さようなら勝谷さん
2018年11月29日 公開
勝谷誠彦さんの訃報は、ちょっとショックでした。
いつも、何もかも、同じ考えというのではなかったけど。昔、,西原理恵子とアマゾンへ行った時のサイバラの本の中での「かっちゃん=勝谷さん」の描かれ方がすてきで。追いかけてあれこれ読んだり知ったりした、ものすごく過激な人でもあった、でも人柄のキレのいい、品のいい方だったと思います。まだ50代。
灘中から灘高、そっから東大ほかへ進まなかった人に、勝谷さんの他に中島らもさんもいて。らもさんも、はちゃめちゃなところもあったが、とても繊細な人だったと思う。酔っぱらって階段から転げ落ちたまま、亡くなってしまった。ほとんど読んでいます。らもさんが男の子のイラストを描いた、かねてっちゃんの練り物も、未だに売っていますし、買います。
今日は何をしなくてもいい日だったのです。朝から「モルダウ」を聴きました。私の好きなあたりだけ、ゆうっくりと聴きました。
「アランフェス」も好きです。続けて聴くことが多い、でも今日は、モルダウを聴いているうちに、そうだ出かけて来よう、という気持ちになって。
先日、一目ぼれしてネットで買った「酒倉」とロゴのある斜め掛けバッグを掛けて、もう10年も使っているストール巻いて、たたっと出ました。バスに乗って電車に乗って、尼崎まで行きました。タクシーで、葬場まで行けばいいと思っていたのでしたが、乗れなくて。
ゆうべのお通夜にも沢山、人が集まっておられたらしいし。
駅まで来たからもういいや。さようなら、勝谷さん。そう思って、自分の街まで引き返しました。
最近、その暗さが好きになった薄暗い、サイフォンでいっぱいずつ珈琲立てて出す喫茶店の、奥の席に座って。サイフォンでたてて、をウリにしている割には、行くたびに味が違うのです。淹れるヒトも違うし。でもまあ、いい。ゆっくり座っていさせてくれればいい、一人にしておいてくれればいい。
勝谷さんのお葬式の喪主は、弟さんだったようです。新聞に出ていました。昨日から、亡くなったとは知っていた、が、朝刊のその欄に、勝谷さんの写真が載っていたのは、ショックでした。
57歳といえば、私の長女の夫さんと、そんなに違いません。先日、そのMさん、神戸マラソンをフルで走って完走。6時間ともう少しで完走、途中で走るのイヤになって、苦しくて、ツマに電話をかけた、ツマ(わたしのムスメですね)は、辛かったら止めたら、よく頑張ったよね、とは、言わなかったと。後悔するからもう少し頑張れ、あともう少し頑張って、と、言ったそうなのです。
で、あと半分、走った、頑張って走った、走ったり歩いたり、とにかく前へ、前へと。
ゴール寸前の写真を、先日見せてくれました。両腕を上げて、大きな口を開けて、歓喜の表情でゴール、マリオの帽子をかぶって。ツマは、ピーチ姫のコスプレで待っていて、迎えてくれたそうです、深くハグしている写真も、見せてくれました。わが家の五十代の話です。
肝臓が、ひどく傷んでいたって、しんどかったやろな。
なんだか近いところの気がして、発作的に、お葬式に行こう、などと飛び出してしまいました。行けませんでした。
そして、帰りには、今日は「29日、にくの日」だとか、お肉を買って帰って、鉄板出して、肉や野菜やきのこなど焼いて、大根おろしをたっぷり作って、夫と二人、晩ごはんをいただきました。
勝谷さん、さようなら。
いつも、何もかも、同じ考えというのではなかったけど。昔、,西原理恵子とアマゾンへ行った時のサイバラの本の中での「かっちゃん=勝谷さん」の描かれ方がすてきで。追いかけてあれこれ読んだり知ったりした、ものすごく過激な人でもあった、でも人柄のキレのいい、品のいい方だったと思います。まだ50代。
灘中から灘高、そっから東大ほかへ進まなかった人に、勝谷さんの他に中島らもさんもいて。らもさんも、はちゃめちゃなところもあったが、とても繊細な人だったと思う。酔っぱらって階段から転げ落ちたまま、亡くなってしまった。ほとんど読んでいます。らもさんが男の子のイラストを描いた、かねてっちゃんの練り物も、未だに売っていますし、買います。
今日は何をしなくてもいい日だったのです。朝から「モルダウ」を聴きました。私の好きなあたりだけ、ゆうっくりと聴きました。
「アランフェス」も好きです。続けて聴くことが多い、でも今日は、モルダウを聴いているうちに、そうだ出かけて来よう、という気持ちになって。
先日、一目ぼれしてネットで買った「酒倉」とロゴのある斜め掛けバッグを掛けて、もう10年も使っているストール巻いて、たたっと出ました。バスに乗って電車に乗って、尼崎まで行きました。タクシーで、葬場まで行けばいいと思っていたのでしたが、乗れなくて。
ゆうべのお通夜にも沢山、人が集まっておられたらしいし。
駅まで来たからもういいや。さようなら、勝谷さん。そう思って、自分の街まで引き返しました。
最近、その暗さが好きになった薄暗い、サイフォンでいっぱいずつ珈琲立てて出す喫茶店の、奥の席に座って。サイフォンでたてて、をウリにしている割には、行くたびに味が違うのです。淹れるヒトも違うし。でもまあ、いい。ゆっくり座っていさせてくれればいい、一人にしておいてくれればいい。
勝谷さんのお葬式の喪主は、弟さんだったようです。新聞に出ていました。昨日から、亡くなったとは知っていた、が、朝刊のその欄に、勝谷さんの写真が載っていたのは、ショックでした。
57歳といえば、私の長女の夫さんと、そんなに違いません。先日、そのMさん、神戸マラソンをフルで走って完走。6時間ともう少しで完走、途中で走るのイヤになって、苦しくて、ツマに電話をかけた、ツマ(わたしのムスメですね)は、辛かったら止めたら、よく頑張ったよね、とは、言わなかったと。後悔するからもう少し頑張れ、あともう少し頑張って、と、言ったそうなのです。
で、あと半分、走った、頑張って走った、走ったり歩いたり、とにかく前へ、前へと。
ゴール寸前の写真を、先日見せてくれました。両腕を上げて、大きな口を開けて、歓喜の表情でゴール、マリオの帽子をかぶって。ツマは、ピーチ姫のコスプレで待っていて、迎えてくれたそうです、深くハグしている写真も、見せてくれました。わが家の五十代の話です。
肝臓が、ひどく傷んでいたって、しんどかったやろな。
なんだか近いところの気がして、発作的に、お葬式に行こう、などと飛び出してしまいました。行けませんでした。
そして、帰りには、今日は「29日、にくの日」だとか、お肉を買って帰って、鉄板出して、肉や野菜やきのこなど焼いて、大根おろしをたっぷり作って、夫と二人、晩ごはんをいただきました。
勝谷さん、さようなら。
スポンサーサイト