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2018-08-31 (Fri) 18:31

察しの言葉

山百合の君(すこしイヤミな言い方(笑))、に関して書いた記事について、疑問点や「~ではないか」の秘密コメントをいただきました。

そこには「山百合」は日本古来の種であり、私が書いた「バチカンの国花」あるいは「聖母マリアの純潔をあらわす」という花は、

「ニワシロユリ(Lilium candidum、英名 Madonna lily)はバルカン半島および西アジアを原産とし、花はテッポウユリに似て白いが短めで、葉は細い。茎は 1.2-2m にまで生長する。またバチカンの国花である。 」

=マドンナ・リリーではないですか、という、懇切なご指摘が書かれていました。花に毒があるとは自分は(不勉強なのかも知れないが)聞いたことが無いです、とも、書いておられました。私は、イヤな秘密コメントだわ、とは、この方には全く感じないで、毒云々のことは、仰る通りと思い、調べても見、自分の記事のその部分を、これを書いた後にも、削って、かつ、お詫びもそこに記そうと考えています。

そうしたって、毒があるって書いてしまったではないか、とお責めの向きもおありかと存じますが、それについては、自分のミスであったと認めるが、だからといって(かなり強引ではある、ここ)美智子さまに申し訳ないことをしてしまった、ヨヨヨ、とは、ならない、ワタシの対・こーごーへーかへの気の強い嫌悪感に変化ないとは申し上げます。あの方は毒まみれ。事実、ユリの花に毒は無いにしても、自分の責任でもって書くワタシには、あのお方は、毒婦です。無茶なこと書いてる? ここは、もしかして、無茶かも。

山百合の一首については、この先に書こうと考えております、それで、多少、わかっていただけるといいなあ、とも。

お花に罪をかぶせてしまったことは、花に謝ります。ごめんなさいね、ユリは、好きではないが、美しい花ですね。

もう一点、〇さんは、その百合の咲く時期についての疑問を、きちんとした論拠でもって、お示し下さいました。実はここは、私が記事中に取り上げなかったこと自体がミスであり(ミスというか、言葉足らずだったですね)、以下の、これも私の記事でありますが、以下を読んで頂くことで、ここへの??は、おわかりいただけるのではないかと。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

昭和天皇実録の一部を訂正 陛下(今上)のご指摘で

2014.10.23 19:24

 >宮内庁の風岡典之長官は23日、昭和天皇実録で、昭和天皇が昭和35年7月1日に香淳皇后とともに東宮御所を訪れ、初の皇孫となった現在の皇太子さまに会った際のことを詠んだとしていた「山百合の花咲く庭にいとし子を車にのせてその母はゆく」の御製(お歌)の情景が別の月日、場所の情景だったことが分かり、訂正したと発表した。

 御製を紹介した新聞記事を読んだ天皇陛下が「『山百合』というのは東宮御所ではなく那須御用邸ではないか」などと指摘され、間違いが発覚。実際には、昭和天皇が同年8月6日に那須御用邸の2階から、現在の皇后さまが皇太子さまを乳母車に乗せて庭を通りかかったのを見て詠んだものだったという。

 風岡長官は「編集過程で思い込みがあり、資料を十分に精査せずに記載してしまった」と釈明。両陛下にも謝罪したという。
http://www.sankei.com/smp/life/news/141023/lif1410230026-s.html >


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「知恵蔵miniの解説

昭和天皇実録

昭和天皇の生涯をまとめた唯一の公式記録集。2014年9月9日に発表された。全61冊、計約1万2千ページ。宮内庁が、側近の日誌や公文書など3千点余りの資料をもとに、1901年の誕生から89年の死去、大喪の礼までを時系列にまとめた。1990年から編さんが始まり、終戦の前年まで8年近く侍従長を務めた百武三郎の日記ほか新資料の発見などで2度完成時期が延長され、完成までに24年5カ月が費やされた。宮内庁では、14年9月9日から同年11月30日(予定)まで、資格不問・先着順で「写し」の特別閲覧を実施する。
(2014-9-10)」


唯一の公式記録集なのだそうです。

その中の一部分の誤りを、今上陛下が見つけられ、指摘されて、訂正されたことを、宮内庁の(当時)風岡長官が発表、両陛下に謝罪したという。

どう、間違っていたか。

・昭和35年7月1日に昭和天皇が香淳皇后とともに東宮御所を訪れ、初の皇孫となった現在の皇太子さまに会った際のことを詠んだとしていた「山百合の花咲く庭にいとし子を車にのせてその母はゆく」の御製(お歌)の情景が別の月日、場所の情景だったことが分かり、訂正したと発表した。

・御製を紹介した新聞記事を読んだ天皇陛下が「『山百合』というのは東宮御所ではなく那須御用邸ではないか」などと指摘され、間違いが発覚。実際には、昭和天皇が同年8月6日に那須御用邸の2階から、現在の皇后さまが皇太子さまを乳母車に乗せて庭を通りかかったのを見て詠んだものだったという。

↑ のことを、

「編集過程で思い込みがあり、資料を十分に精査せずに記載してしまった」

と、風岡氏は釈明。

戦後15年も経って、皇孫も誕生して、落ち着いていた(と思われる)、当時の内廷。

皇室の歴史的には、けっこう重要な場面であろうに、と、不思議に感じます。浩宮は、ともかく、いずれの天皇になる子どもとして、生まれてきています。

動画も存在します。

で。

あの動画のシーンは、いつ、どこの、設定なのでしょうか。

「皇室の皆さまが愛する」とタイトルにある通り、動画中のここは、那須の御用邸と思われる。

であるなら、訂正された後の内容、

昭和天皇が同年8月6日に那須御用邸の2階から、現在の皇后さまが皇太子さまを乳母車に乗せて庭を通りかかったのを見て詠んだものだったという

これとは、趣が違う気がします。

動画では、那須の御用邸で、昭和の両陛下と、皇太子夫婦(現・今上夫婦)と、浩宮ナルさんが、集っておられたり、乳母車にナルさんを乗せて移動したり、されています。

二階から美智子さんとナルさんを見た・・・乳母車にナルさんを乗せて、庭を通りかかったのを見て、昭和帝が詠まれた・・という場面ではないように思えます。

違うよね。

御製自体は、風岡さんの釈明に添っている、そんな情景に見える、と言うことになりますので、私が(そして多くの方が)感じた違和感通りになって来る。

のではないか。

陛下は、見送っておられるのです、御製の中では。

動画のごとく睦んではおられない。

御用邸でご一緒に時を過ごされて、幾つかの場面がおありだったでしょう。

そうだとして、昭和帝が「うた」に詠まれたのは、掲出歌の場面だった。

そんな風に、考えるわけです。

うたにするには、やはり「このことを」という必然性、気持ちの高まり、というものが、ある。

と考えるのは、自然なことのよう。

別バージョンの「実は」があっても、驚きません。

「精査しないで記載してしまった」ことも、他に、無かったとは思えません。

あえて、事実でないことをしたって、そんなには分かんないだろう、とか。

全61冊、計約1万2千ページ。宮内庁が、側近の日誌や公文書など3千点余りの資料をもとに、1901年の誕生から89年の死去、大喪の礼までを時系列にまとめた。1990年から編さんが始まり、終戦の前年まで8年近く侍従長を務めた百武三郎の日記ほか新資料の発見などで2度完成時期が延長され、完成までに24年5カ月が費やされた。

全61冊、計約12000ページ、24年余の歳月をかけて作られたという「昭和天皇実録」。何人の人が関り、また、何人がこれ、読んだのでしょう。今上さんは、上記の「誤り」を、たまたま、新聞紙上に一部切り取って掲載された記事によってお読みになり、結果、宮内庁はそこの「誤り」について認めた。

・・・「平成天皇実録」なるものも、いずれ、世に出されるのですかしら。内容はどんなかな・・むかしなら不敬罪にあたるようなことばっかり書いている私なんぞは、とうていうなずけないような内容になるのは、目に見える。

父君のなんとかを受け継いで、くまなき慰霊の旅に身を捧げられた、とか書かれても、奥方と共に巡った地の上に、赤ピン青ピン、制覇の証のごとくブっさしていた、とは、書かれないだろうなあ。昭和天皇は「戦争責任」を問われておられたが、今上に「天人相関」やら、言いかけるヒトが、おわすや否や。皇后さんは「異常気象が多いので」と、しらっと云うておられた。カンケイ無いものね、静養はするしピヤノは弾くし、仮にも天皇である夫を、唯一,操り得るお方、無敵です。

ま。

ここで、KUONの私感としての「山百合のうた」を書かせていただきます。

へ理屈こねる気は無く、無理やりなことを言うつもりもない。

私は、美智子さんが、結婚前夜に、マリアのような純白のベールを頭にいただいた写真を、特別に親しくて自宅へ入ることを許していた新聞記者に撮らせていたことを、普通でないと感じていました。その、花嫁のごときベールの写真が、「美智子嬢が皇太子の妻に決まった」記事に使われたのです、裏では、この写真を使わないで、もう終わりだわ、の、母と娘の修羅場のあったことも、後には知られました。

入内するとて実家を後にする美智子さん、その時にその記者は、正田家の内部にいたのでした、なんでかは知りませんが。

入内後とは考えられない地味なスーツ(?)の姿で、地味と呼べるタイプの百合の花を支えて写っている写真を、妙に記憶に残していました。

詳しくはうまく言えません。ただいつも思っていること、

日本語は察しの言葉、すべてを言わないで匂わせる言葉、和歌や短歌や俳句などは、短い詩形のゆえに、少しの言葉で示す言葉、胸の底にある思いを、何かに託したり掛けたりすることで、伝えようとする、できる言葉群。

うたは、読む方の人間に、真意や本意や、を・・・くみ取ってもらう形の、文芸。

昭和天皇の「山百合」のうたを私は、以下のように、読ませていただきます、やはり。。

   山百合の花咲く庭にいとし子を車にのせてその母はゆく

山百合、は、山の、百合。本来そこにあるべきでない、百合。今の感覚ならさべつ、とも言われるか。しかし、否定されているが、普通に考えてみて、美智子さんが「受洗はしていない」とされる方が、不可解。昭和の皇室に入って来たのは、山の百合。百合という花の名は、その花を国花とするキリスト教の国家のあることを、内包してのイメージ、象徴的に使われている、読み手はそれを、個々に感じて行く。それが、うたの世界。

絶対的な解釈は、無いのです。

息子は、その者と、「普通の家庭のように」シアワセにマイホームの中で、皇孫を育てるという。

・・・天皇は、後姿を、黙って眺めおろしておられた。

それ以外には、どうするすべも、持っておられなかった。

〇〇さん、ありがとうございました。

いっしょうけんめい書きました(笑)。



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最終更新日 : 2018-09-01

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* by KUON
ヒミツの〇さん

同感です。ありがとうございました。


* by KUON
・ヒミツの〇〇さん

やたら長い記事になりました。ふう。

>たてつく意図はまったくありませんが

(笑)。たてつく、とか。わたし、たてつかれてグワァ、と怒ったりはしませんわよ。(笑)。


きっと美しい百合の花の画像を見せて下さろうとしていただいたと思われますが、なぜか私のとこでは、画像でなく

s://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%8D%

↑のような文字しか見えなくて残念です。百合に、思い入れのあるお方なのかな・・で、

>自分の中では、毒婦とは結び付きようがない。

と、美智子さんについて書いておられる自体は、私には、どういいようも無いのです。何を、どう見て感じるかは、当たり前に個々人の問題で。

私のことを言えば、まだたかだか数年のことではありますが、あのお方についてあれこれ知ってしまって、さま。とも陛下、とも呼びようが無く、されどと言って、雅子を雅子、と呼ぶようには、美智子、とは呼びつけにできない。

私は、そういうことなの。としか言えず。これについては説明も釈明も何もしません。で、もう議論はしないのです。切り口上な言い方とわかってはおります、でも、自分の中で結論の出ていることで、議論しないの。もう、元気が出ない、少なくなった元気を、あの方たちのために使うなんて、もったいなくて惜しくて、ようできません。でも自分でないどなたかが、誰かをどう思われようが、それを、どうこうとは、表立っては申しません。

私自身が、長い間、お花畑の住人でいて。その記憶の苦さは、気持ちの底からのいてくれません。で、これ書いて何になる、アホみたい、と自覚しつつ、ぽろぽろとまた、詮無いことを続けています・・・ちょっと、破れ傘みたいで、ある意味かっこいい?・・わけが無いですね。

裏コメントにも、できる限りお返事させていただいておりますが。勝手にそうしていますが。これって、相手は見えていなくて、私の方はこうして、すべて見られているってことですよね。KUONさん勝手に鼻のあな拡げて、フーっとか言ってる、みたいでもあります。

あなたの文章は、魅力的で捨て置けない(エラソーなのは持病ですのでw(笑)、つい、長々返事書いておりますが、HNをどうお使いでも、少なくとも、コメントと、それへの返事という、サシの立場が、私には望ましいとは、書かせておいて頂きましょう。。

百合の花に思いれがおありで、それで、だったのなら、自分の大切なものを、ここのひと(KUON)に、やられちゃったよ、あ~あ、と、目に入ってしまったご不運を嘆いて下さいね、とか。しらふで、ごくごく真面目に書いております、次に来られるときは、表から来ていただきたいと思っています。





* by hobohobo
たいへん失礼しました。
ブログの世界の流儀がいまだによくわかっておりません。
表から(こそっと…)伺わせていただきます。

見ていただきたかったのはジョン・シンガー・サージェントのCarnation, Lily, Lily, Roseという絵画です(リンクを張ったつもりだったんですが…)。
作品名をキーワードに検索すればいくらでもヒットすると思います。

特別にユリの花に思い入れがあるわけではないんですが、自分の知る限りでは間違いかもしれない記述をやり過ごして、そのことを原因に、こうして曲がりなりにも? ご縁のある方(KUONさん)にマイナスの展開がもたらされでもしたら後悔するだろうな、と。

エラソーだったらすみません
↑持病ではない… つもりですが(笑)。

* by 茉莉茉莉
昔は、美智子さまの御歌に素晴らしさを感じていたし、浩宮を産んだ後の美智子さまのきれいさは、輝いていて特別なものでした。

近年、KUONさん等のネットの情報を読み出して、心境の変化がありました。

前から微かに感じていた服装、帽子や立ち振舞いの違和感が、増大したのです。

回転寿司のお皿の大きさの帽子を、ゴムぱっちんで乗っけて、色つきのストッキングで、ツートンカラーの靴を履き、アメリカンフットボールのような肩パットのマントを羽織っている。

それらをなぜか、頑なに変えようとしません。 あのデヴィ第三夫人にツートンカラーの靴は、公式の行事に相応しくないと言われる始末。

立ち振舞いでは、外国の要人の方々の肘を掴み歩いていたり、指をちょこちょこ組んだりして、みっともなく感じます。

タカり乞食圭母子を、皇居の門にやすやすと侵入させた事は、皇室の変質と崩壊を、予兆させる事柄になるのでしょうか。



* by KUON
・honobonoさん

・不躾だったかもしれない私のKUON流・リコメントに、素直に応対して下さり、ありがとうございました。

教えて下さったJ・S・サージェント=最後の肖像画家といわれる=の、美しい絵画を、先ほど、見てまいりました。いい香りに満ちた、少女たちと花の世界でした。知りませんでしたので、感謝します。

あれこれお気遣いも嬉しく存じます。

今日は、明日、この地をも巻き込みに来るという台風に備えて食料品など不足しないようにし、あとは・・あとは、やはり、窓の外の海を眺め、電線の無い町の空を眺め、お昼は、中華飯か天津飯かどちらか食べたいものだなあとか雑念にまみれつつ、月末にしないでいたままの現金出納帳とか、いろんなめんどくさいことをダラダラとしなきゃいけないな、と、考えております。


・茉莉茉莉さん

そうですね~。森茉莉さんは、テーブルの足元が絨毯にめり込んだ・・同化したような部屋で、一人で亡くなっていた方でしたけど(ワタシには、ある種、理想的な)・・勝手に隠居する御身が、勝手に移るお住まいに億のお金をおかけになり、お顔、民に見せてやらんとて、しゃなりんことお出かけあそばす、あの女帝さんなんぞと・・比ぶるも不遜なことながら、「上等」なお方でおありでした。

お茉莉は上等。ぱっぱ上のおっしゃられた通り。

茉莉さんもそうですが、六月は太宰月間で(笑)今年も太宰さんの何やかや、読み返しておりました。夫人の書かれた「回想の太宰治」読む時の状況によって感慨が異なる。賢いお方だったんだな、太宰さんは奥さまにこころ許しておられたんだな、と、思い馳せられます。

茉莉さんの、まだきちんと読んでいない本(あるんです)、丁寧に作られたチョコレエトを味わうように、入り込んで読める季節が、もう、近づいているのかな・・台風は、来んでええから、ね。うちはそうではないが、せっかく片づけられたお家が、また滅茶苦茶に・・

森茉莉と太宰治 * by 茉莉茉莉
わたしの皇室の方のコメントは、皆さんが言い尽くしてたコメントでしたね。
スミマセンでした。

例のお方への疑問は、KUONさんのブログで赤ちゃんの人形を抱いている記事を
読んでからです。 お花畑からの脱出を有難うございます。

森茉莉の伝説の部屋で、編集者が「東京の秘境」とよんでいた部屋では、床に
キノコが生えていたそうです。

森鴎外の弟が取っておいた干菓子を、幼い森茉莉が、勝手に盗んできて食べしまい、鴎外の弟が怒って抗議した時も、鴎外はニコニコするだけで、全然叱らなかった。

「泥棒もお茉莉すれば上等よ」と言い、森茉莉を膝に乗せながら微笑んでいた。
パッパ森鴎外は溺愛であったにしろ、森茉莉に自己肯定意識を与えたと思う。
森鴎外・森茉莉親子の関係は、羨ましく憧れです。

「回想の太宰治」昔、読みました。 文章から聡明な奥様だと感じました。
奥さまへの遺書で「お前を誰よりも愛していました」と伝えたそうですが
ある意味、人たらしで、ずるいなと思いました。


* by KUON
・茉莉茉莉さん

私が、お花畑からの脱出のきっかけなれた? 嬉しいです。こうして、つぎつぎ、そこ違うから~になって行けばいいな、と、本心から願っていました。今もそうではあります。

が。んが。明らかに、人形を抱いて(あーやさまの設定でした?)固い表情でうつむいている美智子さんは異様でしたが。傍で、フツーに、異様の「い」も感じさせず,電車の窓の外にいる人々に、ご機嫌よろしく挨拶していた、のは、今上はん。お付きのひとらも、平気、平然。つまりあれが「皇室の」スタンダードだとしたら。愛子さんが複数いようが公式の撮影にも使われていようが。不思議でもない・・これ言い始めると、今日言いたいことが、言えなくなるので、今は、止め。


お茉莉さんも、名残惜しいが、今は、のいていただく・・。太宰さんです。

>奥さまへの遺書で「お前を誰よりも愛していました」と伝えたそうですが
>ある意味、人たらしで、ずるいなと思いました。

いやはは。ここのとこ、長く語りたくなるところで。

ずるい、ずるい、すっごくずるいです、太宰さんは。光源氏の君も、ずるい。もてて可愛い男は、ずるいこと多いですね。でも、本人にしたら、勝手に女の人がついて来るんだし(その気分にさせたのは自分だと、わかっていて忘れる、あるいは、それも仕方ないことと自分を許す、もしくは、自分はこうなんです、どーしようもないんです、と、開き直りつつ、相手の反応をチラ見している、最後は、あああ、死にたい、と、恫喝する。

最後に実際に死んでしまった山崎冨栄さんは、真面目一途な女性で・・この方もある意味、戦争の犠牲者。

修ちゃんをわかってあげられるのは自分だけ、の念に凝り固まって、ついに、これは私の考えですが、誰も成し遂げられなかった「太宰 と 死んだ 女」になり得られました。上水から引き揚げられて、太宰はちやほやと一部の人々に、遺体まで甘やかされていたのに、富栄さんのそれは、ムシロかぶせられて放置されていた、あの、痛々しい姿。

語ると長く、語れば、ワタシの性根のイヤなとこがバレてしまうような、こういう話。

ほんと、太宰さん、遺書までずるかった。遺書まで「太宰作品」だった。

夫人は、その後一人でお子さんを育てられた、そして、夫の関わった女性たちについて、いっさい、触れておられませんね。心中を慮ると・・夫の最後の言葉

「お前を誰よりも愛していました」

を、信じたかったのか、信じておられたのか、わからないことではありますが。ダメ男を好きな女はけっこういて。夫婦のことは分からないことも多く。

例の「K」なんぞは、その係累にも連なりようのない〇〇です。せめて見かけがも少し、とか。なんにもない、消えて欲しいだけの。あ、こんなことここに書かなきゃよかった、太宰さんに申し訳なかったです~(笑)。

一言の疑問から始まった言葉の旅 * by ラピスラズリ
「やまゆりの女」ってどういう意味ですか?

から始まった歌の旅の魅力に今引き込まれています。

まず破れ傘みたいってどういう意味なんだろうとまた思いました。
私の破れ傘体験はある時ガーベラが好きと言った人に「あぁ、あの破れ傘みたいな花ね」と
言ったら途端に顔をしかめて「あんたはどうしてそんな言い方をするかなぁ」と怒りのこもった顔で睨み付けられてしまいました」「だって本当にそんな名前の花があって似ているからよ」と答えたのですが要するに彼は私に好感を持ってなかったので不愉快さをストレートにぶつけてきたんだと理解できます。
このように言葉のスレ違いは元々感情のスレ違いがあったことに起因していることも多いかも知れませんね。

やまゆりの女の背景にあるもの、甦ってきたことを書かせていただきます。
まずマリアベールの写真。KUONさんの解説を読み浮かんできた歌詞があります。
ぺぎー葉山さんが謳ったラノビアの歌詞です。

白く輝く 花嫁衣装に
心をかくした 美しいその姿
その目にあふれる ひとすじの涙を 私は知っている アヴエマリア
祭壇の前に立ち いつわりの愛を
誓い 十字架にくちづけをして
神の許しをねがう

その目にあふれる ひとすじの涙を 私は知っている アヴエマリア

あの嫁入り前の自室で記者に撮らせたマリアベールをまとった美智子サンの心境はこれに近かったと想像するのは穿ちすぎでしょうか?

大体昔の良家の子女が婚約も決まっているのに新聞記者とはいえ独身の若い貴社を自由に立ち入らせるものだろうかと疑問に思いました。
しかも相手は将来の天皇陛下なのにこの母子は天をも怖れぬ随分と大胆不敵な根性だなと呆れもしました。
今のように写真週刊紙はなくてもどこかにスパイが潜んでいて皇室にバレたらどうなるのか怖くはなかったんでしょうか?
こんなことがバレたら一発で破談、あと生きて行かれなくなるとは分かっていたでしょうに。
そういうことを平気でさせた富美サンてどんな生まれなの?とても良家の気品ある慎ましい奥さまとは思えなくなりました。
肝心の美智子サンも今見ると本当に深窓の令嬢?と疑いたくなるようなことが多いのですが。

さてこの記者は後に年を取ってからの写真ですけど徳仁氏にあまりにソックリでもしや??の妄想も膨らんだのですがまさかそんなことは、と思っていたのですが今回のKUONさんの歌の解説を読んでからは再びその疑問が甦ってきました。

もし徳仁誕生の後にそんな噂が両陛下のお耳に届いていたら、不快のあまりとても祝いに駆けつける気はしなかったでしょう。それでずっと無視しておいたけどいつまでもそうしておくわけにもいかずやっと訪問したのがこの歌の背景にあるのではないかと思いました。

皇室の安定に繋がる親王の誕生なのにこの歌からはそんな暖かい気持ちが全く伝わってきません。溢れる喜ばしい思いも感じられません。
まるで公園かどこかで目にした母子を詠んだような客観的な観察の歌のようでさえあります。

"その母" その子の母、成る程赤ん坊と母親には血で繋がった親子関係はある。
ではその父は?
もし明仁皇太子ではなかったらこの赤子はその母とのみ親子なのだと思っておられたのだろうか?
たかが言葉、されど言葉です。全ては想像の中ですが。

婚約の頃の美智子サンは明らかに丸顔で目鼻立ちのはっきりした意思の強そうな顔で今のように長顔でぼやっとした顔は想像できません。
テニスコートでも徳仁サンをヒールはいて抱いてた時も明仁皇太子よりもずいぶん小柄で丸々していて、これもまた今の痩せぎすで骨太で陛下より大柄で逞しい美智子サンは想像できません。

抱かれていた最愛のナルちゃんも御成婚パレードで振っていた手は体つきに不似合いなほど白く華奢でホッソリと長い指が目につき今の色黒でゴツゴツとした短い武骨な指は想像できません。
背丈も指も年を経て伸びるなんてことは絶対にあり得ないことなのになぜ皇族二人に起こっているのでしょうか?
疑いは濃厚ですが証拠も証言もないではどうしようもないですがこんな皇室は嫌悪感しかありません。

やまゆりからこれまでの疑問や不信が次々に浮かんできたことを書かせていただきました。
これからもこんな旅をさせて頂くのを楽しみにしています。

* by KUON
・ラピスラズリ さん


・・・お返事が遅くなりごめんなさい。

あれこれ、考えますが、「これ」という、一本に絞られた「事実」は、民の前には示されません。疑問をもたざるを得なくなった者たちは、先人の(おかしな言い方ですが)努力して掘り起こして下さった事柄から、推察するしか無いのが現状ですか。

マリアベールの写真があるのは現実。記者を家の中に入れていたのも現実。美智子さんが「良家の子女」は、あり得ない。良家の子女でも、認められた跳ねっ返りというなら別ですが。

時の天皇ご夫妻は、今の人たちのようにひょこひょことは、お出かけにもなられなかったでしょうし。


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2018-08-31-23:27 * - [ 返信 * 編集 ]

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2018-09-01-08:25 * - [ 返信 * 編集 ]

今も夢見る 

ヒミツの〇さん

同感です。ありがとうございました。

2018-09-02-19:14 * KUON [ 返信 * 編集 ]

今も夢見る 

・ヒミツの〇〇さん

やたら長い記事になりました。ふう。

>たてつく意図はまったくありませんが

(笑)。たてつく、とか。わたし、たてつかれてグワァ、と怒ったりはしませんわよ。(笑)。


きっと美しい百合の花の画像を見せて下さろうとしていただいたと思われますが、なぜか私のとこでは、画像でなく

s://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%8D%

↑のような文字しか見えなくて残念です。百合に、思い入れのあるお方なのかな・・で、

>自分の中では、毒婦とは結び付きようがない。

と、美智子さんについて書いておられる自体は、私には、どういいようも無いのです。何を、どう見て感じるかは、当たり前に個々人の問題で。

私のことを言えば、まだたかだか数年のことではありますが、あのお方についてあれこれ知ってしまって、さま。とも陛下、とも呼びようが無く、されどと言って、雅子を雅子、と呼ぶようには、美智子、とは呼びつけにできない。

私は、そういうことなの。としか言えず。これについては説明も釈明も何もしません。で、もう議論はしないのです。切り口上な言い方とわかってはおります、でも、自分の中で結論の出ていることで、議論しないの。もう、元気が出ない、少なくなった元気を、あの方たちのために使うなんて、もったいなくて惜しくて、ようできません。でも自分でないどなたかが、誰かをどう思われようが、それを、どうこうとは、表立っては申しません。

私自身が、長い間、お花畑の住人でいて。その記憶の苦さは、気持ちの底からのいてくれません。で、これ書いて何になる、アホみたい、と自覚しつつ、ぽろぽろとまた、詮無いことを続けています・・・ちょっと、破れ傘みたいで、ある意味かっこいい?・・わけが無いですね。

裏コメントにも、できる限りお返事させていただいておりますが。勝手にそうしていますが。これって、相手は見えていなくて、私の方はこうして、すべて見られているってことですよね。KUONさん勝手に鼻のあな拡げて、フーっとか言ってる、みたいでもあります。

あなたの文章は、魅力的で捨て置けない(エラソーなのは持病ですのでw(笑)、つい、長々返事書いておりますが、HNをどうお使いでも、少なくとも、コメントと、それへの返事という、サシの立場が、私には望ましいとは、書かせておいて頂きましょう。。

百合の花に思いれがおありで、それで、だったのなら、自分の大切なものを、ここのひと(KUON)に、やられちゃったよ、あ~あ、と、目に入ってしまったご不運を嘆いて下さいね、とか。しらふで、ごくごく真面目に書いております、次に来られるときは、表から来ていただきたいと思っています。




2018-09-02-19:52 * KUON [ 返信 * 編集 ]

たいへん失礼しました。
ブログの世界の流儀がいまだによくわかっておりません。
表から(こそっと…)伺わせていただきます。

見ていただきたかったのはジョン・シンガー・サージェントのCarnation, Lily, Lily, Roseという絵画です(リンクを張ったつもりだったんですが…)。
作品名をキーワードに検索すればいくらでもヒットすると思います。

特別にユリの花に思い入れがあるわけではないんですが、自分の知る限りでは間違いかもしれない記述をやり過ごして、そのことを原因に、こうして曲がりなりにも? ご縁のある方(KUONさん)にマイナスの展開がもたらされでもしたら後悔するだろうな、と。

エラソーだったらすみません
↑持病ではない… つもりですが(笑)。
2018-09-02-23:01 * hobohobo [ 返信 * 編集 ]

昔は、美智子さまの御歌に素晴らしさを感じていたし、浩宮を産んだ後の美智子さまのきれいさは、輝いていて特別なものでした。

近年、KUONさん等のネットの情報を読み出して、心境の変化がありました。

前から微かに感じていた服装、帽子や立ち振舞いの違和感が、増大したのです。

回転寿司のお皿の大きさの帽子を、ゴムぱっちんで乗っけて、色つきのストッキングで、ツートンカラーの靴を履き、アメリカンフットボールのような肩パットのマントを羽織っている。

それらをなぜか、頑なに変えようとしません。 あのデヴィ第三夫人にツートンカラーの靴は、公式の行事に相応しくないと言われる始末。

立ち振舞いでは、外国の要人の方々の肘を掴み歩いていたり、指をちょこちょこ組んだりして、みっともなく感じます。

タカり乞食圭母子を、皇居の門にやすやすと侵入させた事は、皇室の変質と崩壊を、予兆させる事柄になるのでしょうか。


2018-09-03-05:34 * 茉莉茉莉 [ 返信 * 編集 ]

今も夢見る 

・honobonoさん

・不躾だったかもしれない私のKUON流・リコメントに、素直に応対して下さり、ありがとうございました。

教えて下さったJ・S・サージェント=最後の肖像画家といわれる=の、美しい絵画を、先ほど、見てまいりました。いい香りに満ちた、少女たちと花の世界でした。知りませんでしたので、感謝します。

あれこれお気遣いも嬉しく存じます。

今日は、明日、この地をも巻き込みに来るという台風に備えて食料品など不足しないようにし、あとは・・あとは、やはり、窓の外の海を眺め、電線の無い町の空を眺め、お昼は、中華飯か天津飯かどちらか食べたいものだなあとか雑念にまみれつつ、月末にしないでいたままの現金出納帳とか、いろんなめんどくさいことをダラダラとしなきゃいけないな、と、考えております。


・茉莉茉莉さん

そうですね~。森茉莉さんは、テーブルの足元が絨毯にめり込んだ・・同化したような部屋で、一人で亡くなっていた方でしたけど(ワタシには、ある種、理想的な)・・勝手に隠居する御身が、勝手に移るお住まいに億のお金をおかけになり、お顔、民に見せてやらんとて、しゃなりんことお出かけあそばす、あの女帝さんなんぞと・・比ぶるも不遜なことながら、「上等」なお方でおありでした。

お茉莉は上等。ぱっぱ上のおっしゃられた通り。

茉莉さんもそうですが、六月は太宰月間で(笑)今年も太宰さんの何やかや、読み返しておりました。夫人の書かれた「回想の太宰治」読む時の状況によって感慨が異なる。賢いお方だったんだな、太宰さんは奥さまにこころ許しておられたんだな、と、思い馳せられます。

茉莉さんの、まだきちんと読んでいない本(あるんです)、丁寧に作られたチョコレエトを味わうように、入り込んで読める季節が、もう、近づいているのかな・・台風は、来んでええから、ね。うちはそうではないが、せっかく片づけられたお家が、また滅茶苦茶に・・
2018-09-03-08:53 * KUON [ 返信 * 編集 ]

森茉莉と太宰治

わたしの皇室の方のコメントは、皆さんが言い尽くしてたコメントでしたね。
スミマセンでした。

例のお方への疑問は、KUONさんのブログで赤ちゃんの人形を抱いている記事を
読んでからです。 お花畑からの脱出を有難うございます。

森茉莉の伝説の部屋で、編集者が「東京の秘境」とよんでいた部屋では、床に
キノコが生えていたそうです。

森鴎外の弟が取っておいた干菓子を、幼い森茉莉が、勝手に盗んできて食べしまい、鴎外の弟が怒って抗議した時も、鴎外はニコニコするだけで、全然叱らなかった。

「泥棒もお茉莉すれば上等よ」と言い、森茉莉を膝に乗せながら微笑んでいた。
パッパ森鴎外は溺愛であったにしろ、森茉莉に自己肯定意識を与えたと思う。
森鴎外・森茉莉親子の関係は、羨ましく憧れです。

「回想の太宰治」昔、読みました。 文章から聡明な奥様だと感じました。
奥さまへの遺書で「お前を誰よりも愛していました」と伝えたそうですが
ある意味、人たらしで、ずるいなと思いました。

2018-09-03-21:18 * 茉莉茉莉 [ 返信 * 編集 ]

今も夢見る 

・茉莉茉莉さん

私が、お花畑からの脱出のきっかけなれた? 嬉しいです。こうして、つぎつぎ、そこ違うから~になって行けばいいな、と、本心から願っていました。今もそうではあります。

が。んが。明らかに、人形を抱いて(あーやさまの設定でした?)固い表情でうつむいている美智子さんは異様でしたが。傍で、フツーに、異様の「い」も感じさせず,電車の窓の外にいる人々に、ご機嫌よろしく挨拶していた、のは、今上はん。お付きのひとらも、平気、平然。つまりあれが「皇室の」スタンダードだとしたら。愛子さんが複数いようが公式の撮影にも使われていようが。不思議でもない・・これ言い始めると、今日言いたいことが、言えなくなるので、今は、止め。


お茉莉さんも、名残惜しいが、今は、のいていただく・・。太宰さんです。

>奥さまへの遺書で「お前を誰よりも愛していました」と伝えたそうですが
>ある意味、人たらしで、ずるいなと思いました。

いやはは。ここのとこ、長く語りたくなるところで。

ずるい、ずるい、すっごくずるいです、太宰さんは。光源氏の君も、ずるい。もてて可愛い男は、ずるいこと多いですね。でも、本人にしたら、勝手に女の人がついて来るんだし(その気分にさせたのは自分だと、わかっていて忘れる、あるいは、それも仕方ないことと自分を許す、もしくは、自分はこうなんです、どーしようもないんです、と、開き直りつつ、相手の反応をチラ見している、最後は、あああ、死にたい、と、恫喝する。

最後に実際に死んでしまった山崎冨栄さんは、真面目一途な女性で・・この方もある意味、戦争の犠牲者。

修ちゃんをわかってあげられるのは自分だけ、の念に凝り固まって、ついに、これは私の考えですが、誰も成し遂げられなかった「太宰 と 死んだ 女」になり得られました。上水から引き揚げられて、太宰はちやほやと一部の人々に、遺体まで甘やかされていたのに、富栄さんのそれは、ムシロかぶせられて放置されていた、あの、痛々しい姿。

語ると長く、語れば、ワタシの性根のイヤなとこがバレてしまうような、こういう話。

ほんと、太宰さん、遺書までずるかった。遺書まで「太宰作品」だった。

夫人は、その後一人でお子さんを育てられた、そして、夫の関わった女性たちについて、いっさい、触れておられませんね。心中を慮ると・・夫の最後の言葉

「お前を誰よりも愛していました」

を、信じたかったのか、信じておられたのか、わからないことではありますが。ダメ男を好きな女はけっこういて。夫婦のことは分からないことも多く。

例の「K」なんぞは、その係累にも連なりようのない〇〇です。せめて見かけがも少し、とか。なんにもない、消えて欲しいだけの。あ、こんなことここに書かなきゃよかった、太宰さんに申し訳なかったです~(笑)。
2018-09-04-10:23 * KUON [ 返信 * 編集 ]

一言の疑問から始まった言葉の旅

「やまゆりの女」ってどういう意味ですか?

から始まった歌の旅の魅力に今引き込まれています。

まず破れ傘みたいってどういう意味なんだろうとまた思いました。
私の破れ傘体験はある時ガーベラが好きと言った人に「あぁ、あの破れ傘みたいな花ね」と
言ったら途端に顔をしかめて「あんたはどうしてそんな言い方をするかなぁ」と怒りのこもった顔で睨み付けられてしまいました」「だって本当にそんな名前の花があって似ているからよ」と答えたのですが要するに彼は私に好感を持ってなかったので不愉快さをストレートにぶつけてきたんだと理解できます。
このように言葉のスレ違いは元々感情のスレ違いがあったことに起因していることも多いかも知れませんね。

やまゆりの女の背景にあるもの、甦ってきたことを書かせていただきます。
まずマリアベールの写真。KUONさんの解説を読み浮かんできた歌詞があります。
ぺぎー葉山さんが謳ったラノビアの歌詞です。

白く輝く 花嫁衣装に
心をかくした 美しいその姿
その目にあふれる ひとすじの涙を 私は知っている アヴエマリア
祭壇の前に立ち いつわりの愛を
誓い 十字架にくちづけをして
神の許しをねがう

その目にあふれる ひとすじの涙を 私は知っている アヴエマリア

あの嫁入り前の自室で記者に撮らせたマリアベールをまとった美智子サンの心境はこれに近かったと想像するのは穿ちすぎでしょうか?

大体昔の良家の子女が婚約も決まっているのに新聞記者とはいえ独身の若い貴社を自由に立ち入らせるものだろうかと疑問に思いました。
しかも相手は将来の天皇陛下なのにこの母子は天をも怖れぬ随分と大胆不敵な根性だなと呆れもしました。
今のように写真週刊紙はなくてもどこかにスパイが潜んでいて皇室にバレたらどうなるのか怖くはなかったんでしょうか?
こんなことがバレたら一発で破談、あと生きて行かれなくなるとは分かっていたでしょうに。
そういうことを平気でさせた富美サンてどんな生まれなの?とても良家の気品ある慎ましい奥さまとは思えなくなりました。
肝心の美智子サンも今見ると本当に深窓の令嬢?と疑いたくなるようなことが多いのですが。

さてこの記者は後に年を取ってからの写真ですけど徳仁氏にあまりにソックリでもしや??の妄想も膨らんだのですがまさかそんなことは、と思っていたのですが今回のKUONさんの歌の解説を読んでからは再びその疑問が甦ってきました。

もし徳仁誕生の後にそんな噂が両陛下のお耳に届いていたら、不快のあまりとても祝いに駆けつける気はしなかったでしょう。それでずっと無視しておいたけどいつまでもそうしておくわけにもいかずやっと訪問したのがこの歌の背景にあるのではないかと思いました。

皇室の安定に繋がる親王の誕生なのにこの歌からはそんな暖かい気持ちが全く伝わってきません。溢れる喜ばしい思いも感じられません。
まるで公園かどこかで目にした母子を詠んだような客観的な観察の歌のようでさえあります。

"その母" その子の母、成る程赤ん坊と母親には血で繋がった親子関係はある。
ではその父は?
もし明仁皇太子ではなかったらこの赤子はその母とのみ親子なのだと思っておられたのだろうか?
たかが言葉、されど言葉です。全ては想像の中ですが。

婚約の頃の美智子サンは明らかに丸顔で目鼻立ちのはっきりした意思の強そうな顔で今のように長顔でぼやっとした顔は想像できません。
テニスコートでも徳仁サンをヒールはいて抱いてた時も明仁皇太子よりもずいぶん小柄で丸々していて、これもまた今の痩せぎすで骨太で陛下より大柄で逞しい美智子サンは想像できません。

抱かれていた最愛のナルちゃんも御成婚パレードで振っていた手は体つきに不似合いなほど白く華奢でホッソリと長い指が目につき今の色黒でゴツゴツとした短い武骨な指は想像できません。
背丈も指も年を経て伸びるなんてことは絶対にあり得ないことなのになぜ皇族二人に起こっているのでしょうか?
疑いは濃厚ですが証拠も証言もないではどうしようもないですがこんな皇室は嫌悪感しかありません。

やまゆりからこれまでの疑問や不信が次々に浮かんできたことを書かせていただきました。
これからもこんな旅をさせて頂くのを楽しみにしています。
2018-09-05-04:19 * ラピスラズリ [ 返信 * 編集 ]

今も夢見る 

・ラピスラズリ さん


・・・お返事が遅くなりごめんなさい。

あれこれ、考えますが、「これ」という、一本に絞られた「事実」は、民の前には示されません。疑問をもたざるを得なくなった者たちは、先人の(おかしな言い方ですが)努力して掘り起こして下さった事柄から、推察するしか無いのが現状ですか。

マリアベールの写真があるのは現実。記者を家の中に入れていたのも現実。美智子さんが「良家の子女」は、あり得ない。良家の子女でも、認められた跳ねっ返りというなら別ですが。

時の天皇ご夫妻は、今の人たちのようにひょこひょことは、お出かけにもなられなかったでしょうし。

2018-09-24-08:28 * KUON [ 返信 * 編集 ]