白日夢
X ジャパンを、大きな音で聴いて。3曲くらいでおしまいにする。
最近たのしんでいる、ものすっごく安い遠くの家の間取りを、思い出してみる。100万円どころか10万円くらいで売られている家が、たくさん。
先日来、何度も見ている北の港にある家は。ええとあれは、幾らでしたっけ、10万円から100万円までの家でした。賃貸でなく、そんな値段で売り出されているの。
部屋数は三つか四つで、バス停だってそれなりに近くにある。外観が「いいな」と、何度も眺めて。
何度も眺めた家の何軒、赤い屋根とか青い屋根で。国道沿いみたいで、三角屋根。高倉健さんが、いっとき身をひそめていてもおかしくない感じ、何がどう「感じ」なのか、説明はできませんけど。
現実に、建ってから50年も80年もたっている家を、買って,うつって、そこで暮らしを始める。そんな話でない、知らない町の知らない家を、あれこれ、思うだけのことです。
一人暮らしていた頃は、ちゅる~んと住み場を変えていました。東京にもいたし名古屋は足場だった。母の家はありましたが、くつろげる実家、というのでなく。冬の高山、冬の長野、あれ、夏には移動しなかったんだ…軽井沢には、当時のトモダチの大きな別荘があって、いい思いもさせてもらいました。軽井沢より、三重県の漁港が良かった、私には。尾鷲、というところでした。青鷺の島、というのがあって。大きなヒマワリが咲いていました。
能登半島の先っぽ、狼煙という海辺の村に住んで見たかったが、果たせませんでした。
水平線が、地球の丸みなのでした、そこは。
笠智衆みたいな宿のご主人が、毎晩、お休みなさいと挨拶しに来てくれた。数日泊るつもりが十日ほどい続けて、明日は帰りますと言ったら、退屈されませんでしたか、と。
しませんでした、退屈は。何もしないで、美味しいご飯をいただいて、海の方をずううううっと、眺めていただけ、退屈なんかはしないわ。
でも、もう一日いなければならなかったとしたら、退屈でどうしようもなかったかもしれない。
現在みたいな出版不況の世相だったら、私みたいな気まぐれちんぴらおんなに、そんなことできるお金は降って来ていなかったでしょう。
いま住んでいる町へは、夫のカラダと仕事の兼ね合いを優先して、去年、来た。住みやすい町で気に入っています、花の一鉢も世話していない、毎日ハムスターと、バルコニーに来るスズメとに声をかけ、夫が、気のすむまで(必要としていただいている間)体と気力が保ちますようにと、シンプルに願いつつの暮らし。
ここで夫を見送りたい。多分それは、叶うと思う、その後はどうなるかな、と、それも考える、私は奈良へは帰らない。
奈良は過去のまち。夫より先に夫の母親を見送ったら、私の「するべきこと」は、すべて、終わり。もういいと思います。
婚家のヨメ業務は終了。
いまの部屋に、一人で住む気はしません、こんなに広くなくていい、もう一部屋は無くていい。
引っ越しは疲れるから、具体的には今までのように考えられないのは事実です、思い付きでは動けない、今の自分。
で~も~ね~。
これからの私には非現実的であることも、ウフウフ、夢想してみるのは、楽しい。
こんなところに、住んでみるのもいいなあ。こんなお家もいいなあ。そんな夢想をします。のうみそ、茹ってるかな(笑)。
あ、ケタ間違えていました。売値一万円。そんな、ちょいとそそられるお家があるんですよ、あれこれ見ていると。。