レモン哀歌
レモン哀歌
そんなにもあなたはレモンを待つてゐた
かなしく白くあかるい死の床で
わたしの手からとつた一つのレモンを
あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ
トパアズいろの香気が立つ
その数滴の天のものなるレモンの汁は
ぱつとあなたの意識を正常にした
あなたの青く澄んだ眼がかすかに笑ふ
わたしの手を握るあなたの力の健康さよ
あなたの咽喉(のど)に嵐はあるが
かういふ命の瀬戸ぎはに
智恵子はもとの智恵子となり
生涯の愛を一瞬にかたむけた
それからひと時
昔山巓(さんてん)でしたやうな深呼吸を一つして
あなたの機関はそれなり止まつた
写真の前に挿した桜の花かげに
すずしく光るレモンを今日も置かう
高校の時の友達。友達って、そんなものでなかった。学寮の、同じ部屋に、何年か過ごした。
二人で初めて大阪の難波へ行って。ナンバ一番を、探し当てて、どきどき、こわごわ入って行って。見たのでした、オックスのステージを。
赤松愛ちゃんは、きゃしゃに見えたけどキーボードの上にどたんと倒れた。ヒデトは、ぐるぐる目が回ったみたいにステージの上をよろよろ、あえぎながら迷走して最後には、正面向いてぶっ倒れた、すぐに、面白いくらいすぐに、即、何人かが現れて、ヒデトを運び去って、私と、そう、ユリちゃんは、顔を見合わせてただうなずいていた。
オックスは「テルミー」を演奏して、失神して、倒れたんです。見ました。ユリちゃんとは、そういうことを分かち合ったともだちでした。
やがてユリちゃんは、仕事中に脳幹を直撃する脳梗塞に見舞われて倒れ。
一瞬にして何もわからないヒトになりました。私は、何度も、見舞いに行きました。誰と、いつ行っても、仰向けになったままのユリちゃんは、反応してくれませんでした。ミナミさんと行った時は、オックスの歌をテープにみちみち詰めて、持って行って、耳元で、鳴らしてみた。
ユリちゃん、聞こえますか。いいでしょ、オックス。ヒデトのあの声が、好きだったよね、夜更けに、小さい音で聴いて、きーって喜んだよね、ユリちゃん、寝てる場合じゃないのよ・・・
息を引き取ったのは、秋の、こんな風に空の高い日でした。
まだ、したいこといっぱいあったよね、ユリちゃん。頑張って生きてたよね、ユリちゃん。
今夜は、あなたを思い出してね。娘さんたちもう、二人とも、結婚したんだよ、しあわせに暮らしてるんだって。ユリちゃのダンナさん、一人で子どもを育てて…頑張ったんだよ、あのお方も。今はひとりで、なんか、じいちゃんバンドの一員だとさ。行かないよ、私は、私は、いま、神戸の近くの海に近い町に暮らしてるの。
神棚も仏壇もそなえていないの。もういいの、そういうのは。ただ、いつでも好きなお香が焚けるように、小さいスペース作ってる。今夜はそこで、お香たいて、ユリちゃんのこと思い出している。うちのオットさんは、こういう時、じゃまにならないヒトなの。いいひとだよ。
何日か、秋らしい、、空気の澄んでいる日が続きました。こんな日は好きだなあと、レモンも買って来た。ユリちゃんは、高村高太郎が好きだと言っていたよね。
いまのひとは、高村高太郎なんて、きっとそんなに、知らない。でも、それでいいよね。
ユリちゃん。