察しの言葉
そこには「山百合」は日本古来の種であり、私が書いた「バチカンの国花」あるいは「聖母マリアの純潔をあらわす」という花は、
「ニワシロユリ(Lilium candidum、英名 Madonna lily)はバルカン半島および西アジアを原産とし、花はテッポウユリに似て白いが短めで、葉は細い。茎は 1.2-2m にまで生長する。またバチカンの国花である。 」
=マドンナ・リリーではないですか、という、懇切なご指摘が書かれていました。花に毒があるとは自分は(不勉強なのかも知れないが)聞いたことが無いです、とも、書いておられました。私は、イヤな秘密コメントだわ、とは、この方には全く感じないで、毒云々のことは、仰る通りと思い、調べても見、自分の記事のその部分を、これを書いた後にも、削って、かつ、お詫びもそこに記そうと考えています。
そうしたって、毒があるって書いてしまったではないか、とお責めの向きもおありかと存じますが、それについては、自分のミスであったと認めるが、だからといって(かなり強引ではある、ここ)美智子さまに申し訳ないことをしてしまった、ヨヨヨ、とは、ならない、ワタシの対・こーごーへーかへの気の強い嫌悪感に変化ないとは申し上げます。あの方は毒まみれ。事実、ユリの花に毒は無いにしても、自分の責任でもって書くワタシには、あのお方は、毒婦です。無茶なこと書いてる? ここは、もしかして、無茶かも。
山百合の一首については、この先に書こうと考えております、それで、多少、わかっていただけるといいなあ、とも。
お花に罪をかぶせてしまったことは、花に謝ります。ごめんなさいね、ユリは、好きではないが、美しい花ですね。
もう一点、〇さんは、その百合の咲く時期についての疑問を、きちんとした論拠でもって、お示し下さいました。実はここは、私が記事中に取り上げなかったこと自体がミスであり(ミスというか、言葉足らずだったですね)、以下の、これも私の記事でありますが、以下を読んで頂くことで、ここへの??は、おわかりいただけるのではないかと。
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昭和天皇実録の一部を訂正 陛下(今上)のご指摘で
2014.10.23 19:24
>宮内庁の風岡典之長官は23日、昭和天皇実録で、昭和天皇が昭和35年7月1日に香淳皇后とともに東宮御所を訪れ、初の皇孫となった現在の皇太子さまに会った際のことを詠んだとしていた「山百合の花咲く庭にいとし子を車にのせてその母はゆく」の御製(お歌)の情景が別の月日、場所の情景だったことが分かり、訂正したと発表した。
御製を紹介した新聞記事を読んだ天皇陛下が「『山百合』というのは東宮御所ではなく那須御用邸ではないか」などと指摘され、間違いが発覚。実際には、昭和天皇が同年8月6日に那須御用邸の2階から、現在の皇后さまが皇太子さまを乳母車に乗せて庭を通りかかったのを見て詠んだものだったという。
風岡長官は「編集過程で思い込みがあり、資料を十分に精査せずに記載してしまった」と釈明。両陛下にも謝罪したという。
http://www.sankei.com/smp/life/news/141023/lif1410230026-s.html >
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「知恵蔵miniの解説
昭和天皇実録
昭和天皇の生涯をまとめた唯一の公式記録集。2014年9月9日に発表された。全61冊、計約1万2千ページ。宮内庁が、側近の日誌や公文書など3千点余りの資料をもとに、1901年の誕生から89年の死去、大喪の礼までを時系列にまとめた。1990年から編さんが始まり、終戦の前年まで8年近く侍従長を務めた百武三郎の日記ほか新資料の発見などで2度完成時期が延長され、完成までに24年5カ月が費やされた。宮内庁では、14年9月9日から同年11月30日(予定)まで、資格不問・先着順で「写し」の特別閲覧を実施する。
(2014-9-10)」
唯一の公式記録集なのだそうです。
その中の一部分の誤りを、今上陛下が見つけられ、指摘されて、訂正されたことを、宮内庁の(当時)風岡長官が発表、両陛下に謝罪したという。
どう、間違っていたか。
・昭和35年7月1日に昭和天皇が香淳皇后とともに東宮御所を訪れ、初の皇孫となった現在の皇太子さまに会った際のことを詠んだとしていた「山百合の花咲く庭にいとし子を車にのせてその母はゆく」の御製(お歌)の情景が別の月日、場所の情景だったことが分かり、訂正したと発表した。
・御製を紹介した新聞記事を読んだ天皇陛下が「『山百合』というのは東宮御所ではなく那須御用邸ではないか」などと指摘され、間違いが発覚。実際には、昭和天皇が同年8月6日に那須御用邸の2階から、現在の皇后さまが皇太子さまを乳母車に乗せて庭を通りかかったのを見て詠んだものだったという。
↑ のことを、
「編集過程で思い込みがあり、資料を十分に精査せずに記載してしまった」
と、風岡氏は釈明。
戦後15年も経って、皇孫も誕生して、落ち着いていた(と思われる)、当時の内廷。
皇室の歴史的には、けっこう重要な場面であろうに、と、不思議に感じます。浩宮は、ともかく、いずれの天皇になる子どもとして、生まれてきています。
動画も存在します。
で。
あの動画のシーンは、いつ、どこの、設定なのでしょうか。
「皇室の皆さまが愛する」とタイトルにある通り、動画中のここは、那須の御用邸と思われる。
であるなら、訂正された後の内容、
昭和天皇が同年8月6日に那須御用邸の2階から、現在の皇后さまが皇太子さまを乳母車に乗せて庭を通りかかったのを見て詠んだものだったという
これとは、趣が違う気がします。
動画では、那須の御用邸で、昭和の両陛下と、皇太子夫婦(現・今上夫婦)と、浩宮ナルさんが、集っておられたり、乳母車にナルさんを乗せて移動したり、されています。
二階から美智子さんとナルさんを見た・・・乳母車にナルさんを乗せて、庭を通りかかったのを見て、昭和帝が詠まれた・・という場面ではないように思えます。
違うよね。
御製自体は、風岡さんの釈明に添っている、そんな情景に見える、と言うことになりますので、私が(そして多くの方が)感じた違和感通りになって来る。
のではないか。
陛下は、見送っておられるのです、御製の中では。
動画のごとく睦んではおられない。
御用邸でご一緒に時を過ごされて、幾つかの場面がおありだったでしょう。
そうだとして、昭和帝が「うた」に詠まれたのは、掲出歌の場面だった。
そんな風に、考えるわけです。
うたにするには、やはり「このことを」という必然性、気持ちの高まり、というものが、ある。
と考えるのは、自然なことのよう。
別バージョンの「実は」があっても、驚きません。
「精査しないで記載してしまった」ことも、他に、無かったとは思えません。
あえて、事実でないことをしたって、そんなには分かんないだろう、とか。
全61冊、計約1万2千ページ。宮内庁が、側近の日誌や公文書など3千点余りの資料をもとに、1901年の誕生から89年の死去、大喪の礼までを時系列にまとめた。1990年から編さんが始まり、終戦の前年まで8年近く侍従長を務めた百武三郎の日記ほか新資料の発見などで2度完成時期が延長され、完成までに24年5カ月が費やされた。
全61冊、計約12000ページ、24年余の歳月をかけて作られたという「昭和天皇実録」。何人の人が関り、また、何人がこれ、読んだのでしょう。今上さんは、上記の「誤り」を、たまたま、新聞紙上に一部切り取って掲載された記事によってお読みになり、結果、宮内庁はそこの「誤り」について認めた。
・・・「平成天皇実録」なるものも、いずれ、世に出されるのですかしら。内容はどんなかな・・むかしなら不敬罪にあたるようなことばっかり書いている私なんぞは、とうていうなずけないような内容になるのは、目に見える。
父君のなんとかを受け継いで、くまなき慰霊の旅に身を捧げられた、とか書かれても、奥方と共に巡った地の上に、赤ピン青ピン、制覇の証のごとくブっさしていた、とは、書かれないだろうなあ。昭和天皇は「戦争責任」を問われておられたが、今上に「天人相関」やら、言いかけるヒトが、おわすや否や。皇后さんは「異常気象が多いので」と、しらっと云うておられた。カンケイ無いものね、静養はするしピヤノは弾くし、仮にも天皇である夫を、唯一,操り得るお方、無敵です。
ま。
ここで、KUONの私感としての「山百合のうた」を書かせていただきます。
へ理屈こねる気は無く、無理やりなことを言うつもりもない。
私は、美智子さんが、結婚前夜に、マリアのような純白のベールを頭にいただいた写真を、特別に親しくて自宅へ入ることを許していた新聞記者に撮らせていたことを、普通でないと感じていました。その、花嫁のごときベールの写真が、「美智子嬢が皇太子の妻に決まった」記事に使われたのです、裏では、この写真を使わないで、もう終わりだわ、の、母と娘の修羅場のあったことも、後には知られました。
入内するとて実家を後にする美智子さん、その時にその記者は、正田家の内部にいたのでした、なんでかは知りませんが。
入内後とは考えられない地味なスーツ(?)の姿で、地味と呼べるタイプの百合の花を支えて写っている写真を、妙に記憶に残していました。
詳しくはうまく言えません。ただいつも思っていること、
日本語は察しの言葉、すべてを言わないで匂わせる言葉、和歌や短歌や俳句などは、短い詩形のゆえに、少しの言葉で示す言葉、胸の底にある思いを、何かに託したり掛けたりすることで、伝えようとする、できる言葉群。
うたは、読む方の人間に、真意や本意や、を・・・くみ取ってもらう形の、文芸。
昭和天皇の「山百合」のうたを私は、以下のように、読ませていただきます、やはり。。
山百合の花咲く庭にいとし子を車にのせてその母はゆく
山百合、は、山の、百合。本来そこにあるべきでない、百合。今の感覚ならさべつ、とも言われるか。しかし、否定されているが、普通に考えてみて、美智子さんが「受洗はしていない」とされる方が、不可解。昭和の皇室に入って来たのは、山の百合。百合という花の名は、その花を国花とするキリスト教の国家のあることを、内包してのイメージ、象徴的に使われている、読み手はそれを、個々に感じて行く。それが、うたの世界。
絶対的な解釈は、無いのです。
息子は、その者と、「普通の家庭のように」シアワセにマイホームの中で、皇孫を育てるという。
・・・天皇は、後姿を、黙って眺めおろしておられた。
それ以外には、どうするすべも、持っておられなかった。
〇〇さん、ありがとうございました。
いっしょうけんめい書きました(笑)。