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Top Page › 思い出話 › 広島の小母さん
2019-08-07 (Wed) 21:29

広島の小母さん

50年以上むかしの、夏休みのこと。

常は養父の家に暮らして学校へ通っていた私、夏や冬の休暇には、名古屋の母の家へ戻っていた。そこを起点に、母の里や父方の叔母の家の世話になっていた。広島からおばさんの来られたのは、中学生の時だった。

母の父方のいとこで、子どもの頃から仲が良かった、とは母の言。幾つか年が上で、母より早く結婚して広島の町なかの写真館の奥さんだった小母さんは、ゆったりとした態度の口数の少ない人で、私を「変わった子だ」と見ている気配はなく、なんとなく好きな小母さんだった。

当時とても話題になっていたウィーン少年合唱団の映画「青きドナウ」を観に、連れて行ってくれた。このことは、以前にも書いたことがある。

映画は素敵で、帰りに松坂屋デパートの大食堂で食べさせてもらったオムライスの美味しかったこと、忘れていない。

本ばっかり読んでいる子、であった私と,小母さんは、とりとめのない話をしながら、夜を更かしてくれた。大人には決まっているのだが、とてもオトナのひと、悠々としてどうでもいいことに驚いたり説教に走ったりしないその人が、私は、どんどん好きになっていたのだと思う。

母もきっと、小母さんに憧れている面があったのだろう、戦争中も、リュックに詰められるだけ野菜やお米を詰め込んで、広島まで運んでいたと嬉しそうに話していた。母のところへは、母の里の伯父さんが自転車で持ってきてくえていたのだそうだ。岐阜から名古屋まで。。

明日は小母さんが還るという夜のことだった。何の都合か家風呂をたてられず、小母さんと私と二人、近くの銭湯へ行った。

そこで私は、経験したことの無い他人のまなざしの凄さを知ったのだった。

体を洗って小母さんと私は、大きな浴槽に沈んで、うっとりしていた。女の人が入って来て、あれ、みたいな大声を出した。数秒無言、すぐに、ばしゃばしゃとお湯を蹴立てて出て行った。「あんな」と、はばかりの無い声が響いた。

やけど、うつる、考えないと。そんな言葉だったと、うっすらと記憶する。火のような視線だった。

小母さんは何も言わなかった。静かにお湯を掻きよせて、自分の腕から胸へかけて一面の皮膚の引き攣れにかけてやっていた。

何も言わず出て、私を呼んで、うつむきがちに脱衣場へ足を進めた。

「ケロイドはうつったりしないよ」

見つめている私に、にっと笑った。みな、知らないんだから仕方ない。そう言った。

憧れの銭湯のフルーツ牛乳を、その日私は初めて、経験した。

夜の道を、小母さんと二人、黙ってゆっくりと歩いた。母にはそのことを言わなかった。

昭和20年8月6日。アメリカは広島市に原子爆弾を落とした。小母さんはその爆弾でケロイドを負った。ピアノが弾けなくなったらしいが、あの頃、小母さんのそんな悲しみは、取るに足りない些細なことであったのだろう。

タイミングを合わせたようにその日、ジャガイモを背負って行ってその町にいた母は、ほうほうの態で逃げ帰り、何が起きたかを二人の娘にいっさい言えないで、ずっと寝付いて、翌年に生まれた三人目の長男を、生後三日目に亡くした。

お臍から血が出続けて、真っ白で、お乳も飲めずに死んでしまった。小さい細い指が、六本あった。母が私に教えてくれた「兄」は、そんな赤ん坊だったらしい。ゆきおちゃん、と、父と母は名付けたらしい。私が知っているのはそれだけ。一枚あった写真では、巨大な白百合の隙間に、小さな顔がのぞいていた。

私は元気で大きく育ち、若い時よりだんだん強くなって行く気持ちの底で、この時期には、広島の小母さんや母のことを、思い出す。

一人で思い出す。

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最終更新日 : 2019-08-08

* by ちびクロコ
はじめておじゃまいたします
おっしゃる風景が 今 見ているかのように 浮かんできます
気持ちを表す言葉が浮かびません 共感ではないのです
同情でもないのです 
この国をこんなに立派に立て直してくださったみなさまに感謝をして 清く行きたいと思います 気付きのお言葉を
ありがとうございます

広島の小母さん * by かげろう
うた以外で、初めておじゃまします。
広島のおばさんのような方が、当地にはたくさんいらっしゃいましたし、
今もひっそりと何も言わずに過ごしていらっしゃいます。
大叔母はあの日、出勤したまま、帰ってこず、
お骨の代わりに職場に落ちていた日傘の柄が
お墓には入っております。
今年もお墓参りに行ってまいりました。

本当は重いはずの日本の夏 * by -
耐え難いような酷暑が続いていますが、敗戦の前後の暑さはこのようなものではなかったでしょう。

あの悲惨な戦争で苦しみの中理不尽に奪われた何十万の命は今どこでさ迷っているのか。
安らかに眠っているとは思ったことがない。

そして生き残った人たちもまたこの広島のおばさまのように本当の悲惨は秘めて語ることなく黙って生きてきたのではないだろうか。

皿仮面が戦争の何を知っている?
たかだか都会のお嬢様が少しの間不自由な田舎の疎開暮らしをしただけの経験しかないくせにさかしらに戦争をまして反戦を語るな!
何が慰霊の旅だ。現地まで暑さ寒さ知らずの豪勢な旅装で乗り継ぎ頭だけをさも神妙そうに垂れるな!
その視線の先だけではなく広範囲の海の底や叢の中に水浸く屍草蒸す屍は知られずに今も眠っているのだ。
シベリアの凍土にも無数に。

恵まれた金持ちが施しのように一日だけの頭を垂れるな!
決定的にあの二人に敬意を持てなくなったのは見せ掛けのまやかしの慰霊をさも使命のように繰り返し出してからだ。
死者を冒涜するな。

御霊の支柱の前に立つ後ろ姿からは悲しみなど何も伝わってこなかったが今年はもっと空虚で悲惨なことになるのならもう一生見たくない。
 



前の投稿は名無しではなくラピスラズリです * by ラピスラズリ
名前を忘れて申し訳ありませんでした。 

暑さ寒さの日を過ごす度に一生をつましく質素に生きた両親の生きた時代を思い起こします。
戦争を生き残った世代の人たちはどこか達観していて真に逞しかったような気がします。
ぬえのような時代を生きてきてさて今後どんな末路が待っているのかとふと思うこの頃です。

異常な暑さの中どうかくれぐれもお身体を
ご自愛くださいますよう。

私には * by ゴネコ
皆様のコメントを拝読していても、胸が締め付けられます。
私には、このコメント欄で、何をか残すものを持ち合わせてはいませんが、
「母にはそのことを言わなかった」という一言に、電柱のオレンジがかった灯りを感じます。
向田邦子さんの戯曲にある場面のような、そんな映像が頭の中をぐるぐるしております。

* by KUON
・ちびクjロコさん

どうもありがとうございます。脳裏から離れない場面はさまざまありますが、その一つを、書きました。私は「被害者」という言葉をふつうに使うにためらいを覚える者ですが、あの小母さんは、まったく、被害者と以外呼びようの無い人だったと思います。

そこに住んで、普通に暮らしを営んでいた。そこへ原子爆弾が投下された。家族の幾人や写真技師さんほかが命を落とされ、物的被害も多くあった。わが家へ遊びに来られた数年後には、亡くなっておられます。その小母さんが、銭湯で、見も知らぬ人に罵倒され刃のような目で見られた。した方も、普通に暮らして戦争に何らかの影響を受けた、普通の日本人だった。ということが、なんとも言えないのです。

私はゼンゼン清くないし、気付きの言葉を発した気分でもないのですが。

・かげろう さん
そうだったのですか。

>お骨の代わりに職場に落ちていた日傘の柄が
>お墓には入っております。

こういった話を、たくさん聞かせてもらいました。8月が来ると、いきなり人々は饒舌になる・・いや、胸の痛む多くの方々は黙っておられる、と、私は感じています。それであえて「一人で思い出す」と結びました。その日は、テレビも見ず賑々しく取り上げている新聞の紙面も見ず。自分がひねくれ者なのは解っています(笑)、顰蹙を覚悟で申せば、セレモニーとかなんだかの詩だの歌だのから、違うところで、自分にとっての追悼をしたい、みたいな。

大叔母さまの日傘、きっと、美しい色合いのものだったのだろうと、勝手に想像、その日傘の持ち主であった方から奪われたものの大きさを、思います。もったいない命でいらした・・。

・ラピスラズリさん

大丈夫、一読,してあなた様とわかりました。仰っていることにも、うんうん、です。

あの皿は、気持ちの中の「かたき」みたいな存在と化しています。すべてに拒否感しか無い。
>決定的にあの二人に敬意を持てなくなったのは見せ掛けのまやかしの慰霊をさも使命のように繰り返し出してからだ。
>死者を冒涜するな。

死者も生者も、あの皿は冒涜している。相変わらず「ミテミテ」している。

・ゴネコさん

向田邦子さんの作品は、ほとんど読んだと思います。私はホームドラマは苦手なのですが、向田さんのは観ていました。朝ごはんのおかずが海苔の時に、など書いて行くと止まらなくなりそうですが「隣の女」の中の男は、根津の甚八っさんなのですぜ。

慰霊がイベントになっている。なんとまあ、と、これは私感です。




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はじめておじゃまいたします
おっしゃる風景が 今 見ているかのように 浮かんできます
気持ちを表す言葉が浮かびません 共感ではないのです
同情でもないのです 
この国をこんなに立派に立て直してくださったみなさまに感謝をして 清く行きたいと思います 気付きのお言葉を
ありがとうございます
2019-08-07-22:59 * ちびクロコ [ 返信 * 編集 ]

広島の小母さん

うた以外で、初めておじゃまします。
広島のおばさんのような方が、当地にはたくさんいらっしゃいましたし、
今もひっそりと何も言わずに過ごしていらっしゃいます。
大叔母はあの日、出勤したまま、帰ってこず、
お骨の代わりに職場に落ちていた日傘の柄が
お墓には入っております。
今年もお墓参りに行ってまいりました。
2019-08-08-00:57 * かげろう [ 返信 * 編集 ]

本当は重いはずの日本の夏

耐え難いような酷暑が続いていますが、敗戦の前後の暑さはこのようなものではなかったでしょう。

あの悲惨な戦争で苦しみの中理不尽に奪われた何十万の命は今どこでさ迷っているのか。
安らかに眠っているとは思ったことがない。

そして生き残った人たちもまたこの広島のおばさまのように本当の悲惨は秘めて語ることなく黙って生きてきたのではないだろうか。

皿仮面が戦争の何を知っている?
たかだか都会のお嬢様が少しの間不自由な田舎の疎開暮らしをしただけの経験しかないくせにさかしらに戦争をまして反戦を語るな!
何が慰霊の旅だ。現地まで暑さ寒さ知らずの豪勢な旅装で乗り継ぎ頭だけをさも神妙そうに垂れるな!
その視線の先だけではなく広範囲の海の底や叢の中に水浸く屍草蒸す屍は知られずに今も眠っているのだ。
シベリアの凍土にも無数に。

恵まれた金持ちが施しのように一日だけの頭を垂れるな!
決定的にあの二人に敬意を持てなくなったのは見せ掛けのまやかしの慰霊をさも使命のように繰り返し出してからだ。
死者を冒涜するな。

御霊の支柱の前に立つ後ろ姿からは悲しみなど何も伝わってこなかったが今年はもっと空虚で悲惨なことになるのならもう一生見たくない。
 


2019-08-08-22:07 * - [ 返信 * 編集 ]

前の投稿は名無しではなくラピスラズリです

名前を忘れて申し訳ありませんでした。 

暑さ寒さの日を過ごす度に一生をつましく質素に生きた両親の生きた時代を思い起こします。
戦争を生き残った世代の人たちはどこか達観していて真に逞しかったような気がします。
ぬえのような時代を生きてきてさて今後どんな末路が待っているのかとふと思うこの頃です。

異常な暑さの中どうかくれぐれもお身体を
ご自愛くださいますよう。
2019-08-08-22:18 * ラピスラズリ [ 返信 * 編集 ]

私には

皆様のコメントを拝読していても、胸が締め付けられます。
私には、このコメント欄で、何をか残すものを持ち合わせてはいませんが、
「母にはそのことを言わなかった」という一言に、電柱のオレンジがかった灯りを感じます。
向田邦子さんの戯曲にある場面のような、そんな映像が頭の中をぐるぐるしております。
2019-08-09-11:53 * ゴネコ [ 返信 * 編集 ]

今も夢見る 

・ちびクjロコさん

どうもありがとうございます。脳裏から離れない場面はさまざまありますが、その一つを、書きました。私は「被害者」という言葉をふつうに使うにためらいを覚える者ですが、あの小母さんは、まったく、被害者と以外呼びようの無い人だったと思います。

そこに住んで、普通に暮らしを営んでいた。そこへ原子爆弾が投下された。家族の幾人や写真技師さんほかが命を落とされ、物的被害も多くあった。わが家へ遊びに来られた数年後には、亡くなっておられます。その小母さんが、銭湯で、見も知らぬ人に罵倒され刃のような目で見られた。した方も、普通に暮らして戦争に何らかの影響を受けた、普通の日本人だった。ということが、なんとも言えないのです。

私はゼンゼン清くないし、気付きの言葉を発した気分でもないのですが。

・かげろう さん
そうだったのですか。

>お骨の代わりに職場に落ちていた日傘の柄が
>お墓には入っております。

こういった話を、たくさん聞かせてもらいました。8月が来ると、いきなり人々は饒舌になる・・いや、胸の痛む多くの方々は黙っておられる、と、私は感じています。それであえて「一人で思い出す」と結びました。その日は、テレビも見ず賑々しく取り上げている新聞の紙面も見ず。自分がひねくれ者なのは解っています(笑)、顰蹙を覚悟で申せば、セレモニーとかなんだかの詩だの歌だのから、違うところで、自分にとっての追悼をしたい、みたいな。

大叔母さまの日傘、きっと、美しい色合いのものだったのだろうと、勝手に想像、その日傘の持ち主であった方から奪われたものの大きさを、思います。もったいない命でいらした・・。

・ラピスラズリさん

大丈夫、一読,してあなた様とわかりました。仰っていることにも、うんうん、です。

あの皿は、気持ちの中の「かたき」みたいな存在と化しています。すべてに拒否感しか無い。
>決定的にあの二人に敬意を持てなくなったのは見せ掛けのまやかしの慰霊をさも使命のように繰り返し出してからだ。
>死者を冒涜するな。

死者も生者も、あの皿は冒涜している。相変わらず「ミテミテ」している。

・ゴネコさん

向田邦子さんの作品は、ほとんど読んだと思います。私はホームドラマは苦手なのですが、向田さんのは観ていました。朝ごはんのおかずが海苔の時に、など書いて行くと止まらなくなりそうですが「隣の女」の中の男は、根津の甚八っさんなのですぜ。

慰霊がイベントになっている。なんとまあ、と、これは私感です。



2019-08-10-23:43 * KUON [ 返信 * 編集 ]