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2019-02-27 (Wed) 20:02

別れのサンバ

どこへ行っても何をしても怖かったのです。それなのに世の中に飛んで出てしまい、とにかく怖かった。

今では伝説の、と称される、渋谷にあったジァンジァン。平気では入って行けませんでした。東京には知人も友人もいなくて、街の様子も電車の路線もまったく分からなくて。わからないんです、と言うことは恥ずかしくなかったので、言ってもいい相手にはそうと言って、教えてもらいました。編集者という職業の方に、何人も、甘やかしてもらってしまいました。殊に、途中でインドへ行ってしまわれたS社のYさんには、ホントにお世話になりました。

全身でビビッていた私を、初めてジァンジァンに連れて行ってくれたのは、Yさん。長谷川きよしを聴きました。今も長谷川きよし好き。「別れのサンバ」、「黒の舟歌」生で聴きました。震えました。長谷川きよし、素晴らしい歌が沢山あるのです。YOUTUBEでは限定的にしか聴けませんね・・。

長谷川きよし - 「別れのサンバ」2012

前述したように、後先考えず関西の静かな町の私学の女子寮から出て行って、ほぼ二十四歳まで。いろんな体験をしました、それが、時系列できちんとした記憶になっていません。あんなことがあった、こんなこともあった、と、アタマと気持ちの中に点々と残っている、学生だったのではなく、どこかの勤め人でもなかった、つまり、一年生の後に二年生になった、というラインが無いのです。どうしても覚えておきたい気持ちも無く、アタマのなか、薄まるままに流されての「冬眠」状態の年月もあって。

喫茶店で二週間働いたとか、精神病院に二か月つとめたとか。歳月が、一本のラインでなく、あっち行ったりそっちへ飛んだりしています、記憶そのものは、個々にはっきり、残っているのですが。

長谷川きよしが好きで浅川マキが好きで。決して明るい方、向いていない(笑)。岡林信康も来るらしいよと教えられて、71年の岐阜県、中津川市のフォーク。ジャンボリーに、出かけました。Hさんという編集者が、自分は取材があるから一緒に行こうと誘って下さった、はいお願いします、だったのです。それが、待ち合わせの駅で会えず。今みたいに携帯電話は無かった、編集部にかけたら、すでに出ているとのこと。止めようかと揺らいだものの、怖がりのくせに好奇心は強かった。カラダも元気だった、あちらで会えるかも~とか、いいかげんな見通しで、ぎゅうぎゅう詰めの電車に乗り込んだのでした。電話では、帰るから心配ご不要と伝えておきました。後でHさんは、帰るはずがないと思った、と。ここでも迷惑かけました。

電車降りたらバス。バスも満員。仲間とか友達同士で来ているっぽい人たちばかり。やたら明るいんでした、皆さん。とっても明るい人、怖かったのです、当時のワタシ。黙って前方を見つめていました。

着いたところは、ザワザワしていました。建物があるではない、森を切り拓いた、みたいな。広くて、人でいっぱいで、ああ、湖がありました(大きな池だと思った)それが「(文字が出て来ません)はなの湖(こ)だった訳。

これを書き始める前に、調べてみました。中津川フォークジャンボリー、71。

71年8月7~9日の3日間、岐阜県恵那郡坂下町(現在の中津川市) 椛の湖(はなのこ)の湖畔で開催された伝説ライブ。

出演は、あがた森魚とはちみつぱい(鈴木慶一、鈴木博文、本多信介、渡辺勝)、浅川マキ、五輪真弓、遠藤賢司、岡林信康、加川良、金延幸子、かまやつひろし、カルメン・マキ、ガロ、はしだのりひことクライマックス、斉藤哲夫、ザ・ディランII、シバ、シュリークス、高田渡と武蔵野タンポポ団、Dew、友川かずき、友部正人、中川イサト、中川五郎、なぎら健壱、長谷川きよし、はっぴいえんど、日野皓正クインテット、ブルース・クリエーション、本田路津子、三上寛、ミッキー・カーチス、安田南、山平和彦、山本コータロー、吉田拓郎、乱魔堂、六文銭。


いま眺めると、ものすっごいメンバーです。私はこの中の、三上寛、あがた森魚、吉田拓郎(よしだたくろう)くらいしか、聴けていません。あちこちで唄っている人々はいた、けど、それがどなた、と、解らなかったのでした。随分あとになって、吉祥寺の焼き鳥屋さんで、昼酒中の高田渡を見かけて。ずいぶん年を取られるのが早いなあ、などと、失礼な感想を持ちました。

「プカプカ」という歌が好き、↑ のメンバー表を見てザ・ディランIIを見たかったなあ、と、思いました。

三上寛、この時から多くの人に聴かれるようになった、のでしたか。「朝にカラスが鳴くときは~」とか。唄っていた記憶。違うかな? 迫力ありました。髪は長くなくて短髪でした。インパクト強かったけど、この後は聴いておりません。あがた森魚の歌は独特、真似してうたっていました。「赤色エレジー」とか「乙女の浪漫」とか、ポッケに石鹸、いっこ入れ~とか。たくろうはあの時「人間なんて」を、二時間くらい歌い続けていたのだと・・後から知りました。一部分は聴いた、パーっと明るい何かに包まれている人でした。たくろう好き、とは、私、口に出したこと無いな・・「祭りの後」とか、いい歌です。人がいっぱい集まっていて、熱気がすごくて、周囲は暗いし足元はデコボコで歩きにくいし、なんだか、湖でだれか行方不明らしいとか、小声で囁いているのがジワジワ聞こえてくるし。全くアウトドアの人間でなくて、土の上に座る勇気が無く、かといって座れそうな場所など無さそうで、フラフラ出て来た身、ゼイタク言う気は無かったが、ココロ細くなりました。

で、結果的には、そんなに長い間いられないで、誰かにみつけてもらって・・とても広い場所でしたのに・・大きな車に押し込まれて、食べ物飲み物いただいて、帰途に就いた。ヘタレはこの頃からです。以後は、自己完結できないワタシは、キャンプにも行かなかったです。基本、部屋にいる人で、時々、映画やコンサートに出かけました。

野外フェスとか。自分自身を開放しきれないので、無理だとわかりました。

聞けたらいいな、と願っていた岡林信康は、私の前か後かは知りませんが、身に危険を感じて(?)、自分にそぐわないものを感じて(?)早いうちに、その地を後にしたのだったとか。

とりとめない話になりました。Yさんはどこ行った? みたいな今日の記事です、また出て来られると思います、Yさん。

・・・・私に対して「威張っている」「自慢している」と書いて来られる方、おられます。どう思われようが自由とは思いますが、鬱陶しいから、そういう感想は要らない、と申し上げておきます。




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最終更新日 : 2019-02-27

あの時代 * by 茉莉茉莉
KUONさんの十代・二十代の青春時代は、文化人や芸能人達がいろいろ輩出した、熱気ある時代でしたね。ほぼ同世代の自分はその時代の雰囲気を共有しています。文化人や芸能人や編集者が、才能ある魅力的な美少女に親切にするのは男の性として必然ですよ。

S社のYさんとは新潮社の方で、瀬戸内寂聴(晴美)の担当だった方ではないですか?インドに行った浮世離れした編集者のことを、以前、瀬戸内寂聴さんが話していましたから。

全盛期のオーラ出まくりのジュリーと直近で、接していたなんて。あのGSの熱狂時代を知っていますから、考えられないスゴいことですよ。

浅川マキの歌が好きで昔のLPを持っていますが、レコードプレーヤーを無くしてしまったので、聴くことが出来ません。寺山修司作詞「ふしあわせという名の猫がいる。いつも私のそばにぴったり寄り添っている…」

渋谷のジァンジァンは独特な雰囲気のある場所でしたね。出演する人達も…


No title * by KUON
・茉莉茉莉さん

浅川マキ、お好きですか。私も大好き。自分のスタイルを、しっかり持ってましたよね。黒ずくめの服装もそうでしたが、私の知った限りでは、歌の言葉に、とてもこだわりを持っていた。ビリー・ホリディを唄える唯一の、などと言いはやされても、軽~く乗ったりしないで、元の詩を(彼女は唄の言葉を「詩」と呼んでいたのですね、日本語にきちんと直させて、それを、自分のうたいたい日本語の詩の言葉に、じっくりと置き換えて行った、と。読んだことがあります。いろんなとこで浅川マキの歌を聴きました、今でも忘れられないのは、名古屋の厚生年金ホールだったかな‥大きな舞台でした、その中央に一人で立って、「少年」という歌、アコースティック・ギター一本で唄った。イントロが、シンプルに始まって、マキが、息をすうっと吸い込んで、

ゆう~ぐれ~のまち~を、と歌い出した、その息の合ったのを間近にして(いい席にいたのよ(笑))息が止まった。やっぱ、ライブやわ、と。

「ふしあわせという名の猫」いい歌。このあたり、寺山修司の世界入ってましたね。「かもめ」とか「ちっちゃな時から」定番、そして、呪歌みたいな、低音の聴いた歌もよかった。「奇妙な果実」を、初めて聴いて、動けなくなった。

LP持ってるのに聴けない・・残念ですけど、それもいいではないか、と、勝手に思います。媚びないでおもねないで、自分の歌を大事に歌った浅川マキの、何かが、黒いレコードの中に封じ込められている。大切に持っていて下さいね。私はすべて、今、手元に持っていないんです。すてきだなあ、と思った,もっていて下さいね。私の勝手な思い込みです。あの時代のことは、キリなく思い出します。

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あの時代

KUONさんの十代・二十代の青春時代は、文化人や芸能人達がいろいろ輩出した、熱気ある時代でしたね。ほぼ同世代の自分はその時代の雰囲気を共有しています。文化人や芸能人や編集者が、才能ある魅力的な美少女に親切にするのは男の性として必然ですよ。

S社のYさんとは新潮社の方で、瀬戸内寂聴(晴美)の担当だった方ではないですか?インドに行った浮世離れした編集者のことを、以前、瀬戸内寂聴さんが話していましたから。

全盛期のオーラ出まくりのジュリーと直近で、接していたなんて。あのGSの熱狂時代を知っていますから、考えられないスゴいことですよ。

浅川マキの歌が好きで昔のLPを持っていますが、レコードプレーヤーを無くしてしまったので、聴くことが出来ません。寺山修司作詞「ふしあわせという名の猫がいる。いつも私のそばにぴったり寄り添っている…」

渋谷のジァンジァンは独特な雰囲気のある場所でしたね。出演する人達も…

2019-02-27-23:36 * 茉莉茉莉 [ 返信 * 編集 ]

今も夢見る No title

・茉莉茉莉さん

浅川マキ、お好きですか。私も大好き。自分のスタイルを、しっかり持ってましたよね。黒ずくめの服装もそうでしたが、私の知った限りでは、歌の言葉に、とてもこだわりを持っていた。ビリー・ホリディを唄える唯一の、などと言いはやされても、軽~く乗ったりしないで、元の詩を(彼女は唄の言葉を「詩」と呼んでいたのですね、日本語にきちんと直させて、それを、自分のうたいたい日本語の詩の言葉に、じっくりと置き換えて行った、と。読んだことがあります。いろんなとこで浅川マキの歌を聴きました、今でも忘れられないのは、名古屋の厚生年金ホールだったかな‥大きな舞台でした、その中央に一人で立って、「少年」という歌、アコースティック・ギター一本で唄った。イントロが、シンプルに始まって、マキが、息をすうっと吸い込んで、

ゆう~ぐれ~のまち~を、と歌い出した、その息の合ったのを間近にして(いい席にいたのよ(笑))息が止まった。やっぱ、ライブやわ、と。

「ふしあわせという名の猫」いい歌。このあたり、寺山修司の世界入ってましたね。「かもめ」とか「ちっちゃな時から」定番、そして、呪歌みたいな、低音の聴いた歌もよかった。「奇妙な果実」を、初めて聴いて、動けなくなった。

LP持ってるのに聴けない・・残念ですけど、それもいいではないか、と、勝手に思います。媚びないでおもねないで、自分の歌を大事に歌った浅川マキの、何かが、黒いレコードの中に封じ込められている。大切に持っていて下さいね。私はすべて、今、手元に持っていないんです。すてきだなあ、と思った,もっていて下さいね。私の勝手な思い込みです。あの時代のことは、キリなく思い出します。
2019-02-28-18:53 * KUON [ 返信 * 編集 ]