気持ちが乱れます
同じような災いの連鎖する感じは、なんとなくありました。若いころ、八ヶ岳のボロな山荘(とか言ってますが、知人の親御さんのもので、私もタダで泊まらせてもらっていたのに)で、その夏何度目かの飛行機事故のニュースを耳にした時。震えました。口ではどうも言い表せない恐ろしさでした。何これ、また、どうして、と。
何を書きたいの、と、今、問われれば、えーと、とか、漠然とした応えようしか無い気もする・・・
首里城が、猛火のなかに崩れて行く画像を、何度も何枚も見て。
胸がぞわぞわするのです。いきなり話題を大きくすれば、私が生まれる前も後も天災、人災、事故。大きな災害は歴史のなかで切れ目なく起こり続け、「二度とこのような悲惨が繰り返されませんように」とか。「風化させてはならない」とか。全くそうなんだけど実際には、ほとんどのことが、流れる歳月のうちに巻き込まれて行く、現実に酷い目に遭った方々以外の記憶からは、薄れて行く。それが現実。悲しくやりきれないが、現実。本当に酷い目に遭われた方々は、ぐっと黙っておられる。
と、言ってしまっていいですか。
轟轟たる猛火のなかに崩れ落ちて行った首里城。私は沖縄へ行ったことは無いです、いつか行ったら、ぜひ訪れてみたいと願っていました。
火のいろは凄まじく恐ろしい。なすすべの無いまま・・と書くには・違和感がありますけど、だからといって・・・現実に、燃えてしまったのですよね。
どこかのどなたさんたちは、ココロを痛めたり心配なさったりしていると、報じさせている。そんなこと言うの簡単だわ。
国家的な重大な行事の、いまだ途次にあって、人を招いたり宴を饗したり美酒を酌み交わしたり、単に好きでしているんじゃないのは、私にも理解できます。気になるのは、あの夫婦の態度に、惧れも痛みも慮りも慎みも、なんにも感じられないこと。完璧にヒトゴトでしかないこと。今更の話ではないですが。
合計4回、催されたという饗宴の儀、3回は雨が降り、最後の一回には紅蓮の炎。600人の人を招待して、来られたのは360人、という宴もあったとか。申し訳ないですが、嫌われているとか笑われている、とか。仕方ないですよ、普通に目が・・・あ。
即位ということをして、長年の病気が、あっという間にばっちり回復されたとは、おめでたや、まさこさま。態度も余裕が出て、へこへこ頷きながらの無様は変わらねど、ワタシガイチバンエラクナッタノヨ、のお気持がおあらわれになられて。。諸悪の根源ともいえる、あのお父上のいわく「あなたの時代だ」って。それ違いますよ、こーごーの時代、なんてものは、私の国の歴史の中にはありませんよ。前代さんがああでいらしたし、強く否定はできない、でも、何抜かしてんね、ええかげんにせえよアホかあ。とは思う、思うくらいは思わせてな。勝手に御所に住みついて、飲食なさらないで下さいよ、オワダさん、まったく。
そうそう、先代さんといえば。
ナルさん。ともかく高い所に上がって、それらしい顔してテンノーになられた、のは、幼いころから自らの家庭を顧みず、ひたすら皇太子の養育係をおつとめ下された、浜尾実さんのお陰でしょう。指先の揃え方エトセテラ、いわゆる身の処し方を叩き込んで下さった。その方のお葬式に、ナルは行かなかった。ナルのおたたさまが行かせなかった、その訳を「浜尾さんはクリスチャンでいらしたから」と、ぬけぬけと、そういうことにしておった。浜尾さんはミテコさまにも、バシバシとものを仰ったから。お気に召さなかった。
でも、お友達で大好きなオガタサダコさんのお葬式には、ミテコさん、行ってた。車の周りに何台も車配して、お通りだよ~とばかりに交通規制かけて。私的な訪問なんですって。大学の先輩だったオガタさん、もちろんクリスチャン。皇太子の養育に尽力された方と、どっちが?と感じますが、そんなことをれれれ???していたら、あの女帝さまのやること、いえ、なさることの???は解けません。
浜尾実氏は、ナルさんが「まさこの人格が否定された」とテレビカメラの前で言い放ったビデオを、ご覧になって。
皇太子が私的なことをこんな仰って、など驚いておられました。私が、その浜尾さんのビデオを観て感じたのは、
「皇太子さま、こんな地味なネクタイをしていらっしゃる」
の発言の時の、心配そうな表情でした。うまく言えませんが、心外そうな。ナルちゃん溺愛のおたたさんは、ナルさんがどんなネクタイしていようが、車の後部の荷物席に乗せられていようが、そこからあたま突き出して手を振っていても、平気かどうかわからない、が、、口出してはいけない、とでもお思いか。、自分のことしか気にならないのか。あのあたりが言わなければ、どんなヘンテコなことでも通ってしまう、大恥の元なのに。
慰霊を重ねたと賞賛される先代夫婦。ずいぶん偏った旅をなされました。行きたいところへ行かれた、と、私は思っています。なのにシベリアやガ島については、口先に乗せられたこともありません。赤紙一枚で連れて行かれて、靖国で会おうと、国のため家族のために命を落とされた方々が、息絶えるやいなや還ってこられたであろう、御霊の集っておられるであろう靖国へは、行っていない、今のなるまさが行く訳も無い。
沖縄へは何度も足を向けられた。沖縄の言葉でたくさん歌も詠まれた、ミチコさんは、天皇陛下になり替わって、自分のうたを陛下の御製として固定した。東北地方へは、気乗りされなかったようです。
このへんで止めます。
橋が壊れたり道路がいつ通れるようになるか、とか。風や雨にめっちゃくちゃにされた家や田んぼや果樹園や。車や。本当に、膨大な被害を、受けてしまわれた方々。すでにメディアも報じない。これから冬に向かいます。