興福寺落慶法要
2018年10月10日 公開
https://youtube/Zo7xQxOaOOA
↑ の一行だけ無言で貼り付けての、無茶な、この日のブログでごめんなさいでした。それなのに見て下さった方も沢山のようで。
お礼申し上げます。
10日に奈良へ行きました。ずっとずっと工事中だった、奈良公園内の興福寺(奈良公園が興福寺の寺領、がタダしい)の落慶法要が、10日、執り行われたのです。胸が熱くなりました。
空の青い美しい秋の日で、ああ、よかったと、そんな気持ちがぐいぐいと湧き上がってきたのでした。奈良の街を歩いているのは、おそらく半分以上は外国の方々、何だこれ? みたいに行く過ぎる方に、あのですね、これはね、と、大きな声で説明したくなって堪らなかった、奈良へ来れば奈良人と化すKUONでした。(12日朝・記)。
追記です。
300年ぶりに再建された奈良・興福寺の中金堂で10日、比叡山延暦寺の僧侶らが完成を祝う落慶法要を営みました。
奈良時代の創建以来、焼失と再建を繰り返した興福寺の中金堂は、300年前の江戸時代の火災を最後に失われたままでしたが、およそ20年がかりで再建され、今月7日から各地の寺の僧侶によって落慶法要が営まれています。
10日は、およそ2000人が参列する荘厳な雰囲気の中、大津市にある比叡山延暦寺の僧侶らが法要を営みました。
はじめに、天台宗の最高位の僧侶で92歳の森川宏映天台座主がこしに乗って現れ、延暦寺の僧侶20人余りがお経に独特の節回しをつけた「声明」を唱えました。
このあと、森川座主が世界の平和などを願う「表白」を読み上げ、中金堂の落慶を祝いました。
興福寺と延暦寺は、平安時代以降、教義をめぐって対立した時代もありましたが、今回、興福寺の招きで法要が実現しました。
興福寺に残る記録では、天台座主が興福寺で法要を営むのはおよそ600年ぶりだということです。
↑ の一行だけ無言で貼り付けての、無茶な、この日のブログでごめんなさいでした。それなのに見て下さった方も沢山のようで。
お礼申し上げます。
10日に奈良へ行きました。ずっとずっと工事中だった、奈良公園内の興福寺(奈良公園が興福寺の寺領、がタダしい)の落慶法要が、10日、執り行われたのです。胸が熱くなりました。
空の青い美しい秋の日で、ああ、よかったと、そんな気持ちがぐいぐいと湧き上がってきたのでした。奈良の街を歩いているのは、おそらく半分以上は外国の方々、何だこれ? みたいに行く過ぎる方に、あのですね、これはね、と、大きな声で説明したくなって堪らなかった、奈良へ来れば奈良人と化すKUONでした。(12日朝・記)。
追記です。
300年ぶりに再建された奈良・興福寺の中金堂で10日、比叡山延暦寺の僧侶らが完成を祝う落慶法要を営みました。
奈良時代の創建以来、焼失と再建を繰り返した興福寺の中金堂は、300年前の江戸時代の火災を最後に失われたままでしたが、およそ20年がかりで再建され、今月7日から各地の寺の僧侶によって落慶法要が営まれています。
10日は、およそ2000人が参列する荘厳な雰囲気の中、大津市にある比叡山延暦寺の僧侶らが法要を営みました。
はじめに、天台宗の最高位の僧侶で92歳の森川宏映天台座主がこしに乗って現れ、延暦寺の僧侶20人余りがお経に独特の節回しをつけた「声明」を唱えました。
このあと、森川座主が世界の平和などを願う「表白」を読み上げ、中金堂の落慶を祝いました。
興福寺と延暦寺は、平安時代以降、教義をめぐって対立した時代もありましたが、今回、興福寺の招きで法要が実現しました。
興福寺に残る記録では、天台座主が興福寺で法要を営むのはおよそ600年ぶりだということです。
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