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返事の中までKUONです。

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2018-11-09 (Fri) 22:49

ポールの夜

ポール・マッカートニー・76歳、37曲、唄いきりました。

まだアタマの中というか、気持ちの中を、整理していなくて、ただ、よかったなあ、凄かったなあ、ポール。そのままの感じです。

基本、どこへ行くにも何をするにも、カメラも持たず事前の調べなどもほとんどせず、エラそーに言えば、そこへ行って、見て聴いて、何か感じるままにする。今回もそうでした。

離れてはいるが正面から見える席。でもポールは、遠くて、とても小さかった。でも、現れた、とわかったら、胸がドキドキして、涙が出ました。

ずううっと追っていたのではない。初めて聴いて、脳内に雷を受け止めて、ラジオだけを頼りに一途にビートルズの歌を聴きたかった中学生だった自分はホントだった、毎晩、ビートルズを聴いた。歌詞を何度も書き写して英語を覚えて行った、「スクリーン」という映画雑誌を買うようになって、あの髪型や裾丈の短い栗色のスーツや、さまざまな話題に触れた、ポールは、まつ毛のくるりとカールした可愛い顔立ちで。

映画ができれば映画館へ行った。ナイショでヒミツで、罪を犯しているように、行った。

高校で寮生活になって、ひたすら「ジョン」の子がいて、ジョージにあらずんばヒトにあらず、の子がいて、私は自分を「星倫子」と名乗ることにし、つまり、リンゴのファンであることを公言した。実はポールの声が好きで、ほぼすべての曲を彼が書いているって、とんでもない才能だと畏怖し、しかしそれより、眉毛がいいなあと・・。みな、ビートルズが好きでした。そして私は、ジュリーの方を見るようになりました。朝はGSが一組だけ出る番組を見て学寮を走り出、夜の自由時間はラジオでビートルズを聴いた。私は小説家になって、自分で自分を養ってやることを決めていました。

一人暮らしの時期は、ビートルズも聴いたが、J・ジョプリンやクリームやグランドファンクや岡林信康も聴いた。浅川マキのコンサートによく出かけて行った。

ジュリーの世界へ戻った。

幼い子らを育てていたある日、ジョン・レノンの死が訪れた。



隣の席のオニイサンが(見知らぬお人が)、めがねをずらして懸命に舞台の上のポールを見ようとしている私に、オペラグラスを貸してくれようとした。ありがとうと私は借りた。関りができて、話をしなきゃならなくなるとイヤだな、と、勝手な思いを浮かべながら、借りて、見た。ポールは、髪の色も長さも服装も、何もかもが自然で普通で、ギターを抱いてまっすぐに、立っていた。

グラスを返して私は、もう一度ありがとうを言い、オニイサンは、いいえと笑って、以後ずっと、舞台の上を見つめていた。

ハード・デイズ・ナイトから始まり、次々に休みなく舞台は進行して行った、ポールは、エレキギターをガンガン鳴らし、ピアノをバンバン弾いた。左利きの彼はアコースティックギターを抒情的に操り、ジョージが好きだったのだと言って、ウクレレを弾いた。ウクレレで「サムシング」を鳴らし始め、途中でギターに変わっていた。あれ、と思ったが、もうわたし、前だけを見ていた。

ホーン・セッションというらしい、トランペットが何台も並んで、ぶわんぶゎん吹いた。ポールは、歌い、楽器をとっかえひっかえで鳴らし、日本語を操りだして、パワフルだった。とてもパワフル。

ありがとう、最高だ、愛してる、大好き、いっしょけんめい日本語の言葉を出していた。新曲の紹介をするとて、

「ツギハ シンキョクダガヤ」名古屋弁をあやつって見せた、皆は笑ったが、私はまた涙が出た。演出だろうが何だろうが。

始めのうちはよく出ていた声が、時のたつにつれ、変化して行っていた。声のかすれるポールも、今のポールだと思った。

聴衆のなかには、若い人も沢山だっただろうが、私の周囲のほとんどは、十代の頃にビートルズを知って、以後ずっと、の方も、長く遠ざかっていて、この機会に、かつて見ることもできなかった夢、のような感じで、チケットを手にしました、みたいな方が多かった。中年というより、もっと先。少しきょろきょろしてみたら、そういった方々、かつての少女、少年たちが、アタマ振ったり手を叩いたり、もうまっすぐに正面見つめて口を動かしていたり・・で、「ヘイ・ジュード」、ダーダーダーダダダッダー、ダダダッダー。ヘイジュー、と、声を出して、歌ったのだ。私と隣のオニイサンも、歌った。オニイサンは初めは躊躇していたようだが、どんどん声が大きくなっていった。

聴衆は多くても、大人しくて。おとなしくても、万感の思いで黙って座っていた人が多かろう。

私のことを言えば、お古のトランジスタ・ラジオで、それを耳にくっつけるように聴いていた十代の日、まさか、ビートルズのコンサートに行く日が来る、とは、考えようも無かった。

ビートルズなんか聴くのは不良。奈良の小さな町で、養父の、だだっ広くて、広いのに自分の居場所は無い気のしきりにしていた家で、暮らしていて、「ビートルズなんか好きなのは不良」、そんな決めつけを、内心めらめらと、表向きは知らん顔して受け入れて。

自由って何だろう、何の事なんだろう。そんな風に思いを馳せるように、なり始めた自分、は、まさか、五十数年の歳月の後に、そのメンバーの一人のコンサートに、行くことになるなんて。

夢にもみられないでいたのだったし。

脈絡なく書いてしまいました。

ポールは、誠実なひとだと思いました。見当違いな感想かも知れませんが・・76歳のポールは、凄くて、さすがで、あれだけのバックを率いてバックはポールの身に添った演奏をしていて・・ドラムスの、おハゲでおデブで豪快で繊細なおヒトがすてきだった・・聴衆のこころをぐわっと・・いや、言葉が上滑りします、やめます。

ポール・マッカートニーはとても誠実な人で、とても誠実なミュージシャンでした。

何度も「アリガトウ」と言っていました。

ありがとう、と、私も何度も言いました、遠くの、二時間半、休まず舞台に立ち続けた(と見えた)小さな人に向かって。

なんとか生き延びて来て私は、こんなコンサートに来られて、幸せです、ありがとう。日本に来てくれて、精いっぱいの舞台を見せてくれて、ありがとう。長女の夫さんが、チケットプレゼントしてくれたのです。そのことも、最後に書かせておいていただきます。




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最終更新日 : 2018-11-10

何だか * by ゴネコ
私は、ビートルズ世代の人間ではないのですが、
KUON様のブログをむさぼるように読んで、
なぜだか泣いてしまいました。

はじめまして * by ほうこ
いつも心に深く染み入る文章に
魅了されています。

九州住みの私の取っている新聞の広告。
見開きでドーーンとポールのコンサートのそれをを見た時に、私の青春の遠い記憶がチクッとしました。
kuonさんと同じ様なそんな時代を送ってきたビートルズファンで。
彼等に影響を受けた財津和夫さん率いるチューリップもその後よく聴いていました。

豊かな黒髪のセーラー服の昔の私。
kuonさんの今回の記事でそんな事を思い出しました。
いつもありがとうございます。

チケットがプレゼントって素敵な事ですね♪

そうだった! * by やさい
KUONさん

私はKUONさんよりも、ちょっとだけ後から生まれたから、初来日の映像をTVニュースで見たのが小学生の頃。
中学生になって、自分のお小遣いで買ったのが「ヘイジュード」
そして、中古レコード屋さんで数々のビートルズに出会ってから、熱狂的ではないけれど、ずっと好きだったこと、思い出しました。
そうだった、私も夢中で聴いていたんだってことを、思い出しました。

あの頃に、戻りたいかも。

ありがとうね、KUONさん。

No title * by KUON
・ゴネコさん

まだ私の中で「あの日々の私のビートルズ」懐旧が収まっていません。中学生から、二十歳頃の、ほぼ解散状態になった時期。濃かった。

私の気持ちをつかまえて下さってありがとう、と、なぜだか泣けて来ました。いっぱい思いはあるのです。いっぱいある。いろんなことがまだ、瑞々しいのに驚いています。

No title * by KUON
・ほうこ さん

はじめまして。いつも読んで下さっているのですね、お礼を申し上げます。

>私の青春の遠い記憶がチクッとしました。

記憶って、確かにちくっとしますよね。豊かな黒髪の、セーラー服姿の、かつての「わたし」。おそらく根っこのところは変わっていない、鮮やかにチクリと痛む気持ちはそのまま、でも、昔のわたし、ではない。

コンサートに来ておられた周囲の方々。みんなみんな、そんな思いを抱いておられたのではないかしら。

ポールだって。見かけはすっかり変わっていました。ビートルズの中では一番、茶目っ気のある、表情の豊かなメンバーだった。なんともいえない魅力があった、いまは、正直、汚れないまま年取ったおばさん、みたい。あ、石投げないで下さいね(笑)。私が夢中になったザビートルズの、ジョンとポールの唯一無二のあの掛け合い、四人の、奇跡のようなコーラスはもう、かえらない。分かっている。

いろんなこと思った一夜でした。わたし頑張りたい、頑張ろうと思いました。

これからも読んで下さいね、よろしく。


・やさいさん

う~ん。よかったよお。

66年、武道館へ来てくれた時、私は高校生になっていました。早く帰れなくてイライラして、アタマpoppoになっていて、あの夜は土砂降りの雨だった、ジョン命のやすえちゃんと、無言で目と目を交わし合い、土砂降りの雨の中へ自転車をこぎ出した,寮へ帰って必死で着替えて、前座の早く終わるようにジリジリと待った・・あの夜、やさいさんは、小学生だった、とな。う~む。(笑)。

ずいぶん前、こんな風に、タイガースの話をしましたね。お父さんに、頼んでおねだりして、やっと、と書いておられた。気持ちが、よおく判って・・

>熱狂的ではないけれど、ずっと好きだったこと、思い出しました。

これもよくわかります、私もつまりはそうだったのだと思います。ジョンのやってることが若い私には理解不能だったり、ジョージはインドにハマって、やっぱりわけわかんなくなったり。

「アビーロード」は、私の、一番大切なLPレコード。

このたびも、中から何曲か、演奏されました。・・・帰宅して、改めて聴いて、違う、私の好きだったこの歌じゃない、など、無茶なことを考えました。ビートルズは、あの四人でもって、ビートルズだったんだ。

今日も「ドント・レット・ミー・ダウン」の動画を観て、無常の思い。息を合わせてジョンが唄い出し、ポールが、絶妙のタイミングでついて行って。もう、あんな時は帰って来ない。

あの頃に帰れないけど、わたしたちトシとったけど。でも、これからも、仲良くして下さい。やさいさん。

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何だか

私は、ビートルズ世代の人間ではないのですが、
KUON様のブログをむさぼるように読んで、
なぜだか泣いてしまいました。
2018-11-09-23:18 * ゴネコ [ 返信 * 編集 ]

はじめまして

いつも心に深く染み入る文章に
魅了されています。

九州住みの私の取っている新聞の広告。
見開きでドーーンとポールのコンサートのそれをを見た時に、私の青春の遠い記憶がチクッとしました。
kuonさんと同じ様なそんな時代を送ってきたビートルズファンで。
彼等に影響を受けた財津和夫さん率いるチューリップもその後よく聴いていました。

豊かな黒髪のセーラー服の昔の私。
kuonさんの今回の記事でそんな事を思い出しました。
いつもありがとうございます。

チケットがプレゼントって素敵な事ですね♪
2018-11-10-07:38 * ほうこ [ 返信 * 編集 ]

そうだった!

KUONさん

私はKUONさんよりも、ちょっとだけ後から生まれたから、初来日の映像をTVニュースで見たのが小学生の頃。
中学生になって、自分のお小遣いで買ったのが「ヘイジュード」
そして、中古レコード屋さんで数々のビートルズに出会ってから、熱狂的ではないけれど、ずっと好きだったこと、思い出しました。
そうだった、私も夢中で聴いていたんだってことを、思い出しました。

あの頃に、戻りたいかも。

ありがとうね、KUONさん。
2018-11-12-11:01 * やさい [ 返信 * 編集 ]

今も夢見る No title

・ゴネコさん

まだ私の中で「あの日々の私のビートルズ」懐旧が収まっていません。中学生から、二十歳頃の、ほぼ解散状態になった時期。濃かった。

私の気持ちをつかまえて下さってありがとう、と、なぜだか泣けて来ました。いっぱい思いはあるのです。いっぱいある。いろんなことがまだ、瑞々しいのに驚いています。
2018-11-12-16:16 * KUON [ 返信 * 編集 ]

今も夢見る No title

・ほうこ さん

はじめまして。いつも読んで下さっているのですね、お礼を申し上げます。

>私の青春の遠い記憶がチクッとしました。

記憶って、確かにちくっとしますよね。豊かな黒髪の、セーラー服姿の、かつての「わたし」。おそらく根っこのところは変わっていない、鮮やかにチクリと痛む気持ちはそのまま、でも、昔のわたし、ではない。

コンサートに来ておられた周囲の方々。みんなみんな、そんな思いを抱いておられたのではないかしら。

ポールだって。見かけはすっかり変わっていました。ビートルズの中では一番、茶目っ気のある、表情の豊かなメンバーだった。なんともいえない魅力があった、いまは、正直、汚れないまま年取ったおばさん、みたい。あ、石投げないで下さいね(笑)。私が夢中になったザビートルズの、ジョンとポールの唯一無二のあの掛け合い、四人の、奇跡のようなコーラスはもう、かえらない。分かっている。

いろんなこと思った一夜でした。わたし頑張りたい、頑張ろうと思いました。

これからも読んで下さいね、よろしく。


・やさいさん

う~ん。よかったよお。

66年、武道館へ来てくれた時、私は高校生になっていました。早く帰れなくてイライラして、アタマpoppoになっていて、あの夜は土砂降りの雨だった、ジョン命のやすえちゃんと、無言で目と目を交わし合い、土砂降りの雨の中へ自転車をこぎ出した,寮へ帰って必死で着替えて、前座の早く終わるようにジリジリと待った・・あの夜、やさいさんは、小学生だった、とな。う~む。(笑)。

ずいぶん前、こんな風に、タイガースの話をしましたね。お父さんに、頼んでおねだりして、やっと、と書いておられた。気持ちが、よおく判って・・

>熱狂的ではないけれど、ずっと好きだったこと、思い出しました。

これもよくわかります、私もつまりはそうだったのだと思います。ジョンのやってることが若い私には理解不能だったり、ジョージはインドにハマって、やっぱりわけわかんなくなったり。

「アビーロード」は、私の、一番大切なLPレコード。

このたびも、中から何曲か、演奏されました。・・・帰宅して、改めて聴いて、違う、私の好きだったこの歌じゃない、など、無茶なことを考えました。ビートルズは、あの四人でもって、ビートルズだったんだ。

今日も「ドント・レット・ミー・ダウン」の動画を観て、無常の思い。息を合わせてジョンが唄い出し、ポールが、絶妙のタイミングでついて行って。もう、あんな時は帰って来ない。

あの頃に帰れないけど、わたしたちトシとったけど。でも、これからも、仲良くして下さい。やさいさん。
2018-11-12-19:11 * KUON [ 返信 * 編集 ]