さういへば2・26
「暴力のかく美しき世に住みてひねもすうたふわが子守うた」
うたの師がお好きだった「斎藤史」という歌人のうたである。斎藤史も私の師も、すでにこの世におられない。
「二月廿六日、事あり、友等、父、その事にかかわる」。
2・26事件の起きたその時、若い母親だった史が記した一文。陸軍将校だった父・斎藤瀏(りゅう)は叛乱ほう助罪に問われ禁固刑に。幼なじみの一人もクーデターに加わっていた・・親しい将校の刑死、という「事件」だった。
今日も2・26だ。2月26日。カレンダーを見て、なんとはなしにそんな思いが胸をよぎっただけ。
2・26「事件」を起こした人々の気持ちを、あまり判らないながら考えてみると、当然、三島由紀夫に行き着く。三島由紀夫は現在の皇室を見ないままだったこと、よかった。言うまでもないか。。
歌人・斎藤史は、皇居に招かれたことがおありだった。昭和天皇の在世中。将校たちのクーデターにいたくお心を乱され、自ら火消しに当たられた天皇は、斎藤瀏の娘、史を間近にされて、ハッとされたように「元気でおったか」のごとき言葉を発されたという。史は、しとやかに目礼を返したという。人生、無茶苦茶になられたのですけどね。
今上天皇の即位30年を祝う会とやらが催され、そこで皇后のうたが披露され、かつ、過去に天皇が詠まれたという御製に、皇后が曲をつけたという「琉歌」を、若い歌手が歌ったという。歌手は「全身全霊で」うたったそうで。やたら何でも大仰になる。大知クンをくさすつもりは全く無い。
陛下の御製は、うまい、うまくない、の範疇にはまらないものと思っている。天皇の詠みたまいしうた。そういうものと思っている。それを、どうも皇后がナニヤラしている、とは、ずっと考えていたこと。うたに限らないが。
その地へ行ったからとて、その地のことばで器用に、今上が幾首もうたわれたとは考え難い。私がこんなこと言っても、いつものミジンコのため息、ってなもんであろうが。
たかが天皇の連れ合いが。なんでそんなことをする。なんでそんなことをさせておく。とか。無視、無視、とオノレをなだめつつ。あっちの方でしてはること、カンケイーない、と思いつつ。
なんですか、皇居で茶会してると。三回も、茶会、しておらるると。すごい体力でおわすことよ。感嘆。。ミテコさまにおかれましては、上機嫌の上ゆく笑顔にておわしますご様子。無理くり即位まで持ってゆかるる皇太子も、ちょーご機嫌の笑顔。次代皇嗣殿下も、美酒を片手にご機嫌うるわしゅうあらしゃる。二人のお嬢もいてはりますなぁ、いてあげてはるのか、やっぱり楽しい感じなのかな、華やかな場所で。
まさこは欠席。ずっと欠席。そんなの気にしないで、ということか。これからも彼女の体調次第、ケジメって何のこと。
民は黙して働きおれ、ありがとうして慎みて税を納めおれ。そーゆーこと。今更何をヒガンバナ。
斎藤史の、もっとも知られているかもしれない一首を、最後に、あげさせていただきます。
死の側より照明(てら)せばことにかがやきてひたくれなゐの生(せい)ならずやも
―斎藤史