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今の思い

三月中に、三月のおうたをまとめさせて頂きたかったのでした。

が、難しかった。ごめんなさい。申し訳ない。

ごめんなさ~い。

みなさまが、安心して暮らせますように。普通の暮らしが普通に戻って来ますように。

と。

今の思いを置かせていただいて、今日のKUONのブログ記事とさせていただきます。

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志村けんさん。思い出すこと。わたしドリフが好きとか嫌いとか、どうだったのでしょう。イヤだなあ、という気持ちも持ちました。ひげダンスは、よく踊りました。二人の娘と一緒に、踊りくるいました。茶の間でどんがどんが踊りました。

亡くなって家へも戻れず、火葬場で「焼かれ」て、お骨になってからようやく帰宅が叶う。そんな去り方が訪れようとは。ご本人がそれとわからないのは救いのような気がします。死んだら終わりだもん。不遜な思いを、受け入れています。

お兄様が泣きながら悼んでおられたように、あちらの世界で、一番のファンだったというお母さまと、積もる話をしておいでか。

黙ってそばにいて、時々にっこりを交わし合っておられるか。イヤな、汚い、姑息な話の出て来ない方だなと、珍しく沢山のテレビを観ながら、思いました。

亡くなる前のアイルトン・セナ(レーサー)。同じく急死する前のアンディ・フグ(格闘家)。今も印象深いその二人の目の、彼岸のその向こうを見ているような目を、なんとも言えない透徹したきれいな目を、志村さんに感じていて。戻って来られないのだろうなあ、と、思っておりました。


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今も夢見る
Posted by今も夢見る

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ラピスラズリ

あるコメディアンの死

志村けんさんは数々の浮き名を流したけど生涯独身だったそうで如何にも志村さんらしいと思いました。
家庭を持ち妻や子供に囲まれている姿が想像出来ないのです。

父親が厳格な教師だったこと、兄と弟がいて東村山の実家に時々帰っていたこと等を今回知りました。
志村さんは2月生まれで古稀のお祝いを家族で祝った様子を写真で見ました。
贈られた紫色の頭巾とチャンチャンコを来て手に甥から贈られたお酒の湯飲みを持って本当に幸せそうに穏やかに笑っていました。
自分の家族はいなかったけど無頼の芸人ではなくてこんな打ち解けた身内に囲まれていたんだと何か安堵しました。

志村さん以外は大学を出て公務員になった普通の家庭だったのですね。
お兄さんは志村さんによく似ていていて本当の涙を流しておられました。
入院後一度も面会が叶わず亡くなった後も顔を見ることも許されず棺が病院を出て火葬場に向かうのを見送ることしか出来なかったのだそうです。
ほんの少し前に楽しく集まってお祝いをしただけに余計に信じられない展開だったでしょう。

お骨になって還ってきた弟の骨箱を抱いて「重い。まだ暖かい」と言って涙を流していました。
カメラの前でなかったら慟哭なさったでしょう。
真摯な肉親の愛情が伝わってきて抱かれる志村さんに良かったねと思いました。
こんな風な急な亡くなり方をするとは本人も思ってなかったかもしれませんが、もしかしたら志村さんは心の何処かで覚悟していたのかも知れないとふと思いました。
見るべきものは見つという心境になりつつあったのではないこと。
たけしがコメントしているのを見て志村さんの方がコメディアンとしては上になっていたなとも思いました。

父が、誕生日の前後遠くない時に亡くなることが多いと言っていました。母もそうでしたし志村さんも正にそうでした。
コメディアンとしてはまだまだこれからだったかもしれませんが早すぎる死で伝説になったかもしれません。
ご冥福をお祈りします。

2020/04/01 (Wed) 01:07
今も夢見る

KUON

No Subject

ラピスラズリさん

志村けんさんの死は衝撃的なものでした。そっくりなお兄さんの言葉、ひとつ一つが「嘘でない」感を抱かせて下さいました。

いつ、どんな死を迎えるか、誰にもわかりません。でも、志村さんの死を報じる中に、イヤな感じを与えるものが無かったこと、稀有なことでないかと思います。

優しい、淋しいまなざしを残して逝かれた志村さん。いろいろ動画などみています。才能のある方だったと、今更ながら。

2020/04/10 (Fri) 16:23

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