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散ったのも五月


・海を知らぬ少女の前に麦藁帽のわれは両手をひろげていたり

・そら豆の殻一せいに鳴る夕母につながるわれのソネット

・ころがりしカンカン帽を追うごとくふるさとの道駈けて帰らん

寺山修司の短歌のどれが好きか、との問いかけには、答えが無い.応えようが無い。あまりにいっぱい有りすぎる。とはいえ、どれも好き、ぜんぶ好きとは言い難い。

なんとか「好き」と思いたかったあれこれ。天井桟敷にまつわるあれこれは、ホントは好きでなかった、と、いま、せいせいと言える。

高校の文化祭、階段教室で初めて見た寺山修司の「犬神の女」。あの芝居を見て「やっぱり自分でいいんだ、私の思いようと同じ世界があるんだ。こわがらなくていいんだ」の安心感、その安心感に導かれて私は、それまでとまるで違う方向へ、舵をきった。

今日は寺山修司の亡くなった日だという。四十七歳。

    母の蛍すてに行く顔照らされて 

妄愛した一人息子に、好きなように過去をつくられ、何はどうでもとんでもないことに先立たれてしまった母、寺山はつ。

息子は死んで、特別な安らぎを与えてくれた、激烈な悲しみも。

一冊の本を、かつて私は読んだ。いまは手元に無い。

天才とも狂気の人とも呼ばれた寺山修司を「修ちゃん」と呼び、嬉しそうにその幼い膝を引き寄せて写真に納まる、戦争によって夫を奪われた女性が、本の中から微笑みかけて来ていた。生涯、息子を「修ちゃん」と呼んだ人だった。

本は、手元に残せなかったけれど、その中の一行が、消し難く私の中に残っている。

    五月に咲いた花だったけど 散ったのも五月でした。「母の蛍」

・・・二十歳の寺山修司は、重い腎臓病ネフローゼにかかった。闘病は長期にわたり大学も中退、生死の境をさまよった。。
『われに五月を』の出版は、中井英夫(1922年9月17日 〜1993年12月10日、短歌編集者、小説家、詩人)が、「これほどの稀有な才能を、一冊の本も残さずに死なせてたまるかという気持ち」(『われに五月を』に寄せて)で尽力して実現したもの。母・寺山はつの「五月に咲いた花」とは、そのような実感だったと思われる。

      一本の樫の木やさしその中に血は立ったまま眠れるものを

   コメントありがとうございます。お返事は明日、にさせて頂きます。





  
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今も夢見る
Posted by今も夢見る

Comments 5

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まめはな

No Subject

寺山修司、五月に亡くなられましたが、亡くなった日にちまでは知りませんでした。
最初の歌集を出したのが中井英夫だったことも。
本棚にある数冊の本、改めて読み直してみようかな。
読むたびに、これからもきっと、知らなかった修司に逢えることでしょう。
KUОNさま、この記事を書いてくださって、ありがとうございました。

2020/05/05 (Tue) 09:52

ラピスラズリ

寺山修司の言葉

「その日、私は病院の地下室にころがっている数百人のビルマの疫病患者の死体をみました。でも、死体は数百あっても、死は一つでしかなかった。一つしかない死がくりかえされる。伝染とは、まさに反復の同義語だったのです。」

書かれたのは恐らくかなり前だったのにあまりにも今のコロナ禍を正確に言い当てていることにびっくりしました。
稀有な詩人の並外れた感性は色々なことを感じ見えたいたのでしょう。

今回ネットを見ていの一番にこの衝撃的なな文に出会ったのですが、これまで私が知っていたのは、時には母のない子のように、という歌詞とひとつの短歌です。
まったく同じ気持ちです。

マッチする つかの間海に霧深し
身捨つるほどの 祖国はありや

2020/05/05 (Tue) 10:31
今も夢見る

KUON

No Subject

・まめはな さん

読まれたら楽しいと思います。随所で平気でどれだけでも嘘ついてるのも、ハイハイそうですね~っと流して行けるし。嘘つき、なんてモンじゃない、口から息、で、その時その時の寺山修司、があらわれる、てこと。
でも嘘じゃないの。どう言えばいいか。

カラダは終生弱かったし、現実的に全く性的な人間ではなかった、イメージは巨大であった。

生きている間の最後のあたり、高橋ひとみを、とても大切に思っていた。何もして欲しくなく、何をされたくも無く、ただ、手の上に大切に眺めているみたいな、そんな好き方で、好いていた。彼女がいてくれてよかったなあ、と、なんだか本気で思います。

・ラピスラズリさん

私は、寺山修司の作品のなか、やはり短歌がいちばん好きです。

「胸の上這わしむ蟹のざらざらに目をつむりおり愛に乾けば」
「馬鈴薯を煮つつ息子に語りおよぶ欲望よりもやさしく燃えて」
「厨にて君の指の血吸いやれば小麦は青し風に馳せつつ」

寺山修司の短歌は、知られているように、古語風、今風、ごちゃまぜ。直されていないです。そういうことも、意識の隅っこに引っかけながら、読む。あああ、いいなあ、と、私は、うっとりと読むのです。いいもん。



2020/05/05 (Tue) 22:50

茉莉茉莉

No Subject

本歌取り?と言うんですか?短歌は詳しくないのでよく分からないのですが、他人の短歌を自分流に変えた短歌をいくつか読みました。前の短歌よりいい寺山流になっていました。

新婚生活の寺山氏の家に、嫉妬に狂った母上が火の付いた物を投げ入れた。

凄い母上ですが、芸術家の題材へ、沸き出させるほど提供する、偉大な母上だったとも言えるでしょうね。

2020/05/06 (Wed) 02:03
今も夢見る

KUON

No Subject

寺山修司は母親にとって、神のような唯一無二の存在だったといいます。やっとの思いで大学生にしたのに、腎臓の疾患は、その息子の未来を飾ってくれようとしなかった。

理解者があらわれて、とにかく退院はできて、やれやれと胸をなでおろしたら、結婚すると。母には気に入らぬヨメ。どんな女性だって、修ちゃんの相手になど、できるはずは無かった。悔しいから邪魔してやった、火もなげたし大きな物音を一晩中立ててやった、修ちゃんに言いつけると、その時は優しくなって、一気に天国へのぼれる母親でした。九条映子は女優で、結局離婚した後も、ずっと、元夫の足りない分を、足してやり続けた。女の世話もお金のやりくりも、九条映子は、寺山が死ぬまで。

何につけイビツな形であっても、愛や執着の熱量が、並でないヒトビトが、集まっていたのですね、寺山修司の周りには。

2020/05/15 (Fri) 19:45

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