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2018-08-06 (Mon) 14:00

言霊の責任で蓋をした

敬愛する「長屋の爺」さまのブログ、8月5日の記事の、以下は、失礼ながら後半部分のみです。

この色の文字です。.

はじめの方には「言霊」について書かれるまでの助走のような文言が在ります・・私は、胸がどうしようもなくドキドキして、結局、後半部分のみの引用になってしまいました。

今日。八月六日は昭和二十年のこの日、広島市に原子爆弾が投下された日です。今日は何を語られるにしてもそのことに触れ、忘れないでいなければ、と続けられる・・マニュアルの一つみたいに…

私の母は、当時は名古屋に住んでいたにもかかわらず、岐阜の田舎から自転車に乗って(!)米や野菜やお茶や乾物などを運んでくれた伯父(母の長兄)の、贈り物を、広島に嫁いでいた仲良しだった従妹に分けてあげたいと思い、タイミングよく汽車に乗ることができて、従妹の嫁ぎ先の写真館へ行った。前日に。

そして、その時、その場にいあわせたのでした。

いのちからがら逃げかえった母、詳しくを母は、誰にも語らなかったようです。私の二人の姉も知らされていなかった。母の夫・・私の父は、知っていたのだと思います。父とは五歳で死別した私、父の思いなど分かりません。面影すらほとんど、無いのです。

原爆が二度、日本の地に墜とされて、戦争は終わった。

戦争の終わった翌年、母は、三人目の子にして初めての男の子「ゆきお」ちゃんを、産みました。母が「ゆきおちゃん」と呼んでいた、黄ばんで縁の擦り切れた一枚の写真の中の赤ん坊は、巨大な百合の花に囲まれ(ゆきおちゃんが小さかったのですね)、うっすらと目を開けていて、髪は額に張り付いていた。小さな手に細い指が六本はえていて、真っ白で、縛り方の悪かったお臍からじわじわと出血して、生まれた三日目に死んでしまった、と母は、おそらく、末っ子の私にだけ、話していたのだったか。

被爆したことは、母にとっては、隠さなければならないことでした。世相がそうなのでした。戦後は体の弱さが増して、上の姉を学校の寮に入れたし、父が亡くなるとまんなかの姉を、父の妹にあたる叔母の手に託した母は、後に姉たちに「冷たい母だった」と言われるようになった・・知らないままでいさせたいとの、母なりの思いがあったのだと、後になって思い至りました。

晩年の十年を私の家で暮らし、婚家の用も多かった、子育てもあった仕事も持っていた私を、手伝ってくれたし、自分もそれなりに日々を楽しんでいてくれた母。九十二歳での死は、穏やかなものでした。右手の中指に、ケロイドの跡がありました。母はそれを、指先から黴菌が入って化膿がひどくて、と、生涯、言いつくろっていました。よく働いた指でした。

棺の中、お腹の上で合わされた両手の、その下に私は、見つけ出しておいた「ゆきおちゃん」、私の生まれる四年前に生まれて死んで、まみえることの無かった「兄」の、写真を、そおっと置いて、他の人には見えないようにしておきました。

夫にも娘たちにもきちんと話したことの無かったことを、なぜだか書いてみたかったのは、今の私が落ち着いていられるからかもしれません。

2011年のあの春の原発の事件の時、私は動揺し、慌て、焦り、何かすることは無いかと気が狂ったようになっていました。

日本で一番早く「原発」をつくった時に関与したN教授が、原発は未だ完成されたものではない、未熟なものだ、何もないうちは「安全」だか「安心」だか「安価」だか知らないが、ひとたびことが起これば、人間にはどうすることもできない、防ぎようのない災厄をもたらすものだ、と。目の前で語られるのを、あのような事故が現実に起こる以前に、聞いていたのでした、これは何度も書いたことでもありますが。

理数系でない私には詳しいことはさっぱりわからなかった。でも、夫に向かって話されたことを、私は、一緒にいたその場で聞いていたのでした。

3月11日、あの日の夕方、

「政府が描いている〇の形はあれは嘘だ、何の根拠もない、あんな風には放射性物質は拡散しない、流れない」

「お気の毒だがあの界隈の方々は、逃げてももう、お帰りにはなれない」

夫はそんなことを静かに話し、もっと信じたくないことを沢山口にし、私は、その内容の恐ろしさ、信じたくなさに、夫を極悪人のように思いました。

今も、伏せられていること、表に出ないこと出せないことだらけ、私は、卑怯ではありますが、何を云う勇気も持ち合わせていません。

・・・爺さまのお記事をお借りするのに、何をワケのわからんことを書いているのかと思いますが、かといって、お借りするのを他の日にしようと到底思えず。

もしかして失礼な所業であるとしても、今、書いてきたそのまま、お借りしたそのままに、今日の私のブログ記事にさせていただこうと考えました。

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   8月5日、「月明かりの下で神よ眠れ」   長屋の爺さまブログより。一部。

3.11東日本大震災の際に起こった原発事故

この事故における政府事故調査検証委員会の報告書に顕著に

表されていることが有ります

「『長時間の全電源喪失は起こらない』との前提の下に全てが構築

運営されていたことに尽きる」


想定したら「起こってしまう」のだから、どんな事があろうとも

口にしても、考えてもいけないのであり、日本という国において

想定すること(口にすること)は望んでいることになるのだ!


原発事故など「起こってはいけないこと」なのだから

原発に関わる全ての人間は想定すらしてはいけないのです


旧民主党の野田首相は大飯原発再稼働決定に際して、こう断言しました

「全電源を失っても炉心損傷に至らない事が確認されている」

何を根拠に断言したのか聞いてみたいですがね


そもそも炉心損傷という単語の意味がわかりません(笑)


炉心は核燃料ですから電源喪失することによって損傷ではなく、消失若しくは

消滅ではないのかと私は思いますけど・・・・

当時の状況を思い起こしても、炉心は損傷などというレベルでなく

溶解したのが事実なのは誰しもが知っている事です


汚染水と言ってはダメ「滞留水」と言いなさい

冠水は本来「水棺」と呼ぶものだったが、「棺」は棺桶を連想するので

東電は使わないことにしました


佳くない言葉は言い換えるのが言霊思想ですから

私だけでなく多くの日本人は気づいているでしょう!


誰の責任だったのかを明確にできなかった(敢えてしなかった)調査委員会

最終的には言霊の責任で蓋をしたのですから、どんなに被災者が憤っても

真実は闇の彼方ということです


日本の政治行政が国民の意思と乖離していることの根本は「責任を取らない」

ままに済ませてしまう文化(言霊体質)にあると思います


謝罪すれば「禊(みそぎ)」がすんだことになる日本

原因責任より結果を重要視する体質は、言霊の成せる効果かもしれません


災害のときに政治行政の幹部が何をしていようと災害は起きるのですが

「その人間の行動が災害と関連している」

そう考えて「不埒」「不謹慎」「不徳」という言葉に置き換えます


これは日本人が無意識に持っている『災異思想(さいいしそう)』が

原因なのかもしれません

災異思想や天人相関については、さらに考えていきたいと思っています。

次回からは「言霊と和歌」「自然現象と八百万の神」「天皇と徳」など

何回かにわけて考えて行きたいと思いますので・・・・。


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ここまでです。ありがとうございました。




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最終更新日 : 2018-08-06

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