激暑を。
2018年08月01日 公開
八月です。
昨日歩いた遊歩道のいたるところに、もう鳴かなくなった大きな蝉が転がっていました。空蝉をたくさん見かけた道でもあります。
いのち全うして死んだのでしょうか。蝉たちは。
スーパーマーケットの出入り口近くには、お盆の用意のいろんな品がカラフルに売られていました。もう私は、こういった品々を求めることは無くなったのだなあ、と、思いました。今年は姑の家では、お坊さんを呼ぶことはしないのだと。
数日前に訪ねたとき、九十一歳の姑は、クーラーのよく効いた部屋のベッドの、ベッドカバーの上に横になって、すやすやと眠っていました。声をかけずに帰ろうとしたら義弟が、ちょっと喋ってあげてよ。と言うので。ちょちょっと肩を叩いて、起きてもらって。
もう殆ど耳も聞こえません。でも、ああ、と私を認めて、笑顔になって起き上がってくれました。
「お寿司、買ってきましたからね」耳元で怒鳴ると、ああ、と、嬉しそうな表情に。なかなか「解脱」に遠い(笑)わたし、今もあれこれ複雑な思いはあるのですが、なんだかすっきりとアクの抜けたさぱさぱと白い笑顔に、ふと涙ぐましい感情がこみ上げ。四十三年間、このひとを「おかあさん」と呼んで来た。
なんとか毎日、悲しいことや辛いこと少なく、暮らしていて欲しいと。本気で願ったのでした。
思いもかけぬ死を迎えてしまった方々。被災の地で。見知らぬ女性を助けようとして、新幹線の車中で。いつも歩いていた道路で暴走車に轢かれて。不意の死、不慮の死を遂げてしまわれた方々を報じる紙面の遺影が、笑顔であることが多くて、口に出しようのない思いです。第三者でしかない私(たち)は、猛スピードでいろんなことを、忘れ去って行くのだけれど。
私のこのへたれブログにつどって下さる皆さま、どなたさまも、この厳しい夏、暑い夏を、、えいやっと乗り切って行かれますよう、ガラにもなく殊勝な思いを、記させていただきます。
昨日歩いた遊歩道のいたるところに、もう鳴かなくなった大きな蝉が転がっていました。空蝉をたくさん見かけた道でもあります。
いのち全うして死んだのでしょうか。蝉たちは。
スーパーマーケットの出入り口近くには、お盆の用意のいろんな品がカラフルに売られていました。もう私は、こういった品々を求めることは無くなったのだなあ、と、思いました。今年は姑の家では、お坊さんを呼ぶことはしないのだと。
数日前に訪ねたとき、九十一歳の姑は、クーラーのよく効いた部屋のベッドの、ベッドカバーの上に横になって、すやすやと眠っていました。声をかけずに帰ろうとしたら義弟が、ちょっと喋ってあげてよ。と言うので。ちょちょっと肩を叩いて、起きてもらって。
もう殆ど耳も聞こえません。でも、ああ、と私を認めて、笑顔になって起き上がってくれました。
「お寿司、買ってきましたからね」耳元で怒鳴ると、ああ、と、嬉しそうな表情に。なかなか「解脱」に遠い(笑)わたし、今もあれこれ複雑な思いはあるのですが、なんだかすっきりとアクの抜けたさぱさぱと白い笑顔に、ふと涙ぐましい感情がこみ上げ。四十三年間、このひとを「おかあさん」と呼んで来た。
なんとか毎日、悲しいことや辛いこと少なく、暮らしていて欲しいと。本気で願ったのでした。
思いもかけぬ死を迎えてしまった方々。被災の地で。見知らぬ女性を助けようとして、新幹線の車中で。いつも歩いていた道路で暴走車に轢かれて。不意の死、不慮の死を遂げてしまわれた方々を報じる紙面の遺影が、笑顔であることが多くて、口に出しようのない思いです。第三者でしかない私(たち)は、猛スピードでいろんなことを、忘れ去って行くのだけれど。
私のこのへたれブログにつどって下さる皆さま、どなたさまも、この厳しい夏、暑い夏を、、えいやっと乗り切って行かれますよう、ガラにもなく殊勝な思いを、記させていただきます。
スポンサーサイト