ポールの夜
まだアタマの中というか、気持ちの中を、整理していなくて、ただ、よかったなあ、凄かったなあ、ポール。そのままの感じです。
基本、どこへ行くにも何をするにも、カメラも持たず事前の調べなどもほとんどせず、エラそーに言えば、そこへ行って、見て聴いて、何か感じるままにする。今回もそうでした。
離れてはいるが正面から見える席。でもポールは、遠くて、とても小さかった。でも、現れた、とわかったら、胸がドキドキして、涙が出ました。
ずううっと追っていたのではない。初めて聴いて、脳内に雷を受け止めて、ラジオだけを頼りに一途にビートルズの歌を聴きたかった中学生だった自分はホントだった、毎晩、ビートルズを聴いた。歌詞を何度も書き写して英語を覚えて行った、「スクリーン」という映画雑誌を買うようになって、あの髪型や裾丈の短い栗色のスーツや、さまざまな話題に触れた、ポールは、まつ毛のくるりとカールした可愛い顔立ちで。
映画ができれば映画館へ行った。ナイショでヒミツで、罪を犯しているように、行った。
高校で寮生活になって、ひたすら「ジョン」の子がいて、ジョージにあらずんばヒトにあらず、の子がいて、私は自分を「星倫子」と名乗ることにし、つまり、リンゴのファンであることを公言した。実はポールの声が好きで、ほぼすべての曲を彼が書いているって、とんでもない才能だと畏怖し、しかしそれより、眉毛がいいなあと・・。みな、ビートルズが好きでした。そして私は、ジュリーの方を見るようになりました。朝はGSが一組だけ出る番組を見て学寮を走り出、夜の自由時間はラジオでビートルズを聴いた。私は小説家になって、自分で自分を養ってやることを決めていました。
一人暮らしの時期は、ビートルズも聴いたが、J・ジョプリンやクリームやグランドファンクや岡林信康も聴いた。浅川マキのコンサートによく出かけて行った。
ジュリーの世界へ戻った。
幼い子らを育てていたある日、ジョン・レノンの死が訪れた。
隣の席のオニイサンが(見知らぬお人が)、めがねをずらして懸命に舞台の上のポールを見ようとしている私に、オペラグラスを貸してくれようとした。ありがとうと私は借りた。関りができて、話をしなきゃならなくなるとイヤだな、と、勝手な思いを浮かべながら、借りて、見た。ポールは、髪の色も長さも服装も、何もかもが自然で普通で、ギターを抱いてまっすぐに、立っていた。
グラスを返して私は、もう一度ありがとうを言い、オニイサンは、いいえと笑って、以後ずっと、舞台の上を見つめていた。
ハード・デイズ・ナイトから始まり、次々に休みなく舞台は進行して行った、ポールは、エレキギターをガンガン鳴らし、ピアノをバンバン弾いた。左利きの彼はアコースティックギターを抒情的に操り、ジョージが好きだったのだと言って、ウクレレを弾いた。ウクレレで「サムシング」を鳴らし始め、途中でギターに変わっていた。あれ、と思ったが、もうわたし、前だけを見ていた。
ホーン・セッションというらしい、トランペットが何台も並んで、ぶわんぶゎん吹いた。ポールは、歌い、楽器をとっかえひっかえで鳴らし、日本語を操りだして、パワフルだった。とてもパワフル。
ありがとう、最高だ、愛してる、大好き、いっしょけんめい日本語の言葉を出していた。新曲の紹介をするとて、
「ツギハ シンキョクダガヤ」名古屋弁をあやつって見せた、皆は笑ったが、私はまた涙が出た。演出だろうが何だろうが。
始めのうちはよく出ていた声が、時のたつにつれ、変化して行っていた。声のかすれるポールも、今のポールだと思った。
聴衆のなかには、若い人も沢山だっただろうが、私の周囲のほとんどは、十代の頃にビートルズを知って、以後ずっと、の方も、長く遠ざかっていて、この機会に、かつて見ることもできなかった夢、のような感じで、チケットを手にしました、みたいな方が多かった。中年というより、もっと先。少しきょろきょろしてみたら、そういった方々、かつての少女、少年たちが、アタマ振ったり手を叩いたり、もうまっすぐに正面見つめて口を動かしていたり・・で、「ヘイ・ジュード」、ダーダーダーダダダッダー、ダダダッダー。ヘイジュー、と、声を出して、歌ったのだ。私と隣のオニイサンも、歌った。オニイサンは初めは躊躇していたようだが、どんどん声が大きくなっていった。
聴衆は多くても、大人しくて。おとなしくても、万感の思いで黙って座っていた人が多かろう。
私のことを言えば、お古のトランジスタ・ラジオで、それを耳にくっつけるように聴いていた十代の日、まさか、ビートルズのコンサートに行く日が来る、とは、考えようも無かった。
ビートルズなんか聴くのは不良。奈良の小さな町で、養父の、だだっ広くて、広いのに自分の居場所は無い気のしきりにしていた家で、暮らしていて、「ビートルズなんか好きなのは不良」、そんな決めつけを、内心めらめらと、表向きは知らん顔して受け入れて。
自由って何だろう、何の事なんだろう。そんな風に思いを馳せるように、なり始めた自分、は、まさか、五十数年の歳月の後に、そのメンバーの一人のコンサートに、行くことになるなんて。
夢にもみられないでいたのだったし。
脈絡なく書いてしまいました。
ポールは、誠実なひとだと思いました。見当違いな感想かも知れませんが・・76歳のポールは、凄くて、さすがで、あれだけのバックを率いてバックはポールの身に添った演奏をしていて・・ドラムスの、おハゲでおデブで豪快で繊細なおヒトがすてきだった・・聴衆のこころをぐわっと・・いや、言葉が上滑りします、やめます。
ポール・マッカートニーはとても誠実な人で、とても誠実なミュージシャンでした。
何度も「アリガトウ」と言っていました。
ありがとう、と、私も何度も言いました、遠くの、二時間半、休まず舞台に立ち続けた(と見えた)小さな人に向かって。
なんとか生き延びて来て私は、こんなコンサートに来られて、幸せです、ありがとう。日本に来てくれて、精いっぱいの舞台を見せてくれて、ありがとう。長女の夫さんが、チケットプレゼントしてくれたのです。そのことも、最後に書かせておいていただきます。