言葉にならない
単にふまじめなくおんだっただけかも。感じたことだけで、いいもんね~、て、なんて不遜なやつでしょう、私。
一昨日から、薬師寺について一所懸命調べています、当日になって、大きすぎる対象に、ふわふわと取り組もうとして、そんな簡単なことではないな、と、思い知っています。
ほぼ毎日、孫を連れて行き来していた薬師寺前の道路。今日は唐招提寺へ、明日は薬師寺へ、と、孫たちの保育園ではお散歩の先にされていた。ちっさい皆をどわっと受け入れて、遊ばせて下さったお寺さん。久しぶりに内部へ入れていただいて、今更のごとく圧倒された。何に、とは、言葉に言い表せない。そこにいることに、とか言うのか。
秋の空は少しずつ群青の色を深めて行き、折り畳み椅子にかけて、演奏を聴き、歌を聴いた。名前も知らないゲストさん、皆さん素晴らしい歌だった。一曲あるいは二曲を歌うために、来ておられた、唯一知っていた平原綾香さんは、ライトに映える純白のドレス姿で、初めの声がふわっと発せられ、クリアに響きわたるその声に、とつぜん眼がしらが熱くなり、じわりと涙が沸いた、びっくりした。
どなたの歌も、どっしりとまっすぐな歌で、大講堂におわします弥勒さまも、隠されることなくライトアップされて、オーケストラやゲストさんの背後に、おられました。ふつーに、そこにおられた。私は、これもうまく表現し得ませんが、このお寺のフトコロの大きさ、ゆとりを感じて、すごいなあ、続いて来ているここ、とか。いささか過剰なのかもしれない「すごいなあ、ここ」感に溺れて酔っぱらっていた気がします。
こういった「どう言っていいかわからない」ということを、なんとか言おうとするのが、ものを書くということなのだろうと思いますが、そこをなんとか、と押して行くより、ただただよかったなあ感を、このまま感じ続けていたい、そんな風に、もしかして中途半端なだけ、の、今回の記事とさせていただきます。