ジャガーズを聴いていた
年末年始、自由にしていていい時間、私が聴いていたのは、ジャガーズだった。GSのあの、ジャガーズ。岡本信の歌を聴いていた。
十代でデビューした、その頃の歌、言えば「君に会いたい」でしょう。
「君に会いたい」を、二十代の岡本信、三十代の岡本信、おそらく四十代の岡本信が、唄っているのを、どれだけでも何度でも聴けるのだ、今は。着替えしながら、洗濯物をたたみながら、本を読みながら大根をスライスしながら、聴いていた、飽きず繰り返して聴いた、五十代の歌も聴けたな、胆嚢だか膵臓だかを傷めていたようで、五十代の顔は、彫りの深い美しい顔の人であっただけ、よけいに、生気の失せた辛い顔に見えた。
最後のほう、小さなライブハウスで唄っている時は、倒れてしまうのではないか、と心配になるほど痩せていたし、皮膚も髪もぱさぱさしていた。
でも、声は出ていた。音程も確かだった。年齢相応に練れた、とか、深みの増した、という歌ではない。しかし、往年のヒット曲を、岡本信は、彼らしく唄っていた。そしてやっぱり、ハンサムだった。
「は~じ~め~て~の~」と(判らない方にはわからないコアな話題です)声を張り上げる時には、きちんと、張り上げてうたっていた。歌手なのだから、マイクを前に舞台に立っているのだから当たり前。といえば、もちろん、そうではある。
岡本信は、自分で信じるように、自分の信じる歌を、唄っているのだ、いつ、どの時も。
同じ歌ばかりを望まれて飽きてしまわないか、という感じは、彼に対しては抱かない。
いつも、初めてうたった時のように、歌っていた気がする。若い岡本信は、うたいながら今でいう「変顔」をしておちゃらけたこともしているのだが、歌は揺れない。
タイガースのジュリー。その人が十代の私の、最も、の対象だった。最も声が艶やかで、歌はうまくて、なにより、タレ気味の目が良かった、頬の泣きぼくろがよかった、歯並びのかすかな乱れがよかった、なんでもジュリーが好きだった、他の人なんかフン、だった。
その同時期に出て、私も見ていたジャガーズなのだったが、当時は何も分かっていなかったのだな、と思う。
岡本信は、歌が、とても、うまい。しんじられないくらい真面目にうたっていた。
六十歳になる一日前に、風呂の中で死んでいるのを発見されたという岡本信。五十代までの歌声しか残っていない。
晩年のうたは、それは、正直に書けば、衰えた感は否めない。本人は、自分の衰えを認めていない。というより、彼は、マイクに向かって、一言ずつのフレーズを、確かめるように一心に、出そうとしていて。一フレーズずつ唄っていて。
唄い終えて、アンコール、と、お決まりのように傍若無人に求める客の方を、顔を伏せてみられないようにして、ステージの袖に引っ込んでいったのは、あれは、とても、体が辛かったのだろうと思う。辛かったのだろうが、サビの部分を、本当に嬉しそうに、彼は唄っていた。声はその時、外見よりうんと、もっと若い人間の声のように通っていた。唄うことは、彼の天性だったのだろう。他に何もしていない、自分の・・自分たちのうたを、ずっと唄っていて。そういうジャガーズだった。
いま聴くと、ギターが素敵、二人共のギターがいい、ベースもいい、ドラムス、すごい。
「キャラバン」を、ジャガーズのバージョンで聞き惚れていた。何度も何度も聴きなおした。ビートルズ・ナンバーの時の宮崎さんが、宮崎さんの顔がいい。沖津さんの歌もいい、ギター好き。ベースの森田さんは、にこにこベースをあやつっているだけ、のようで、ベース、すごく「いい」。宮・おっさんのドラムはすごい。
岡本信も宮崎こういちも、宮ユキオさんも、亡くなってしまった。
・・若い時にはわからなかった。音の良さ、私には、解らなかった。うたのことばに夢があった。
顔だけ。ルックスだけ見ていた、と、そんな気もする。あの頃はそれでよかった。
理屈でなく、自分だけの分かり方でわかっていた、感じていたのだと思う。なんでもよかったのでは、決して、無い。
懐かしいGS。沢山のいろんなメンバーが、今は、この世にいない。なんだか普通より死んでしまうのが早い気がする。
新しい透明なひとの、透き通った歌もいい。
当分、もしかしてずっと、私は、懐メロを聴いているかな。本当は、十代は、キラキラなんかしていなかった、重くてどたどたしていて、考えなくていいことばかり考えていた、あの時代を、青春と、やはり、呼ぶのだろうか。
聴きたいうたを、聴いていたい。そうしていたい。