止まったらもう漕ぎ出せない
2018年09月13日 公開
自転車で、後ろに幼い子を乗せ、体の前面に抱っこひもで赤ちゃんをくくりつけ、紙おむつの大きな袋、食パンやヨーグルトのいっぱい詰まってデコボコしてこぼれそうに上からのぞいている買い物袋を二つ、ハンドルの両側にぶら下げて、必死に漕いでいる若いお母さんを見かけました。猛烈だった台風の過ぎて行った翌日のこと。
私の家から駅までの、バスの通っている大きな道路を、時に揺れながらお母さんは走っていました。私は、乗せてくれる予定の車を、道路わきで長い間、待っていたのでした。電車はすべて停まり、高速道路も、停まっていたのだったか。
交番のお巡りさんが出て来て、三人乗りの自転車を止めようとしました。お母さんはお巡りさんを見て、叫びました。
「止まったらもう、漕ぎ出せないんです!」。
怒鳴ったのでない、悲痛な叫び声でした。そのままお母さんは、青信号を渡って、走って行きました。お巡りさん、呆然と見送っていました。
もしかして、強い風がぴゅうっと吹いたら、バランス崩して転んでしまうかも。三人とも、ケガをしてしまうかも。道路には、折れた樹や枝やベビーカーや、タイヤや片方の靴や、ありとあらゆる物が、散らばったままになっていました。発泡スチロールの箱も丸いアンテナも、折れた傘も。いろんなもの。自転車も転んでいたし。ケガでは、済まないかも。
お母さんには、そんなことわかっている。危ない。危険。わかっています。だけど、家には子どもを置いておけない、預かってくれるところも無い、手を貸してくれる親も近くにはいない。(と考えた).。
今日はなんとかなっても、明日の日はわからない。家の中、ガラスが割れたりしていて、避難所へ移動しなければならないかも。それにしても、オムツと食べ物は、我慢してどうにかなるものではない。
それなら、髪の毛、ぐるぐるまとめて頭の上にのっけて、自転車こいで、要るものを買いに行くしか無いのです。いつもなら頼んでおけば届けてくれる店も、あの日は、そういったサービス、ストップしていました。
夫さんがいたって、頼れない状況だったかもしれない。車があっても使えなかったのかも。
三つくらいの女の子は、お母さんの腰に、しっかりと、伸ばせるだけ伸ばした腕を回していました。赤ちゃんは、きつく胸にくくりつけられて、右を見たり左を見たり、していました。
お母さん頑張れ。その思いだけでした。
お母さん頑張れ、お子たちは、お母さんの気持ち、わかってる。いい子に育ちます、きっと、頑張れ、頑張れ、お母さん。
・・人さまに、ガンバレなんて、めったに言いませんけど、母ちゃん頑張れ~~~。
ああいう時のお母さんは、ぜったい、転ばない。
天皇夫婦は、予定していた「被災地訪問」を、取りやめたそうです。お世話させられてしまう自衛隊の都合が、つかないということだそうです。そうです、自衛隊の方々を、勝手に使うな。感謝して動いてもらうならともかく、皇后は自衛隊キライ。自衛隊機の日の丸を、外させるようなことをして来た。どこへも行くな。
お見舞金をお託しになったとも報じられる。情けなくなりました。台風の時も地震があってもおかまいなしに、鑑賞にお出かけだった、あの人たち。
被災地訪問。お見舞金。もう、だまされません。
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