シャボン玉
小さな買い物をしただけなのに、くじを引いて下さいと言われて三角くじ一枚、指に触れたのをつまんだら、なんと。
カラフルなシャボン玉のセットを、当たりました~、と、もらった。他に違う何かも景品としてあったようだが、私は、シャボン玉もらって、嬉しかった。ぴったり並んで、4本もある。
家へ帰って、いそいそと透明のカバーを外して、つば広の帽子をズボッとかぶってバルコニーに出て。
母の日におっとが買ってくれたチェアに座って、シャボン玉、吹いた。
子どもの頃のシャボン玉は、こんなにいっぱい、次々に吹き出てくれなかった。
石鹸を水に溶かしただけでは、丸い玉になってくれなくて。
近所の年上の男の子が、ぽぽぽぽぽ、と丸い玉が連続で出る液体の小瓶を持っていて、それを吹いて、ひゃあ、よおけできるな、たぁちゃんの、と絶賛されていて、何人もの子たちに囲まれていた、吹かせてもらっている子もいた、私もその中に入りたかった、でも、朗らかに入って行けない子だったのだ、小学校のころの私は。父親は死んでいた、男きょうだいもいない。長姉は遠く高校の寮に入っていたし、次姉は、亡父の妹である「おばさま」の家で、その家に馴染んで暮らしていた。鍵っ子だった私、近所の子たちよりは、たくさん小遣いをもらっていた気はする。買い食いを頻繁にしながら、奇妙にいつも、緊張して生活していた気がする。
たぁちゃんを中心に輪になっている、その一番外側から、もっと離れて、私は、羨ましさに気持ち、火のようになって、そんな羨ましさが顔に出ませんように、と,内心願いながら、ぽぽぽと生まれて風に吹かれて、すぐに消えて行くシャボン玉のある所から、遠ざかることが出来ないでいた。
たぁちゃんは、松脂を入れて、その液を作ったそうなのだった。
そうなんだ・・でも、松やになんて、どうしたら手に入るのか。
後年、大人になって、二人の娘がバレエを習うようになって。トゥシューズが床で滑るのを防ぐための松やにを手にした。これが松やにか。それが欲しくてたまらなかった日のことを、思い出した。
もっと幼い頃の娘たちと、シャボン玉遊びをしたことは、何度もあった。そんな頃にはシャボン玉は、望むようにいくらでも、できるモノになっていた。ものすごく巨大な玉、連続技で途切れの無いぽぽぽぽ弾、娘よりも私が夢中になって遊んだ気がする。
くじで当たったシャボン玉、ゆったりと座って、一人で、高さ数センチのプラスチックの容器の、ひとつを全部、吹いて遊んだ。楽しかった。
空は曇天で、海は灰色、時折、雲間から陽がさす。シャボン玉の色は透明に、虹色に、大きく小さく、ふわりと浮いたと思えば、音もたてずに落ちて。
風に乗って、ふうわりと、飛んでゆくものもあった。憧れのように見送った。
楽しんでから、バケツでバルコニーに水を流した。
雀がここへ、投げておいてやるパンを食べにくる。毎日。つついて食べている。シャボン玉の名残は、残しておかない方がいいだろう。