如月のうたのおべんきょ Ⅰ
毎月毎月、うたを詠みたい人々があつまっている。集まって下さって、それが続いている。それが喜びで誇らしいです。
今月も読ませていただきます。この色が詠草。この色は詠み人さんのお名前。この色は詠み人さんの詞書やメッセージや、思いや。この色はKUONが書いている部分です。感想なども書かせてもろてます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
白萩
今月も心待ちにしておりました。
・冬空に欠けなき月ののぼり来て星見えぬなかきりり耀う
「欠けなき月」とは、つまり満月、まん丸い月のこと。それをここでは「欠けなき月」と詠んでおられる。同じですけど同じでない。それが詩の言葉と言うもの。欠けの無い月。欠けのない、ということ、その言葉そのものが、ここでは大切なのです。どうして満月と書かないの? とは、詠み人でない誰かが言ってはならない。
・新品の赤ハイヒールをおろす日はなんとはなしに心浮き立つ
そうでしょうね、と思います。そうなのよね。赤いハイヒール。いいな。
・幼な子の面差し母堂へ生き写しにて健やかにとぞ祈りたりけり
[成田屋襲名発表]
まこと、父子ともにご立派でした。幼い成田屋さん、威厳も気品もすでに、備えている。見ているこちら側も胸の迫る思いでした。一朝一夕になるものではない、あの姿は。
・みずからの時の苦労は忘れしや 咳しただけで「悪阻!?」はやめて
[母への苦情]
・「結婚は?」終われば「赤ちゃんは?」の質問 いなすも辛き日も時にあり
[単なる愚痴]
・「ここにゆりかごあります」こうのとりへと立札出したくなる時もあり
[単なる愚痴2]
これ。よくわかります。とてもデリケートな問題。さまざまなことを自分で考え、実行してきた女性に対しても、こういったことは旧態依然としていて。作者には申しわけないですが、ここに、今後、男の子だとか女の子だとか、胎教だとかああだこうだと。いろんな「善意」が降りかかっても来そうで。ううむ。
結婚なさる前の作品から読ませていただいておりますが、あえてうたをもって知らせていただく以外には、こちらから一切、お聞きするまいと決めておりました。祝意はお腹のなかに秘めて。・・・内心での苦情けっこう、愚痴けっこう。ここでお漏らし下さいな。
かりそめ
〈ゴネコさんちの小僧さんのファンです〉
*野鳥園ノトリとなぜに読まぬかと子は難問を母に投げかく
(笑)。非常にコアな話題ではあります。が、ここで「難問」と詠んでおられることにより、一般的に「わかる」うたになっている。ナイスな言葉選びと感じました。こういう男の子、いいなあ。と、私もあの小僧さんのファンです。
*虫たちは温(ぬく)き地中に夢を見る春雪ふはと若草の上
「春雪ふは」がいいです。
*共有の植樹禁止のはずの苑紅白の梅ことに麗し
共有の地であり、植樹禁止の地でもある。そこに、どなたかが、植えられた? 。その地に、紅白の梅が「ことに麗し」と。作者の思いは深い、その深さがきちんと伝わっている。
*満開の梅のすきまに赤きものはや開きたる二輪の椿
*病院へ行きと帰りと違ふ道四温の光たつぷり浴びて
病院へ行きと帰りの道を違えて,三寒四温の四温の光をたっぷり浴び、と詠まれる作者。私も椿の花と樹が大好きです。春はいいですね。
*あの頃の君は眉間にいつも皺好好爺たる訃報の写真
*我棄てて佳き人生を終えたらし今あるものは懐かしさのみ
ご存じだった頃のその人の、いつも深かった眉間の皺。いまあるものは懐かしさのみ、と置かれた言葉に、複雑な思いが偲ばれます。「佳き人生を終えたらし」に、どこか突き放すような苦さを感じたりするのですが、「終えた」と書かれて「終えし」でないのは、何か意味があるのかなあ、と、深読みしてしまいました。
黒猫アビ
・ふわふわと風に吹かれて雪が舞う
雪の行方を眺め楽しむ
いとけない女の子のような、愛おしい一首ですね。はじめ「雪」を一度にまとめて、などとも考えたのですが。いや、「「雪が舞う」その「雪の行方を」眺め楽しむ、のだと、時間の経過を感じさせてくれる、このままでいい、このままがいい、と思い直して、読ませていただきました。
・我みつめ心配性の性格は
子供時代の悲しきなごり
よくは判りませんが、子ども時代に胸の縮こまるような思いを、繰り返しなさったのかずっとそうだったのか。のびやかに、大人に甘えて、という育ち方の出来にくかった子ども時代だったのだな、と感じ、切ない思いがします。見当違いかも知れませんが、私が、お酒を呑んで酔っ払う(自分を見失う瞬間を持つ)ということが絶対に出来ないのは、作者に似た感じかな、など、脱線して考えました。
よくは判るのですが、自分のことを「悲しき」と詠むと、要らない反発を買うってことも、この世にはあるようです。別に構わないんですけど、我みつめ心配性の性格は、で、よくわかるので、「子ども時代の名残なるかも」とか「子ども時代のおそらくなごり」とか、と考えて。いやいや、とまた考えて。この一首も、はじめ詠まれた通りが一番。と、思い直した次第です。
母に対して
・抜けぬとげ抜けば血がでる心中に
いまだかかえる鬼すむ心
辛いうたですね。でも、こういううたも詠まれればいい。薄まるものもある、と、私は、信じているのです。一首、いっしょけんめい考えてみましたが、この思いそのままに、なんとかいちばん気持ちに添うように、と考えて。
「これ抜けば血を噴くだろう心中の鬼が育てたわが暗きとげ」
こんな風になってしまい、なんだか申し訳ない。もちろん元の作品のままでも。「暗きとげ」は「深き」でもよく、「重き」でもいい。
すみません、今夜はここまで。すばらしいおうたをいただいています、嬉しいです。