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さつき の みんなのうた

皐月。五月の「みんなのうた」。

新緑、薫風、この季にふさわしい始まりではありませんでしたが、集って下さる皆さまの「うったえ」。歌は訴えとも申します、そのお気持ちの烈烈とあらせられること、恬淡とあられますこと、尊大な物言いとは承知、心強い思いで詠ませていただきました。ありがとうございました。

        

     KUONの詠める

・しゃぼん玉 たった二つのおんなの子 せんせいと信号を待ちゐて 消えぬ

・常のごと散歩に行きしと泣き崩るる園長のもとに児らは還り来ず

・思はざる事故に逝きたる幼な子ら遺る写真のおほかた笑顔

・やはらかき頬くりくりの手や脚の夜になりても還らず 明日も


・一艘のヨット曇天に溶けてをり吾が国かくまで堕ちし夕べを

・肥え太りばっさばっさと低く飛ぶカラス今日よりの后に似たる    

・いかにせば思ひ穏しくゐらるるか彼(か)の夫婦なんと即位果せり

・尊大にして虚ろなる新帝の目(まみ)見直して見て 虚ろなり

・見苦しも自制を知らず新皇后めったやたらの笑顔ばらまく

・旗日には掲げて来たる日の丸の折り目正しく押し入れの奥

     おてもやん の詠める

〇晴れもせず雹に地震に事故多発 めでたくもなし令和元年

     ひらりんこ の詠める

虚偽怠惰放埓虐待横流し 皇室の滅ぶ音が聞こえる

束の間の我が世の春に有頂天 恥を知らぬは胸まで盛って

天皇の冠着せても知恵足りず 駒に過ぎぬと軽んじられて

案の定一週間と経たずして お忍びとやらもう出てくんな

クレイマーのさばる国になったのは 美智子に雅子おまえらのせい

目を背け耳を塞いでただ待ちます 令和の終わりが早く来るよう

     まめはな の詠める

・すずめ一羽枯れ盆栽に来てとまりさえずりており春はすぐそこ

・春風は色盗り風というなれど素顔晒して胸張り歩まん

・新皇后歩むを見れば脳裏には相撲甚句が鳴り響きけり

   (どすこいどすこいと歩を進めていらっしゃいました…)

     おおやまよしの の詠める

   一連の儀式で天候の悪さが続いたことを思って。

・天からの御護り無きは御身にぞ
罪障あるの徴とぞ知れ

   あめからの おまもりなきは おんみにぞ ざいしょうあるの しるしとぞしれ

   皇后様の17年ぶりの宮中三殿参拝のご様子を見て。

・畏れつつ 慎み敬う術知らぬ
后が無様に腰を折りたり
   
   おそれつつ つつしみうやまう すべしらぬ きさいがぶざまに こしをおりたり

   相変わらず最後部座席から首をお出しになる今上帝をお見上げして。

・これからもここが定位置しょうがない
妻の拳が恐いんだもん

   これからも ここがていいち しょうがない つまのこぶしが こわいんだもん

   有りもしない皇統争いを壬申の乱になぞらえて作りあげようとする、阿呆なマスコミに捧げて一首。

・壬申の乱とは笑止 人臣を
惑わすその筆 百回折れろ

   じんしんの らんとはしょうし じんしんを まどわすそのふで ひゃっかいおれろ

   さすがに天皇アゲアゲと秋篠宮サゲがおかしいと思う人は自ら情報を集め、
   歴史を紐解いています。よい方向に進んでいるのかもしれません。


・日の本の歴史学ぶの人増えて
正しき皇統 世にぞ伝わる

ひのもとの れきしまなぶのひとふえて ただしきこうとう よにぞつたわる

     黒猫アビ の詠める

 ・下天皇 荷物席より顔を出す
  毎度のすがた「恥」も知らぬか

 ・清らかな何かが欲しくベランダへ
  星空がこころしずめてくれる

     かりそめ の詠める

*亡国の一歩の改元祝ふ人チベットを見よウイグルを見よ

*敗戦後七十余年白蟻に食はれ食はれし国の根幹

*国なくばいかに悲惨か君知るや売国の徒を帝と仰ぎ

*丈低く目付きの悪しく能なくも受け容れらるる民思ふなら

*狂ひゐる母の見つけし嫁なれば顔も心も歪みにゆがむ


*わが街は東京湾の埋立地樹々の根づきて今しうるはし

*わが窓に公孫樹並木を見下ろせり葉の漣にまなこ洗はむ

*いつしかと子供の姿少なくて禁じられゐる飼ひ犬のふゆ

*作品を褒めたるゆゑと炊きたての豆ご飯持ち友の来れり

*茉莉花のもう香らざる煉瓦塀時の流れの淀むことなし

*わが窓に公孫樹並木を見下ろせり葉の漣にまなこ洗はむ

*いつしかと子供の姿少なくて禁じられゐる飼ひ犬のふゆ

*作品を褒めたるゆゑと炊きたての豆ご飯持ち友の来れり

*茉莉花のもう香らざる煉瓦塀時の流れの淀むことなし

     春日野 の詠める

ドタキャンの 席にゴジアイ チマチマと お花畑は 何を思うか

しゃあしゃあと ナルの横には元コーゴー 話しが違うと 令和のストラグル

本物の タイチョー波に さらわれて 立てぬコーゴー 苦界の海へ

投薬が 積もり積もって 毒となり 誰も助けず 終わりの始まり 

後ろには 怨嗟の声と 筵旗 因果の小車 報いは巡る


徳の字は 非業の最期 遂げるのか 令和に吹く風 神のみぞ知る

徳と令 重き言霊 背負う君 哀れと思わず 数多の業ゆえ

七分間 息をせぬまま 生を受け 未だ虚ろな 君の玉の緒

操られ 中身は空の 東宮の お役目ひとつ 流し雛なり

即位とは 高御座にて あるものを 立てる気がせぬ 何故か知らねど

後の世に なかったことに されるかも 令和と零話 京のぶぶ漬け

雑草が 代わりに祈り 奉る 全ての禍 帝を通せと 

     アルジェリマン の詠める

青草の刈り倒されて匂い立つ 高校生ふたり自転車で行く

母子草茂るあぜ道 黒犬の足元に蝶ひらりとゆれる

桜散る道を清める老人を黒犬見上げ近づいていく

年末の辛い別れを語りつつ白髪の人黒犬に笑む

街の灯を受け赤黒くよどむ空 逢魔時(おうまがとき)に蝙蝠の影

白き虹 日を貫いて空にあり 不吉の印で御代が始まる

     ギボウシ の詠める

- 歌詠みの為に腰上げ散歩せん 出鼻をくじく悪天 悲報

- 我が家から見えなくなった青空を 探して 不動寺の石段のぼる

     パール の詠める

⭐やらないといけない事はこなせても
 やる気スイッチ今家出中

   <お隣の赤ちゃん>

⭐窓開ければ隣りの家のみどり児の
 声ながれ来るふっと微笑む
 
⭐全身で「生きる」と叫ぶかのごとく
 泣ける赤子に力をもらう

⭐弾き語りする吾子(こ)の声に耳すます
 わが子守唄 とろり眠ろう

⭐黎明に玉砂利ふみし伊勢の杜
 いま静かなり ただ静かなり
 
⭐平成が令和に元号かわりても
 市井の日々は何もかわらず


★ふんぞりペンギンとドスドス歩きが即位する
 お似合いだけど民は恥ずかし

★アゲアゲで嘘を百回言ったとて
 事実にならぬ所作が証明

     白萩 の詠める

・青もみじの中湧き出づる清流の音(ね)に我が身も澄みてゆく心地する   

          [山奥の水源]

・目にいっぱい 空の青とネモフィラの青 心も青く染まるごとくに   

          [高原の花畑]

・「鯉のぼり捕まえて」と言う姪のため尾を捉えようと飛ぶこどもの日   

          [鯉のぼり泳ぐ河川敷にて]

・皇太子妃の第一ティアラは燦然と佳人を彩りまいらせたまう   

          [皇嗣妃殿下]

・禁色もお引き直衣も似合わぬに反っくり返るナルはペンギン   

          [れいわのみかど]

・「ワタシ今日は超ハイなの」ギラギラとした笑みにウンザリ チャンネル変える   

          [5月1日『げ』こうごうのおてふり]

     天上の青 の詠める

人の世の 
営み全て 飲み込んで
悠久の時は  
往きて還らぬ

     玉兎と茜馬 の詠める

   一般参賀の日に
   東京競馬場の後半のレースが
   とりやめられたことを詠んで


参賀の日
競馬取り止め
との知らせ
馬への呪い
やめろと思う

若き子ら
死せりとニュース
見るたびに
四人の命と
かえられればと

   私の寿命でさえ何十年か上げたいくらいなのに。
   なぜ、あれらが生きていているんだ。


     ゴネコ の詠める

つぐないの日々は二年と聞き及び思わず仰ぐ星のない空

     すかぽんたん の詠める

式終えて引っ込む二人場末にて
楽屋に戻る漫才のよう

どすどすと小袿姿不似合いな
不浄の“后”禁裏に押し入る

黄櫨染腹膨らませ纓(えい)たてて
ご大層なるも威厳は見えず

威厳をば誇示するはずの小道具が
かえって主の卑小さ暴露す(あらわす)

できそこないアレレ一家の目眩し(めくらまし)に
秋家をdisれと指令飛び交う

親王に刃物の脅し卑劣なり
そこまでしても皇位ほしいか

皇位とはさほど美味なるものとかは
庶民は知らぬ皇室の裏

ありがたく涙がでるという人よ 
頭は汝のものかと尋ねん

恥ずかしき象徴いただく国民の
身になってみよ嗚呼嘆かわし

レイワより“ねぇわ”でいいさあんなのが
てんのーこーごーそりゃ“ねぇわ”だと

やせぎすの一家に一人良きガタイ
しなのまちあたりててご居らすかも

世界一みっともないわあの夫婦 
取り繕うも滑稽なだけ

民をして皇となさんという呪い
崇徳はどこで笑っているやら

カリスマのかけらとて無しあの夫婦
てんのーこーごー平仮名でよし

皇后になるステップは踏まずして
牡丹餅落ちて貪り食らう

皇位をば狙いあれれをすり替えて
バックでかけりゃやり放題なり

昔より後ろ盾ありて権勢を
揮える仕組み今も変わらず

どっかりと主人の位置に収まるは
そうかの妃上位なりとや

皇室の巨大イベント終了す
構想脚本よく練られたり

完璧な膳立てなれど残念な
主役の二人お粗末至極

代替わり改元狂騒バカ騒ぎ
国壊れゆくただなかのこと

     春日野 の詠める

老いた者 若きを殺める 事故多し とある老婆の 呪詛を疑ふ

若宮の 御命狙う 破壊者の 呪詛を見破り 雑草吼える

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

六月。水無月にも、また、ここでお会いしましょう。

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ハーバードの何やらの木の、えんぴつ。


ひどい事件が起きました。また、起きました。



トランプさんは帰られました。ご夫妻が御所へ着かれたとき、おかしな具合にご亭主の向こう側に歩いて場を変えて、まさどん何がしたかったのでしょう。

で。帰国の日、朝から二人でニマニマ笑いながら、国賓ご夫妻の宿泊先のホテルへ行ってね。

ヘーカは、嬉しそうに大統領と握手した。大統領は、天皇の妻と握手しないで、夫人とまさこさんの握手を、にこやかに見ておられた。大統領は握手しなかった、天皇の妻と。それははっきり見た気がするのですが・・・。わたしの幻覚か。幻視があったか。

そういうものなの?。

ニコニコしてたけど、トランプさん、見ることは全部みていたはず。バカにしたりはなさらないと思う(と、一応書いておく)、でも、バカだとはわかったでしょう。

細かくあれこれされていた・・・スーツのボタンをかけたり外したり。夫人も、わかっていてとも思う、違うかも知れませんが、まさこさんと「お話しなさった時」、高々と脚、組んで。わざとだと思ったワタシ。ナルちゃんも何年か前、デンマークへ行って、王妃に脚組まれたり、腕組みされたり、ああいう「サイン」が、あるんではないの? と、思い中。

難しいことはわかりませんが、日本の天皇は、もうすぐ還暦の、おつむの中は小学生。見透かされていることも何もわからない、○○。天皇の妻は、どこを細かく言いようも無い、言っても無駄、な国辱のヒト。○○○○。これはきっぱり解ります。

これも幻聴か。ナルがべちゃくちゃ、妻は(皇后は、言うたよなあ)ハーバードで、とか言うてた後で、ドナルドは、「奥方の英語はどこで」とか聞いた気がする。わざわざ聞かれたのよね、あれ。もち、ハバドで、と、ナルちゃんは信じているのか知らない、実は嘘ばっかこいてるから、まさこへのプレゼントが、あれだったのね、きっと。

ハーバードの(なにやらの)木、で作られた鉛筆だとか、紹介されていた気がします。

私は、意地悪なので、これは皮肉だわね、と、感じたのでしたが。


天皇陛下は善良な方、邪気の無い方。奥方は、懸命に一所懸命、頑張られた。そんな声も聞こえます。何をどう考えられるのも自由であるが、そんな風に甘くも優しくも無いわ、わたしは。迷惑です。大迷惑。

三軒隣の、フツーにご近所のおうちの、方。それなら何も言わない、いったりするものですか。どこにだっていろんな事情があり、悩みがあり、何も無さげな顔で、生きている、それくらいは判っている。

ただあの人たちは、特別なのですから。天皇と、皇后なのらしいですから。

一緒くたにならないと。そう思う。

・・まさこさんが必死で死守していた、腹の上のバッグ。あれは、ライナスの毛布か。あれが手元に無いと、不安で、まともに立ってもいられないのか。まったく的外れなことを言い立てて、月初の紀子さまを「色かぶりだ」なんぞ書きまくったアタリは、自分たちが招く側である晩餐会に、基本的には「労働着」である、スーツのようなもの、をまとい、主賓の夫人に、堂々のお手の物の色被りして出て来た、あの女について、どう言うのかしらん。

当分出て来ません、あの方は。子どもの日の「公務」も、あと、何ですか、受け継いだり「本来するべし」の何やらも、スルーしてそのまま。もう、ずっと出てこないでいいですよ、まさこさん。出たり出なんだりは、これも迷惑。

ご実家の皆さまは、早々に出て行ってもらって下さい。お茶一杯飲む権利は無いです。それに。何されるかわからない。


五月のうたのまとめ、戴いているコメントのお返事、遅れておりますが、明日はきっと、大丈夫・・・午後からは。


勝手静養させていただきます

おはようございます。すこし体が傷んでおります。大したこと無いが、いつもみたいにパソの前に座っていられればオーケー、キゲンいい、の感じでなく。その状態から20パーセントくらい・・38パーセントくらい? 引いている状態と申しますか。

ご心配には及ばず、と言わせてくだしゃい。

書きたいことあれこれ、伸ばしている言い訳、みたいに書きました。

昨日の日本の象徴ご夫妻は、まこと、まこと。

妻がアレで、夫がかたわらでヘラヘラ笑っているという…、自宅で勝手静養とさせていただきます。


イヤだな


トランプさんは、国技館で、たくさん拍手受けておられた。

プーチンさんでも国技館の皆さんは、拍手いっぱいされるだろうか。

隣国のあの黒電話氏は、どうかな。国技館へ来たとして。

わが国の、ニラ・キメ・斯道ひとすじお手振りふーふには・・・やっぱり、国技館、拍手するのだろうな。ばんざあい、とかも、聞かなくてはならないのかな。イヤだな。テレビ観なければいいのか。

五月のみんなのうた おべんきょ、ラスト。

五月のうた、続けて参ります。

列島はとんでもない暑さ・・北海道で、あっさりと39度台とか。日本の四季は、どこへいってしまったのでしょう。


     ラピスラズリ

人の世の 
営み全て 飲み込んで
悠久の時は  
往きて還らぬ

   盛大に何か儀式が執り行われましたが、あっという間にひっそりかん。
   所詮人のすることは永遠の中で見れば儚く取るに足りないものだという感を
   特に強く感じました。


茶道のことを想っていたのです。あの狭い部屋の中で、いづまいを正して、一服のお茶をたてる。何を何回、どの向きにどうして、など、動作のすべてに意味がある。儀式といわれるものの成り立ちみな、そういうことではないかと考えます。

おそらく「潔斎」も可能でないものどもが、何とか形だけを整えて、強行した。そんな感じに見ておりました。根の無い花でよかったのか、あのいっときを、とにかくつくりあげれば、見せてみせれば、即位ということが成ったのか。私にはわかりません。成らなかったらどうなのか。

根の無い花は、咲き続けることも次代へ繋ぐこともできません。見なくも分る壮大な、神を畏れぬ(私が申すのも不遜なコトバ)茶番劇を、見せてくれた神道の長たる者のあの家が。


   ほととぎす 鳴くや五月の あやめ草 あやめ(文目)も知らぬ 恋もするかな

古今集、詠みびと知らず。こういった魅力的なうたの話も、延々とするの楽しいでしょうね。でも、ここではガマンします(笑)。私は、男性が詠んだ一首と思います。

     玉兎と茜馬

   一般参賀の日に
   東京競馬場の後半のレースをとりやめたこと詠んで


参賀の日
競馬取り止め
との知らせ
馬への呪い
やめろと思う

   池袋と滋賀の事故にたいしてふと思ったこと

若き子ら
死すとニュース
見るたびに
四人の命
とかえられれば

   いつも、若い人が亡くなるたびに
   内廷4人の命と交換できたらなとか


「若き子ら死せりとニュース見るたびに四人の命とかえられればと」

うたの形を整えてみました。お考えの内容については、ワタシの考えと通う部分は在りますが、違う部分もあり、ここでは一首をまとめさせて頂くのみにしました。ご理解下さい。


     ゴネコ

   さきほど帰宅。間に合いますか!?
   一首でも参加させていだきたいと、不肖ゴネコ、思うのであります。


つぐないの日々は二年と聞き及び思わず仰ぐ星のない空

ご多忙の中、ダッシュで滑り込みで一首。あに、尊からんや。その意気やよし。一首ずつでも続けて下さい。ぜったい。

おうたの話。おかしなこと書きますがよろしく。まったく違うと思いますが。むかしむかし、松尾和子なる歌手が、なにやら切ない色っぽい歌を唄ってはった。鍵っ子の小学生だった子どもKUONはラヂオがおともだち、「再会」という歌に痺れておりました。

「思わず仰ぐ星のない空」。見えざる心象風景を思い描いて。辛い悲しいことは、あっち行け!と言いたいです。


     すかぽんたん 

式終えて引っ込む二人場末にて
楽屋に戻る漫才のよう

どすどすと小袿姿不似合いな
不浄の“后”禁裏に押し入る

黄櫨染腹膨らませ纓(えい)たてて
ご大層なるも威厳は見えず

威厳をば誇示するはずの小道具が
かえって主の卑小さ暴露す(あらわす)

できそこないアレレ一家の目眩し(めくらまし)に
秋家をdisれと指令飛び交う

親王に刃物の脅し卑劣なり
そこまでしても皇位ほしいか

皇位とはさほど美味なるものとかは
庶民は知らぬ皇室の裏

ありがたく涙がでるという人よ 
頭は汝のものかと尋ねん

恥ずかしき象徴いただく国民の
身になってみよ嗚呼嘆かわし

レイワより“ねぇわ”でいいさあんなのが
てんのーこーごーそりゃ“ねぇわ”だと

やせぎすの一家に一人良きガタイ
しなのまちあたりててご居らすかも

世界一みっともないわあの夫婦 
取り繕うも滑稽なだけ

民をして皇となさんという呪い
崇徳はどこで笑っているやら

カリスマのかけらとて無しあの夫婦
てんのーこーごー平仮名でよし

皇后になるステップは踏まずして
牡丹餅落ちて貪り食らう

皇位をば狙いあれれをすり替えて
バックでかけりゃやり放題なり

昔より後ろ盾ありて権勢を
揮える仕組み今も変わらず

どっかりと主人の位置に収まるは
そうかの妃上位なりとや

皇室の巨大イベント終了す
構想脚本よく練られたり

完璧な膳立てなれど残念な
主役の二人お粗末至極

代替わり改元狂騒バカ騒ぎ
国壊れゆくただなかのこと

   10年ぶりにひっどい酷い風邪をひいてもう4日目ですがまだなおりません。
   もう頭ぶおーー。
   なので今回、ハチャメチャかも?
   とりあえず今夜はこれにて。

すかぽんたん さん。今年の風邪は超ひどくて、私も三か月ほど、風邪状態です。

ブログにおいで下さる方を、どこかにメモして、とか全く無いのですが、けっこう覚えていたりもする・・・けど、ごめんなさい、私、以前にも来て下さったかな?と、アタマひねっていまして。ぽんぽんと威勢よく、はまった言葉で沢山おうた、作られましたね。すごい。共感するお作も多くありました。またいらして下さいな。


     春日野

   今一番、言葉にしなければいけないことを思い出しました。
   だから歌の形を借りて書きます。
   下手でもいい、伝えなければならないことがある。
   現代版二条河原の落書と意気込んでおります!


老いた者 若きを殺める 事故多し とある老婆の 呪詛を疑ふ

若宮の 御命狙う 破壊者の 呪詛を見破り 雑草吼える

うたは「うったえ」。この方のお気持ちに、不肖KUON、どのような言葉を持ちうるか。


五月のうたのおべんきょう Ⅳ

皐月のうたのべんきょう、続けます。

この色の文字が「詠草」。この色は詠み人さんのお名前。この色はKUONが書いている部分。この色は詞書や詠み人さんからのメッセージです。

     白萩

・青もみじの中湧き出づる清流の音(ね)に我が身も澄みてゆく心地する   [山奥の水源]

どの季節もそれぞれ素敵と思う、そのなかでも、青もみじ、清流、のイメージの喜ばしさ。「山奥の水源」となれば、なお。いにしえの帝や皇子様さまがたは、こういったおうた、たくさん残しておられますのにね。そういったにおいの皆無だった五月の始まり、無残とやり過ごしました。

・目にいっぱい 空の青とネモフィラの青 心も青く染まるごとくに     [高原の花畑]

・「鯉のぼり捕まえて」と言う姪のため尾を捉えようと飛ぶこどもの日

                           「鯉のぼり泳ぐ河川敷にて]
 
優しいおばさま。それと、え、と読み直してしまった、行動力と言いますか、おてんばモードも、すてき。風の匂いも清々しくて。

・皇太子妃の第一ティアラは燦然と麗人を彩りまいらせる        [皇嗣妃殿下]

同感です。十五年間も消えていたティアラ、見た瞬間、虚を突かれた、と言えばおかしな感想ですか。無い無い、どこにある、と騒いだ価値があったというのか、どうなのか。

おうた、初めが、五音であるところ七音あり、これはこれで構わないですが、何か、言葉の流れがスムースでない気がします。「燦然と」まではいい、その後がどうかな、と思うのですが。


・禁色もお引き直衣も似合わぬに反っくり返るナルはペンギン      [れいわのみかど]

あの禁色の、色の薄いのは「夏衣装だから」などあるのを読んで、内心、オツムの中身に比例してるんだわい」と毒づいていました。どこで読んだやら、ナルさんの奥さんの十七年ぶりに祭祀に「挑んだ」=こう書かれていたのでありました=お姿は、どすこいであられました。コタツ、とも、ぴったりの表現のなかにいらっしゃいました。

夫さんが夏衣裳。妻さんがコタツ。なんぼなんでも、現代日本の「象徴」とはいっても、これはないんじゃないかい、と。胸の焼ける数日でした。

フンゾルト・ペンギン。新たなるミカドは、そうとも呼ばれておらるるようで。


・「ワタシ今日は超ハイなの」ギラギラとした笑みにウンザリ チャンネル変える 

[5月1日『げ』こうごうのおてふり]


共感される方、多いと思います。(何度してもうまく入らない行のあり、申し訳ないです。最後のまとめでは、もう少しきれいに見ていただきたいですが。
                                
     かりそめ

   今度は明るく作ったつもりです。

*わが街は東京湾の埋立地樹々の根づきて今しうるはし

そうなのですか。私が住むのは、大阪湾の埋め立て地です。阪神淡路大震災の後に建てられたマンションで海抜2,5メートル。あ、ごめんなさい、つい。

おうた、「今し」が効いています。「し」の強調が。年月が経ち、落ち着いて来た街に樹々が根づいて、「今は」でなく「今し」と、街の経て来た日々を、いとおしんでおられる気持ちが伝わります。


*わが窓に公孫樹並木を見下ろせり葉の漣にまなこ洗はむ

実感のある一首。五月の公孫樹。

*いつしかと子供の姿少なくて禁じられゐる飼ひ犬のふゆ

「飼ひ犬の」のあと、「増ゆ」と「ふゆ」と、惑われたような気がします。ひらがなである部分に、屈託を含められたかな、とか。

*作品を褒めたるゆゑと炊きたての豆ご飯持ち友の来れり

すてきな交友関係。私も豆ごはん大好き。誰かどなたか、炊き立ての豆ごはん賜れ(笑)。

*茉莉花のもう香らざる煉瓦塀時の流れの淀むことなし

さみしい。ですね。


ここにていったん、休ませていただきます。

べんきょう、三回目desu.

おべんきょう、続けます。

今月は、抑えようの無い「怒り」の顕れを、形をややに見過ごすというか、なるべく元の「思い」を残す形で、読ませていただいた気がします。見たくも無い悪夢を突き付けられた、と、わたしKUONは感じ、未だに胸底が収まりきっていないでいます。

憲法違反、ごり押しの退位、祭祀不能と断じられるべき不浄不徳の者の即位の悪夢。


この色の文字が「詠草」。この色は詠み人さんのお名前。この色はKUONが書いている部分。詞書や詠み人さんからのメッセージです。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

     アルジェリマン

青草の刈り倒されて匂い立つ 高校生ふたり自転車で行く

この季節のうた、と、清々します。

ザクザクと刈られて横たわる青草の、若い匂い噎せ返るなか、自転車で行く高校生ふたりは、ヤボにも見えるくらい、きっちりした制服姿と想われます。夏服で。


母子草茂るあぜ道 黒犬の足元に蝶ひらりとゆれる

桜散る道を清める老人を黒犬見上げ近づいていく

黒犬クンが近づいて行きたくなる「何か」のかおりを放っておられたのでしょうか。落花は果てしなく。

年末の辛い別れを語りつつ白髪の人黒犬に笑む

年末の辛い別れ、淋しいお正月。花の季を迎え、見送り、その方は、一途に見上げて来るよそのワンコに、優しいまなざしを注いで。いくらかは語ることもされて。

街の灯を受け赤黒くよどむ空 逢魔時(おうまがとき)に蝙蝠の影

黑い情景ながら、鮮やかです。

白き虹 日を貫いて空にあり 不吉の印で御代が始まる

御代を、始めてしまったのですね。人間の都合で。

     ギボウシ

- 歌詠みの為に腰上げ散歩せんとの 出鼻をくじく悪天 悲報

   (ネタ拾いと運動不足解消を目論みましたが・・)

こじつけでなく、この情景も「うたを始めた」朗報と読みました。一日に家の中で100歩、あるいているかどうかの居職のモノだったりすると、まことそうである、と。俳句の、あるいは短歌のネタ拾いを、ずばり行脚とか吟行、とか称して、どこかへ行って何かを見よう、感じよう、と、テクテクします。

悪天候は「悲報」ですか、まあ、また出ましょう。かこれで一首、拾えましたから。(笑)。よしとして。少し触れさせて下さいね。

「歌詠みの為に腰上げ散歩せん」この後の「との」は、省けます。あってもいいですが「散歩せん」の「せん」で、しよう、の意志がはっきり出ています。「悪天 悲報」は、う~ん、言い過ぎかなと初めは感じましたが、ユーモアのにほひも感じられる、ので、「このまま。「との」だけ取られたら、と思います。


- 我が家から見えなくなった青空を 探して登る 不動寺の石段を

   (大気汚染のせいか、数年前から晴天でも灰色がかっています。
   少し標高の高いところからは、まだ青い空が見えます)


青い空って、どうしても欲しいものですね。なかなか素敵な一首。少しリズムを整えませんか。

「わが家から見えなくなった青空を探して不動寺の石段登る」

「探して」の「て」は、無くてもオーケー、字余りが無くなる良さもありますが、この一首の中にはやはり「て」がある方がいい。作者の気持ちがここにあります。


     パール

⭐やらないといけない事はこなせても
 やる気スイッチ今家出中

思わず(笑)。楽しい。同じだよ~と、思います。なかなか帰って来ないのですよね。

    <お隣の赤ちゃん>

⭐窓開ければ風に乗りて隣家より
 泣き声聞こえフッと微笑む

「窓開ければ隣の家のみどり児の声ながれ来るふっと微笑む」

快い初夏のうたですね。「風に乗り」の、たいせつな語を省いてしまったので「声ながれ来る」にしてみました。元のままでも素敵な一首と思います。


⭐全身で「生きる」と叫ぶかのごとく
 泣ける赤子に力をもらう

普遍的ながらリアルに力を感じるうたと思います。赤ちゃんてすごい。

⭐耳すます弾き語りする吾子(こ)の唄が
 心地よき子守歌眠ろう

至福のうたを、照れないでうたわれているのが、いいなあ、と。

「弾き語りする吾子(こ)の声に耳すます わが子守歌 とろり眠ろう」 

元歌を、こわしてしまいましたかしら。お許しを。「眠ろう」を、生かしたかったのです。


⭐黎明に玉砂利ふみし伊勢の杜
 いま静かなり ただ静かなり
    今年(2019年)は家の行事としてお伊勢詣りを
    致しました。
    改元は後から決まって・・
    以前より人は多かったです。
    順序を守り、頭を垂れ、普通の日本人は
    美しいです。

元の歌のリフレイン、正直なところ気になります。が。記し置くべき一首としてお詠みになったもの、このままで、と。まこと神宮は、凛然たる気に満ちて、初めて参拝させていただいた時。身の内に湧き上がった思いは「再生」でした。知らず、湧いた思いでした。

⭐平成が令和に元号かわりても
 市井の日々は何もかわらず

ラーメン屋の新装開店に一番乗りしたい! に似た、いっときの大騒ぎが、バカバカしく切なかったです。「駄」「堕」「惰」と、ダダダ。

★ふんぞりペンギンとドスドス歩き
 お似合いだけど民は恥ずかし

★アゲアゲで嘘を百回言ったとて
 事実にならぬ所作が証明

う~む。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

夜、できたらもう一度!。

 

五月のおべんきょ、Ⅱ


五月のうたのおべんきょ、続けます。

この色の文字が「詠草」。この色は詠み人さんのお名前。この色はKUONが書いている部分。詞書や詠み人さんからのメッセージです。



     黒猫アビ

 ・下天皇 毎度おなじみ荷物席
  顔だすすがた「恥」も知らぬか

恥を知る、とは、かなり高度な感情の問題なようで。下天さんには備わっていないような。即位後の荷台天皇のあの姿に驚愕。全く関係ないみたいにニラニラ手を振っている下こーごーに驚愕。この時期に見た愛子さんのうっすらメイクに驚愕。ガッコお行きなさいよ。

ともかく、下天さんも下皇さんも、おつむは帽子の台でしかあらせられぬのに、周囲の特殊皇務員ども、平気であの姿をさらさせている様子に、驚愕。恥も恥じらいも、何もかも,無し。一首の意味も気持ちも、よく分かります。少しさわらせて下さい。

「下天皇荷物席より顔を出す毎度の姿「恥」も知らぬか


 ・落ちつかぬ心しずめにベランダへ
  星空ながめ心をカラに

「清らかな何かが欲しくベランダへ星空がこころしずめてくれる」

すこしさわり過ぎましたか。地上に汚濁の充ちていた、あの数日の詠嘆か、とも。


   元号が変わり、お天気もぐずついた梅雨みたいです。
   不安な時代の幕開けのようです。


     かりそめ

   夜分に失礼します。今月こそは詩と言えるうたを作りたかったのですが、
   鬱憤ばらしのようなものになってしまいました。


夜分でもちっともかまいませんし、鬱憤ばらしでもオーケーですよ(笑)。生きているうちには、コンチクショウもキー、コレナニナノヨー、も、ございます。ってことを、しっておりますものね。

皇室のあの体たらくを無体に見せつけられて、なかなか心頭滅却なんぞ、できるもんかい、と。俗物KUON(笑)。


*亡国の一歩の改元祝ふ人チベットを見よウイグルを見よ

同じ思いにいた数日でした。

*敗戦後七十余年白蟻に食はれ食はれし国の根幹

*国なくばいかに悲惨か君知るや売国の徒を帝と仰ぎ

*丈低く目付きの悪しく能なくも受け容れらるる民思ふなら

「民思ふなら」そうですよねえ、と、ワタシも思います。でも無理。特権を享受するのみの日々に、このような「思い」は定着しないんじゃないでしょうか。

*狂ひゐる母の見つけし嫁なれば顔も心も歪みにゆがむ

かりそめさんにして、この激しさ。。こういった怒りのマグマの表面を、わずかに覆い隠し得ていると、あちらの日本毀損のモノ共は、ほくそ笑んでおらるるか。「畏れ」を知らねば、かくまで不遜。新元号も知らん、陛下なんてコトバも消えました。

     春日野

   126回の舌打ちをしたら、古人の如く次々と歌ができました。

ドタキャンの 席にゴジアイ チマチマと お花畑は 何を思うか

しゃあしゃあと ナルの横には元コーゴー 話しが違うと 令和のストラグル

春日野さん、このコーナー【?】用に、新しく沢山、お詠みになられたのですね。熱風みたいです。

ところで、まこと、あの貧相な、未だにコクミンに愛されている望まれていると勘違いなさっているがの、あのお方は、愛息の横に、出て来られるや、否や。あれだけ「こーごー様まんせー」唱えていた雑誌、掌返しの無視状態。隠居された(はずのお方は)静かなる日々を、ね、ですのにね。なんぼなんでも、荷台帝の横には、あの下能面さま、いてられんやろ、と思いますし、そうしてくれろ。


本物の タイチョー波に さらわれて 立てぬコーゴー 苦界の海へ

投薬が 積もり積もって 毒となり 誰も助けず 終わりの始まり 

後ろには 怨嗟の声と 筵旗 因果の小車 報いは巡る


徳の字は 非業の最期 遂げるのか 令和に吹く風 神のみぞ知る

徳と令 重き言霊 背負う君 哀れと思わず 数多の業ゆえ

七分間 息をせぬまま 生を受け 未だ虚ろな 君の玉の緒

操られ 中身は空の 東宮の お役目ひとつ 流し雛なり

即位とは 高御座にて あるものを 立てる気がせぬ 何故か知らねど

後の世に なかったことに されるかも 令和と零話 京のぶぶ漬け

この迫力のまま、と、思う。京のぶぶ漬け、受けました。苦界の海も流し雛も、妙にリアルで、私なら「おそろしい」。

雑草が 代わりに祈り 奉る 全ての禍 帝を通せと 

すべてのわざわい、みかどを・・・実感します。民の上に災禍の来るな。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

本日はここまでとさせていただきます。歌って。いいな・・・・・。


五月のおべんきょう、始まりました。


五月。皐月のうたのおべんきょ、始めさせていただきます。

常にない内容のうたの多い、いささか特異な月になったと思います。抱いているさえ苦い思いが突き動かした、感情の膨れ上がり方。とも言えますか。今月は、そんな「怒り」の顕れを、形をややに見過ごすというか、なるべく元の「思い」を残す形で、読ませていただいた気がします。見たくも無い悪夢を突き付けられた、と、わたしKUONは感じ、未だに胸底が収まりきっていないでいます。

憲法違反、ごり押しの退位、祭祀不能と思われる者の即位の悪夢、異夢以外の、何と呼べるでしょう。


この色の文字が「詠草」。この色は詠み人さんのお名前。この色はKUONが書いている部分。詞書や詠み人さんからのメッセージです。

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     おてもやん

〇晴れもせず雹に地震に事故多発 めでたくもなし令和元年

     ひらりんこ

虚偽怠惰放埓虐待横流し 皇室の滅ぶ音が聞こえる

束の間の我が世の春に有頂天 恥を知らぬは胸まで盛って

天皇の冠着せても知恵足りず 駒に過ぎぬと軽んじられて

案の定一週間と経たずして お忍びとやらもう出てくんな

クレイマーのさばる国になったのは 美智子に雅子おまえらのせい

   (だんだん口汚くなってきました。終わりにします。)

目を背け耳を塞いでただ待ちます 令和の終わりが早く来るよう

小気味のいい啖呵、きって下さいましたねぇ。四首目の「もう出てくんな」、シビれました、このまんま。

     まめはな

・すずめ一羽枯れ盆栽に止まり来てさえずり歌えば春はすぐそこ

   (整えるのに時間がかかってしまい、季節外れになりました。)

季節外れは、俳句よりは気になさらないでもいい気がします。いつに詠んだか、必要な時には記せばよく。
この一首、時間をかけられたとのこと。このままでもいいし、思いは通っていると感じますが、私が「さわる」なら、以下のようになるかなあ、と。

「すずめ一羽枯れ盆栽に来て止まりさえずりており春はすぐそこ」


・春風は色盗り風というなれど素顔晒して胸張り歩まん

「素顔晒して胸張り歩まん」」この颯爽、すてきです。

・新皇后歩むを見れば脳裏には相撲甚句が鳴り響きけり

   (どすこいどすこいと歩を進めていらっしゃいました…)

ねえ・・・

     「よしの」改め、おおやまよしの でございます。
     短い名前はなりすましと思われることがあるようなので、
     少し長い名前にしております。


   一連の儀式で天候の悪さが続いたことを思って。

・天からの御護り無きは御身にぞ
罪障あるの徴とぞ知れ

   あめからの おまもりなきは おんみにぞ ざいしょうあるの しるしとぞしれ

常ならば、ほぼ晴天に恵まれるこの頃、悪天候の続くは、「あなたの身に、ですよ、ナルちゃんの身に、天からのおまもりが無い。その御身に「罪障がある」からであると、わかりなさいよ、という一首。「ぞ」という強調の語が、二つも入っている。徳仁氏の「不徳」を・・・

   皇后様の17年ぶりの宮中三殿参拝のご様子を見て。

・畏れつつ 慎み敬う術知らぬ
后が無様に腰を折りたり

   おそれつつ つつしみうやまう すべしらぬ きさいがぶざまに こしをおりたり

まこと、ぶざまの極みの「きさいのみや」にてあらしゃりました。

   相変わらず最後部座席から首をお出しになる今上帝をお見上げして。

・これからもここが定位置しょうがない
妻の拳が恐いんだもん

   これからも ここがていいち しょうがない つまのこぶしが こわいんだもん

(笑)。否。こぶしのみにてあられましょうや。今上を、お蹴りあそばす后(きさい)ならぬ鬼妻(きさい)にてあられます、あ、どすこい、どすこい。

   有りもしない皇統争いを壬申の乱になぞらえて作りあげようとする、阿呆なマスコミに捧げて一首。

・壬申の乱とは笑止 人臣を
惑わすその筆 百回折れろ

   じんしんの らんとはしょうし じんしんを まどわすそのふで ひゃっかいおれろ

そうだ。そうだ、人臣を、人心をまどわすその筆、100回折れろ。折れろ。情けないマスゴミ。

   さすがに天皇アゲアゲと秋篠宮サゲがおかしいと思う人は自ら情報を集め、
   歴史を紐解いています。よい方向に進んでいるのかもしれません。


・日の本の歴史学ぶの人増えて
正しき皇統 世にぞ伝わる

   ひのもとの れきしまなぶのひとふえて ただしきこうとう よにぞつたわる


今宵はこれにて、失礼させていただきます。




海のそばで長いお喋り


七夕さまのように年に一度、会いに来て下さるお友達と、ほぼ一日、しゃべっていました。

場所は西宮のヨットハーバーに付設されているレストラン。室内、天井高くて窓の外は遊歩道、その向こうは海でとても素敵ですが、ドア一枚外のデッキスペースも最高。床は板敷で,帆布の屋根で、ここではワンコも大きさ問わず飼い主と一緒にいられるし、ワンコ用の水の器も「ご自由にどうぞ」です。今日は、手足長くて胴体スリムの極みで、図鑑で見ないと私には名前のわからないワンコと、プードルの巨大な二匹と、可愛いワンコをとにかくミックスしました、みたいな小型犬などが、主さんのそばで、おとなしく波音を聴いていました。

フェンスの向こうは遊歩道でそして、海です。沢山のヨットが、浪にちゃぷちゃぷ浮かんでる。近隣には、それぞれ魅力的なハーバーがありますが、私はここに来やすいのです。

ランチのメニューは幾つもあって、皿からはみ出る海老フリャー(名古屋語でいわく)も人気メニュー。ランチを食べると、ソフトドリンクが、果てしなくフリーな「勝手にどーぞ、何杯でもどーぞ」な提供の仕方をされます。

このデッキテラスでは、煙草も喫えます。絶えず海風が吹きわたっていて、人さまへの副流煙の心配なくタバコ吸えます。私は十二年前に煙草をやめ、以来一本も喫っておりません。一本喫ったらおしまいだぁ、と、遠ざかって来ました。たばこ事始めは、遠い昔、学寮の空き部屋で、レイコと二人でドキドキ口にした、十七歳のあの日。なつかしい思ひ出。たまに、ふぅっと、メントールの薫りが脳内に蘇る。名前に魅かれて「ジタン」から始め、メンソール系の軽いタバコを、じゃんじゃん空にしていた。なつかしいな、もう還らない日々のひとつですね、あれも。

ここへ来ると、海に向いて人がたばこを喫っていると、自ら遠ざかった快楽のひとつ、とか、思います。吸わないと便利ですけどね。

五月になってから天気のいい日が無い、少ない。それはアレらのせいだ。話題はここからでした。果て無き話題。娘の話や孫の話も、出ました。もう元気でなんとかやっていればそれでいい、と、半分、投げだし状態。(笑)。

ものすごく長く喋って、名残惜しく腰を上げ、予報通り降って来ていた小雨の中、バスに乗って去る友と、手を振って、笑って、別れました。

サヨナラ、今年はさようなら、なんとか元気でいて、来年も会いましょう、会いたいです。来てくれて、会ってくれて、ありがとう。私は今、まだ、友の近くまでは行けません。

楽しかった、ありがとう。


遅れているうたの勉強は、今夜からゆっくりとさせて頂こうと思っています。




モンスター。


こんばんは。

今日は何も書けなかったです。何か書きたかったのに。残念です。今から、井上尚弥の試合を地上波で見て、結果はわかっているしいい気分になれるかなあ。と、期待・・・。少し落ち込んでおったのでした。


五月のうた、続けて参ります。

列島はとんでもない暑さ・・北海道で、あっさりと39度台とか。日本の四季は、どこへいってしまったのでしょう。


     ラピスラズリ

人の世の 
営み全て 飲み込んで
悠久の時は  
往きて還らぬ

   盛大に何か儀式が執り行われましたが、あっという間にひっそりかん。
   所詮人のすることは永遠の中で見れば儚く取るに足りないものだという感を特に強く感じました。


茶道のことを想っていたのです。あの狭い部屋の中で、いづまいを正して、一服のお茶をたてる。何を何回、どの向きにどうして、など、動作のすべてに意味がある。儀式といわれるものの成り立ちみな、そういうことではないかと考えます。

おそらく「潔斎」も可能でないものどもが、何とか形だけを整えて、強行した。そんな感じに見ておりました。根の無い花でよかったのか、あのいっときを、とにかくつくりあげれば、見せてみせれば、即位ということが成ったのか。私にはわかりません。成らなかったらどうなのか。

根の無い花は、咲き続けることも次代へ繋ぐこともできません。見なくも分る壮大な、神を畏れぬ(私が申すのも不遜なコトバ)茶番劇を、見せてくれたのですよね、あの、世界一古い、を掲げるあの家が。・・などと、長々と私感を、述べてしまいました。ごめんなさい。


   ほととぎす 鳴くや五月の あやめ草 あやめ(文目)も知らぬ 恋もするかな

こういった魅力的なうたの話も、延々とするの楽しいでしょうね。でも、ここではガマンします(笑)。私は、男性が詠んだ一首と思います。





一般参賀の日に
東京競馬場の後半のレースが
とりためたこと詠んで

参賀の日
競馬取り止め
との知らせ
馬への呪い
やめろと思う

池袋と滋賀の事故にたいしてふと
思ったこと

若き子ら
死すとニュース
見るたびに
四人の命
とかえられれば

いつも、若い人が亡くなるたびに
内廷4人の命と交換できたらなとか

私の寿命でさえ何十年か上げたいくらいなのに。
なぜ、あれらが生きていているんだ。

彼等が生きていてくれたら、
世の中に貢献してくれただろうなと
思います。

いつも、ありがとうございます。
お体を大切に
posted by 玉兎と茜馬 URL 2019.05/17 15:23分 [Edit] [Res]
間に合うか!?
さきほど帰宅。間に合いますか!?
一首でも参加させていだきたいと、不肖ゴネコ、思うのであります。

つぐないの日々は二年と聞き及び思わず仰ぐ星のない空
posted by ゴネコ URL 2019.05/17 21:21分 [Edit] [Res]
NoTitle
式終えて引っ込む二人場末にて
楽屋に戻る漫才のよう

どすどすと小袿姿不似合いな
不浄の“后”禁裏に押し入る

黄櫨染腹膨らませ纓(えい)たてて
ご大層なるも威厳は見えず

威厳をば誇示するはずの小道具が
かえって主の卑小さ暴露す(あらわす)

できそこないアレレ一家の目眩し(めくらまし)に
秋家をdisれと指令飛び交う

親王に刃物の脅し卑劣なり
そこまでしても皇位ほしいか

皇位とはさほど美味なるものとかは
庶民は知らぬ皇室の裏

ありがたく涙がでるという人よ 
頭は汝のものかと尋ねん

恥ずかしき象徴いただく国民の
身になってみよ嗚呼嘆かわし

レイワより“ねぇわ”でいいさあんなのが
てんのーこーごーそりゃ“ねぇわ”だと

やせぎすの一家に一人良きガタイ
しなのまちあたりててご居らすかも

世界一みっともないわあの夫婦 
取り繕うも滑稽なだけ

民をして皇となさんという呪い
崇徳はどこで笑っているやら

カリスマのかけらとて無しあの夫婦
てんのーこーごー平仮名でよし

皇后になるステップは踏まずして
牡丹餅落ちて貪り食らう

皇位をば狙いあれれをすり替えて
バックでかけりゃやり放題なり

昔より後ろ盾ありて権勢を
揮える仕組み今も変わらず

どっかりと主人の位置に収まるは
そうかの妃上位なりとや

皇室の巨大イベント終了す
構想脚本よく練られたり

完璧な膳立てなれど残念な
主役の二人お粗末至極

代替わり改元狂騒バカ騒ぎ
国壊れゆくただなかのこと

10年ぶりにひっどい酷い風邪をひいてもう4日目ですがまだなおりません。
もう頭ぶおーー。
なので今回、ハチャメチャかも?
とりあえず今夜はこれにて。
posted by すかぽんたん URL 2019.05/17 22:04分 [Edit] [Res]
NoTitle
連投失礼します。
今一番、言葉にしなければいけないことを思い出しました。
呪詛は見破られると効力を失い、それをかけた本人に返ってくるそうです。だから歌の形を借りて書きます。
下手でもいい、伝えなければならないことがある。現代版二条河原の落書と意気込んでおります!


老いた者 若きを殺める 事故多し とある老婆の 呪詛を疑ふ

若宮の 御命狙う 破壊者の 呪詛を見破り 雑草吼える
posted by 春日野 URL 2019.05/17 23:48分 [Edit] [Res]
NoTitle


NOだ。



夜更けに帰宅して、マイ・パソ「冬馬」くんの前に座り。

読者さんが愚内庁、あ間違えた宮内庁へ勇気の電話をされた、とのコメントを読み、おお、と。以下。

「宮内庁に電話しました。

①車の席は、あれで問題ないのか?
この件については、2年ほど前に一度電話しています。
その時の返答は、「家族間の問題ですので」ということでした。今回も同じ返答でした。
公式の儀式に出席する場合(例えば即位関連の)は、
きちんとしたものに則っているので問題ない。
陛下お一人
皇后お一人
愛子様と女官の三台に分かれて乗っている。

食事にお呼ばれしたのは、プライベートでありプライベートの席順は、ご家族の問題ですのでとのこと。

②目に余る秋篠宮ご一家叩きの週刊誌は放置か?
例えば、美智子さまの悲願は愛子天皇である、とか
宮内庁関係者という人物がベラベラ秋篠宮様のクスリ名まで喋っているが、本当なら宮内庁関係者を探して処分するべきではないか?
違うなら、記事の訂正を求めるべきではないのか?

これについては、週刊誌の報道が次から次に出るので、対応が間に合わないのです、でした。

私は、確信しましたね。
美智子さまは、愛子天皇を望んでいるのだと。
秋篠宮ご一家が、火だるまになっていようが全く気にもしていないのだと。
悠仁様の命が狙われていても、気にもしていないのだと。

そうです!週刊誌の記事は本当だから訂正しないんですよ。

皇位の私物化に他なりません。」(ここまでコメントより)


全く同意。ボックスカーの荷物席。妻子の後ろから、いつものように首突き出して手を振っておられる「天皇陛下」だという方の写真見て、何ともかとも。陛下~、と叩頭する気にはなれんわ。

そして、BBさんのブログにもお邪魔しましたら、BBさんが、これも全く同意、のことを書いておられました。以下。

「BB 公式行事以外の移動に、公費を使ってはいませんか? 公費で動くなら、それは公に準じます。
スキーというレジャーにも護衛費、貸し切りのホテル料金、そして報道されることはありませんが長野県民がブーイングを出している交通渋滞、護衛に駆り出される夥しい警察官の数、本来他に回されるべき県費がご一家がいらっしゃることで予算がそこへ回り、他が手薄になっています。
ゲレンデも貸し切りで、他のスキー客が追い払われています。それらのことが悪いとは言いません。格別なご一家なのだから。
しかし格別な存在だからこそ、国民の目に触れるところでのお振る舞いを「プライベート」というのは、虫が良すぎませんか。

国民に対する「けじめ」という点でも後部座席に天皇が押し込められては、いかにもみっともなく情けなく天皇の威厳を損ないます。

都合のいい部分だけ公人としての公費を使い、都合の悪い部分は「プライベートだから」という言い訳は通りません。
見苦しいと言えば、未成年の内親王にお手振りをさせるのも。犬のお手振りは論外ですがこれも宮内庁理屈では「プライベート」だからですか。

・・・など、これだけ周囲を巻き込んでおきながら「プライベート」は通りません。
                         (BBさんブログより引用させていただきました。)


他、思うこと多々あれど、今夜はこれまでとさせていただきます。

あ。もうアレについて書かんとこ、と思うておりますが(思うのでありますが)。

あの小室某を「圭様」「圭殿下」と呼べと言われたら私、じっとしてはいられないな。具体的にどう、とは、固まっていませんが、

NOだ!。NO!。

汚い話。コムロ某が、皇嗣家の娘さんを「降嫁させた」ら、よく言われているように、およそ一億五千万円ほどの一時金が税金から支払われる。大きなお金ですが、マンション一部屋買ったら残り、そんなに無いと思われる。Kさんがママンとダブルのベッドで寝て暮らして来た(お祖父さんも同居らしい)50へーべーほどらしいマンション(50平米を貶めてはいません)に、元・内親王さんを迎えるわけには、行かないでしょうからね。あと、どうやってお暮らしになるか知らねど、そんなこと知りたくも無いけど。自分たちのためには金遣い、個性的なご様子で。

降嫁させるより、自分が内親王のオットになってしまう方が、お得、よね。圭さま、圭殿下(う~、ゾゾぞ)と呼ばれて、仕事どこか何かあてがってもらって、内親王さんには皇族費が年間3000万円と少し。皇配のアレには、半額の1500万円少し、かな、あてがって頂けます。英王室とかと異なり、何をされるのも、原資は血税です。夫婦で年間4500万、皇族としての品位を落とさない暮らしが、おできになる・・・かどうか、これも知りませんが。

そっちの方が得だよな、とか、ひそかにほくそ笑むような(見ていないけど)者、いかがなものかでしょう。NOです。女性宮家とか言っていますが、成立すればそんな悪夢がそこにはある、ということです。宮家に産児制限をかけたとんでもない前・皇后の、浅慮の果てが、こんなことに。

これでホントに、おやすみなさい、です。



あな奇体なや、の皇室話。

申し訳のないことでした。

教えてもらって最近鑑賞して、何より動画の中に「そうそう、これこれ」と。文字の記事のみでは言い尽くせず、隔靴掻痒の感、もどかしかった「あの方々」の、目で見るあれこれパターン、が見られることに一個人としてのシアワセを覚えて、ひそかにためておりましたYOUTUBE動画。

画面の文字やナレーション部分に、いささか熱意のこもり過ぎ? の、ごとき表現もありますが、なに、昨今の、まっとうな方々を口を極めて罵倒するがごとき女性7やら何やらの週刊誌の悪辣さを思えば、なんのこれしき。ほぼ事実の羅列。

17日までKUONは、用あってブログの更新かないませんが、ご面倒ではございましょうが、以下の動画、ほんの一部なれどどうぞご覧になって下さいませと,本日の口上、これにて。

今更と思うし。もうお腹いっぱいですよね。最後のKUONのあがきですか。



【廃太子・廃妃が国民の総意㉗】金の亡者・雅子の犯罪

【皇太子時代の異様な行動⑱】創価に支配される東宮家

【皇太子時代の異様な行動㉓】プロトコルを無視する雅子

【皇室破壊の戦略⑬】国有財産のティアラまで売却

【皇太子時代の異様な行動①】怪しげな家系の雅子

【皇太子時代の異様な行動⑥】雅子が手玉に取った男たち

【皇太子時代の異様な行動㉔】ヤフオク犯罪の汚点

【皇室破壊の戦略⑩】皇后ではなかった美智子

【皇太子時代の異様な行動⑤】雅子は中卒レベルの英語力だった

【皇室破壊の戦略⑰】美智子ファッションはパクリ

【皇太子時代の異様な行動⑩】愛子で狂った乗っ取り計画


五月のうたのお呼びかけ


みんなのうた のお呼びかけ

五月。皐月の「みんなのうた」詠草をどうぞ、とお呼びかけをいたします。

基本は五七五七七、三十一文字が定型の短歌。いささかの字足らず、字余りはそれはそれ。

この記事のコメント欄にお寄せください。裏コメントでなく、普通に表からおいで下さいね。

お望みの場合に、作品に手を入れさせてもらうことはあります。今回は今日14日から土日含まずの17日、金曜日の夜までです。

おうた専用のHNを用いられる節は、いつものお名前を教えて下さると、わかり易いです。これは裏からのコメントもけっこうかと。

お一人、幾度でも何首でも。

「抒情の泉は汲まねば涸れる」もったいない。ひとすくいから、いかがでしょう。




靖国参拝をされた皇族は彬子さま瑶子さまだけ  追記事


貼るだけ貼らせておいていただきます。


田母神俊雄 (@toshio_tamogami)
靖国会の事務局長を長年務めてくれていた沼山光洋君が今朝4時頃に靖国神社前の道路上で割腹自決を遂げた。
彼は日本国民の愛国心が足りなくて天皇陛下の靖国御親拝の環境が整わないことは天皇陛下に申し訳ないといつも言っていた。
彼は命を懸けて国民に警鐘を鳴らしてくれた。立派な侍だった。


田母神俊雄 (@toshio_tamogami)
沼山光洋君は細かい気配りをする男だった。
今回の自決も靖国神社の敷地内ではなく敷地外の道路上であったのは彼が靖国神社に迷惑をかけないようにと考えた行動であったと思う。
彼の英霊に対する熱い思いを受け継いでいかなければいけない。沼山君のご冥福をお祈りしたい。


http://yasukunikai.com/
11日午前2時40分ごろ、東京都千代田区の靖国神社付近の路上で、前のめりに座った状態の男性の腹部に包丁が刺さっているのを巡回していた警視庁機動隊員が発見した。男性は病院に搬送されたが死亡。
男性の近くには遺書とみられる文書が残されており、麹町署は自殺を図ったとみて、詳しい状況を調べている。
同署によると、男性は都内に住む50代の会社員で、保守系団体「靖国会」に所属。死因は失血死とみられ、遺書とみられる文書は判別が困難だという。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

沼山光洋氏の「ことば」

はじめに

 天皇陛下とは祈りであり民族の道である。祈りで民族を導いた有史以来もっとも高貴な存在である。日本には祈りの力がある。そしてその祈りの力「奇跡という必然」を我々日本人は実際に経験しているのである。それは平成十八年九月六日悠仁親王殿下の御降臨である。
 悠仁親王殿下御降臨以前は、男子のいない皇族方を心配し、女性・女系天皇論を唱えるいわゆる有識者と呼ばれる方々が蠢いていた。平成十八年初春、秋篠宮妃殿下御懐妊の報は我々日本人の心を湧きたて、男子の御降臨を願い祈った。多くの日本人が希望を持って祈ったのである。日本人の祈りは天に届き、奇跡という必然を招いた。女性・女系論者は消滅はしないが影を潜めた。日本人の祈り、まごころには奇跡という必然を招く力がある。

 平成二十九年一月十日平成は三十年で区切られてしまうと報道された。(その後平成三十一年四月三十日と決定)そのことの是非は問わないが、今上陛下の御言葉を拝した
小生は、大御心は靖國神社御親拝にある、このままでは、天変地異、自然災害、または戦争の災禍にみまわれてしまう恐れがある。何より天皇陛下にも二百四十六万六千余柱の忠霊にも申し訳が立たないと、全国五十二社の護國神社を昇殿参拝でご祈願申し上げることこそ、日本人としての正しい行いと信じ、平成二十九年四月二十二日靖國神社春季例大祭から、皆様のまごころをお預かりし、二十八日間で全国の護國神社を車に寝泊りし巡拝申し上げた。

 行動は言葉よりも雄弁である
平成二十八年八月八日異例の天皇陛下の玉音を賜った。その冒頭に「現憲法下での象徴としての立場」という御言葉を拝し、即位以来日本国内のみならず海外への行幸啓、慰霊への並々ならぬ御意思を拝見していた小生は、これは天皇陛下が日本人に対し、「象徴」「現憲法」に対しての疑問、畏れ多いことだが、残り時間内にどうしたら靖國神社へ行幸することが出来るのか、ということを投げかけられたように感じた。
 行動は言葉より雄弁である。平成十七年サイパンへ、平成二十七年パラオ共和国、平成二十八年フィリピン共和国への行幸啓は日本人を感動で包んだ。正に祈りによって民族を導く天皇陛下の御姿そのものである。そしてそれは万世一系のまごころ、大御心を天皇陛下という存在が民族に示す行動実践である。
 天皇陛下は権力者ではない! 
先帝陛下昭和天皇の靖國神社御親拝は、所謂戦前、戦後あわせて二十八回の御親拝を賜っている。昭和二十二年の現憲法施行後も八回の御親拝を賜る。それが何故昭和五十年十一月二十一日を最後に途絶えてしまっているのか。
 天皇陛下の御存在は権力者ではない、天皇陛下は憲法と法律に縛られ、御自身の御意思を貫くことは非常に難しい。宮内庁をはじめ関係省庁に管理されてしまっている。それでも、昭和五十年までは正しく天皇陛下の御心を忖度できる正しい日本人の側近が多くいた。
 昭和二十七年日本が主権を回復し経済復興を最優先した時代、占領中、公職追放によって復権した社会主義者たちが蠢き、国民の生活安定を優先する保守系政治家の隙を突き反国家主義者、所謂「天皇制反対」主義者を育てた。反国家主義者の最終的は「天皇制打倒」であり国家壊滅に他ならない。
 昭和四十年代には「靖國神社国家護持法案」を巡り国会では熾烈な攻防が繰り広げられ、「靖國神社国家護持法案」自体に重大な瑕疵があることなどから保守系からも反対意見が多数出たことで最終的に廃案に追い込まれた。同時期に経済成長を続ける日本とは裏腹に、世界ではベトナム戦争、支那文化大革命という有事も決して無関係ではない。
 昭和五十年代には、昭和五十年五月三日稲葉修法務大臣「自主憲法制定国民会議」出席での「私人」問題、八月十五日三木武夫首相の「一市民参拝」発言が公人の「公私」論議に発展し、畏れ多くも天皇陛下の「公私」に至った。それが昭和五十年十一月二十日第七十六回内閣委員会である。

 富田メモの真実 
 この十一月二十日とは、戦後三十年の節目に靖國神社御親拝を賜る十一月二十一日の前日である。
この御親拝前日という宮内庁をはじめ警備当局関係機関全てが慌しい前日に宮内庁から参考人として出席したのが、当時宮内庁次長の富田朝彦氏その人である。富田メモの富田朝彦氏である。富田朝彦氏とはいかなる人物であったか、大正九年生まれ東京帝国大学法学部、海軍主計大尉、戦後内務省、警察庁警備局長を経て昭和四十九年に宮内庁次長に就任した。人となりは分からずとも、経歴だけ見てもエリート中のエリートであることが分かる。更に後藤田正晴氏とも近い関係にあった。簡単に言うと
その後藤田正晴氏の上司が中曽根康弘氏であり、富田氏発の陛下のお言葉にはこの後藤田正晴氏、中曽根康弘氏を褒める言葉が非常に多い。贔屓の相撲取り好きなテレビ番組も公言なさらなかった昭和天皇がである。そしてその宮内庁次長就任一年足らずの富田朝彦氏を内閣委員会で吊るし上げたのが
野田  哲 社会党参議院議員 岡山県出身福山市役所自治労
秦   豊 社会党参議院議員 愛媛県出身NHKニュースキャスター
矢田部 理 社会党参議院議員 茨城県出身弁護士
の三人である。この社会党の三人が入れ替わり立ち代り優秀なエリートの富田朝彦氏を半ば屁理屈のような言葉で攻め立てた。はっきりと「天皇皇室」を否定し批判する輩の言葉は活字では伝わらない侮辱と挑発に満ちていたはずである。
その悪意に満ちた言葉の攻撃で、翌日に控えた天皇陛下の御親拝を憲法第七条国事行為の確認を持ち出し、お馴染みの憲法第二十条政教分離で御親拝の中止を要求したのである。
また、矢田部 理は執拗な詰めで内閣法制局長官 吉國一郎氏から
「第二十条第三項に直ちに違反するというところまでは徹底して考えることはできないと思います。ただ、第二十条第三項の重大な問題になるという考え方でございます。」という言葉を引き出した。また、総理府総務長官植木光教氏も公的私的の禅問答で苦しめられた。  
 
 この屈辱が宮内庁、富田朝彦氏のトラウマとなり昭和五十三年に宮内庁長官に昇進し昭和六十三年六月の退任から現在まで、宮内庁の暗黙の了解か明らかな申し送りかは分からないが、間違いなく踏襲され現在に至っている。
富田メモが書かれたとされる昭和六十三年四月二十八日、富田朝彦氏が退任を間近に、天長節を翌日に控え前年から御不例の先帝陛下から労いの御言葉を賜ったと推察される。富田朝彦氏本人はこのメモを公開するつもりなど毛頭無かったはずである。飽くまでも推測であるが、天皇陛下から労いの御言葉を賜り、戦後四十年の節目に天皇陛下の御心を知りながら御親拝を実現させなかった罪悪感や贖罪意識が、自己の正当性を裏付けるための葛藤となり所謂「戦犯」合祀を自己弁護のために「天皇陛下が戦犯合祀を不快」という意味合いのメモを書かせたのではないかと思う。または中曽根氏への批判をかわすために「合祀」を
持ち出した可能性もある。もしかしたら富田朝彦氏本人のメモ自体が存在しないものかも知れない。
「富田メモ」が出てきた平成十八年は小泉純一郎首相が在任最後に八月十五日に参拝すると公言していたその年七月二十日である。その「富田メモ」がどのように利用されたかは皆様ご存知のように小泉首相の参拝中止運動に利用された。昭和天皇がたった数人の自分の気に入らない昭和殉難者のために他の二百四十六万六千余柱を蔑ろにする薄情な国家元首であると「富田メモ」は言っているのである。その平和を愛される昭和天皇が否定した昭和殉難者が祀られる靖國神社へ小泉首相は参拝するのかと迫ったのである。
松平宮司は「忠」の人である。禁闕(きんけつ)守護の一念、海軍出身であったが、いざという時海の上にいたのでは皇居に駆けつけられないと陸上自衛隊に鞍替えしたと聞いている。
 外交問題に堕とされた靖國神社

 現在では、首相や閣僚の参拝に支那中共と韓国の圧力云々が春秋の例大祭、八月十五日で報道されるが、これらは昭和六十年の中曽根康弘氏から出てきた話で、御親拝中断とは別の問題である、新たに出てきた作った問題である。それを天皇陛下の御親拝が途絶えた理由が国内の政治問題であることを公にしたくない勢力が、これ幸いにと利用しているのである。または、自分達の怠慢を誤魔化すために、反日報道機関を利用して支那中共などを動かしたのかも知れない。全て行ったのは、富田朝彦氏を攻め立てた社会党勢力ではない、所謂保守陣営である。この保守陣営が「東京裁判史観」に魂を売った昭和四十年、五十年代前後には、よど号事件、浅間山荘事件、ダッカ事件、北朝鮮による日本人拉致、教育現場では中学校での校内暴力が発生したのも昭和五十年代である。ちなみに昭和五十年七月十七日には皇太子殿下を襲撃した「ひめゆりの塔事件」があった。経済発展を至の目的とし、日本人がエコノミックアニマルと世界から
嘲笑されたのもこの時期である。
 皇族方の参拝 
 小生は今まで間違っていた。首相の靖國神社参拝が天皇陛下の露払いとなり御親拝への道だと勘違いしていた。総理大臣とは所詮選挙で当選し、政党内での駆け引きで出来上がる俗物である。そんなものの参拝を忠霊の皆様は待ってはいない。忠霊がち望まれているのは、大元帥であられる天皇陛下ただ御一人であり、戦友、ご遺族である。忠霊の皆様は、大元帥であられる天皇陛下の御親拝を賜る靖國神社に祀られる、その栄誉と誇りが日清、日露戦争と我が国を護り、大東亜戦争では白人至上主義と戦い、負けはしても國體を護持せしめた。

小生自身が良く口にする台詞であるが「それでも春秋例大祭には勅使の参向をいただいている。勅使は天皇陛下そのものである」と、しかしこの台詞は負け惜しみである。参道で誰も勅使に対し「天皇陛下万歳」を唱えることは出来ない。そしてこの途絶えことの無い勅使の参向、皇族方の参拝こそが大御心なのである。
春秋例大祭での勅使の参向、皇族方の参拝は慣例や儀礼ではない。大御心の下、途切れることなく継続されている。天皇陛下の靖國神社への想いは平成十六年南部利昭第九代宮司就任にも充分示された。学習院の後輩で霞会の一員である南部家四十五代当主南部利昭氏は所謂「賊軍」である。宮司就任要請には逡巡があったそうで、就任を辞退するつもりだったらしい。しかし、天皇陛下からの「靖國神社を頼みますよ」の一言で宮司就任を決意なさったそうである。南部利昭宮司就任後の活躍は、靖國神社に変わる「国立追悼施設案」所謂「A級戦犯分祀」に強く反発され、平成二十一年一月七日昭和天皇祭を奉仕奉った後、宮司室で心臓麻痺を起こしお亡くなりにならなければ、南部利昭宮司は今上陛下の御親拝を奉仕奉ったのではないかと思うと非常に残念である。
 余談ではあるが、南部利昭宮司は春秋例大祭で三笠宮寬仁親王殿下を到着殿で奉迎申し上げる際に到着
殿前で「寬仁親王殿下万歳」と奉迎申し上げる人々の姿に寬仁親王殿下が非常にお喜びいただき、そのお姿に南部利昭宮司は涙を流して喜んでくださった。その「寬仁親王殿下万歳」を唱えていたのが私たち靖國會の有志である。この逸話は南部利昭宮司を偲ぶ会で披露された話である。また、平成二十四年寬仁親王殿下薨去の際には、霊柩車が病院から赤坂御用地へ戻る途中靖國神社中通正中にしばらく停止した。
 印象操作と捏造 
 御世代わりまで残り六ヶ月、万が一平成の御世に御親拝なき場合、東京裁判史観に毒された勢力は、所謂「A級戦犯」批判を「富田メモ」を後ろ盾に改めて始める。今現在でも、「富田メモ」にある白鳥、松岡と二名の苗字は言わず、「A級戦犯」合祀に天皇陛下が「不快感」を示し、御親拝が途絶えた。と敢えて「A級戦犯」を強調する。すると自然に所謂「A級戦犯」とは東條英機大将をはじめ軍人が思い浮かんでしまう。明確な印象操作とさりげない捏造である。こうして大東亜戦争は所謂「A級戦犯」と軍部の暴走
が引き起こした世界に謝罪しなければならない大犯罪へと昇格する。一般庶民は、それほど事細かに検証はしない。日本では、報道機関への信頼度は異常に高い。新聞の見出しで繰り返し「A級戦犯」と活字が躍れば、今現在でも所謂「A級戦犯」は存在してしまう。事実関係は無視し、大気圧のように国民に贖罪意識、罪悪感を植え付ける。そして同時に所謂「A級戦犯」に「不快感」を持った昭和天皇、そしてその意思を踏襲あそばされた今上陛下を平和の象徴とし、靖國神社を根底から否定する。また、忠霊を崇敬す
る日本人には「たった数人の「戦犯」の存在が不快であるから天皇陛下万歳と散華された二百四十六万六千余柱の忠霊を無視する」と天皇陛下を貶め、正しい日本人との間に溝を作る。

 今を生かされる日本人の責任と義務

 明治維新から百五十年靖國神社御創立百四十九年は正に近代日本が国際社会の中で歩んできた歴史である。人種、宗教、言語の違う民族が発展を目指し覇権を争い衝突を繰り返したのは必然である。そしてこの必然は決して絶えることの無い人類の歴史である。国防に携わる責任ある高官が「日本は良い国だった」と、民間に論文を発表し罷免されるような政治体制で、誰が命を賭けて国を護るのか。たまたま七十三年間戦渦に巻き込まれずいただけである。望まぬ災いは必ずやってくる。
 昨年、平成二十九年の流行語大賞は「忖度」であった。今、正に私たち日本人が本当に忖度しなければならないのは、天皇陛下のまごころ、大御心である。繰り返しになるが、天皇陛下は権力者では決して無い。現憲法と法律に縛られ畏れ多いことだが実に御不便な思いをなさっているに違いない。天皇陛下がいかに御望みになられていても御自身の御希望通りに自由に行幸することなど出来ないのである。
 天皇陛下は靖國神社御親拝を御望みになられている。二百四十六万六千余柱の忠霊は待ち望まれている。御親拝実現は、忠霊の恩恵を最も受け今を生かされている日本人の、過去と未来の日本人に対しての責任と義務である。

靖國會 靖國忠霊祭 事務局長 沼山光洋

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5月1日にも「自殺と思われる」という方の死がありましたね。

武蔵陵墓地付近で発見された遺体を調べる警察官=2019年5月1日午前11時、東京都八王子市長房町、朝日新聞社ヘリから、飯塚悟撮影

 1日午前7時20分ごろ、昭和天皇の武蔵野陵(むさしののみささぎ)がある武蔵陵墓地(東京都八王子市)で「人が倒れている」と警視庁高尾署に連絡があった。署によると、巡回中の宮内庁職員が、造成中の立ち入り禁止区域内で血を流して倒れている男性の遺体を発見した。男性は30~50歳くらいとみられ、左胸に矢のようなものが刺さっていた。白っぽいシャツに雨がっぱのようなズボン姿だった

 捜査関係者によると、近くで遺書のようなものが見つかり、ボーガンが落ちていたという。署は身元確認を進めるとともに現場の状況などから自殺の可能性があるとみて調べている。

お二方の「遺言」、どうされるのでしょう。


私事です。



夕方、洗濯物を取り込んで、テレビの前のソファに座って。テレビがついていたのです。女性が二人、画面の中で何やらダンスのごとき動きをしている。

あれ、〇〇だわ。その一人が、自分の娘であることに気づきました。

「阪神何やら」というローカル局の番組で、取材を受けながら、自分のスタジオでポールダンスの基礎を教えているようでした。

明るい顔で笑っていました。

連休の終わりに、娘夫婦と夫と私と、久しぶりに一緒にしゃぶしゃぶ食べていたのです。娘はきゃらきゃら笑いながらがっつり食べていた。けっこう近くにいながら、めったに会わないのですが。その時は、阪神・阪急電車の中吊りに、いま、ワタシがたくさん出ているよ、と言っていた。めったに電車に乗ることもなく、その写真にはまだ、お目にかかっておりません。見たくはあります。

元気で励んでいるようで、嬉しかったです。


[ポールダンスを通じて「女性の自己肯定感」を取り戻す。柚月恵氏|幸せに生きるためのおカネと働き方のリアル]

色の濃くなった海に


今日は実は、のったりと過ごせた日でした。

ブログを読みに来て下さる方々のところを訪問させていただいて。

咲き充ちる綺麗な春の花々や。みちのくの旅の話や(おいしいモノ話ももちろん)、噛みつきたくなるほど可愛いワンコや、行くことも無いだろうがいいなあ、と、ヨオロッパの街並みやサンクトペトルブルグ(あってるかなあ?)の街並みや、いろいろ見せてもらって、はあああ、って息を深く吐いて。

好きなうたをたくさん聞いて、いいなあ、と。

お昼は、大好きな、ドシっとした鯖ずしを食べました。おそばも少し。夫のおかあさんは、退院して、リハビリ用のところへ移られました。

本当に色の濃くなった海に、今日も、ヨットが沢山、でした。

「さようならの紅いバラ」という歌が、とても好きです。ペドロ&カプリシャスの、初めのボーカル、前野曜子の歌。

         ペドロ&カプリシャス【前野曜子】youtube



あの笑い、お願いまたこたま


「ティアラのことは放っておきなさい、黙っていなさい、あなたに関係ないことでしょうが。」

とか書いて来られるのですが。関係なくはないですよ、皇室のあのティアラは、国民の一人である私(とか書くとエラそー風になって恥ずかしいのですが)に、無関係なものではありません。

今夜は時間がありませんので、短く書かせてもらおうじゃないか。

今回表に現れて来た、皇后の第一ティアラ、皇太子妃の第一ティアラ。これで、済んだ、黙れとでもお言いか。

youtube [ Japanese Imperial Tiaras]

皇后の他のティアラ、前・皇后が宮妃からペチったティアラ、それはここでおきます。なぜ「ペチった」と書くかと言うと、その宮妃は、ミチコさんに譲るとも何とも、言い残しておられないから。紀子さまに、と仰っていたティアラ。まあ、おいておきます。

短く書きます。

1999年に皇太子ナルヒト氏とツマ雅子さんは、ベルギーのフィリップ殿下の結婚式に出向いた。雅子さんはその時、イギリス王室の色であるロイヤルブルーの衣装で出た。妊娠初期であることを告げないで出かけ、当地でハイヒールをはいて歩き回り、しこたまワインを楽しみ、由緒あるレストランで、皿の料理を対面にいる皇太子と交換して食べ、その店の、VIPの客の名を記すプレートに、「皇太子妃」と記されなかった。そんなことはいいとして、帰国してほどなく、第一子を流産した。ベルギーのご夫妻は、そのことに胸を痛められて、お子さまを持たれることを先延ばしにされた。

そのフィリップ殿下が、2016年、ベルギー国王として、マティルダ妃と共に来日された。国賓でいらしたので、宮中晩さん会が催された。

その晩餐会に、まさこさんが頭にのっけて現れたのが、レプリカあるいはブリキのティアラ、いわゆるイミテーション・ティアラ。だったと、固く固く信じられている。まったく別物だから。

ちっとも煌めかないティアラを、自分で結いあげたのか(そういうことがあの方には頻繁)皆が「ハミ毛」と、モジモジと呼称した、小さな髪の束が突っ立ったりしているアタマの上に、お載せになって、出席されたのでした。

国王と共に来日された、まだお若い、国の何かの重要な係のヒト、みたいな男性の隣に座った雅子さんは、輝かないティアラも「ハミ毛」も恥ずかしくないのか、わは、と口開けて笑ったり、キンパツだわ~みたいに見上げておられましたのでした。なのに乾杯の時はなのに間違えて、あさって向いていたし。


動画が残っています。しっかり残っている。つまり日本の皇太子妃は、正式な晩餐会の席に、マガイモノの宝冠(と、揃いのマガイモノの首飾り)をつけて、ご出席。


これ、言うほどの事ではない、騒ぐようなことではない、のですか。皆さま、気づかぬふりを通しておられました。

まさこさんは、フィリップ国王が気になって、シナ作ってニタニタ笑ったり、隣席の国王を、吸い付きそうな眼をして見上げていた。この王様、その昔、ベルギー人のアダモという歌手が歌っていた「いとしのパオラ」なる美貌の王妃の血を引いておられる。雅子さんってば、ガイジン好き、だから~。私いま、下品でしたね、仕方ない認めます。まことアラレナイ雅子さんですもの。あの方、そして、スペインののっぽの国王様も、お気に入り。

東日本大震災のあと、新婚旅行の代わりにと来て下さり、おおぜいの僧侶を伴っておいで下さり、深い熱い祈りを捧げて下さったブータンの国王様には、挨拶にも出て来なかった。温かそうなすてきな王様なのですが、まさこさんのお気に、ではないみたいでした。

それもこれも、みな、スルー。衣装被りもスルー、ガッテンシーと笑われた無様なカティシーをやってのけられたのも、このご夫妻相手でした。オランダ国王ご夫妻にもやらかしてたけど。

国王ご夫妻には四人のお子さまがおられ、中のお一人は、発達障害であると、早々と伝えておられました。その王子さまを、ごきょうだいで大切にしておられ、国王みずからが、いわゆる養護学校への通学に付き添っておられる写真も。

ティアラだけではない、王妃の手にすがって引っ張りあげられたガッテンシーなど軽いもの、日本のこの夫婦の、一人娘さんに対しての人でなしな扱い、すべてご存知でしょう。

知られるのはイヤだな~など思って来ましたが。なに。とっくに、あの方の基地外は知れ渡っている。日本人よりよく、おそらく、ご存知でしょう。何の因果か、わが国はあのごとき夫婦を、陛下と呼ばされるようになったらしいが、私は呼びません。呼んでさしあげる義理も義務も無い。

戯作者くおん、と名乗る瘋癲ばあちゃんが、いっとき、ここ借りて書き散らしていたように。

隠され庇われ薬漬けの状態で外に出て来ている、あのお方が。いつ、多くの人々の前で、あの大笑いを披露して下さるか。

・・ティアラの件は、どうなのか、私にはわかりません。私ごときにどうなるものか。でも、また、書くと思います。

ティアラの件にはショボい私ですが、でもでも、今上夫人(またこたまのこと)の、あの、馬鹿笑いと以外に呼びようの無い異様な笑いを、待つくらいは、できるな。納税者へのサービス、あれでキマるわ、お願いしますよ、またこたま。

唯一の期待はそれだわ。

みやび のにほひ あらなくて



今朝、久しぶりに自分以外だれもいない朝。テレビの前で大津の幼いお子たちの事故の映像に、涙を流していました。

その後、昨日の雅丼のドッスン映像を見ました。私は前記事のタイトルに「正装と略装」と書きました。昨日のあの衣装は、平成の時代の高円宮家の女王さんの結婚式の折りの衣装に並ぶ、準・礼装なのだそうでした。テレビによれば、十二単はあれに、足してゆく衣裳なのだそうです。長い裳を引くとか。テレビでは,美智子様の時もこうだった、とか一度ならず言うてました。

わたし間違えたか、お詫びと訂正しなければ、か、と、いささかヒヤリとしました。エラそうに書く以上、アカン時は認めないとね。

で、思い直しました。美智子さんが完全に「是」「正」だったとは限らない、と。伝統は人を苦しめる、と仰った方ですし。それはある面、わからなくはないです。でも、フツーではない伝統の家に入ってね。
カツラを女性皇族に取り入れたのはあの方。紀子さまも,ですから、ご結婚の際と、前・天皇の即位の時と、おつむりの「おすべらかし」の様態が異なっています。カツラでない方が、比較させていただくとすれば、自然で美しかったです。

で。

お詫びも訂正も無しでいい、ということで・・。かつ。

雅丼コウゴウが場所入りされたのが、儀式の始まる一時間前だったと。以前も、古式ゆかしい衣装であれこれされたと報じられて画像映像一切無く、ということがありましたが、真面目なはなし、準備の時間が一時間ではあまりに無理と思われる。

雅丼さん大苦手、大苦行の「潔斎」=特別な身の清め方=をしてもらって、以下。テレビニュースが教えてくれた。


この装束は襟元部分と袖口だけが5枚ほど重なっているだけで、何枚も重ね着はしていない。。そして前を合わせていないようでもある。

そんな態の装束でも、あのおからだに着せ付けて行くにはそれなりの工夫や、妥協や、周囲のご苦労がおありだったであろう。しかも時間に追われながら。雅。ミヤビ、のにほひの一切感じられない・・とか言うのは、要らんことですね。

わたし、着物、それもカジュアルでない和服については、ほとんど無知。なので、記事にする前に、一応、そちら方面に詳しい方に尋ねてみたのでした。あれ、オーケー?って。

最後、彼女も笑っていました、終わりは近いわね、とか。え。何のことかしら。?


正装と略装で。10日、追記しました。


2019年5月8日 13時20分
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190508/k10011908571000.html

天皇は、天皇のみの装束。黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)という束帯。
820年に嵯峨天皇により、天皇の着用する服は黄櫨染と定められ、天皇しか使うことのできない禁色(きんじき)となったようです。
その姿で、ゆったりしておられました。

ナルさんは、今にして浜尾氏に感謝しなければ。とにもかくにも、皇太子としての身の処し方を、徹底的に叩き込んで下さったのですから。アタマのなかのことは別。きちんと歩けます。指もお揃いです。足元もブーツでなくて歩きやすいのでしょう。ただ、あのご一族は、公的な場に出る時の髪の具合が、よろしくないです。

まさこさんは、あれで、よくできました、花マル💮を、つけてもらえるのですかね。出て来ただけで、おえらいし、ご立派なのでした、そうでした。

「五衣に小袿」とかいう、略装なのだそうです。テレビでしきりに「十二単のようなモノ」と聞こえていたのは、コレだったのか。

天皇は(とりあえずはそれなり))正装。天皇としての装束。
その妻は、略装に、非常にデキの悪い「おすべらかし風の雑なカツラ」。もみあげ部分が浮いておられました、檜扇にすがりつくような前かがみで。そういえばヤフオクにも雅子さんに渡ったが、という伝統の檜扇、出されていましたなあ。

[皇后雅子さま宮中三殿全てご参拝17年ぶり]youtube

正装と、略装。

それで三殿に即位と大嘗祭の報告拝礼。さすが「てんてるだいじん」の妃を擁するテンノウ夫妻。皇室の祭祀とは、決まりごとの世界ではないのか。

天照大神も皇祖神も、もちろん何も仰せではない。舐めたらいかんぜよ、とは、啖呵切られない。

この先も、こんな風に行くのかしら。

追記です。読者さんに教えていただきました。

「いわゆる正装(裳唐衣…お雛様の衣装)は、重儀(即位礼当日賢所の儀など、大嘗祭(即位後初めての新嘗祭)、ご結婚式)のみに着用するのだそうです。一生に数回でしょうか。
それ以外は略装(小袿長袴…三人官女のような衣装)だそうです。
髪型も正装と略装で微妙に異なる、と。実際にはもっと細かく決まり事があるようです。
高円宮家の女王がたは、降嫁ということで略装で賢所に参拝されていたように思います。
雅子さんの衣装が本物かニセモノか私には判別は付きませんが、体裁は間違っていないのかなと思いました。」

ありがとうございました。深く理解しないで記事を書いたこと、恥ずかしく思います。お許しください。


上の方では繋がっている


ごく簡単に、日本の「四代公害病」について記します。

・水俣病
水俣病は、1953年~1960年にかけて、熊本県の水俣湾で発生しました。水俣湾の魚介類が工業廃水に含まれていた「メチル水銀」を蓄積し、その魚介類を食べた人が手足・口などのしびれを訴え、死亡する人まで出ました。平成28年3月末までの被認定者数は、2,000人を超えています。

・第二(新潟)水俣病
第二(新潟)水俣病は、1964年頃から、新潟県の阿賀野川流域で発生しました。水俣病と同様、水銀が原因です。平成28年3月末までの被認定者数は、705人です。

・四日市ぜんそく
三重県四日市市を中心に、1960年頃から発生。石油化学工場から排出される「亜硫酸ガス」による大気汚染が原因です。大気汚染による被害は、四日市以外でも、神奈川県や東京都、千葉県などでも発生しました。四日市ぜんそく以外の大気汚染による被害者数も合わせると、平成27年12月現在、3万5294人にのぼります。

・イタイイタイ病
イタイイタイ病は、1955年、奇病として学会に報告されました。富山県神通川流域で発生し、原因は、鉱山の排水に含まれる、カドミウムです。平成28年3月現在の被認定患者数は200人で、イタイイタイ病に発展する恐れがある「要観察者」は3人です。


新テンノー誕生で、人(の一部は)めでたいと寿いでいる時期に(時期だからこそ、とか言ってみたい)新・コウゴウの背景に触れていました。

雅子さん入内の話が起こった時、昭和天皇は国民の総意が得られない、と仰せになり反対された。後藤田官房長官は、これが通れば皇居前に「ムシロ旗が立つ」と、明言された。

こう↑ 書いた時に、ではナルちゃんのご両親はご存じなかったかしら?と、イヤミかましたわたくしでした。

前・皇后美智子さんには、妹さんが二人おられた。そのうちの恵美子さん。正田恵美子さん。

「元 昭和電工専務」と書かれてあることもあります。この方は

日本体育教育会会長の安西孝之(昭和エンジニアリングの社長)に嫁いでおられます。

この安西家は新潟県の阿賀野川で第二水俣病を引き起こした第二水俣病加害企業である昭和電工の経営の一族です。

つまり美智子さんは、長男の妻(であるというより皇太子の妃)が水俣病関連。実家の妹さんが、第二水俣病を引き起こした企業に嫁いでいる。

という、言い方がいいかどうか、非常に「濃い」お方のような気がします。安西家とのつながりは、当時はとても「いい縁談」だったのでしょうね。来るオヨメサンのお姉さんは皇太子妃。正田家の闇はまだ明かされていない時期。縁組、上の方では繋がっていることが多いですね。今では内親王さんのケッコンも、なかなか。

いま、あのKとどうなっても、後はなかなか難しいと思う。是とか非とか言う前に、イヤ、でしょう。まあ「是」は無いのですが。

ここでついでのように書きます、平成の天皇夫婦が、過ぎにし年に水俣を訪れ、青い海の傍らに立つ慰霊碑に花を捧げ、礼をされた。その地の方々と親しく笑顔を交わし、懇談の時も持たれた。

お帰りになる少し前、美智子さんは、見送りの人垣の中に、見つけた。

「苦界浄土」の作者であり、水俣にこだわり続ける作家、石牟礼道子さんが、車いすに乗って皇后を見送る姿を。

よほどお急ぎだったのか、「あら」という表情を作られ、またね、とかいう感じに見て、コウゴウ陛下はそのまま歩き去った。あの方「文化人大好物」の方なのにね。

石牟礼さんは声も出されなかった。もちろん美智子さんとの「また」の機会は無かった。

石牟礼道子さん亡くなられて、何やらの「偲ぶ会」のごときものに、美智子さん行っておられたな。いかにも名残惜しそうな風情で。そういった場で、ぶしつけに、何やら言いかけるような人はいませんしね。

みんな、何やかや言っても、有名なヒトおえらいヒトが大好きなんだし。

KUONの、何だかイジケ、ヒネクレてるみたいに、世情を横目で眺めていた半月ほど。もう終わりにしたい。しよう。





退位はいつかな待ちぼうけ

<生まれたときから 気ちがいでございました>

             (石牟礼道子「苦界浄土」第二部「神々の村」246-247ページ)

胎児性水俣病のお子さんのお母さんのお言葉です。

今年の報にもありました。水俣の方々は、新天皇ご夫妻、ぜひ当地にもお揃いでお出かけいただきたいと、やわらかく望んでおられると。

平成22年に閣議決定されたこと。

療養費
関係県は、一時金等対象者に水俣病被害者手帳を交付します。水俣病被害者手帳の交付を受けた方が、通常起こり得る程度を超えるメチル水銀のばく露を受けたことによって発症すると考えられる症状(以下、「特定症状」といいます。)に関連して、社会保険各法の規定による療養を受けたときは、社会保険の医療費の自己負担分を支給します。
また、関係県は、水俣病被害者手帳の交付を受けた方が特定症状の軽減を図るために、はり師又はきゅう師から、はり又はきゅうの施術を受けたときや、温泉療養を行ったときは、

月7,500円を上限として、要した費用を支給します。

③ 療養手当
関係県は、一時金等対象者が特定症状に関連して社会保険各法の規定による療養を受けたときは、療養手当として次の金額を支給します。

入院による療養を受けた方 1月につき1万7,700円

通院による療養を受けた日数が1日以上の70歳以上の方

1月につき1万5,900円

通院による療養を受けた日数が1日以上の70歳未満の方

1月につき1万2,900円。今から9年前に決定されたことです。ケタの間違いは無し。


新しいテンノーは、語学も堪能で(略)、ほか、言うまでも無く「水」のなんだかエラいお方、のようです。

私はしつこいタチ、同時に,行くとこまで行けば自分から切り離すことも出来るタチでもあって、一個人としてはラク。

大本営発表をつるんと信じて「万歳」できるほど素直な日本人でなくて、ここ数日は「ワタシってもしやヒコクミン?」 の疎外感を実感することもできて、なかなかの連休でした。

以下、もう一度、と思ったことを、部分的に。基本的には石牟礼道子の著作「「苦界浄土】より。

テンノーが口から出す「おことば」。水俣の住人が口から絞り出した声も「ことば」。



:「銭は1銭もいらん。そのかわり、会社のえらか衆の、上から順々に、水銀母液ば飲んでもらおう。上から順々に、42人死んでもらう。奥さんがたにも飲んでもらう。胎児性の生まれるように。そのあと順々に69人、水俣病になってもらう。あと100人ぐらい潜在患者になってもらう。それでよか(注)」

:「う、うち、は、く、口が、良う、も、もとら、ん。案じ、加え、て聴いて、はいよ。う、海の上、は、ほ、ほん、に、よかった。」                       
「嫁に来て三年もたたんうちに、こげん奇病になってしもた。…(ほ、ほん、に、じ、じい、ちゃん、しよの、な、か、おおな、ご、に、なった、な、あ。)うちは、もういっぺん、元の体になろうごたるばい。親さまに、働いて食えといただいた体じゃもね。」

「うちは情けなか。箸も握れん、茶碗もかかえられん、口もがくがく震えのくる。付添いさんが食べさしてくらすが、そりゃ大ごとばい・・・ 」

阿部公彦氏のブログから一部、引用させていただく。

たとえば「舟を焼く仕事」。舟を焼くというのは、漁師が舟の底にくっつく牡蠣殻や、藤壺の虫をとりのけるためにすることである。陸にひきあげた船体を斜めに倒し、舟底に薪をくべ、舟火事にならぬようにこれらを焼き落とす。なかなか面倒な作業である。

その手間をはぶくために、わざわざ百間の港まで、持ち舟を連れて来て、置き放すというのだった。きれいさっぱり、虫や、牡蠣殻が落ちるというのだ。百間の港の「会社」の排水口の水門近くにつなぎ放してさえおけば、いつも舟の底は、軽々となっている、というのであった。

そのうちに漁獲高が目に見えて減ってくる。水に魚が浮くようになる。それから猫がやられた。「猫が舞って死ぬ」との噂が流れる。「舞う」のは、神経の異常のためである。次は人間だった。海沿いの部落で病人が出始め、工場が排水口の向きをかえると、こんどはそちら側で病人が多発する。

はじめて病人が出た頃、この原因不明の奇病は伝染病と誤解されがちであった。当然、余計な恐怖心を持つ者もいた。

この頃、看護婦さんが、手が先生しびれます、といいだした。看護部さんたちが大勢で来て、先生うつりませんかという。よく消毒して、隔離病院にうつすようにするというと、うつらない証明をしてくれという。このとき手がしびれるといった湯堂部落出[水俣病の多発地帯のひとつ]の看護婦さんは、あとになって胎児性[水俣病]の子どもを産むことになった。まさかそこまではそのとき思いおよばなかった。

水俣病は伝染病ではない。しかし、この病気の出発点は、まさに「手が先生しびれます」という感覚なのだ。現在絶版だが、吉田司『下下戦記』(白水社)には次のような一節がある。

ところが今度ぁ、あたしが身体中痺れっきたったい。手とか指とか、足ン痺れひどうなって、なんじゃ手袋はめて物ば触っとる気色で、富子と清治に飯食する匙ばポロポロ落とすわけたい。茶碗まで落として割ってしまうわけたい。『あれーッ、こりゃいかん。まさか富子ン病気が伝染ったわけじゃなかろうねえ』もう居ても立っても居られんわけ。夜中他ン患者が寝てしもうてから、こっそり病院の炊事場さ行ったったい。なんとかこン痺れ取ってやれッち思て、指先ばゴシゴシ軽石でこすってみた。ゴシゴシゴシゴシ、取れんとたい、痺れが。今度ぁコンクリートの壁にこすりつけて、ゴシゴシゴシゴシ。

水俣病は何よりも「わからない病気」だった。何であれ、わからないということ自体、人間にとっては不気味なのである。コンクリートに指をこすりつけてでも取り去りたい、得体の知れない痺れは、原初的な恐怖を呼び起こした。

著者石牟礼はとにかく水俣病のすべてを見ようとしてきた。東京から視察に訪れたチッソ社長の車をタクシーで追うこともあれば、大学病院に頼んで患者の解剖に立ち会うこともあった。この本の力づくの文体には、力づくの視線が感じられる。

彼女のすんなりとしている両肢は少しひらきぎみに、その番い目ははらりと白いガーゼでおおわれているのである。にぎるともなく指をかろく握って、彼女は底しれぬ放意を、その執刀医たちにゆだねていた。内臓をとりだしてゆく腹腔の洞にいつの間にか沁み出すようにひっそりと血がたまり、白い上衣を着た執刀医のひとりはときどきそれを、とっ手のついた小さな白いコップでしずかにすくい出すのだった。



わたしKUONは、今までに数度、この本について書いた。知って欲しいことがあります、と、叫び出すみたいに、書いた。

発症前、元気だった娘を思い、

:「木にも草にも、魂はあるとうちは思うとに。魚にもめずにも魂はあると思うとに。うちげのゆりにはそれがなかとはどういうことな」

山本富士夫・十三歳、胎児性水俣病。生まれてこの方、一語も発せず、一語もききわけぬ十三歳なのだ。両方の手の親指を同時に口に含み、絶えまなくおしゃぶりし、のこりの指と掌を、ひらひら、ひらひら、魚のひれのように動かすだけが、この少年の、すべての生存表現である。

中村千鶴・十三歳、胎児性水俣病。炎のような怜悧さに生まれつきながら、水俣病によって、人間の属性を、言葉を発する機能も身動きする機能も、全部溶かし去られ(略)。


〇チッソの補償(見舞金)を受けると、生活保護が受けられなくなった。

:「水俣病がそのようにまで羨ましかかいなぁあんたたちは。今すぐ替わってよ。すぐなるるばい、会社の廃液で。百トンあるちゅうよ、茶ワンで呑みやんすぐならるるよ。汲んできてやろか、会社から。替わってよ、すぐ。うちはそげんいうぞ。なれなれみんな、水俣病に」

:「あんたも水俣病を病んどるかな? どのくらい病んどるな? こげんきつか病気はなかばい。まぁだ他に、世界でいちばん重か病気の他にあると思うかな。その病(びょう)、病(や)んでおらぬなら、水俣病ばいうまいぞ」
                            
:わたしゃ、恥も業もいっちょもなかぞ。よかですか、川村さん。
おらぁな、会社ゆきとは違うとぞ。自分家(げ)で使うとる会社ゆきと同じような人間が、もの言いよると思うなぞ。
千円で働けといえば千円で、二千円で働けといえば二千円で働く人間とはわけがちがうぞ。人に使われとる人間とちがうとぞ、漁師は。

:おる家(げ)の海、おる家の田畠に水銀たれ流しておいて、誠意をつくしますちゅう言葉だけで足ると思うか。言葉だけで。いうな! 言葉だけば!
                        
:「病んでみろ、病みきれんぞこの病(びょう)は。一生かかっても、二生かかっても」
                          
:川本 よし、わかった。そんなら…… 
 あば、もう、あなたは会社の社長ばやめて、十日、いや一週間なり、一ヶ月なり、その、患者の苦しみば、いっしょに味おうてもろうて、ああた方ぜんぶ、患者の家に一ヶ月なり来てもらいまっしょ

:川本 社長……わからんじゃろう、……俺が鬼か……なんいいよるかわかるか、……親父は母屋にひとり寝えとった……おら、小屋から行って、朝昼晩、めしゃあ食(か)せた。買うて食う米もなかった。なんもかんも持っとるもんな、背広でもなんでも、ぜんぶ、質に入れた。そげな暮しが、わかるか、明日食う米もなかこつも、何べんもあった。着て寝る蒲団もなかったよ。敷布団もなく寒さに凍えて泣いとったぞ、そんな暮しがわかるか。
 親父の舟も売ってしもうたぞ、
 うちん親父は、六十九で死んだ。六十九で……。精神病院の保護室で死んだぞ保護室で。水俣病で……。格子戸の、牢屋んごたる部屋で、死んだぞ。精神病院ば……見たこつがあるか、行ったことがあるかおまや。保護室の格子戸のごたるところで、……おまやしあわせぞ……誰もみとらんところで、ひとりで死んだぞ、おやじは。こげんこたぁおら、今まで……誰にもいまんじゃったぞ。
 そげんした苦しみがわかるか……。

*水俣病患者 資料映像≪Minamata disease≫ (poisoning caused by industrial mercury pollution)

*MINAMATA: The Victims and Their World

*Tsuchimoto - Minamata Disease 3

上記YOUTUBE、なかなか探しにくい状況のようですが。。今では。

                          
当時も。

近いあたりに住んでいる人々が、チッソに勤めてチッソから収入を得ている人々と、チッソを「敵」と戦う人々と、分かれて。

そういう問題は、現在も、福島の原発事故の後のことを多少、見知っても、軽々にものの言えないことであると、感じてしまう、わたしKUONは意気地なしの、どっちつかずのコウモリ人間だと、常に、そんな気はある。

でも。何度も書いてしまうのは。

チッソの社長であった江頭豊が、皇太子妃・雅子妃殿下の母方の祖父であること。(このたびコウゴウとなられた)。

会社の社長であれば、会社の利益のために、が、最優先の思考になることは、責められないことなのかもしれないが…少なくとも、その程度の前提を置いて語りたいが・・・

江頭豊は、やくざを使ってデモ隊を鎮圧させようとした、多くのけが人を生んだ、水俣についてカメラを武器に、この企業犯罪を世界に発信しようとした(今はあえて、このように言い切ることにする)写真家の、ユージン・スミス氏をも襲わせて大けがをさせ、片目を失明させ、いずれの早死にを呼び寄せた、などということもした。

それ以前に、患者たちに対して、

「貧乏人が腐った魚を食べて病気になった」(それをチッソのせいにする)

「金はやるから文句を言うな」


と暴言を吐いている。

大阪の厚生年金会館で開催されたチッソの株主総会、一株株主になった患者たちの訴えの声が大きく大荒れになったその場では、両手に位牌を握りしめた患が、江頭に詰め寄った、叫び声が轟いた。

江頭個人の罪、ではないのかも知れない。

しかし。

江頭豊は、結局、チッソと言う会社の、終生の名誉会長の座にあった。

余生をどう過ごしたか。

一人娘である「優美子」の夫となった小和田恒とは、仲のいい・・話の合う関係を保ち、後ろ盾の無かった娘婿を擁して、ある時期に大きな家を建てて同じ敷地内に暮らした。

初孫である雅子に入内の話が出て、昭和天皇は、その縁談に反対された。

世界最大ともいわれる公害病の原因会社、世界に知られた企業犯罪の責任者であった男の孫娘と皇孫の結婚は、国民の総意にそむくであろうと。当時の後藤田長官は、この話が成れば、皇居の前にむしろ旗が林立すると発言した。

しかし、昭和帝の崩御の後に、皇太子の強い希望(という物語が、長い間、信じられてきた)によって、まずアメリカのメディアがすっぱ抜くと言うやり方でもって、皇太子妃は小和田雅子、と、決定した(ことになってしまった)。

雅子嬢は、お妃教育を半ばで放棄した。ブライダルチェックを拒否した。家系調査には妨害が入って実行されなかった、嬢の結婚前の芳しくない写真は秘匿された、付き合いのあった男性の、二人までが不審の死を遂げている。それでもとにかく、強引に皇太子は遅めの結婚を果たした。

結婚の儀にも披露の宴にも、江頭豊と妻は出席している。

晩年を迎えた江頭は、おとなしい孫娘の夫(皇太子)に迎えられ、たびたび御所を訪問し、そればかりでなく、莫大な費用を投じて御所はバリアフリー化され、車いす用のスロープも設けられた。

江頭豊は、御所の庭を眺めるのが何よりの楽しみであると言い言いし、死んだときには皇太子は、通夜にも葬儀にも出ている。そういったことは、それまで無い、異例のことだった。似た時期に雅子妃は、皇太子の祖母君である香淳皇后の葬儀に「夏バテのようなもの」を理由に出ていない。


その、水俣病を生んだ地へ、海へ、過去、当時の天皇皇后両陛下は行啓された。

秋篠宮殿下同妃殿下は、そのもっと前に訪れられて、殿下は、首を折るごとき悲しみの姿勢で、今は亡き方々を悼まれた。

当時の皇太子夫婦は行っていない。

結婚の後、早い時期に、水俣の方々の声として、以下の思いが流れた。

「おふたりで、おいでになっていただければ、ありがたいことです」

あの夫婦は、そんな声、きっと、聞こえもしないだろう。

ナルチャンは水の総裁。なるほど。


妃殿下は、他人が自分の祖父についてイヤな風に言うことを、快く思わない。おじい様を悪く言われた、と、口を歪めるのだそうだ。口は歪み続けているが。

婚約発表の折の動画でも。皇太子が、婚約までの時間がかかったことにからめて、ミナマタの文字を口から出した、皇太子は少なくとも嘘のつけない人物ではあるようだ、隣席の女性をはばかる感じで・・・逃げられたくない、或いは、すでに「コワい」人になっていた・・・言葉を発した瞬間の、雅子サンの表情は、なかなかに微妙なものだった。

止まらない汽車が出発してしまっていたのか。

水俣病。

チッソの会社が海へ垂れ流した有機水銀の毒によって発症する病気。神経がやられてしまう。

ひどい症状の現れるその病気では、指が、あり得ない方向に曲がってしまうという形が多く見られる。

後天性のものでも、先天性のそれでも。指の拘縮は見られる。

食べるために、動けない子を荒ムシロの上へ転がしておいて、親たちはしごとに出る。その親たちを、日がな一日、待つしか無かった胎児性の水俣病の子どもたちの、指は、ぐにゃぐにゃに曲がっていた。伸びなかった。

足も。知能も遅れた、学校へ行くどころか、挨拶もできなかった。

ありがとう、とも、言えなかった。

楽しみです、と笑えるようなことも、おそらく、無かっただろう。

伝染病ではない。

 
生まれたときから
 気ちがいでございました
                         (第二部「神々の村」246-247ページ)

◇ 参考までに。

元皇太子は結婚後、数十億円かけた東宮御所に住み、その後、雅子さん祖父の元チッソ社長のためにスロープをつけた。

・ 1997年 東宮御所改修工事 5億8000万円 /バリアフリー化、公室棟改修(耐震補強工事・車椅子用リフト設置等))

・3000万円近くかけて子供部屋関係改修(紀宮さま御使用だった部屋の床を耐熱性のあるコルクタイルに、壁にはリノリウム使用、壁と床はクリーム色に塗られた。

・部屋を仕切って看護婦控えを設ける。

最終的には、たび重なる改修費用に 23億円 の拠出。

2001年には小和田氏は、軽井沢に別荘を購入している。

愛子さんが生まれた年にあたる。


ティアラの写真

 「皇室の写真
     2015年12月16日
     現在行方不明のジュエリーのまとめ
     皇后の第一ティアラ」

     ↑ この記事中に前皇后,現皇后の戴く「第二ティアラ」の並んだ写真があります。
     明らかに別物としか見えません。
     前記事の主要部分として検索のうえご覧いただきたく。
     ここに画像としてあげられなくて、申し訳のないことです。


天皇陛下 宮中三殿で即位後初の宮中祭祀
2019年5月8日 13時20分
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190508/k10011908571000.html


イミテーション・ティアラ、めっけた。



今日は空が青いです。海も青いです。ベランダから見ていると、くちなしの花の色のヨットが、大きいの中くらいの小さいの、たくさん、嬉しそうに出て来て、沖をめざして小さくなって行く・・・までは見届けられず、せかせかと家を出ました。

用のことは置いておいて。何やら探して買いたいと言うぢいさん(夫)にはそうしてもらい、私は、本屋の棚をずら~りと眺めていた。

で。めっけた。

女性週刊誌の表紙に、もう、新・こーごー陛下が。どでで~んと。迫力のあるお方です。そして私は、笑い出すのを抑えなければならないハメに陥ったのでありました。なんじゃこりゃ。

書店の店頭に存在感たっぷりに笑みまいらせたもう、新陛下の奥方。「女性自身」誌の表紙。今まで美智子自身誌、の呼び名を恣にしていた、あの雑誌です。

ここ数日の写真ではありません。過去の一枚。ロオブ・モンタント(まがい)とも言える、中途半端な胸元、袖丈の、とにかく新元号の新調らしいドレス   ではなさそう、ババシャツと呼ばれたあの日の、あの某国国王ご夫妻の晩餐会に於ける、雅子妃のあの雄姿を、今日、わたしは、見てしまいました。

アタマにのっけたティアラ。「第二ティアラ」とかいうらしい。シャープなデザインで、忘れましたが素晴らしい呼称のある、日本の皇太子妃の第二ティアラ。宝冠。それを、戴いておられたのですわ、その表紙のひでぇんか。ぜんぜん光っていない、デザイン的にも?????の。。

本物は、やはりそれも、ダイヤたっぷり、輝きの素晴らしさといったら(実物は拝謁にあずかっていないけど)前・皇后が着けておられた時の写真の煌めきは、すばらしかった。微妙なカーブも美しかった、もちろん首飾りとセット。の、はずの品。

いっとき、こぞって皆さまが「イミテーション・ティアラ」と呼びはやし、モモエちゃんの替え歌として声を合わせた、あの、第二・おそらく本物ぢゃない・ティアラ。それを、満面の笑顔のすぐ上にイタダイて、笑み崩れられるまたこたま。おーいそれ、イミテーションの疑問そのままの、ブリキ製とか云われたモノですよ~、またこたま~。

って写真なのでした。晩餐会では、あれこれやらかしておられた、乾杯の時にそっちじゃない方を見ておられたり、大好物のイケメン風同行者に愛想振って、でも相手にされない現場を撮られたり。

どうした女性自身。何の意図だ。これからは〇〇自身、に、のりかえされるか。〇〇ってどなただ、ミテコさまはもう、お切り捨てか。メディアの意地か。

      「皇室の写真
     2015年12月16日
     現在行方不明のジュエリーのまとめ
     皇后の第一ティアラ」
     この記事の中に前皇后,現皇后の戴く「第二ティアラ」の並んだ写真があります。
     明らかに別物としか見えません。



即位の日には「皇后のティアラ」を頭上にお置きあそばして。新天皇の傍らに、新皇后、お立ちあそばして。大粒の無数のダイヤ、ティアラキラキラ、またこたまはゆーらゆーら、一瞬でしたけど、即位の壇上にて、さすが手練れの居眠りの技まで披露された。

一世一代の即位の日、しっぱいしちゃなんね、とばかり、キメッキメにお薬お用いになられたか、ハイなテンション零れる笑顔、お愛想、車のドアを開ける係のお方にまでお辞儀してらした、新こうごう雅子さま。小さなアヤマチみつけてしまった、意地悪くおん。

前皇后から託された「皇后の第一ティアラ」、首飾りはなぜか二連でいらしたけど、お似合いでいらっしゃいました。で、皇嗣妃殿下、紀子さまの頭上に、皇太子妃の第一ティアラが、燦然と。首飾りとセットで。マガイモノとは思えません、屋内でのあの輝きは。当たり前のような、おお、ここはきちんとこうなったかと、新鮮な感慨。

おそらく簡単な話。

。前・皇后・美智子さんは、ある時期からかたくなに、ティアラをお召しでなかった。首が、肩が、と、とってつけたように出されて来た「ティアラを戴かない理由」の、詳しくはもう、私はお腹いっぱいなのでいいです。ご自身望んで「過去のひと」なられたのであれば、さよならバイバイと手を振って、気にしないのが道理。今日の書店でもすでに、これでもかと出されていた前皇后の書籍、波がさらったように少なくなっておりましたし。

ここで言いたいのは、

とにかく前・皇后が皇后の第一ティアラを(ほかにも、逝去された宮妃の宝冠を勝手に使っておられたものも含めて幾つかお持ちではあったのに)、用いるべき場所にても用いなかったので、皇太子妃も、第一ティアラを使うことができなかった、あるいは控えた。

という言い方があります。

なるほど。そうであれば、このたび次代妃となられた紀子さまの頭上に、あの、日本中で最も精巧につくられていて豪奢で美しい、と認められる宝冠が戴かれていたことに、説明がつきます・・・のか?  わかりませんよ、アチラの方々のなさること考えることは。でも、そんなに不自然な話でもない。

もう一押し言わせてもらえば、あの、魚の骨とも呼ばれてしまった第二ティアラの真贋、存在感は、とりあえず現時点では、取りざたされなくなった、ということかしら。されにくくなった、ということなのか。

ホンモノ、と認定されるモノ、これも長い間、表に出て来ていないが、存在しますのよね。ん? ね? それはわかんね? ねーわ?。

新こーごーも紀子妃殿下も、当分は必要時、5月1日に見せていただいたそれぞれの第一宝冠を、お付けでしょうから。皇太子妃の第二ティアラは出場所が無い、と。

・・・と、あの女性自身の表紙を見るまでは、考えてもいなかったこと。見て、ええ、なんでこの写真?。ひええ、これ謎解きかぁああ、と。

見てしまったからね~。あの週刊誌、見せてくれましたからね~。新こーごーとその周辺の、黒歴史とも呼べる気がするな~。

黒歴史の、ワン、ノブ、ゼム、に過ぎないですけどね。


もう一つ言いたいこと。もう少し考えてものを言うたらいかがですか、ってこと。

「ヤフオクで売り払われたというティアラが、出ているって。あれガセネタだったんですか」

とか、質問しておられた方。エラソーになっても言わせてもらいます、日本の皇太子妃の第一ティアラというもの、ヤフオクになんかかけられたことは無い。かけようの無いものです。確かにヤフオク事件なる事件は存在し、詳細も残されていますが、有耶無耶の裡に時効を迎えて幕引き、とされてしまいました。ただ、皇室のお宝数百点、実際に換金しようとしたアレやアレの身内や、その他クソどもが(あら失礼)どんだけバカでも、

あの宝冠をヤフオクに出せるわけが無い。あの宝冠が無くなっていたとしたら、それは、もっと大掛かりでどうしようもない闇の奥の世界です。断言。そんなことだって皆無とは言い切れない魑魅魍魎の蠢く世界のあるのは、否定できないのですから。慈愛の面かぶってしたり顔した妖怪以外の、何者が成しえたか、ということが、多々あることは・・・事実。

と前置きして申し上げれば、

あの第一ティアラは、値段のつけようの無い品。壊してダイヤを一個ずつ、など、考えようの無い品。


と言いつつ、騒ぎを抑えたいためになら、何かするかも、しないかも。との疑いをキープしたまま。

15年間、日の目を見ることの無かった宝冠が、時を得て現れたことと、ヤフオクなんて(おそらく生かじりの知識で)事実で重いけれど未熟だった茶番劇とゴチャマゼにしての質問で驚きました。なんでも言えばいいってものではない。と、エラソーなKUONは、申し上げます。これ、わけわかめでも、ぜひ、書き留めておきたかったのでした。

ぜんぜん手短にはなりませんでした。。。


コメントのお返事、いましばしお待ち下されたく。ぺこっ。
                       留年生・KUON・まいる


生まれた日が発症の日



新たなる御代のはじまりの5月1日。

あることが慎ましく取り上げられていました。この日は、公害病の原点とされる熊本・水俣病が、公式認定されてより63年目にあたると。

この日に毎年開催されている犠牲者慰霊式は、新天皇即位を考慮して10月の19日に延期された、ともありました。

この件については、新たなる皇后陛下となられたという雅子さんが「お祖父ちゃまが悪く言われた」と、たいへん不本意なご様子だった、というのが、定説になっています。ご本人に、祖父のなされたことは関係ない。といえば、その通りでしょうか。いや、そうは言いきれないのでは、と思う方々も、たくさんと思われる。三軒隣のお宅のお子さんの話、というレベルのものではないので。

この機会にいま一度、かつての記事を掘り返してみようと思いました。

「水俣病」は、まだ、終わっていないのです。



     悪く言われたお祖父ちゃまのこと。

 1962年 江頭豊は日本興業銀行からチッソ専務取締役になった。

              ( 63年 に初孫・小和田雅子が虎の門病院で生まれている)。

64年に副社長、同年暮れに社長に昇格。

公害発生時にはいなかったという意味では、宮内庁の説明通り。

宮内庁は(まさこ入内の話になった時)、江頭は公害発生以後に社長になった点で、法的責任は無いと説明していた。

江頭は、水俣病問題の処理のためにメインバンクから送り込まれた形になっていた。


その「処理」である。

「解決努力」というシロモノでは無かった。

江頭が経営権を握った後も、しばらくの間、チッソは自社の工場排水が水俣病の原因だと、一切、認めなかった。

患者と交渉を持とうとしなかった。

そのまま 66年 まで江頭は、水俣湾に水銀を垂れ流し続けた。

ようやく責任を認めたのは、水俣病発生が発覚してから 10年以上も経過した68年 のこと。

自発的に責任を認めたのではない。

この年に政府がついに水俣病の原因をチッソ廃液とする正式見解を発表したから。

チッソとしても対応せざるを得なくなったということ。

この正式見解の発表前には、地元選出の自民党議員と結託、発表を止めるべくの画策もしていた。

が。

明確な事実と悲惨な現実を前に、自民党政府は、水俣病を公害病として認定せざるを得なかった。


謝罪後もチッソの対応は無責任のままだった。

「補償は誠意をもって話し合う」

としたのだったが、江頭は、患者に対する補償交渉などしなかったに等しい。

交渉から逃げ回り「金額決定」の引き延ばしを図り続けた。

患者側が疲れ、分裂し、諦めるのを待つ。

そのセオリーに従っていた。(後に、後出の写真家・ユージン・スミスの妻・アイリーンは、福島原発事故の際にも、このセオリーを懸命にアピールしていた)。

 70年11月 、チッソ株主総会、大阪厚生年金会館には、巡礼装束の一株株主たちが集まった。

発言を禁じられた。

何のために患者が来たかについて、江頭は真摯な検討をしていなかった。

患者たちは次々に壇上に上がり、江頭社長を取り囲んだ。

ほかの役員は逃げた。

江頭は逃げなかった。座りこんでいた。上から見下ろす姿勢で=当時の弁護士・後藤氏による。


翌年。

71年5月26日熊日新聞。

「またもあっけない幕切れ むなしく消えたご詠歌

殴る蹴るの乱闘 ‘ひどすぎる‘絶句する患者」

(大阪・概要)チッソ株主総会はわずか13分で終わり昨年11月の総会同様あっけない幕切れとなった。

巡礼装束で臨んだ「一株株主」たちの「怨念も何も無かった。ご詠歌は通用しなかった。

チッソ総会に存在したものは、

物々しいガードマン、総会屋の厚い壁。

会社の冷ややかな手続き。

13分の株主総会が終わった時、悲痛な叫びが周囲の壁にコダマし暴力を誘発した。

人間らしい対話を求めたチッソ被害者たちの期待は、怒声に出くわしただけ。

立ちはだかって人垣を作ったガードマンらの‘体格の良さ‘が目立った総会。

客席の前後に総会屋、ガードマンらが後ろの告発する会会員たちをにらみつける。

会員が「チッソの責任を・・」と発言しようとすると、

「整理」の腕章を巻いた体格のよい男たちが飛びかかる。

社員整理員は会場両側のかべぎわに立ちつくし、あちこちで乱闘が始まった。

総会が終わり患者が退場したあと、また青い制服のガードマン約30人が場内に飛び込んできた。

罵声を上げ告発する会会員たちを手当たり次第につかまえ、殴る蹴る。

悲鳴とともに逃げ回る若い女性、「あまりじゃないか」と絶句する会員。


つぎつぎに可決される議案に、何人もの一株株主が後部座席から片手を高く上げて

壇上に進もうとする。その声は消えた。のまれた、が、近い。

「まだ、会場に株主は入っていない」「議長はやめろ」「人殺し」

こんな声もーー

「これだけ、ガードマンを入れた株主総会は前例がないだろう

血迷ったチッソという感じだ」

「だいたい予想した通りです。

田中実子さんを江頭に背負わせたかった。

それが出来なかった。残念です。会社側も右翼や暴力団を入れなければ総会をやれないという醜態を世間にさらした。

5月27日

「これほど悲惨とは。

米FDAの一行、水俣病患者ら視察。

[記者会見も高姿勢、過剰警護と思わぬ。

「総会は成立」とニヤリ。

葬られた怨念、チッソまるで暴力総会、患者ら無念の涙、動員された総会屋、

強行採決じゃない、江頭社長強気の会見「かかれ」会員を袋だたき

「断じて許せない」

5月28日

「ガードマンの行為は行き過ぎ 」

後藤田長官、チッソ総会の混乱で語る。

「すべて正しかった」

江頭チッソ社長、総会終わり高姿勢の会見。

6月2日

警備会社を捜査、一株株主への暴行‘過剰警備‘のメス チッソ幹部も取り調べ、

大阪府警「総会の無効認めよ」回答期限付き、社側に要望書、

7月24日

江頭チッソ社長辞任、水俣病、経営不振で引責?

「水俣と関係ない」江頭社長、強気の記者会見

7月25日

‘水俣‘に責任感じぬ? 辞任表明の江頭社長

チッソ社長、突然の辞任劇  公害関係ないと強気だが 「怨」 のノロシが決定打。

シブシブ火中のクリ拾う後任社長


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今日もつい、夢中になって、まさこさまのお祖父さまを悪く書いてしまいました。

もしや、お気を悪くなさいましたかしら。

本当のことを、ほんの表面、触れただけなのですが。

江頭氏は、立場を変えてみれば、優秀な社長、立派な人物だった、という評価になるのでしょうか。

社長は(仕方なく)止めましたが、会長になっています。

孫娘を、なんと皇室の、それも皇嗣のキサキにのぼらせ、晩年は、バリアフリー、エレベーター設置、などを施工させた御所の庭を悠々と散策、98歳の長寿を全うした。

週刊新潮誌は2006年10月の誌面に、以下のように記しています。

「江頭豊氏の通夜。

受付などの手伝いはチッソ社員、旧興銀関係者、外務省OB、東宮職員らが行った。

式は江頭家の宗派に従い、簡素な神式で行われた。

「東宮妃のお祖父ちゃま」は、東宮関係者の手伝いまでを受け入れ、宮内庁は、このお祖父ちゃまのために「記帳所」までを設けた。


以下は私の私感です。

まさこさんは、生まれた時から、祖父がその立場のニンゲンであって、どれだけ凄まじい怨の念を、受け続けたか、その傍らで、育っていたわけです。

身内の社会的な立場での怨念を、孫娘が受け止める理屈は、いささか感情的に過ぎると、私も思う。


でも。

普通の、並の恨み、怨みではない。

あの一家に、いささかなりの「痛み」も感じられないのが、ある意味、すごいと思うものです。ここが思いの一番の核と感じます。

こういうことは、本当は、あまり言いたくないし、今まではここを、避けて来たのでしたが(この記事以外にも関連したことを書いていたのでした)、成人の患者ももちろん、胎児性の患者の方々。母親の胎盤を通じた有機水銀の毒に蝕まれて、生まれた日がつまり、発症日。

曲がりくねった指、手、脚、ものを言えず立てず、歪んだ生きた人形と称されて、いた、あの子どもさんたち。

の姿を思えば。

その怨の念が、現世に顕れても不思議でない、と。肯ってしまう。

曾祖父の、それも業務上での冷血が、祟るなどとは理不尽な、と思えない自分がいます。

胎児性水俣病で、身動きならず、親が仕事に出ている間は、アイスキャンディーも舐められず。朝あてられたオムツのまま、汗まみれの背中のまま。粗いムシロの上に転がされて、ただ息をしていた子どもさんたち。

あのお子たちに、咎と呼ぶものは無かった。

無かった。

水俣病は、四大公害病の一つです。

水俣病。

新潟水俣病。

神通川に垂れ流されたカドミウムが引き起こしたイタイイタイ病、そして四日市喘息。

・・・後藤田官房長官は、ナルヒト氏の妃候補に小和田雅子の名が挙がっていた頃、彼女はダメだ、

「皇居前にムシロ旗が立つ」

と反対を口にされた。江頭が社長だった当時のチッソの暴行を、その目で見て、ご存じだったのでした。

ムシロ旗、の語には、また別の意味も含まれていたのでしょうが、反対された。

昭和天皇も、もちろん、ご存じだった。反対された。当人には気の毒でも民意の総意が得られないであろう、と。

・・・徳仁親王のご両親ご夫妻は、ご存じでなかった?。

ご存じで無かったのだろうか。まさか、ね。



今日、書かせてもらったのは、株主総会の時に就いてですが。

江頭はこれ以外にも、地元に於いて、暴力団を雇って被害者の支援をする人々を痛めつけ、著名な写真家ユージン・スミス氏の背骨を負傷させ、片目を失うような大けがを負わせています。夫人をレイ〇させています。

聞いたところでは、ジョニー・デップ主演で、この題材の映画が出来るのだとか。どんな風な解釈になるのでしょう。

俣病はまだ、終わっていません。東宮夫婦が例のオランダへ発って行ったその日にも、新聞紙上では、裁判に関する記事が掲載されていました。

オランダから帰った東宮夫婦を、愛子内親王が一人、玄関先で出迎えておられました。お辞儀をして迎える練習を、何度も重ねておられたのか。けれどあの日、タイミングは合わなかった。けれど愛子さまの懸命さは、伝わって、不遜ながら胸が痛みました。

車の中から愛子さまを見つけた母親が、たたっと駆け寄って、見下ろしました。まだ愛子さまは見下ろされる大きさだった。雅子さんは愛子さまに並び(後から降りた皇太子を手で払うような仕草)愛子さまの背中に右手が回っていました。

もしかして、つねったのか。見えはしなかった。愛子さまの左手の指の何本かが、内側に折れ曲がっているのがはっきり見えました。愛子さまの左手は、幼いころから、拘縮しておられたのです。そのはずでした。お母さまの勢いに押されて、緊張して、いつもより拘縮がきつかったのか。あの日。

ピンクの、チェックの、有名なブランドのワンピース姿でいらした。愛子さま。

カメラの方に懸命に笑顔を作っていた雅子さん。愛子さまの髪は、なんとかまとめられてはいたけれど、何に依ってか、ザギンザギンに切りまくられ、不揃いになっていた。もしやご自分で、と見えました。その少女の、傍らに立つお母さまをうかがいみる視線が、何とも言えないものでした。覚えています。久しぶりの母親を見る視線でなくて。

あの愛子さまは、東宮家の内親王さまであったと、確信しています。あとはどうか、わかりません。私は、これを言って、アタマのおかしい人だよね?だよね?のごとき視線を、何度も浴びて。平気ですが。

おそらく雅子さん(たち)の望んだように生まれて来られなかったのかも知れない、愛子さま。

愛子さんにも、生まれて来た咎は無い。のだけれど。


鬼の首にティアラ


「皇室を卒業」のはずが、未だヘタヘタと留年中のKUONです。

そっこう来ましたね、隣国、ご夫妻で訪れていただきたいと。「上」とやらの二人(主にメンドリさんの方)の「悲願」であった、かの国への土下座訪問、謝罪なんぼでもしまっせ訪問。日本が悪い、何が何でも日本が悪い・訪問。


「長屋の爺」さまの記事を、たいせつに運んで来て、そおっと置かせていただきました。


「ネットのニュースは即位・令和の祝賀ムード満載の陳腐なものばかり

何がめでたいのかは知らず・・・

そういう話題で無駄な一日を過ごす日本人こそ「おめでたい」のかも・・

日本人は何でも「お」を付ければ丁寧だとか上品だとか勘違いしている

おめでたい という語の意味は

俗に「お人よしである・ばか正直である・楽観的すぎる」そういう意味(笑)

※ 本来は「めでたい」の美化語でもあるのですが・・・


譲位の裏の意味も知らずに喜ぶさまは危機的な状況でもある


日本の譲位の嚆矢(こうし)は皇極天皇が弟の【軽皇子】に天皇位を

譲った時とされている (本当か嘘か不明なのも事実ですが・・)

これは年齢や病気だからという理由ではなく、政治的な理由に

よるものと考えられています


つまり・・・譲位の歴史は「権力と政治」による「思惑」によって

良い悪いではなく、仕方なく「汚い政治力」「汚れた陰謀」によって

譲位の歴史は築かれてきました


皇極天皇の場合も息子である「中大兄皇子」に継がせたいばかりに

譲位を画策しますが、臣下の反対も大きく断念して、政治的思惑で

弟(皇子の叔父)の軽皇子にいったん譲位する道を選択しました

傀儡政権も順調には機能せず、王位を取り上げ前帝の皇極が重祚した

斉明天皇の誕生である

※ 重祚(ちょうそ)とは天皇位を降りた者が再び天皇位に就くこと


譲位の歴史は女帝の歴史でもある

皇極天皇から始まり持統天皇、元明天皇、元正天皇と女帝の特権でもあった

皇極天皇から孝謙天皇まで百年あまりの期間で六度の譲位が行われ

その大部分が女帝が譲位したものなのだ

※ これを【ヤマト譲位第一期】と私は呼んでいる


孝謙天皇の後、光仁天皇・平城天皇・嵯峨天皇・仁明天皇と

天皇位の譲位は代々続いていくことになる

上皇政治の始まりであり、藤原摂関政治への序章でもある

※ 此処までを【ヤマト譲位第二期】と呼んでいます


その後の譲位の歴史はさらに醜く、権力を色濃く反映したものとなり

藤原政治による薄汚れた「闇の譲位」が横行するようになります

藤原氏全盛の期間に行われた譲位を【ヤマト譲位黄金期】と

私は呼んでいます(笑)


譲位が「めでたい」と思うのは自由で、めでたいことは良い事です


その真意(裏側)から目を背けては「おめでたい人」になります

女帝の歴史は譲位の歴史・・・・・

権力欲に溺れた女帝の歴史は繰り返す


愛する者に権力を継がせたい親心は悪しき歴史の一ページを

記すことになる気がしています



天は必ず観ている

天は罰も与えなければ、幸も与えない・・・・・・

だが、八百万の神は感謝する者にだけ【幸】を与えると私は思っています

彼等の口にする「神」が如何なる神なのか?


長屋の爺は知らないし、知りたくも無いですが・・・・・・。」



爺さま、ありがとうございました。「月明かりの下で神よ眠れ」というブログより。


あ。ティアラの件です。

プリンス・ジュッテから連絡が来ましてね(ここフィクション)。

「ワタシの国の国王の前に、あの女性がのっけて出て来られたのは、貴国(のっぽん国)の嗣子のツマ用の、いわゆる「第二ティアラ」でしたよ。立派なお名前のあるにかかわらず、魚の骨と称された、みごとなマガイモノ。その件だけはあなたと話つけておきたくて」

そのように仰せでした。ここノン・フィクション、えへへ。




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今も夢見る

Author:今も夢見る
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願ってはいましたが叶うとは思っていなかった、海を眺めながらの暮らし。

朝はじめてのコーヒーは、バルコニーで。

ルージュは、シャネルの赤。ずうっとそう。きっとこれからも。

・・・ちょっと、かっこよすぎる。

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