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さびしさに色があるならば

さびしさに色があるならば

        ジャムのかなしみ  終章  (再再掲)


地球に似たる、おきゅう星

その東なる のっぽん国

春には花が咲きまして

夏には海が黒くなる  青すぎて海 黒くなる

秋には思いが深まりて

冬には

言葉が重くなる


かつて姫でもあったげの

バイコがおうちと呼んでいる

ただただ広いその場所の 屋根にも花が降っている 

風に巻かれて陽を抱いて

いつまでも花 降っている

バイコは窓辺に一人いる

なすこと無くて ひとりです

誰かが髪を編んでくれ

誰かがパンを焼いてくれ

パンを食べたら また一人

バイコは一人がイヤじゃない

部屋でひとりは イヤじゃない

遠いむかしか通ってた 学校というあのところ

みんながわいわい言っていた みんなははしゃいで弾んでた 

あの箱のなかで ひとりいた

そんなひとりは イヤでした


行けなくなった学校もあった気がする  あったかな



パパとか呼んでいた人と

確かわたしのママらしい

あの人たちが連れに来て

どこかへ行くからさあおいで

腕をつかんで引き出され

とちゅうでだれかと変わったな

連れて行かれて手を振って

眠っていると つきました

降りて 歩いて ここへ来た

そこで一人でいることは

なんだかイヤな気もあった


知らないひともおりました

みんな薄目で見てました

バイコのことを薄い目で



自分のお部屋に一人いて

窓の外には花吹雪

あの樹は桜と知っている

いつか優しいあの方が

バイコに教えて下さった

しゃぼんの匂いの方でした あそこの子たちもいい匂い



バイコの好きなあのおうち

なかなか行けないおうちです

あれから行けなくなりました

どうして行くかは知っている 車があれば行けるかな

けれど行けないお家です



花が散ります 散っています

音が何もありません

しーんと静かなおうちです

座っていると ずるずると

引きこまれて行く 気がします

いつか眺めた 海の本

海はとっても広くって

信じられない深さだと

いっそ くたくたくずおれて

海の底へも行ってみたい

人魚の姫もそこにいて

せつなく泡になったとか



一人で行ってもいいのなら

あの青かった海の底

見に行きたいと思います

でも行けないと知ってます

バイコはひとり 窓の辺で

ぼんやりと花を見ています。

風が強く吹くときは

花がヴワっと舞い上がる

舞い上がってはまた戻る

バイコはそれを見ています


何と静かないえの中。

皆はどこへ行ったのか

バイコは何もわからない

私でないひと だれなのか


バイコは何も見ていない  覚えていない  泣きもしない

ずっとこのままいるのかなずっとこのままいるのでしょ


夕暮れいろが降りて来て

カーテンを閉じて目を閉じて

ふたたび朝が訪れて  そうしてやはり

誰もいない。

いつからここにいるのやら

いつまでここにいるのやら

わからないまま 思わない


きょうもバイコは一人です

明日もきっと そうだろう

一人でないってどんなこと

そんなことさえ わからない


バイコの窓に花が降る

いつ止むとなく花が降る

静かに花の降りしきる

のっぽん国の午後のこと


さびしさに色があるならば

花びら色と思う午後






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弥生の「みんなのうた」

三月、弥生の「みんなのうた」。弥生の月のうちにまとめられて、安堵しております。セーフ、や(笑)。

多くの方のご参加、嬉しいです。抒情の泉は汲まねば涸れる。土中から、この世の光に初めて触れる生まれたての水のように。

ことばに感動したい。

世相はどうあれ、自分のこころと言葉は自分のもの。大切に守っていたいと願っております。


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     まめはな の詠める

・母の信ずる邪教の信徒ことごとく吾を罵り絆を固む

・辛いからこそ頑張っておりますと言わせてもらえず罵られぬる

・雛(ひいな)飾る春しか知らで老いもせずただ微笑(え)みておりただ微笑みており
   (女(め)の雛(ひひな)春より知らで老ゆるなく華やぎておりただ微笑(え)みており)

     天上の青 の詠める

ひな祭り
ひなの顔みな
ひんやりと
静謐の底
虚空を見つむ

     かげろう の詠める

ふるさとは歴史と文化切り売りし地域創生とひとはいうなり

帰省して歩きし路も風が吹くわれは見知らぬ旅人となる

通学の道とはいえどいまここにわれは異邦人の衣纏えり

     黒猫アビ の詠める

 ・雛の日に我のちいさなひな飾る
  心にポッと灯りがともる

 ・春を待つ三寒四温の身につらく
  痛みをこらえ家事の手を抜く

 ・春がきた洗濯物を干しながら
  今朝目に映るムスカリの花

     ひらりんこ の詠める

大切な人を傷つける自分が
父を憎んで父に似ている
   (大切な人を傷つける自分が憎んだはずの父に似ている)

     白萩  の詠める

・闇の中香の漂いてみずからの記憶を辿る これは沈丁花

・慎ましく咲(え)みて香りもきよらかに沈丁花のごとき人でありたし

・いちはやく水を引く田に陽光(ひかり)射し近づく春を見る車窓かな

・十年前の我をうつして頬ゆるむ 街行く慣れぬスーツ姿に

     おてもやん  の詠める

○耳も目もぼんやりとする愛犬の怯えて吠ゆるを撫でてなだめる

○背伸びして玄関のベル鳴らしては三歳の孫ボクですと言う

     KUONの詠める

・恥多き人生を送り来たれりと  太宰さんあなたばかりやないよ

・母性とか父性とか世に云はるるを分からぬままに来年は古希

・死にし仔をいつまでも抱く猿の母をりますさうでないヒトの母も

・十代のいちばん苦しかりし夜の母の拒絶を未だ憶えゐて

・本当は執念深い私です 言ふてあははと笑われてゐる

・胸になほ温きことばを給ひしは櫛目すがしき銀髪のひと

・「モルダウ」がわが全身に浸みわたる今日は一日まるごと休み

・柔らかく雨の降り出で先駆けの沈丁花の花かそけく匂ふ

・黄昏に白木蓮を見るが好き なりしかの道に遠く住みゐる

・晩年にすこし穏しき人生と占はれたり三十年前

・ひととせを住みてこの地の桜地図 胸に爛漫のその季を待つ

     かりそめ  の詠める

*褪せをれど形まつたき楓の葉池の底にて冬を越しけり

*折りよくも雨降り始むきりもなくこぼるる涙まぎらはせゐる

*健康で忙(せは)しきころの歩き癖直らぬままに息を切らせり

*雨の日はうたを作らぬはうがよい秘めておきたき心滲めり

*亡き母を恋ふる心に嘘なくも母のつけたる傷まだ疼く

*過ぎし日を強く思へば行く人の後ろ姿のかの人に似る

*道路より一段低き校庭に金髪の子も駆け回りをり

   「若きころ」

*異国にて級友なりし彼彼女母国に帰り無事にてあれかし

*深爪をすれば写楽を思い出す昔も今もはつと目を惹く

   「平成」

*春や春と浮かれてをれば強風と雨多き日々呪はれし御代


   〈1970年代アメリカのとある都市にて〉
*空港にて君がくれたるドル紙幣折り目擦れたるそを今も持つ

*母国にて革命ありて帰れざる留学生がレジ打ちしたる

*その美貌シバの女王の国の人愁ひ湛へてレジを打ちゐし

*寡黙なるパレスチナから来(きた)る人ユダヤ非難の舌鋒鋭し

*イラン人もスウェーデン人も自が国の写真の王を喜々と語りし

     アルジェリマン  の詠める

アオサギの急降下する橋の下 鳴き声響く夕闇迫る

雲厚く月押し込めた白い闇 小鳥ら鳴いて夜の田渡る

街灯の途切れ真暗き散歩道 パトカーのサイレン通り過ぎ行く

黒犬の息白くあり 早咲きの花散る道の明け初める時

黒犬はナズナの畦へ坂くだり水溜り跳ぶ 耳のはためく

剪定し青空透かす白椿 いただきの花にスズメら並ぶ

どこまでも黒犬と行く春の宵 コートの襟立てしばしたたずむ

     わすれんぼ の詠める

  「辛すぎて目を背けてきた311に、今年は向き合ってみました。」

原子炉の暴走という過酷なる地獄逃れて忘却の海へ

東日本いや列島の存続も危うき事態瀬戸際の運

恥知らぬ御用学者の無責任すべては金目人でなしども

津波と言う全てを奪う凄まじき黒き魔物の暴虐を知る

壊れたる村の営み蘇生せず老いし村人一人酒汲む

災害の尽きること無き我が祖国 神はいずこにおわすのか知らん

庭土に固く取り憑く放射能ガイガーの音鋭く響く

汚染せし山より出ずる川の水何事無げに使いて暮らす

薄氷を踏むかのごとき現状と警鐘鳴らす人を無視して


冬枯れの寂しき庭に燦然と
輝く黄色水仙の花          

三十回日がな鳥追う浅き春
白木蓮の爛漫と咲く
 
ようやくに芽吹きの季節訪れて
生まれたてなる若葉愛でおり

お山行こう連れていけないお馬鹿さん
ウレションする仔泊めてくれない
 
この歳でもうひとり仔の母となる
飛びきり無邪気愛らしき仔の
   (愛犬)

政治とは利権のヤマを仕切るもの
泥棒国家ヤクザ国家よ

コンパクト復興支援エコロジー
全てがウソの五輪の醜態

ロンドンの四、五倍という巨額費用
主権者の許可得るわけもなく

民主主義先進国と言うタイトル
返上せねばならぬ日が来ぬ

責任という語彙はない安倍の辞書
権力とのみ大書してあり

「私が国家ですよ」と言い放つ
国わたくしする首相の本音

嘘に満ち巨悪はびこるこの世界
闘いし者の墓標連なる

     こぶ  の詠める

○「観覧車隣に座って告られた」
lineしてする友の恋バナ
   (娘の友のハナシ)

     ゴネコ の詠める

大皿にひとくち残ったズッキーニ小僧が口にポイと放れり

雛の日にイチゴのケーキ買いたしもカゴの中にはコアラのマーチ

薄桃のコアラのマーチ頬張りて幼子のような顔をする母

     パール の詠める

⭐何ひとつToDoリスト捗らず
 明日が恐いもう寝てしまおう

⭐ホワイトデー諭吉飛ぶ飛ぶ倍返し
 私は数にはいっておらず

⭐目は痒くクシャミ鼻水味覚なし
 春待ち遠し春は憂うつ

⭐故郷の春告げくれるくぎ煮炊き
 高値になりて買うをためらう

⭐元号を六つ経し雛高祖母の
ねずみの歯型の遺りておれど

  <九月強風の名残の桜>
⭐風に折れ切られ残れる幹よりの
 わずか二輪の力強さよ

    <逆縁>
⭐子が逝きて棺に手を置き目を閉る
 ご母堂の背にかける言葉なし

⭐自らが産みし命が天にゆく
 見送る心思うさえ悲し

     玉兎と茜馬(元:皇室ブログと競馬のファン) の詠める

三月のホワイトデーのお返しはお菓子以外でと言ったわ私

ハマグリの吸い物とちらし寿司ヘエエ一緒に食べるのとカレ

     さやか の詠める

祭壇に弔る(おくる)言葉は僅かでも
故人の画像に涙零れる

幽世(かくりよ)で
祖父母に会っていますかと
亡き伯母に問う弥生の空へ

     たまき の詠める

ご破算で
願いましてで
ふりだしに
また戻るのか
春の夕暮れ



びっくり。



ショーケンも、死んでしまったって。私は「ジュリー」の人だった、ので、とはいえ。

驚きました。68歳ですって。最後、穏やかに、眠るように、だったなら、それは、やっぱり、よかったなあ、と。

びっくりしました。思い出すこと多すぎる・・・。

最後の儀式もみな済んでいて、ショーケンのすべては既に、この世のどこにも無いそうな。


今朝のしあわせ

長い風邪をひいていました。今朝、どうしてもしておかないといけない用で、何日ぶりにか外へ出て、済ませて、あ、あのコがいる。

先日ランチの時に見かけたゴールデンレトリーバー。吸い寄せられて待機している店へ入って、わんこの見える席に着けて、久しぶりに普通の食事をしました。

店を出て、ふうううん、ってな感じで見上げて来るよいこちゃんの頭を、撫でてしまった。窓のガラス越しに店内を見たら、優しそうなおじいさま(ワタシはすっぴん、髪も洗っていないコギタナイばあちゃん)が、うんうんとうなずいて下さっていて。いいよ、と許可されたようで。

アタマ撫で、耳撫で、耳ふりゅふりゅさせてもらい、のども撫でちゃって、真っ黒い優しい濡れ濡れの目と、ずっとアイコンタクトできて。白いまつ毛のいとおしいこと。

はああ、嬉しい。しあわせ気分で、バイバイしてきたのです。ワンコのからだのぬくさ、何より効いた気がします、ありがとうございました、飼い主さん、と、わんこさん


記事にいただいているコメントへのお返事も遅れました。きちんとお返事したいので、お待ちくださいね。


弥生のお勉強、ラスト。

長い長い間があいてしまいました。

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     かりそめ

   ずいぶん昔、まだイラン革命の起こる前です。
   短期間ですが、アメリカに滞在していたことがあります。
   そのころは中東からの留学生がたくさんいました。
   そして黒人の大統領の出現など夢にも考えられない時代でした。
   下記のうたのエチオピアの女性は黒人でとても高貴な雰囲気の人でした。
   パーティで2、3回会っただけでしたが、
   彼女の担当のレジで精算する気になれずそっと列を移りました。

   先日イラン革命当時の実話を基にした映画(アルゴ)のDVDを見ました。
   アメリカに留学していた人たちは革命当時大変な目に遭ったとは聞いていました。
   でもあんなに簡単にかつ残酷に人が殺される状況だったとは思ってもいませんでした。

  〈1970年代アメリカのとある都市にて〉

*空港で君がくれたるドル紙幣折り目擦れたるそを今も持つ

実体験をうたにされるのは強い。体験したらだれにでも詠めるかといえばそうばかりでもない。どこを、どんな目で、どう見ているか、が問われると思うのですね。一首、とりあえずは単一民族の国に、差別区別排斥されることほぼ無く成長された方が、自身の立場感覚で詠んでおられます。「で」も、この際はこのままの方がいいと思えるくらいです・

*母国にて革命ありて帰れざる留学生がレジ打ちしたる

「革命」。日本人には不可触不可解な言葉。ハクつけ留学では無かろう、まさに優秀な若い方が、もしかして国の威信を背負ってされていたであろう留学。私がドヤコヤ言っても。あっさり命を消される立場の留学生だったと思えば。

*その美貌シバの女王の国の人愁ひ湛へてレジを打ちゐし

*寡黙なるパレスチナから来(きた)る人ユダヤ非難の舌鋒鋭し

パレスチナから来た寡黙なる人が、ユダヤ非難する、舌鋒鋭い。このあたり、なんで? と思われる方も多いかと。それはね、と、解説できる方は、どうなんでしょう。多いか少ないか。私、中学生のとき、「アンネの日記」の感想文で賞をもらったのでしたが。今はあの本の周囲もかつてとは異なっているのですね。

*イラン人スウェーデン人王様の写真を見せて嬉々と話せし

え。と。この当時のスウェーデンの王様は、今もご存命であられるあの・・とか、頭の中がグルグルしました。ごめんなさい。イランの方とスウェーデンの王様とのカンケイの、よくわかっていないKUONです。知らないことは一杯あるが、それは恥でもないが、この場での??は解消しておきたいのが願いです。

よろしければ、この一首について、あのですね、と、教えて頂けますか。うたとして単にすんなりと、を考えれば、

「スウェーデンの王(様?この「様」があるので、何なのかな、と疑問でした)の写真をイラン人」。。と考えて行きましたが、???があるので進まず。申し訳ないです。


     わすれんぼ

   もう少しだけ、日ごろの怒りを・・・

政治とは利権のヤマを仕切るもの
泥棒国家ヤクザ国家よ

こういううたに、便利なやり方。うたの後に(わが国」とか「日本」)とか付けておくのです。今号のまとめ時に,そうしておきましょうか。


コンパクト復興支援エコロジー
全てがウソの五輪の醜態

ロンドンの四、五倍という巨額費用
主権者の許可得るわけもなく

民主主義先進国と言うタイトル
返上せねばならぬ日が来ぬ

責任という語彙はない安倍の辞書
権力とのみ大書してあり

「私が国家ですよ」と言い放つ
国わたくしする首相の本音

嘘に満ち巨悪はびこるこの世界
闘いし者の墓標連なる

うたとして、それぞれ一首独立しています。ので、このまま。私の思いとしては、是とか非ではなく、安倍首相、「私が国家ですよ」とか、言い放たれたのかあ、と。

     たまき

ご破算で
願いましてで
ふりだしに
また戻るのか
春の夕暮れ

出ました「春の夕暮れ」。おみごとにはまりました。

個人的に、ここの「ふりだし」とは、どっち向いてのものなのかなあ、などと、もの思はする春の夕暮れ。

      男と女のあいだには深くて暗い川がある

      誰も渡れぬ川なれどエンヤコラ今夜も舟を出す



皆さまにはお待たせしたりご心配かけたりでしたが、今月のおうた、なんとかまとまりそうです。たくさんお寄せくださり、しかも内容的な充実が実感され、私としては、たいへん、嬉しいことでございました。

ありがとうございました。今後もまだまだ続けます。




弥生のおべんきょう Ⅴ

お見舞いへのお礼は後のこととして、続けさせてもらいます。

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     玉兎と茜馬(元:皇室ブログと競馬のファン)

   HNは玉兎と茜馬にしました。 
   変えるかもしれません。

   名前には、焼酎の原料の芋の名前が入っています。
   タマアカネというきれいな名前で、
   玉茜という焼酎もでています。
   いつか飲みたいお酒です。


三月のホワイトデーのお返しはお菓子以外でと言った私

なんか。可愛い彼女ですね。この味をそのまま

「三月のホワイトデーのお返しはお菓子以外でと言ったの私」にしましょうか。「言ったわ」でも可。お好みで。


「ハマグリのお吸い物とちらし寿司ヘエエ一緒に食べるのと言う」としておいて、
                   (男ともだち)
と書いておく方法もあります。ぜんぶ一緒に入れ込むと、せっかくの面白い歌材が勿体ないことがありますのでね。

歌としてだけ考えると「ヘエエ一緒に食べるのとカレ」にすると、面白みが増すような。でも、男友達と彼、とは違いますしね。


   ひな祭りに友人と一緒にちらし寿司と
   ハマグリのお吸い物を一緒に
   食べたのですが。

   彼の家庭では、
   お母さん以外の女性がいなかったので。


これ以後のコメントも興味深いモノだったですが、カットしてしまいました。こういう感じでうたを作って行かれるといいです、どんどんね。


     さやか

祭壇に弔る(おくる)言葉は僅かでも
故人の画像に涙零れる

   厳しくも優しかった伯母が突然旅立ちました。
   地元では斎場で故人の人となりを司会が紹介することが多いのですが、
   伯母の葬儀では2,3分のスライドが流れただけでした。
   それでも会場ではあちこちからすすり泣きが聞こえ、伯母らしいなと思いました。

凛然たる日本女性でいらした伯母さまと想われます。情報も何も、多く、たっぷりと、しかし薄っぺらく、と寒々しい今の世の対極にあられた方かと。ご葬儀の様にもそれは現れ、しっかりと伯母さまを見て来られた姪御さんが、その「少なさ」を「是」として悼んでおられるのですね。
感傷を排した一首で、これも凛然の気に溢れている・・・一か所だけ。
「言葉は僅かでも」の「で」。この「で」は問題児なのです。ここは同じ意味でも「僅かなれど」の「ど」の無いバージョン、「僅かなれ」と、濁音無しでいかがでしょうか。

「祭壇に弔る(おくる)言葉は僅かなれ
故人の画像に涙零れる」

もちろん「で」のままでも一首は成っています。


幽世(かくりよ)で
祖父母に会っていますかと
亡き伯母に問う弥生の空へ

わたしこういう歌弱い・・・一首のすべてが、人を思う、悼む優しさに満ちています。汚いこころの無い一首になっています。「幽世」と言葉を選ばれたのも成功しておられます。これは事実でも「弥生の空」の、時期の優しさも。
作者ご自身の、祖父母さまへの深い思いも、言外にしっかり表現されています。

いいうたです。きっと嬉しく会っておられる・・・



決然として、今夜はここまで、と申し上げます。いつもガソリンは満タンで向かいたいんだ!。



皇室を卒業。追記あり(恥ずかしい)。


皇太子一家恒例の静養でスキーを楽しむ。 と、珍しく報道の少ないなか、読みました。今日から。

まさこさんは一月以来ずっと公務ほぼ全欠席、全身全霊を以て、実家のみんなあつめてホテル貸し切りでドンチャカチャ。楽しみなこの日に備えられたのですね。。

即位前の最後のスキー静養ですね。支払いはこれからも、国民の血税ですよ。ちっせえこと言うな、ですか。さようなら。

https://www.shinmai.co.jp/news/nagano/20190325/KT190325FSI090005000.php

秋篠宮家の次女の佳子さんは、宮中三殿に国際キリスト教大学(でしたっけ?)卒業の報告、続いて武蔵野御陵に参拝されたと。残念ながら目つき怪しげの、もしかしてこれが実際のお育ちの証かも? の写真を撮られておしまいであった。まあそれはそれ、お姉さまともども、個人の思いを第一に、民には腹もお立ちでしょうが、民の方にも思いはあるのでございましたよ、まあ、これもこれ、どうぞどうぞお幸せに、ごきげんよう。さようなら。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190325-00000073-jij-soci

天皇皇后両陛下神武天皇陵に退位報告

奈良の友人が、な~んにも聞こえてこない、聞けなくていいけど、と、久方ぶりの電話をくれて。陛下ったら昔、美智子さん乗せてひとりで和舟を漕ぎはってんよ、知ってた~あ?と。知るもんか、と、まだアタマ痛くてギンギンしてたワタシ。和舟を、天皇が漕ぐって。それって。と、腹が立ちかけたが、萎みました。もういいんだ、もう関係ないんだ、好きな放題して来はってんや、誰が何を思おうが憂いようが、カンケーないんだあの人たちは。違う人たちなんだから。もっと早くに解っていた賢いひとたちも沢山。今更何がどうだとて。

私はもう、皇室を捨てるのだから。

しかし京都でまたもや茶会を催すと、お元気やな。あと10年は天皇夫婦はっていられるんちゃうか。昔の公家さんも集めはるって、そこは美智子さん、最後やからって気,強うしはったのね。上皇后やものね、歴史上最高のおんな? すごすぎて鼻も首も、折れたりせえへんのかしら。

そんなこんな派手な止め方してしもたら、次のあの、雅子さんとやらが、何もかも比べられて。比べられへんように抑えて押さえて周囲に迷惑かけてなんちゃことも、考えたげへんねんな、さすがのミテコさんや、よう、できたるわ、褒めてませんよ。

自愛の達人、自愛の巨人、あ、つい、夢中になってしまいましたやんか、ウチらとは違う、国民やなんか雑音発生器(ここは孫娘さんにもうまいこと行き渡ってるな)、勝手なこと言いたくっても何もでけへんミジンコ集団、黙って仕事して税金納めてたらええねんで、たまにはニコ、とか、まあ、大変ですね、とか、それくらいしたげるからなあ。以下・略。

もうすぐ平成ではなくなるそうで。

私、昭和の終わるとき、もっと厳粛な気持ちでおりました。しんとした心持でした。

昭和天皇が崩御されて、その乗られた特別な車(名を、思い出せません)が、ゆっくりと進んで行くのを、一組の老夫婦が。正装した年老いたご夫婦が。

雨の降る中、ぐしゃぐしゃにぬかるんだ道に、二人並んで正座して、傘もささずに濡れるに任せて、天皇のお車を見送っておられた姿に、自分も涙をこぼし、胸を熱くし、天皇の逝去を悼んだ記憶が鮮やかに残っております。

お花畑だったのか。そうだったのかも知れません。そうでなく、自分なりに、昭和の陛下、皇后さまに、慕わしい気持ちを抱いていたのだと思うのです。

このブログの前のブログにも、ずいぶんたくさん、皇室について、書いて来ました。なんとなく真っ白だ、と。意味も無く疑わず真っ白だ、と信じていた一枚のハンカチーフに、ん? 疑問のうす墨いろのシミがついて。・・・憶えています、四国の金毘羅歌舞伎の小屋の、桟敷席で、友人から聞かされた「雅子さんってそんな人ではないのよ」の言葉。

え?。びっくりしたと同時に、どこか、やっぱり?の思いが、私に友人を否定させませんでした。

何年たったのでしょう。

おかしな言い方ですが、実感です。わたし、皇室を卒業します。うす墨いろの疑問が、一点小さくついたあの日のハンカチーフは、真っ黒、ぐっちゃぐちゃ、皺だらけになりました。

特に皇室好きでもファンだったのでもない。色々とご不自由もおありだろうに、粛々とその立場を生きておられる皇族方に対して、思い出してふと見上げる感じがあり、よくしていて下さるな、と安心して、自分の人生を生きていた。そういう感じ。税金がどうのとは、あまり感じていなかった。そんなに納めていない現実があったし、自分にはわからないお金だっているだろう、常に人目にさらされておられるのだし、外国とのお付き合いもおありだし、と。

もうそんな気は無い。税金どろぼう、などの言葉は、吐く側の自分の気持ちが荒みそうで、使いたくありません。まさこさんみたいにバカ丸出しで生きる勇気もありません。美智子さんみたいな立派な偽善者に、なれないから悲しいわ、なんて、誰が言うかそんなこと。・・・👈としか思えない他人様に対して、自分を抑えながら敬愛の念とかを向ける、フリするだけでも自分で自分の人格否定、や、ナルさん。KUONのキャリア(そんな大したもん無いけど有るとして、あ、重ねてまいった馬齢でもよし)に基づく、なんちゃらの、人格否定ですや~~ん、皇室のヒトが国民をいじめたらあきませんや~ん、あ、それしんかったら他に、何か、しはること、おありやったか?え、え、ええと、もう、ええです。わたしミジンコ、ミジンコの人生を、残生を、たのしく生きたいねん。せっかくこの世に生まれて来て、今も生かしてもろてんねんもん、アホな家族にアホなコト、言うてる時間がもったいない。

そりゃあ世間知らずは当然、ものの言い方もわきまえなくて仕方ない、身内ことにおばば様のあられもない振る舞い見せられて育って、それでもじっと黙しておられた、いとけないお姫様、叩かれるいわれなど無いお姫様、を、叩いちゃいけないガラスの風鈴、叩けば砕けるガラスのスプーン、お責めになるなら他、当たってよ、と。なおお庇いあそばすお方の、一途のさまを見れば、わたくしKUON、イヤなやつやろうなあ。わたしにもあのお方、イヤなお方ですからね、ま、気にしない。立派なお仕事されてそれは本当に感嘆するばかりであるが、なぜにああまで、て言うかぁ。あの方、なにさま。

わたしたち、皇室の為にいるミジンコか?わたしたち、 納税するだけではあかんの?足らんの?敬いが不足?したくたって、できないやん、でけしませんねんもん。泣く。嘘。

何を言うてるかって?ごめんなさい、解る人にしかわからない部分、おおぴらにブログ内に作ってしまって、申し訳ないことにございます。

総身に報道規制びったりのメディア。今年は抑えて済むでしょう、来年からまさこは、スキー行かずに春を越せるのか。来年は、その時に国がどうあっても、メディアは報じる、そして、おそらく、笑いにくるんで、落とすか笑うか真っ向から竹割、いずれか。それとも。メディアは死んじまってるか,報ぜられる側がぐっしゃんとなってるか。お姫様Aは一人の人間としての意志をお貫きあそばされておらるるか、シンプルに一直線に・・・・・のごとくなっておられるか。お姫様Bは、素敵な気の強さっぷりで、挫けずめげず一個人の意志を以て。たとえば「ローマの休日」の初めの方のシーンみたいに、まいりました公務は微笑んで受けてさしあげてさ。退屈でもぞもぞしていて脱げちゃった靴が、みたいなこと、無いかなあ、あったら面白・・くも無いですね、きっと。私はもっと違う映画の違う場面に魅かれてるかな、勝ち気で生意気なお姫さまもいいが、私の好みは条件付きだな、意志と自由のために、どんな意味でも、自分、張れるか。

挑発されちゃうだけで、もう、ご勘弁。勝ち気で生意気でわがままでいい、おひめさま、と認められるおひめさまになら、負けたっていい気持ちは、今も十分残っているのが、恥ずかしい、というのぽッ(頬が染まる音)。


今後はあまり、皇室の方々について、一所懸命に書くことは無いなあ、と感じています。

勝手に生きてろ。ものすごく下品に正直に言うと、そういうところ、です。とか言いながら長い追記(茶色文字部分)書いてしまいました。KUONのアホ、は健在です、やさいさん、sarahさん。

。美智子さんの夫、アッキーさまが、一本の櫓で和舟を漕がれた。

単に単なる舟遊びなのではありません。。

陛下自らが漕ぐ和船に乗るという事は「神事」の一つ。次世代への継承の意味が込められているのでございます。・・ございました。

細かいこといちいち、と思われるかもしれません。でも、そういうことを含めて、一つ一つが、一般とはくっきりと異なる皇室というもの。神道のおおもと。天皇は唯一無二の神官でいらっしゃいます。・・いらっしゃいました。


弥生のおべんきょう Ⅳ

間があきましたが、続けます。

     わすれんぼ

冬枯れの寂しき庭に燦然と
輝く黄色水仙の精         
                    (二月の庭)

よほど美しい水仙なのでしょう、気持ちはわかります。このままでいけなくはない一首ですが、最後「水仙の精」は、褒め過ぎというかなんというか。「輝く黄色」と、しっかりあるので、「水仙の花」と納めておかれるくらいが、いいのではないかと思います。

三十回日がな鳥追う浅き春
白木蓮の爛漫と咲く

   ヒヨドリのつがいが来て、放置すると二日ほどで見るも無残に食い散らかしてしまいます。
   なので、今年はひたすら見張っておりましたが、今朝朝寝坊したら、見事にやられました。あーーー。


この一首ね。「三十回」を外したら、とっても素敵なうたになります。「日がな鳥追う浅き春」浅き春、いいです。白木蓮の爛漫と咲く、この景色もとてもいい。春はいいですね、でも、この「三十回」が、おそらく「三十年」のことなのでしょうが、このままではわからん。いっそ三十年、とそのまま書けばわかるはわかるけど、散文的になってしまう。「今年また」とか、「この年も」とか、長い歳月を言いたければ「住み古りて」とか、いかがかと

ようやくに芽吹きの季節訪れて
生まれたてなる若葉愛でおり

生まれたての若葉、いいですね。

お山行こう連れていけないお馬鹿さん
ウレションする仔泊めてくれない

   「お山行こう」と言うと、目を輝かせるのですが、ウレションがひどくなってとても
   泊りがけでは連れていけません。


飼い主の愛情と「仔」の可愛さの溢れかえるうたです・・ううん・・「ウレション」で、ワンコとわかるから、いいのか。いいにしましょう。

この歳でもうひとり仔の母となる
飛びきり無邪気愛らしき仔の

いいですね。羨ましい(笑)。二度目の「仔」は、「無邪気愛らしき仔犬」にしましょうか。「の」は無くてもダイジョブです「仔の母となる」から続いていますので。)「仔」は人でない「子」に使う文字とされていますが、ここは、わんこであることを示しておかれませんか。

     ゴネコ

   何とか文字数を合わせてみました。

ひとつだけ取り残されたズッキーニキュウリでもなくカボチャでもなく

                 (付け句 小僧が口にポイと放れり)

とってもキュートなうたで、しばし悩みました。その末に、申し上げましょう。「一つだけ」ですと、やはり普通的には、ズッキーニいっこ、カボチャいっことなります。ので。そこを厳密に「ひとくちだけ」かひとくちぶん、とか。この際の字余りは「可」なのです。付け句ってここで初めてです。も少し勉強します。

雛の日にイチゴのケーキ買いたしがカゴの中にはコアラのマーチ

深読みを誘う一首。この「コアラのマーチ」の謎を思う。母ちゃんである自分のために買いたいケーキをやめて、そっちを買った、といううた。なのか。他にもあれこれ。そういううたは、「いい」のですよ、とっても。ただ「買いたしが」は「買いたしも」「買いたけれ」「買いたくも」など、お好みで選択されて、「が」は排除なさって下さいね。

薄桃のコアラのマーチ頬張りて幼子のような顔をする母

これも雛の日前後の一首かと。薄桃の、コアラのマーチ。この「母」を作者は、ただいとおしんでおられる。

     パール

⭐何ひとつToDoリスト捗らず
 明日が恐いもう寝てしまおう

ええと。私すっごくモノ知らず?。このごろよく、知らないことに遭遇します。で。ToDoリストって、せんなあかんこと、のリストですか?とか解釈して、わかります、楽しいうたですね~。と。冷や汗。

⭐ホワイトデー諭吉飛ぶ飛ぶ倍返し
 私は数にはいっておらず

(笑)。笑い、じゃないですよね、私は数に入っていないのか。モテたヒトは、自腹きって下さいよ、では、ダメなのですか?ドクター野口くらいなら飛ぶ跳ぶでもいいけど、諭吉翁がじゃんじゃか飛ぶのは辛いです。

⭐目は痒くクシャミ鼻水味覚なし
 春待ち遠し春は憂うつ

春待ち通し春は憂うつ、と。きちんとおさまりました。

⭐故郷の春告ぐ香りくぎ煮炊き
 高級になり入手困難

触らせて下さいね・

「故郷の春告げくるるくぎ煮炊き高値となりて入手ためらう」


⭐高祖母のネズミの歯形ありし雛
 元号六つ目有り難み薄れ

いい歌材です、整理させて下さい。

「高祖母の六つの元号経たる雛ネズミの歯型の顕わにあれど」

「元号を六つ経し雛高祖母のねずみの歯型も遺りておれど」

勝手なことをしました、ごめんなさい。見ていない者の感傷かとも自省しますが、ムズムズと手が動いてしまいました。お好みでないならおっしゃって下さい、うたは詠み人のものですからね。


  <昨年九月強風の名残の桜>

⭐風に折れ切られ残れる幹よりの
 わずか二輪の力強さよ

いいおうたです。わずか二輪、と具体的に言っておられて、いいうたです。

   <逆縁>
 
⭐子が逝きて棺に手を置き目を閉る
 ご母堂の背にかける言葉なし

⭐自らが産みし命が天にゆく
 見送る心底なしの悲や

この世に一番つらいのが、逆縁であるとか。

一首目、悲哀のこもるうたになされました。

二首目、その通りなのですが、こういう場合「悲」という言葉は、とても通りにくいものになるように思います。パールさんご自身、おわかりと思う。「自らが産みし命が天にゆく」思うだけでたまらないこんなこと。「それを「見送る心」なんて想像もできない、ということと思う。「悲」を使うとすれば、「見送る心思うさえ悲し」くらいしか言えないのではないか。どう言えばいいのでしょうね、でも、じっくりと詠まれたと思います。




今はここまで、とさせていただきます。



・・というわけで。

おはようございます。堂々とご心配を強要してしまいましたようで。お詫びするのもマヌケですし・・お気持ちあれこれ、ありがとうございました。

しつこい風邪で、まだ爽やかとは参りません、プチ・さわやか、という感じでしょうか。

今月のおうたの済んだ時点で桜の背景にするつもりでおりました、が、数日遅れました。数日のことで、花の景色は変わります。ことに、桜の花は。

当分お付き合いいただく予定の花の背景と、お詫びとありがとうを込めて、花だけ先に、出させていただきました。

くおん、いまごろ風邪だってよ。



本日、風邪の症状顕著にて。あたま痛いノド痛い鼻水いい加減にしなさいレベル、脚の関節ぐっきぐき、休ませていただきます。また爽やかにお会いしましょう、ウウウ、ばったん。









弥生のおべんきょ、Ⅲ

桜の開花の話題がちらほら。満開の花に会いたいです。つづき、参ります。

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     かりそめ

*色褪せど形まつたき楓の葉池の底にて冬を越しけり

この情景をわたしも見ました、どこでだったか、透明な池の水の底に、みごとに重なり合って積もっていた葉っぱたち。

「色褪せど」は、正確に言えば「色褪すれど」もしくは「色褪せれど」ですね。音がたくさん要ってしまうので、「色」を失くしましょう。「形まったき楓の葉」の表現で、わかるから大丈夫。

「褪せたれど」か「褪せをれど」か。どちらにされるかは、作者の好み。「を」の方がいいかな、と私は感じますが。「褪せつれど」でもいいです。「褪せをれど形まったき楓の葉].


*折りよくも雨降り始むきりもなくこぼるる涙まぎらはせゐる

共感を呼ぶ一首と思います。きりもなくこぼるる涙。こんな時、ありますものね。確かにある。細かく言うと「始む」「まぎらはせゐる」の韻がいいです。「始め」だと説明的になります。

*健康で忙(せは)しきころの歩き癖直らぬままに息を切らせり

*雨の日はうたを作らぬはうがよい秘めておきたき心滲めり

今の自分、をみつめてのうた、そして、雨に誘われて不意に出て来てしまいそうな思いを、抑えられるうた。

*亡き母を恋ふる心に嘘なくも母つけし傷まだ疼きゐる

この方にさえこのような、と、母と娘の何やらに、こちらの胸もひりっとします。そうでありながら果敢に突っ込ませていただきます、「母つけし傷」とは、母のつけた傷、なのでしょうか。「母つけし傷」のままでは急ぎ過ぎ。「母のつけたる」ときちんとされた方が。で、「母のつけたる傷まだ疼く」とか(たとえば))。

*過ぎし日を強く思へば行く人の後ろ姿のかの人に似る

。「強く思へば」なので、その人への思いのほどが偲ばれるような。

*道路より一段低き校庭に金髪の子も駆け回りをり

「一段低き」校庭なので、金髪の子も混じって駆け回っている子どもたちの様子が、いささかの俯瞰をもった鮮やかさで「見えます」。

   「若きころ」

*異国にて級友なりし彼彼女母国に帰り無事であれかし

幸せだろうか、などでなく「無事であれかし」であるので、おさまっている国でないことが思われ、「あれかし」と、強く願っているこころが生きています。「無事であれかし」は、正確を期せば「無事にてあれかし」ですが、いかがされますか。今風には「で」でもよさそうですが。「に」だけでもイケます。って。魚売ってるのと違うし(笑)。

*深爪をすれば写楽を思い出す昔も今もはつと目を惹く

一読、はっと胸をつかれました。そうなんだ‥面白い一首。写楽、見直してみます。

   「平成」

*春や春と浮かれてをれば強風と雨多き日々呪はれし御代

今上陛下は「戦の無かった平成」と宣らしたまいましたが。「呪われし御代」と、私も、思います、言いたいです。

     アルジェリマン

アオサギの急降下する橋の下 鳴き声響く夕闇迫る

恥ずかしながらこういった光景を見たことがありません。こんな中に立ってみたいな、と思いました。

雲厚く月押し込めた白い闇 小鳥ら鳴いて夜の田渡る

「雲厚く月押し込めた白い闇」こういうのも見てみたいです。

街灯の途切れ真っ暗散歩道 パトカーサイレン通り過ぎ行く

情景の描写しっかりなされていますが、一首を読み通すと、少し足りない音がある気がします。「途切れ真っ暗」の後に「な」あるいは「の」を。パトカーの後に「の」を。

黒犬の息白くあり 早咲きの花散る道の明け染める時

早朝の散歩なのですね。「明け染める」は、間違ってはいない気もしますが、一般的に「明け染める」は「明け初める」と書くことが多いような。わざとの「染める」なのでしょうか。きれいですよね。

黒犬はナズナの畦へ坂くだり水溜り跳ぶ 耳のはためく

わお。耳、はためいて、一瞬、切り取られています。

剪定し青空透かす白椿 いただきの花スズメら並ぶ

椿が大好きなので、いいなと思う。いただきの花の後に「に」が」ある方が、うたが落ち着くと思います。

どこまでも黒犬と行く春の宵 コートの襟立てしばしたたずむ

   ・・・・ちょっと不快なことも詠んでみました。

声荒げ電車3分止めた人 青筋立てた幸薄き顔

一般的には「幸薄そうな顔」とするのですが、勤め人の朝の時間と気分を(ですよね?)害した男の(ですよね?)顏、こう言い切ってもいいかと。

受話器あて辞書眺めつつ生返事 激昂の文字を確かめたくて

職場詠ですか・・・。

響く声 受話器離して耳守る どうせたいした事言っていない

ご要望により「言っていない」とさせてもらいましたが、初めの「言ってない」も、この場合、いいではないかという気がしました。

わめく顔さぞや赤くて醜かろ 受話器当てつつ思えばおかし

もしかしてこれらのうたに、批判めいた感覚を持たれる方がおられるかも、と思いました。でも、こういう風にうたったっていいと、私は考えます。世界は花鳥風月のみで成り立ってはいないと思うのです。私の感じです。

個人的に下ネタは勘弁して欲しいので、そういううたに対しては、違った考えで対処してしまいます。


     わすれんぼ

   毎年辛すぎて目を背けてきた311に、今年は向き合ってみました。

原子炉の暴走という過酷なる地獄逃れて忘却の海へ

東日本いや列島の存続も危うき事態瀬戸際の運

恥知らぬ御用学者の無責任すべては金目人でなしども

津波と言う全てを奪う凄まじき黒き魔物の暴虐を知る

壊れたる村の営み蘇生せず老いし村人一人酒汲む

災害の尽きること無き我が祖国 神はいずこにおわすのか知らん

庭土に固く取り憑く放射能ガイガーの音鋭く響く

汚染せし山より出ずる川の水何事無げに使いて暮らす

薄氷を踏むかのごとき現状と警鐘鳴らす人を無視して

わすれんぼ さん。再びおいで下さり嬉しいです。

重いコメントを、ここにどれくらい残そうと迷い、一行だけ残しました。

うたに関しては、きちんと向き合って読んでいます。迫力のある、どーんと重い激しい歌群で、直すところは特に無く。私の夫が、セシウムにかんしてだけですが、汚染水から凝集分離できるモノを作った時、役に立てるかと胸が弾みました。特許申請をしないで、たくさん使えるところに使ってもらいたいと願いました。いま、使われている、使って下さっている会社もあります。が、ひとことで言えばこの国は、巨大な利権・無責任・利己的列島です。一国の首相が、コントロールしようもない、されてもいないモノを、アンダー・ザ。コントロール、と明言してしまう国です。小出先生なども、すでに沈黙してしまわれました。3号機は核爆発だった、と書けない、書いてはいけないと悟った時から、私も、ミジンコの遠吠えをやめました。皇室の異様さを書くのも、最近は遠ざかり。逃げたのかと言われれば、そうなのかも、と。

関係の無いことを書いてしまいました、失礼は承知しています。

わすれんぼさん、書いて、うたって、残して下さい。いま申し上げられることは、こういうことです。また書いて下さい、もちろん他のことも。


     こぶ 

   ときどきサボりながらでもなんとか続けていきたいと思っております。

○「観覧車隣に座って告られた」
lineしてする友の恋バナ

   なんというか、これ短歌と言っていいのでしょうか。
   娘からのライン、え?何のこと?
   告られた(告白された)の?
   と思ったら仲の良い友達の事だった。
   でも、そんな話をする友達ができたんだなぁとうれしく思いました。


はい、短歌です、立派に短歌ですよ。お友達できてよかったですね、お嬢さん。友達がいいんですね、この頃は。わたしも、いっとき心配させてくれていた孫娘に「オタク友達」ができたようで。感謝しているのです。見守ってさしあげて下さいね。サボりながらでも、続けて下さいね。




弥生のおべんきょう Ⅱ

続き、参ります。

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     黒猫アビ

 ・ひな祭り我のちいさなひな飾り
  心にポッと灯りがともる

女のコにとって(いつまでだって、女のコ。)、お雛さまはやっぱり、特別な存在と思います。
女の子の優しい心模様を詠まれての一首、少し厳しくさせてもらいます、この「灯り」が大切に思われて。生かしたく。

理屈を先に立てて言いますと、「ひな祭り我の小さなひな飾り」のままですと、祭り、と我、の間に「に」が要るのです。そして「ひな飾り」でなく「ひな飾る」となる。なんだかゴツゴツ無粋になりそう、で、触らせてもらいますよ、

「雛の日にわれの(我、という漢字よりひらがなが優しい)ちいさなひな飾る心にポッと灯りがともる」

ではいかがか、と。


 ・春を待つ三寒四温 身につらい
  痛みこらえて家事は手抜きに

素直にこのまま生かします。
「春を待つ三寒四温の身につらく痛みをこらえ家事の手を抜く」

先の一首の「ひな祭り」もそうですが、それはひと固まりの言葉。家事を「手抜きに」も、ひと固まりの言葉。それは、どういうことなのか、を、一つずつ考えて言葉を考えて行くと、言葉のまわりに空間が生まれて、自分は何をどう詠みたいのか、が、少しずつ見えてくるのだと思います。「ある」言葉をあてはめるばかりでなく、言葉の意味を、ゆっくり考えてみると、表わし方にゆとりができて来る・・ムズいこと書いてしまいましたが、KUONがこんなことをほざいていること、時々、思い出して下さると、いいな。


 ・春がきた洗濯物を干しながら
  ふと目に映るムスカリの花

   冬場から、ずっと春を待ちわびています。
   ベランダのムスカリの花が咲くと、春を実感します。


すてきですね。それなら、たとえば「ふと」でなく・・」ふと、は便利な言葉なのですが・・「今朝目に映るムスカリの花」ではいかがでしょうか。待っていた花が、今日、今朝、目に映った。喜びの伝わり方がくっきりしませんか? 細かいようですが、発展途上のアビさんに。随分お上手になっておられる、ものを見る目も確かになっておられる、なので。

     ひらりんこ     

大切な人を傷つける自分が
父を憎んで父に似ている

   自己嫌悪でどん底まで落ち込んだ日に詠みました。

ひらりんこ さんは感情の切り取り方がお上手です。
この一首、ずうっと考えました。「父を憎んで父に似ている」ここ。冷静に「添削し」、筋の通ったうたにするべきなのか。たとえば文法的にはここは・・とか、言いながら。でもそうすると、この激情の火がうすらぐ。

誰だって本当は、憎む父より優しくて甘い父を持ちたい。父に似ている娘である自分に、嬉しくやさしく向き合いたい。なのに、そうでない。

苦しい切ない一首です。このまま残しておきたいと考えるに至りました。


     白萩

・闇の中香の漂いてみずからの記憶を辿る これは沈丁花

沈丁花の香りかたって、詠まれているこの通りの感じですよね。見えていない触れていない、香りだけがある、しかもそれは、記憶の中の香り。結句の「これは沈丁花」はからずも1文字余るこの字余りが、余韻を添えています。

・慎ましく咲(え)みて香りもきよらかに沈丁花のごとき人でありたし

え~。お世辞を使う場でなく理由も無いですが、なんとなくそんなイメージの方であります、白萩さん。

・いちはやく水を引く田に陽光(ひかり)射し近づく春を見る車窓かな

・十年前の我をうつして頬ゆるむ 街行く慣れぬスーツ姿に

景色の見方、言葉の選び方、街でみかけるフレッシャーさんたちへの視線も、的確、かつ柔らかいです。

     おてもやん

○耳も目もぼんやりとする愛犬の怯えて吠ゆるを撫でてなだめる

   パピヨン犬13才、年のせいか人影や物音に吠えるようになりました。

あの大地震も、家族の一員として通り抜けて来た愛犬。幼いお孫さんと一緒に、頑丈な卓の下に眠っていたワンコは、年を取って。孫ちゃんは伸びてゆくばかりですのに。
何かに怯えて吠えるしかないパピヨン、優しい手に撫でてなだめてもらえて、幸せですね。撫でる方の思いはあれこれ、複雑でしょうね。たくさん撫でてあげて下さいね。


○背伸びして玄関のベル鳴らしてはボクですと言う三歳の孫

(笑)。おてもやんさんも的確さを増しておられます。このままで充分な一首ですが、たとえば4、5句をひっくり返して

「背伸びして玄関のベル鳴らしては三歳の孫ボクですと言う」


こういううたい方もあります。内容に変わりはないが、どこか何か、違うのかなあ、など、面白がってくださいね。


欲張ってぐゎんばりたいゆえ、今夜はここまでとさせていただきます。

また、明日。




弥生のおべんきょう始まりました

三月も半ばを過ぎ、外を歩けばいい香り、鼻ツンのわが身にも、沈丁花の香りの記憶が。

今月は沢山の詠草をお寄せいただき、KUONのこころも春です。

おうたを中心に、共におべんきょ、いたしましょうね。今朝のわがBGMは「朝日のあたる家 by 裕也・内田」だったのですが、今は、リストです。カンパネラ。辻井伸行さん。

この文字が詠草。詠み人さんのお名前。うた以外の詠み人さんからのあれこれ。この色の文字はKUONが書いているところです。

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     まめはな  

・母の信ずる邪教の信徒ことごとく吾を罵りて絆固めり

コメントの中身は変えられないので、ここでお望みのようにコメント部分は消しました。
うたは、何を詠んでもいい。負の思いでもいい。暗くても黒くてもいい。ただ、うたとしての完成を目指して行きましょう。うたに思いを託すならば、そこが大切です。何を詠んでもいいのです。

「吾を罵りて絆固むる」あるいは「われを罵り絆を固む」で、うたになります。


・辛いからこそ頑張っておりますと言わせて貰えず罵しられるる

「辛いからこそ頑張っておりますと言わせて貰えず罵られぬる」

・雛(ひいな)飾る春しか知らで老いもせずただ微笑(え)みておりただ微笑みており

うたとして厳密に読めば手を入れたい。が、おそらく作者はこのままを望まれるでしょうし、うたの成り立ち自体に大きな問題は無いので、このままにさせておいていただきます。

     天上の青

   東北はまだ雪の舞う冬であったことを思う三月です

ひな祭り
ひなの顔みな
ひんやりと
虚空を見つめ
あでやかに

   私は日本人形、特にひな人形の持つこの世ならざる美しさが怖くて苦手です。

わかります。私の上の娘は、お雛さまも市間さんもとても怖がっていました。人形は、人間の子の「まがごと」を背負わされて流されるものだったのですからね・・。

最後、5句目の「あでやかに」の字足らず(5文字)が気になります。ご自分で足されるか、任されるなら清書の時までに考えてみます。あと2文字、あった方がぜったい、いいです。ふつうにしてみると「虚空を見つむ あでやかなれど」のようになります。


     かげろう

   帰省してきました。

ふるさとは歴史と文化を切り売りし地域創生ひとはいうなり

このままでも、言うに言えない思いは出ていますが「地域創生」の後に「と」を入れるといいのでは、と思います。1文字多くなるけどあった方がいいです。1文字削るなら「歴史と文化を」の「を」を、取りましょうか。声に出して読んでみて下さい。・・・「を」もあった方がいいです。

「ふるさとは歴史と文化を切り売りし地域創生「と」ひとはいうなり

「地域創生」の後「を」もいいですが、「歴史と文化を」の「を」を生かすと、やはり「と」でしょうか。


帰省して歩きし路も風が吹くわれは見知らぬ旅人となる

「歩きし」の「し」は過去形、過去のことをいう「し」です。いま歩いている道のことですから、お好みに合わないかもですが、たとえば「そぞろゆく道風が吹く」などとされると、歩き方のこころもとない感じが出る(かも)、そして最後の部分ともマッチして来ます。

「帰省してそぞろゆく道風が吹くわれは見知らぬ旅人となる」・・「吹く」と「なる」の「う」の子音が快くなる(と思う)のです。


通学の道とはいえどいまわれは異邦人の衣纏えり

1句目、クソマジメに言えば「通学せし」ですが、このままでいいと思います。最後、リズムが整わずもったいないので、ん、どうしましょう。「通学の道とはいえどいまここにわれは異邦人の衣纏えり」では、いかがでしょうか。

   18歳まで過ごしたところですが、帰るたびに見知らぬ街になっているような気がしています。

よかった。

<裕也逝く!>だったのですね。

前日、オムライス食べて。少し前には、見舞いの孫に向かってニコニコしていたと。

それもいいんだ、きっとよかったんだ、そういうのも、もうおじいさんなのは確かなのだし。

でも。亡くなったと聞いて、不謹慎でしょうか、よかったね、と思いました。

業が深い、という言葉があるけど、内田裕也、その反対側のひとだったんだろう。業が浅い、とは言わないですよね、面白い。

奥さんがあちらで、安心している気がする。裕也さんも、安心して昇って行かれたのでしょう。

叱られるかな、よかった、とか言ったら。



ぜんしんぜんれい。


何年か前、その言葉の用いられ方の軽さに、気持ちが重くなった。

全身全霊で国民のために。全身全霊で被災者のもとへ。ミテコさんはそういうお言葉がお好きなようで、自分では言わず、夫である天皇にそれを言わせる。日本国の現・天皇は、一人でおられると天皇陛下に見える。そう言えると思う。ミテコさんといる時は・・まあ。

今度はまた、より一層軽い長男さんが、その言葉を使うようになった。書かれているものを読むだけですからね。読めるのね。

身の程を知らないことの悲惨さを、今はまだご存じない、あのボンちゃんは。もしかしてこの先も気づかないままなのか。妻帯はしておられるが、つまり一人、一人で人前に出て来て、同じセリフを吐き続けられるか。

全身全れい。

ぜんしんぜんれい。

全身全零。

零だよ。な~んにも、無い。そこにはただ、荒寥の風の吹くばかり、だよ。

おめでとうございました。


悠仁親王殿下は東京のお茶の水女子大学付属小学校を卒業されました。校長から卒業証書を受け取られました。秋篠宮殿下、同妃殿下も卒業式に出席されました。春からはお茶の水大学付属中学校に進学。悠仁親王殿下は4月30日に天皇が退位してから皇位継承第二位となられます。

・・ちぎって投げたような記事を、親王を語るときの言葉にしようとして、おかしげな文章になってしまいました。「秋篠宮悠仁」なる名前は、本来は存在しません。

3月15日金曜日午後5時頃、小学校を卒業された悠仁さまは皇居へ両陛下に報告をしに出かけられました。

16日土曜日は皇居・宮中三殿を参拝し、お茶の水女子大付属小学を卒業したことを報告。
そして16日午後、東京都八王子市の武蔵陵墓地を訪れ、昭和天皇の武蔵野陵と香淳皇后の武蔵野東陵を参拝されました。

https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn?a=20190316-00000019-jnn-soci

秋篠宮家の長男・悠仁さまが、天皇・皇后両陛下に小学校の卒業を報告されました。
15日午後5時ごろ、皇居・半蔵門を通り秋篠宮ご夫妻とともに御所へと向かわれる悠仁さま。両陛下に6年間通ったお茶の水女子大学附属小学校を卒業したことを報告されました。
悠仁さまは、卒業式で少し緊張した様子だったということですが、卒業証書の授与の際には大きな声で「はい」と答えて受け取り、その後、ともに卒業する友人と「仰げば尊し」を歌われたということです。
悠仁さまは、来月からお茶の水女子大学附属中学校に進学されます。(15日20:23)

車で半蔵門を通過する際、居合わせた人から手を振られた悠仁さまは、笑顔で一礼されました。

悠仁さま、武蔵野陵を参拝=小学校卒業で
時事ドットコム 2019/3/16(土)15:41配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190316-00000053-jij-soci

秋篠宮妃紀子さまと長男悠仁さま(12)は16日午後、東京都八王子市の武蔵陵墓地を訪れ、昭和天皇の武蔵野陵と香淳皇后の武蔵野東陵を参拝されました。

スーツにネクタイ姿の悠仁さまは、紀子さまに続いて玉串をささげ、拝礼した。これに先立ち、悠仁さまは同日午前、皇居の宮中三殿を参拝されました。

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悠仁さま、おめでとうございます。

宮中三殿にも武蔵野御陵にも、粛々と参拝された、車の中から、手を振る方々に笑顔で一礼されたと。皇室のお子さんにふさわしくいらしたこと、報じるところだけは報じています。いつものKUONの口調で言わせていただきますと、親がへらへら媚び媚び、手を振るからといって、学校へ行っている年頃の親王、内親王が、国民に対して「お手振り」されることはないのです。不要。無用。失礼。

画像を見せていただきましたが、ご両親の間で、まっすぐにしっかりと立たれるその両足の、がっしり、しっかりしておられること。大変なお立場でしょうが、すこやかに成長なされるようで安心しました。皇族のための学校であった学習院への進学でないことには、私なりの「そうでしかないだろうな」の思いがあり(エラそうですがホント)、汚染されてしまったその学校はムリ、でしょう。

おめでとうございました。
 

この世がtenngoku.

先日、娘が、いきなり「お母さんは天国へ行けるよ」と行った。はあ?。姑さんを病院へ連れて行き、帰りにタラフクお寿司を食べて送り届けた帰りの道で。

続いて笑いながら「私は地獄で待ってるさ」と。そっちが先に地獄かどこか、行くんかい。

なんだかわからないが大笑いした。順番は守りましょう、私が先だよ。

めったに会わないし、話す機会もあまり無い。でも娘たちどちらも頑張っているのは見えているし、あれこれ言えばきりがない、今はこの世が私の天国みたいな気がしている。

黯(くろ)いこころの話:追記あります。

こしょこしょっと身辺雑記を。

もしかして黯いココロの汚れの移るかもしれない話ですので、そーゆーのを避けたいお方は、読まれない方がいいかも・・・と、書かせておいていただきます。。

昨日は早く出た。奈良の学園前という駅で次女と待ち合わせ。姑の、検査を含む通院日で、この日は娘の車を頼る。迎えに行くと、植木屋が来ていた。ばあちゃんの大事な植木屋さんや。娘が笑った。ピンポン押して玄関に進むと、義弟の妻が出て来た。??な顔で「なんですか?」と言う。「お母さんの病院です」あ、と義弟の妻。なんで義妹と書かないかというと、理由があるのです。ハワイでの結婚式には参列したが、挨拶を受けていない。だから「義弟の妻」。自分のせいで幼い子を連れて実家へ戻ったひとに「子どもには子どもの人生があるわね」と言い放って、約束した養育費、一回も払わせなかった女だ。都合のいい時には愛想がいい。そうでない時は・・まあ、いいか。

「今日、病院でした?   おかあさんディサービスに行っちゃったわ」わたし無言。初めてではない。何度もこういうことはあった。予約表は渡してある。先日、墓参りの時に寄って、イチゴのパックの箱に、今度は3月14日で~す。と大書したA4紙をを貼り付けて渡してある。彼女も、今は半身不随になってしまっている夫と、92歳、しっかりしていた人だったが今は年相応になっている姑と、二人抱えて大変なのはわかるが、私に、いっさい手を出すなと言い放ったあの言葉は、そのままに生きている。

駅近くの先の家から、やっぱり部屋が六つある今の借家へ移った時、姑に乞われて手伝った。食器だけでも膨大な量の家、どうするんだと思いながら出来ることをしていた。例のドーナッツ屋が、何やら貯めたらくれていた皿やマグも何個かあった、こういうものは、こういう際に処分したらいいよね~、と。ふと考えて(マグだって他にどっさりあるんだから)、インスタント・コーヒー贈答用の箱が空いていたから、ハダカで詰めた。捨てるべし、の思いで。そして叱られた。ぜんぶ持って行くのですから、包んで下さいね、おねえさん。私は「おねえさん」と呼ばれているの、途中から。義弟が呼ぶように〇ちゃん、と私を呼んでいるのを、どなたかに咎められたということで。わたしは別に〇ちゃん、でよかったのだが。この女のところへ義弟が転がり込んで、妻と娘を放置した半年間。強引に義弟は離婚を成立させて、妻は娘を引き取って、マンションを出て行った。そのマンションの後片付けをしたのは、姑と、夫と(長男だから)私だった。私は長男のツマだから。

そのマンションを、院を出て無職で、社会勉強と姑は言っていたが、たくさん出来かけていた消費者ローンの会社へ通い始めていた義弟は、欲しくて。そこで知り合った出資者の娘さんとやらと付き合い始めて、結婚したくなって。

お兄ちゃんがまだ家を持っていないのにダメと制されて、兄貴に先に家を持たせたらええのやろ。そうでないと俺、T子に約束したマンション買われへん。次男に甘い父親に談判した。

ちょうど、古くからの舅の工場が市の立ち退きの対象になっていた頃で、義弟はそれを承知済み。姑ももちろん承知していた。そこで母子はタッグを組んだというわけ。婚家へ来てびっくりしたことは山盛りあった、その中で三大ビックリの一つが

「お父ちゃんからは、お金を取ったらなあかん、そうでないと全部○○ちゃんにやられてしまう」

○○ちゃんとは、舅の会社の経理であり、全くヒミツでなかったがヒミツの仲の女性だった。家を出た舅は一緒に暮らし始めていた。

工場を移動させる、大きなお金が動く、その際に、息子の家を。そういうリクツ。義弟は欲しいマンションを探し、兄ちゃんたち(私たち)の住まいを物色したのだそうだ。母子で、建っているさ中の家を見に行き、これがええのとちがうか、と決め、その後、私の夫に、あそこのあの家、買いや。と、言いに来た。こちらびっくり。そんな考えを持っていなかった、二人目の子どもが生まれてほどない時期で。

けれど決まったのだった。私は、全く知らないあたりにもうすぐ建ちあがる建売住宅を買うと告げられた。
当時はアタマ金を作って家は買うものだった。少なくとも、そこに住む人間が、それなりの夢やヨロコビを感じながら決めるのが住処というものだったろう。しかも、それまでは私たちは、長男だからいずれ、ここで、と、舅が出て行ってしまって母屋は姑だけが住んでいた家に、来るべしと。言い渡されていたのだし。ほとんどその家で、過ごしていたのだし。

でも家は買った。バス停には近かった。私たちの事情はまあ、別。ローンが済んだ頃、競売物件となったのが、そこだった。

姑は当時、兄には家あてごうて。弟の方はマンションにしましてん。得意顔で言い散らしていた。義弟は知らぬが、うちはローン、自分たちで返していた。

住まいを手に入れ、お雛様顔の女性と、義弟は、奈良ホテルで挙式した。ほどなく女の子が生まれ、赤ん坊を連れて姑も一緒に、主に国内を旅行していたが、T子ちゃんと呼んでいた義弟の初めの妻は、経済的な不安を、口にし始めたとのことで。子どももいるし、もう少し堅実な生活設計を・・しごくまっとうな話と思う、思うが、義弟はそういう話が聞きたくない、で、まだ歩き始めてもいない娘と、面白くない話ばかりする妻とを放置して、経済力のある音楽家の幼なじみのところへ、転がり込んで。結果、離婚となった。

私の長姉は離婚している。子ども四人連れて離婚した。その話をした時、姑に「リコンなんか人間のすること違う」と言い放たれた。なるほど、と私は黙った、姑は、何度別れたいと訴えても、実家の父親に諭されて「「子どものために」頑張りぬいた、のが一つ話の人なので、それはそうかもね、と黙っていたけど、義弟の離婚を姑はどう感じて、と。意地悪く気になった。

その話の、起点になったのが、現在の義弟の妻、だったのだ。初めの奥さんが、ココロを決めて出て行ったマンションの、後片付けに行って。もくもくと作業するつもりで行って、そうは行かなかった。詳しくは省く、三DKのマンションの、あらゆる部屋に、破り千切られた膨大な量の写真が、撒き散らされていたのだった。ものすごい量だった。婚約時期からあちこちへ出かけていた、結婚後も旅行にはしょっちゅう出かけていた。夫がある時、黙っていられなくなって姑に尋ねた、「なんでそんな旅行できる金があるの。金はともかく、どうしてそんなに旅行するの」と。姑は「魂を高めるためや」と答えた、呆れてモノが言えなかった、だから何も言わなかった。

旅行の、楽しい思いでのあかしともなっていたであろう写真を、手当たり次第に破り捨てて去って行った女性の気持ちに、私は戦慄したのだ。こんなことさせて。ロクなことないわ、義弟。フツフツ滾る思いを、なだめながら、片づけはしたのだった。

マンションは売ることにして、頭金の少しも戻るなら、実家へ帰ったひとにさしあげようと夫は提案したのだったが、そんな金は無い、義弟は、何百万円もの借金を、すでに、作っていたようで。それを消すために、お金は使われたようだ。私には黙っているが、それで補填が出来たのかどうか。私は聞かなかった。

協議離婚で定めた養育費を、義弟は支払わない。姑が何度か振り込んだようだ。で、うちの夫に振って来た。

「あんた、あの子の養育費、払ってやってくれへんか」

絶句するウチのオット。「かわいそやろ、あんたとこの子ぉはぬくぬく育って」

そういう表現をするヒトなのだ、姑は。歌人であったが。息子の妻が実家へ連れて帰った孫を詠んで。以下。

<着飾りて父母に甘ゆる孫ら見て>

遠く去った不幸な孫が偲ばれてならぬ、と、詠むお方。解らなくはないが、どうなんやろ、それ。

・・・恒例の大脱線となっていますね。姑を迎えに行った玄関先から話は進んでおりません。

とにかく。迎えに行くと予告していたはずなのに、姑は、ディサービスに行ってしまっていた、と。そうであれば

・ワタシはそこから帰る、娘と、何年ぶりのカラオケ行くとか。娘は有給とってるし。わあい、カラオケ。

・カラオケは喜ばしいが、また出てくるのもナンだし、

で、義弟の妻が言うように「大急ぎで行って連れて行くから」

先に行って、書類上の受付を済ませておく、という、大団円の結果となりました。このヒト、すみませんと初めて仰いました。びっくりした。

違うこと書くつもりでしたが、今日はこうなりました。

追記。いつの頃からか私の座右の銘は、レット・イ・・いやいや違う、ぜんぜん違う。「肉を斬らせて骨を断つ」これです。おしょろしい雰囲気のコトバですが、実にそうなのです。なめたらいかんぜよ、の気持ちは、お腹の底にずうっとありますわ。先祖は武士です。それ、気に入っています。

みんなのうた 弥生のお呼びかけ

三月・弥生の「みんなのうた」詠草をどうぞ、とお呼びかけをいたします。

基本は五七五七七、三十一文字が定型の短歌。いささかの字足らず、字余りはそれはそれ。

この記事のコメント欄にお寄せください。お望みの場合に、手を入れさせてもらうことはあります。18日、月曜日の夜までです。

どうぞおいで下さい。。お待ち申し上げております。



お坊さんと蜻蛉玉

昨夜、十二日、東大寺・二月堂では籠松明(かごたいまつ)の炎が、夜を焦がしただろう。

常は七メートル。この夜は長さ八メートル、70キロもの籠松明を、童子はかついで僧侶を先導、激しく火の粉を降らせながらも回廊を駆け巡っただろう。奈良のお水取りの佳境の行事。本来の「お水取り」は、今朝十三日の明けの頃から始まっただろう、大仏開眼以来、途切れず続いて、1276回目。だという。

ある年の、三月半ば。黒衣の僧が、わが店を訪れた。顔は黒光りしていた。おつむの髪は伸びかかっていた。故郷を出る時にはぴっかりと剃髪されていたと思われる頭部に、髪はひと月分、伸びていたか。

ここに蜻蛉玉はあるかと問う。ありますと答えて、ここに、と、示した。蜻蛉玉の作者が展示用の台までこしらえて来ていて、斜めに、ひとつずつ、玉が見えるように工夫された台。そこを、小柄、痩身の僧は、じっと眺めた。触れないように前のめりに、真剣に凝視されていた。

はあ、と息をついた。んん、と小さく声を漏らした。。思いつめたようにやがて、これを、と。三つの蜻蛉玉を指でさした。

町工場に勤めながら、小学校の給食を作っている妻と二人、子を育てながら、いっしんに蜻蛉玉を作っているNさんの、巻いた玉である。月に二回ほど、はにかみながら現れて新作を見せてくれるNさんの、訪れが、待ち遠しかった。それらを、委託という形で預かって、買ってもらっていた。持ってきた時は「いい」と思っていても、次に店に来て見た時に「これは出せない」と思うことがある、そんな時に引き上げやすいように、委託・・売れただけお金をもらえるようにしたい、というのが、Nさんの望みだった。私はそれでかまわなかった。そのやり方だと、売れ残りの品が出ないわけで、私は助かる。Nさんも、心おきなく冒険作も持ち込める、ということで。

蜻蛉玉について詳しく説明すると、とても長くなるから、ここではさせてもらいません。

炎の上で、棒に、さまざまな色のガラスを溶かしながら巻き付けてゆく、その途中で色を入れたり模様を入れ込んだり、全く同じものはできない。そういう、ガラスの玉のこと。とんぼだま。信じがたいほど細かい、玉の表面に描かれた絵画とも見える細工がなされたり、金箔銀箔、妖しゅうに閉じ込められたり。

蜻蛉玉は、ぜひ扱いたかったガラス細工で、何人かの作り手に会ったり気まずく物別れになったりの末、私の好きな球を巻かれるNさんの品を、扱うようになっていたのだった。値段の話をすれば、チマタで取りざたされるものとは違う、とても買いやすい値段だったと思う。高価でなければ値打ちが無い、と思うタイプのお方に、鼻で笑われたりもしたが、こちらも内心の鼻で笑っていたから、かまわないのである。

Nさんは、売る側から見たら、こりゃ同じ値段ではあり得ないわ、のどの玉も、同じ値段でいいと言う。それでは逆の意味で不公平、と言っても聞かない。自分は、作るのが楽しい、嬉しい。そういう段階(でも七年、励んでいる人だった)。たくさん作りたい、欲しい方には沢山買ってもらいたい。と言い張って聞かない。なので、店側のやり方として、と無言の了解を得た(つもりで)、玉によってはプラスアルファの値打ちを乗せた値段設定にしたものもあった。好みとはいえ、単色に筋をひとすじ、の玉と、途中で入れ込む小さな花から細かく作って、と手間暇かけた品とは、同じではないですよ~、と、強引に押したりして。Nさんは、これでいい、と言っている以上の値段で売れた品を、嬉しくも恥ずかしくも感じているようだった。支払いは売値に合わせてきちんとして、それは、受け取ってもらっていた。私も店のスタッフも、ナイショで、ひとつずつプレゼントしてもらった・・そういうことは、あった。

僧が選んだ玉は・・これも言葉では説明しがたいのだが・・Nさんが、くううっと入れ込んで巻いたであろう、の品ばかりだった。入ったばかりの品でもあった。

よく見れば、黒衣の僧の黒衣には、つまり焼け焦げたお松明の火花の名残が、全身にまつわりついているのだった。

お水取りの練行衆は、十一名。その練行衆の、世話係をつとめるのが「童子」と呼ばれる僧。その周りにも、さまざまな黒子を必要とするあれこれがあるのだろう。そんな程度の知識しか無かったのだが、目の前のお坊さんが、どこか地方から東大寺の修二会のために来寧している方で、すべてが終わって帰る方で、とは想像できた。

そのススを、待っている方々があるのかも知れない。

「坊主がこのようなものを」

と言いかけて僧は、下を向いた。ボンさんカンザシ買うを見た、という歌もあるし。そういうのでもないのでは、という気がした。どういうものでも、私が詮索することでないのだ。北の方の方であろう。一途に、東大寺での行事を、つとめて来られたのであろう。店に入って来た様子では、わが店をご存知の様子だった。当時は、旅行雑誌や女性誌のあれこれに、紹介される店になっていた。

蜻蛉玉を買われるのは、圧倒的に男性が多い、と実感していた頃でもあった。女性客の多い店。その私の店で、男性方は、多く蜻蛉玉を求めて行かれた・・・。

ひとつずつ、透明な袋に入れ、アルバイトの大学生が嬉しそうに張って作ってくれる和紙の袋に収め、それらの玉には私のつけた値段がついていたのだが、作者の意図は、と説明して、Nさんの希望の値段をいただこうとした。・・・ら、お坊さんは、ついている通りのお金を支払いたい、と言われるのだった。やっぱりね、と思った。そう、仰る気はしていた。それなら、つけてある通りの値段を頂こうと思った。黒衣の僧は、斜め掛けの頭陀袋から大きな布の財布を取り出し、大切そうに札を取り出して、お金を下さった。ありがたくいただいて、おまけです。言って私は、星の形の、てのひらに入るくらいの、黄色いガラスのかたまりを一つ、差し上げた。ひとつ百五十円で、籠に盛り上げて売っている品。僧は驚いて、これは、と手に取って、ありがとうぞんじます、と。二月堂のススがついて洗われていないままの顔で、笑われた。

お水取りの時期になると思い出すことの一つである。




つくしんぼうの写真

ひと月に一度行く医院に行って。まったく信用できないドクターに、クスリを出してもらって。いつも全部は服まない、始めかかった当時の症状の悪かった、重かった時も、内科的にはよくなっている(血液検査の結果がそう出ているからね、そう思うの)今も、同じ薬を同じだけ処方するドクター。

もらって来てものまずに除けてある薬も溜まった。これは溜まらなくてもいいものなんですよね、次回こそ、他、あたってみよう。一年たってこの町にも慣れた、どこに何があるか、見当もついて来ている。お医者さんもいっぱい、ある。愛想はよくなくていいんだからね。

ブーブー思いながら(言いながら、ではありません)通りがかった店の前に、ワンコがつながれていた。ゴールデン・レトリバー。

それこそこの地へ越して来て最初に、ここいいなあ、と。落ち着く店と思えたカフエが、先月いっぱいで閉店してしまい。好きな店だったのだが、無くなってしまい・・昔のフランス映画の、生活に疲れた役の女優みたいな「ママ」が・・ジャン・ギャバンと、ひそかにいい仲だとか、みたいないい味出していたのに。。時々言って、モーニング・サービス頼んでいた。その店のモーニングは、ゆで卵でなく片目玉焼きで。卵、いっこずつ焼くより、一度に茹でておいて出す方が楽なのに、など、お節介なこと考えながら目玉焼き食べた。自分で作るより、よその目玉焼きは美味しいと思う。

そのママの店のドアに、ぺったりと貼られていた大きな紙。
都合により閉店します、みたいなことがマジックインクで書かれ、最後に

「十〇年間、ありがとうございました、です」

とあった。多分息子さんだろう、ハンサムなのっぽの青年を見かけたのも、はじめの頃。あの息子が、がっこう出て、おそらく一年。それでママは、止めたのかな・・よくない予想は湧いてこなかった、ただやっぱり、淋しかった。この町で初めて好きになった店だったから。

まあ、そういうことがあったのだが、内心勝手に「シモーヌ」と呼んでいたママの店が閉店して、その店の客が増えているみたい、な、こっちは掃除も行き届いてガラスも磨き上げられて、の、そこの前に、大きなワンコが、すこ~し不安そうにきょろきょろしながら、つながれているのだった。飼い主は中でごはんを食べているのだろうという感じ。なんとなく通りがかっているのですよ、の感じを装いたかったのだが、結局それは難しくて、中に入ってしまう私であったのだった。

ワンコの見える窓際に案内されて、エビと菜の花のパスタ、なんてランチ・メニューを頼んで。家では雑穀米食べているから、白いごはんもよかったなあ、とか、一分くらいクヨクヨした。ワンコが見えるからいいな、と思った。

丁寧に手入れされたレトリーバー。優しい目をしている。中から客が出てくるたび、ううん、気にしていませんよ、ですから気になさらないで下さい、みたいな目と態度で、いきなり頭を撫でられても、静かに受け入れて、じっとしている。いきなりヨソの犬の頭、撫で倒す人がいるんだよなあ・・少し非難がましい気持ちになるが、ドアを出て、まったく犬に関心を示さずスマホ取り出して、みたいな御仁にも、あんた、この犬、可愛いと思わへんのですか? とか、理不尽なイチャモン気分になる。なんなんだ、わたし。

スープとサラダとパンひときれと、たっぷりの量のパスタが来て。ワンコを眺めながらゆっくり頂く。ワンコは、座ってみたり立ち上がったり、わさわさと遠慮がちにしっぽ揺らしてみたり。ずっと、さりげない風をよそおいながら、店内を見ている。私の席からは飼い主であろう誰かの姿は見えない。

食べ終えてコーヒーゆっくり飲んで、出た。ワンコは顔をあげて、優しい黒い目で、私を見上げた。

もう少し待ってなさいね、きっともうすぐ、待ってるヒトが出て来てくれると思うよ。お腹の中で声をかける。ワンコは、うなずいたりせず(当たり前か)いささか切ない目になって、飼い主のいるあたりへ、視線を投げるのだった。

夜になって、ブログ書こうっと思って座って、書き出す前にフラフラとブログ・サーフィン。

ある方の記事に、土筆の写真があった。野ッ原に、出始めでまだ若い稚いツクシん坊がたくさん、無邪気につーんと立っている。けっこうみんな、勝手な方を向いている。

あ、つくし、いいな。春なんだな。春はいいよな。何を着たらいいかわからないんだけど。いいよね、春。

ほわあんと明るい気持ちになって、しばらく土筆の写真を眺めていた。



こんなに人が死んだのか


   喪へばうしなふほどに降る雪よ   

   春の星こんなに人が死んだのか

   三・一一神はゐないかとても小さい

             照井翠(みどり)


      今朝の毎日新聞の「詩歌の森へ」でみつけた俳句です。





眞子さんの「虫歯」

[bathing lori in warm water - clean lori with warm water and wet towel]

YOUTUBEの動画です。

わたし自分がこんなにサルを「うっきー、かわいいいいー」と感じる人間と認識していませんでした。

最近、寄ると触ると(言葉の使い方まちがってます)この類の動画を見ていて。黙って泣いたりククッと泣いたり、黙って笑ったり「うぐぅ~きゃわい過ぎる、このチビざるっぅ」と静かに狂乱したり、が、やみません。サルの世界にも幼児虐待や育児放棄がけっこうな量、起きているような。見つけやすくなっているだけだといいのですが(いくはないけど)。

この動画のチビざるも、虐待されていて保護された仔です。

きょうは工場へ行って、にくたい労働をして来ました。久しぶりなので、思った以上にこってこてに疲れました。

今は夜の九時ですが、お風呂すませてもう、眠くなってきました。

私が思っても詮無いことですが、コムロ某のお父さんは、三十代後半でじさつされたとか。そのお父さん、コムロの祖父にあたる方は、息子の自死後ほどなく、同じ道を歩まれたとか。そこまでは、知っていました。最近知るところによると。

祖父が亡くなったあと、コムロの母親の「知人男性」が、コムロのおばあさまのところへ行って、「ケイの遺産相続の権利」について、話をして、と。

おばあさまは、どんな思いをされたのでしょう、やはりじさつしてしまわれたと。

あの、カエルのツラになんとやらの小室圭。名前を口にするのも文字を打つのもイヤだが、あの男の周囲には、父親、父方祖父、父方祖母の、三人の方の、死屍、累々であると。

私も、人の子の祖母の立場にある一人。息子と夫を亡くして傷心の折に、そのごとき訪問を受けて、おばあさまは、どんな気持ちになられたか。後追うように同じ道を選ばれるまで、どんな思いでおられたか。

コムロ某の母親。あのヒトは、例の元・婚約者氏=アッシー、メッシー.、金カッシー(あらお下品、ごめんあさあせ)に、生命保険の受取人を、娘さんでなく自分に書き換えてくれと。依頼した話(も)公になっている。その金額が少なくてガッカリ、だとか(!)。コムロ家の相続の話は、遅れたけれど実際、コムロの手(オカンの手)に金は入った。そうしたら彼女は「この件から一切、手を引いてくれ」と、知人男性氏に言い渡したと。すっげえなあ。元・〇ボ、の人なんですよ。一般的には「こわい」んでないかい。でも彼女はつまり、そーゆー女ってことで。

私がね。何を思ってもね。どうなるものでもないのは、重々、承知でありますが。

あの内親王さんは、内心は図り知られねど、ふつーの顔して人前に出て来ておられる。それを「さすが皇族」とお褒めになられるお方もおあり。それは、そうかもしれません。何ごとの無きが如くに、ほほえみ浮かべて人前にも出る。それが、高貴なる、お姫の、作法?。

私は思う。聞きたくないこと、知りたくないこと、触れないままに稀代の最底男と連絡とりあって、と(皇族のいろんなことの係のヒトが言うてることやからね、ほお、そうですか、と、思いますね、うちら。)皇族らしく? 私心は出さないように? ポオカアフェイスで? それ何ですか。

鬼龍院の姐さんなら、仰るんとちがいますか。

「なめたら。なめたらいかんゼよ!」

コムロのカノジョに、ぜんぶ、教えてあげなさい。知らせて下さい。何を考えてるんだ、と、叱って下さい。単なる「げな話」でない。まことの話であり、私もその一人であるところの、こくみんは、あまりにもあって欲しくない話で、ヤになっております。

あの娘さんに、ぜんぶ、教えなさい。聞きたくないと耳ふさいでも、その耳しっかり開かせて。

立場をわきまえないバカ娘、いつまで悪夢の中にいるつもりだと。教えてあげて下さいよ、周囲に、ご立派な二組の祖父母、ご立派な両親、まあ、ご親族の協力は得られないでしょうね、そうは推察します。ご親族はいい、祖父母両親、何をしておられますのか。いいかげんにして下さい。静観して触れないで治る病気もありますが、あの娘さんにはいかがなものか。

虫歯は放置しておいては治らない。大虫歯です、今、とんでもないことを書きましたが、ふと、思いつきましたもので。





おっちゃんの花器

行商もどきをしていたと、先日書きました。

義弟が海外でダンナ買いして膨大に積み上げたガラスのアクセサリー、ガラスのオルゴール。僅かな数ではあるが小さな鳥や動物や、ガラスの枝、ガラスの実のついたツリー。置いておいて古くはならないし腐りもしないけれど、自宅に積んでいてもどうしようもない品々。それに、乞われるままにお金を支払ってしまった。というより、口出しされるのがイヤで、貯金のかなりの金額を渡してしまったのだから、自分の責任。どげんかせんといかん、のでした。

バブルのしっぽの残っていた時代。四十年も前から、そして今も親しい付き合いのある友人のMさんは、奈良から離れた大阪ではあるが、急行の停まる駅から徒歩数分の家に住んでいました。心身に障害のある長男、お兄ちゃん思いの長女、やんちゃなサッカー少年の次男は、その年、中学生になっていました。

家の、幹線道路沿いのスペースに自転車やガラクタ置いてるけど、あそこ何か、店でもやれたらと思うてる、と、以前から言っていました。ピーンと来た。住まいとつながった小さな可愛い店を、作ることになりました。長年の夢だったらしいのでした。「そやけど何を売ったらええのか、わからへんかったんや。」

ガラスのオルゴールや動物や。そんなん、扱いたかってん。見せて話したら彼女は大喜び。私も、自分が抱え込んでいる品を、そこで売ってもらえれば助かる。彼女は苦労人。お金の話は真面目にしました。

店のオープンまでに私には、することがありました。もっと商品を、集めて来ること。

うまく書けない気がしますので細かくは書きません。書くとしたら、以下のようになりますか。

・・かつて大阪には、吹きガラスの職人たちがたくさん、いました。小さな工場が沢山ありました。ガラスを溶かす窯の火は一年中、消えることは無い。火を落とすときは廃業の時。と、私はそれまでに、知っていました。冬でも職人さんたちはシャツ一枚、頭に手拭首にも手拭、全身汗にまみれて、塩分が不足すると目まいを起こして倒れることもあり、いつも容器に山盛りにしてある塩を、なめながら、吹きに吹いていた。

そんな時代がありました、が。ガラスの容器を世の中が必要としなくなって・・プラスティックや紙パックが席巻していって・・工場はどんどん潰れ、職人さんたちは仕事を失い・・・バブルの時代には、テレビのコマーシャルに於いて、吹きガラス作家のどなたかが「マイスター」とか呼ばれておいでだった記憶がありますが。私が押しかけて行ったのは、そんな、マイスターにはなれなかった、過去にはガラスを吹いて吹いて暮らしていた、と。そう、教えてくれたおっちゃんの、住居兼倉庫でした。

そこを知って行ったイキサツは今は省きます(後で書くかどうかはわかりません)。とにかく、売って下さい~って、押しかけて行ったのでした。

二階建てのおっちゃんの倉庫、というか何でも置きの場所は、狭いけどある種の魔窟のようでありました。ものすごい量のガラスの皿や壺や鉢や、そういったものが、ひっそりと或いはたっぷりとホコリをかぶって、誰にも忘れられたように、鎮まっているのでした。タタミ半分の大きさの四方壁無しのエレベーターがあり、ガタガタ揺れるそれに、やはあ、これ面白いですね~とか必死で言いながら乗せてもらって、

「おっちゃん(そう呼べと言われた)、これ、ぜんぶ触っていいんですか」

「ああ、ええのんあったら持ってってや」

「失礼ですけど、わたし、選べません、こんな沢山の吹きガラス見るの初めてですし、目もできてませんし」

「好きなもん持ってたらええねん」

「好きかどうかがわからないので、とりあえず」

直径四十センチはありそうな青い皿に、思わず手が伸びていた。

こんな皿を、型にはめて作るのでなく、吹いて作るなんて並みのことではない。確かな知識は無くても、感覚が私に伝えた・・ここ、キザですか。

・・私は知っていた。直接おっちゃんに聞いたのではない、おっちゃんの奥さんが、私を倉庫にあげる前におっちゃんが消えていた間、お茶を勧めてくれはって、立ったままお茶をいただきながら、聞いたのだ。少しでもエエから買うてくれやったら助かります、と。おっちゃんは、大変、お金に困っているのだそうだった。

「選べへんので、割れてないモン、よおけ、できるだけ、もらいたいんです」

私の、懸命の交渉だったか。おっちゃんはアホらしく、面白かっただろう。

おっちゃん、そいでええで~、と。私はまず、お腹巻き付けポシェットに入れて来たオカネを、おっちゃんに差し出しました。自分なりにいっしょけんめいに貯めたオカネ、義弟に行った分の、残りのお金。

「おっちゃん。私、いま、こんだけしかお金持ってません。ここ見て、もっとお金、作りたくなったけど、そんなようけは作れないと思いますけど、できるだけたくさん、買わせて欲しいんです」

「でけただけでええがな」

おっちゃんは言った。ポケットから紙きれを取り出して、そばにあったギシギシの机の上の、乾いてしまったようなボールペンで、無理やり、金額と日付と〇〇商店、△△と書きつけた。紙に文字を彫りつけたような領収書が出来上がった。

「こういうのんは、でったい取るようにしときや、奥さん」

その日は、段ボール箱に詰めるだけ詰めて車に乗せられるだけ積んで持ち帰った。息子さんが運んでくれた。

車には、夫が待っていた。夫は必ず、待っている人だった。私の商売だから、私だけで動けと言うのだ。

その後、数度、おっちゃんの倉庫に行った。おっちゃんは、割れやカケの無い品を、別にして置いてくれていた。

それを、丁寧にきれいに洗って友人のMさんのオープンした店へ運んだ。観光地でないので、お客さんが何度も見に来られる品があってもいいのではないか、と、思ったのだ。すぐに住宅街の迫った場所だったし。

自分で売りたくて、売れる日が来るまで寝かせておいた品もあった。プロの商売人だったらしないようなことを、していた気がする。おままごとの延長なのね、と言ったお客さんもいた。私は、子どもの学費をなんとか、と、熱かったのだと思う。


・・・はじめ「~ました」で書いていた文章が、なんでやねん(笑)、「だ」とかの文章になっていた、読み返してみると。

もうこのままにしておきます。

おっちゃんは結局、夜逃げしてしまわれました。何やらあったか無かったのか、私には、ぶっきらぼうでしたが、優しいおっちゃんでした。品物には、まこと珍しい、逸品とよぶべきものが沢山あったです。大量生産品でない、本物の吹きガラスの逸品たちでした。

私の手元にも幾つか、残してあります。金赤(本当に金を使って赤の色を出した)の水差し。

大正ガラスを模した、裏赤=花器の口の裏側に赤い色をつけたもの。難しいそうで。表面は、大正ガラスの特徴のうす水色、やさしいブルー。白がほのかに混ざりこんで。何十年眺め続けて飽きない。それだけは、残しました。



バイト志願


あのコはどうしているんだろ。

・アルバイトさせて下さい、とやって来て。ああ、ごめんなさいね、募集していないの。せっかく来てくれたのにゴメンね。と、ワタシが、せめて数のハンパなビー玉でも、と後ろを見たトタンに、レジ(祖母の裁縫箱を流用)前の色とりどりの小さなピアスを幾つか、ぱさ、とつかんで、出て行こうとした、あのコ。淡々とした堂々としたマンビキだった。わかるのよ、そういうの。

呼び止めて、お手々ひらいてみて、と開かせたら、ピアス三つ、握ってしまっていた。

「これ、あかんやん」

商品を取り返して、透明な袋に五つ入ったビー玉、代わりに握らせてあげた。

「よそでこんなんしたら、アカンよね、そう思うでしょ」

って言ったら、コクっとうなずいて、すんませんでした、とアタマ下げて、店を出て行った。


・アルバイトさせて下さい、と、そのコも、ある日、やって来た。バイトは募集していなかった。人手を頼む時は、私なりのやり方で、そうしていた。ごめんねえ、と、彼女にも、断った。

え。いや。色の白い背の高い彼女は、言った。

「私。この店ならバイトできるのですが」

しっかりした口調。え、でも、うちは今、募集していないので。と、言った、私は。

「あ。いや、私できるんです、ここなら。親も、この店ならいいと言うと思います」

「はあ」

「女性の客がほとんどで、扱うものも綺麗で、観察したのですが、夜は七時過ぎまででしょう。ここならアルバイトできるのです、私」

どんどこ押してくる。引く気は見えない。

市内の、有名な国立の女子大の、学生だとのこと。どなたにせよ、わが店では、要らないんだよお。

最後はきっぱり、言わせてもらった。

「あなたのご都合はどうでも、私の店ではアルバイトさんは現在、不要なのです。以上」

よかったらまた、お客さんとして、のぞきに来て下さったら。など、私にしては愛想よく、したつもり。彼女は、きっぱりに対して、きっぱりと応えた。

「ああ、はい、私、こういうなんか、少女じみたものは、好みませんので」

はあ。ほいそうですか、ってなもんだい。さすがにムカッと来た、なんだこの失礼な娘は。

話はもうおしまいだ、とばかりに、グラスの棚の方へ逃げて、一つを取って磨き始めた。

必要になったら連絡してもらってかまわないのですが、と、何やら紙片を渡そうとする。用意してきたものらしかった。

「寮の電話番号です」

悪気も何もない、つぶらな真っ直ぐな目・・・あああ、だからどうだっていうんだ。その紙片は、お返しした。

妙に鮮やかに覚えている。

あれから、かれこれ、二十年近い。

どうしているだろう、あのコ、そして、あのコも。

きちんとしていたAさん

ガラスの店を営んでいた時の話。

常設になる前も、スペースが使わせてもらえる限り、商品を並べて「いらっしゃいませ~」をやっていた。

震災前のわが店は、開けていればお客さんがたくさん入って来て下さった。私は仕入れもするし、とても一人では回せないので、パートさんを頼んだ。子どものPTAで知り合ったお母さんの内、長くお願いしたのはAさん一人だけ。猫を、溺愛していたのに、ある日、フラッと家を出てしまって、その猫ははねられて。

「しろたんが死んだ、明日お店行って仕事できへん」

泣きながら電話をかけて来て、まともに息もできない様子。翌日は休んでもらうことにして、帰宅後、小さな花束を携えてAさんを訪ねた。夫君はまだ帰宅前、上の娘と幼稚園の頃から同じの息子クンが出て来て、「ウチのお母さん、再起不能ですわ」と言った。その再起不能、という硬い言葉が胸に残った。線香の強い匂いがした。

パンパンに顔の腫れあがった顔のAさんが出て来て、会ってやってくれと言う。段ボールの箱の中に、ふかふかのピンクの真新しいバスタオルを敷いてもらい、横向きに、猫のしろたんは、いた。何度も抱っこさせてもらっていた猫だ。思わず手を触れてしまったら、ペルシャの血の入っているらしいフワフワの毛の底は固く、ものすごく冷たかった。私も猫を飼っている時期だった。畳に手をついて泣いてしまった。しろたんは、半間の床の間の、模造刀の飾られた前方に、安置されていたのだった。食べ物やおもちゃが沢山、周囲に置かれていた。

一週間休んだAさんは(週に二回のパートだったが)、復活すると、何もなかったように仕事に励んでくれた。私より少し年下。高校を卒業して銀行につとめて、初めての見合いで結婚。夫君は転勤族だったし、専業主婦だったAさん、その月の「お給料日」に、こんなことを明かしてくれた。

「主人はケチではないねんけど、ここでパートさせてもらうようになって、自分のお金ができて、しろたんにも時々、気にせんといちばん好きな缶詰買ってあげられるようになってん。しろたん、喜んでたと思います」

そしてまた、少し涙を見せた。Aさんも、最後までいて下さった人。突然閉店することになった時、店ででなく、家まで来て、長い間ありがとう、と、きれいなケーキをくれた。私の姑の書道教室にも通って、こつこつと手をあげておられるようだったAさん。三年ほどで書は止めてしまわれた。年賀状をきちんと書けるようになったし、もういいねん、とのことだった。

一緒に銀行に行って、驚いたことがある。千円札が数枚と、小銭があるとすると。それを預金するとすると。彼女は、手持ちの小銭を足して、もう一枚分の千円に増やして、それから預金するのだ。びっくりした。

私は、千円札と小銭があって、預金するとすると、札だけをしていた。小銭はバラバラっと使ってしまう。はじめ同じ金額を持っていても、そこで、預金額は千円、違ってくるのだ。驚いた。

いい勉強になったと言ったら、面白そうに笑って、(くおん)さんはそれでいいのよ~、と。仕事しやすいもん、と言った。

そうか、それならいいいなとその時は納得したのだった。が。無茶をしてすべてを失くしちまった身内ばかりではない、私自身が、当たり前に長い間、丼勘定で過ごして来たのだ。そうだったのだ。と、気づいた、と言うと嘘になる。わかっていた気はする、目の前で実際に、きちんとした人のやり方を見て、ただ、感嘆したのだった。

でも、自分にとっても甘いわたし。以下のようにも考えた。きちんと、細かくしないと気の済まない自分だったら、あの十数年、正気でいるのはしんどかったかも知れない。失うことが怖かったなら、やってらんなかった、かも。とか。自己弁護。擁護。

円形の脱毛は、何度も出現した。吹く風についおびえるほどデカイおハゲが、何度も幾度もできてしまったりした。
今は直っているから。今ははげていないから、いい。

Aさんは、家が離れてなかなか会えない人だったが、こちらへ来る前にも会った。また会いましょうと言い合った。笑顔の柔らかい綺麗な人で・・太ったなと思うとすぐに「基本のスカート」をはいて節制して、スカートが「おーけー」を出すまで、食を控える大した人である。今日はAさんのことばかりになったけど、パートさんにも恵まれたなあと思う。

えええ、それはないでしょ、なこと、はああ、な人のことも、また、書きたい。


お雛さま捨てた

近いうちに自分の家を出なければならないと解っていた。

会社をつくった舅も一緒に暮らす長い仲だった女性も、すでにどん詰まりの状態だった。無理して保たせていた会社はメリメリと倒れかけており、そうなってからあわてて社長職を押し付けられていた夫はもちろん役立たず呼ばわり、その夫の家(ワタシの家でもあった)も義弟夫婦と姑が暮らす、再婚するのにヤクソクしたからと建て直して十年にもならない敷地100坪余の家も、抵当に入っていた。工場の敷地が1800坪、他県にあった古い工場の跡地が100坪だか150余坪だか(見たことが無い)、宅地用の土地がやはり200余坪。舅たちの豪奢な家も抵当に入れられていると、舅の愛人は泣いて怒って・・自分の家だけは舅が守ってくれると信じていたそうだ・・前を通ったことも無かったが、ししおどし(鹿威し)のある、本格的な茶室をしつらえた和風の家だったそうだ。私の家なのに、うちの子小さいのに、とわめかれても、私は、知らん。自分の父親や弟の分までタイムカード押して給料支給していた経理上がりの彼女は、お金が大好きな人だったのに、家を失くすとは気の毒なことだった。

姑と義弟夫婦の家も、立派なものだった。快速急行の停まる駅から徒歩5分。二階には義弟の妻のための防音レッスン部屋があり(そこを引き上げる手伝いに行くまで、私は二階に上がったことは無かった)、衣装部屋もあったとか。姑は、書道の教室を開き、短歌結社の本部を引き受け、一階の大きな部屋を三つ、自分のものにしていた。

夫と私の家は、ローンをようやく払い終えたこじんまりした家であり、住んで20年余、それなりのガタが来ていた。会社の倒産で手放すには、いちばん未練が少なくて出て行きやすいのは、私たちだったかもしれない。

とはいえ。いつ、出て行くことになるかは分らないのだった。任意売却を希望してはいたが、なかなか難しいようだった。ギリギリまで私は知らなかったが、競売にかけられていて、どちらにしても、私たちの手にはお金は入っては来ない、と聞かされていた。晩年の十年ほどを共に暮らし、仕事ばかりしていた私の代わりに、娘たちの食事など家のことをしてくれた母は、鎖骨を骨折して入院、寝たきりになりそうだった。私は、なんとか、母を最期まで、看取りたかった。ケアマネージャーに相談もし、介護用のベッドも借りて入れて、母の退院してくる前には店を整理して。止めていたし。なんとか頑張りぬきたいと願っていたのだったが。会社の不穏と同時に娘の一人が、幼い孫を連れて離婚、帰って来て、娘は働きに出なければいけないし、まだ赤ん坊の孫息子を私は見ていて、つまり一言で言うと、ものすごく大変な時期だった。

お金なんか全くなかった。

そういうことが事実あるのであるが、どうやってそうしたのか、私の名義で(も)大量の借金が銀行になされていた。義弟も、夫の名前私の名前で、消費者ローンでお金をこしらえていた。姑は、植木屋さんに来てもらわんならんから〇〇円持ってきて、と。そんな時にも電話してくる人だった。

「植木屋どころではないでしょう、今」。声を荒げた私に、「ご近所にかっこ悪いねんもん」と言い放つ。「あ、そうなんですか。おかあさんはそうなのよね。でも、ウチは、電気止まってたんですよ、昨日まで」。言うてさしあげると、「へえ、なんでそんなことに」、と、なる。このへん、まこと事実なのであった。「そしたら植〇さんに、どう言うたらええの」ずっと、年二回来ていた植木屋に、断る理由が無いと言う。「お金が無いって、ホントのこと言うて下さい」「信じはらへんわ、そんなん」「ウチは、電気代ガス代で必死なんです」「よお、そんなこと言うなあ、あんた、長男のヨメやのに」相手になっていたら、ハラワタが頭のてっぺんに昇ってくるような時期ではあった。

姑と、義弟夫婦と。舅や夫が、お尻に爆弾しかけられたように目を吊り上げて走り回っている時も、魂を高めるためと称して、大好きな海外への旅に出て行く三人組だった。このあたりのことは、理屈でどうこう、なことではない。無茶をする人々と言うものは、表向き平気な顔で、なんだってやってしまうのである。姑は、舅が勝手をしているのだから、目をつむっていてあげるのだから、少々のことをして「何が悪いねん」の気分だった。義弟は,仲の悪い両親の真ん中で、「気苦労をしながらつないできた自分」の気持ちがあったようだ。そんなん、私は、知らん。

・・・今夜もまた、始めに書きたかったことと離れて行っている。

お雛さまを、捨てた。

かいつまんで言えば、母は、次姉夫婦が引き取ってくれた。いつ出て行かなければならないかわからない家に、退院して寝たきりになった母を置いておけない。実際、競売でわが家を「落とした」という人が訪ねて来てから5日で、家を明け渡したのだから、早いことそうしておいてよかった。この話はなかなか辛いことであったので、簡単に記す、母は、だまされるように、二番目の娘のところへ、行った。母の乗った車を見送ってから、泣いた。

母の件は済んだ。娘と孫息子の話は、いずれ書くだろうが、今は先へ進む。

荷物の整理、始末をしなければならなかった。アタマの中は疲れていて、次に来る暮らしがどんなものになるか、想像するのが難しくなっていた。気になっていたのが、お雛様だ。

七段飾りの雛人形。毎年欠かさず飾っていた。五人囃子の一人の、探してもどうしても見つからない横笛を、焼き鳥用の串を利用して、色を塗ってそれらしくして・・止めよう、進もう、

その雛の幾つもの箱を、どうしよう。

結果、持って行った。奈良の正暦時というお寺へ。古い由緒のあるお寺、清酒の発祥の寺とも聞いた。お雛さまを、引き取って、まとめて燃やして、供養して下さると。

長押(なげし)から降ろして、最後に、お顔を包む半紙を取り換えて、お内裏さまもお雛さまも。官女も囃子も従人たちも。牛車、お駕籠、お膳や徳利さまざまの道具。右近の橘左近の桜、何やかや一切合切。市間さんも有り過ぎたぷーさんも、バービー人形もぜんぶ。

家を失う、新しく借りるためのお金は無い。人形たちとは別れておこう、人間が身を寄せる場所の見当のつかない今。そう思った。

供養して下さると言う、お焚き上げのその日まで預かって下さると言う、私は、そこへ行くしかないと思い定めて、その日、お寺を訪ねた。

預かって下さると、実際に聞いて、ほうっと肩の荷がおりた。遠くは私の幸せ、そして娘たちの幸せ、願ってまつって来たお雛さま。

わずかなお包を渡すと、大柄なお坊さんが静かに受け取って下さり、お経をあげて下さった。初めに出て来られた時と装束を替えて、一緒に唱えるよう促されて、朗々と、長く、祈って下さった。私も般若心経は唱えられる。僧の声について、小さな声でお経を誦した。少ないお包の内容、申し訳ない思いがした。お経は私の心を慰めてくれた、初めてそんな経験をした。

さようなら、お雛さま。こうするしかなかった。ごめんなさいね、こうするしかなかった。これで、よかったと思う。

・・報せが来たが、お焚き上げの日には行かなかった。火に包まれる人形たちを、見ている勇気が、あの時の私には無かったし。正直、すでにその時、私は・・私たちは、家を移っていた、正暦寺へ行ってほどなく「りんごのおじさん」は現れて・・開口一番いつ、出てってくれはりますか、と来られたのだった、その人は。私たちは、身の回りすっきりと、次の暮らしの場所へ移っていたのだった。


おとぎ話

    おとぎ話

さよならという日本語が、世界でいちばん美しい別れのことばだなんて誰かが言ったから、みな、息を呑んでしまったのだ。

すっくと立ちあがって別の誰かは歌い始めた。サヨナラダケガ人生ダ、サヨナラダケガ人生カ、サヨナラダケガ人生ナラバと、道化の踊りは果てもなく、もっとやれ、もっとやれとはやしながら、誰も、互いの目を、見ようとはしなかったよね。
いきなり身を伏せて、どうぞ笑って下さいますな、どうぞ笑って下さいませとぺこぺこ卑屈な誰かの頭は,ぱしんと明快に弾かれた、笑い声を沈めて、ふと、見上げた空には、魔法使いのぶらんこみたいな・・・チンプな表現だったよね、あるいはチープな、やたら赤い三日月がぶら下がっていた。いや。酒など呑んではいなかった、酒で酔っぱらえる夜ばかりではないものね。

ジンという酒は透明で。ジンという名の酒を、てのひらに包んでいたいばかりに、座り込んでいた誰かがいたね。

その店の硝子戸はいつも曇りがなく。鳥がぶつかって気絶しないように、もう少し汚しておいてやったらと提案した誰かもいた。店主は黙って首を傾げて笑うばかりだった。七つ年下のようこちゃんと、店主は、町の教会で結婚したばかりだったんだ。

グラス越しにその窓から見る夕焼けの色を、とても大切に思う誰かを、とっても大切に見つめる誰かのいることを、店主は、ようこちゃんに、話してあげたのかもしれない。きっと、そうだった。

空間は、指のいっぽんより小さな鍵に守られていた。その空間の中にすべりこむのに必要な、一枚の札、もしくはいくつかの硬貨。それだけは絶やしたくなかったのだね、みんな。ざんざか、ざんざか、降りたい放題の雨は、その空間をもっとしっかり庇ってくれていた、その安心感に、あははと笑いだしたいくらいだった、なぜ笑うかって。さて人はどんな時に笑うのでしょう。宿題ですか。宿題です。宿題出してくれるなら、また、会えるんだ。そんな類いのコトバのゲームが、無数に、あったよね。

夜更けに私の部屋のドアを叩いたあの子の胸に、土産のつもりの肉まん三つ、ほかほか湯気を立てていた。熱い番茶をありがとうと受けた声が、素直すぎて、そう、寂しかったよ。お母さんが病気なの。つぶやいて、ふふふと笑った。優しいこと言いたいのよ。まつ毛がまたたいた。かわいそうで、かわいそうで、だから言えないのね、優しいこと一度言ってしまったらと思うとね。怖いのよわたし。

少し途切れて、ひどいわね私、あの子はまた笑った。そうねひどいね。私は答えた。

うんと残酷で意地悪で自分勝手になれたらいいな。

なりなよ。私は言った。なりたいな。あの子は言って、ふるふるっと震えて、きれいな歯型をつけて肉まんをかじった。

なりなさいよ、自分勝手に、私みたいに。私も肉まん、かぶった。見習おうかな、あはは。あの子はぱくぱく食べ終えて、お茶を二杯お替りして、帰って行った。

さよならとは言わなかった。いつだって、じゃ、とか。またね、とか。また、なんて言葉を、信じていたのだね、あの誰か、あの誰か。あの後、お父ちゃんやお母ちゃんの顔になって。今、ときどきは、こじゃれた名前の孫たちの髪の匂いを・・いまは日向臭いそれでなくなっている、でも、汗の、懐かしい、子どもの髪の匂いを、うっとり嗅いだりするのだろう。

懐かしい、とても懐かしい、そして、センチだねっと。

  註:これは創作です。作者は、こうして仲良くみんなと睦みあえる優しさを、もっていませんでした。てへぺろ。。旧い?。


お水取りが始まりました・前編

奈良・東大寺の二月堂でお水取りが始まりました。正しくは「修二会(しゅにえ)」。

今年は1268回目。戦争中も途絶えず、1268年間、続いてきた行事と聞きます。第二次世界大戦のさ中は、お坊さんがたも次々に出征して行かれ、人数の揃わず、奈良にも敵の飛行機は飛んできていた中、残った方々が、この火は絶やさじと。灯りを最小限にし、空襲の的にならないように祈りながら、おつとめをされたということです。

「練行衆(れんぎょうしゅう)と呼ばれる十一名の僧が、十五日の満行まで、本尊の十一面観音の前で人々に変わって罪をざんげし、天下泰平や五穀豊穣を祈る」。

そういう行事で、お水取りが済んだら春が来る。奈良の衆は当たり前にそう、言い習わして来ました。新聞の紙面にローカル局のテレビ番組に、準備の段階からのあれこれが紹介されます。回廊を走る松明、夜目に激しく舞い散る火の粉。火の行事です。

奈良の三条通。JR奈良駅から春日大社の鳥居まで、東西にまっすぐ通る、平城京の賑わった時代から変わらぬ三条通のひとところで、10年ほど、小さな店を営んでおりました。いきなり始めた店で=これを書くのは初めてですが、大学院まで出て職につかず、父親の会社の何やら営業するとあちこちにいい顔して生きていた夫の弟が、いわば躁状態で外国から買い付けた1000個を超えるガラスのアクセサリーや二百個ほどあったガラスのオルゴールその他を、どうするか。あんたこれ、売りなさいよ。ガラスの綺麗なモン好きや、言うてたから〇〇が、仕入れてあげたんや言うてるし。今考えれば無茶苦茶な話ですが、親には何でも「ハイ」だった私でした。モノそのものは事実綺麗で、自分も欲しいような品でした。ただ、多すぎて目がくらみそうではありました。

とにかく夫の母親に命じられて、売らせてあげる顔の義弟のドヤ顔に背を突かれ、ああそうですかと、商売の「し」の字も知らず、納品書って何ですか?のシロートが、引き受けた。当時の夫は、姑や義弟とは異なる位置関係ではありましたが、基本的にはあちら側のヒトでした。やってみたら、とか。皆、ワルい人ではないのです(笑)。おかしいヒトなだけでした。

さて売れと言われても店が無い、ものを買っていただくために必要なナニモノも無い。考えて、初めは行商をしました。多分あれは、行商だったのだと思う。割れやすい物ばかりを、ダンボールの箱に詰め、ハンティングワールドの大きなバッグに詰め、偽物のビトンと二つを両手に下げて、ここは、という店に入って行って、

「これを委託で預かってもらえませんか」

と回った。時はバブルのしっぽのあたりでした。まだバブルの泡は引ききっていなかった・・断られたり喜んで引き受けてもらえたり、反応はさまざまでした。奈良のきれいなもの可愛いものを扱っている店舗を、いっしょけんめいに回りました。私は運転ができませんので、休みの日は夫が車を出してくれました。夫も、違う意味で必死だったのでした。オトウトは、お金のことはさっぱり、ワヤな人間で。故知らぬ(母譲り)の選良意識と、気弱なゆえのエエカッコシイの気質と・・何より、誰かが自分にいい顔をしてくれたら無条件に嬉しく、できないことでもできると引き受けてしまう人間で。夫はその後片付けに、ずうううっと追われ続けていたのでした。

なぜ、と問われて、こうこうです、と、名答できれば、世の中は容易いもんだと思います。

珍しい品であることは確かで、自宅の洋間いっぱいに積み上げられた義弟の商品は、わずかづつですが、減って行ってくれました。わずかずつ。

店によっては、これら(アクセサリーとオルゴール)を、自分のところでだけ扱いたい、よそに持って行かないでくれないか、というところもありました。商売わからない、必死なだけの私にも、それは不可能なことと判断されました。一度に30個とかオルゴールなら五つとか。まずは一週間預かってもらって、売れたら決めた分だけのお金をいただくやり方で、他の店には頼まないことにしたら。わが家の洋間は、いつ、空けられるのか。考えて私は、     ここから三か月ほど時は流れる     一日借りてナンボ、の小さな場所を見つけて。大中小の和紙風の袋を買って来て、消しゴムはんこを自分で彫って、一枚一枚押して、自分で商品を売ることにしたのでした。

娘たちは、中学生と小学生でした。袋へのハンコ押しや、プレゼント用に、これも五色のリボンを、小さくカットして結んで貼って、という作業を手伝ってくれました。店名のシールを作りました、けっこう高くつきました。いっぱいありました、シール。

自分の名義で貯めていたお金のほとんども義弟に支払って、あれやこれや、もう勝手に持ち込まないで欲しいと。これは申し出ました・・のですが。時、すでに遅し。愛人さんとの家庭、孫より幼い子どもを守りたい舅は、華僑相手の商売上の大きなバクチに手を出していて、私の日払いの店をアンテナ・ショップにともくろんでいたのでした。義弟も同様。ウチは奈良の目抜き通りに店を持っているからとか勝手にイイ顔をして、ガラスの小物を私のところに「仕入れさせてあげる」話を、つけてしまっていた。商品は多い方がいいでしょう、と、やはりドヤ顔。これには文句を言って、夫にも苦情を言って。しかし姑はいつものパターン変わらず。あんたのこと思て、あのコもアタマ下げてくれやったのに、です。ワタシのことは思うていりません。初めて大きな声を出しました。一日借りて幾ら、の店が、実態でした。賃料は一日数千円という話ではありませんでした。三条通に店がある、というのは、奈良では、ほお、そうなんですか、と、いっぱしの通り方を意味することでした。だから私もそこを借りたかったのでした、イコール借り賃は高かった、時代はバブル終末期。舅姑や義弟に、一円のお金をもらったわけでは無い。とにかく、夫が前へ出て引き受けてしまった品を、お金に変えなければならない。夫は、人事権と経理を任されていない社長になってしまっていました。夫も研究バカ。人事も経理も親父の(愛人の)するがままって、そんなの社長ぢゃないよ。もう頑張るしかない。その思いでいっぱいでした。舅のアイジンさんには「財布二つで、おたく、いいわね」とか言われるし。そういう時には黙っている。何か言うと言質になる。舅の愛人さんも、子ども産んだはいいが、舅は離婚してくれないし、先を思えば必死だったのでしょう。事実、今は苦労なさっておられるようで。

その場所を、持ち主(老舗の旅館さんの一部を借りたのでした)が使う時には、何もかも除けて、旅館さんが団体客の食堂として使える状態に、戻さなければならない条件で借りた、一日幾ら、の「店」。食堂の食卓に、大きな布を敷いて。急遽、母の実家の田舎の蔵から貰って来た盆や台や足付きの膳に、趣味で集めていた古布を敷いて置いて、商品を置いて飾って、ヴェネチア細工のランプなどを持っていたのを光源にし、いわゆるレトロな店、風につくっていた、評判はとてもよかったのでした。扱うものは割れ物ばかり。今日は引き上げ、という日は、営業時間いっぱいお客さんに来ていただいて、そこだけは物置に使っていいと貸してもらえた半畳ほどの空間に、割れないようになるべくたくさん入れられるように、足付き台に乗せたまま商品を納められるように、工夫して積んで。片づけて。娘たちも手伝いに来ることがあったし、そうでない時は、朝のうちに夕食の準備をして店に来て。夜遅くまでかかったり、雪の夜にあわてて走って滑って転んで。自分でもよく頑張った時期でした。その二日後、三日後にはまた、出して広げて、の繰り返し。

時には、すべて片づけた後、夫のバンに何枚もの大きな布やレジ代わりにしていた祖母の裁縫箱や子どもらを積み込んで、焼き肉屋へ行きました。少し余裕ができてからのこと。娘たちが楽しそうにしていて、もっと頑張ろうと思いました。

先日来たらやっていなかった、定休日はいつですか、の問いに答えられなかったり。大きな声のおばちゃまに「気分次第で商売やってはるのか、奥さまの道楽か」とヤられたり。あいまいに笑っているしかなかった、資本金が潤沢だったわけではないので。

私は、屋根のある露天商だと自分を思っていました。
つい、それを姑に言ったら「露天商やなんか言わんといて、かっこ悪い」などと返されて。お腹の中に黒い虫も育っていったようでした。「いついつに私の友達が見に行く、言うてやから、あんばいしたげてな」と仰られれば、これにも「ハイ」でした。おいでになられた奥様方、商品に興味を示していただければ私も、あんばいのしようにも「よっしゃ」がかかろうというもの、そうでもなく、なんて言うてもガラスやもんなあ、など、ガラス屋に来てガラスを貶めるご発言。はい、本物のガラスなんですよぉ、とか返すのが精いっぱい。

「〇さんもエラいなあ、お嫁さんにこんなお店持たせてあげはって」

そのご発言には、「ええ、ここ、実家の母に少し助けてもらいましてね」と、つい言い返した未熟者でした。嘘ではない、お金を出してくれたのは、ごく些少な額でも、私の母だけだったのです。姑からは、これ二度目に言いますが、一円の恩恵も受けていません。それどころか。ご自分の実家への土産に何か、とせっつかれて、何度かお渡しした・・ネオジウムという、光の加減で色の変わる珍しいガラスの小鳥のセットなどは、おそらく当時はどこにも無くて、店で人気があったのでしたが、姑の実家では不評だったとか。まあ、いったん手を離れたものについては、何も思わないことにしております。

義弟が仕入れの道筋をつけて下さった、その道の大家(たいか)と言われた方には、会いに行って、自分はこれこれのやり方をしているだけの者。自転車操業みたいなお金の動かせ方しかできていません、種類をたくさん世話になりたい思いはやまやまなれど、今はまだ少しずつしか買えないのが実情です。いかがなものでしょうか。と、談判。本当のことを言うのが一番です。

相手の方は、よう解りました、と仰って下さり、どれくらいのお金なら出せますかと尋ねられ、う~ん、これくらいしか、と申し上げると、それにも「わかりました」と。ほんの少量ずつ、人気のある品をあれこれ入れてあげましょう、頑張って下さいや。と。三日後には届けてあげると、お昼ご飯をご馳走して下さったのでした。以後、いささか義弟の絡んだナニヤラがありましたが・・その方は、義弟との話でいっときは合意されていたというバックマージンを拒否されたようで、義弟がぶつぶつ言って来て・・もう私は、義弟を無視してやり過ごしたのでした・・それがお気に召さないお方が、うるさかったことは、言うまでもないことで。

何年かのうちには、旅館の反対側のスペースで常設の店にすることが出来、私は、お盆も正月も働いていました。いろんな思い出があります。楽しいこともありました、いっぱい。悔しいことも胸の迫る出逢いもありました、いっぱい。阪神大震災にも遭いました。


・・・お水取りの話題で始まった話が、どこへ行くやら風任せ、になるのは、もう、定番になってきました。

きちんと修二会に話は参ります。お水取りの練行衆のお手伝いに、地方のお寺から(おそらくボランティア、あるいは名誉な感じでもある?)奈良へおいでになる方の、中の、印象深いお坊さんの話を、書くつもりでした。今もそのつもりですが、長くなりました、これは、前編、ということに。

今、決めました。ここまでお読み下さり、ありがとうございました。



どこへ帰る

ニュースで知って、あ、花柳幻舟、そんな人いたな、と、思い出しました。

話題の多い人だった記憶。およそ40年前に、家元制度打倒、として、宗家家元に包丁で斬りつけて、実刑判決を受けて服役したのは、有名な話でした。自分で書いたしドラマにもなったし。華やかな容貌の女性だったと思う、あまり覚えてはいません。

十年後の1990年の、11月12日。天皇即位礼の祝賀パレードが行われた日に(以下、当人のwikiより引用)

厳戒下の東京・港区南青山の青山一丁目交差点付近(赤坂御所前)で、ボディーチェックを通過した幻舟はカツラをつけ、厚化粧で変装し、ウォークマンで音楽を聞くふりをしてパレードの中継ニュースを聴きながら待ちかまえ、今上天皇のオープンカーめがけて点火した爆竹約60本の束を投げつけた。
幻舟はその場で現行犯逮捕された。その際、幻舟を奪い取ろうとして暴れた右翼数名が公務執行妨害と傷害罪で逮捕された。道路交通法違反(路上危険行為)と東京都道路交通規制違反の罪に問われ、東京簡易裁判所で罰金4万円の有罪判決が確定した。


↑ については、今日、思い出しました。そんなことをした人だったんだなあ、と。大ごとだったはずですのに、家元を襲撃したことのようには私の記憶は鮮明でないのでした。

今上ご夫妻って、結婚のパレードの時には少年に石を投げつけられ、即位のパレードでは、60本もの点火された爆竹、投げられたのですね。公人には危険がつきものということか。

花柳幻舟。橋から落下しての死だったようですが、七十七歳。旅役者の子。ネットで調べた中に、住所不詳とあったのが、なんとも。その四文字が、何とも。





プロフィール

今も夢見る

Author:今も夢見る
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

願ってはいましたが叶うとは思っていなかった、海を眺めながらの暮らし。

朝はじめてのコーヒーは、バルコニーで。

ルージュは、シャネルの赤。ずうっとそう。きっとこれからも。

・・・ちょっと、かっこよすぎる。

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