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Top Page › 胸の痛いこと › 「私なら塵がいいな」
2018-09-26 (Wed) 03:04

「私なら塵がいいな」


「世界は美しいと」

     長田 弘
うつくしいものの話をしよう
いつからだろう。
ふと気がつくと、
うつくしいということを、ためらわず
口にすることを誰もしなくなった。
うつくしいものをうつくしいと言おう

そうしてわたしたちの会話は貧しくなった。
うつくしいものをうつくしいと言おう

風の匂いはうつくしいと。
渓谷の石を伝わってゆく流れはうつくしいと。
午後の草に落ちている雲の影はうつくしいと。
遠くの低い山並みの静けさはうつくしいと。
きらめく川辺の光りはうつくしいと。
おおきな樹のある街の通りはうつくしいと。
行き交いの、なにげない挨拶はうつくしいと。
花々があって、奥行きのある路地はうつくしいと。
雨の日の、家々の屋根の色はうつくしいと。

太い枝を空いっぱいにひろげる
晩秋の古寺の、大銀杏はうつくしいと。
冬がくるまえの、曇り日の、
南天の、小さな朱い実はうつくしいと。
コムラサキの、実のむらさきはうつくしいと。
過ぎてゆく季節はうつくしいと。
きれいに老いてゆく人の姿はうつくしいと。

一体、ニュースとよばれる日々の破片が
わたしたちの歴史と言うようなものだろうか

あざやかな毎日こそ、わたしたちの価値だ。
うつくしいものをうつくしいと言おう

幼い猫とあそぶ一刻はうつくしいと
シュロの枝を燃やして、灰にして、撒く。
何ひとつ永遠なんてなく、いつか
すべて塵にかえるのだから、世界はうつくしいと。

・・・夕刊の隅っこに、載っていた。

小国綾子さんが、二年前に、女優の樹木希林さんにインタビューを申し込まれた時。そういったすべての申し込みへの対応をご自身でなさる方、樹木さんへのアプローチとして、小国さんの大好きな詩人、長田弘さんの詩への思いをきっかけにされた、ということで。樹林さんは取材に応じて下さって、彼は(長田さんは)、20代の頃からの劇団仲間なのよ、と、優しい声で語られたという。

取材のきっかけは、当時話題になっていたある新聞の全面広告「死ぬときぐらい好きにさせてよ」がキャッチコピーだった、そのことでだったとか。衝撃的な広告でした。覚えています。

樹木希林さんが、川面に浮かぶオフィーリアに扮していた。オフィーリアは、恋人と信じていた(実は相手である王子も同じであった)そのハムレットに、父を殺された。「尼寺へ行け」と人差し指を突きつけられた・・シェークスピアの「四大悲劇」の一つの話ですから・・などなど、柔らかい心はそれらのことを処理しきれなくて、乱れてしまった。そしてある日、彼女は、野の花に魅かれるままに、川面に浮かぶ身となっていたのでした。胸に花を散らして。仰向いて流されてゆくオフィーリアの視界いっぱいに、青い空。衣装が、長い髪が、だんだん水を吸い込んで、そして、という、場面。

・・ここからは、毎日新聞9月25日の夕刊の記事を、そのままに引用させていただきます。、そのことでだったとか。そのオフィーリアの場面に、

略)こんな文章が添えられていた。

<死を疎むことなく、死を焦ることもなく(略)身じまいをしていきたいと思うのです。人は死ねば宇宙の塵芥(ちりあくた)。せめて美しく輝く塵になりたい>。原案の<輝く星になりたい>が<塵>へと変わったのは彼女のこんな一言がきっかけだった。「私なら塵でいいな」


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樹木希林さんが亡くなって。何か書きたいと思いましたが、うまく書けません。いなくなられたことは、悲しくはありません。毎日隣にいた人ではないし。作品は、この時代、どんな形でも見られます。なんとかロス、だとか、バカみたいなことを口走るくらいなら、むっつりと黙っているのがマシだと私は思う。



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最終更新日 : 2018-09-26

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