰る」ではなく
   「行ってきます」と言ってくれることがうれしく(本人は無意識でしょうけれど)、
   その気持ちを表したかったのですが、たぶん伝わっていませんね。
   この歌自体は自分の気持ちなので今はこのままにしておきたいですが、
   だめだなと思われるところをぜひ教えてください。

「行って来ます」とのお子さんの言葉、お母さんである詠み手さんがかいていられること。
>たぶん伝わっていませんね。
いえいえ、しっかり歌の中に思いは籠って、読む側にも伝わっています。
>だめだな
というところは、ありません。いいおうただな、すてきな親子さんだなと読ませてもらいました。


     温泉郷

   ひらりんこさまのおうたに触発されて。子どもがフランスに行ったので。

今日のパリ日の出日の入り風の向き我は知るなり遥か日本で

作者の気持ちがよくわかる、これも、情緒に流されず愛があって、いいおうたと思います。きちんとうたわれて、余分なところはありません。

少し思ったこと。マクロン氏のことなど、非常に気になっておられたのは、こういう事情もあったのかな、と、邪推です(笑)。かの国は、行ったこと無いけど、つまり「アムールの国」。」かつてはシラク氏の名セリフもありました。いい、いくない、ではない。そういう国なんですね、と、私は、お答えがうまくできないで、頂いていたコメントの幾つか、そのままになっていて、ここで、ごめんなさい、と申し上げます。


   くおんさま、コメントにタイトルをつけられるようになさったのですね?
   1月のうたというタイトルをつけて投稿してみます。


タイトルは、つけられる方も、一般的に多いようです。回想のうたなどは、わかってもらうために私は、つけています。一月のうた、とかは、ここでは省かせてもらっていますんですよ。

睦月のおべんきょう Ⅱ

つづき、行きます。

     まめはな

・弱りたるとき確実に留め刺しし人なれど母恋して止まず

苦しい記憶を、懸命に詠んでおられます。いちばん傍にいて欲しい時なのに、その人はそんな時、きっちりととどめを刺す人だった。でも、そんな人なのに、そんな母なのに、母が、恋しい。

「弱りたるとき確実に留め刺しし人なれどなれど母の恋しき」
「~人なれど母かくまで恋し」「~人なれど母ただに恋しも」

元のうたで充分お気持ちは表わされていますが、もっと、恋しい、恋しい、と、訴えられても、と思ったのです。かえって失礼だったかも。でも、こういう歌は、ぐわーっと叫んでしまっても、いいのですよと、私は、師に、いたわっていただいたのでした。


・そとわれは敵(かたき)なりしと言いし母びっくりしたよ好きだったから

これはないよね、お母さん。もっと吐き出して下さい、いっしょに痛みます。よく、ぐれないで、素直なままのまめはなさんで来られましたね。私は年上なので、えらかったねと、エラそーに、お褒めします・・こういう母子関係、あるんですよね・・。

・我が病無邪気に笑いし人ありき貴女はさぞや健康でしょう

こういう風に、ぶったぎってもいいと思います。吐き出しちゃえ!。

     黒猫アビ

 ・新年を迎える準備 夫婦して
  子の笑み浮かべおせちの用意

穏やかな光景ですね。このままでいいのですが、厳密にうたの形を求めるなら「おせち用意す」とか「おせちの用意す」になります。あくまで、基本の考え方なので、元のままで充分です。

 ・年越しを家族集まり時を待つ
  除夜の鐘鳴り「おめでとう」の声

熱心に皆勤で、うたの調べも言葉の選択も、よくなられました(エラソでごめんです)。もう少しゆったりした感じを出してみると
「家族みなそろいて時を待ちおれば除夜の鐘鳴る新年明けぬ」・・「おめでとう」でもいいのですけどね。


 ・お正月箱根駅伝楽しみに
  山を駆け抜く選手の雄姿

 ・年賀状初めて涙こぼれ落ち
  亡き友の夫 年賀の文に

思いはよく出ておられますが、それを明確にしたい・・今年初めての涙ですか?亡くなった友の、夫さんからの年賀状に?
「この年の初めての涙こぼれ落つ亡き友の夫の年賀の文に」
こうですか? ちがってたらごめんなさい。


 ・亡き友の夫から届く年賀状
  早や二十年の歳月流れる

    おせち料理もいつまでできるか?心配もあるけど
    なんとか家族全員で祝うことができホットいたしました。
    若くして(48歳)逝った親友のご主人様から
    お互い住所が変わっても年賀状は不思議と続いて
    おります。当時は50歳と若く再婚されていたら
    申し訳ないと思いつつ・・・。


     かりそめ

*泡のごと廃業したるマリーナは杭のみ残り鴎集へり

泡のごと、とあるのは、そういう成り立ち、経緯だったのか・・白い鴎の色が際立って。

*乾杯のあとの時間の長かりし呑めぬ身とては食べるほかなし

でへ。同族です。

*越後より米取り寄せて搗きし餅五切れ貰へり旨かりしかな

「五切れ」が効いています。数ばかり気にしているようですが、三でもない七でもないのが、いいんです。

*お飾りに笑門の文字大きくてまづは笑ふがよかりけるらし

*札(さつ)なれば賽銭箱は音立てず覚束なさに硬貨も入るる

わかる~、って一首です。

*木の椀の七草粥を啜りつつ行事ゆかしき国を愛せり

七草がゆを「三草」で済ませた自分が、恥ずかしく・・・木の椀、も丁寧です。

*年経たる管理事務所の北側に水仙二輪傾ぎて咲きぬ

傾ぎて、が眼目。私が申すまでも無いですね、よく見て、さりげなく描写する、の原点のような。

*犬猫の飼へぬマンション階段を犬ふところに登りてきたる

わがマンションでも、今朝、そういえば。

*会ひてすぐ「今日の私は違ふでしょ?」ウィッグ指差す友の笑顔よ

最後の「よ」が、いろんな意味を。もしかして病友さんか。

     白萩

定まらぬ元号の年明けにけり 明星の光は変わらねど
                        [元旦の夜明け前に]

コーヒーを携え拝む初日の出君を我を茜色に染(そ)む

こういう初日の出を待つのうた、初めて拝見しました。なんとなく、いいな・・・

友達と 家族と もしくは恋人と 海岸に並び観る初日の出

「もしくは」の言葉の置き方に、なんとなく含みがあって。と、感じました。黙って、すこし横目で、見ておられるのかな。

ニューイヤー 箱根 と続く駅伝の面白さ分かる歳になりにけり

霜柱踏むことなきアスファルト道少し寂しき冬の足元

これ、まさに白萩さんのうた、ですね。そう感じたのです。そういえば、長く、霜柱を踏んでいません、私。

山茶花の咲く庭今はなく人の庭の山茶花愛で祖母思う
                            [亡き祖母の命日に]

一読、つっかえてしまい、三度目くらいに、詠み人さんの意図的なものかどうか、不思議な進みようの一首とわかり。破調のごとしなれども、ぴたりと定型におさまっている。うたを詠むことが身に添っておられると、こいう不思議な(素敵な)調べが、と、目がぱっちりと開きましたよ。

     かげろう

   久し振りに投稿いたします。

おひさしぶり、嬉しいですよ。

・寒風のもとに咲きたる薔薇一つうつむきたれども落ちずゆれをり

この「薔薇一つ「」、はじめ一輪かな、と感じたのですが、いや、一つ、とぶっきらぼうな感じが、ここにはふさわしいと思いなおしました。愛おしい薔薇の姿。

・さえわたる天に星々またたきて大三角はまさに君臨す

冬の大三角ですね。雄大な一首。

・かなうまい昭和平成生き抜いて勁くまた彊し祖母母伯母も

そして、強くまたふところ深いであろう日本のをんな、皆さまに、来るべき平成の後の世が、どうぞ、どうぞ、佳きものでありますように。そうであらねばなりません。その血を引いて、うた詠む作者も…

・初詣社の背戸をみあぐれば五年前の傷跡哀し

「その」傷跡は、「哀し」と詠まれる過去を背負っているのか。背戸そのものと読んで、これなりの形にはなっているのですが、五年前と明記してもありますので、もう少し情報が欲しいな、との思いが涌きます。何の傷跡なのか、と。



睦月べんきょうはじめ  壱


ぱたぱたと既に小正月も過ぎました。今年も、お集い下さる皆さまとご一緒に、おうたを愉しんでまいりたいと存じます。とまあ、よいこの(笑)ご挨拶も済みまして。

この色が詠草、この色は詞書あるいは詠み人さんのメッセージなど、これは詠み人さんのお名前、この色はKUONの書いている部分です。うたのタイトルは、お好みで。あっても無しでも結構です、「〇月のうた」や季節のご挨拶などは、省略させてもらっています。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

     温泉郷

水仙と松に南天梅の枝活けて新たな年を迎える

まずはおめでたい一首。水仙の花が清楚ですね。ものすごく厳密に言うと「新たなる」と「る」があった方が、となるのですが、このままで、リズムもよろしいです。

水仙の静かな部屋に香り立つ年の初めを寿ぎており

これも言葉の順、を、つい考える。「静かなる部屋に水仙」とすると流れが、と、思うのですが、このままで充分と思います。

元旦や十一人の集まりて神社へ歩む語らいながら

「十一人」の具体性が生きています。「元旦や」の「や」は、「元旦に」とすると短歌らしくなるのですが、この「や」は、ここで生きていると思います。一文字ずつに、今年もこだわって行きます、よろしくお付き合いください。

     おてもやん

   息子が社会人になって初めてのお正月です。

〇ばあちゃんに初めて渡すお年玉猪の絵の袋に入れる

孫息子にお年玉をもらうおばあちゃん。お幸せです。ポチ袋の絵も、勢いの猪(い)。

〇新年の同窓会の支度中地震速報自宅待機に

<ゆっくり飲めない夫、もう、災害は懲り懲りです。>とありました。これはうたの後に付けることにしましょうか。うたの中ではどなたのことかは判らないので「夫」とか。でも実際、災害はこりごりですね。

〇七草の粥の前後にカツカレー我の胃袋休まりもせず




今夜は

歌会始の儀に出席され、披講されることなく身じろぎしないままの一時間四十分を過ごされてそのまま退場となられた、秋篠宮妃紀子妃殿下のおうた、内親王お二人のおうたを、引かせていただきます。

     秋篠宮妃紀子さま

日の入(い)らむ水平線の輝きを緑閃光(グリーンフラツシユ)と知る父島の浜に

     秋篠宮家長女眞子さま

日系の百十年の歴史へて笑顔光らせ若人(わかうど)語る

     秋篠宮家次女佳子さま

訪れし冬のリーズの雲光り思ひ出さるるふるさとの空


     常陸宮妃華子さま

つかの間に光る稲妻さ庭辺の樹木の緑を照らしいだし来(く)

     三笠宮家寛仁親王妃信子さま

被災者の苦労話を聴きにける七歳(ななさい)が光れる一語を放つ

     三笠宮家彬子さま

らふそくの光が頼りと友の言ふ北の大地を思ひ夜更けぬ

     高円宮妃久子さま

窓べより光のバトンの射し込みて受くるわれらのひと日始まる

     高円宮家長女承子さま

朝光(あさかげ)にかがやく御苑(みその)の雪景色一人と一匹足跡つづく


感想を申し上げれば、信子さまのおうたがいいと思いました。被災された方との場所で、七歳のお子さんが「光れる一語を」放った、と。一語の内容はわからないけれど、言葉を光るもの、と捉えられたのだな、と。ご自分が向き合っておられる人の、現在の状態や気持ちが、きちんとわかっておられる。慈愛アピールの場にしておられない、ということです。

彬子さまのおうたも実感にもとづいた一首、やはり生の生活、経験の中からの言葉は力があると思います。お若い方の中で唯一、現代仮名遣いでない言葉で詠んでおられるのだな、とも。

承子さま(いまは「さま」(笑))、の一首も、あららどうされたの、と、驚いた。この方の世界はユニークなんです。その自由なきもちの今回は「良さ」が出て、この景色のいいうたになったのだな、と、感じました。お直しはあったとしても、雪景色の中の一人と一匹、という言葉は、ご本人から出たものだと思われます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

今まではこのタイミングで発表されていた次回のお題は、今年は発表されず。代替わりの後の五月に、ですとか。

そうなんですかとしか、受け止めようの無いこと。私自身はあのイベントに思い入れは無いのですが、目指しておられる方は多く、一度招かれたことを、生涯の誉れと抱きしめて研鑽を続けておられる知人もおられて。いいかげんな扱いをされるのはどうなんだろうと、考えています。歌会始儀に限らず。

伝統は人を苦しめる、と仰ったのは美智子さん、なんとなくわかる気はしないでもない、けど。あなた様がそれを仰って。それだからと、あれもこれも潰して行く、って。

おすべらかしを解くためのベンジンで倒れる方がおられるらしいから、違うものを使って、とか。自髪で結うのは大変だから鬘にしましょう、とか、祭祀の部屋が寒すぎるから暖房できるようにと、そのキカイを、壁に打ち付け、とか。あれこれ考えて夫君に諮り、実行されたことも沢山おありと聞きます。乳母廃止もそうだったし、天皇よりも前に出て「国民と触れ合った」り。

自分たちの後の代のことは、後の代が決めればいい、とも、仰っておられた。

「自分たちの手で子を育てて、それがうまく行かなかったら、自分たちのせいになるでしょう」

と言い放たれた頃は、自信満々でいらしたのでしょう。で。育ったのが、あの、ナルちゃんさん。人前に出て体の側面で指先を伸ばして立っていられること、それだけは、おたたさまより皇族らしいかな。その、ナルちゃんさん

妻と子の乗る座席の後部、荷物席を定位置とされて、後ろからにゅーっと首を伸ばして撮られることに、何の屈託もおありにならない天然さ。さすがの素直なお育ち。

・・とか、書き出したら止まらないじゃないですか。

とにかく私は、他のことについてはきちんとモノが言えません、無知でもありますので、でも、皇居に於ける歌会始儀の、あのゆったりした(退屈とも云う、しかし日本にしか無いんです、あのありようは)形を、終わらせて欲しく、ないんですよね。

その理由が、まさこさま~、に依るものだなんて。聞きたくないわそんなこと。

とまれ、平成最後の、と、ここでも言われたその儀式。

皇族の姿も少なく、さむざむしい光景だったとは言ってもいいと思います。晴れやかに華やかに「つながる」感じ、ありませんでした。

いつも一番姿勢の美しい紀子さま、このごろはずっと能面のごとき表情を保っておられる眞子さま、信子さまと長女の彬子さま。久子さんと長女の承子さん。女性皇族のお姿はそれだけでした。


・・・一月十七日。こちらへ移って来て感じること。あの大震災のことを、普通に語る方に、まだお会いしたことがありません。当時、御影で料理店を営んでいた娘の夫さんにも、何も聞いたことが無い。でも今朝は二人して、その魂鎮めの場に行っていたのだと思います。

没年は違えども、養父の命日でもあります。今夜はここまでとさせて頂きます。



歌会始の儀。見せていただきました。

朝からいいお天気でした。皇室の新年のさまざまな行事の、締めくくりと云われる歌会始の儀が、皇居・松の間で行われました。テレビで拝見しました。

二十三の国や地域からの百二十九首、三十二首の点字作品を含めて、二万一千九百七十一首のうたが寄せられたそうです。中から十人の方のうたが入選され、十人の皆さまが参集しておられました。十六才から八十九歳まで。名を呼ばれ、自作を披講されている間を、起立してお聞きになりながら、どんな感慨を胸に抱かれたでしょう。

お題は「光」。このお題を詠まれた十人のお作、どれも、素晴らしいと聞かせてもらっていました。例年は中に、???と感じるものも混じっているような・・話題作りにこれ、取られたかな、のような・・私の貧しい想像力、鑑賞力の故でもありましょうが・・時もあった気がします。

今年は、一般の方々のおうた、どの方の一首も、本当に素晴らしく思いました。今日、ご紹介したいのはやまやまですが、いずれ数日のうちにそれはさせていただこうと。

一般の方々の披講が終了し、皇族代表として、秋篠宮殿下のおうたが始まりました。

     山腹の洞穴深く父宮が指したる先に光苔見つ

光苔、と聞いて、わたしの胸に去来した不安な感じを、ここに述べるのは控えます。連想してしまったことがあったのでした。秋篠宮殿下は、まっすぐに申し上げれば、痩せて、おやつれのご様子でした。とても痩せておられました。

次に、お風邪のため、と欠席を告げられて雅子さんのうたが読み上げられました。

     大君(おおきみ)と母宮の愛でし御園生(みそのう)の白樺冴ゆる朝の光に

独特の節をつけて読み上げる近衛忠大氏は、近年、安定のこの役割。三笠宮家の長女さんの息子さん、ナルヒト氏のカタ従弟にあたる方です。このあたりの皆さまのお腹の中を覗いてみたらさぞ、と。朗々と声を響かせる近衛氏の、いつも横顔を眺めながら、毎回、必ず、そんなことを考えます。この方の奥さまは、どなたやらが縁談を蹴っ飛ばした久邇家からの方。なんてことも、なんでここに書いているのだ私。

珍しいことに近衛さん、次期皇后とやらの雅子さんのうた、少し間違われました。知らない顔してすぐに戻られましたけど。「母宮の愛でし」という個所です。雅子さんが使いそうにない言葉のように思われる、だから、とまでは、思いませんでした。(笑)、とか書いていいものだろうか。書いておりますが。

それから、ひつぎの皇子、皇太子のうたに移りました。ひつぎは日嗣、と書きます。棺、ではありません。というと、少し違うらしい。後できちんと調べるつもりですが「棺」はあり、とも聞きます。

     雲間よりさしたる光に導かれわれ登りゆく金峰の峰に

いつに詠まれた一首なのか。俳句の人気者、夏井いつき先生が仰るなら「凡人中の凡人」の査定でしょうか。才能無し?いやいや、そうはさせまじと、軽~く手が入っているようです。皇族のうたは、上手くある必要は無くて。でも・・うまい、下手、でない、何か、その人がにじみ出ているような・・止めます。お手々つないで「即位だ即位だらんららん」と、浮かれているようなナル氏、相方のまままさこさん、15年もぶっちぎりの欠席で、それを通しているこのあたり、にじみ出る人柄、なんてものを、求めたって仕方ないか。

にじみ出るのは、最近その痕跡を見せられないが、よくあってしまった、おズボンのあのあたりの・・これも止めましょう。なにせ、今日は、どなたのアドヴァイスか、いっしょけんめい口角上げて~。はい。欠席はなさいません、このお方は。

やっほー、ぼくたん、てんのーに、なるよー、ってか。

次には、きさいの宮、美智子さんの「御歌」が披講されました。

     今しばし生きなむと思ふ寂光に園の薔薇(さうび)のみな美しく

うわあ。

・・・もう、いいですって。お腹いっぱい。

不遜のKUON、うげええ、と。最大限、己を抑えての感想です。ご自分が生きておられることに、常に悲劇の。悲運か。なんでもいいけど、そーゆーものがまとわりついていていなくてはアカンくて。でもそれを、乗り越えて(我慢してあげて)前へ行くワタシ、嗚呼、ああ、なんと素晴らしいワタクシ。て。いつまでやってて。いつまで認めてもらえると、お思いなのであろうか。もしかして来年も出て来るおつもりか、など、一瞬、考えてしまいましたが、これっきりでおしまいだそうです。

最後が天皇陛下の御製であらせられました。

     贈られしひまはりの種ははえ揃ひ葉を広げゆく初夏の光に

・・・雅子さん。出てこなかったからなのかそうでないのか。

思いっきり、力いっぱい、何というのでしょう。存在を乗っ取られておいでになった、というか。

大君、母宮、は、いいとして…エラそーですがスルーして下さい、大君だとか母宮だとか、まさこさんの些少な語彙には見当たらないはず。。でもまあ、いいとして。

「白樺冴ゆる」ですよ。白樺、は、言うまでもない、美智子さまのお印。白樺イズ美智子。それが「冴ゆる」ですと。やりました雅子さん。

女帝さまマンセー。平成最後の皇居歌会始儀。偉大なる美智子さま、を、つまりお称えして、ってことでしたか。

秋篠宮妃紀子妃殿下、眞子内親王、三笠宮寛仁親王妃、彬子女王、高円宮妃、承子女王。ご出席でしたが、おうたは披露されず。去年もそうでした。発表されればまた、ご紹介させていただきたいと考えています。



明日は皇居で。追記あります。

明日は皇居にて新年歌会始の儀がとりおこなわれます。

次代皇后とやらは、出ておいでか否か。たいへん楽しみに、その時をお待ちする我が身であろうと思います。昨年は、ふつーに欠席しておられました。今年は違うと、妃はやる気であられる、と、周囲はヤンヤと言い立てておられまする中。

なにせ、即位されるらしいのですから、おっとぎみは。

もうすぐコウゴウ、雅子さま~。どのツラさらして喫煙タイム・中抜けならずのあの場所に、さいごまでいられるか、先日の講書始の儀は「風邪」と言いつくろっての欠席であったが。

慣らされて何も言えずの皇族方はともかく、一般から選ばれた皆様にとっては、まさに一世一代の晴れの機会。

ことごとしく「寄り添う」の「祈る」の、サボり続けて実績なしのアレが言うことは無い、空虚なだけ。ただ黙ってじっと、自分のいるべき場所にいなさいよ。それくらいはなさりませ。とか言っても、こたえないのよ、あちらには。

いけません。すでに早、わが心は猛ってまいりました。どうどう、どう。なだめてやらねばなりません。もしかして皇居での歌会始は、これにて終了、になるかも知れない心もとなさ…これだけでは済まないだろうなあ、壺切りの剣は、第一ティアラは、必要な時に戻って来るのだろうか、何もかも、無くなっているのだから仕方が無い、で、強行されるのかなあ、あのひとは、果たして、御帳台のあの位置に、身じろぎしないで立っていられるのだろうか、いいえ、心配などではありません。本心は、いっそ、あの場所で、

・ぶっ倒れる

・甲子園でのように、某駅頭でのように、狂的な笑いの発作に襲われて、のけぞってお笑いになる

のごときことに。なってくれれば、何かの道が開けるかも、とすら、思う今日このごろ。

あまりにも、あんまりにも、無茶苦茶な話がまかり通っていて。

何かあると、治りきっていない傷口の、表面が、鋭利なピンセットの先でツンツンつつかれてしまうように。そんな風な痛みが、帰って来る。

雅子さま~。明日は、体調の波は、いかに、ですわね。あなたの体調なんか、本当は、どうでもいいんです。勝手に静養しておられればいい。これ済んだらスキーだわ、と、そうですね、行かれればいい、国民の声は雑音と、おっとぎみのおたたさまの言葉を、それだけは継承されておられるようですから。

雅子さんの、こってこての眉のように、嘘も濃く、厚く、こってこて。

追記。

37度台出た熱は、今は下がっているが、明日の歌会始の儀は今年も欠席と。宮内庁が。

2004年からずっと欠席です。ドタキャン、ドタキャン、と言われ続けたので、前日に「休む」コールをするようになったのか。

専属の医師も、いつでも飛び込める病院もある、自分で勝手に個人輸入して呑んでいる薬もある、なんで長引く風邪をどうにかする方法が無いものか。

公人は健康管理も義務のひとつ。とか言っても、何の義務も果たしていないあのひとに、そんなこと言う、こっちもこっちと笑われますかしら。点滴してクスリ呑んで、明日には間に合うのではないかと。これも、言うも無駄、ですね。

人前に出られない雅子さま~。貸し切りのホテルで身内集めて、ゲレンデの一般人追い出してスキー、は、おできになる。



睦月、一月、みんなのうたお呼びかけです

少し早いですが、2019年の睦月の「みんなのうた」、詠草をどうぞ、と。呼びかけさせていただきます。
今まで通り、基本は五七五七七、三十一文字が定型の短歌。いささかの字足らず、字余りはそれはそれ。

この記事のコメント欄にお寄せください。お望みの場合に、手を入れさせてもらうことはあります。16日夜までです。

今年も、ご一緒に、余に類をみない美しい日本語の世界に遊びたいなぁと願っております。どうぞ、おいで下さい。

年の初めから靖国神社へ詣でられた方が、社頭掲示のおうたを送って下さいました。さいきん翅を伸ばしてダルっておる吾が身、恥ずかしい思いのありつつ、紹介させていただきます。

     あらたまの年をむかへてうちあふぐ
     空はいよいよ高きここちす

                         香淳皇后御歌     昭和二十五年


昭和の皇后さまの慈顔、ご温顔が、目に浮かぶ心地のいたします。




ジャガーズを聴いていた

米津玄師のあの歌の、歌い始めが耳の底に残っている。中毒性のある歌、何度も聴きたくなる「Lemon」。それは確かなのである。けれど。

年末年始、自由にしていていい時間、私が聴いていたのは、ジャガーズだった。GSのあの、ジャガーズ。岡本信の歌を聴いていた。

十代でデビューした、その頃の歌、言えば「君に会いたい」でしょう。

「君に会いたい」を、二十代の岡本信、三十代の岡本信、おそらく四十代の岡本信が、唄っているのを、どれだけでも何度でも聴けるのだ、今は。着替えしながら、洗濯物をたたみながら、本を読みながら大根をスライスしながら、聴いていた、飽きず繰り返して聴いた、五十代の歌も聴けたな、胆嚢だか膵臓だかを傷めていたようで、五十代の顔は、彫りの深い美しい顔の人であっただけ、よけいに、生気の失せた辛い顔に見えた。

最後のほう、小さなライブハウスで唄っている時は、倒れてしまうのではないか、と心配になるほど痩せていたし、皮膚も髪もぱさぱさしていた。

でも、声は出ていた。音程も確かだった。年齢相応に練れた、とか、深みの増した、という歌ではない。しかし、往年のヒット曲を、岡本信は、彼らしく唄っていた。そしてやっぱり、ハンサムだった。

「は~じ~め~て~の~」と(判らない方にはわからないコアな話題です)声を張り上げる時には、きちんと、張り上げてうたっていた。歌手なのだから、マイクを前に舞台に立っているのだから当たり前。といえば、もちろん、そうではある。

岡本信は、自分で信じるように、自分の信じる歌を、唄っているのだ、いつ、どの時も。

同じ歌ばかりを望まれて飽きてしまわないか、という感じは、彼に対しては抱かない。

いつも、初めてうたった時のように、歌っていた気がする。若い岡本信は、うたいながら今でいう「変顔」をしておちゃらけたこともしているのだが、歌は揺れない。

タイガースのジュリー。その人が十代の私の、最も、の対象だった。最も声が艶やかで、歌はうまくて、なにより、タレ気味の目が良かった、頬の泣きぼくろがよかった、歯並びのかすかな乱れがよかった、なんでもジュリーが好きだった、他の人なんかフン、だった。

その同時期に出て、私も見ていたジャガーズなのだったが、当時は何も分かっていなかったのだな、と思う。

岡本信は、歌が、とても、うまい。しんじられないくらい真面目にうたっていた。

六十歳になる一日前に、風呂の中で死んでいるのを発見されたという岡本信。五十代までの歌声しか残っていない。

晩年のうたは、それは、正直に書けば、衰えた感は否めない。本人は、自分の衰えを認めていない。というより、彼は、マイクに向かって、一言ずつのフレーズを、確かめるように一心に、出そうとしていて。一フレーズずつ唄っていて。

唄い終えて、アンコール、と、お決まりのように傍若無人に求める客の方を、顔を伏せてみられないようにして、ステージの袖に引っ込んでいったのは、あれは、とても、体が辛かったのだろうと思う。辛かったのだろうが、サビの部分を、本当に嬉しそうに、彼は唄っていた。声はその時、外見よりうんと、もっと若い人間の声のように通っていた。唄うことは、彼の天性だったのだろう。他に何もしていない、自分の・・自分たちのうたを、ずっと唄っていて。そういうジャガーズだった。

いま聴くと、ギターが素敵、二人共のギターがいい、ベースもいい、ドラムス、すごい。

「キャラバン」を、ジャガーズのバージョンで聞き惚れていた。何度も何度も聴きなおした。ビートルズ・ナンバーの時の宮崎さんが、宮崎さんの顔がいい。沖津さんの歌もいい、ギター好き。ベースの森田さんは、にこにこベースをあやつっているだけ、のようで、ベース、すごく「いい」。宮・おっさんのドラムはすごい。

岡本信も宮崎こういちも、宮ユキオさんも、亡くなってしまった。

・・若い時にはわからなかった。音の良さ、私には、解らなかった。うたのことばに夢があった。

顔だけ。ルックスだけ見ていた、と、そんな気もする。あの頃はそれでよかった。

理屈でなく、自分だけの分かり方でわかっていた、感じていたのだと思う。なんでもよかったのでは、決して、無い。

懐かしいGS。沢山のいろんなメンバーが、今は、この世にいない。なんだか普通より死んでしまうのが早い気がする。

新しい透明なひとの、透き通った歌もいい。

当分、もしかしてずっと、私は、懐メロを聴いているかな。本当は、十代は、キラキラなんかしていなかった、重くてどたどたしていて、考えなくていいことばかり考えていた、あの時代を、青春と、やはり、呼ぶのだろうか。

聴きたいうたを、聴いていたい。そうしていたい。


嘘で嘘で嘘で嘘で



なぜ?という疑問を、私に向けて下さった、幾人のお方。

うまく整理できなくて、うまくお答えすることはできません。ただ、今までのようには、あの方々について、書けません。

美智子さんのこと雅子さんのこと。何もわかっていないから天皇になれる、自分は天皇をできる、こなせる、と踏んでいるかのような、あの次代さんのこと。

真摯に、懸命につとめられてきた、次代の「皇嗣」ご夫妻のこと。そしてその、お子様方の事。

胸がいっぱいになって、書けません。無理やりなことはできません。

書けないので、書きません。これが、今の私の、精いっぱいのお返事です。

この記事のBGMは、サイモンとガーファンクル、あの歌です。「The Boxer」

「ライラライ  ライラライララララ   ライラライ」・・・・

S&Gは、「明日に架ける橋」が、本当は好きだったのですが。




こんな結論で(笑)。

それは、襲ってくるのです。

一年に二度か、三度。必ず来る。来ることを知っている、つかんでいる、自分のこととして。これをしも経験値、と呼ぶのか。否。経験知、なのであろうか。

逃れるすべは、今までのところ、見つかってはおりません。それが来たら、気づいたら、従うしかない。結論はそれ。抗ってもどうしようも無いのです。

今日。それは私を訪れたようです。襲って来た、と云うべきか。

朝から私はグズッていた。ておかしな言いようですが他に適当な言葉はみつけ得ません。

あ~、しんどいよう、眠いよう、も一度お布団と仲良くしたいなあ、ぐずぐずぐず。

銀行行かなくちゃ、ネギ買って来なくちゃ、せんねんきゅう、とやらも、見つけて来なくちゃ。薬局行くのならファンデーションぬりぬりするための、あれ、何というのだったかド忘れして出てこないけど、あ思い出した、すぽんじぱふ、も買ってきておかなくちゃ。昨日の夜、テレビでふと、見てしまったんだから、美味しそうでたまらんかったのだから、ふわ~~んと真ん中から二つに割れそうな食パン一斤、丸ごとのパンも、どうしても買って来るんだ私。

決意はしたのだが、カラダが重くて。一晩の間に、地球の重力が変化したごとく。いいや絶対にそうに決まっている、今朝の私の部屋には、そんなことが起きてしまっている、プールでウォーキングして上がって来た直後みたいに。体が。重い。

お正月のせい? 年末からのしょくせいかつの故? ううん、冷静に考えてみれば、そうであると認めることにやぶさかではない・・・気も、する。が。そうであるにしても、この地球の重力の問題は、どう、解決がつくというのか。

グズっていても仕方がない。ベランダでは雀のチュンコが、窓越しに首をかしげて・・・なんて可愛い姿なのでしょう・・・朝ごはん下さい、のポーズをとっている。あげなければ。チュンコにパンをあげなければ。あんなにも一心に、今朝のワタシがグズッてやさぐれ気分でいるなど知ることもなく、思ってみることも(おそらく)無く、ひたすらに、待っている。

チュンコちゃんお待たせ、パンをどうぞ、召し上がれ。

チュンコが一粒ついばむと、四羽、五羽、いっせいにやって来ます。チュンコは皆の、お姐さん、なのかも知れませぬ。

ようようお化粧して。ダリいので、ファンデ塗っただけで、パフの押さえ無し。頬っぺたには、ほっぺた用のブラシ、前回のが残っているやろと、新しい粉はつけないでそのあたりグルグル回して、いいことにする。口紅は、きちんと塗ります。ここ大事。少しだけ目が開きましたかな。

バスに乗る。乗ったら決意を固めます。あのバス停で降りて、あの店へ行って、今日は一人なんだから、天津飯食べよう。

年末から、あそこの天津飯食べたかったの、とろとろのアン、たっぷり、優しい味の。

でもダメだった。地球の重力の変化は、こんなところにも現れていた。バス、一つ前で降りて、楽しみに向かったのに。今日、はじめて、あかるいこころの私が戻っていたのに。お店、休み。灰色のシャッターに拒絶されてしまいました。休日なんかあったのね、このお店。でも、恨んだりしてはいけないくらい、解っております私。年末もお正月も、きっと、ものすごく忙しかったに違いない、この、O将。

そんなあ。出かかった言葉は呑み込んで。恥ずかしいので(何が、だろう・・O将に行ったのにダメだった自分の姿が、なのか?)できるだけ足早に店の前を去る、横断歩道を渡る、こうなれば先に銀行の用を済ませましょう。これは避けられない、やっとかなアカンこと。私は、重いカラダとココロでもって、無事に用を済ませたのでありました。

お昼はそして、やはり中華料理を食べました。けっこうお高くついたけど、はばまれた天津飯への渇望は、満たされた気がします。

あれ買ってそれ買って、なんとか用事は終わり。ずしりと重くなったリュックを背負って、なんとか帰宅を果たしました。

住まいにはしかし、まだ、地球の重力の歪みが残っていたのです。外ではなんとか上げていることの叶った、口角が、帰ってリュックを下すや否や、いきなり下がったのでありました。体の重さも復活。

悩みました。洗濯物を取り入れるや否や。掃除機を、見えるところだけでもかけるべきや否や。晩御飯の支度・・てへへ、これは、メインの一品、買い求めて来ていて。大根とたまごと厚揚げは、昨日から煮えていて。甘味噌もできていて。七草がゆのパックは、なんぼなんでも高価すぎる‥野っぱらの無いあたりに居住だから、セリなどはともかく、子どもの頃、がっさり摘んで来て、ヒヨコに食べさせるために懸命に刻んだハコベ、はもう長く見かけない、ホトケノザ、なんちゅうものは、そのお姿さえ想像の外にある。パックに入って400円近くたって、文句をつけるつもりはありません。ヒぇ、無理、と思えば、手を伸ばさないだけ。七草の日に関しては、前もって準備がしてありました。

三草で、よしとする。

夕食への備えはオーケー。洗濯物も取り込んで、たたむには重力の障害が強すぎて、ヒミツの場所へ隠匿したのでした。

そして。眠りました。半時間ほど、眠るつもりでした。おっとが帰って来る、ドアのカキカキいう音で、目覚めました。昔ならそこで、跳ね起きたワタシでした。ごめんなさい、ごはんすぐ、すぐですからね、と、アタフタした自分でした・・・多分。そんな時代もあったねと。ユーミンよりみゆき派、です、私。

それから、夜の十時半までのことは、割愛します。夫が帰宅して三十分ほどは、なんとか、目を開いておりました。それからは、重力に負けていたのでした。

十時半に目覚めると、台所はきれいに片付いており、食卓もきれい。私が起き上がったのに気づいておっとが「朝のごはんの用意お願いね」と言ったのは、しかと、聞きました。は~い、と、ぼけた返事であったことでした。

もっと眠い、たまらなく眠い。その凄まじい眠気が、冒頭に記した、年に数度、私を襲うものの正体です。理性ではいかんともしがたい睡眠への欲求です。

とか書き始めて、もう日付が変わりました。今も眠いです。眠いので、いま、この記事を書き終えたら、すぐに、お布団に戻ると思います。

考えてみれば今日の「眠い」は、大した強度ではなかったような。朝、送り出してからソファで二時間ほど。夕方もソファで二時間ほど、そして、夕食後、本格的に寝室で四時間くらい、そしてそして、これから、朝まで、六時間。

強度、弱かったです。ほぼ一日、意識不明で眠りたかった若き日のようなことは、ありませんでした。

って。これが結論になるのか。歯を磨かないと。

おやすみなさい。

浮かれたお正月

夫のことを書いたので、この機会に(何の機会や(笑))身内ネタ、娘や孫のことも、書いておきたいと思いました。

元旦のお昼過ぎに長女とその夫さんが来てくれました。電車で行くと聞いていたから、ビールと日本酒とワインを、夫さんの前にどど~んと並べました。おせち料理は頼んであった=気が楽。味はともかく(暴論ですね)目に綺麗、新年の縁起物ぜんぶ揃っていて、その点も安心というか。お正月には一番好きな漆の器を・・自分でこしらえたものは、ハムと蕪を巻いた甘酢の紅白、海老とウニをこてこてしたもの、あと、あれやらそれやら。少しだけ。

娘の夫さんは、思うことあったとのことで方向転換をして、いまは東洋医療鍼灸院のボスですが、その前、二十年もの間、ツタの絡まる洋館をレストランにして、オーナーシェフだったひと。初めの頃は私はビビッて、この人に私のなんちゃって料理は出せないわ、などと思っていた。確かに食べることは好きなようで、お酒も好きで、気持ちのいい口への運びよう、何を出されても美味しいとか美味しくないとかいっさい無しで黙って食べてゆく人、あわてた時に私がぐちゃッと握った鮭のおにぎりも、パクパクと食べてくれた、で、ビビるのは止めにしました。

三段のおせち料理とほか、丸い器細長い盆にそれなりに並べ、皆の好物カズノコは量で勝負とどっさり、あと、蟹の鍋。ほとんどを四人で食べ尽くしました。近ごろ私はノンアル・ビールに目覚めて、娘の夫さんと乾杯して、いい気分になって。

その後、ゆっくりしたいであろうのに、うちのぢいさん(わが夫ですね)の頭を中心に、いっぱい鍼を打ってくれました。

すでに去年のことになります。去年の一月半ば、ぢいさんは脳梗塞を起こして。初めてではない。絶対に医者へは行かない、救急車には乗らないと鬼がんこ、困り果てて、娘と結婚したばかりの彼のところへ電話したのでした。よれよれの、ろれつの回らなくなっているぢいさんを運び込んで以来、夫さんは、根気よく治療してくれて、おかげでぢいさん今も、仕事を続けることができています。仕事を続けたい人なのです、何よりも。

いつもは、ぢいさんの流儀で、患者として予約も入れて通っているのですが、このたびはウチで、初鍼を打ってもらったのです。鍼を打ってもらうと私は、とても安心なんです。で、ありがたく院外での治療に、甘えさせてもらった。次からはまた三宮まで通います。

何やかやと話も弾み、窓の外がすっかり暗くなった頃、飲みきれなかったお酒類を、無理やりにリュックに詰めてもらって、娘のリュックには食べ物を詰め込んで、見送りました。

お互い、初めての結婚ではない。でも、とても仲が良くて、いたわりあっている感じが、見ていてありがたい限りです。


で。今日は、時間が合わなさそうだし行けないかも~、など言っていた次女が、息子と娘を連れて急襲。婿どのは今日、仕事はじめ。積んで来てくれて、帰りには迎えに来てくれると。さんきゅう。

着いてすぐに疲れてる、眠い~っと転がって眠ってしまった娘は、転がしておいて。孫息子は、ばーちゃん新しい歌聞いてくれたか、また次の作るから・・と、パソコンに張り付いてしまいました。youtubeにアップした曲は、3曲になっているようです。評価より何より、今は、詞を書いて曲に乗せてうたうことが楽しいのでしょう。そんなことも出来てしまうのだから、今の子は恵まれているな、と、思います。がんがん行け。

二人で出かけて孫娘には、本屋雑貨屋と、好きそうなものを選ばせる。去年は少し心配かけてくれた中学二年生、表情も声も、今年は明るい。自分で何か、抜けたかな。

皆にお昼に食べさせるもの、持ち帰らせるもの、ぐるりと買いに回って・・・用意する時間が無かったから・・・まずはカートいっぱい、あれこれ買って。さっきのとこへお寿司買いに行こう、と連れ立ってどっさり包んでもらって、男の子の食べたがりそうな骨付き肉や沖縄好きの娘にはテビチや、婿クンの好物も忘れず。絶品の唐揚げやここにも蟹や、二人共のリュックに詰めて両手に下げて、あ、ケーキ買うの忘れたぁ。

「もう持てないからいいよ、ばあちゃん」

「じゃあ、そういうことで」

私の背丈を超えた孫娘が、クスリと笑う。もう大丈夫だわね、頑張って乗り越えたのね、えらかったね、と、声に出して言ってやりたいが、そういうことはおそらく苦手な子なので、黙っています。

帰ってもまだ眠っていた娘を、つんつんと起こして、四人でまたもや、真昼の大宴会。当然ながら飲み物はお茶。寿司にジュースなど、ばあちゃんは許しません。

夕方、時間通りにお迎えが来て、三人と大荷物、見送りました。

ぢいさん=夫も帰宅してむっつり喜んでいましたが、私が一番、はしゃいで楽しんだお正月だったと思います。気持ちが、文字通り浮きました。お財布もみごとにカラッカラになりました(笑)。

嬉しかった。娘の夫さんも婿どのも、今年も真面目に仕事をして、家族を守ってくれるでしょう。

長女は講演や映画の方の話も、ますます忙しくなるそうですが、夫さんがついていてくれるから安心。次女も、二月には想像しなかったような大きな仕事をもらえていると(ダンスの仕事の方で。ミス・コンのゲストとか)張り切っています。孫息子は、はじめてカノジョと呼んだ女の子と、クリスマスの後に別れてしまったらしい。あえて本人には聞きませんでしたが、なんとなく、それでよかったように思っています。孫娘は、受験生になるのですけど、去年のような心配はもう、無いだろうと思えれば。したいことのはっきりと見えている子だから、大丈夫。そう、思っています。

祖母にできることなど、無いのだと思っています。ただただ、大好き大好き、かわいい可愛い、大事、大事。自分より体のデカイ子に、言うはそれだけ。私は、そう言ってもらいたかったのでした。

浮かれまくった自分を書きました。次からはもう少し「お平ら」な記事を書けると思います。



ベビーカステラを

天皇陛下は、元旦の新年祝賀の儀の折に

「国の発展と国民の幸せを祈ります」

今日、二日には長和殿のバルコニーにお立ちになって、

「わが国と世界の人々の安寧と幸せを祈ります」

と、お述べになられたと。

天皇のお言葉は、ここに尽きると思います。

余のことはともかく。平成の天皇でいらしたその天皇としての生を全うすることなく退かれるお方ではあられますが。

ありがとうございました。

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長く、春日大社へ初詣が、お正月の習わしでした。今年は混雑するであろう奈良へはよう帰らず、商売の神様だという西宮神社へお参りして来ました。

境内に入ってすぐ。猿回しが出ていました。色黒のずんぐりした猿が、はしごを昇って来たのを、少し離れたあたりから見ることができました。猿は、むっつりと口を引き結んでいて・・・当たり前か、笑っていたらコワいか・・・私は、芸がうまくいったら食べ物をもらえるのよね、がんばれ猿、と、お腹の中で声援を送りました。猿回しのハッピを着たお兄さんが、ちょうど回って来たので、いくばくかのお金を器に入れました。

写真を撮るのに一所懸命だった沢山のお客さんたちは、きちんと、猿と猿回しを職とするおじさんに、お金を払ったのでしょうか。

境内にはまた、たくさんの屋台がひしめいていました。夫は、家を出る時から「ベビーカステラ買うよ」と張り切っていた(笑)。そのベビーカステラが、数軒おきに売られています。とにかく今は前へ、前へと、人ごみの中を行く。私は杖をついていて、邪魔になられそうだし、端っこに寄るとイカ焼きや🍎飴を買いたいお客さんにぶつかりそうだし、ボーっと生きてんじゃないよ、とか叱られそうでない歩き方を心掛けながら、本殿を目指し。

西宮市の西宮神社は、一月十日の「十日えびす」で有名な、日本中のえべっさんのいちばんボスの神社です。十日の午前六時、毎年、門が開くと同時に一斉に沢山の男女が走り出す。石畳の、けっこう急なカーブもある本殿への道を、走って走って、一番先に辿り着いた人が、その年の「福男」の栄誉を得るのです。

テレビで何度も観たことがありますが、今日は、ああ、ここがあの、転びそうな場所なのね、と納得しながらゆっくりと辿りました。

そんなに大きな本殿ではありません。でも、なんだかほんわりと温かい感じのするところでした。賽銭箱の際まで進めたので、お賽銭を、投げたりしないで捧げることができました。

「西宮神社は 福の神として崇敬されている えびす様をおまつりする神社の総本社です。
三連春日造(さんれんかすがづくり)と云う珍しい構造の本殿。
江戸時代寛文三年(一六六三)に四代将軍家綱の寄進になる国宝の本殿は、
昭和二十年の空襲により烏有に帰してしまいましたが、昭和三十六年、桧皮葺から銅板葺に変わった他は、
ほぼ元通りに復興され、今は銅屋根も古色を帯び、 えびすの杜を背景に佇んでいます。
向かって右からが第一殿で、蛭児大神を祀り、中央が第二殿、天照大御神及び 明治初年に大国主大神を配祀、
左が第三殿で須佐之男大神を奉斎しています。
天照大御神、蛭児大神、須佐之男大神の三神は日本書紀本文によれば御兄弟の神と 言われています。
大国主大神は式内社・大国主西神社が西宮であるとの謂れから、 明治になって配祀されるようになったと考えられます。
また本殿後方一帯の境内えびすの森は、兵庫県指定の天然記念物となっています。」


踵を返して帰路につく、途中で、おみくじを引きました。

大吉。

大吉をいただきました。なんか嬉しい。どれだけぶりか、大吉。小吉などの時は「これくらいが丁度いいのよね」とか笑って、都合のいいことでした。でも大吉、嬉しい。喜び事も商売も移転開業も病気もなくし物も、旅立ちも。ぜ~んぶ、いいんです。わはは。

方角は東南がいい、とか。東南向いて暮らしてるんですよ~、神さま。あはは。大吉出して下さって、ありがとう。

イカ焼きも焼きそばもおでんもタコ焼きも魅力的、はし巻という、動画でしか見たことの無い、お好み焼きを箸にくるくる巻いたみたいな食べ物も売っていて、美味しそうであった、買いたかった、あれもこれも、が、同行のおっさんは、人が増えて来た、転ぶといけないから早く早く出ようと、お急かしになられます。私は基本、夫の言うことにはそむかないで生きて来たヒトです、それがいちばん、めんどくさくない道なのです。なので今年の今日も、ハイそうね、あらそうね、と、どこにも立ち止まらないで来た道を戻り、来る途中に、後でここへ寄ろうとテキが言うてた喫茶店に、身をくつろがせたのでした。

私はコーヒー。おっさんは、ココアとぜんざいですと。はい、なんでもお気に召すように。この頃、ココア、ココアと言うようになり、でも、ココアの美味しい店に出会えないでいた、初めて入ったこの店で、心ゆすぶるココアに巡り合えるのか。

花丸だったようです。美味しいココアに出会えたようです。ニコニコご機嫌よろしい。あー、よかったわね、お正月からよかったわね。・・おぜんざいは随分遅れて来て、それはかまわないのですが、自分流の食事制限をずっとしている相方は、お餅食べてくれ、だと。

お餅は、朝、お雑煮でいただいたの。今はそんなに欲していないの。でも、残したくないのね、自分は食べたくないのね、では私が、美味しいわねこれ、と、いただくしか、なんですわね。・・・実際、こんがり焼いてあって、美味しいお餅でした、ああ、よかったよなあ、ホントに。

私は、ジュージュー鉄板の上で焼けていたイカ焼きが、イカ焼きに、かぶりつきたかったのよ、歯も直してもらったことだし。まあ、いいんだわ。こういう齟齬も、平和のうちなんだわ、きっと。

誤解のないように書かせていただいておきますが。夫は、そんなうるさいとか意地悪とか、のヒトでないのです。わがままは私の方が1000倍くらいすごいし、ナイショのものも買いたがるのは私だし。これは書いておかないとね。

初詣の後は、初買い物。私が腕まくり気分なのはわかっていて、いざ、と店内突入せんとするタイミングで夫さんは、いつものあそこで待ってるから。ゆっくりして来てね、と、消えてくれました。

一人で買えるあれこれを、あれこれ買って,福袋は昆布屋のそれにして、「いつものあそこ」に戻ると、静かに待っていてくれました。ありがとうね、と言うと、いいよ、と笑いました。

最後に、一番最後に行き会った店で、ベビーカステラを買いました。帰って、昼寝をして、ばんごはんはすき焼きをいただきました。

平和な一日でした。

汽笛鳴る

   あけましておめでとうございます。   
   今年もよろしくお願い申し上げます。


     汽笛鳴る鳴る鳴りつづく海の辺の町に新しき年は来たれり

     新年(にひどし)はいま明けにけり対岸の灯のただなかに花火の上がる

     凍つる夜の汽笛やはらかく闇に溶け対岸に花火赤しまた青し

     除夜の鐘を今年はテレビに聞きてをり汽笛のむせぶ海の辺の部屋

     厚着してベランダに待つ初日の出 山の端の茜すこしづつ濃し

     稜線に光あらはれ、するすると、今年の太陽のぼり初めぬ

     洗ひたての顔の今年の太陽に思はずも両手合はせてゐたり

     知る限りの人らどなたも幸かれと初日に願ふつい願ひたり

     

プロフィール

今も夢見る

Author:今も夢見る
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願ってはいましたが叶うとは思っていなかった、海を眺めながらの暮らし。

朝はじめてのコーヒーは、バルコニーで。

ルージュは、シャネルの赤。ずうっとそう。きっとこれからも。

・・・ちょっと、かっこよすぎる。

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