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お豆腐


子どものころ、お豆腐なんて、どこが美味しいのだろうと思っていました。おしょうゆをかけただけの豆腐がおかずなんて、つまんないと思っていた。

好きだったのは、揚げ物。近所の公設、こまどめ市場の出口(あちらからは入り口)の近く、肉屋の店頭でおばちゃんが一日中コロッケを揚げていた。おばちゃんは、油から出して網の上に置いたばかりのコロッケや串カツやとんかつを、手でひょい、とつまみあげて、緑色の薄い紙を敷いた新聞紙や経木の舟に、ほいほい移していた。

ものすごく熱いだろうと見ていた、とんでもなく熱かっただろう、実際に。けれどおばちゃんは、五つ、と言われたら五つのコロッケを、素手でつかんでいた。ひとつ五円だったその店のコロッケを、世界中で一番おいしいコロッケと信じていた。成長する過程で、いろんな店のいろんなコロッケを口にした。値段も形もそれぞれ、時には、コロッケ、などという呼び名をされていない、おフランス料理屋のそれを、期待に満ちて…ドキドキしながら、ナイフでプシュッと切り分けて・・・いただいたりもしました。はたち頃にはピザも出て来ていたし、連れて行ってもらったロシア料理店のピロシキ、なんてものに、卒倒しそうな魅力を感じて。しかし。

あの、幼少の砌に愛したコロッケの味には、どこでも、出会えなかった。ほぼ揚げ物を回避するようになっている今も、あのコロッケなら食べたい。茹でたジャガイモの中に、時々舌に触れるちっさなスジ肉の点在した、小判型の、ラードで揚げられていたコロッケ。

母は、コロッケを買いに行くより多くの頻度で、豆腐を買いに行くお使いを私に命じた。

公設市場の中にも豆腐屋はあったが、そこではなく、もう少し遠い店へ、買いに行かせた。道路の角っこの、ひさしの低い、まあ言えば、とてもボロっちい店だった。オジサンが一人営む店。道路に面している店の開口部には、いつもオジサンだけがいた。夏も冬もハチマキをして、ゴムの前掛けをして、いつも半分笑った顔で「いらしゃい」と言った。

木綿豆腐を買うことが多かった。というか、当時、小学生の私は、その、いつも買う「もめん」以外の豆腐のあることを、知らなかった気もする。

「もめん一丁下さい」言って、白いホーローの容器を渡すと、へい、とはい、の間くらいの感じで答えてくれ、水の中に浮かんでいる豆腐を、すごい速さですくい上げて器に移す。そして、必ず、油揚げを一枚、付けてくれるのだった。油揚げもオジサンが揚げていた。オマケの揚げは、端っこが僅かに縮んでいたり、気にならないほど歪んでいたりの品だった。

豆腐と揚げの味噌汁を、よく、食べた。三日に一度はそれだった。名古屋の人間にとって味噌は赤味噌に決まっている。今もある「角久」という味噌蔵(というのか)の、味噌。味噌漉しでよく濾してからでないと、簡単には溶けない。それは手に入るので、買っている。私の夫のルーツは愛知県、三河、姑はぱりぱりの京都人だが、嫁ぎ先に合わせて名古屋味噌を使っていた。で、夫も赤味噌の味噌汁を吸って育っている。

中学へ入るため関西へ来たのだが、関西の味噌は、私には、味噌と思えないものだった。人さまの家で暮らすのだから・・養父の家へ引き取られたのだ‥食べ物のことで、まず何やかや、言ってはいけない。母にも何度も諭されたし、私自身、そんなみっともないことはしないわ、とココロに決めていたし、で、味噌汁が甘いだのその家が時々はお菜にも出したコロッケが、とても私の思いとは違ったものであっても、口に出さなかった。養父の家では、食べ物に関して「船場式」なのだそうだった。私は、船場式より名古屋式がよかった。大きな屋敷で、広い中庭があって、豪勢な家に見えたが、お手伝いの「もっちゃん」のお昼ご飯は、ほとんど毎日、かつお節屋で分けてもらってくる「粉かつお」に、お醤油をかけたものだけだった。もっちゃんは家に置きたくなくて預けられた、みたいな立場のひとで、何をするにもゆっくりだった。優しい性格の女性、レース編みを始めては、ぜったいに最後まで編み通すことが出来ない。時々、お父さんが訪ねて来られて、おやつやらお金を渡していた。もっちゃんは何やら駄菓子類を買って来ては、もしょもしょと食べていた。

あまり人に言ったことは無いが、私は、母親に、隠れて小遣いをもらっていたので、一人だけ外で、美味しいものを食べることがあった。。中学生の頃に、食べ物屋で食事をすることを覚えてしまった。養父の子どもたちには母親がついていたし、もっちゃんと食べ物を分かち合うことは無く、自分でひもじさを抑える工夫をするしかなかった。到来物の多い家だったし、届けられるものは、特別の牛肉だったり桐箱メロンだったりで、お相伴にもあずかった。が、日々の普通の食事が、なかなか困難だったのだった。養父の妻は、家事を好まない主婦だった。もっちゃん以外の、ねえやさんたちは、皆、出て行ってしまうのだった。

当時、長い休暇の時になど名古屋の実家に帰ると、例のおじさんの豆腐屋の豆腐と油揚げの味噌汁を食べた。味噌汁は母の朝の習慣のものでもあったので、そうだった。母は私に、こまごまと料理を作るよりも栄町のデパートへ一緒に行って、なんでもある食べ物のなかの、好きなものを食べさせるタイプの人だったのだ。

あの味噌汁は美味しかった。油揚げが、味噌を吸い込んでクッタリとなって、口の中で、舌で押すと、なんともいえない味がした。それと、養父の家では出ない白ご飯の、固めに炊かれたもの、一緒に美味しかった。
熱々でも冷めかけでも、いっそ完全に冷めてしまった味噌汁とごはんでも。

本当に、美味しかった。うんと後になって気づいた。気づきがどんどん大きくなった感じ。

自分で作っても、あの味はしてくれない。

あの豆腐屋さんは、春が進むと、豆腐の中におろし生姜を埋め込んだ豆腐も出していた。子どもだった私は、それを、あまり好まなかったが、大人たちはうまい、うまいと、暑い時期のおかずに重宝していたということだ。

美味しい豆腐だったのだろうな。


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今も夢見る
Posted by今も夢見る

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ゴネコ

コロッケで

おはようございます~。
ようやく春らしい季節になってきたような。
世の中いろいろありまして、思うこともいろいろありまして、
とくにあのヘタレ茄子のあほうな顔を見たり、外つ国のどんぐり眼の
勘違い女の顔を見たりしていますと、もうもう、ね、でございます。
あとで、ブログに書きちらかしちゃろ。

コロッケのお話で、ふと、昔読んだマンガを思い出しました。
大和和紀さんの「杏奈と祭り太鼓」だったか、そんな題名だったような気が。
今思えば、少女漫画全盛の時期のもので、こんなの現実には~みたいな感じだと思いますが、もう涙腺崩壊しちゃったなぁ。
コロッケ。
胸がキュゥンとします。

2020/03/03 (Tue) 10:30

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2020/03/03 (Tue) 10:49

ラピスラズリ

食べ物の思い出

豆腐を巡る随想興味深く読ませて頂きました。
夏は冷奴、冬は湯豆腐、豆腐は淡白なのに主役を張れるんですね。
昔豆腐が大好きになって、豆腐百珍という本を買って読んだことがありますが、江戸の昔から庶民でもこれだけのバラエティーに富んだ献立があったのかと驚きましたが私のレパートリーは増えませんでした。
今大きいスーパーに行くと色々な種類の豆腐が並んでいますが、昔ながらのお豆腐屋さんは今も細々とあるのでしょうか?

コロッケで思い出すのは東京で朝地下鉄の駅への途中に揚げ物の店かあり、いつも同じ若い男の人が朝早くからたくさんのコロッケを揚げているのでした。
黙々と偉いなぁと彼の姿を目にする度仕事に不満を持ってはバチが当たるなと反省したことを思い出しました。
そこのコロッケは一度も買った記憶がありません。
今思うとほんのたまにでも買ってあげれば良かったと思います。
彼の店の前を通らなくなっても仕事がしんどいと何故か彼の立ち働く姿が浮かんだのでした。
あれから幾星霜、彼はもう引退したと思いますが、見知らぬ私の記憶の中に残っているのです。

食べ物に蘊蓄を傾けたり批評する人は苦手です。というか嫌いです。
昔母の育った家の食卓で母の兄が必ず何か文句を付けないことがなかったそうです。
黙って食べていた父親がたまりかねて「黙って食べんか!そんなに文句ばっかり言ってるとそんなものも食べられないようになるぞ!」と一喝したそうですが一向に直す態度も見せず毎食のことだったようです。
父親はある程度の資産家に婿養子で入ったのでかくしゃくとした婆さんに権限があり軽んじられていたのかもしれません。
兄を溺愛して結局身を持ち崩し財産を無くしてしまったそうです。
その兄の後日談、晩年は五人もいた娘にことごとく裏切られ最後は老人病院で亡くなったので、文字通りそんなものも食べられ亡くなったわけです。

もう一人思い出すのは姉の主人です。貧しさの中で育ち大学まで行った人なのにどこで贅沢を覚えたのかいつも何やかやと料理や味付けに文句をつける人で嫌いでした。
新婚の頃に私の実家に遊びに来ていて、母が精一杯料理を振る舞い行きつけの魚屋で新鮮な刺身に作ってもらい歓迎したのに、出来合いの刺身なんて、とケチをつけたのです。
私は腸が煮えくり返り何て非常識なことをいう人間かとその人間性がもっと嫌いになりました。
姉はたしなめることもなかったから気にはならなかったのでしょうが私は母のせいいっぱいのもてなしの心を台無しにされたみたいで、母の父が兄に言った言葉を思い出しました。
仕事上美食に明け暮れたつけで晩年は糖尿病になりそれこそそんなものも自由に食べられなくなりました。
食べ物に感謝しない人間は必ず報いを受けるのだと改めて思いました。

食べ物について印象に残る名言があります。
「どんな食べ物を食べたか言ってみたまえ。君がどんな人間か当てて見せよう」
フランスの美食家サバランの言葉です。
言葉よりも雄弁に人間性が出るのなら、たかが食べ物されど食べ物、奥が深いのかもしれません。

2020/03/03 (Tue) 18:51

長屋の爺

角九八丁味噌

こんばんは

私は津軽三年味噌で育ち、成人してから三河に来たので、「赤味噌」になじむまで数年かかりました(笑)

今では八丁味噌でなければ味噌汁は呑まなくなりましたが

当時の「豆腐買い」は子供の仕事で、どういうわけか店が遠くにあって、年に一度必ずと言っていいほど、帰り道で転んで雪の上に落として泣きました

今日もコロッケ~明日もコロッケ♪
紙の袋に包まれた、熱々の「コロッケ」
こし餡が尻尾までつまった「タイ焼き」
この歳になっても、時々友人と買い食いしております(笑)

2020/03/03 (Tue) 22:24

hobohobo

No Subject

隣町の豆腐屋さんのお豆腐を最近うちの近所の生活クラブで売るようになって、これがおいしい。
さすがに割高なので頻繁にとはいかず。

さっきちょうどそういう話になって、うちで1週間に1回買ったとして… と計算をして、うーむ… となりました。
1週間に2回は買おうかな…

2020/03/03 (Tue) 22:25

かりそめ

KUONさまの食べ物エッセイ大好きです。読むとかならず食べたくなる、ギョニとかチョコ・パフェとか。
きょうはコロッケ。肉屋さんの揚げたての小型のコロッケ。近所の子どもたちのおやつになっていました。確かひとつ5円だったような。メンチが10円かな。

豆腐は、味よりあのラッパが好きでした。おじさんが自転車の荷台に木の箱を積んで売りにきました。ラッパの合図でお母さんたちが容器をもって出てきて。
哀愁のある音色でした。少しへこんだようなブリキのラッパじゃないとだめなんですよね。

おかげさまで、懐かしい思い出にひたれました。

2020/03/04 (Wed) 00:55
今も夢見る

KUON

No Subject

・ゴネコさん

そうですね。春の楽しさを感じられるようになりました。
触れればいいこといっこも無く、あえて触れない感じになっていますが・・・「ノブレス・オブリージュ」なんてものには縁のない。何より大人の顔じゃない・・あのどんぐり目の女性は、いずれ早いうちに、でしょうね。とつ国のあの方たちはもう、見ないで置きます。

大和和紀のまんが、たくさん読みました。その作品には記憶が無い・・・。まんが、大好きで今も読みます。子どもの頃、水野英子の漫画から。

コロッケは今は、そんなに食べません。でも、JR奈良駅近くの肉屋さんのコロッケは、今でも食べたい。ええと、お店の名は・・今の私の「一番おいしいコロッケ」なんです。

‣ヒミツの〇〇さん。

一足お先に桜、咲いたのですね。おめでとうございま~す。孫ちゃん頑張った、よくやった。

ノンアルビールで乾杯、です。おめでとうございます!。

・ラピスラズリさん

食べ物の話、ほんきですると熱いですよね。私も、うっせいウンチクすぐにたれたがるヤカラ(あら失礼)嫌いです。黙って味わって食え、ちゅうねん。

京都の「もりか」という豆腐の名店の存在を知り、どんな敷居の高そうな、と思い、ある日、その店の前に、ふつーに行列を作って待っておられる方々の姿が、あまりにもフツーな感じなのに、驚いたことがありました。

ムッシュ・サバラン。私は、どんなヒトに見られるのでしょう。ダシこそが命、と、今では考えています。

・長屋の爺さん

今では、爺様のカラダは角久の赤だし味噌で出来ている、ですか。(笑)。

爺さまが雪の上にお豆腐落として泣いているお姿・・子どもの頃、そんなことがありましたね、私にもありました。本気で辛かったです、今ならなんてことないことも。

コロッケ、タイ焼き、タコ焼きも、ね。B級と云われる食べ物の魅力。でもちゃんと作ってある。

・hobohoboさん

・そういう、美味しいお豆腐屋さんの店が、じんわりと増えている気がします。すてきなことと思います。

高いと言っても、食パンの世界みたいに、一斤1000円とか1500円とかでなく。
ちょっとゼイタク?な食べ物が、いくつかのコインで買える。こういう贅沢は楽しみ。

>1週間に2回は買おうかな…

ぜひぜひ、そうなさったら。いや、本気の逡巡でないのは解っています、でも、美味しいお豆腐への対価として考えてみる、というのも、なんか、楽しみみたいでもあります。豆腐。不思議な食べ物ですね。

・かりそめ さん

食いしん坊が、思い付きのままに書き散らしておるのでございます。
ギョニソ。あれも、メーカーはここの、と、限定したい(笑)。マクドナルドのバーガー類では、いわゆる朝マックの「ソーセージエッグマフィン」が好きです。あれの中身のソーセージ部分の味が、私の魅かれる「そういうものの味」だと思う。頼む時はそれを選ぶのです。朝限定が残念ですが。
ただ、マックは、月に二回くらいしか食べないことにはしています。自主規制(笑)。

豆腐屋さんのラッパ、私、あちこちで読ませてもらいますが、実物を聞いたことないのです。聞いてみたかったな。

聞こえているのに縁が無い音。そうです、夜更けに下の方で鳴り響く、流しのラーメン屋さんのあの曲。音。

音だけ知っていて、実はそれに誘われてラーメンを実食した経験が悲しい、無いです。

時々しか来ないけど、10階の部屋に、tラーメン屋見参を知らしめても、どうやってそのラーメンにお目にかかれるかがわからない。

食べてみたいな、屋台(?)のラーメン。

2020/03/05 (Thu) 22:19

ラピスラズリ

森嘉の豆腐

KUONさま
コメント有難うございました。
中にもりかの豆腐とあり、確か何かの小説の中に出てきた豆腐やの名前だったような記憶が甦り、今は便利ですねぇ、たちどころにスマホで検索し、おぼろげだった記憶がハッキリと形を結びました。

川端康成の古都という小説の中に出てきていたのです。
千恵子という主人公が嵯峨野に隠遁する父親の元で森嘉の豆腐で湯豆腐を拵えてあげる場面があり、その後急に有名になったのだそうです。味は絶品だそうです。

この古都は川畑作品の中で一番好きで四季折々に描かれる京都の美しさと京都弁に強く憧れ大学を京都の地に選んだほどです。
下宿していた先の人たちや町の中で耳に入ってくるのが全て純粋の京都弁で何だかドラマの世界みたいと感激したのを覚えています。

夏はフライパンの底みたいな暑さだし冬は底冷えで決して住むには快適とは言えないけどその頃は暑さ寒さも全く堪えませんでした。
若さだったのだなと今にして思います。

まだ京都らしい黒い瓦屋根の家々もたくさんあって、もう今ではすっかり京都らしい風情も失われただろうと思うと失望しそうで長く京都は訪ねていません。
追憶の中の街、それが私の京都です。

京都を歌った歌謡曲では渚ゆうこの京都慕情が一番好きです。
京都らしさが一番よく描かれています。
デュークエイセスの女一人もいいですね。
恋につかれた女が一人、のつかれたは疲れたか憑かれたかどっちだろうと論争したものです。
私は疲れたら着物なんか着て京都に来る気になれないから憑かれた派でしたけどね。

もりかのお陰で久しぶりに懐かしい思い出に浸ることが出来ました。有難うございます。

2020/03/06 (Fri) 01:30

KUON

No Subject

・ラピスラズリ さん

私もその「古都」に於いて森嘉の豆腐を知ったのでした。
名古屋から、幼なじみが遊びに来て、お洒落を自称するコで、雅な古都、他とは違う文化、などに憧れているコで。オールお豆腐、という食事をしようと、南禅寺前の豆腐料理の店へ案内。目に美しいフルコースに、とても喜んでくれた記憶があります。森嘉の豆腐を持って帰りたいと言うのを、断念させた。
おそらく、名古屋で食べたら異なる味のものとなっていた気がします。
京都へも、よく遊びに行きました。変わっていないものも沢山ある。表通りには無いものが多くある気がします。

「おんな一人」
なるほど。「疲れた」より「憑かれた」方が、物語があるように思いますが・・どうなのでしょ。

2020/03/08 (Sun) 20:28

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