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返事の中までKUONです。

Top Page › 皇室のことなど › 迷いましたが。
2018-11-03 (Sat) 22:38

迷いましたが。



正確でないことは宮内庁が注意して消させるのだから、と、しつこく書いてくるお人がおられる。あんたも黙れ、ということなのか。めんどくさいけど、過去にもあげた記事を、再び引用。残っていました。

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ある噂について
噂の真相 二〇〇四年 三月号
                      ●レポーター 上原善広

そして、最後に触れておきたいのは、ある部落出身者が皇族に嫁いでいるという 事実だ。皇族と部落が重なっている、まさに日本最大のタブーなので、報道されたことは一度もない。ある関係者からその確証を得て今回、わたしは実地にその部落 を見に行ってきた。 何県かということもここでは控えたい。そこは、今は廃れてしまったが、元は有名な城下町。その人の住んでいた場所の裏にひっそりと、忘れ去られたように白山神社が建っている。その周囲はボロボロのバラック様の建物ばかりで、N ・Aの出身地よ りも田舎だけに、そのみすぼらしさはよく目立つ。もちろん未指定地区になっている。ここの出身者が皇族に嫁いだということで、地区指定を見送られたのだ。そのため、行政による環境改善はほとんど入っていない。かつてMと呼ばれたこの地区は、その昔は湿地帯で住みにくいところだったと、明治以前の記録に残されている。この地域の城跡はここから数キロは離れたところにあるのだが、実際に城があった頃は、この部落の近くまで勢力があった。城の追手門跡は、実にこの部落の至近に設置されている。長吏や牢番を代々担当してきたのは部落民だったため、昔の城の近くには被差別部落が置かれることが多かったのだ。つまり、問題は、皇族ですら、部落民を身内として受け入れているという事実があるということだ。だからこの点に関しては、意外に皇族の方が進歩的といえるのかもしれない。この結婚に関しては、当の皇族本人が強く希望したため、宮内庁をはじめとする周囲も押し切られたとされている。まさに快挙といえる話ではないか。


実話ナックルズ 2004年7月号
J D T      群馬県T部落   文・上原善広

同 和 地 区 指 定 さ れ て い な い 理 由 あ り の T 部 落

群馬県T駅に降り立ったのは午後3時くらいだろうか。私は駅を出ると横を通り 駅舎の裏側に出た。 部落は必ずしも一律全てが悪条件な場所にあるのではない、ということを以前 に書いたが、ここはそれとは正反対。いわゆる今までの偏見どおりの、条件が悪 悪い部落に入るか。 以前の地名は「××町」といい、道端の案内板によると、 昔は湿地帯の中を曲がりくねった道が続いていたので、それで××とつけられたと、道端の案内板は解説している。 ここは非常に説明しにくい部落だが、非常に貴重な部落でもある。なぜなら、ここから女性が一人、皇族に嫁いでいるからである。そもそもこの土地につ いては、ある研究者の方に紹介していただいて知ったのだが、最初は私も半信 半疑であった。しかし今回実地に歩いててみて、それを確信するに至った。

まず、日本有数の企業N社がここから誕生しているのだが、女性はその社長 の娘だった。地元では「粉屋の娘」と呼ばれていたという。何代にもわたって 記録的な成長を続けてきたこのN社だが、それはやはり「差別からの脱却」が まず根本に、怨念のようにあったからであろうと思う。江戸期から商いに奮闘 してきたその歴史は、彼の地にあるN記念館でも辿ることができる。老舗の醤油 屋も現在彼の地にあるが、その醤油屋から分家してできたのがN社である。「こ な屋」と「醤油屋」はいずれも女性の一族の経営で、 故に彼の地ではうどんが 名物となっているが、これは不味いのであまり有名でない。醤油もそう良質な 醤油でなかったと聞いている。

駅の裏にはそれらの工場群が散在する。日本を代表する大企業であるから、本社はずいぶん前に東京に移してあるが、工場は小規模ながらまだこの発祥の残っている。いずれも古い施設だ。その工場の一つをぐるりと回ると、その裏にひっそりと、これもまた古ぼけた白山神社が祭られている。白山神社の周囲には廃屋と呼んでもよさそうな、朽ちかけた家々が並ぶ。ここは女性が皇族へ嫁いだため、行政から同和地区指定されなかった。指定を受けると部落とわかってしまうからである。家々の横を泥川が流れる。

「貴 あ れ ば 賎 あ り」か ら 真 に 貴 も 賎 も な い 時 代へ・・・

私はこのような事実をことさらスキャンダラスに書いて、読者や部落民の劣 情に訴えたいのではない。休刊した「噂の真相」三月号でも書いたが、この事 実を考えると、私たち「平民」よりも皇族の方が先進的ではないかと思うのだ。 なぜなら皇族は過去の身分上、最高位にいる。その彼らが過去の身分上最底辺 の部落民と結婚するなどということは、身分社会の崩壊を意味しているからだ。 ただ「平民」と「部落民」の結婚差別どころの騒ぎじゃない。無論、皇族や宮 内庁内には数々の激しい抵抗があったと予想できるが、私たちにそのことをうかがい知ることはできない。 私はこの事実を知ったとき「さすがは象徴天皇である」と、心の中で喝采し た。私たちも税金を払っている身である。しかし、この事実は、公表されて初 めて意味を成すことである。公表すればそのまま、差別に対して皇族の先進性 がアピールできるではないか。これをもって「部落解放」を宣言しても良いく らいの、画期的な「事件」なのだから。

しかし、それはされなかった。そうした事実がまことしやかに広まることもほとんどなかった。一部の研究者や関係者だけの心に留め置かれたのである、 なぜか。 女性が結婚したその当時は、残念ながら差別はまだまだ悲惨なものだったからである。 しかし、これは快挙事であることは間違いない。現天皇が自らの祖先につい て朝鮮半島を持ち出して一騒動になったことはまだ記憶に新しいが、今思えば 彼らしい自由な発言であるといえる。そして今回の皇太子による「雅子のキャ リアや人格を否定する動きがあった」という発言は、この父にしてこの子あり 、真に勇気ある堂々とした発言だ。周囲の関係者や宮内庁職員の方が、天皇家よりも閉鎖的で前近代的なのだろう。正に皇室の新時代の幕開けと見て良い。

私は今まで松本冶一郎の「貴あれば賎あり」を信じてきたが、これからはそんな古臭い言葉なんか放棄したい。真に、貴も賎もないのだとしたい。 こうした事実を、この稿で堂々と具体的に公表できたらいいのに。そして地 名も堂々と公表することができたとき、部落解放は成されたと見ても良いと私 は思う。 彼の地を歩いたその夜、たいしてうまくない田舎町の飯と酒と女だったが、 それはたいそう私のはらわたに沁みた。彼らの「歴史的な結婚」の四十年に乾杯 しようではないか。

                                              ここまでです

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少し他のことも。

先日、守谷慧氏と高円宮家の絢子さんの結婚披露の晩さん会の動画に、新婦のお母さまの高円宮妃・久子さんの留袖姿をお見かけしました。傍らに、後姿の、おそらく久子さんのお母さま、次に長女の承子さんが、やはり和服で。その隣におられたのは、これも和服姿の、出雲へ降嫁された典子さん。末っ子さんの晴れの日を、お祝いされていたのですね。

その、久子さんの向こう側の隣の、腕がぜんぶ見えるデザインのドレスの女性・・髪は肩につく長さのままのスタイルで。その方と、夫君らしい隣の方に、見覚えがあるなあ、と、思っていて。思い出しました。

出雲の、千家家の、ご当主とその夫人。典子さんのダンナさんの麿さんの、ご両親が、お揃いで卓についておられたのでした。

麿さんはおられず、そのあたりだけ、当日はぎゅうぎゅう詰めだったテーブルの間が、開いていた、気がします。今年旅した出雲で、タクシーの運転手さんが、大社の長男さん(まろさん)は、ウツ病だと言うておられた。そうだったのか・・。義妹の結婚披露宴にも、だから、出られないのか・・・気まずかったでしょうね、あの卓の皆さん。

親戚付き合いって、ホント、大変。


その、長女さんの過去のブログの内容の一部も、ここに、引かせておいてもらいます。

このお嬢さん、日本ユニセフ協会にお勤めで(どんなつとめ方かは存じません、本物のユニセフとは全く無関係の団体です、A・チャンとか、小和田優美子とかがカンケーする)、かつ、皇族の一人、未婚の皇族女性として、またげすなこと書きます、年間、ろっぴゃくまんえん、かちょっと違うか・・・とにかくそれくらいのお金を、税金から支給されておいでです。

ロンドンに留学しておられた若き日々の、はっちゃけた日々の、ブログの一部です。出て来たので貼ります。


>ミクシィ日記にこんな内容で書かれていました。

「昨日はねー、アジアン(ってか日本人と中国人)でめっちゃ騒いだ。王様ゲームやったけどエロ系一切なし(カップルがいた為。)でつまんなかった」(05年10月24日の日記)

「彼氏→三角関係(むしろ四角関係)のすえ泥沼化して終わった。ビバ波乱万丈(嘘)」(ケータイ版プロフィール)

「【好きな男性のタイプ】こっち来てから外人の魅力にハマりました笑。だって全てが超自然なんだもん。」

「【ここだけの話】 年下(男ね。)に飽きてきました・・・」(PC版)

「【最近ひそかに興味があること】国籍によってキスやHの仕方が違うのかどうか・・・検証中です笑。いや、ってかマジで違うから。」

「バカみたい。ちょー後悔。病気うつされてたらどぉしよう・・・。マジで神様に祈るしかないです。日本が恋しい。日本に帰りたい。。。」

「髪に赤メッシュ入れたんだぁ。さりげないからけっこうお気に入り。だめだ、(略)」

                                               ここまでです。

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ま、正直な、素直なお方なんでしょうね。

宮内庁も認めざるを得なかった(らしい)コレが残っていて、だからというか皇族の相手にふさわしいタイプの方には目が行かないタイプなのか、お姉ちゃんだけど実家暮らしのままでおられる。こう言うと、婚ハラになったりする?。

戦争に負けて、天皇は「人間宣言」をされて。

現・皇室メンバーは、つまり、こういうことか? ↓ 。

「にんげんだもの」by:相田みつを。・・私この、カレンダー量産の方、苦手なんだけど・・・。つい。


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最終更新日 : 2018-11-03

見ました、激しく同意いたします * by ゴネコ
こんにちは。

今日は、臨時の仕事で神奈川の田舎にある短大に行って来まして。
そこはミテコとアホヒトがご訪問されたとかで、仰々しく写真なぞ飾ってありましたよ。キリスト者の学校なんですと。

お仕事が終わって、がっくりきて、駅近の餃子の王将で、携帯片手にギョーザを食べながら、見ました、remmikkiさまのブログ、そしてKUONさまのコメント。

もうね、
まあ、
開いた口がふさがりません。

No title * by わすれんぼ
この話、かなり前にネットで読みましたが、
どの位の人が知っていることなのでしょうか?
究極の貴賤婚、日本の身分制度のぶち壊しを皇太子自身が望み、
身を以て実践したと、著者は感慨に浸っている?ようですが、
当時の皇太子の写真を見ると、そんな感じは全くしませんね。
当時の明仁親王はかなり評判が悪く、これが次代かと嘆く声も聞かれて、
婚約者や新妻の色香にメロメロという感じを隠そうともせずに、
また、ある種の傲慢さも漂い、それが多くの写真に残るような情けない体たらくでした。

憲法には天皇の地位は国民の総意に基づくと言う文言があるのですが、
この貴賤婚は徹底的に隠されて、その後60年近く経ち、
皇太子妃は皇后になって女帝と呼ばれるような権勢をふるい、
その間には、母方が江頭(エタ頭)という姓を持つ女性を子息(皇太子)の嫁に迎え、
来年には史上存在しなかった上皇后とやらになるわけで、
“新皇室”は万々歳なのでございましょう。

No title * by KUON
・ゴネコさん

激しく同意、ありがとうございます。

紀子さまの、大絶賛されていた父方の祖母さま。私あの「候文」の手紙、ずっと違和感があるのですが・・今日も眺めておりましたのよ、孫娘の婚約に「御祝詞」「御祝詞」申し上げ奉り候って。神官さんでなく、あのお祖母さま、熱心なクリスチャンでいらしたのですが・・。

また引っ張って来るかもです。

・わすれんぼ さん

消されずに残っているのは、どんな事情なのか、あの書き方の故にもよると、私は考えております。有名なライターさんのようです。あの方にとっては、本当なのだろうとも思うし、激烈な皮肉だよね、とも。いつも引用に戸惑うのは、私の中の分け隔てのこころなのかも知れません。でも実際、迷いますし。いいのか?って、思ってしまいますもの。そうなんだもの。

明・皇太子さんは、そんな深淵の思いでなく、ただただヤらしい目で、いつもじとっと見ていましたね、お声に関してなど、ナマな話もいっぱいあって、きしょくわるいのですよ私は。

白日の下では、アホも何もぜ~んぶ、晒されてしまいますのよねえ。賢かったら皇族などやってられない、との説も納得です。

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見ました、激しく同意いたします

こんにちは。

今日は、臨時の仕事で神奈川の田舎にある短大に行って来まして。
そこはミテコとアホヒトがご訪問されたとかで、仰々しく写真なぞ飾ってありましたよ。キリスト者の学校なんですと。

お仕事が終わって、がっくりきて、駅近の餃子の王将で、携帯片手にギョーザを食べながら、見ました、remmikkiさまのブログ、そしてKUONさまのコメント。

もうね、
まあ、
開いた口がふさがりません。
2018-11-05-17:11 * ゴネコ [ 返信 * 編集 ]

No title

この話、かなり前にネットで読みましたが、
どの位の人が知っていることなのでしょうか?
究極の貴賤婚、日本の身分制度のぶち壊しを皇太子自身が望み、
身を以て実践したと、著者は感慨に浸っている?ようですが、
当時の皇太子の写真を見ると、そんな感じは全くしませんね。
当時の明仁親王はかなり評判が悪く、これが次代かと嘆く声も聞かれて、
婚約者や新妻の色香にメロメロという感じを隠そうともせずに、
また、ある種の傲慢さも漂い、それが多くの写真に残るような情けない体たらくでした。

憲法には天皇の地位は国民の総意に基づくと言う文言があるのですが、
この貴賤婚は徹底的に隠されて、その後60年近く経ち、
皇太子妃は皇后になって女帝と呼ばれるような権勢をふるい、
その間には、母方が江頭(エタ頭)という姓を持つ女性を子息(皇太子)の嫁に迎え、
来年には史上存在しなかった上皇后とやらになるわけで、
“新皇室”は万々歳なのでございましょう。
2018-11-05-21:52 * わすれんぼ [ 返信 * 編集 ]

今も夢見る No title

・ゴネコさん

激しく同意、ありがとうございます。

紀子さまの、大絶賛されていた父方の祖母さま。私あの「候文」の手紙、ずっと違和感があるのですが・・今日も眺めておりましたのよ、孫娘の婚約に「御祝詞」「御祝詞」申し上げ奉り候って。神官さんでなく、あのお祖母さま、熱心なクリスチャンでいらしたのですが・・。

また引っ張って来るかもです。

・わすれんぼ さん

消されずに残っているのは、どんな事情なのか、あの書き方の故にもよると、私は考えております。有名なライターさんのようです。あの方にとっては、本当なのだろうとも思うし、激烈な皮肉だよね、とも。いつも引用に戸惑うのは、私の中の分け隔てのこころなのかも知れません。でも実際、迷いますし。いいのか?って、思ってしまいますもの。そうなんだもの。

明・皇太子さんは、そんな深淵の思いでなく、ただただヤらしい目で、いつもじとっと見ていましたね、お声に関してなど、ナマな話もいっぱいあって、きしょくわるいのですよ私は。

白日の下では、アホも何もぜ~んぶ、晒されてしまいますのよねえ。賢かったら皇族などやってられない、との説も納得です。
2018-11-05-22:30 * KUON [ 返信 * 編集 ]