別れのサンバ
今では伝説の、と称される、渋谷にあったジァンジァン。平気では入って行けませんでした。東京には知人も友人もいなくて、街の様子も電車の路線もまったく分からなくて。わからないんです、と言うことは恥ずかしくなかったので、言ってもいい相手にはそうと言って、教えてもらいました。編集者という職業の方に、何人も、甘やかしてもらってしまいました。殊に、途中でインドへ行ってしまわれたS社のYさんには、ホントにお世話になりました。
全身でビビッていた私を、初めてジァンジァンに連れて行ってくれたのは、Yさん。長谷川きよしを聴きました。今も長谷川きよし好き。「別れのサンバ」、「黒の舟歌」生で聴きました。震えました。長谷川きよし、素晴らしい歌が沢山あるのです。YOUTUBEでは限定的にしか聴けませんね・・。
長谷川きよし - 「別れのサンバ」2012
前述したように、後先考えず関西の静かな町の私学の女子寮から出て行って、ほぼ二十四歳まで。いろんな体験をしました、それが、時系列できちんとした記憶になっていません。あんなことがあった、こんなこともあった、と、アタマと気持ちの中に点々と残っている、学生だったのではなく、どこかの勤め人でもなかった、つまり、一年生の後に二年生になった、というラインが無いのです。どうしても覚えておきたい気持ちも無く、アタマのなか、薄まるままに流されての「冬眠」状態の年月もあって。
喫茶店で二週間働いたとか、精神病院に二か月つとめたとか。歳月が、一本のラインでなく、あっち行ったりそっちへ飛んだりしています、記憶そのものは、個々にはっきり、残っているのですが。
長谷川きよしが好きで浅川マキが好きで。決して明るい方、向いていない(笑)。岡林信康も来るらしいよと教えられて、71年の岐阜県、中津川市のフォーク。ジャンボリーに、出かけました。Hさんという編集者が、自分は取材があるから一緒に行こうと誘って下さった、はいお願いします、だったのです。それが、待ち合わせの駅で会えず。今みたいに携帯電話は無かった、編集部にかけたら、すでに出ているとのこと。止めようかと揺らいだものの、怖がりのくせに好奇心は強かった。カラダも元気だった、あちらで会えるかも~とか、いいかげんな見通しで、ぎゅうぎゅう詰めの電車に乗り込んだのでした。電話では、帰るから心配ご不要と伝えておきました。後でHさんは、帰るはずがないと思った、と。ここでも迷惑かけました。
電車降りたらバス。バスも満員。仲間とか友達同士で来ているっぽい人たちばかり。やたら明るいんでした、皆さん。とっても明るい人、怖かったのです、当時のワタシ。黙って前方を見つめていました。
着いたところは、ザワザワしていました。建物があるではない、森を切り拓いた、みたいな。広くて、人でいっぱいで、ああ、湖がありました(大きな池だと思った)それが「(文字が出て来ません)はなの湖(こ)だった訳。
これを書き始める前に、調べてみました。中津川フォークジャンボリー、71。
71年8月7~9日の3日間、岐阜県恵那郡坂下町(現在の中津川市) 椛の湖(はなのこ)の湖畔で開催された伝説ライブ。
出演は、あがた森魚とはちみつぱい(鈴木慶一、鈴木博文、本多信介、渡辺勝)、浅川マキ、五輪真弓、遠藤賢司、岡林信康、加川良、金延幸子、かまやつひろし、カルメン・マキ、ガロ、はしだのりひことクライマックス、斉藤哲夫、ザ・ディランII、シバ、シュリークス、高田渡と武蔵野タンポポ団、Dew、友川かずき、友部正人、中川イサト、中川五郎、なぎら健壱、長谷川きよし、はっぴいえんど、日野皓正クインテット、ブルース・クリエーション、本田路津子、三上寛、ミッキー・カーチス、安田南、山平和彦、山本コータロー、吉田拓郎、乱魔堂、六文銭。
いま眺めると、ものすっごいメンバーです。私はこの中の、三上寛、あがた森魚、吉田拓郎(よしだたくろう)くらいしか、聴けていません。あちこちで唄っている人々はいた、けど、それがどなた、と、解らなかったのでした。随分あとになって、吉祥寺の焼き鳥屋さんで、昼酒中の高田渡を見かけて。ずいぶん年を取られるのが早いなあ、などと、失礼な感想を持ちました。
「プカプカ」という歌が好き、↑ のメンバー表を見てザ・ディランIIを見たかったなあ、と、思いました。
三上寛、この時から多くの人に聴かれるようになった、のでしたか。「朝にカラスが鳴くときは~」とか。唄っていた記憶。違うかな? 迫力ありました。髪は長くなくて短髪でした。インパクト強かったけど、この後は聴いておりません。あがた森魚の歌は独特、真似してうたっていました。「赤色エレジー」とか「乙女の浪漫」とか、ポッケに石鹸、いっこ入れ~とか。たくろうはあの時「人間なんて」を、二時間くらい歌い続けていたのだと・・後から知りました。一部分は聴いた、パーっと明るい何かに包まれている人でした。たくろう好き、とは、私、口に出したこと無いな・・「祭りの後」とか、いい歌です。人がいっぱい集まっていて、熱気がすごくて、周囲は暗いし足元はデコボコで歩きにくいし、なんだか、湖でだれか行方不明らしいとか、小声で囁いているのがジワジワ聞こえてくるし。全くアウトドアの人間でなくて、土の上に座る勇気が無く、かといって座れそうな場所など無さそうで、フラフラ出て来た身、ゼイタク言う気は無かったが、ココロ細くなりました。
で、結果的には、そんなに長い間いられないで、誰かにみつけてもらって・・とても広い場所でしたのに・・大きな車に押し込まれて、食べ物飲み物いただいて、帰途に就いた。ヘタレはこの頃からです。以後は、自己完結できないワタシは、キャンプにも行かなかったです。基本、部屋にいる人で、時々、映画やコンサートに出かけました。
野外フェスとか。自分自身を開放しきれないので、無理だとわかりました。
聞けたらいいな、と願っていた岡林信康は、私の前か後かは知りませんが、身に危険を感じて(?)、自分にそぐわないものを感じて(?)早いうちに、その地を後にしたのだったとか。
とりとめない話になりました。Yさんはどこ行った? みたいな今日の記事です、また出て来られると思います、Yさん。
・・・・私に対して「威張っている」「自慢している」と書いて来られる方、おられます。どう思われようが自由とは思いますが、鬱陶しいから、そういう感想は要らない、と申し上げておきます。