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2019-03-02 (Sat) 11:49

お水取りが始まりました・前編

奈良・東大寺の二月堂でお水取りが始まりました。正しくは「修二会(しゅにえ)」。

今年は1268回目。戦争中も途絶えず、1268年間、続いてきた行事と聞きます。第二次世界大戦のさ中は、お坊さんがたも次々に出征して行かれ、人数の揃わず、奈良にも敵の飛行機は飛んできていた中、残った方々が、この火は絶やさじと。灯りを最小限にし、空襲の的にならないように祈りながら、おつとめをされたということです。

「練行衆(れんぎょうしゅう)と呼ばれる十一名の僧が、十五日の満行まで、本尊の十一面観音の前で人々に変わって罪をざんげし、天下泰平や五穀豊穣を祈る」。

そういう行事で、お水取りが済んだら春が来る。奈良の衆は当たり前にそう、言い習わして来ました。新聞の紙面にローカル局のテレビ番組に、準備の段階からのあれこれが紹介されます。回廊を走る松明、夜目に激しく舞い散る火の粉。火の行事です。

奈良の三条通。JR奈良駅から春日大社の鳥居まで、東西にまっすぐ通る、平城京の賑わった時代から変わらぬ三条通のひとところで、10年ほど、小さな店を営んでおりました。いきなり始めた店で=これを書くのは初めてですが、大学院まで出て職につかず、父親の会社の何やら営業するとあちこちにいい顔して生きていた夫の弟が、いわば躁状態で外国から買い付けた1000個を超えるガラスのアクセサリーや二百個ほどあったガラスのオルゴールその他を、どうするか。あんたこれ、売りなさいよ。ガラスの綺麗なモン好きや、言うてたから〇〇が、仕入れてあげたんや言うてるし。今考えれば無茶苦茶な話ですが、親には何でも「ハイ」だった私でした。モノそのものは事実綺麗で、自分も欲しいような品でした。ただ、多すぎて目がくらみそうではありました。

とにかく夫の母親に命じられて、売らせてあげる顔の義弟のドヤ顔に背を突かれ、ああそうですかと、商売の「し」の字も知らず、納品書って何ですか?のシロートが、引き受けた。当時の夫は、姑や義弟とは異なる位置関係ではありましたが、基本的にはあちら側のヒトでした。やってみたら、とか。皆、ワルい人ではないのです(笑)。おかしいヒトなだけでした。

さて売れと言われても店が無い、ものを買っていただくために必要なナニモノも無い。考えて、初めは行商をしました。多分あれは、行商だったのだと思う。割れやすい物ばかりを、ダンボールの箱に詰め、ハンティングワールドの大きなバッグに詰め、偽物のビトンと二つを両手に下げて、ここは、という店に入って行って、

「これを委託で預かってもらえませんか」

と回った。時はバブルのしっぽのあたりでした。まだバブルの泡は引ききっていなかった・・断られたり喜んで引き受けてもらえたり、反応はさまざまでした。奈良のきれいなもの可愛いものを扱っている店舗を、いっしょけんめいに回りました。私は運転ができませんので、休みの日は夫が車を出してくれました。夫も、違う意味で必死だったのでした。オトウトは、お金のことはさっぱり、ワヤな人間で。故知らぬ(母譲り)の選良意識と、気弱なゆえのエエカッコシイの気質と・・何より、誰かが自分にいい顔をしてくれたら無条件に嬉しく、できないことでもできると引き受けてしまう人間で。夫はその後片付けに、ずうううっと追われ続けていたのでした。

なぜ、と問われて、こうこうです、と、名答できれば、世の中は容易いもんだと思います。

珍しい品であることは確かで、自宅の洋間いっぱいに積み上げられた義弟の商品は、わずかづつですが、減って行ってくれました。わずかずつ。

店によっては、これら(アクセサリーとオルゴール)を、自分のところでだけ扱いたい、よそに持って行かないでくれないか、というところもありました。商売わからない、必死なだけの私にも、それは不可能なことと判断されました。一度に30個とかオルゴールなら五つとか。まずは一週間預かってもらって、売れたら決めた分だけのお金をいただくやり方で、他の店には頼まないことにしたら。わが家の洋間は、いつ、空けられるのか。考えて私は、     ここから三か月ほど時は流れる     一日借りてナンボ、の小さな場所を見つけて。大中小の和紙風の袋を買って来て、消しゴムはんこを自分で彫って、一枚一枚押して、自分で商品を売ることにしたのでした。

娘たちは、中学生と小学生でした。袋へのハンコ押しや、プレゼント用に、これも五色のリボンを、小さくカットして結んで貼って、という作業を手伝ってくれました。店名のシールを作りました、けっこう高くつきました。いっぱいありました、シール。

自分の名義で貯めていたお金のほとんども義弟に支払って、あれやこれや、もう勝手に持ち込まないで欲しいと。これは申し出ました・・のですが。時、すでに遅し。愛人さんとの家庭、孫より幼い子どもを守りたい舅は、華僑相手の商売上の大きなバクチに手を出していて、私の日払いの店をアンテナ・ショップにともくろんでいたのでした。義弟も同様。ウチは奈良の目抜き通りに店を持っているからとか勝手にイイ顔をして、ガラスの小物を私のところに「仕入れさせてあげる」話を、つけてしまっていた。商品は多い方がいいでしょう、と、やはりドヤ顔。これには文句を言って、夫にも苦情を言って。しかし姑はいつものパターン変わらず。あんたのこと思て、あのコもアタマ下げてくれやったのに、です。ワタシのことは思うていりません。初めて大きな声を出しました。一日借りて幾ら、の店が、実態でした。賃料は一日数千円という話ではありませんでした。三条通に店がある、というのは、奈良では、ほお、そうなんですか、と、いっぱしの通り方を意味することでした。だから私もそこを借りたかったのでした、イコール借り賃は高かった、時代はバブル終末期。舅姑や義弟に、一円のお金をもらったわけでは無い。とにかく、夫が前へ出て引き受けてしまった品を、お金に変えなければならない。夫は、人事権と経理を任されていない社長になってしまっていました。夫も研究バカ。人事も経理も親父の(愛人の)するがままって、そんなの社長ぢゃないよ。もう頑張るしかない。その思いでいっぱいでした。舅のアイジンさんには「財布二つで、おたく、いいわね」とか言われるし。そういう時には黙っている。何か言うと言質になる。舅の愛人さんも、子ども産んだはいいが、舅は離婚してくれないし、先を思えば必死だったのでしょう。事実、今は苦労なさっておられるようで。

その場所を、持ち主(老舗の旅館さんの一部を借りたのでした)が使う時には、何もかも除けて、旅館さんが団体客の食堂として使える状態に、戻さなければならない条件で借りた、一日幾ら、の「店」。食堂の食卓に、大きな布を敷いて。急遽、母の実家の田舎の蔵から貰って来た盆や台や足付きの膳に、趣味で集めていた古布を敷いて置いて、商品を置いて飾って、ヴェネチア細工のランプなどを持っていたのを光源にし、いわゆるレトロな店、風につくっていた、評判はとてもよかったのでした。扱うものは割れ物ばかり。今日は引き上げ、という日は、営業時間いっぱいお客さんに来ていただいて、そこだけは物置に使っていいと貸してもらえた半畳ほどの空間に、割れないようになるべくたくさん入れられるように、足付き台に乗せたまま商品を納められるように、工夫して積んで。片づけて。娘たちも手伝いに来ることがあったし、そうでない時は、朝のうちに夕食の準備をして店に来て。夜遅くまでかかったり、雪の夜にあわてて走って滑って転んで。自分でもよく頑張った時期でした。その二日後、三日後にはまた、出して広げて、の繰り返し。

時には、すべて片づけた後、夫のバンに何枚もの大きな布やレジ代わりにしていた祖母の裁縫箱や子どもらを積み込んで、焼き肉屋へ行きました。少し余裕ができてからのこと。娘たちが楽しそうにしていて、もっと頑張ろうと思いました。

先日来たらやっていなかった、定休日はいつですか、の問いに答えられなかったり。大きな声のおばちゃまに「気分次第で商売やってはるのか、奥さまの道楽か」とヤられたり。あいまいに笑っているしかなかった、資本金が潤沢だったわけではないので。

私は、屋根のある露天商だと自分を思っていました。
つい、それを姑に言ったら「露天商やなんか言わんといて、かっこ悪い」などと返されて。お腹の中に黒い虫も育っていったようでした。「いついつに私の友達が見に行く、言うてやから、あんばいしたげてな」と仰られれば、これにも「ハイ」でした。おいでになられた奥様方、商品に興味を示していただければ私も、あんばいのしようにも「よっしゃ」がかかろうというもの、そうでもなく、なんて言うてもガラスやもんなあ、など、ガラス屋に来てガラスを貶めるご発言。はい、本物のガラスなんですよぉ、とか返すのが精いっぱい。

「〇さんもエラいなあ、お嫁さんにこんなお店持たせてあげはって」

そのご発言には、「ええ、ここ、実家の母に少し助けてもらいましてね」と、つい言い返した未熟者でした。嘘ではない、お金を出してくれたのは、ごく些少な額でも、私の母だけだったのです。姑からは、これ二度目に言いますが、一円の恩恵も受けていません。それどころか。ご自分の実家への土産に何か、とせっつかれて、何度かお渡しした・・ネオジウムという、光の加減で色の変わる珍しいガラスの小鳥のセットなどは、おそらく当時はどこにも無くて、店で人気があったのでしたが、姑の実家では不評だったとか。まあ、いったん手を離れたものについては、何も思わないことにしております。

義弟が仕入れの道筋をつけて下さった、その道の大家(たいか)と言われた方には、会いに行って、自分はこれこれのやり方をしているだけの者。自転車操業みたいなお金の動かせ方しかできていません、種類をたくさん世話になりたい思いはやまやまなれど、今はまだ少しずつしか買えないのが実情です。いかがなものでしょうか。と、談判。本当のことを言うのが一番です。

相手の方は、よう解りました、と仰って下さり、どれくらいのお金なら出せますかと尋ねられ、う~ん、これくらいしか、と申し上げると、それにも「わかりました」と。ほんの少量ずつ、人気のある品をあれこれ入れてあげましょう、頑張って下さいや。と。三日後には届けてあげると、お昼ご飯をご馳走して下さったのでした。以後、いささか義弟の絡んだナニヤラがありましたが・・その方は、義弟との話でいっときは合意されていたというバックマージンを拒否されたようで、義弟がぶつぶつ言って来て・・もう私は、義弟を無視してやり過ごしたのでした・・それがお気に召さないお方が、うるさかったことは、言うまでもないことで。

何年かのうちには、旅館の反対側のスペースで常設の店にすることが出来、私は、お盆も正月も働いていました。いろんな思い出があります。楽しいこともありました、いっぱい。悔しいことも胸の迫る出逢いもありました、いっぱい。阪神大震災にも遭いました。


・・・お水取りの話題で始まった話が、どこへ行くやら風任せ、になるのは、もう、定番になってきました。

きちんと修二会に話は参ります。お水取りの練行衆のお手伝いに、地方のお寺から(おそらくボランティア、あるいは名誉な感じでもある?)奈良へおいでになる方の、中の、印象深いお坊さんの話を、書くつもりでした。今もそのつもりですが、長くなりました、これは、前編、ということに。

今、決めました。ここまでお読み下さり、ありがとうございました。



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最終更新日 : 2019-03-02

No title * by KUON
・oーさん。もう来ないでと以前も申し上げました。他のサイトにも同じ文面を書いておられますね。はじめ一度はお返事しましたが、今回は削除しました。

* by 雪灯り
ここ何ヶ月か心が真っ黒でした。未だ未だ私は恵まれてると思いました。
心を綺麗にいるようしないといけないなと思いました。
お店いって見たかったです。

No title * by KUON
・雪灯りさん

>未だ未だ私は恵まれてると思いました。

こう書いていただくということは、私くおんは恵まれていないということなのか。
黙っていようとも思いましたが、過去の自分を「よくやった、頑張った、ワハハハ」と、楽しんで書いております(アホですね~(笑))のが、へこみますよ。可哀そうなワタシだったと思われてしまうのか、と。でも書くけどね。

私は、人と自分を比較しない、ように生きていますので、されたくもないのです。個人的なモンダイですけどね。私は十分、ものすごく恵まれた人間と思っています、ココロがきれいか汚いか。それは、どんな時もありました、と、思っています。

激しいお返事になりましたが、正直なところを書いてみました。

No title * by 茉莉茉莉
商売の苦しさはお金が絡む苦しさで辛いです。祖父、父とも一生懸命でしたが二代続けて商売に失敗しました。

KUONさんご夫婦以外の身内の方々が、無神経で感謝のない自分勝手な人達で、腹が立ちます。他人は好き勝手な事を言いますし。真面目に一生懸命働く人の方に、なぜか、しわ寄せが行きますね。でも幼かったお嬢さん達の手助けもあったんですね。心が温まります。

KUONさんは、手探りの中で、いろいろアイデアを出して頑張ってこられたんですね。無尽蔵な底力があったんですね。立派です。

楽しんで読ませていただいてます・・・ * by ねこやま
KUONさんの壮大な私小説

宮本輝の「流転の海」と同じと思います。

連載小説を読んでる~わくわくして次を待っています。



キラキラ * by かりそめ
ほんとうに人の感じ方はいろいろですね。

KUONさんの生きたことばで綴られる過去は私には眩しいくらいキラキラしている。中高校生の時もお家を出たあとも(作家をやめられたのは私には残念です。きっと愛読者になっていたと思う)、そしてお店をやっていらした時も。売っていらしたガラス(残念なことに手にとることはできませんでしたが)のように美しい。

そして私にとっては私の過去はキラキラしている。誰のものとも比べられたくない。
たぶんみんなそうなんじゃないかな。

次のお話楽しみにしています。

・・・・ * by ゴネコ
なんだか言葉にならないんですけど、コメントしなきゃ、と
思いました。
でも、コメントができません。
じゃ、おとなしく読んでなさい、という声がします。
けど、コメント欄に「ゴネコ」の文字を残したかったのでした。


No title * by まめはな
KUONさんのこういうお話、もっと聞きたいです。
思い出していくうちに
お辛い気持ちや、やるせない気持ちになられることも
あるかもしれませんが…。
年上の方の生きて来られたお話を聞きたいです。

* by さやか
親御さんの反対を押し切って文筆業をなさっていたKUONさんと、姑の無理難題に是、としか仰らなかったKUONさんがどうにも重ならないでおります。
ただ、少しずつご自分の意思を出されていくご様子に共感を覚えました。
私は乾いた木の枝のように強く我を押し通してしまう性分ですが、KUONさんはしなやかで、強い印象です。
続きを、楽しみにしています。

管理人のみ閲覧できます * by -

No title * by KUON
・茉莉茉莉さん

商売はね。難しい。ホント。私はそれなりに、楽しんでいました、ホント。若くて健康だったし。震災の当日、翌日、それ以来。いろんな精神的体験をしました。

人は自分の運命を自分で決めながら生きてる、と思います。舅については一度書きたいですが、姑は、先日会った時「わたしまだ生きてんねん、まだ死んでへんねん」と、抱きついて来られて。寂しいんだな、と、と思うが、私には手が出せないんです。病院へ行ったあと、お寿司を食べてもらって、お小遣いを渡して、それだけしか。義弟は半身不随になっていて、リハビリしなかったので、完全にどこへも行けない。でも、まだ甘い話をしかけて来る。彼も寂しいのでしょう、私は、どんな儲け話にもいっさい、乗りません。義弟のつまは、ふたり抱えて大変と思うが、おねえさんは近寄って欲しくない、と、かつて言い渡されたので。私が何か持ち出すと目を光らせていた。(笑)。何もほしくなんか無いんだよ、今、私は幸せだから。そういう感じ。ひどいでしょう。ひどくてもいいの。姑のお葬式は、出させてもらうつもりでいるの。後は知らない。後始末はもうしたくない。

そういうことです。娘たちがノンキに、頑張り屋に育ってくれたので、私はあれで良かったんだろうと、自画自賛。後は、今の自由が大事です(笑)。

・ねこやま さん

宮本輝~!。あわわわ、輝さんファンに叱られますよ~(笑)。私も、読みふけった作家さんです。タイトルのつけ方がうまくて。「避暑地の猫」とか。「流転の海」は、まだ読了していません。主人公、魅力的な男ですよね。お父さんがモデルですよね。
宮本輝が原作の「道頓堀川」という映画が、大好きだったんです。所有してどんだけ観たか、と言う作品。

身に余るお言葉。本気で、ありがとうございます。

・かりそめ さん

わあわあ騒いでお恥ずかしい。ぽ。

>そして私にとっては私の過去はキラキラしている。誰のものとも比べられたくない。
>たぶんみんなそうなんじゃないかな。

おそらくそうだと思います。なんと書いていいか、わからない~。感謝。


・ゴネコさん

なかなか言葉って出て来てくれないことありますよね。

なんと書いていいのかわからない~~~。感謝。ん?。


・まめはな さん

>お辛い気持ちや、やるせない気持ちになられることも
>あるかもしれませんが…。

大丈夫ですよ。大丈夫にならないと出せない思いもあるでしょうし、辛かったことを書いてしまう妙な快漢もあるし、あ、逃げないで~(笑)、強いられていない以上、自分が書きたくて書くのです。

本当に、心底、これは無理、ということは、なかなか出てこない、出せない、ずっとしまいこんだまま、の思いもある。それは事実と思いますが。読んでもらえたら嬉しい、と言うことだと思います。

童話、たのしんでよませてもらってます。

・さやか さん

人間って、ずっと同じでいると思えないんです。緩いカーブで先へ進んで行く人もいれば、途中でぼっきり、折れて、変わってしまうこともあるのではないでしょうか。

私は、好きな人を亡くして、そのままの自分で生きていられなくなりました。うまく言えないけど、そういうこともある気がします。そして

、しなやかなんじゃなくて、基本、いいかげんなんです。本読めて好きな音楽聴けて、この味、と思えるもの口に入っているなら、あとは、よきにはからえ~~~って、いいかげんなとこ、大きいと思います。わははは。

No title * by KUON
・ヒミツコメント下さった○○さん。

こちらこそごめんなさい、かも。お返事は、可能な限りさせて頂いておりますので。

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今も夢見る No title

・oーさん。もう来ないでと以前も申し上げました。他のサイトにも同じ文面を書いておられますね。はじめ一度はお返事しましたが、今回は削除しました。
2019-03-02-16:00 * KUON [ 返信 * 編集 ]

ここ何ヶ月か心が真っ黒でした。未だ未だ私は恵まれてると思いました。
心を綺麗にいるようしないといけないなと思いました。
お店いって見たかったです。
2019-03-02-16:16 * 雪灯り [ 返信 * 編集 ]

今も夢見る No title

・雪灯りさん

>未だ未だ私は恵まれてると思いました。

こう書いていただくということは、私くおんは恵まれていないということなのか。
黙っていようとも思いましたが、過去の自分を「よくやった、頑張った、ワハハハ」と、楽しんで書いております(アホですね~(笑))のが、へこみますよ。可哀そうなワタシだったと思われてしまうのか、と。でも書くけどね。

私は、人と自分を比較しない、ように生きていますので、されたくもないのです。個人的なモンダイですけどね。私は十分、ものすごく恵まれた人間と思っています、ココロがきれいか汚いか。それは、どんな時もありました、と、思っています。

激しいお返事になりましたが、正直なところを書いてみました。
2019-03-02-18:04 * KUON [ 返信 * 編集 ]

No title

商売の苦しさはお金が絡む苦しさで辛いです。祖父、父とも一生懸命でしたが二代続けて商売に失敗しました。

KUONさんご夫婦以外の身内の方々が、無神経で感謝のない自分勝手な人達で、腹が立ちます。他人は好き勝手な事を言いますし。真面目に一生懸命働く人の方に、なぜか、しわ寄せが行きますね。でも幼かったお嬢さん達の手助けもあったんですね。心が温まります。

KUONさんは、手探りの中で、いろいろアイデアを出して頑張ってこられたんですね。無尽蔵な底力があったんですね。立派です。
2019-03-02-21:41 * 茉莉茉莉 [ 返信 * 編集 ]

楽しんで読ませていただいてます・・・

KUONさんの壮大な私小説

宮本輝の「流転の海」と同じと思います。

連載小説を読んでる~わくわくして次を待っています。


2019-03-02-22:53 * ねこやま [ 返信 * 編集 ]

キラキラ

ほんとうに人の感じ方はいろいろですね。

KUONさんの生きたことばで綴られる過去は私には眩しいくらいキラキラしている。中高校生の時もお家を出たあとも(作家をやめられたのは私には残念です。きっと愛読者になっていたと思う)、そしてお店をやっていらした時も。売っていらしたガラス(残念なことに手にとることはできませんでしたが)のように美しい。

そして私にとっては私の過去はキラキラしている。誰のものとも比べられたくない。
たぶんみんなそうなんじゃないかな。

次のお話楽しみにしています。
2019-03-02-23:47 * かりそめ [ 返信 * 編集 ]

・・・・

なんだか言葉にならないんですけど、コメントしなきゃ、と
思いました。
でも、コメントができません。
じゃ、おとなしく読んでなさい、という声がします。
けど、コメント欄に「ゴネコ」の文字を残したかったのでした。

2019-03-03-10:09 * ゴネコ [ 返信 * 編集 ]

No title

KUONさんのこういうお話、もっと聞きたいです。
思い出していくうちに
お辛い気持ちや、やるせない気持ちになられることも
あるかもしれませんが…。
年上の方の生きて来られたお話を聞きたいです。
2019-03-03-10:45 * まめはな [ 返信 * 編集 ]

親御さんの反対を押し切って文筆業をなさっていたKUONさんと、姑の無理難題に是、としか仰らなかったKUONさんがどうにも重ならないでおります。
ただ、少しずつご自分の意思を出されていくご様子に共感を覚えました。
私は乾いた木の枝のように強く我を押し通してしまう性分ですが、KUONさんはしなやかで、強い印象です。
続きを、楽しみにしています。
2019-03-03-20:42 * さやか [ 返信 * 編集 ]

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます
2019-03-04-08:40 * - [ 返信 * 編集 ]

今も夢見る No title

・茉莉茉莉さん

商売はね。難しい。ホント。私はそれなりに、楽しんでいました、ホント。若くて健康だったし。震災の当日、翌日、それ以来。いろんな精神的体験をしました。

人は自分の運命を自分で決めながら生きてる、と思います。舅については一度書きたいですが、姑は、先日会った時「わたしまだ生きてんねん、まだ死んでへんねん」と、抱きついて来られて。寂しいんだな、と、と思うが、私には手が出せないんです。病院へ行ったあと、お寿司を食べてもらって、お小遣いを渡して、それだけしか。義弟は半身不随になっていて、リハビリしなかったので、完全にどこへも行けない。でも、まだ甘い話をしかけて来る。彼も寂しいのでしょう、私は、どんな儲け話にもいっさい、乗りません。義弟のつまは、ふたり抱えて大変と思うが、おねえさんは近寄って欲しくない、と、かつて言い渡されたので。私が何か持ち出すと目を光らせていた。(笑)。何もほしくなんか無いんだよ、今、私は幸せだから。そういう感じ。ひどいでしょう。ひどくてもいいの。姑のお葬式は、出させてもらうつもりでいるの。後は知らない。後始末はもうしたくない。

そういうことです。娘たちがノンキに、頑張り屋に育ってくれたので、私はあれで良かったんだろうと、自画自賛。後は、今の自由が大事です(笑)。

・ねこやま さん

宮本輝~!。あわわわ、輝さんファンに叱られますよ~(笑)。私も、読みふけった作家さんです。タイトルのつけ方がうまくて。「避暑地の猫」とか。「流転の海」は、まだ読了していません。主人公、魅力的な男ですよね。お父さんがモデルですよね。
宮本輝が原作の「道頓堀川」という映画が、大好きだったんです。所有してどんだけ観たか、と言う作品。

身に余るお言葉。本気で、ありがとうございます。

・かりそめ さん

わあわあ騒いでお恥ずかしい。ぽ。

>そして私にとっては私の過去はキラキラしている。誰のものとも比べられたくない。
>たぶんみんなそうなんじゃないかな。

おそらくそうだと思います。なんと書いていいか、わからない~。感謝。


・ゴネコさん

なかなか言葉って出て来てくれないことありますよね。

なんと書いていいのかわからない~~~。感謝。ん?。


・まめはな さん

>お辛い気持ちや、やるせない気持ちになられることも
>あるかもしれませんが…。

大丈夫ですよ。大丈夫にならないと出せない思いもあるでしょうし、辛かったことを書いてしまう妙な快漢もあるし、あ、逃げないで~(笑)、強いられていない以上、自分が書きたくて書くのです。

本当に、心底、これは無理、ということは、なかなか出てこない、出せない、ずっとしまいこんだまま、の思いもある。それは事実と思いますが。読んでもらえたら嬉しい、と言うことだと思います。

童話、たのしんでよませてもらってます。

・さやか さん

人間って、ずっと同じでいると思えないんです。緩いカーブで先へ進んで行く人もいれば、途中でぼっきり、折れて、変わってしまうこともあるのではないでしょうか。

私は、好きな人を亡くして、そのままの自分で生きていられなくなりました。うまく言えないけど、そういうこともある気がします。そして

、しなやかなんじゃなくて、基本、いいかげんなんです。本読めて好きな音楽聴けて、この味、と思えるもの口に入っているなら、あとは、よきにはからえ~~~って、いいかげんなとこ、大きいと思います。わははは。
2019-03-04-21:16 * KUON [ 返信 * 編集 ]

今も夢見る No title

・ヒミツコメント下さった○○さん。

こちらこそごめんなさい、かも。お返事は、可能な限りさせて頂いておりますので。
2019-03-05-10:50 * KUON [ 返信 * 編集 ]