当たり前。
父親が亡くなったのは、私が五つの時だった。裏庭で薪を割っていて、あ痛、とお腹を押さえて部屋に入って来て入院、その三日後には死んでしまったという。脾臓が破裂したのが原因だったとのこと。母はただただ、びっくりしたことだろう。
昨日の当たり前は、今日の当たり前ではない。
阪神淡路大震災の起きた、その朝のこと。奈良市にあった家の一階で、まだ眠っていた。起こされて目が醒めたが、まだ揺れていた、夫がテレビをつけていた。ものすごく大きな塀のようなものが倒れていた。戦争が始まったかと思った。爆弾が落ちた、とか。高速道路がひっくり返ったなど、思うこともできなかった。
東北の大地震の時は、自宅のパソコンの前にいた。友人に会って帰宅して、ホッとした時だった。ゆらあり、と揺れた時は、目まいだと思った。あら、わたし目まいがしている。ハッとして、テレビをつけた。とんでもない光景が目に飛び込んで来る・・・直前だった。テレビ局にいるキャスターさんたちが、懸命に、冷静であろうとしていた。天井から下がったプレート類が、ぶるんぶるん、揺れていた。
それまでの当たり前が、当たり前でなくなった。
今もつまり、そういう時の一つと思う。
後にならないとわからないことが、沢山あると思う。
こんなん言いながら、ヤケにならない自分、と思っている。