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返事の中までKUONです。

Top Page › みんなのうた › (去年の)師走のおべんきょう Ⅳ
2020-01-08 (Wed) 14:15

(去年の)師走のおべんきょう Ⅳ

どうもお待たせしました。去年からお預かりしている「みんなのうた・師走篇」、途中でわたしのおっちょこちょいのせいでストップしておりました。申し訳のないことでした。

少しずつ、続けたいと願っています。よろしくお見守りいただきたいです。

今日は、強い風です。白い波が防波堤に押し寄せてぶつかっています。太陽はいっぱいなんです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


     ギボウシ

   先月に続き、終末期の友人をお歌にしました。内容は深刻ながら、
   言葉遣いはヘタレています。せめて古文で詠めたら・・と憧れますが、まだ勉強する余裕がありません。
   こういう時こそ「喝!」を入れていただきたく、バッサバッサとお直しいただけましたら幸いです。

退院の知らせに返信 おめでとう 打つ手ないから追われたのにね

   (※代案:打つ手なきゆえ追い出されしに)
(この「代案」とてもいいですが、お気持そのものと思われる初めのもので、と思います。

甘くない 在宅ケアは 立ち込める 黄泉の臭いに試される日々

(「試される日々」がいいです。

プリン食べ 赤青白の薬飲み 汚した下着 自力で洗う

(汚した下着自力で洗う・・・・この終末期だというお友達の、これまでの人生が見えます。

目を閉じよ 薬も飲むな ただ果てよ 今日の頑張り 明日の苦しみ

気休めの手当て療法 毛糸帽の下は 犬ほどの髑髏(しゃれこうべ)

自分なら どうするだろう この先も 考え抜くよ ありがとう

真心こもったおうた、下手な評は届きません。こういったうたは湿っぽくなるのが今までの大方だった気がしますが、こういう風に詠まれる詠み人さんに、畏敬の念を抱きます。

(最後の二首、言えば字足らず。足し方もありますが、あえてこのままに、と。形ととのえたいと思召さば、仰って下されば。


     まめはな

・道の上(え)を風が転がす銀杏葉(いちょう)見て色づきしを知る霜月来る

(色づきしを知る霜月来る」このたたみかけがよく効いていますね。

・れんそうの芽ってこんなに細いのか自分で蒔いて初めて知った
   (れんそう:ほうれん草、ベランダ菜園で)

(こういった小さな発見、感動。こういうところに「詩」があるのですね。

・久々の晴天なりし霜月の朝はひなたを選みて歩む

(ひなたを選みて歩む。ふんふんそうですよね、とにこにこ頷いて・・・選みて、って、どう読んだらいいの? と、思わず振り向いてしまいました(笑)。

・木の枝の螺旋の階段登りゆきあの蒼き空に吸い込まれたし
   (葉の落ちた木の下に立ち、空を見上げて)

(感性のクリアな一首です。

     かりそめ

   キラキラした海、車椅子を押してくれるのは息子さん、羨ましいです。
   うたの投稿は2度めです。よろしくお願いいたします。

(ううう。創作のうたなんです、半分ホント。九つだけ年下の長女の夫さんに参加してもらって、ちょっと夢みたいに詠んだ・・・せっかく羨ましいと言って下さったのに、バラしてしもうた、ごめんなさい(;´Д`)。

*猫だとて干渉はイヤ緑道に知らんぷりしてすれ違ひけり

(このヒトと猫さんの感じ。よおく分って、なんか魅かれます。

*わが団地かつて希望に充ちてをり数十年(すじゅうねん)経て樹々も老いゐる

(ああそういえば・・と実感します。私はここへ来て二年ほど。いま感じることは、老いる、ということです。去年まではそれほどでも無かった・・・。

*鷹よ鷹ヒトになるかと訊きしかばきつぱりイヤと言はれてしもた

(きっぱり言はれてしもた・・・そうなのか、鷹。要らんこといえば、未だ若くて眼光の鋭い鷹さんですか。ニンゲンも、いいもんだぜ。知ってる?


・・・続きは今夜・・・
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最終更新日 : 2020-01-08

ギボウシさんのうたについての感想 * by 天井の青(ラピスラズリ)
昨年読んだ時から感じたざらついた感情が今も消えませんので一人の読者の受けとり方として一読して頂けたらと思います。
ご不快を与えるとしたらお詫び致します。

カサブランカのコメントに書いたように私自身手術の経験がありますので、もし運命の違いでこのお友だちの方の現在は私自身の現在の姿だったかもしれないという目線での感想で決して批判のみをするものでないことはお分かり頂けたらと思います。

まず本当のお友だちならこの様な冷静な観察眼での描写は出来ないというよりはしないのだはないかと思いました。
書かれた言葉がどれも辛辣でえぐいとさえ思えて読んでいて辛くなりました。

細かく触れさせて頂きますが、打つ手ないから追い出されたにまず衝撃を受けました。
何て酷い言い方なの?と。
打つ手がないかどうか端から言うことではないのではないかと。

黄泉の匂いってまだご存命で懸命に闘っているのでしょう?

ただ果てよ?もう諦めて悪足掻きせずに静かにしたらということですか?

毛糸帽子の下の犬ほどの髑髏(しゃれこうべ).....
一番残酷で胸を抉られた表現です。

どうしてこんなに冷酷とも言える言葉が次々と出てくるのか、もしこの友人の方があなたを信頼してくれているとしたら貴方はそれを裏切っているのではありませんか?
もしこの方が貴女の歌を読んだら心から悲しむと思うのですがどう思うと思われますか?

それからシリーズのようにこの方の様子を刻々とうたにするつもりですか?
死にゆく友の実況中継のようで私はもう今後を読む勇気がありません。

以上私個人の極端な見方かもしれませんので何も感じなかった方々のお気持ちを悪くさせたとしたらお詫び致します。
コメント欄への書き込みとして不適切でしたらブログ主のKUONさまにもお詫び申し上げます。
今後しばらくうたの投句は謹慎させて頂きますことでお許し下さいませ。

管理人のみ閲覧できます * by -

* by かりそめ
おべんきょう、ありがとうございます。
遅くなってしまいましたが、今年もよろしくお願いもうしあげます。
大変楽しみにしておりますので、ご負担にならない範囲で続けていただきとうございます。

鷹に代わってひと言。
人間さんもいいけど、空から見ているとどんくさいんだよねえ。それに飛べないしさ。えっ、詩とか想像力で飛べる? ん? じゃたまに人間になるのもいいかな。

底に残った思いをもう一度だけ言わせて下さい * by 天井の青(ラピスラズリ)
多分コメント欄は快不快などの感想を述べる場ではないのでしょう。
現にKUONさんもうたの表現方法に対して論評しておられます。
場違いかもしれませんが違和感をもう少し述べさせて下さい。

その友人の様子を詳しく言えるということはかなり近い関係の友達なのですね。
それであれば肉親や身内ではなくてもその深刻さを増してゆく様子にもっと胸を引き裂かれそうな悲しみが襲うと思うのですが、むしろ冷酷なまでに冷静に観察していることに違和感を覚えました。

冒頭、内容は深刻なのにと言いながら古文で書けたらと憧れると、普通はそんな書き方にまで気が行かないと思うのですが、むしろ書くことを楽しみ生き生きとしているように感じました。

退院の知らせにおめでとうと返しながら本心では打つ手(見込み)がないから追い出されたのにね、と思うその底意地の悪さに戦慄が走りました。
追い出されたという言葉は普通は出てきませんで
貴女の本心を知っていたら決して退院の知らせなどは送って来なかっただろうと思うと切ないです。

黄泉の匂いではなくて臭いの方でしたね。部屋に出入りしながら既に死を嗅ぎ取っているその冷静さ、普通ならあえて目を背けて見ないようにするでしょう。
 
汚した下着のことなんて貴方は書かれて平気ですか?
その友人の尊厳のために最も書いてはいけないことだったのではないかと思います。

最後にありがとうという言葉があるのも引っ掛かりました。
私がその友人なら自分の悲惨で残酷な運命をただ共に悲しむのではなく自分の今後の参考にしてありがとうなんて絶対に言われたくないです。

人間の心は恐ろしいですね。
どんなに親切そうに付き合っていてもこんなことを思えるのですから。
貴方の書き方はどこか浮き浮きとしていてそれに一番腹が立ちました。

最後に本心を書きました。
辛辣でごめんなさい。
でも何も知らないのであろうその友人のことを思うと、もう二度とコメント欄に書き込めなくなってしまっても貴方に向かって書かずにはいられませんでした。
独断と偏見と思われたならお詫びします。

No Subject * by KUON
いろんなことすっ飛ばして、ラピスラズリさんに私の気持ちを。

人さまのコメントを読んで腹が立ったり嘆いたりは、当然、私にもあります。今は怒りも無いし嘆いてもいません。これはあなた様の感じ方と思うし。

人は皆、みーんな「違う」と思っています。愛し方憎み方、どれは平気で、こんな小さなことに苛立って、と、みんな違うと思う。一人ひとり違う。

私は「ことばの世界」に救われて生きている気がします。それは
>もっと胸を引き裂かれそうな悲しみが襲うと思うのですが、むしろ冷酷なまでに冷静に観察していることに違和感を覚えました。<

あなたが違和感を覚えるというこのあたりへの何か・・・。違和感を覚えるのは読む者の自由。イヤなのなら仕方が無い。そして、抉って書かれた作者に、むしろ畏敬の思いを抱いたうた詠みのひとりとしての自分がいる、というのも、ここに於ける真実の一つであろうと。

ものの感じ方は一人ひとりのもの。どう感じられてもいいと思います。が、自分とは「違う」ものに対し、どう通り過ぎて行くか、には、やり方がありましょうか。私は、巷に溢れる「優しさ」とか皆で「いい」と言おうよ、マル、とか、砂糖漬けの脳みそから湧いてきているような、そういったものが大嫌い。せめて自分の言葉の国の主権は、自分のものと信じていたい。

なかなかうまく言い尽くせませんが、ラピスラズリさん

>今後しばらくうたの投句は謹慎させて頂きますことでお許し下さいませ。<

謹慎、と仰られると、それはちがうのでは? とここで、もじもじします。謹慎する理由は無いのでは。それと、私の違和感

>「現にKUONさんもうたの表現方法に対して論評しておられます<

ここです。これ、もしかして違うのでは?。?。私のやり方が気に入らんとか、勉強が足りないよKUON、とか言われたら、ソーナンデスヨ、ペコペコと卑屈にもなるでしょうが。この場で

>KUONさんもうたの表現方法に対して論評しておられます。」<

ここでこれは無いでしょうよ。自分の作品にドントタッチ、なのなら申し出て下さいと。きちんと申し上げています。

とにかく私の気持ちを書きました。「汚した下着を自力で洗う」と詠んだ方も、友にそう詠まれた方も、みごと、と、わたしKUONは感じた。自分で、ではない。もうギリギリの体力=自力で、と。素晴らしい一首と、私は、感じたのでした。それは事実。どなたに共感をおしつけはしませんが。

このお友達は、今年に入って亡くなられたと聞き及びます。見えない世界へ行かれて、自由になられて、親友のこれからの日々に、やわらかく寄り添っておられるのではないか、と、考えています。

KUONさまコメント有難うございました * by 天井の青(ラピスラズリ)
友人の方はお亡くなりになられたのですか。
合掌
このやり取りの時にはもう既に何も届かない遥かなところにいらしたのですね。

今この友人の終末期の姿をうたにして残したことをいい供養になったと思えるならそれが全てです。
もう余人が何か言うことはありません。

KUONさんはうたの表現方法について論評しておられます、の意味はいつものように言葉の選び方や表現などについて論評(アドバイス)しておられ私のように詠む内容や背景についての意見ではないという意味です。

言葉の受け取り方も本当に人によって違うのだなと改めて認識しました。
私の書き方も違和感やご不快な思いをお掛けしたならお詫び致します。

私は * by ゴネコ
こんにちは。

仕事の帰りに、駅のホームでギボウシさまのお歌を拝見しました。
そのとき素直に、いいお歌だな、と思いました。
それで、そのことを、KUON様がおまとめになったときに感想として寄せさせていただこうかなと思っていました。
今日は、家にいられる日なので、久しぶりにPCをたちあげてKUON様のブログにお邪魔して、ギボウシさまのお歌に触れ、ああやはりいいな、と思い、コメントしてもいいのかな、なんてのんきに思っていたところ、天井の青(ラピスラズリ)様のご意見が寄せられていることに気づきました。
なるほど、そうお感じになる方もいらっしゃるよね、文学表現というものはそういうものだよね、と思いつつ、私がギボウシさまのお歌に魅せられたことも、一つの意見としてコメント欄に投稿してもいいのかな、と思った次第です。
以下、長文になりますが、お許しください。

私は主人をガンで亡くしましたので、「在宅の~」のお歌は、本当にその通りだと思いました。ここは「臭い」なのです。ギボウシさまはこの字にそれほどの思いはなかったのではないかと推察しています。単にPCの変換によったのだろうと思っていますが、当事者にとっては「臭い」なのです。ただ、本人、家族の者は、その時には感じていません。後になって考えてみると「臭い」が視覚化していたような気はします。
かなり前のことになりますが、主人と二人で、お世話になった先生のお宅にお邪魔したとき、その先生の奥様(歌人でもいらっしゃいましたが)がガンで闘病されていらっしゃいました。一切の治療を拒否され、ご自宅で過ごすことをご夫妻でお決めになり、日常を愛おしんでお過ごしになられていました。
お伺いしたとき、奥様が、私たちにお茶を出してくださって、その後大振りのガラスの花器に庭で咲いた花々を活けていらっしゃいましたが、そのお姿のなんともいえない潔さ、しかし思わず「何、これ?」と思うような「臭い」がしました。お茶を出してくださったときには全く感じなかった「臭い」です。
甘ったるいような、不快なようでどこか懐かしいような、でもいつまでも嗅いでいたくはないような、本当に何ともいえない「臭い」でした。
先生と奥様は、まったくいつもと変わらずニコニコされていましたが。
先生のお宅を辞した後、主人と話し、主人も同じような「臭い」がしたと言っていました。大変失礼な申し上げようで心が痛みますが、あのときの「臭い」は、内臓が腐敗していく「臭い」だったのだと思います。しかし、それはどこか甘美な感じもし、奥様と先生が選択されて奥様の生き方にまとわりつく「臭い」だったように思います。
後年、主人が同じ病を得、在宅での看護が必要になったとき、我が家にもこの種の「臭い」はあっただろうと思います。
ただ、その「臭い」に気づくのは当事者、家族ではない。
当事者、家族は気づいていても、時折鼻をかすめるその「臭い」があっても、気づかないふりをするのだと思います。
主人がいなくなって、何年も経ち、ギボウシさまのお歌に触れ、ああ、そうだった、たしかにそうだっただろう、よくわかっておられる、ご家族が気づいていても気づきたくない、そういうものに気がつける、こういう方は、ご家族と同様の親しい関係であるはず。そうでなければ「死のにおい」を「臭い」とは感じ取れない。
私にも、そういう友人はいた。
看護師で助産師だった友人。
彼女は、主人の死期を正確に読んでいたはず。
でも、「良くなるといいね」と言ってくれた。
私も、心のどこがで「もうダメなんだろう」と思いながらも、彼女の言葉は嬉しかった。ウソだとわかっていても嬉しかった。
ギボウシさまは、私にとってのその友人のような存在だったのではないかと思います。

続きます。すみません。

続きです・すみません * by ゴネコ
さきほどのコメントの続きです。
すみません、グタグタと。

ギボウシさまのお歌は、どれもこれも私のストライクゾーンに入ったのですが、もう一首、感想めいたものを述べさせていただくと…。
「目を閉じよ~」のお歌が好きです。
歌に関して全くの素人ながら、「~よ、~な、~よ」の調子のよさ、また、この命令形(あるい未然形で考えているのか)の使い方は、大変に意味深長です。
誰が誰に「目を閉じよ」と言っているのか。

これも主人のことで申しわけありませんが、「もうがんはらなくていいよ」と、私は何度も思いました。でも、主人は「君との約束だから」と言ってがんばってくれました。主治医から「昨夜はだいぶ痛んだようです」と言われたりすると、もう楽にしてあげてください、と思ったりもしたものです。
けれども、「がんばる」と決め、「闘う」と決めたのは主人であって、彼は、痛みに耐えながら「目を閉じよ」と自分に言い聞かせていたこともあっただろうと思います。この場合の「目を閉じよ」は、お歌の意味とは異なりますが。
こんなことを思い出し、ギボウシさまのこのお歌には、複数の人の思いが重層的に表されているのだろうと思います。自分で自分に「目を閉じよ」、家族が病に立ち向かっている人に「目を閉じよ」。自分の中の自分の言葉は、もっともっと複雑な構造をとるでしょうけれども、そんなことをすっとばしての命令形。それは、自分自身への鼓舞でもあり、諦めでもあり、感謝でもあっただろうと思います。

韻文の持つすばらしさの一つは、理屈でこねくりまわすことなく、そのことばの持つ世界観が読者の経験による想像力を刺激し、一気に現実を超えさせるところにあるでしょう。たしか小野十三郎もそんなことを言っていたと記憶します。
ギボウシさまの数種のお歌は、韻文の持つそんな作用を如実に示してくれたようで、私は、素直に「ああ、そうだった。そういうものだった」と思いました。

とりとめのないことですみません。
こんなふうに思う者もいます。

ありがとうございます * by ギボウシ
皆様
うまく言葉にできませんが、ありがとうございます。

今晩、亡くなった親友の通夜があり、まだ気持ちの整理がついていないこの段階で、何を申し上げれば良いのやら・・

お歌に関しては、ど素人未満な私ですが、ここに参加させていただく以上、言いたいことは「三十一文字」で歌い切ることを自分に課したいと思っていて、もし自分の本意とは正反対に受け取る方がいたとしても、言い訳はするまい、などというヤセガマンもありまして・・

ただ、皆様のお気持ちが、それぞれに、とても嬉しく、一言(長くなりそうですが)お返事をさせていただきたく・・

まずは、天井の青(ラピスラズリ)さんへ
私も、元がん患者です。
12年前、亡友とほぼ同時期に、同じ部位を手術で切除しました。
ですから、友人が「再発」し、しかも発見時には既に末期であったと聞き・・・自分がその立場にあってもおかしくないとの思いは私にもよぎりました。同時に「同病相憐む」間柄であったからこそ、親友は、彼女の「超プライベート空間」に、私を招き入れてくれたのだと思っています。私が深層意識で恐れていた事を、紛れもない現実として、私の目の前で見せてくれた・・それが、私にとって、どれほど尊く、かけがえのない事であったかを思うと、通夜の席で泣き崩れてしまいそうで・・ 

終末期のがん患者とその家族は、物心両面で様々なサポートが必要になりますが、今の医療制度では、治癒の見込がない(治療ができない)患者は、入院を続けされてもらえません。家族も「打つ手がないから追い出された」と平気で言いますし、医療側もそれを否定しません。最期は病院より自宅で・・と思いがちですが、現実は「甘くない」と知りました。

本人以外は、全員あきらめているんです。誰も「良くなる」とは思っていません。
医療従事者は、同様の症例をごまんと見ているので、親身になってはくれても、それこそ「冷静」ですし、「平静」を装っているように見えるご家族は、様々な感情にとてつもなく厳重な鍵をかけている悲痛な状況です。私は一歩離れた立場だからこそ、自分が明らかに「取り乱している」のがわかりました。

(私も、すみません、続きます)

(つづきです) * by ギボウシ
そんな自分を持て余しているときに、KUON様が「師走のお歌」を募ってくださいました:
「『うたは訴え』この言葉は、喜怒哀楽いろんなこと、人に言いにくいこともいっぱい、せつなくて胸がいっぱい、そんな人としての気持ちの波を、うまいとか下手やとか、そういったくくりでない、生の言葉で、外に出して。わずかづつでも、胸の底に澱むマイナスのイメージが、うたに思いを託すことで、昇華に近づいて行く。笑われそうですが、できれば綺麗な気持ちでいたいなあ、そんな風にありたいなあ、」

このタイムリーなお呼びかけに勇気を得て、今回の歌を詠ませていただきました。
内容が内容だけに、ためらわれるものもありましたが、自分にとっての「綺麗な気持ち」とは、「嘘」がない事だと思い、字足らずにも気づかず、正直な思いを詠み切らせていただきました。

それでどんなに救われたことか・・ このブログが私個人の救済の場でないことは承知しつつも、KUON様には、感謝の気持ちでいっぱいです。


ゴネコさま
心が洗われる、素晴らしいお言葉の数々をありがとうございます。
私事ですが、実父が自宅で眠りながら大往生したのを間近で見て、あれが「理想」とずっと思ってきました。でも、親友が痛みに苦しみ抜いて亡くなった姿を見て、死に方に貴賎はないと思い知らされました。
ゴネコさまがこんなに美しい文章をお書きになるのも、(一部は)ご主人様と過ごされた貴重な時間の賜物ではないかと・・

(2回では書ききれず・・すみません、更に続きます。個人的なことに、こんなにスペースを使ってしまい、申し訳ありません)

(更につづき〜これで終わり〜です) * by ギボウシ
そして、あの「臭い」を共有できたことが、何とも感慨深く・・
おっしゃる通り、あれは「匂い」ではなく、「臭い」でした。PCの変換まかせではなく、意識的にその漢字を選びました。
父が老衰で自然死した時の「におい」は、香しいとは言えないまでも、まさにどこか「甘い」、光に満ちた場所が身近に感じられるような・・

在宅看護の友人の場合は、明らかに「臭い」でした。
腐敗する臓器と消化できない飲食物と強い薬剤の混ざった臭い・・本音を書けば「死臭」と呼びたいくらいのものでした。死の影に怯え、足掻いている人間にとっての「あの世」は、「光に満ちた場所」ではなく「地獄(黄泉)」です。

私は自宅に戻れば済む話ですが、ご家族は、あの空間にずっと二人きりですから、さぞや、と。

本人も苦しいだろうが、付き添う人間も辛い。早く楽になりたい、してほしい・・そんな「ヘタれた」思いを「目を閉じよ」に込めました(どんなに衰弱して居ても、私が見舞っている間は目を開けて話をしようとするので、彼女の頭に「手当て」をして「眠っていいよ」と暗に伝えようとしたことも・)

ゴネコさまが、私自身も気づかなかった「複数の人の重層的な思い」を読み取ってくださり・・ 親友のお陰で、こんな素敵な交流ができたと、今夜彼女に伝えさせていただきますね。

まだまだ言葉足らずですが、そろそろ通夜の支度をします。

たくさんのスペースを使ってしまい、すみませんでした。

そして、本当に、ありがとうございました。

No Subject * by しまき
歌心が全くないので、いつもお勉強させていただいております。

今回、どうしてもわからないことがあり、質問させてくださいませ。

ギボウシさんの
「毛糸帽の下は 犬ほどの髑髏」

この「犬ほどの髑髏」とは一体何を意味しているのでしょうか。
人の髑髏を犬の髑髏とするその比喩がわからないのです。大きさからすると、大型犬の中には、人ほどの大きな髑髏を持つ犬種もあります。ただし形は全く違う。。

私は、上記のように妙なところ理屈っぽいので、こういう情感溢れるものには不向きなんだなぁと思いつつ。
少しでも前に進んでいけたらありがたいと思う所存です。

No Subject * by まめはな
KUОNさま

お怪我されて大変な中、添削をありがとうございました。
「選みて」は「選びて」より「ひなた」の柔らかさが出ている感じがして使ったのですが、考えてみれば「選む」という言い方はありませんよね。
「選びて」に訂正をお願いいたします。

お怪我のほうは、その後いかがですか。
無理なさらず、順調に治っていかれますように。

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ギボウシさんのうたについての感想

昨年読んだ時から感じたざらついた感情が今も消えませんので一人の読者の受けとり方として一読して頂けたらと思います。
ご不快を与えるとしたらお詫び致します。

カサブランカのコメントに書いたように私自身手術の経験がありますので、もし運命の違いでこのお友だちの方の現在は私自身の現在の姿だったかもしれないという目線での感想で決して批判のみをするものでないことはお分かり頂けたらと思います。

まず本当のお友だちならこの様な冷静な観察眼での描写は出来ないというよりはしないのだはないかと思いました。
書かれた言葉がどれも辛辣でえぐいとさえ思えて読んでいて辛くなりました。

細かく触れさせて頂きますが、打つ手ないから追い出されたにまず衝撃を受けました。
何て酷い言い方なの?と。
打つ手がないかどうか端から言うことではないのではないかと。

黄泉の匂いってまだご存命で懸命に闘っているのでしょう?

ただ果てよ?もう諦めて悪足掻きせずに静かにしたらということですか?

毛糸帽子の下の犬ほどの髑髏(しゃれこうべ).....
一番残酷で胸を抉られた表現です。

どうしてこんなに冷酷とも言える言葉が次々と出てくるのか、もしこの友人の方があなたを信頼してくれているとしたら貴方はそれを裏切っているのではありませんか?
もしこの方が貴女の歌を読んだら心から悲しむと思うのですがどう思うと思われますか?

それからシリーズのようにこの方の様子を刻々とうたにするつもりですか?
死にゆく友の実況中継のようで私はもう今後を読む勇気がありません。

以上私個人の極端な見方かもしれませんので何も感じなかった方々のお気持ちを悪くさせたとしたらお詫び致します。
コメント欄への書き込みとして不適切でしたらブログ主のKUONさまにもお詫び申し上げます。
今後しばらくうたの投句は謹慎させて頂きますことでお許し下さいませ。
2020-01-08-15:55 * 天井の青(ラピスラズリ) [ 返信 * 編集 ]

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます
2020-01-08-20:30 * - [ 返信 * 編集 ]

おべんきょう、ありがとうございます。
遅くなってしまいましたが、今年もよろしくお願いもうしあげます。
大変楽しみにしておりますので、ご負担にならない範囲で続けていただきとうございます。

鷹に代わってひと言。
人間さんもいいけど、空から見ているとどんくさいんだよねえ。それに飛べないしさ。えっ、詩とか想像力で飛べる? ん? じゃたまに人間になるのもいいかな。
2020-01-09-17:32 * かりそめ [ 返信 * 編集 ]

底に残った思いをもう一度だけ言わせて下さい

多分コメント欄は快不快などの感想を述べる場ではないのでしょう。
現にKUONさんもうたの表現方法に対して論評しておられます。
場違いかもしれませんが違和感をもう少し述べさせて下さい。

その友人の様子を詳しく言えるということはかなり近い関係の友達なのですね。
それであれば肉親や身内ではなくてもその深刻さを増してゆく様子にもっと胸を引き裂かれそうな悲しみが襲うと思うのですが、むしろ冷酷なまでに冷静に観察していることに違和感を覚えました。

冒頭、内容は深刻なのにと言いながら古文で書けたらと憧れると、普通はそんな書き方にまで気が行かないと思うのですが、むしろ書くことを楽しみ生き生きとしているように感じました。

退院の知らせにおめでとうと返しながら本心では打つ手(見込み)がないから追い出されたのにね、と思うその底意地の悪さに戦慄が走りました。
追い出されたという言葉は普通は出てきませんで
貴女の本心を知っていたら決して退院の知らせなどは送って来なかっただろうと思うと切ないです。

黄泉の匂いではなくて臭いの方でしたね。部屋に出入りしながら既に死を嗅ぎ取っているその冷静さ、普通ならあえて目を背けて見ないようにするでしょう。
 
汚した下着のことなんて貴方は書かれて平気ですか?
その友人の尊厳のために最も書いてはいけないことだったのではないかと思います。

最後にありがとうという言葉があるのも引っ掛かりました。
私がその友人なら自分の悲惨で残酷な運命をただ共に悲しむのではなく自分の今後の参考にしてありがとうなんて絶対に言われたくないです。

人間の心は恐ろしいですね。
どんなに親切そうに付き合っていてもこんなことを思えるのですから。
貴方の書き方はどこか浮き浮きとしていてそれに一番腹が立ちました。

最後に本心を書きました。
辛辣でごめんなさい。
でも何も知らないのであろうその友人のことを思うと、もう二度とコメント欄に書き込めなくなってしまっても貴方に向かって書かずにはいられませんでした。
独断と偏見と思われたならお詫びします。
2020-01-10-05:11 * 天井の青(ラピスラズリ) [ 返信 * 編集 ]

今も夢見る No Subject

いろんなことすっ飛ばして、ラピスラズリさんに私の気持ちを。

人さまのコメントを読んで腹が立ったり嘆いたりは、当然、私にもあります。今は怒りも無いし嘆いてもいません。これはあなた様の感じ方と思うし。

人は皆、みーんな「違う」と思っています。愛し方憎み方、どれは平気で、こんな小さなことに苛立って、と、みんな違うと思う。一人ひとり違う。

私は「ことばの世界」に救われて生きている気がします。それは
>もっと胸を引き裂かれそうな悲しみが襲うと思うのですが、むしろ冷酷なまでに冷静に観察していることに違和感を覚えました。<

あなたが違和感を覚えるというこのあたりへの何か・・・。違和感を覚えるのは読む者の自由。イヤなのなら仕方が無い。そして、抉って書かれた作者に、むしろ畏敬の思いを抱いたうた詠みのひとりとしての自分がいる、というのも、ここに於ける真実の一つであろうと。

ものの感じ方は一人ひとりのもの。どう感じられてもいいと思います。が、自分とは「違う」ものに対し、どう通り過ぎて行くか、には、やり方がありましょうか。私は、巷に溢れる「優しさ」とか皆で「いい」と言おうよ、マル、とか、砂糖漬けの脳みそから湧いてきているような、そういったものが大嫌い。せめて自分の言葉の国の主権は、自分のものと信じていたい。

なかなかうまく言い尽くせませんが、ラピスラズリさん

>今後しばらくうたの投句は謹慎させて頂きますことでお許し下さいませ。<

謹慎、と仰られると、それはちがうのでは? とここで、もじもじします。謹慎する理由は無いのでは。それと、私の違和感

>「現にKUONさんもうたの表現方法に対して論評しておられます<

ここです。これ、もしかして違うのでは?。?。私のやり方が気に入らんとか、勉強が足りないよKUON、とか言われたら、ソーナンデスヨ、ペコペコと卑屈にもなるでしょうが。この場で

>KUONさんもうたの表現方法に対して論評しておられます。」<

ここでこれは無いでしょうよ。自分の作品にドントタッチ、なのなら申し出て下さいと。きちんと申し上げています。

とにかく私の気持ちを書きました。「汚した下着を自力で洗う」と詠んだ方も、友にそう詠まれた方も、みごと、と、わたしKUONは感じた。自分で、ではない。もうギリギリの体力=自力で、と。素晴らしい一首と、私は、感じたのでした。それは事実。どなたに共感をおしつけはしませんが。

このお友達は、今年に入って亡くなられたと聞き及びます。見えない世界へ行かれて、自由になられて、親友のこれからの日々に、やわらかく寄り添っておられるのではないか、と、考えています。
2020-01-10-08:11 * KUON [ 返信 * 編集 ]

KUONさまコメント有難うございました

友人の方はお亡くなりになられたのですか。
合掌
このやり取りの時にはもう既に何も届かない遥かなところにいらしたのですね。

今この友人の終末期の姿をうたにして残したことをいい供養になったと思えるならそれが全てです。
もう余人が何か言うことはありません。

KUONさんはうたの表現方法について論評しておられます、の意味はいつものように言葉の選び方や表現などについて論評(アドバイス)しておられ私のように詠む内容や背景についての意見ではないという意味です。

言葉の受け取り方も本当に人によって違うのだなと改めて認識しました。
私の書き方も違和感やご不快な思いをお掛けしたならお詫び致します。
2020-01-10-09:37 * 天井の青(ラピスラズリ) [ 返信 * 編集 ]

私は

こんにちは。

仕事の帰りに、駅のホームでギボウシさまのお歌を拝見しました。
そのとき素直に、いいお歌だな、と思いました。
それで、そのことを、KUON様がおまとめになったときに感想として寄せさせていただこうかなと思っていました。
今日は、家にいられる日なので、久しぶりにPCをたちあげてKUON様のブログにお邪魔して、ギボウシさまのお歌に触れ、ああやはりいいな、と思い、コメントしてもいいのかな、なんてのんきに思っていたところ、天井の青(ラピスラズリ)様のご意見が寄せられていることに気づきました。
なるほど、そうお感じになる方もいらっしゃるよね、文学表現というものはそういうものだよね、と思いつつ、私がギボウシさまのお歌に魅せられたことも、一つの意見としてコメント欄に投稿してもいいのかな、と思った次第です。
以下、長文になりますが、お許しください。

私は主人をガンで亡くしましたので、「在宅の~」のお歌は、本当にその通りだと思いました。ここは「臭い」なのです。ギボウシさまはこの字にそれほどの思いはなかったのではないかと推察しています。単にPCの変換によったのだろうと思っていますが、当事者にとっては「臭い」なのです。ただ、本人、家族の者は、その時には感じていません。後になって考えてみると「臭い」が視覚化していたような気はします。
かなり前のことになりますが、主人と二人で、お世話になった先生のお宅にお邪魔したとき、その先生の奥様(歌人でもいらっしゃいましたが)がガンで闘病されていらっしゃいました。一切の治療を拒否され、ご自宅で過ごすことをご夫妻でお決めになり、日常を愛おしんでお過ごしになられていました。
お伺いしたとき、奥様が、私たちにお茶を出してくださって、その後大振りのガラスの花器に庭で咲いた花々を活けていらっしゃいましたが、そのお姿のなんともいえない潔さ、しかし思わず「何、これ?」と思うような「臭い」がしました。お茶を出してくださったときには全く感じなかった「臭い」です。
甘ったるいような、不快なようでどこか懐かしいような、でもいつまでも嗅いでいたくはないような、本当に何ともいえない「臭い」でした。
先生と奥様は、まったくいつもと変わらずニコニコされていましたが。
先生のお宅を辞した後、主人と話し、主人も同じような「臭い」がしたと言っていました。大変失礼な申し上げようで心が痛みますが、あのときの「臭い」は、内臓が腐敗していく「臭い」だったのだと思います。しかし、それはどこか甘美な感じもし、奥様と先生が選択されて奥様の生き方にまとわりつく「臭い」だったように思います。
後年、主人が同じ病を得、在宅での看護が必要になったとき、我が家にもこの種の「臭い」はあっただろうと思います。
ただ、その「臭い」に気づくのは当事者、家族ではない。
当事者、家族は気づいていても、時折鼻をかすめるその「臭い」があっても、気づかないふりをするのだと思います。
主人がいなくなって、何年も経ち、ギボウシさまのお歌に触れ、ああ、そうだった、たしかにそうだっただろう、よくわかっておられる、ご家族が気づいていても気づきたくない、そういうものに気がつける、こういう方は、ご家族と同様の親しい関係であるはず。そうでなければ「死のにおい」を「臭い」とは感じ取れない。
私にも、そういう友人はいた。
看護師で助産師だった友人。
彼女は、主人の死期を正確に読んでいたはず。
でも、「良くなるといいね」と言ってくれた。
私も、心のどこがで「もうダメなんだろう」と思いながらも、彼女の言葉は嬉しかった。ウソだとわかっていても嬉しかった。
ギボウシさまは、私にとってのその友人のような存在だったのではないかと思います。

続きます。すみません。
2020-01-10-12:05 * ゴネコ [ 返信 * 編集 ]

続きです・すみません

さきほどのコメントの続きです。
すみません、グタグタと。

ギボウシさまのお歌は、どれもこれも私のストライクゾーンに入ったのですが、もう一首、感想めいたものを述べさせていただくと…。
「目を閉じよ~」のお歌が好きです。
歌に関して全くの素人ながら、「~よ、~な、~よ」の調子のよさ、また、この命令形(あるい未然形で考えているのか)の使い方は、大変に意味深長です。
誰が誰に「目を閉じよ」と言っているのか。

これも主人のことで申しわけありませんが、「もうがんはらなくていいよ」と、私は何度も思いました。でも、主人は「君との約束だから」と言ってがんばってくれました。主治医から「昨夜はだいぶ痛んだようです」と言われたりすると、もう楽にしてあげてください、と思ったりもしたものです。
けれども、「がんばる」と決め、「闘う」と決めたのは主人であって、彼は、痛みに耐えながら「目を閉じよ」と自分に言い聞かせていたこともあっただろうと思います。この場合の「目を閉じよ」は、お歌の意味とは異なりますが。
こんなことを思い出し、ギボウシさまのこのお歌には、複数の人の思いが重層的に表されているのだろうと思います。自分で自分に「目を閉じよ」、家族が病に立ち向かっている人に「目を閉じよ」。自分の中の自分の言葉は、もっともっと複雑な構造をとるでしょうけれども、そんなことをすっとばしての命令形。それは、自分自身への鼓舞でもあり、諦めでもあり、感謝でもあっただろうと思います。

韻文の持つすばらしさの一つは、理屈でこねくりまわすことなく、そのことばの持つ世界観が読者の経験による想像力を刺激し、一気に現実を超えさせるところにあるでしょう。たしか小野十三郎もそんなことを言っていたと記憶します。
ギボウシさまの数種のお歌は、韻文の持つそんな作用を如実に示してくれたようで、私は、素直に「ああ、そうだった。そういうものだった」と思いました。

とりとめのないことですみません。
こんなふうに思う者もいます。
2020-01-10-12:27 * ゴネコ [ 返信 * 編集 ]

ありがとうございます

皆様
うまく言葉にできませんが、ありがとうございます。

今晩、亡くなった親友の通夜があり、まだ気持ちの整理がついていないこの段階で、何を申し上げれば良いのやら・・

お歌に関しては、ど素人未満な私ですが、ここに参加させていただく以上、言いたいことは「三十一文字」で歌い切ることを自分に課したいと思っていて、もし自分の本意とは正反対に受け取る方がいたとしても、言い訳はするまい、などというヤセガマンもありまして・・

ただ、皆様のお気持ちが、それぞれに、とても嬉しく、一言(長くなりそうですが)お返事をさせていただきたく・・

まずは、天井の青(ラピスラズリ)さんへ
私も、元がん患者です。
12年前、亡友とほぼ同時期に、同じ部位を手術で切除しました。
ですから、友人が「再発」し、しかも発見時には既に末期であったと聞き・・・自分がその立場にあってもおかしくないとの思いは私にもよぎりました。同時に「同病相憐む」間柄であったからこそ、親友は、彼女の「超プライベート空間」に、私を招き入れてくれたのだと思っています。私が深層意識で恐れていた事を、紛れもない現実として、私の目の前で見せてくれた・・それが、私にとって、どれほど尊く、かけがえのない事であったかを思うと、通夜の席で泣き崩れてしまいそうで・・ 

終末期のがん患者とその家族は、物心両面で様々なサポートが必要になりますが、今の医療制度では、治癒の見込がない(治療ができない)患者は、入院を続けされてもらえません。家族も「打つ手がないから追い出された」と平気で言いますし、医療側もそれを否定しません。最期は病院より自宅で・・と思いがちですが、現実は「甘くない」と知りました。

本人以外は、全員あきらめているんです。誰も「良くなる」とは思っていません。
医療従事者は、同様の症例をごまんと見ているので、親身になってはくれても、それこそ「冷静」ですし、「平静」を装っているように見えるご家族は、様々な感情にとてつもなく厳重な鍵をかけている悲痛な状況です。私は一歩離れた立場だからこそ、自分が明らかに「取り乱している」のがわかりました。

(私も、すみません、続きます)
2020-01-10-15:08 * ギボウシ [ 返信 * 編集 ]

(つづきです)

そんな自分を持て余しているときに、KUON様が「師走のお歌」を募ってくださいました:
「『うたは訴え』この言葉は、喜怒哀楽いろんなこと、人に言いにくいこともいっぱい、せつなくて胸がいっぱい、そんな人としての気持ちの波を、うまいとか下手やとか、そういったくくりでない、生の言葉で、外に出して。わずかづつでも、胸の底に澱むマイナスのイメージが、うたに思いを託すことで、昇華に近づいて行く。笑われそうですが、できれば綺麗な気持ちでいたいなあ、そんな風にありたいなあ、」

このタイムリーなお呼びかけに勇気を得て、今回の歌を詠ませていただきました。
内容が内容だけに、ためらわれるものもありましたが、自分にとっての「綺麗な気持ち」とは、「嘘」がない事だと思い、字足らずにも気づかず、正直な思いを詠み切らせていただきました。

それでどんなに救われたことか・・ このブログが私個人の救済の場でないことは承知しつつも、KUON様には、感謝の気持ちでいっぱいです。


ゴネコさま
心が洗われる、素晴らしいお言葉の数々をありがとうございます。
私事ですが、実父が自宅で眠りながら大往生したのを間近で見て、あれが「理想」とずっと思ってきました。でも、親友が痛みに苦しみ抜いて亡くなった姿を見て、死に方に貴賎はないと思い知らされました。
ゴネコさまがこんなに美しい文章をお書きになるのも、(一部は)ご主人様と過ごされた貴重な時間の賜物ではないかと・・

(2回では書ききれず・・すみません、更に続きます。個人的なことに、こんなにスペースを使ってしまい、申し訳ありません)
2020-01-10-15:11 * ギボウシ [ 返信 * 編集 ]

(更につづき〜これで終わり〜です)

そして、あの「臭い」を共有できたことが、何とも感慨深く・・
おっしゃる通り、あれは「匂い」ではなく、「臭い」でした。PCの変換まかせではなく、意識的にその漢字を選びました。
父が老衰で自然死した時の「におい」は、香しいとは言えないまでも、まさにどこか「甘い」、光に満ちた場所が身近に感じられるような・・

在宅看護の友人の場合は、明らかに「臭い」でした。
腐敗する臓器と消化できない飲食物と強い薬剤の混ざった臭い・・本音を書けば「死臭」と呼びたいくらいのものでした。死の影に怯え、足掻いている人間にとっての「あの世」は、「光に満ちた場所」ではなく「地獄(黄泉)」です。

私は自宅に戻れば済む話ですが、ご家族は、あの空間にずっと二人きりですから、さぞや、と。

本人も苦しいだろうが、付き添う人間も辛い。早く楽になりたい、してほしい・・そんな「ヘタれた」思いを「目を閉じよ」に込めました(どんなに衰弱して居ても、私が見舞っている間は目を開けて話をしようとするので、彼女の頭に「手当て」をして「眠っていいよ」と暗に伝えようとしたことも・)

ゴネコさまが、私自身も気づかなかった「複数の人の重層的な思い」を読み取ってくださり・・ 親友のお陰で、こんな素敵な交流ができたと、今夜彼女に伝えさせていただきますね。

まだまだ言葉足らずですが、そろそろ通夜の支度をします。

たくさんのスペースを使ってしまい、すみませんでした。

そして、本当に、ありがとうございました。
2020-01-10-15:56 * ギボウシ [ 返信 * 編集 ]

No Subject

歌心が全くないので、いつもお勉強させていただいております。

今回、どうしてもわからないことがあり、質問させてくださいませ。

ギボウシさんの
「毛糸帽の下は 犬ほどの髑髏」

この「犬ほどの髑髏」とは一体何を意味しているのでしょうか。
人の髑髏を犬の髑髏とするその比喩がわからないのです。大きさからすると、大型犬の中には、人ほどの大きな髑髏を持つ犬種もあります。ただし形は全く違う。。

私は、上記のように妙なところ理屈っぽいので、こういう情感溢れるものには不向きなんだなぁと思いつつ。
少しでも前に進んでいけたらありがたいと思う所存です。
2020-01-11-13:41 * しまき [ 返信 * 編集 ]

No Subject

KUОNさま

お怪我されて大変な中、添削をありがとうございました。
「選みて」は「選びて」より「ひなた」の柔らかさが出ている感じがして使ったのですが、考えてみれば「選む」という言い方はありませんよね。
「選びて」に訂正をお願いいたします。

お怪我のほうは、その後いかがですか。
無理なさらず、順調に治っていかれますように。
2020-01-12-19:26 * まめはな [ 返信 * 編集 ]