五月のうたのおべんきょう Ⅳ
2019年05月24日 公開
皐月のうたのべんきょう、続けます。
この色の文字が「詠草」。この色は詠み人さんのお名前。この色はKUONが書いている部分。この色は詞書や詠み人さんからのメッセージです。
白萩
・青もみじの中湧き出づる清流の音(ね)に我が身も澄みてゆく心地する [山奥の水源]
どの季節もそれぞれ素敵と思う、そのなかでも、青もみじ、清流、のイメージの喜ばしさ。「山奥の水源」となれば、なお。いにしえの帝や皇子様さまがたは、こういったおうた、たくさん残しておられますのにね。そういったにおいの皆無だった五月の始まり、無残とやり過ごしました。
・目にいっぱい 空の青とネモフィラの青 心も青く染まるごとくに [高原の花畑]
・「鯉のぼり捕まえて」と言う姪のため尾を捉えようと飛ぶこどもの日
「鯉のぼり泳ぐ河川敷にて]
優しいおばさま。それと、え、と読み直してしまった、行動力と言いますか、おてんばモードも、すてき。風の匂いも清々しくて。
・皇太子妃の第一ティアラは燦然と麗人を彩りまいらせる [皇嗣妃殿下]
同感です。十五年間も消えていたティアラ、見た瞬間、虚を突かれた、と言えばおかしな感想ですか。無い無い、どこにある、と騒いだ価値があったというのか、どうなのか。
おうた、初めが、五音であるところ七音あり、これはこれで構わないですが、何か、言葉の流れがスムースでない気がします。「燦然と」まではいい、その後がどうかな、と思うのですが。
・禁色もお引き直衣も似合わぬに反っくり返るナルはペンギン [れいわのみかど]
あの禁色の、色の薄いのは「夏衣装だから」などあるのを読んで、内心、オツムの中身に比例してるんだわい」と毒づいていました。どこで読んだやら、ナルさんの奥さんの十七年ぶりに祭祀に「挑んだ」=こう書かれていたのでありました=お姿は、どすこいであられました。コタツ、とも、ぴったりの表現のなかにいらっしゃいました。
夫さんが夏衣裳。妻さんがコタツ。なんぼなんでも、現代日本の「象徴」とはいっても、これはないんじゃないかい、と。胸の焼ける数日でした。
フンゾルト・ペンギン。新たなるミカドは、そうとも呼ばれておらるるようで。
・「ワタシ今日は超ハイなの」ギラギラとした笑みにウンザリ チャンネル変える
[5月1日『げ』こうごうのおてふり]
共感される方、多いと思います。(何度してもうまく入らない行のあり、申し訳ないです。最後のまとめでは、もう少しきれいに見ていただきたいですが。
かりそめ
今度は明るく作ったつもりです。
*わが街は東京湾の埋立地樹々の根づきて今しうるはし
そうなのですか。私が住むのは、大阪湾の埋め立て地です。阪神淡路大震災の後に建てられたマンションで海抜2,5メートル。あ、ごめんなさい、つい。
おうた、「今し」が効いています。「し」の強調が。年月が経ち、落ち着いて来た街に樹々が根づいて、「今は」でなく「今し」と、街の経て来た日々を、いとおしんでおられる気持ちが伝わります。
*わが窓に公孫樹並木を見下ろせり葉の漣にまなこ洗はむ
実感のある一首。五月の公孫樹。
*いつしかと子供の姿少なくて禁じられゐる飼ひ犬のふゆ
「飼ひ犬の」のあと、「増ゆ」と「ふゆ」と、惑われたような気がします。ひらがなである部分に、屈託を含められたかな、とか。
*作品を褒めたるゆゑと炊きたての豆ご飯持ち友の来れり
すてきな交友関係。私も豆ごはん大好き。誰かどなたか、炊き立ての豆ごはん賜れ(笑)。
*茉莉花のもう香らざる煉瓦塀時の流れの淀むことなし
さみしい。ですね。
ここにていったん、休ませていただきます。
この色の文字が「詠草」。この色は詠み人さんのお名前。この色はKUONが書いている部分。この色は詞書や詠み人さんからのメッセージです。
白萩
・青もみじの中湧き出づる清流の音(ね)に我が身も澄みてゆく心地する [山奥の水源]
どの季節もそれぞれ素敵と思う、そのなかでも、青もみじ、清流、のイメージの喜ばしさ。「山奥の水源」となれば、なお。いにしえの帝や皇子様さまがたは、こういったおうた、たくさん残しておられますのにね。そういったにおいの皆無だった五月の始まり、無残とやり過ごしました。
・目にいっぱい 空の青とネモフィラの青 心も青く染まるごとくに [高原の花畑]
・「鯉のぼり捕まえて」と言う姪のため尾を捉えようと飛ぶこどもの日
「鯉のぼり泳ぐ河川敷にて]
優しいおばさま。それと、え、と読み直してしまった、行動力と言いますか、おてんばモードも、すてき。風の匂いも清々しくて。
・皇太子妃の第一ティアラは燦然と麗人を彩りまいらせる [皇嗣妃殿下]
同感です。十五年間も消えていたティアラ、見た瞬間、虚を突かれた、と言えばおかしな感想ですか。無い無い、どこにある、と騒いだ価値があったというのか、どうなのか。
おうた、初めが、五音であるところ七音あり、これはこれで構わないですが、何か、言葉の流れがスムースでない気がします。「燦然と」まではいい、その後がどうかな、と思うのですが。
・禁色もお引き直衣も似合わぬに反っくり返るナルはペンギン [れいわのみかど]
あの禁色の、色の薄いのは「夏衣装だから」などあるのを読んで、内心、オツムの中身に比例してるんだわい」と毒づいていました。どこで読んだやら、ナルさんの奥さんの十七年ぶりに祭祀に「挑んだ」=こう書かれていたのでありました=お姿は、どすこいであられました。コタツ、とも、ぴったりの表現のなかにいらっしゃいました。
夫さんが夏衣裳。妻さんがコタツ。なんぼなんでも、現代日本の「象徴」とはいっても、これはないんじゃないかい、と。胸の焼ける数日でした。
フンゾルト・ペンギン。新たなるミカドは、そうとも呼ばれておらるるようで。
・「ワタシ今日は超ハイなの」ギラギラとした笑みにウンザリ チャンネル変える
[5月1日『げ』こうごうのおてふり]
共感される方、多いと思います。(何度してもうまく入らない行のあり、申し訳ないです。最後のまとめでは、もう少しきれいに見ていただきたいですが。
かりそめ
今度は明るく作ったつもりです。
*わが街は東京湾の埋立地樹々の根づきて今しうるはし
そうなのですか。私が住むのは、大阪湾の埋め立て地です。阪神淡路大震災の後に建てられたマンションで海抜2,5メートル。あ、ごめんなさい、つい。
おうた、「今し」が効いています。「し」の強調が。年月が経ち、落ち着いて来た街に樹々が根づいて、「今は」でなく「今し」と、街の経て来た日々を、いとおしんでおられる気持ちが伝わります。
*わが窓に公孫樹並木を見下ろせり葉の漣にまなこ洗はむ
実感のある一首。五月の公孫樹。
*いつしかと子供の姿少なくて禁じられゐる飼ひ犬のふゆ
「飼ひ犬の」のあと、「増ゆ」と「ふゆ」と、惑われたような気がします。ひらがなである部分に、屈託を含められたかな、とか。
*作品を褒めたるゆゑと炊きたての豆ご飯持ち友の来れり
すてきな交友関係。私も豆ごはん大好き。誰かどなたか、炊き立ての豆ごはん賜れ(笑)。
*茉莉花のもう香らざる煉瓦塀時の流れの淀むことなし
さみしい。ですね。
ここにていったん、休ませていただきます。
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