落語を聞いた
土曜日は婚家のお墓参り。
高速道路を抜けてしばらくすると、お山に雪がうっすらとかぶっているのが見えました。供華を買いに寄った店のレジのあたりで、その朝まで雪が降っていたのだとわかりました。聞き耳KUON(笑)。
墓碑は冷たかった、冷え切っていました。拭いて、まわりを掃いて・・草も生えていません・・お花供えてお線香を手向けて、ひとつき見守って下さったことに感謝して‥中に、わたしが知っている方は舅ひとりではありますが・・おー、寒、寒、終わったぁって感じで、さっき登ったゆるい坂道を降りる。
ほあ、ほあ、と。てのひらを差し出したらそのまま溶けてしまうような淡い雪が、舞ってきました。初雪。
ほかに、人も車もイノシシもいない、しーんとした墓地で迎えた、わたしにはことし初めての雪。
その夜は、若草山の山焼きの日で。雪で湿気ていたでしょうけど、無事に花火は上がり、お山は炎に包まれたようでした。
・・友人宅に引き取られたハスキー犬のラッキー、幸せそうにしていました。顔つきまで変わって「おとうさん」にくっついて、二人、至福の表情で。
(すみません、ラッキーぢゃなくリッキーでして。ラッキーなリッキー・・・すみません)。
・・帰り道、広い広い河川敷のある川のほとりを走っていた時。私は助手席にいるのであれこれ、見えるのです。冷たい風の吹く中で、枯れた葦がぱっさぱっさとなびいている中で。あら、と、目が留まった。
短髪の若い男の子が、トランペットの練習をしていたのです。邪魔になるからなのでしょう、マフラーもしていないで、すこし身をそらす形で、一人、トランペットを。一瞬にその姿は視界から消え去ってしまいました、川沿いのその道は狭くて、ひごろ運転をしなくなっている夫は、とても慎重にハンドルを握っているのだから、前へ、ひたすら前へ、なのであって。
頑張れ、トランペットBOY。こころの中でつぶやいていました。
昨日、日曜日は、落語を楽しみに、神戸国際会館へ。桂文珍さんの独演会「一期一笑(いちごいちえ)」に、長女の夫さんが招いてくれたのです。文珍師匠はおともだちなのだそうです。
前座のお弟子さん、一生懸命。客席から笑いが起きると、なぜかこちらがホッとしたりして。がんばれ、これからの落語家さん。
文珍さんは、やはり全く違う。出てこられただけで、何か、んふふ、みたいな感覚に襲われる。やわらか~く始まって、始めは時事の噺から。同い年だというジュリーの話題が出、ゴーン氏がいじられ、話題は豊富。楽しい。面白い。笑っている内に終わって、今では日本に一人しかいないのだという「女道楽」なる芸を、内海英華さんという芸人さんが。
芸人の名にふさわしい(と感じました)、テレビが見せる芸能でない、熟した時間を。私は全く詳しくないながら、聴き惚れ、見とれていました。都都逸の艶やかさ、色っぽさ。日本語の豊饒を感じた。とか、書いたって、すみませんね(笑)。三味線の速弾き、というか。ロックだぜ。
再び文珍さんが。申し訳ないですがタイトルわからない、他の落語家さんで聞いたことがあったような、ヨメ取りと五円とが・・ご縁、なんですねつまり・・落ちはとっても温かくて気持ちのいい噺を、うっとり聞かせてもらいました。
休みをはさんで、最後の「二番煎じ」。古典落語なのだそうで。私はこれが、いちばん良かった。ゆったり座って、時々ハラハラしながら、大笑いしながら、ずっくりと、落語の世界に引き込まれておりました。
時々、裏で、太鼓が鳴る。時々の太鼓、そして、舞台の真ん中で、話している文珍さんと。たったそれだけなのに、噺の中のいろんな人々の、表情や、切羽詰まった感じや、夜回りの夜気の冷たさや提灯の頼りない灯りの揺らぎが。見えるようで。
本音や建て前やお酒の匂いやヒミツの鍋のぐつぐつ煮え具合や、役人の尊大さや慌てる町人たちの息遣いや。ぜ~んぶ、感じられるのでした。
娘と、すごいな、すごいね、と、語彙貧弱な感想を交わし合って。楽しいひとときは終わりました。
今も、気持ちの中に、余韻が残っています。落語、面白かった。楽しかった。日本語、すごい、噺家さん、すごい。