大輪の花が
2019年10月04日 公開
佐藤しのぶさんの訃報に接しました。61歳。
佐藤さんの歌声を、一度だけ聴いたことがあります。四十代の頃だったと記憶します。「椿姫」。
ある方に招いていただいたのです。初めて経験した歌声でした。「椿姫」という小説が、けっこう好き、と口にしたことが発端でした…もっと若い頃に、娼婦マルグリットの愛の深さというか、ひたすら恋人アルマンのためをだけ考えて生きた女性の在り方に魅かれた、と話したことを、覚えて下さっていて、ご一緒に、と誘ってもらったのでした。
佐藤しのぶさん。美しくて華やかで、堂々とされていて。
結婚もされて、女の子を授かられて、もちろん仕事もいいお仕事を積み重ねられて。
こんなに何でも持てる人もいるんだ。何もかも持てる女性がいるんだ。そんな風にも感じていました。自分と比べたことは無いし、何を比べたらいいのかは分からなかった。
努力はされていただろうし、そんなのは当たり前。理屈は抜きに、佐藤さんと聞けば、ああ、という風に、素敵だなあと感じていた。遠い世界の方ながら。
病名等は明かさないで、とのことだそうで、明かす必要も無いと思います。
61歳って、お若いです。
何といえば的確なのか、ありきたりですが、大輪の。本当に大きな、鮮やかな薔薇が、みたいなイメージ。
昔はじめて見たオペラというもの、そのステージの真ん中に君臨されていた、大輪の花。
その方の「マルグリット」は、私のなかの「巴里の娼婦」と、いささか異なっていたと思います。私が、オペラの世界の約束ごととか、何も知らなかったせいでもあるでしょう、ゴージャスであることは、佐藤しのぶさんという声楽家の持ち味そのものだったとも解るし、違う、と感じたそれは個人の感覚でしかない。
なんてことを、こてこて書いてみても詮のないこと。あの美しい・・美しいとしか言いようのない・・・類を見ないような大輪の薔薇が、酷暑を越えてようやく秋が、という時期に、この世を去って行かれた。儚いことよ、なあ、と。
佐藤さんの歌声を、一度だけ聴いたことがあります。四十代の頃だったと記憶します。「椿姫」。
ある方に招いていただいたのです。初めて経験した歌声でした。「椿姫」という小説が、けっこう好き、と口にしたことが発端でした…もっと若い頃に、娼婦マルグリットの愛の深さというか、ひたすら恋人アルマンのためをだけ考えて生きた女性の在り方に魅かれた、と話したことを、覚えて下さっていて、ご一緒に、と誘ってもらったのでした。
佐藤しのぶさん。美しくて華やかで、堂々とされていて。
結婚もされて、女の子を授かられて、もちろん仕事もいいお仕事を積み重ねられて。
こんなに何でも持てる人もいるんだ。何もかも持てる女性がいるんだ。そんな風にも感じていました。自分と比べたことは無いし、何を比べたらいいのかは分からなかった。
努力はされていただろうし、そんなのは当たり前。理屈は抜きに、佐藤さんと聞けば、ああ、という風に、素敵だなあと感じていた。遠い世界の方ながら。
病名等は明かさないで、とのことだそうで、明かす必要も無いと思います。
61歳って、お若いです。
何といえば的確なのか、ありきたりですが、大輪の。本当に大きな、鮮やかな薔薇が、みたいなイメージ。
昔はじめて見たオペラというもの、そのステージの真ん中に君臨されていた、大輪の花。
その方の「マルグリット」は、私のなかの「巴里の娼婦」と、いささか異なっていたと思います。私が、オペラの世界の約束ごととか、何も知らなかったせいでもあるでしょう、ゴージャスであることは、佐藤しのぶさんという声楽家の持ち味そのものだったとも解るし、違う、と感じたそれは個人の感覚でしかない。
なんてことを、こてこて書いてみても詮のないこと。あの美しい・・美しいとしか言いようのない・・・類を見ないような大輪の薔薇が、酷暑を越えてようやく秋が、という時期に、この世を去って行かれた。儚いことよ、なあ、と。
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