水無月のおべんきょう
2020年06月25日 公開
続けます。
どんよりとした空です。
以前も書きました、若い頃に観た映画のシーンのこと。忘れられない。とは言っても、ストーリーさえ今や曖昧模糊とした・・アラン・ドロンとモニカ・ビッティの出ていた映画。監督はミケランジェロ・アントニオーニでした。
画面には、もう漬かってどれくらいになるだろう、という感じの木の杭が写っていて。浮いていて。曇天なのです、今日の、今のこのお天気みたいな。で。ドウンガドウンガドウンガ、と鳴り始めて、あれ、何の音かな、ヴゥ~ンガヴンガ、とトランペットが。「太陽はひとりぼっち」というタイトルの映画でした。ドロンの映画はほとんど観ましたが、あの酷薄そうな品のいいとは言い難いコート姿が、凄惨な美貌が、脳裏の隅っこに残っているのですね~、当時は音楽もよかった。
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かりそめ
〈紫陽花の〉
*紫陽花の今年も碧く咲きてをり百余の窓の見下ろす径に
(この「百余の窓」の内側からは、物音もせず。紫陽花は「碧」く咲いている。なにかシーンとした視覚的な一首で。
*湿りをもカメラはしかと捕らへをり紫陽花うたた浮世より離(か)る
*道の辺に白紫陽花の並びをり梅雨の日時計時を刻まず
(白紫陽花。これも、夢のなかの光景のような。後で、実際に見たこととして残りそうな光景。
*紫陽花の写真と歌をためておくスマートフォンは小さき巨人
*紫陽花を好きと言ひたるテロリスト癌患ひて治療中とふ
(重信房子は、自分たちの作るはずだった「歴史」に、取り残されたひと、の気がします。つかまった時、私の記憶ですが、オーライオーライ、どうってこと無いよ、みたいな余裕で両手ピースをしていた。見ていて私は恥ずかしかったです。
(暇つぶしに重信房子のお父さんの手記を読んだことがあります。
彼女に関心はありませんでしたが、紫陽花が好きということは
妙に記憶に残りました)
ギボウシ
<東洋武術の師との再会>
・ご近所の道場閉鎖を奇貨として 仏蘭西の師とリモート稽古
・平然とアラサンの師 Zoom操りて はにかみ語る 武の幽玄を
(※アラサン=アラウンド傘寿)
(ひえ~、かっこええ~、と。アラサンの師が、平然と、武の幽玄を語られる。そこも勿論ですが、「はにかみ」て語られる、ここに魅かれました。はにかみ。憧れまする~。
・水際で往き来重ねし人なれば 虚実明滅 祈るが如く
<巣ごもり歴30年の日常>
・水無月に入りて目覚めしアマリリス 悠々と伸び 優々と咲く
・ベランダの床に寝そべり俯いて咲く赤花を仰ぎ見る初夏
(最後の「初夏」がいです。とっても。
また後で!
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