卯月のうたのおべんきょう Ⅲ
白萩
・佐保姫の衣か 今日の桜花 空を包みて盛りなりけり [桜1]
・うすべにの衣(きぬ)をまといて山笑う 平成最後の春は来にけり [桜 2]
・疾走感ある曲 耳が欲しがりて スマホから流すは「春の歌」 [毎春の習慣]
この一首、春の感じはよく出ていますが、「スマホから流すは」の部分、寸足らずの気配。「スマホから流す「の」は「春の歌」となさればいかがかと。
・投票所までのみちのりゆるゆると揃いのスニーカーで散歩する [春の統一地方選挙]
この一首も「揃いのスニーカーはき散歩する」と、脳内変換しましたが。
・令(うるわ)しく平和と言うか 次代らは穢れ混沌とした様(さま)なるに [新元号発表1]
・昭和末期生まれで平成しか知らぬ われ令和をいかに生きるべきか [新元号発表2]
・涼やかなかんばせに詰襟映えて健やかな若子すくと立ちけり [若宮ご入学]
おてもやん
熊本地震から三年
〇一生分食べた気がしたカップ麺三年経ってまた食べてみる
実体験の生きた(こんなことわざわざ体験したくないけど)、よくできた一首と思います。
〇あの時に欲しかったもの書き出して災害用の備蓄買い足す
〇ぜんざいを作ろうとして気が付いたあずき缶詰プルトップ無し
プルトップ無しの缶詰は、缶切りと一緒に持ち出す必要があります。
食品の期限、調理の仕方、
カセットコンロのガスはあるか、懐中電灯の電池は?・・・
我が家の防災用品点検週間です。
本当にその通りですね。私も、去年、規模はとても小さいけれど地震、台風、十階の部屋で経験し(プチ体験)、あれこれ考えました。熊本地震の痕も、まだまだなかなかのようです。東北へも九州へも、あの方々今はお出かけにならないで、連日の祝宴、茶会、お花見とか。ここで書かせて下さい、当たり前だが何もわかってはいらっしゃらない。と。
かりそめ
慣れない新仮名、口語で作ったのでうたになっていないかもしれません。
びしばしお直ししていただけたら嬉しいです。
はい。びしばし、ですね。承知仕りました。
新仮名、口語への挑戦。楽しいと思います。つるつる~ん、と行けたりして。まずは読ませていただきます。
*青空はとっても近いかもしれず心が遠くしているだけで
*古里の目印だった山だけど高層のビルに埋もれてとても小さい
う~ん。かなり長いです。このまま行かれるなら、「~だった山だけど」までは普通に。「高層のビルに埋もれて」の十三文字を、七文字分のリズムで読む必要があります。早口で、ぱぱぱ~っと行かれますか?。とても小さい、の部分は、残したいのですが。もう一考をお薦めします。最終のまとめまでは、まだ日にちがありますゆえ。
*日に透ける楓若葉を見上げては泣いた日々ある十七だった
そうだったんだ・・。「十七だった」と、こういう時、口語でうたを書く楽しみを感じますよね。
<やまい>
*問うてみる「今年いっぱいもちますか」「わかりません」と医師は答える
*あれからはあっという間の二年間生きているのを不思議に思う
*二年間記憶がとんでいるらしく辛さ悲しみ覚えていない
*踊り子草なずなはこべら仏の座花の名前は忘れていない
*病む友から病むわたしへと電話くる種類違えど病気は病気
*足繁く通った浜辺二年の間(ま)あけて少しも変わっていない
*死にたくはないが死んでもいいのでも夫以外に会いたい人ひとり
この一首。「死んでもいいのでも」が、魅力的。可愛い。で、「夫以外に会いたい人ひとり」ここ、「会いたい人ひとり」と生真面目に書かなくて、「会いたいひとり」となさったらいいと思います。「人」は、この際不要です。リズムも、無い方がばっちりいいです。
*もう死んでいる私かもしれなくてだから苦しみに耐えていられる
かりそめさん、まだまだ死なないで。生きていて下さい。私が悲しいから、淋しいから、死んだらあきません。
〈終われ→れいわ〉
*びりびりと障子震わせ春雷の天の怒りを伝えるがごと
[春なのに暗い内容ですみません]
いいえ。お気になさらないで下さい。でも、賑やかに喜んだり号外奪い合ったり「お疲れ様~」と天皇に声をかけたりしておられる(なんやねん、お疲れ様、って)方々を眺めていると、ほんに、自分の機嫌の悪さが自分で呪わしくなるような。
温泉郷
こんにちは。旧仮名遣いに挑戦してみました。
雛人形ことし長らく飾りたり娘に代はり家ぞ華やぐ
旧仮名遣いに挑戦。いいぞいいぞ、やれやれ、と、お腹の中で拍手しました。
お雛さまを、今年は長い間、飾った、と。早く片付けないと云々の縛りから逃れて?解放されて?。
「娘に代はり」この部分ですね、旧仮名、うまく入ってます。最後のところ。五句目。「家ぞ華やぐ」。とても華やいで嬉しいお気持ちなのですね、「ぞ」は、強調。このまま、うんと華やいだ今年のお雛様のうたにされていいけど・・・「ぞ」にすると、今夜、プレバトでどなたか先生が仰っていましたが「しゃべり過ぎ」になる。詰め込み過ぎ、表現し過ぎ、といいますか。「家の」とされたら、強調では無くなりますが、十分華やぎはしていて、かつ、なめらかな一首になる気も、私には、します。
お雛様のうたはいいですね。
取りどりに咲き誇りたる桜花植物園の森の香すがし
春はいいですね。
今宵は、このあたりにて失礼いたします。