「やっぱり」
誰が、どんなタイミングで、どんな風にサラリと伝えてやれるのか、と。一緒に暮らしている間、大きくなってサラリと聞けるようになるまでは待って、と、考えていました。
あららら、という時もありました。中学生の時かな、血液型の勉強をしていた頃。じいちゃんばあちゃん父母に妹。家族全員の血液型を調べ、ウ~ンとうなっていた。「ぼく、合わへんわ」と、ブツブツとアタマをひねっていた。私は自分の部屋にこもりに行った。「それ」を伝えるのは、ばあちゃんのすることではない、と、決めていたし。
その疑問は、繰り延べられることは無かった。娘と私は「あんまり深くモノ考える子ォでなくてよかったなぁ」と。忍び笑いをしました。
それ以上、彼が考えなかったのか、ひとりで疑問のタマゴをひっそりと温めていたのか。私に「野球部のみんなに、お前、どっちの親に似てんねん」て言われんねん。など、漏らすこともあった。えええ、どっちやろねえ、と私は答えていた。
「パパ、オダギリジョーに似てるし、そっちやったらいいのと違う?」
「いや、そういう問題と違うし、ばぁば」
「〇〇は親のどっちより美形で、かっこええで」
「いやいや、はいはい」と、白い歯を見せて笑う子でした。
前歯、自転車で突っ転んで折れたのを、駆け付けて探し出して、なんとか残してやってくれと持ち込んで、接着剤で付けてもらった。生後半年で産みの父親と縁が切れて、それ以前からもずうっと、私が抱いておんぶして添い寝して育てて来た、初めての孫です。幸せになってもらわないとイヤだ。
・・保育園の頃から仲のいい男子Nくんがいて、N君は二度、パパが変わっている。祖父母さんの愛情は、執念のごとくに強く深くブレずにNくんに降り注いで、保育園、小学校では「問題児」扱いされていたけど、とっても「卑しさの無い子」で。私も怒鳴ったり説教したりお尻叩いたりした、くそばばぁ、と言われたら、クソガキィ、と言い返してやった。でも今も仲良し、友達、そのNくんが、世間知らずの孫息子に、いろんな知恵を授けていてくれたのかも知れない、と、思っています。
先日、娘が孫息子に、世間話のついでに、ママ40歳になるし、、もっとこれから頑張りたいし、何しても止めるばっかりで前行かせてくれへんパパと、そのうち、離婚するかもしれへん、と、言ったと。そこに至るまでは、いろいろあったのでした。とまらなくなって、
「○○にはパパは、育ててくれたひと、ほんとのパパとは違うの」
とも告げたらしい。人にはあれこれ過去がある。娘は私に、前の夫のことを、黒やグレーの色調で語ったことはありません。自分も若かった、未熟だった、アホだったと思っているのだと思う。実際その通りだし。現在の夫についても、けんか直後などに、どうこう言って来ることは稀にあっても、ぎゃあああ、と感情的に語ることは無い。私も、ふんふんそれで、とか聞いてやらないし。しかし今回は、娘の夫は私に、深夜に延々とくどくどと「いかに自分は理不尽な家庭生活を送っているか、いかに俺は耐えて忍んで努力しているか、いかに俺様はかわいそうか、と、沼の底からくるような話を、一歩的にして来たのでした。私は返した。
「どっちの味方もせへん、て、言うてるでしょ。」
いや、どちらかと言えば私は、娘の夫の肩をもってきたと思う。なついてくれたと喜んで。娘を、孫どもを守ってやって欲しくて。
私の大事な孫息子を、どうぞどうぞ、お願いします、の思いがありました。上の娘にも、ママは次女の夫にものすごく甘い、と指摘され続けています、でも、娘はともあれ、孫息子と孫娘が、そこで育っているので。
・・・おかんから、ホントのパパとは違う、と聞かされた孫息子、十七歳。
そしたらあの子、どう言いやったん?。尋ねたら、んんん、と笑って。
「やっぱりな、言うてん、○○。」
「へ?」
「そうやねん・・やっぱりな、言うて、おかん大丈夫かって、聞いてくれやってん。」
と、娘は笑った。へえ、そうなんや~、と、私も笑った。
娘の夫に、済まない気もある。二歳の時に父親になってくれ、一緒に暮らして、箸の持ち方、風呂の入り方、きちんと教えてくれた。無駄遣いをしないように(ばーちゃんとママはそこんとこ、なっていない)、寝る時間起きる時間、しつけてくれ、勉強はそうできなくていいから、挨拶をしっかりしろと育ててくれた。
まだ過去形にはなっていないが、感謝している。とても感謝している。
「やっぱり」って。複雑な思いを喚起させる言葉だわ、私には。
で、この話の〆です。
孫息子は早速、歌詞を書いて曲にして、それからすぐにあった(私にはよくわかっていない)ラップの舞台で、新曲を披露していたらしい。・・・動画送ってあげるからスマホに替えろと勧められている、使い方難しそうで黙ってやりすごしている、もしもラインとか入っても、すぐに返事なんかできないししないし、めんどくさいのはイヤなのよ、もう、と、それだけは伝えている。
「おれをそだててくれたのは とうさんと呼んで来たひとは 実は・・・」
このような歌らしい。娘の夫さんは聞いていない。聴く機会も無いだろう。
妻のダンスのショーにも関心なく、子どもたちの運動会にも行きたがらず、少年野球の親の会にも混じりたがらず混ざらず、父親参観に行ったこと無く、同居していた妻の親が、事情あって転居を決めて荷物を出す日にも、二階にいて手伝いの指一本、出さなかった。リビングで、犬を傍に従えて、テレビをつけ放しにしてスマホゲームをする。そういう生活のひと。マイルールを乱されたくないひと。
それはそれでいいのだろう、娘と孫は、自分たちが前へ進んで行ける道を、しっかりと歩いて行けばいいと思っています。孫娘は、ママと一緒にコーベ行く、と。パパは可愛がっていたのに、パパは彼女に甘えていたのか。感情的にずいぶん、傷つけていました。私の部屋へ来てよく泣いていた。泣き止んでから、皆のいるところへ行っていました。
娘がホントに離婚したら、夫だったひとは、家のローンが払えなくなる。初めからムコさん名義で家は買ってある、皆が出て来たら、売るなりなんなりして残り返済したら、少しくらいは彼の手元に残る。それは彼のものにすればいい。車のローンも同様。親がしてくれることは(親がものすごくバカだったのですが)好きでしていること、させてやってる、くらいの感覚であることは、わかっていました。済んでしまった今まではいい、これからは私は、おカネは自分のために使おうと思います。彼のためには使いたくない。これ、先日、向き合って伝えました。
孫息子は、ほとんど、育ってくれた。孫娘の方は、来年から、花の女子高生(笑)。あなたも、人生これからでないの、と、お節介やいてしまいました。あまりにも俺がカワイソと言うので。十何年、聞いて来たよ、飽きたって。結婚は、あなたたちで決めてしたことです、忘れたのかと。束縛は愛ではないと、そんなことも、口から出した。
猶予期間を設けました、年末まではこれまで通りに行けるわね、と。子どもたちの学校のことを念頭に置いて期限を設けました、が、うんともすんとも言うて来ない。私はちっとも困らない。
親の住む場所である、この狭いマンションに、連休、初めて、娘と孫たちが来て、泊りました。何度誘っても絶対に来なかったカレを置いて、三人、初めて気兼ねなしに、じーちゃん、ばーちゃんのとこへ泊りに来て。楽しかったです。
そういうことでした。