お聖さんの「柏木」
田辺聖子さんが亡くなった。
一時期、どんどこ、田辺さんの小説を読んだ。わたしは、カモカのおっちゃんのモデルであるという田辺さんの夫さんを、あまり好きではなかった。単に好みの問題。言いがかりのようだが、毛深くてごつい男性は、私にはコワいのだ。で、きっととても素敵な男性であったであろう夫さんとおせいさんが大活躍のシリーズには、手が伸びなかった。単体のお聖さんが、私には、よかった。
素敵なお洒落な小説を、たくさん書いておられた。年齢は二十歳ほども違う、戦争を知っておられる方だったが、大阪で「職業婦人」をしておられた田辺さんは、男女の情やなんか、とてもラジカルな面をたっぷりお持ちで、へええ、ほおお、と、幼い女の子を二人育てていた、短かった専業主婦の時期の私には、新鮮だった。小説の中の小物の取り扱いも素敵だった。
年下の、若いおのこを描くのがお得意だった気がする。
源氏物語は、どのへんに出て来る誰が好き、と言う話題で盛り上がるのも楽しい小説。カタクナに私は「六条御息所」が好き、と言い続けている。と同時に、「柏木」が好き、とも思い続けている。
「柏木」。頭中将(内大臣)の長男。「柏木」とは、王朝和歌における衛門府、衛門督の雅称である。光源氏の息子・夕霧の友人。源氏の妻・女三宮と密通し薫をもうけたことで源氏に睨まれ早逝する。
wikより
言うほど丁寧に、詳しく読み込んでいるわけではない。そう書いておいて、知ったかぶりに書かせてもらうと、源氏の君のごとくピッカピカの存在でない男、とはいえ十分に「イケて」る貴公子が、一人の女性への憧憬、焦恋、苦しさのなかでようやくに思いを叶えはしたけれど、それは、独り相撲。ほんのひと時のことであって。なにせ、女三宮は、光源氏の妻である女性。
バレたと苦しんで病を得て、早々と死んでしまった、柏木という若者。二十代だった。
「 今はとて燃えむ煙もむすぼほれ
絶えぬ思ひのなほや残らむ」
田辺聖子さんが訳された「源氏物語」の、その、女三ノ宮と柏木のくだりの、柏木の死のあたりの描写を読んで。
田辺聖子が、柏木にかけた思いの、言葉の、なんともやさしげな数十行。
そこに魅かれて、何度も読んで、一人でいる昼間、ひっそりと涙をこぼした。(よく泣いていたのです、無難な涙)。
人がひとを、いとおしく思うこころの透明を、混濁を、感じていた。
柏木が、いのちを絶やすほどに恋した女性は、でも、光の君には、特別な女性でもなかった。そんなあたりの何とも言えなさも、田辺源氏で味わった。父・帝と同じ、自分の子でない男児を自分の妻が産んだ、という、巡り合わせの、業、と言えば簡単なのですね、おそらく。
柏木が残した「薫」君は、「源氏物語」の「宇治十帖」の主人公のひとり。 派手やかな性格でなく、からだから、とても良い薫りを発する。この薫が鬱々たる思いを抱えながら育つ間に、表向きの父親である光君は、決定的に、若さを失って行った。
・・・田辺さんは、一緒に呑み、食べ、笑い、話を重ねた、夫さんだったカワノさんのお子さんを何人も、学齢期の大変な時期から、
育てられた。お子さんがたそれぞれ、今は落ち着いてお暮らしのことなのだろう。
喪主は弟さんだと、新聞の記事にあった。
リボンやレースや愛するスヌーピーたちに囲まれて暮らし、亡くなったればその棺にも、リボンやレースや色とりどりの花々や、何より、いちばん愛したスヌーピーの「スヌー」も、一緒だった・・ことだろう。
さようなら、田辺聖子さん。素敵な作家でいらした。
ありがとうございました。