三月のおべんきょう Ⅱ
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かりそめ
〈無常と諦観と〉
*方丈記かく短きに詰まりたる今も変はらぬ人の世の闇
(この一首に感じたこと。勝手に感じた・・・漆黒の闇ならばいい。全き闇なのなら、目の下の断崖へ、まっすぐストンと墜ちられる、かもしれない。うす闇だったりしたら、そんな僥倖に出会うことも難しいかも。中途半端に転んだり焦ったりしてしまうの、イヤだなあ。
げに恐ろしきは、うす闇なのよね、など、要らんこと考えました。ふざけているのではないつもりなんです。
でも、うっすらとした闇の中で、その中途半端な明るさが見せてくれる、おなじようにウロウロ、ザビザビしている、愚かだったりいとおしかったりの人間の姿に、何かしら救いを見つけられる、ってことが、あると、思い直したり。
*病院の出入口にて取り出せり二度洗ひたる不織布マスク
(病院の出入り口にて」取り出すマスク。不織布のマスクは、本来なら使い捨てるもの・・それを今は、洗って使っている。事実を言葉として置くことによって、心情があぶり出される。
*検査日は八重の桜が気にさはる目を逸らすほか手段あらねど
八重の桜は重い。見たくないなら見なければいい、と、言うは容易い。見えてしまうのよ。気持ちの表皮が引っかかれるのよ。
*高まりて空をひきさく囀りを疎むこころが芽生えたるとは
(そんな「こころ」の持ち主がご自身であることを、うたっておられる。。
明るい、楽しいだけがうたの居場所ではないのではないでしょうか。どんなご自分も、出されればいい。など、申し上げてしまいます。
まめはな
・如月の枝に雪置く梅の木の積む雪の白白梅の白
(技巧的に「つくられて」いるうた。成功されています。が、一点だけ、よりよく「できた」感を増してみませんか。(積む雪の白」の後、「白梅の白」の間を、一文字分、空けるとか。
・雪の間を透かして見ゆる白梅の花の白さと雪の白さと
(以上二首は梅に雪の降る画像を見て詠みました)
(これも、うまいこと出来ています。ただやはり、雪の白さと梅の白さは同じ白ではない、となってしまいそうな。「花の白さや雪の白さや」とか「花の白さよ雪の白さよ」とか、「と」でくくって限定されないように、とも感じました。お好みですよ。
・もう少し筋力つけばこの痛み減るかもと君我黙しおり
(このままでまとまっています。最後が惜しい。あくまで好みの問題ですが少し余韻をもたせたい・・「減るかもと君われは黙せり」「減るかもという君に黙すも」たとえば、の話です。
・白梅のあふるるばかり咲き誇る木の下過ぎぬ歌うたいつつ
(やけのやんぱち、みたいな奇妙な明るさが魅力です。
・黄水仙快活に咲み白水仙ひそやかに群るる弥生道端
おてもやん
〇キャンプ場冬の名残りの北風に焚き火の炎大きく揺れる
(前回申し上げたことを、よくわかって下さり、うたを分解して再び組み立てられた努力が、よくわかります。こういう風にして行かれたら、うたの世界は拡がると思います。同じ材料でも、いろんな風にうたえると思う。拍手。
〇使い捨てマスクのゴムは切り取って手作りマスクに再利用する
(生活の知恵もうたの知恵も。
今夜はここまでとさせていただきます。