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KUONのブログへようこそⅡ

返事の中までKUONです。

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2018-09-03 (Mon) 10:23

このままでいたい



何度目かの軽い脳梗塞を起こした夫と、この初春に、今の住まいに移って来た。それまで住んでいた奈良の家は、同居していた娘婿の名義で買い、私たちはその一部を使って、使っている分、お金をお渡ししていた。急に出て来たあの家に、もう、戻ることは無いはず。身のまわりの何もかもを整理してゆく身に、マンションを新たに買う気も、ローン無しで買っちゃうようなお金も無い。

夫が、先に移転していた工場へ、通うことのできる場所であることを、最優先事項に探したのが、今の住まいである。

ネットで検索していて、何枚かの写真の中に、ベランダから見えるという海の一枚があった。それで決めた。決めてからもっと調べたら、バスの便もよく、買い物をする店も近くにあり、と、いいこといっぱい、あった。

今も2LDKの我が家には、必要なもの以外、ほぼ何もない。必要なものは、ほぼ満足できる状態で、ある。庭の手入れの心配もなく掃除も簡単、休日は料理もしないで、出かけてその時に行き当たった店で食事をして帰る。

もうしばらくは仕事をしたいという夫が、なんとか満足してそして先立ってくれたら、ここより少し小さな部屋に移るか、もしくは、入れそうな施設にこしょっと入り込むか。なんとかなると考えている。賃貸住宅は身軽でいいと思う。持ち物を多くしないのが、私には大切なこと。本は大量に買うが、同時に処分もする。

車も奈良へ置いて来た。車が要るときは、レンタカーを借りる。土地やら借家やら色んなものを「持っていた」時代もあったが、竜巻に巻き取られるようにすべてが無くなり、後始末だけが残って、大変と言うよりイヤだった、所有するということへの考えも変わった。

何より、夫のカラダが長持ちしてくれますように、です。

鍼灸院へ通っています。
神戸、JR三ノ宮駅のすぐ近く。にしむら珈琲店の入るビルの、上の方にある。

月に一度。二か月に三度、くらい。予約をして、早く着いたらにしむらでフレッシュジュースゆっくり飲んで、治療院へあがります。

鍼をうってもらい、仕上げに軽くマッサージしていただくと、夫の、だんだん下の方へ落ちて来る下あごが、かちっと上がって口の締まりがよくなり・・目に見えてそうなる・・一月以来ものを飲み込みにくくなった、のどの、おかしな塊が「取れて」のどが楽になるそうです。何より私が安心できる。夫がまだまだ仕事を続けていてくれるから、わたしは、昼間から、好き放題なブログを書いたり、ワンコやニャンさんたちの動画に「時間泥棒」されたり、していられる。これは本当。いいトシですけど悠々でも自適でもない、とんでもないところまで墜落して、よいしょ、よいしょと、なんとか這い上がってきて、なんとかそこそこ安心できるようになって、でも、まだ頂上には遠い、ウチらです。

この鍼灸院は、知らなかったのですが、もともとは不妊治療で有名なとこみたい、待合室で患者同士が鉢合わせすることは無い、ゆったりした予約状況のようですが、そういえば、お腹の大きな女性をお見掛けすることが多く。壁には、そんな方々の感謝の写真やハガキが沢山貼ってあります、そういうの読むの好き、よかったなあ、と、なんだかこちらもニコニコ、読ませてもらっています。野球の選手からのメッセージや、タレントさんのそれや。赤ちゃんを授かるのも「当たり前」ではないのですね。

私は、夫より先にここパパスを知って、何度か通って、左腕がびりびり痺れていたのを治してもらいました。ずっと痺れていたのが、治ったのです。で、急に倒れてロレツが回らなくなり、水も飲めなくなってしまっていた(のに、入院を拒否しやがった・怒)夫を、なんとかして欲しいと無茶な考えを起こし、当時は遠かったここへ、なんとか、運んだのでした。安心したのか、その後、お医者さんへも行きました(笑)。

そして、仕事を続けていられるように、していただいています。

・・・夫の治療が一時間ほど。ありがとうございました~、っと下界へ降りて外へ出ると、いつも、神戸の街は夜の気配濃厚になっています。

私たちのすむ街まで、できれば座って帰りたいので、阪神電車でもJRでも、各駅停車みたいなゆっくりの電車に乗り込んで、帰ります。

車窓には、神戸の山々、住吉や芦屋の街の灯り。

去年の暮れまで、神戸の方へ来て住まうなど、考えたことも無かった。神戸には山も海も街もある、いいなあ、と、漠然たる憧れはありました。あったけど、本当に、来ちゃうことになるなど。

読み返してみたら、途中から「~~た」「~である」の文体が「~~ました」に変わっています。

あらま、と思いましたが、このままにさせておいてもらいます。今の日々、このまま続いていて欲しいです。

直木賞もとりたいな、爆笑、っと。(笑)。

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最終更新日 : 2018-09-03

こんばんは * by ゴネコ
ご無沙汰しております。

ミイちゃんのことと暑さで、すっかりやられておりました。
でも、KUON様のお励ましにより(こんな丁寧な言葉を使おうとすると、
おハゲ?とか連想しちゃって、いるよなぁ、最近も変なヅラかぶって静養していた人、とか思ってしまいます)、腰折れを作り、KUON様のブログ記事へのコメントにこっそり置かせていただきまして、やはり、私には、生命力があると、なんだかわからないところへ着地してしまいました。

人は誰でも「死」にむかっていくものではあるし、それを意識せずにはいられないことも、ときもあろうし、だけれど、いや、だからこそ、この小さな毎日がもう少し続きますように、とそう思わずにはいられません。
小さな毎日にある大きな幸せを、和歌や俳句や詩や絵画なんかで残すことができれば、それはステキなことだなぁと、ゾウリムシ・ゴネコ、思います(あ、ミジンコKUON様を意識してのネーミングではございま……す。ゾウリムシの方が大きいか?いやいや、それはおいといて)。

少し暑さがひいた夜、久しぶりにブログを更新しました。
KUON様も、同じようなときに同じような思いを持っていらっしゃったのか、と
驚きにも似た嬉しさで、ついコメントしてしまいました。

フランス女優が営む海辺の食堂は、その後いかがでしょうや。
海は、いろいろな思いを運んでくれますね。
競馬場近くの定食屋とは、ちと趣が違います。
(でも、サバ焼き定食は絶品です)


全部、青い。 * by よみびとしらず
午前中から雷です。
お住まいの台風の影響が心配ですね。
お気をつけ下さい。

直木賞頑張ってくださいね。

芥川/直木の審査なども、かなりイロイロとあるようですね。
車谷長吉など、賞をとれなかったのは、作品の良し悪しではなく、かなりいい加減な理由で、落選したことで、審査員を指しで、丑の刻詣りをしたとか・・・。
執念を感じますね。
それくらい、身を削って書いた作品でも評価されず、うわっつらだけの作品が受賞した・・・なんてハナシを聞くと、世の中の不条理を感じます。
(最も、私は、車谷の作品を読むと落ち込みますが・・・。心が揺さぶられるという点では、善きにつけ悪しきにつけ名作なんでしょうかね。『三笠山(←すみません。タイトル違うかも?)』は、名作だと思っています。)

神聖であるはずのスポーツ迄も、利権絡み。

せめて、文学は・・・と思うものの、佳い作品ではなく、売れる作品が、ハバを聞かせ、数年で消えていく作家達。

本当に佳いものが、読み継がれる、読み手のレベルが上がって、佳い作品が売れる世の中になって欲しいと願っております(イイトシして、半分どころか全部、青いですね。因みに半分、青いは、視聴しておりません)。


* by KUON
・ゴネコさん

ミイちゃんのことは。忘れようもないし、忘れなくてはならないこととも思えません。ずっと、ミイちゃんとゴネコさんは、一緒と思います。ミイちゃんさんだけでなく。思いを掛けて愛おしんだ、あの子も、あの子も。

私も、子どもの頃に夢中で庇って一緒にいた犬。ある日、取り上げられてしまっていたUちゃんのこと、今も忘れられません。一人暮らしの日々に、一緒にいてくれた漆黒の猫「ミルク」も。今の自分だったら、もっともっとゆとり持って接してやれたのに、と、このどうしようもない懺悔のような気持ちは、取れないと思う。初代のマミオは気が済んでの見送りでした、でも、忘れがたい。あのこと、このこと。三代目の、オッドアイの、耳の聞こえなかった白猫、避妊の手術も受けさせてやれないで(当時はお金が全くなかった、猫を飼うのも遠慮しながらだった)、一日伸ばしにしているうちに、脱出、となり、耳の聞こえない猫が初めて世間に出て、車にはねられて死んでしまいました。

あ。せっかく少しだけ「抜け気味になれて」コメント下さったのに、ごめんなさい、です。

話題変わります。どれくらい前でしたか、テレビのドラマで「ドナウの旅人」というのがあって。宮本輝の原作。根津甚八と、年上のよその奥さんの佐久間良子が、ドナウ川に沿って、わけありの旅を、という内容でした。

その中で、甚八さんが(の役が)、ひっくい声で

「メメント・モリ」と言うたのでした。メメント・モリ・その後もう少し、言葉は続いた気がします。ラテン語で、それは、

「死に行く者よ 死を忘れるな」

との意味なのだそうです。はじめは、はて? という感じでした、忘れがたい言葉になり、後、調べたり出会ったりの言葉になりました。

そこから連想がずうううっと続き、元は違うところとは思いますが、

「起きて半畳、寝て一畳」

という言葉にも、はた、と膝を打ち(笑)。これは、当時、漫画のぶっとい本になっていた「花の慶次」でも見た言葉。あの、漫画の前田慶次郎敏益」(字が違うかも)さんは、とってもせくしーだった。夢中で全巻読みました。今は手元に無いですけど。

何が言いたいか、言いつくせませんが、

>人は誰でも「死」にむかっていくものではあるし、それを意識せずにはいられないことも、ときもあろうし、だけれど、いや、だからこそ、この小さな毎日がもう少し続きますように、とそう思わずにはいられません。<

このお気持ちは、よく、よく。いろいろ失くしたり亡くしたり別れたりして来て、で、で、ゾウリムシ?

それ、ダメです。可愛くない、ぞうりむしヘイトしちゃう。もう少しかわゆいお名前はいかがですか、いま、思いつきませんが・・ぞうりむし・・




コメント返しで * by ゴネコ
コメント欄に、いろいろ書き込んでしまう不作法をお許しくださいませ。

 「起きて半畳、寝て壱畳」

そうそう。
これなんですよ。
「モノの捨て方」なんて、えらそーなことを言っても、私の頭の底には、
こんな江戸っ子気質のようなもの(「起きて半畳~」は江戸っ子言葉なんだそうですけど)がありまして。
文章の流れから、「起きて半畳~」が入らなくなっちゃった、と思っていたところ、KUON様が読み取っていてくださって、感激です。

根津甚八さん、よかったですねぇ。渋かった。斜めな感じ、少しひがんでいるような感じが、私にはよかった。
私は、『岸辺のアルバム』でしたか、あれが忘れられませんよ。
タイトルバックに流れる唄もよかった。名前、忘れてしまいましたけど、外国の女性シンガーでしたが。
ヴァニタスとセットで語られることが多いメメント・モリ。
甚八っつぁんが、「ひっくい声」で言うのは、さぞセクシーで意味ありげでしょう。ゾクゾクしてしまいます。

さて、コメント欄にて。恐縮ですが―、
「百合」の話で、思っていたことを少し記させてください。

小説、詩、和歌……
何でもそうだと思いますが、見たものをそのまま詠む、書くにしても、
そうでないにしても、そこには作者の思いが投影されるものだと思います。
本当は、山百合でなくキンポウゲだったかもしれない、だけど、そこに「百合」という言葉を持ち込むことで伝えたいものを伝えることはできる。
私は、そう思っていますので、KUON様の解釈に、いちいちもっともだと思う、うなづくものです。

高村幸太郎の「レモン哀歌」の最後に、遺影の前に桜を飾り、レモンを置こう、という箇所がありますが、私は、学生にこの部分を説明するときに、
「本当に桜を飾ったかどうかは問題ではないのだ。桜の花の色とレモンの色の取り合わせから、どんなイメージが喚起されるか。少なくとも後ろ向きな感じはしないだろう。だから、「置こう」という文末が生きてくる。また、桜に寄せる私たちのイメージも考えて。くさいところでは「死と再生」があるだろう。智恵子の死は哀しいが、でも、僕は生きていく、生きていける、そういうメッセージを、この色の取り合わせから、またこの詩全体の色のトーンから感じることはできるだろう。この花が、紫色の木蓮だったらどうか。また、光太郎の「梅酒」という詩はどうか。智恵子の死を悼むには、「梅酒」でなければならなかった。ドロっとしていて、濃い目の茶色で、少し甘い。そういう酒でなければ、智恵子の死に結びつない。本当は、病院からもどってビール(麦酒)を飲んだかもしれないが、それは書かない。このように、小説や詩歌に用いられる題材には、作者なりに意味があってチョイスしていることを頭において読むと、なるほどなぁと思うことがある」
というようなことを話します。

立石寺のセミは、アブラゼミだったのかクマゼミだったのかという茂吉の論争は、それはそれで面白いのだけれど、「山百合」の話もこれと似たようなところがあって、いつ咲くのか、どんな花か、生物にお詳しかった昭和帝がそんな誤りはしないとか、そういうことは、もう脇においといて、「一首」を鑑賞、解釈するというスタンスが大事なのではないかと思っています。
虚実ないまぜにしたものが、小さな説になるのだもの。
文学者にろくでなしが多いのも、そういうところからくるのかもしれません。

終わった話を蒸し返して、すみません。
こーゆーコメントこそ、秘密コメントにするべきなのか!?
いへいへ、これで良しとさせてください。

* by KUON
・ゴネコさん

>立石寺のセミは、アブラゼミだったのかクマゼミだったのかという茂吉の論争は、それはそれで面白いのだけれど、「山百合」の話もこれと似たようなところがあって、いつ咲くのか、どんな花か、生物にお詳しかった昭和帝がそんな誤りはしないとか、そういうことは、もう脇においといて、「一首」を鑑賞、解釈するというスタンスが大事なのではないかと思っています。
虚実ないまぜにしたものが、小さな説になるのだもの。
文学者にろくでなしが多いのも、そういうところからくるのかもしれません。

終わった話を蒸し返して、すみません。
こーゆーコメントこそ、秘密コメントにするべきなのか!?
いへいへ、これで良しとさせてください。<

お返事遅くなりました。

いへいへ、楽しく読ませていただきました。

話は多少飛びます。石川啄木が、まだ赤ん坊である長男を亡くして。啄木は、生活力の無い借金平気な、立派なロクデナシさんでしたが、彼を盛り立ててくれる方が周囲に一人ならずおられた。その一人(有名な方ですが、お名前失念しております)が書いておられた、概略ですが

「啄木の乗った車の窓から淡い煙がすーっと流れて来た。
ああ。あやつ、亡き子のために香を焚いておるか。そう感じたが」

それは(我慢できなくて)喫した煙草の煙であった、というのがオチ。

これ読んだ時の私の気持ち、「共有」だんべな?。

焼きサバ定食はよろしなあ。家でサバやサンマ焼けないので(自主規制)、お外で、白いごはんで、いただいております。サバのお寿司も大好物、ぶ厚いやつね。10月に京都へ行くので、買って来ます。


・よみびとしらず さん

遅くなりました。

はい。車谷長吉サン。ほとんど知らなくて、寺島しのぶサンのお背中の見事だった映画「赤目・・」に絡まって、初めて原作を読んだ。という、知らなさ加減でした。

感想。リアル。粘着的こまごま書き。腐敗あるいは一歩手前の獣肉の臭いまで鼻先に来るような。・・・わたし、ナマなものに、触れたり臭ったり、気取るわけではないが、あかんのです。気分だけで恋みたいなことして、ナマになって来ると醒めて醒めて、どうもならん、という人生だったのが、つまりそういうことで・・相手がうまいことこっち向いて、相手らしい感じになって来ると、ものすっごく冷たい目で見始めてしまう。あれ、何の話かな?(笑)。

どの世界にも「大衆の反応」「リサーチ」のごときものに動かされることって、あるのでしょうね。

きっとここに書いてもダイジョブ、な気がするので書かせて下さいね。一例。かつて、現代語短歌で新鮮な切り口で、狙い通り「当たった」歌人が出現して。確かに才能も機知も運も、たれ目の童顔と言うルックスも、時代が受け入れたいものであった。師は佐々木家の三代目、エリート街道であった。ここ私の妬み、そねみ、も含まれているとお思いあれ。
その彼女が、二十代での受賞となる、にあたって。ワタシには、次席を下さるという話になった。私のうたは、彼女ほどアピールしないもの。古典的仮名遣いで、おもしろくね、ってものだった。わかっています、そういう風に行きたかったのだもの。私は、そんなもの要らない、って、断った。
賞が欲しかったのでなかった。ネゴされるのは不快だった、だから。そんなことが、他にもありました。で、世の片隅で、したいように、うたと関わっております。勲章の好きな方とは「会わない」で、済みます。

長吉さんが、丑の刻詣りをなさったと聞けば。ふうん、さすが、やはり、たかが男だなあと思う(笑)。

どうも奥さんに惚れられていて、それはよかったなあ、と思います。何冊か詠んだ気もしますが・・レアは苦手、せめてミディアムでないと、という。

私は、げんざい、暮らしの糧を実業で得ております、でも、成りきっていないので、青いのは半分くらいかな・・・ドラマは、トヨエツが「いい人」になってきたくらいから、観ておりません。テレビは見ないな~~~。






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こんばんは

ご無沙汰しております。

ミイちゃんのことと暑さで、すっかりやられておりました。
でも、KUON様のお励ましにより(こんな丁寧な言葉を使おうとすると、
おハゲ?とか連想しちゃって、いるよなぁ、最近も変なヅラかぶって静養していた人、とか思ってしまいます)、腰折れを作り、KUON様のブログ記事へのコメントにこっそり置かせていただきまして、やはり、私には、生命力があると、なんだかわからないところへ着地してしまいました。

人は誰でも「死」にむかっていくものではあるし、それを意識せずにはいられないことも、ときもあろうし、だけれど、いや、だからこそ、この小さな毎日がもう少し続きますように、とそう思わずにはいられません。
小さな毎日にある大きな幸せを、和歌や俳句や詩や絵画なんかで残すことができれば、それはステキなことだなぁと、ゾウリムシ・ゴネコ、思います(あ、ミジンコKUON様を意識してのネーミングではございま……す。ゾウリムシの方が大きいか?いやいや、それはおいといて)。

少し暑さがひいた夜、久しぶりにブログを更新しました。
KUON様も、同じようなときに同じような思いを持っていらっしゃったのか、と
驚きにも似た嬉しさで、ついコメントしてしまいました。

フランス女優が営む海辺の食堂は、その後いかがでしょうや。
海は、いろいろな思いを運んでくれますね。
競馬場近くの定食屋とは、ちと趣が違います。
(でも、サバ焼き定食は絶品です)

2018-09-03-21:45 * ゴネコ [ 返信 * 編集 ]

全部、青い。

午前中から雷です。
お住まいの台風の影響が心配ですね。
お気をつけ下さい。

直木賞頑張ってくださいね。

芥川/直木の審査なども、かなりイロイロとあるようですね。
車谷長吉など、賞をとれなかったのは、作品の良し悪しではなく、かなりいい加減な理由で、落選したことで、審査員を指しで、丑の刻詣りをしたとか・・・。
執念を感じますね。
それくらい、身を削って書いた作品でも評価されず、うわっつらだけの作品が受賞した・・・なんてハナシを聞くと、世の中の不条理を感じます。
(最も、私は、車谷の作品を読むと落ち込みますが・・・。心が揺さぶられるという点では、善きにつけ悪しきにつけ名作なんでしょうかね。『三笠山(←すみません。タイトル違うかも?)』は、名作だと思っています。)

神聖であるはずのスポーツ迄も、利権絡み。

せめて、文学は・・・と思うものの、佳い作品ではなく、売れる作品が、ハバを聞かせ、数年で消えていく作家達。

本当に佳いものが、読み継がれる、読み手のレベルが上がって、佳い作品が売れる世の中になって欲しいと願っております(イイトシして、半分どころか全部、青いですね。因みに半分、青いは、視聴しておりません)。

2018-09-04-10:41 * よみびとしらず [ 返信 * 編集 ]

今も夢見る 

・ゴネコさん

ミイちゃんのことは。忘れようもないし、忘れなくてはならないこととも思えません。ずっと、ミイちゃんとゴネコさんは、一緒と思います。ミイちゃんさんだけでなく。思いを掛けて愛おしんだ、あの子も、あの子も。

私も、子どもの頃に夢中で庇って一緒にいた犬。ある日、取り上げられてしまっていたUちゃんのこと、今も忘れられません。一人暮らしの日々に、一緒にいてくれた漆黒の猫「ミルク」も。今の自分だったら、もっともっとゆとり持って接してやれたのに、と、このどうしようもない懺悔のような気持ちは、取れないと思う。初代のマミオは気が済んでの見送りでした、でも、忘れがたい。あのこと、このこと。三代目の、オッドアイの、耳の聞こえなかった白猫、避妊の手術も受けさせてやれないで(当時はお金が全くなかった、猫を飼うのも遠慮しながらだった)、一日伸ばしにしているうちに、脱出、となり、耳の聞こえない猫が初めて世間に出て、車にはねられて死んでしまいました。

あ。せっかく少しだけ「抜け気味になれて」コメント下さったのに、ごめんなさい、です。

話題変わります。どれくらい前でしたか、テレビのドラマで「ドナウの旅人」というのがあって。宮本輝の原作。根津甚八と、年上のよその奥さんの佐久間良子が、ドナウ川に沿って、わけありの旅を、という内容でした。

その中で、甚八さんが(の役が)、ひっくい声で

「メメント・モリ」と言うたのでした。メメント・モリ・その後もう少し、言葉は続いた気がします。ラテン語で、それは、

「死に行く者よ 死を忘れるな」

との意味なのだそうです。はじめは、はて? という感じでした、忘れがたい言葉になり、後、調べたり出会ったりの言葉になりました。

そこから連想がずうううっと続き、元は違うところとは思いますが、

「起きて半畳、寝て一畳」

という言葉にも、はた、と膝を打ち(笑)。これは、当時、漫画のぶっとい本になっていた「花の慶次」でも見た言葉。あの、漫画の前田慶次郎敏益」(字が違うかも)さんは、とってもせくしーだった。夢中で全巻読みました。今は手元に無いですけど。

何が言いたいか、言いつくせませんが、

>人は誰でも「死」にむかっていくものではあるし、それを意識せずにはいられないことも、ときもあろうし、だけれど、いや、だからこそ、この小さな毎日がもう少し続きますように、とそう思わずにはいられません。<

このお気持ちは、よく、よく。いろいろ失くしたり亡くしたり別れたりして来て、で、で、ゾウリムシ?

それ、ダメです。可愛くない、ぞうりむしヘイトしちゃう。もう少しかわゆいお名前はいかがですか、いま、思いつきませんが・・ぞうりむし・・



2018-09-04-10:52 * KUON [ 返信 * 編集 ]

コメント返しで

コメント欄に、いろいろ書き込んでしまう不作法をお許しくださいませ。

 「起きて半畳、寝て壱畳」

そうそう。
これなんですよ。
「モノの捨て方」なんて、えらそーなことを言っても、私の頭の底には、
こんな江戸っ子気質のようなもの(「起きて半畳~」は江戸っ子言葉なんだそうですけど)がありまして。
文章の流れから、「起きて半畳~」が入らなくなっちゃった、と思っていたところ、KUON様が読み取っていてくださって、感激です。

根津甚八さん、よかったですねぇ。渋かった。斜めな感じ、少しひがんでいるような感じが、私にはよかった。
私は、『岸辺のアルバム』でしたか、あれが忘れられませんよ。
タイトルバックに流れる唄もよかった。名前、忘れてしまいましたけど、外国の女性シンガーでしたが。
ヴァニタスとセットで語られることが多いメメント・モリ。
甚八っつぁんが、「ひっくい声」で言うのは、さぞセクシーで意味ありげでしょう。ゾクゾクしてしまいます。

さて、コメント欄にて。恐縮ですが―、
「百合」の話で、思っていたことを少し記させてください。

小説、詩、和歌……
何でもそうだと思いますが、見たものをそのまま詠む、書くにしても、
そうでないにしても、そこには作者の思いが投影されるものだと思います。
本当は、山百合でなくキンポウゲだったかもしれない、だけど、そこに「百合」という言葉を持ち込むことで伝えたいものを伝えることはできる。
私は、そう思っていますので、KUON様の解釈に、いちいちもっともだと思う、うなづくものです。

高村幸太郎の「レモン哀歌」の最後に、遺影の前に桜を飾り、レモンを置こう、という箇所がありますが、私は、学生にこの部分を説明するときに、
「本当に桜を飾ったかどうかは問題ではないのだ。桜の花の色とレモンの色の取り合わせから、どんなイメージが喚起されるか。少なくとも後ろ向きな感じはしないだろう。だから、「置こう」という文末が生きてくる。また、桜に寄せる私たちのイメージも考えて。くさいところでは「死と再生」があるだろう。智恵子の死は哀しいが、でも、僕は生きていく、生きていける、そういうメッセージを、この色の取り合わせから、またこの詩全体の色のトーンから感じることはできるだろう。この花が、紫色の木蓮だったらどうか。また、光太郎の「梅酒」という詩はどうか。智恵子の死を悼むには、「梅酒」でなければならなかった。ドロっとしていて、濃い目の茶色で、少し甘い。そういう酒でなければ、智恵子の死に結びつない。本当は、病院からもどってビール(麦酒)を飲んだかもしれないが、それは書かない。このように、小説や詩歌に用いられる題材には、作者なりに意味があってチョイスしていることを頭において読むと、なるほどなぁと思うことがある」
というようなことを話します。

立石寺のセミは、アブラゼミだったのかクマゼミだったのかという茂吉の論争は、それはそれで面白いのだけれど、「山百合」の話もこれと似たようなところがあって、いつ咲くのか、どんな花か、生物にお詳しかった昭和帝がそんな誤りはしないとか、そういうことは、もう脇においといて、「一首」を鑑賞、解釈するというスタンスが大事なのではないかと思っています。
虚実ないまぜにしたものが、小さな説になるのだもの。
文学者にろくでなしが多いのも、そういうところからくるのかもしれません。

終わった話を蒸し返して、すみません。
こーゆーコメントこそ、秘密コメントにするべきなのか!?
いへいへ、これで良しとさせてください。
2018-09-04-11:37 * ゴネコ [ 返信 * 編集 ]

今も夢見る 

・ゴネコさん

>立石寺のセミは、アブラゼミだったのかクマゼミだったのかという茂吉の論争は、それはそれで面白いのだけれど、「山百合」の話もこれと似たようなところがあって、いつ咲くのか、どんな花か、生物にお詳しかった昭和帝がそんな誤りはしないとか、そういうことは、もう脇においといて、「一首」を鑑賞、解釈するというスタンスが大事なのではないかと思っています。
虚実ないまぜにしたものが、小さな説になるのだもの。
文学者にろくでなしが多いのも、そういうところからくるのかもしれません。

終わった話を蒸し返して、すみません。
こーゆーコメントこそ、秘密コメントにするべきなのか!?
いへいへ、これで良しとさせてください。<

お返事遅くなりました。

いへいへ、楽しく読ませていただきました。

話は多少飛びます。石川啄木が、まだ赤ん坊である長男を亡くして。啄木は、生活力の無い借金平気な、立派なロクデナシさんでしたが、彼を盛り立ててくれる方が周囲に一人ならずおられた。その一人(有名な方ですが、お名前失念しております)が書いておられた、概略ですが

「啄木の乗った車の窓から淡い煙がすーっと流れて来た。
ああ。あやつ、亡き子のために香を焚いておるか。そう感じたが」

それは(我慢できなくて)喫した煙草の煙であった、というのがオチ。

これ読んだ時の私の気持ち、「共有」だんべな?。

焼きサバ定食はよろしなあ。家でサバやサンマ焼けないので(自主規制)、お外で、白いごはんで、いただいております。サバのお寿司も大好物、ぶ厚いやつね。10月に京都へ行くので、買って来ます。


・よみびとしらず さん

遅くなりました。

はい。車谷長吉サン。ほとんど知らなくて、寺島しのぶサンのお背中の見事だった映画「赤目・・」に絡まって、初めて原作を読んだ。という、知らなさ加減でした。

感想。リアル。粘着的こまごま書き。腐敗あるいは一歩手前の獣肉の臭いまで鼻先に来るような。・・・わたし、ナマなものに、触れたり臭ったり、気取るわけではないが、あかんのです。気分だけで恋みたいなことして、ナマになって来ると醒めて醒めて、どうもならん、という人生だったのが、つまりそういうことで・・相手がうまいことこっち向いて、相手らしい感じになって来ると、ものすっごく冷たい目で見始めてしまう。あれ、何の話かな?(笑)。

どの世界にも「大衆の反応」「リサーチ」のごときものに動かされることって、あるのでしょうね。

きっとここに書いてもダイジョブ、な気がするので書かせて下さいね。一例。かつて、現代語短歌で新鮮な切り口で、狙い通り「当たった」歌人が出現して。確かに才能も機知も運も、たれ目の童顔と言うルックスも、時代が受け入れたいものであった。師は佐々木家の三代目、エリート街道であった。ここ私の妬み、そねみ、も含まれているとお思いあれ。
その彼女が、二十代での受賞となる、にあたって。ワタシには、次席を下さるという話になった。私のうたは、彼女ほどアピールしないもの。古典的仮名遣いで、おもしろくね、ってものだった。わかっています、そういう風に行きたかったのだもの。私は、そんなもの要らない、って、断った。
賞が欲しかったのでなかった。ネゴされるのは不快だった、だから。そんなことが、他にもありました。で、世の片隅で、したいように、うたと関わっております。勲章の好きな方とは「会わない」で、済みます。

長吉さんが、丑の刻詣りをなさったと聞けば。ふうん、さすが、やはり、たかが男だなあと思う(笑)。

どうも奥さんに惚れられていて、それはよかったなあ、と思います。何冊か詠んだ気もしますが・・レアは苦手、せめてミディアムでないと、という。

私は、げんざい、暮らしの糧を実業で得ております、でも、成りきっていないので、青いのは半分くらいかな・・・ドラマは、トヨエツが「いい人」になってきたくらいから、観ておりません。テレビは見ないな~~~。





2018-09-24-09:12 * KUON [ 返信 * 編集 ]