今夜は
秋篠宮妃紀子さま
日の入(い)らむ水平線の輝きを緑閃光(グリーンフラツシユ)と知る父島の浜に
秋篠宮家長女眞子さま
日系の百十年の歴史へて笑顔光らせ若人(わかうど)語る
秋篠宮家次女佳子さま
訪れし冬のリーズの雲光り思ひ出さるるふるさとの空
常陸宮妃華子さま
つかの間に光る稲妻さ庭辺の樹木の緑を照らしいだし来(く)
三笠宮家寛仁親王妃信子さま
被災者の苦労話を聴きにける七歳(ななさい)が光れる一語を放つ
三笠宮家彬子さま
らふそくの光が頼りと友の言ふ北の大地を思ひ夜更けぬ
高円宮妃久子さま
窓べより光のバトンの射し込みて受くるわれらのひと日始まる
高円宮家長女承子さま
朝光(あさかげ)にかがやく御苑(みその)の雪景色一人と一匹足跡つづく
感想を申し上げれば、信子さまのおうたがいいと思いました。被災された方との場所で、七歳のお子さんが「光れる一語を」放った、と。一語の内容はわからないけれど、言葉を光るもの、と捉えられたのだな、と。ご自分が向き合っておられる人の、現在の状態や気持ちが、きちんとわかっておられる。慈愛アピールの場にしておられない、ということです。
彬子さまのおうたも実感にもとづいた一首、やはり生の生活、経験の中からの言葉は力があると思います。お若い方の中で唯一、現代仮名遣いでない言葉で詠んでおられるのだな、とも。
承子さま(いまは「さま」(笑))、の一首も、あららどうされたの、と、驚いた。この方の世界はユニークなんです。その自由なきもちの今回は「良さ」が出て、この景色のいいうたになったのだな、と、感じました。お直しはあったとしても、雪景色の中の一人と一匹、という言葉は、ご本人から出たものだと思われます。
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今まではこのタイミングで発表されていた次回のお題は、今年は発表されず。代替わりの後の五月に、ですとか。
そうなんですかとしか、受け止めようの無いこと。私自身はあのイベントに思い入れは無いのですが、目指しておられる方は多く、一度招かれたことを、生涯の誉れと抱きしめて研鑽を続けておられる知人もおられて。いいかげんな扱いをされるのはどうなんだろうと、考えています。歌会始儀に限らず。
伝統は人を苦しめる、と仰ったのは美智子さん、なんとなくわかる気はしないでもない、けど。あなた様がそれを仰って。それだからと、あれもこれも潰して行く、って。
おすべらかしを解くためのベンジンで倒れる方がおられるらしいから、違うものを使って、とか。自髪で結うのは大変だから鬘にしましょう、とか、祭祀の部屋が寒すぎるから暖房できるようにと、そのキカイを、壁に打ち付け、とか。あれこれ考えて夫君に諮り、実行されたことも沢山おありと聞きます。乳母廃止もそうだったし、天皇よりも前に出て「国民と触れ合った」り。
自分たちの後の代のことは、後の代が決めればいい、とも、仰っておられた。
「自分たちの手で子を育てて、それがうまく行かなかったら、自分たちのせいになるでしょう」
と言い放たれた頃は、自信満々でいらしたのでしょう。で。育ったのが、あの、ナルちゃんさん。人前に出て体の側面で指先を伸ばして立っていられること、それだけは、おたたさまより皇族らしいかな。その、ナルちゃんさん
妻と子の乗る座席の後部、荷物席を定位置とされて、後ろからにゅーっと首を伸ばして撮られることに、何の屈託もおありにならない天然さ。さすがの素直なお育ち。
・・とか、書き出したら止まらないじゃないですか。
とにかく私は、他のことについてはきちんとモノが言えません、無知でもありますので、でも、皇居に於ける歌会始儀の、あのゆったりした(退屈とも云う、しかし日本にしか無いんです、あのありようは)形を、終わらせて欲しく、ないんですよね。
その理由が、まさこさま~、に依るものだなんて。聞きたくないわそんなこと。
とまれ、平成最後の、と、ここでも言われたその儀式。
皇族の姿も少なく、さむざむしい光景だったとは言ってもいいと思います。晴れやかに華やかに「つながる」感じ、ありませんでした。
いつも一番姿勢の美しい紀子さま、このごろはずっと能面のごとき表情を保っておられる眞子さま、信子さまと長女の彬子さま。久子さんと長女の承子さん。女性皇族のお姿はそれだけでした。
・・・一月十七日。こちらへ移って来て感じること。あの大震災のことを、普通に語る方に、まだお会いしたことがありません。当時、御影で料理店を営んでいた娘の夫さんにも、何も聞いたことが無い。でも今朝は二人して、その魂鎮めの場に行っていたのだと思います。
没年は違えども、養父の命日でもあります。今夜はここまでとさせて頂きます。