しわわせです、
が。七時までにアクアへ来て、ごめんやけどボブ美にごはん食べさせたってくれへん?と、次女からメールが。ボブ美とは仮名です、ヘアスタイルがそれなので、とりあえずの呼び名。次女の娘です。ついでに書けば、娘二人の名前は、本名ではありません。はいわかったわと、三宮へ出ました。皆の夕食状況がさっぱり判らなかったので、一口で食べられるシュークリームや、バーガーショップで大量のチキンナゲットその他、買って、会場のある北野のビルへ着きました。タクシーを降りたとたん、ばあちゃんや、と声がかかり、はいそうです、ばあちゃんですが、と見ると、二人の若い男の子がおりました。一人は孫息子、とりあえずラップ、と呼んでおきましょう、もう一人は、ううう、見たことある、知ってるわ、この・・あ。
「空くんだわね、あああ、懐かしい」
大きな声が出ました。二歳から保育園へ入った孫のラップの、その時から一緒だった坊や。空くん、も、仮名です。
「おばあちゃん、久しぶりです」
北野坂の夜は、暗かった。暗い中に、空くんの、幼児の頃から黒くてきらきらしていた目が光って、私に笑いかけてくれるのでした。
この、よそ様のお子を、私は、家へ来るたび叱り倒していた気がします。大らかというか野放図と言うか自由人と言うか。リビングの卓の上に、汚れた靴下はいた足をでえんと伸ばして漫画見る。一緒に出かけてマックへ入って、飲み物はなにがいいかと尋ねれば、「メロンソーダでええわ」と言う。「~でええわ、じゃない、メロンソーダお願いしますと言いなさい」となどと、キリがないくらい、叱っていました。トイレがあるのに、庭の、植えたばかりの三色すみれの苗の上におしっこするのに、お尻張り倒したこともあった。ラップのばあちゃんコワいな、鬼くそババアだな、と言っていたと聞いて、それなら来るな、と言い渡した・・とか書いていると、肝心のショーのことが書けませんね、先を急ぎます。
中学に入った頃からほとんど会っていなかった空くん、今夜はついて来てくれたようです。二人に、ナゲットの袋を渡しました。
飛ばして書きますと、ボブ美と私は、看板の明かりが見えた弁当屋の弁当を、二つ買ってきて、ビルの近くの朽ちたベンチに座って食べました。お日柄よろしい日だったのか、駅にも沢山おられたし、北野坂の歩道を、結婚式帰りのお洒落な人々が、大量に、行き交っておられました。野外でお弁当をいただいている私と孫娘は、もくもくと、暖かいので美味しいカキフライ弁当と、鮭唐揚げ弁当を、完食しました。うつむいていると恥ずかしいので、顔をあげて食べたわ、と、ボブ美が、よく揃った歯を見せて笑いました。よっしゃ、と私も笑いました。
会場へ入って、ショーの始まりを待ちました。少年二人は離れたところにいて、私はボブ美と座りました。この子は、今は行けるようになりましたが、学校へ行くのがコワくてトモダチと呼ばれるお子たちが辛くて、体の内側がずうっと震え続けている時期を過ごしていた子。この夏はしょっちゅう我が家へ来て、話もできるようになって・・
ショーは素晴らしかったです。まだ始めて一年らしいですが、男性もいる、しかもそれは、オーストラリア人で。男でもしてもいいですか、と来て、どっぽんとはまって、大阪からレッスンに通って来る、ポール磨きも進んで行い、ベンちゃん、と呼ばれれば「ハイ」と、いい子にお返事して。着流しで現れ、吉田兄弟の太棹の調べに合わせて、いっしょけんめい、踊っていました。挨拶を、と言われて「英語でいいですか」と尋ねて「ダメです」と却下され、たどたどしい日本語を駆使して、いま、しわわせです、と、熱い思いを語っておりました。
今回の基本メンバーは七人でした。最年長は、アラ70。65歳でポールダンスを始めた方。こういう言い方はナニですが、この方以外にもバリバリのキャリア女性が多く、名刺もらったら多分ものすごくびっくり、でしょう。でも、名刺不要のダンスの世界です。この度はでておられない生徒さんの中には、70代の方も。ハイヒールでステップ踏めるし。とてもお洒落だし。若い方ももちろんおられます。ジェンヌだった方も(笑)。聞いている話で、わたしは詳しくは知りません。
からだのラインも丸ポチャさん、その逆方向さん、さまざまです。フツーにダンサースタイルのボディ、といえば、私の娘くらいでしょうか。何十年も朝晩のストレッチを欠かしていないカラダです。これで初めてダンスらしいことをした、と仰る方々、それはそれ。他のことを経て、誰もどなたも、今日に至っている。
その女性たちが、本当に楽しそうに。本当に本当に嬉しそうに、ポールをくるりんと回ったり、白いタイツに包まれた脚を、けんめいに真っ直ぐに伸ばして、ポーズきめたり。解放された笑顔で。
主催者である次女あゆみも、挨拶で語っておりました。
皆さん、いろんな生き方をして来られて、悲しいこと大変なこといっぱいあって、その中で、と。
ゲストとして参加した長女の恵も語っていました。としだからとかお肉が膨大にあってとか関係ない、いつもと違う自分になって、そんな自分を楽しんでそして、いつもの自分をまた頑張ればいいんだ、と。
Whitney Houston の I Will Always Love You も、よかったなあ・・。
ダブル、とかいうらしいですが。一本のポールに二人でとりついて、のぼったり回ったりするのは、難しいようです。力技をすればいいのでなく、歌の情趣を生かして、日本人のポールを。
「冷静と情熱の間」。恵が黒、あゆみは白の衣装で踊りました。
セクシーなアクロバット、なだけでない、恵が十年以上も前から目指すポールダンス、を感じました。など書いても独りよがりですね、すみません。
皆で必死で練習した、という七人でのダンス、プレスリーの「監獄ロック」圧巻でした。可愛いワンピース着て、髪はポニーテールとかカチューシャつけて、とか。
強い。可愛い。愛おしい。一人一人の「自分」を背負って、ステージの上ではじけている皆さんが。
七人ひとりひとりが、ポールに飛びついたり回ったりしながら、ぶつからなかったし、大成功でした。
客席の皆をステージにぎゅうぎゅうに集めて、みんなで踊ったり。皆さん喜んでおられました。私も踊りました、掛けたまま上半身と腕とで。
孫息子のラップの、ラップ。内気だった子。ゆっくりだった子。感情を表現するのがうまくなくて、中学生くらいまでは、実は内心、案じることもあった、ラップ。幼いころ、ばあちゃんの希望で、空手に通っていた。オレンジ色の帯はもらった。でも、空手でも人を叩くのはイヤなんだ、と言われて、止めてもいいよ、と私は言いました。
野球は、地域の野球好きのたくさんの「おとうさん」たちに可愛がってもらい、お世話になり、小学校から中学生、高校へ入っても続けていた。ちっとも打てなくても、早いボールが投げられなくても、試合に出してもらえなくても、クサらずに一心に、頑張っていた・・でも、わからなくなってしまったと、折れた。ラップの父親は、自分に関心の無いことは、子どものことでも素通りするタイプで。
ラップは自分が見つけて夢中になって行っていることです。
自分で言葉を紡いで行くのがラップ。ものもうまく言えなかった子が、曲を選んで三曲、自分で言葉を、作って選んで、うたいました。
「まだ少ししか生きていない、 おれ、こうして大人の中で 今日、ここで、ここで、うたわせてもらえて、当たり前じゃない、わかってるわかってる」
そんな歌詞がありました。
先なんかわかりません。ばあちゃんは満足しました。いま現在の孫息子ラップに。付き添いありがとうな、と、幼馴染の空くんに言っていました。バカになって一回だけ書きますが、190センチ近くまで伸びて、色の白い眉くっきりの、とてもハンサムな男の子です。穴のあいたジーパンや汚いシャツはきらいです。汚ければラップがうまくなるとは思わないそうで、あ、ここ、すっごく自慢しています、恥ずかしい気もしますが、やっぱり自慢しておきます。身内話は当分しないつもり・・。大人ばっかり、女の人の圧倒的に多い場所で、与えられたチャンス、照れず臆せず自分のペースでいたのが、自慢したいくらい、嬉しかったです。
一人で生きて行ける男に、なる。なると思います。なって欲しいものです。
妹のボブ美も喜んでいました。ボブ美は、絵を描くことが好きなのです。思うように描いて行けばいいと思います。
神戸ですから、ゲストにサンバのチームも来て下さり、大阪の踊りもアッコ大先生が踊って下さり、熱気あふれる素敵な一夜でした。
読んで下さり、ありがとうございました。他にもダンスあった・・いそしぎ、とか。触れられなくて心残りです、私は私の場で頑張ろう、と思いました。
スペシャル・ゲストの柚月恵が、ショーのラストに踊ったのは「ペイン」という曲。傷、とか、痛み、とか。そんな。