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2019-02-03 (Sun) 22:56

鬼を飼ふ


               立
               春  
               大
               吉


今日は節分。明日は立春。今年も知人(禅寺のお坊さん)が、立春大吉、と大書した半紙を送ってくれました。裏表どちらから見ても立春大吉。災厄除けの意味があるそうです。

去年までは、同居の孫娘に行事の食べ物を見ておいて欲しいと、太巻きをたくさん巻きました。子育てのその頃は仕事ばかりしていて娘たちに教えてやれなかったので、孫には、の気が、あったのだと思います。自分用のピンク色の包丁を持って、水色のエプロン着けて、楽しそうに一緒にしてくれていました。
スタンダードなものから、海鮮風、エビフライ巻サラダ巻、きゅうりと干ぴょうだけのあっさり巻(これは細いの)などなど。ムッチムチの巻き寿司を、たくさん作りました。イワシは皆、あまり好きではなかった。天ぷらにしたら食べました。

今年は二人だけなので、お店でいっぽん、買いました。ごく普通のを買いました。色街で始まった(と私は聞いていました)節分のまるかぶり、関係ないわと思いつつ、今日は晩ご飯はこれ買えばいいのね、と、らくちん、らくちん。広まったのはこの、ごはん作る人々の晩ご飯が楽、が、主な理由だったと確信しています。海苔業界のインボウ説もあるし、家食べの業界がそれに乗った、とも。外で、今夜、太巻きなり細巻きなり、食べないと思いますものね。

大量廃棄の話は・・・その図を思い描くのはこわい。

子どもの頃は、近所の大きな家が、町内会の子どもたちを招いてくれて、豆まきをされました。豆と、銀紙にくるまれたチョコレートを、広い座敷に巻かれました。盛大に、鬼は外、福は内、と、巻かれました。小学生の頃から私はイイカッコしぃで、這いつくばってチョコを拾うなんてカッコ悪い、イヤだわと勝手に気取っていて、ちょい、ちょいと、障子の桟に危うく乗っかっている豆をつまんでいた。その家のオバサンはそんな私を黙って見ていて、帰り際に、これも半紙にカサコソっと包んだ豆を、持たせてくれました。このオバサンには、自分の子どもらしくないきもちを見透かされているような気がして、でも何だか好きでした。

今日は暖かかった。海もきらきら、光っていました。明日からの一年もまた、いい一年になってくれるでしょう。夜のテレビニュースで、鬼なんかはいない、だから福は内だけなのだ、とかで、福は内、福は内、と鬼やらいの行事を行っているというお寺の様子を映していました。チラリと見ただけ、詳細はわかりません。

私の鬼は、長い年月を追い出していないので、ずううっと、胸の中におります。むかし、こんなうたも詠みました。

     鬼を飼ふ母とは知らで膝に来てすり寄る吾子の頬あたたかし



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最終更新日 : 2019-02-03

* by さやか
我が家も豆まきをいたしました。
上の子供たちは、昨春高校進学を機に家を出てしまいましたが、末っ子はまだ小学生。夫は鬼のお面を被ってやるのはあと何回かな、と呟きながらノリノリでした。
人数の減った我が家は少し寂しいですが、夫婦二人になるまであと数年。大切に過ごしてまいります。

KUONさんのお歌、深く共感しました。
歳とともに寛容になった、と言えば聞こえはいいが実は妥協や諦めの積み重ね。努力ではどうにもならないことがあると知る度、ときどき心に鬼が巣喰ったり…。
幼児だった吾子の匂いや重さや温もりが癒しだった一方で、母親として後ろめたかったことも。
お歌を拝見して、退治するのは人生の終わりの辺りか、いっそ鬼とともに幽世に行くのかも、と少し捌けた思いです。

* by KUON
・さやか さん

お返事遅くなってしまいました。節分、ずいぶん遠いことの気がします(笑)。

夫さん、末っ子さんのためにお面かぶって下さったのですね。いい思い出になるのでしょうね、そういったお父さん。

子育ての時代は、さまざまな行事に、一生懸命、向かっていました。マジメにしてました。そうして育てた子は、まったくそういったことに興味なく。とほほ。しかし、自分のライフワークのようなものを見つけて、よろよろしながらも頑張っていて、それは、孫の目にどう映っているか・・わかりません、仲は、とてもいいです。

歌。共感して下さり、とても嬉しいです。ありがとうございます。うたの師は褒めて下さった一首ですが、まああ、みたいな評価もあって。そういうのは、知らない顔して通過して来ましたが(笑)。

>幼児だった吾子の匂いや重さや温もりが癒しだった一方で、
>母親として後ろめたかったことも。

そう・・私にとって子どもへの思いは「ごめんね」が、一番大きいような。雑に育ててしまって。子ども一筋になってやれなくて。ごめんね、そればっかり。亡き母親に対しても、実は、そうである気がするのです。

鬼は外。あっち行け。て。人間は残酷なものだな、と。

>いっそ鬼とともに幽世に行くのかも、と少し捌けた思いです。

このお言葉…ありがとうございます。

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我が家も豆まきをいたしました。
上の子供たちは、昨春高校進学を機に家を出てしまいましたが、末っ子はまだ小学生。夫は鬼のお面を被ってやるのはあと何回かな、と呟きながらノリノリでした。
人数の減った我が家は少し寂しいですが、夫婦二人になるまであと数年。大切に過ごしてまいります。

KUONさんのお歌、深く共感しました。
歳とともに寛容になった、と言えば聞こえはいいが実は妥協や諦めの積み重ね。努力ではどうにもならないことがあると知る度、ときどき心に鬼が巣喰ったり…。
幼児だった吾子の匂いや重さや温もりが癒しだった一方で、母親として後ろめたかったことも。
お歌を拝見して、退治するのは人生の終わりの辺りか、いっそ鬼とともに幽世に行くのかも、と少し捌けた思いです。
2019-02-04-00:37 * さやか [ 返信 * 編集 ]

今も夢見る 

・さやか さん

お返事遅くなってしまいました。節分、ずいぶん遠いことの気がします(笑)。

夫さん、末っ子さんのためにお面かぶって下さったのですね。いい思い出になるのでしょうね、そういったお父さん。

子育ての時代は、さまざまな行事に、一生懸命、向かっていました。マジメにしてました。そうして育てた子は、まったくそういったことに興味なく。とほほ。しかし、自分のライフワークのようなものを見つけて、よろよろしながらも頑張っていて、それは、孫の目にどう映っているか・・わかりません、仲は、とてもいいです。

歌。共感して下さり、とても嬉しいです。ありがとうございます。うたの師は褒めて下さった一首ですが、まああ、みたいな評価もあって。そういうのは、知らない顔して通過して来ましたが(笑)。

>幼児だった吾子の匂いや重さや温もりが癒しだった一方で、
>母親として後ろめたかったことも。

そう・・私にとって子どもへの思いは「ごめんね」が、一番大きいような。雑に育ててしまって。子ども一筋になってやれなくて。ごめんね、そればっかり。亡き母親に対しても、実は、そうである気がするのです。

鬼は外。あっち行け。て。人間は残酷なものだな、と。

>いっそ鬼とともに幽世に行くのかも、と少し捌けた思いです。

このお言葉…ありがとうございます。
2019-02-05-20:00 * KUON [ 返信 * 編集 ]